想いは篝火となりて








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第2章 夏 ―宵闇を彩りし花火―
第11話 焔を惑わす謀り
「コジョンド、私です。扉を開けなさい。」

耳に慣れたはずの、お師匠様の声。
普段ですらも威圧されているような気分になるけど、今日は特にお師匠様の声が重く感じる。

コジョンドは、玄関の戸口に手をあてると、一度深呼吸をした。
ここから先は、一分たりとも油断できない。そう決心しつつ、玄関の戸をすっと開けた。

「おかえりなさいませ。お師匠様、皆様。」

恭しくお辞儀をしながら、コジョンドはキュウコンたちを出迎えた。

「ご苦労でしたね。特に、変わったことはなかったですか?」

珍しく、いつもよりもやや穏やかな口調で、キュウコンが労いの言葉をかけてくる。コジョンドはゆっくりと顔を上げ、キュウコンと目を合わせた。
花火を堪能して、少しは気も解れたのだろうか。師匠の表情もいつもより緩んでいるように見えた。
しかし、口元こそ微笑を浮かべているものの、目はしっかりとコジョンドを見据えていた。背後から差し込む満月の光がキュウコンの目元に差し込み、「冷たき焔」の異名をより引き立たせる。
彼女の後方には、出発の時と同様に門下生が、ずらりと整列して控えていた。

「いえ、何も。」

コジョンドは軽く会釈をしながら、師匠の問いに答えた。
簡潔に答えつつも、ちらりとキュウコンの方に目を向け、反応を伺う。さて、このまま無事に乗り切れるか、そうコジョンドは身構えながら、お師匠様の答えを待った。

「そうですか。ならば、いいでしょう。」

意外にも、キュウコンの反応はあっさりとしたものだった。キュウコンは依然としてコジョンドを見下ろしたままではあるが、満足したかのようにふっと笑っていた。
自分の行動を追及されるかと思い、身構えていたが、どうやら杞憂だったようである。コジョンドは、ほっとしたように頬を緩め、安堵の表情を浮かべた。

(妙ね?お師匠様がこうもあっさりと、素直に引き下がるとは思えないんだけど……)

一方で、キュウコンの背後に控えていた門下生の1匹、チャーレムは、師匠らしからぬ反応に疑問を抱いていた。
他の門下生と同様、頭こそ下げてはいるものの、横目でキュウコンの監視を続けていた。

「では、今日は休むとしましょう。」

そう言いつつ、キュウコンは1匹で稽古場の奥へと歩き始める。
コジョンドは一礼しながら、師匠が通り過ぎるのを待っていた。

だが、数歩進み……
ちょうどコジョンドの横を少し通り過ぎたところで、キュウコンの動きが止まった。

「ああ、そういえば今、思い出したのですが。」

いかにも思わせぶりなキュウコンの口調に、コジョンドは思わず、びくりと体を震わせた。
キュウコンはゆっくりと振り返り、微笑を崩さないまま、コジョンドに訊ねる。

「花火大会の最中、貴方の名を呼ぶ声が何度か聞こえたのですが、どういうことなんでしょうね?……よもや、稽古場を離れていた、などということは、ありませんよね?」

コジョンドは思わず、はっと息を飲む。
恐らく、いや、考えるまでもなく、広場を歩いていた時にサイドンに声をかけられた時のことを指しているのだろう。
確かに大声で呼ばれていた。やはり、お師匠様にも聞こえてしまったのか。

「どうなのですか?」

それに追い打ちをかけるように、キュウコンは先程から全く表情を変えないまま顔を覗きこみ、コジョンドに問い詰めた。
答えられない。一気に窮地に立たされ、金縛りでもあったかのように、コジョンドは動けず、喋れずにいた。

(やっぱりそうきたか。まったく、お師匠様も陰湿ねぇ。気の緩みを誘って本題を切り出すなんて、いやらしいにも程があるわ。)

チャーレムは、キュウコンのやり方に不快感を露わにしつつ、歯ぎしりしながらキュウコンを睨み続けていた。
だが、このままコジョンドが口を閉ざしたままだと、事態は悪い方向に傾くばかりである。それどころか、コジョンドを連れ出すためにしてきた自分の策が全て無駄になってしまう。

(もう、しょうがないわね。助け舟を出してやりますか。)

ついにチャーレムは、行動を起こすことにした。

「お、お師匠様!そんなの有り得ないって何度も言ったじゃないですか!」

二人の前に近づき、横槍を入れるチャーレム。キュウコンとコジョンド、そして他の門下生の視線がチャーレムに集中した。
キュウコンは、面白くなさそうに、ふんと鼻で息をしてからチャーレムをあしらう。

「貴方には訊いておりません。私は、コジョンドに質問しているのですよ?」
「恐れながら、訊いても無駄かと。身に覚えがないから、さっきから戸惑っているじゃないですか。」

苛立つ師匠にもめげずに、チャーレムは反論する。
キュウコンは顔をしかめたものの、言い返すこともできずに目線を逸らす。その隙を逃さずチャーレムは、さらに畳みかけた。

「お師匠様、技術の方を認めているなら、もっとコジョンドを信じてあげてもいいのでは?『稽古場に誰もいないことのないように』って言いつけくらい、彼女ならちゃんと守れますって。そうでしょ、コジョンド?」

チャーレムが、コジョンドのほうを向いてきた。キュウコンから見て、チャーレムはくるりと後ろを向いている形になるので、覗きこみでもしない限りチャーレムの表情は見えづらい状況だった。
それを利用して、キュウコンに見えないように、チャーレムが睨みながら威圧をかけてくる。意図を考えずとも、(とにかく、あたしに合わせろ)というメッセージがひしひしと伝わってきた。

「……はい。言いつけは、確かにお守りしました。」

絞るように声を出すコジョンド。
キュウコンは不満げな様子でコジョンドを見ていたが、これ以上問い詰めても効果は見込めなかった。
何より、反論する材料がない。疑わしくとも、コジョンドを広場で見かけた訳でもなく、現にこうして稽古場で出迎えている以上、コジョンドの発言を嘘だと言い切ることもできなかった。

「わかりました。私の思い違いだったようですね。」

ようやく、お師匠様が離れた。後ろの門下生の方へと視線をやり、声を張り上げて皆に指示する。

「明日も、通常通り稽古を行う。皆も、今日は早めに休むように。」

そう言って、お師匠様は奥へと消えていった。
他の門下生も、キュウコンがいなくなったことで緊張の糸が解けたのか、雑談しながら、欠伸をしながら、思い思いにぞろぞろと各部屋へ戻っていった。

―――――

いつの間にか、あれだけ門下生がずらりと並んでいた玄関には、すっかり静まり返っていた。
後に残されたのは、コジョンドとチャーレムの2匹だけである。

「はぁ〜、どうなるかと思ったわ。」

一気に緊張の糸が緩み、コジョンドはへなへなとその場にしゃがみ込む。

「それはこっちの台詞よ。本当に疲れたわ、まったく。」

疲れ切った声で文句を言いながら、チャーレムもコジョンドに合わせるかのように、隣で腰を下ろした。
とりあえずは、無事難を逃れることができた。チャーレムもコジョンドも、はぁ、と同時に息を漏らした。

「コジョンド。広場で別れてから一体何があったのよ?誰かがあんたの名前を大声で呼んでいた時は、さすがに血の気引いたわ。」

チャーレムはコジョンドに向き直り、文句を言った。
話を聞くと、サイドンがコジョンドに猛アタックを仕掛けていた時、コジョンドの元へ行きそうになったキュウコンを、チャーレムが説得したり出店に目を向けさせたりして、どうにかやり過ごしていたという。
キュウコンと鉢合わせしないで済んだのも、裏でチャーレムが動いてくれたおかげであった。

「お師匠様の気を逸らすの、ホントに大変だったんだからね!?」
「ご、ごめん。私もまさか、こんなことになるとは思わなくて……」

さすがのチャーレムも、大分苦心していたのだろう。つい声を荒げてしまい、怒っているようにも見えた。
何から何までチャーレムに苦労させてしまい、コジョンドは申し訳ないと思わずにはいられなかった。

「まったくもう。で、気分転換にはなったの?」

言うだけ言うと、すっきりしたのか、チャーレムは普段の口調に戻っていた。
腕組みをしながら、チャーレムは一番気になっていたことを、友に訊ねる。

「うん。おかげさまで。」

コジョンドは、そんなチャーレムに笑顔で答えた。

「あなたのおかげよ、チャーレム。本当にありがとう。」

目を輝かせ、頬を優しく緩める。心から嬉しそうな、コジョンドの笑顔。
成長しても、こんな子供のように純粋な笑顔をできる者は、それほどいないだろう。
あまりにも無垢すぎるその笑顔は、眩しいくらいに映り、生来の綺麗さとも相まって、メスであるコジョンドも思わず、惚れてしまいそうになるほどであった。

「……な、何よ改まって。別にあたしは、あんたがどうしても行きたそうにしていたから、仕方なくこうやって知恵を絞ってあげただけなんだからね!」

チャーレムは顔を赤らめ、ぷいとあさっての方向を向く。
頬を指でぽりぽりと掻き、顔には明らかに動揺の色が出ていた。さっきまでキュウコンに堂々と反論していたチャーレムとは、まるで別人のようである。

「ささ、疲れたし今日はもうとっとと寝るわよ!」

チャーレムはさっさと手を振り払い、そそくさと自室に戻っていった。

「ほんっとに、素直じゃないんだから。」

そんな友の様子を、コジョンドは笑いながら見送り、自分の部屋に戻った。

―――――

明かりを消し、眠りにつこうとしたコジョンドであったが……
ふと、バクフーンの顔が浮かんだ。

そういえば、結局怪我したところをまた助けてもらって、挙句質問に答えずそのまま帰ってしまった。
また、失礼なことをしてしまったな。

春のお祭りよりも、バクフーンに対する思いは確実に大きくなっていた。以前はなんとなく気になる程度だったが、今となっては頭の中から離れなくなり始めていた。

あぁ、また逢うことはできないだろうか。

彼のことを考えているうちに、いつしかコジョンドは深い眠りについていた。


■筆者メッセージ
こんにちは。ミュートです。
週1で更新できれば、と思っていたのですが、遅くなってしまい、申し訳ありません。

さて、お師匠様を騙せて、無事に1日を終えることができました。これにて夏編も終了です。
次回から、新たな章に移ります。
ミュート ( 2015/05/23(土) 23:25 )