第3話 現に惑う花
コジョンドの初舞台から月日は流れ――
木々の葉の緑は深みを増し、日ごとに暑さを増すばかり。
麗らかな春は過ぎ去り、季節は夏を迎えていた。
「やっ!はぁっ!!」
キュウコンの稽古場から、快活な声が響く。
そこでは1匹の舞姫が、稽古に打ち込んでいた。その者の掛け声とともに、手に持つ双剣が鋭く振られる。
一閃。遅れて、着物の袖の如く、淡紫色の腕の体毛がふわりと舞う。
動きが止まったかと思いきや、すぐさま一歩踏み込み、後ろへ体を向ける。
さらに一歩。体を優雅に回転させながら、先程とは反対の方向へ、二閃。
「あ……。」
その舞姫――コジョンドは、ふと何かに気付いたかのように、顔を見上げた。
彼女が見上げた先には、桃色の花弁がひらひらと、舞い落ちていた。
どこからやってきたのだろうか。その花弁は、葉が青々と生い茂る夏には、不相応なものであった。
まるで、忘れかけた春を思い出させるかのように、桃色の花弁はコジョンドの目の前を舞う。
コジョンドの脳裏に浮かぶは、過日に舞台で自分を助けてくれた、あの恩人の顔。
曇りのない純粋な笑顔。澄んだ紅色の瞳。そして――
『大丈夫か?……次は、気を付けるんだぞ。』
穏やかで優しい、かの者の声。
「はぁ……。」
一度しか逢っていないはずなのに、何故か気になってしまう。
コジョンドは舞に集中できなくなり、思わず溜息をついてしまった。
「なーに、しけた顔してんのよ。」
突如、コジョンドは後ろから何者かに声をかけられ、驚きつつも振り向いた。
そこには、1匹のポケモンが気怠そうに座っていた。
頭には赤色の帽子のようなものをかぶっている。細身な体とは対照的に、膨らんだ両足が特徴的である。
「チャーレム……。」
コジョンドはその者に呼びかける。チャーレムは、ふっと笑うと、肘をついて座っていた姿勢から立ち上がり、コジョンドに近づいていった。
同時期に入り、共に研鑽を積んだチャーレムは、コジョンドにとって無二の親友であった。その身のこなしも、コジョンドと同様高く評価されており、コジョンドとチャーレムのどちらが優れているか、稽古場でもしばしば話題になるほどであった。
「もう。今日は年に一度の花火大会なのよ?ほら、もっと楽しくいきましょうよ!」
そう言ってチャーレムは、上機嫌でコジョンドの肩をぽんぽんと叩く。
この街では、チャーレムの言うとおり、花火大会が年に一度行われる。
街中のポケモンたちが話題にするほどの盛況ぶりで、夜になると街の者が一斉に広場に集まる。
夜空を彩る花火は毎年好評で、皆が楽しみにするものなのだが……
「え?今日でしたっけ??」
稽古に明け暮れていたコジョンドは、それが今日だと知らなかったようである。
「あんたねぇ……どこまで稽古馬鹿なのよ。」
チャーレムは、やれやれと言わんばかりに頭を抱えた。
しかし、すぐに笑顔に戻りつつ、コジョンドの背中を押す。
「ほら、稽古はそのくらいにしなよ。それよりさ、何着ていくか決めない?」
「あぁ、ちょっと待ってよ!」
待ちきれないチャーレムは、戸惑うコジョンドの手を引っ張り、上機嫌で稽古場の中に入ろうとした。
しかし――
「その手を離しておやりなさい。チャーレム。」
不意に、2匹の前から気高い声が響く。
「お師匠様!」
コジョンドとチャーレムの前には、師匠であるキュウコンが立ちはだかっていた。
キュウコンは2匹を上から、威圧するかのように見下ろす。そこに、慈悲は欠片も感じられなかった。
「花火大会のことは、コジョンドにはあえて教えずにいたのです。」
キュウコンは、凛とした声でそう言い放った。
その発言に、チャーレムは不快感を露わにする。
「な、何故ですか!?どうしてそんな意地悪を……」
チャーレムは睨みを聞かせながら、キュウコンに問いただす。しかし、その程度でキュウコンは動揺しなかった。
「言ったはずです。より一層稽古に励むようにと。あのような失態を演じるようでは、花火大会などにかまけている暇はないでしょう、コジョンド?」
キュウコンは表情一つ買えずに冷たく言い放った。
そして、キュウコンの視線は、コジョンドへと鋭く向けられる。
穏やかさを一切感じないキュウコンの視線が、コジョンドの胸に火矢のように突き刺さる。
「……。」
コジョンドはキュウコンに圧倒され、何も言い返せず、目を逸らしてただ俯いていた。
何故コジョンドだけ、こんな目に遭わなければならないのか。チャーレムは、その様子を黙って見ていられなかった。
「ちょっとお師匠様。あんまりじゃありません?」
とうとう我慢の限界を迎えたチャーレムは、キュウコンににじり寄っていった。
「誰だって失敗はあるものでしょう?それなのに、何もここまで引きずることないじゃないですか!酷すぎると思わないのです!?」
「私のやり方が気に入らなければ、ここから去りなさい。引き止めはしませんよ。」
チャーレムは怒りを露わにし、顔をしかめてキュウコンのやり方を非難する。しかし、キュウコンはただそれを冷たく嘲笑い、軽く流した。
一度、チャーレムの方を向いたキュウコンの視線が、再びコジョンドに向けられる。
「コジョンド、今晩は留守を頼みますよ。この稽古場に誰もいない、なんてことがないように。」
そう言うと、キュウコンは何事もなかったかのように、奥の方へと去って行った。
稽古場の廊下には、コジョンドとチャーレムだけが、ぽつんと取り残された。
―――――
「何よあれ!?信じらんない!!」
未だに怒りの収まらないチャーレムは、苛立ちを隠せずにいた。
師のやり方を許せない。しかし、怒りをぶつけても、当のキュウコンは怖じるどころか、軽くあしらわれる始末で、納得がいかなかった。
「ちょっとコジョンド、あんなこと言われて悔しくないの!?」
ついには、親友に八つ当たりしてしまうチャーレム。憚りもなく当たり散らすチャーレムだったが、コジョンドはそれと対照的に、暗い表情をしたまま、顔を下に向けたままだった。
「お師匠様の仰ることも、事実ですから。」
コジョンドはただ一言、視線を泳がせながら、力なくそう言ったきりであった。
「あぁもう……!」
チャーレムは、やり場のない怒りを抱えたまま、衝動的に稽古場の外へ出て行ってしまった。
―――――
清々しく晴れ渡る午後の空。しかし、それとは裏腹に、稽古場の玄関を出るチャーレムは、いつ雷が落ちてもおかしくない、雨雲がかかっているかのようだった。
「意味がわかんないわよ!お師匠様は理不尽すぎるし、コジョンドもしょげてしまっているし……もう、どうすればいいわけ!?」
怒りに任せて稽古場を飛び出し、外を出歩くも、チャーレムの機嫌はすぐに直らなかった。
考えれば考えるほど、苛立ちは募る一方。それが余計に、チャーレムに火に油を注ぐこととなった。
「あの〜、すみません。」
チャーレムが稽古場を出て暫くして、彼女の顔が怒りで赤くなっていた頃。
突然、何者かがおずおずとチャーレムに話しかけてきた。
「何よ!?」
苛立ちから思わずぶっきらぼうな返事になりつつ、チャーレムは呼ばれた方に向き直った。
「わっ!?ち、ちょっと、そんなに声を荒らげなくてもいいじゃないですか!?」
チャーレムに話しかけたポケモンからすれば、ただ声をかけただけなのに、いきなり相手に捲し上げられたため、戸惑うのも無理からぬことであった。
「あんた、誰よ。」
一方で、チャーレムにとっては、その者は見覚えのない顔だったらしい。
訝しがるような表情をしながら、チャーレムは相手に尋ねた。