第10話 花火の刻限
思えば、祭りの時に見かけてから、あんたに興味を持っていたのかもしれない。
美しく舞っている時も、逢う度にドジな面も見せるのも、可愛らしく思えてしまう。
あんたのことを、もっと良く知りたい。
あんたが何を考え、想い、舞っているのか。あの美しい舞の裏に、何を抱えているのか。俺は、それを見たい。
あんたの舞を、全てを、見ていたい。
側で、ずっと見ていたい。
「あんたが夜空で花火を咲かせるなら、俺は月となって、間近で見守りたい。……駄目か?」
バクフーンは、手をコジョンドの顎に当て、くいっと少し持ち上げた。
燃えるような紅い両目は、好奇心と探求心を宿しながら、コジョンドの瞳を覗きこむ。その両目は、子供のように純粋であるが故に、些細な綻びすらも見透かすようであった。
―――――
バクフーン様。
ようやく、貴方の名を聞くことができた。少しでも、貴方のことを知ることができた。
不真面目なように振る舞っているように見えるけど、根は優しいお方。
からかって困らせることもあるけど……なんだろう。この方と話していると、すごく気が楽になる。
技を究めることを追い求める中で、忘れてしまった何かを、思い出させてくれるような……。
引きこまれるように、コジョンドは目の前の紅き瞳を見つめていた。
奥底に秘める想いも見抜かれそうで、しかし、それを何故か悪いとは思えなかった。いっそ、晒しても構わないと思えるほどに。
だが、ここまで来てコジョンドは、あることに気付いた。
そう言えば、先程まで鳴っていた花火の音が、途絶えている。とうに花火は終わり、刻限がきてしまったのではなかろうか。
コジョンドは、広場に着いた直後に言われたチャーレムの忠告を思い出した。
『花火が終わったら、急いで見つからないように帰って。』
「あっ!」
思わず、バクフーンの至近距離でコジョンドは叫んでしまう。
「ん、どうした?」
「ごめんなさい。私、帰らなくては!」
何が起こったのか分からず戸惑うバクフーンを余所に、コジョンドは彼の手を払った。
先程まで顔に触れていたバクフーンの手から、するりとコジョンドが離れていく。そして彼女は踵を返して、森の中へと慌ただしく走り去っていった。
「おい、ちょっと待った……あぁ。せめて、返事くらいは訊きたかったんだがなぁ。」
1匹ぽつんと、草原に取り残されたバクフーンは、帰っていくコジョンドの背中を寂しそうに見つめながら、ため息をついた。
花火は鳴りやみ、満月だけが孤独に夜空を淡く照らしていた。
―――――
今思えば、何故あんなに怖かったはずの森の中を走っていられたのだろう。
何故、奇跡的に迷わずに稽古場に戻ってこられたのだろう。
暗闇の怖さも、バクフーン様のことすらも、あの時だけは何も頭に浮かばずにいた。
今は一刻も早く、稽古場に戻らなくては。
コジョンドはただ、ひたすら走った。
お師匠様たちよりも先に戻らなければ、全てが水の泡になる。コジョンドは使命感に追われるように、稽古場へと急ぐ。
十数分後。やっとの思いで、コジョンドは稽古場に辿り着いた。
明かりがついていない。どうやら、お師匠様たちはまだ戻っていないようである。
「よし。どうやら、間に合ったみたいね。」
コジョンドは一安心すると、一度深呼吸して息を整えた。
そして、稽古場の玄関を開けた――その瞬間。
「ん〜っ、ん〜っ!!」
暗い稽古場の中から、かすかに声が聞こえる。
思わずコジョンドは身震いした。何故誰もいないはずの稽古場から声がするのだろう。
それは、叫び声のように聞こえた。苦しんでいるような……誰かに助けを求めているのだろうか。
ごくり、と思わず唾を飲み込むコジョンド。彼女は明かりを手にして、声のする場所を恐る恐る探した。
一歩ずつ歩みを進め、声の元を探す。そして、最も声が大きく聞こえる部屋の前で、足を止めた。
(……ここって、私の部屋よね?)
そう言えば、出かける直前まで自分はここにいた。確か、チャーレムの仲介で、お客さんと話していたんだっけ。
チャーレムは自分と一緒に出掛けたから、ここにいるわけがない。
ということは、まさか……
勢いよく、コジョンドは自室の戸を開ける。
そこには、コジョンドが予想していた通りの者がいた。手足を縛られ、猿轡を嵌められた無残な姿で。
「コノハナさん!!」
「むぐっ!?む〜〜!!」
突如現れたコジョンドにコノハナも驚くが、誰かが来てくれただけでも嬉しいのか、声にも元気が戻ってきたようである。
一方、コノハナの信じられない姿にコジョンドは驚きもしたが、今はとりあえず助けることが優先である。急いで駆け寄り、コノハナの猿轡を外した。
「ぷはっ!はぁ、はぁ……」
口を塞ぐ物はなくなり、コノハナもようやくまともに息ができるようになった。
先程から猿轡をされたまま叫び続けていたのだろう。声も枯れ気味である。
コジョンドは、話ができるようになったコノハナに事情を問いただした。
「何やっているんですか、もう!誰にこんなことを!?」
「あの後、チャーレムさんに一杯くわされてしまいました。まったく、僕が何をしたって言うんだ……。」
やっぱり、そういうことか。
ここにきてコジョンドは、ようやくチャーレムの作戦の全貌を理解した。留守番役をコノハナに押し付け、自分たちだけで花火大会へ抜け出すという算段だったのか。
コジョンドは頭に手を当て、眉をしかめながら溜息をついた。
「あぁ。嫌な予感はしていたけど、やっぱりこういうことだったのね。今、助けてあげますから!」
チャーレムの腹黒さに呆れながら、コジョンドはコノハナの手足を縛る縄を外し始めた。
「なんでこんなにきつく縛っているのよ!?チャーレムったら、もう……!」
縄は予想以上に厳重に縛ってあり、コジョンドは思うように縄を外せずにいた。
その間、コノハナはというと……顔を赤らめ、うっとりとコジョンドを見つめていた。
(あぁ、コジョンドさんが、こんな僕を助けてくれているなんて……!)
チャーレムのお陰で絶望に叩き落されたと思いきや、大好きなコジョンドに助けられ、しかも縄を外そうと自ら自分の手に触れてくれる。
むしろ、捕まってよかったのかもしれない、とすらコノハナは思えるほどであった。
(……?)
一方でコジョンドは、何やらコノハナが熱烈な視線を投げかけていることに気付いたものの、何故コノハナがそんなふうに自分を見つめてくるのか分からず、不思議に思っていた。
どうやら自分の行為が、余計にコノハナを惚れさせる結果となっていることに、全く以て気づいていないようである。
ようやく縄が外れ、自由になったコノハナは、涙をぼろぼろ零しながらコジョンドに抱き付いていった。
「あぁ、ありがとうございます!!もう僕はずっとこのままかと……うっ、うっ……。」
「もう大丈夫ですよ。さぁ、早くここから逃げてくださ……い?」
コジョンドはコノハナに帰るよう促したが、その途中で思わず固まってしまった。
コノハナが自分に向ける視線が、明らかにおかしい。顔をぽっと赤くして、目をきらきらと輝かせながら、一心に自分を見つめてくる。
それは、『メロメロ』をかけた時の症状によく似ているが、今回はそんな技など繰り出していないのに、どういうことなのだろう。
「……いえ、コジョンドさん。僕はもう逃げません。」
「え、ええっ??」
突然のコノハナの豹変ぶりに、思わずコジョンドは戸惑ってしまった。
しかし、それにも構わず、コノハナは自分の熱い想いをぶつけていく。
「これまで僕は、コジョンドさんを高嶺の花だと思い込んで、諦めていました。でも、もはやコジョンドさんが好きだというこの自分の気持ちに、嘘はつけません!
もう僕、決めました!無理だと決めつけて、逃げたりしないって。僕、ずっとコジョンドさんについていきます!!」
「え、あの、ちょっと……コノハナさん??」
熱情に任せて言葉に力を込めていき、ついにはコジョンドの両手もがしりと掴む始末。
ここまでくると、流石にコジョンドも嫌な予感を覚え始めた。冷汗を垂らし、体を後ろへのけぞらせていた。
だが、一度加速した想いは止められない。これだけコジョンドが近づきたくない意思を体で示しても、その程度でコノハナは大人しく引き下がらなかった。
「コジョンドさん!どうか僕の想い、受け取ってください!!」
そう言ってコノハナは、コジョンドへ急激に顔を近づけてきた。
既に体は至近距離まで近づき、口元をやや突き出して……
「いや〜〜〜〜っ!!!」
コノハナの思い切った行動に、コジョンドが怯えて叫び声をあげた、その直後。
スパパパパンと、怒涛の勢いで『おうふくビンタ』を繰り出す音が、稽古場に響きわたった。
―――――
花火大会に出向いた客が帰り始め、街に明かりが燈りはじめた頃。
街中でコノハナは、まだ赤くヒリヒリと痛む頬を撫でながら、歩いていた。
少し歩いたところで彼はくるりと振り向き、追い出された稽古場を一度見やる。
あぁ、コジョンドさん……どうして、僕の想いをわかってくださらないのですか。
でも、これで諦める僕ではありません。僕の心はもう、定まったのですから。
コジョンドさんがわかってくれるまで、僕はずっと待っています。
そう強く想い、コノハナは稽古場に背を向け、去っていった。
―――――
(また、厄介なのが増えた……。)
まさか、サイドンに引き続きコノハナまで、ああなってしまうなんて。
コジョンドは、今日になって現れた2匹の追っかけに、頭を抱えていた。
そんな中、稽古場の玄関を、誰かがコンコンと叩く。
「コジョンド、私です。扉を開けなさい。」
お師匠様の声だ。
一応、今回はチャーレムの言う通りに動けたつもりではあるが、まだまだ気は抜けない。
コジョンドは意を決して、玄関へと向かった。