第5話 弄ばれし恋心 前編
「う〜ん……。」
褪せた色の夕日が差し込む部屋。そこでコジョンドは窓に肘をついて、浮かない顔をしながら座っていた。
少し虚ろな目をしながら、部屋の中で虚空を見つめるコジョンド。影で暗く映る目から下は、夕日で朱色に染められている。
コジョンドが気にしているのは、昼時に同じ部屋内でチャーレムと交わしたやりとりのことである。
―――――
『夕方、ここにお客さんが来るわ。』
良い策がある、と言われてコジョンドを部屋に押し込んだ後のチャーレムの第一声が、これであった。
『お客さん?私に?』
思い当たる節も無かったコジョンドは、首を傾げてチャーレムに尋ねる。
チャーレムは、その様子を不思議に思いながらも、言葉を続けた。
『あんた以外に誰を訪ねるっていうのよ。コノハナって名乗っていたけど、知らない?』
名前を出せば、少しはピンとくるのではないか。そう思い、チャーレムは訪問者の名前も挙げてみたが……
『う〜ん。そんな方、いらっしゃったかしら……?』
困り顔をして再度首を傾げるコジョンド。どうやら、本気で誰のことか思い出せずにいるようである。
思わず、チャーレムは肩をすくめてしまった。コノハナの様子だとコジョンドのことを良く知っていて、仲も良いのだろうかとチャーレムは思っていたが、どうやら完璧にコノハナの片想いに終わっているようである。
(あの子も不憫ねぇ……。まぁ、その方が扱いやすいから、いいか。)
ふん、と鼻で溜息をついた後、チャーレムは気を取り直して話し始める。
『……まぁ、いいわ。彼はあたしが連れてくるから、あんたはとりあえず部屋に居て、適当に彼に応対しといて。んで、頃合いを見計らって、あたしがあんたを外に誘導するから、そしたらいつでも花火大会に出られるようにしておきなさい。』
得意げに指を振りながら、自信満々に指示を出すチャーレム。
だが、コジョンドはこれを聞いて、腑に落ちない点が1つあった。
『え?私が出て行ったら、そのお客さんはどうするの?』
そう、これではコノハナを放っておいて、外に出ろと言っているようなものである。
それを聞いたチャーレムの目が一瞬泳いだ。しかし、すぐににっこりと笑い、コジョンドに近づいた。
『大丈夫、大丈夫!あたしが良いようにしておくから。心配する暇あるなら、花火大会でオスを口説く台詞でも考えておけば?』
不安に思うコジョンドに、チャーレムは肩をぽんぽんと叩きながら冗談で返した。
安心しきった訳ではないが、チャーレムのことだから、何か考えがあるのだろう。
そうでなくとも、花火大会に行くにはチャーレムの作戦だけが頼りである。今は彼女に従う他に道はない。
『わかったわよ。あまり、変なことはしないでよ?』
渋々ではあったが、コジョンドは作戦に乗ることを承諾した。
『大丈夫だって!あたしを信じてってば!』
チャーレムは胸を張って答えたが、こういう時の「私を信じろ」を、真に受けても良いのだろうか。コジョンドは、嫌な予感を拭い切れずにいた。
―――――
(あの時……私が出て行った後のことを訊いた時、どう考えても明らかに言葉を濁していたような気がする。本当に、大丈夫なのかしら?)
いざ作戦を決行する時ですらも、コジョンドは迷いを見せていた。
しかし、時間は待ってくれない。
「コジョンド、お客さんよ!扉を開けるわ!」
扉越しのチャーレムの声で、コジョンドは我に返った。
「ど、どうぞ。」
少し動揺しながら、コジョンドは返事をする。
すっと、コジョンドの部屋の扉が開く。
そこにはチャーレムだけでなく、コノハナも側に居た。
「コジョンドさん!あぁ、お会いしたかった!」
コジョンドの姿を見るや否や、コノハナは一目散に彼女に走り寄った。
(あれ?言われてみれば、どっかで見たような気がするんだけど……?)
一方のコジョンドは、コノハナのことをまだはっきりと思い出せずにいた。
コジョンドからすれば、祭りの日からしばらく経っている上に、舞台前で自分を呼びに行っただけということもあり、あまり気にしていなかったようだ。
戸惑うコジョンドをよそに、コノハナはコジョンドの手を握りながら、目を輝かせてコジョンドを見上げた。
「あの、僕を覚えていますか?お祭りの舞台裏でお逢いした、コノハナです!」
そこでコジョンドはハッと気づいた。彼のことを、ようやく思い出したようである。
「まぁ、あの時の!今日はわざわざ来てくださったのですね。」
「はい!コジョンドさんにどうしても逢いたくて、来てしまいました!こうして2匹でゆっくりとお話しできるなんて……夢のようです!」
コノハナも覚えてもらえたことが嬉しかったのか、さらに目の輝きが強くなった。顔をぽっと赤くして、もじもじし始める。
(気まずくなったらどうしようかと思ったけど……これなら、大丈夫そうね。)
チャーレムは、ほっと一息ついた後、そっと戸を閉めて部屋をあとにした。
その後、コジョンドの部屋では暫くの間、和やかな雰囲気で2匹の歓談が続いた。
―――――
コジョンドとコノハナが談話を始めて数分した頃。
「失礼しま〜す。」
上機嫌な声を響かせながら、チャーレムがお茶の入った急須に湯のみ、そして茶菓子にポフレを載せた盆を持って、コジョンドの部屋に入ってきた。
コジョンドとコノハナは、チャーレムのほうへと顔を向ける。
「あ、コジョンド、ちょっとだけいいかしら?」
チャーレムが手招きして部屋の外へ出るよう指図する。
コジョンドは一度コノハナに向き直る。その顔には、申し訳なさからか、曇った表情が現れていた。
「お気になさらず。僕は、ここで待っていますので。」
「いいのですか?……では、失礼します。」
コジョンドは丁寧に会釈をし、部屋から足早に抜けていく。それをコノハナは笑顔で見送った。
(えっと、私はこのまま、外に出ればいいのよね?)
コジョンドがすれ違い様に、ちらりとチャーレムに目線を向ける。
チャーレムもそれに気づき、盆を持ったまま目線を投げ返す。
(そうよ。後は、あたしに任せて。)
チャーレムは友の意志を汲み取り、軽く頷く。それを確認した後、コジョンドはそのまま稽古場の玄関へと向かっていった。
「ごめんなさいね〜。ちょっと、お師匠様に呼ばれちゃって。」
先程コジョンドがいた場所にチャーレムが座り、急須で自分とコノハナの分のお茶を注ぎ始めた。
「大丈夫ですよ。稽古場は上下関係が厳しいって聞きますし、しょうがないですよね。」
機嫌を損ねた様子は全くなく、むしろコジョンドと少しでも共に時間を過ごせて、コノハナは幸せそうにしていた。
「うふふ。まぁ、お茶でも飲んでいってよ。他の街で手に入れたちょっと珍しいお茶で、コジョンドも好みなのよね〜、これ。」
笑みを絶やさず、チャーレムはお茶をコノハナに薦める。特に、「コジョンドも好み」という言葉に惹かれて、コノハナはさらに乗り気になったようだ。
「へぇ〜そうなんですか。どれどれ……」
言われるがままに、コノハナはお茶を啜った。チャーレムはその様子を、黙って見ている。
「おぉ、なかなか上品な味だ。こういうお茶がコジョンドさん、好きなのか……」
茶の味を堪能しつつ、そのままコノハナは湯のみを傾け、一杯分全部飲み干していった。
(ま、ただの安物のお茶なんだけどね……。コジョンドも休憩の合間に飲んだりするのは、本当だけど。)
真相を知らないコノハナに、心のなかでは呆れながらもそれを押し殺して、チャーレムは口元をやや引きつらせながら、笑顔を続けていた。
(さて、そろそろかな。)
すっかり機嫌を良くしたコノハナを見ながら、チャーレムの目が急に真剣になり、徐々に妖しい光を籠めはじめる。
「あぁ、おいしかった。ところでこれは、何ていうお茶で……え?」
コノハナが茶を飲み終え、満足そうな表情で湯飲みを置き、ふとチャーレムの方へと顔を上げる。
チャーレムの様子がおかしい。そうコノハナが気づいた時には、もう遅かった――
「サイコショック!!」
チャーレムから不思議な念波が繰り出される。完全に油断しきっていたコノハナは、成すすべもなく念波に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。