第2話 運命の出会い
(……痛く、ない?)
地面に叩きつけられる、と覚悟していたコジョンドは、不思議に思いうっすらと目を開ける。
体が、浮いている……?
いや、違う。誰かが抱きかかえてくれている。
背中と腿のあたりをそっと支える、優しい手の感触を感じる。
コジョンドの視線が、今度は徐々に上へと移る。自分を助けてくれた者と、目が合った。
炎のように紅い、瞳。そこに淀みは感じられず、柘榴石のように光を秘めていた。
深緑と黄色のふさふさとした体毛が、心地よく体に触れる。
抱かれているのが気持ちよくて、もうしばらくこのままでいたいと思ってしまうほどに。
「……大丈夫か?」
そのポケモンは微笑しながら、穏やかな声でコジョンドに話しかけた。
少し意識がおぼろだったコジョンドは、思わずその声に動揺する。
「え、えぇ……ありがとうございます。」
コジョンドは予想外のことに戸惑い、顔を赤らめながらも、彼に支えられてゆっくりと地面に降りた。
「間に合ってよかったな。ヒヤヒヤさせるぜ、まったく。」
「あの、あなたは?」
純粋な笑顔を向ける恩人に、コジョンドはおずおずと尋ねた。
「悪いな。名乗るほど大層な名は持ち合わせてないんでね。……次は気をつけるんだぞ。」
風来坊はそう言い残しつつ、去り際に口元をニッと吊り上げて見せながら、何事もなかったかのようにそのまま歩いていった。
(今のお方は、どこのどなたなんでしょう……。)
名も告げずに去って行った恩人を、コジョンドはただ茫然としながら見送っていた。
「コジョンドさん、ご無事でしたか!急いでお戻りを!」
背後からかけられたフライゴンの声で、コジョンドはハッと我に返る。
コジョンドはフライゴンに手を引かれ、慌てて舞台裏へと戻っていった。
―――――
その頃、観客席ではちょっとした騒ぎになっていた。
「あああああ、あの野郎!!俺のコジョンドさんを抱きかかえて脇目も振らずいちゃいちゃしやがって!!」
目の前で別の雄ポケモンに、あこがれのコジョンドを抱かれるのを目の当たりにしたのが余程悔しいのであろうか、サイドンは地団駄を踏んでいた。
「いつからお前のになったんだよ。あと、別にいちゃついていないっつの。」
その横で、ズルズキンは悔しがる相方に目も合わせず、辛辣な突っ込みを入れていた。
「ま、お目当ての踊り子ちゃんの舞台はこれで終了みたいだし、そろそろ引きあげ……」
帰りを促そうと、ズルズキンはふとサイドンの方へ目をやり、絶句した。
サイドンは体をわなわな震わせ、顔を怒りで真っ赤にしている。悔しいのだろうか、怒りで顔をひきつらせながらも、目からは涙がこぼれている。
(あぁ。こりゃ、面倒なことになるな……)
ズルズキンがサイドンに白けた目線を投げかけた瞬間、その嫌な予感は的中した。
「もう許せねえ!あいつをとっ捕まえて、痛い目見せてやる!」
「おいこらっ、暴れんなって!!」
ついに怒りが爆発してしまったサイドン。ズルズキンを含め、周囲の観客は彼を取り押さえるのに必死になっていた。
―――――
祭りも終わり、日も傾き始めた頃。
「へへ……本日の巡回、終了っと。」
ここは街から北に進み、山の中腹にひっそりと建つ寺の前。そこには、先ほど祭りに現れた、あの『迷い火の風来坊』が足早に戻ってきた。
「あとは、じじいに見つからないように……つっ!」
周囲を気にしながらコソコソと動き始めたその時、微かに熱を感じた。
何者かが背後から「ひのこ」を仕掛けたらしい。風来坊が振り返ると同時に、その者から怒号を浴びせられた。
「阿呆が。何が巡回じゃ!修行をさぼって、街中をほっつき歩いただけじゃろうが、バクフーンよ。」
そこには、甲羅と鼻から煙を発する赤い亀のようなポケモン――コータスが立っていた。
彼はこの寺の住職を務め、目の前にいるバクフーンと呼ばれたポケモンの世話をしていた。
バクフーンは以前、このコータスに拾われて以来、ここで勉学やバトルに修行を詰む日々を送っていた。付き合ってそれなりの期間は経ち、バクフーンはコータスのことを「じじい」と呼んでいる。
しかし、当のバクフーンは、ここ最近あまり修行に熱が入らずにいたので、時折コータスの目を盗んで修行から抜けだし、街へと出歩いていたのだ。
『迷い火の風来坊』とは、そんな不真面目な彼を、『煩悩に惑い彷徨う』という皮肉を込めて街の者が付けた二つ名である。
「いや、だって考えてみてくださいよ。世の中のことも何も知らずに、ただただこんな辺鄙な寺に篭ってばかりいて何がわかるってんです?だから時には、こうやって街とかに出たりして……」
「何をほざくか!」
バクフーンが言い訳しようとしたが、それをコータスがぴしゃりと怒鳴りつけた。
「何遍ワシは、お主のそんな下らん言い訳を聞かされたと思っておる。それにお主の場合は時々じゃなくてほぼ毎日じゃろうが!」
(また始まった。ホントに面倒くせえんだよ、このじじいは……。)
バクフーンにとっては、もう見飽きた光景である。街から戻るところを見つけられた際に、コータスのお叱りを受けるのは、今日に限った話ではなかった。
「修行に励む者がそんな心構えで良いと思っておるのか!明日からもっと厳しく鍛錬を積ませる。覚悟しておれ!」
「へいへい……あぁ、めんどくせぇ。」
コータスに怒鳴られるのは慣れていないわけではないが、それでもここまで怒鳴られては萎縮するものである。
大きなため息をつきながら、バクフーンは寺の中へと入っていった。
―――――
「とんだ失態を犯したようですね。」
祭りが終わって、コジョンドは自分の通う稽古場に戻っていた。そこでコジョンドは師匠であるキュウコンにお灸を据えられていた。
「も、申し訳ございません……」
美しく威厳のある師匠から厳しく叱責され、コジョンドは俯く。
この稽古場で、キュウコンに逆らえる者はいない。おまけにコジョンドは初舞台で大失敗をしたこともあり、ただ謝ることしかできなかった。
「技術の方はそれなりに見込みがあると思い、大役を任せてみたのですが……どうやら、心の方は未熟なようですね。大人数の前で恥を晒し、我らの顔に泥を塗るとは。」
落胆と軽蔑を含んだキュウコンの視線が、上から投げかけられる。
キュウコンは普段も決して愛想が良いというわけでもなく、基本的には誰に対しても冷たい態度をとっているが、失敗に対しては誰よりも厳しく、叱責する際には容赦なく厳しい言葉を浴びせていた。
何者をも容易に寄せ付けない、冷酷な炎の、九尾の狐。そのためか、キュウコンは周囲から『冷たき焔』と呼ばれていた。
居たたまれなくなったコジョンドは、悲痛な表情のまま、首を垂れる。
「過ぎたことはもはや変えられません。今日のことを猛省し、より一層修練に励むように。」
そう言ってキュウコンは、冷たい流し目をコジョンドに投げかけつつ、奥へと去って行った。
「……かしこまりました。」
コジョンドは弱々しく返事をした。今のコジョンドには、これが精一杯の返事だった。
夜遅かったこともあり、コジョンドは自室でそのまま寝ることにした。
コジョンドのいる稽古場は寮もあり、所属する芸者たちには自室が設けられていた。
華美な飾りも何もなく、木でできた素朴な部屋ではあるが、休むには十分な広さである。今となっては、すっかり馴染んだ自分の部屋。いつもならば、稽古に疲れて何も考えずに横になるこの一時。しかし、今夜に限っては少し違っていた。
(そういえば、舞台でお逢いしたあのお方、どなただったのかしら……。)
自らを助け、そのまま名も告げずに去って行った恩人。コジョンドはその者のことが気になり、頭に浮かんでいた。
(また、逢えるといいな……。今度は、改めてきちんとお礼を言いたいわ。)
密かな願いを抱きつつ、コジョンドは眠りについた。