第二話:ピカチュウの一日
4月6日水曜日。
ザックが修行を行った直後に倒れた翌日の出来事である。
ギルドの朝礼前の時間に起きることができたピカチュウは、まず始めに隣の寝床で横になっているザックを見つめた。
静かに寝息が立てられているが、とても起きそうな気配はない。
やはり昨日の戦闘と、その直後の修行が体に響いているのだろう、深い眠りに落ちていた。
状態を診断した時に、ピカチュウは二日は起きないだろうと判断し、弟子もザックの様子を見て納得していたが、ギルド内を実質支配しているペラップは頭を抱え込んで唸っていた。
だが、それらよりも取るに足らないものだったのが、プクリンの泣き声だった。
感受性が強いというのだろうか、まだ童心のままなのだろうか、ザックの姿を見た途端に本気の大泣きをしたのだった。
その時の彼と言ったら絶叫という大絶叫をまき散らし、ギルドを崩壊させるのではないかというほど地面を揺らした。
そんな大音響の中でもザックは、まったく目を覚まさなかった。
その様子を見たプクリンが、さらに大泣きをしてで、その日の夜は慌ただしいといったら他なかった。
とにかく、彼は二日は目が覚めないと判断し、探検隊としての修行を積むのは数日間、ピカチュウ一人で行うこととなった。
朝礼へ行く支度を整え終え、向かおうとする前に後ろを振り向き、小さく呟いた。
「起きたらみんなと親方様に怒られてもらうよ。そうしないと直してくれないだろうから。……だから、今はゆっくり寝ててね」
★
朝礼の広間へ目をやると、そこには既にゼファーとビッパがいた。
他愛のない雑談をしている最中でピカチュウの存在に気がつき、おはようを二人揃って送ってきたため、彼も挨拶を返す。
「昨日は大変だったでゲスね。ザックはまだ寝てるでゲスか?」
「うん…。やっぱり、目を覚まさないでいたよ」
「あの傷であの姿になるまでの修行をしたのだ。起きなくても仕方あるまい」
「あの時、無理にでもついて行って止めればこんなことには…」
肩を落として言うピカチュウには、後悔の色が浮かんで見えた。
その様子を見て二人は、それぞれこう言ったのだった。
「仕方ないでゲスよ。止めようがなかったことなんでゲスから」
「仮に無理矢理にでも止めようものなら、互いの仲を悪くする可能性があった。ならば、多少傷ついてもそれは避けるべきだと、オレ様は思うぞ。結成して間もないのであれば尚更だ」
ピカチュウが予感していた通り、ゼファーの言葉は非常に重かった。
まさしくその通りだ、あの場で無理に引き止めていればいがみ合っていただろう、早い段階でそれが起きるのは好ましくない。
下手をすればチーム解散をする可能性もあったのだ。
だから、これでいいのだと、そう言い聞かせてはいた。
―――――――それでも、
「一理あるよ。でも、やっぱり傷ついてほしくなかったな」
彼は納得ができずにいた。
その後は弟子が次々と集まり、ザックの状態を報告した上で朝礼へと移行した。
★
その日の修行はといえば、低ランクのお尋ね者を一人で捕まえただけで終わりだった。
最初は一人だけで大丈夫なのかと恐れてはいたが、実際に行ってみれば大したことはなかったが、代わりに相棒がいないということに対して寂しさを感じた。
お尋ね者をギルドへ引き連れている際、ピカチュウの眼差しは寂しさそのものを映していた。
オレンの実を一つだけ盗み取ったお尋ね者のムクドリポケモン、ムックルが彼の目を見た。
「お前さぁ、なんでそんな寂しそうな目してるの。誰か死んじゃったのか?」
「縁起でもないこと言わないでよ。ただ、パートナーが大怪我をしちゃって動けないから、ボク一人でやってるだけだよ。寂しくなんか、ない」
「ふーん…。そいつって、努力家だろ」
「……どうしてそう思うの?」
「大怪我とか無茶する奴って、大概そうなんだよね。自分をひたすら磨くのに必死なんだもん。そこまでする必要なんて無いってのに、あいつらはまるで自分の人生のように行ってる。馬鹿げてるったらありゃしない」
「自分を磨こうとしない人はもっと馬鹿げてると思うよ、ボクは」
ムックルの考えに反発したピカチュウが毒づくと、ムックルはカラカラと笑い出した。
「馬鹿で結構。いいじゃんそれで。死んだりしないだけマシってもんだよ。そんなことで大怪我負ったり命落としちゃったりして。……そんなの」
もったいないだろ。
彼がどこの何者なのかはわからない。
親友でなければ知り合いでもない、赤の他人だ、お尋ね者だ。
だが彼も、やはりどこかでそれだけの言葉を言うほどの経験をしているのだろう。
そんなムックルの話を聞いていて、ピカチュウはあることに気づいた。
それは気にするほどのことでもないはずなのだが、彼にはそれがどうも気になった。
つまりそれは、生き方の差である。
ピカチュウのような探検隊は冒険が生きがいであり生き方であり、ザックのような先の見えない自己修練も生きがいであり、やはり生き方であるのだ。
それらが苦しみや挫折を繰り返して力を身につけるのに対し、平和の中で生きる者はどう違うのだろうか。
苦を伴い、心身を傷つけるということもなく平穏に生きる者にとってはそれが生きがいであり、力は必要のないモノであり、それどころか他人を攻撃するモノとして認識されてしまう。
なるほど確かに、そこには意志の差と必要性の差、そして生き方の差がある。
(もったいない、か)
ムックルの言うことには間違いがない。
確かにこんなリスクが大きく降りかかる生き方をしているならば、いつか早い内に命を落とす可能性もあるだろう。
簡単な生き方をするなんてものは、まったく苦痛にならない上に、死ぬことはまずないのだ。
(確かにそうだろうね)
だが、そういう問題ではない。
(でもね…それだと嫌なんだよ、ボクは)
「リスクは大きいさ。…でも、そんなものは関係ない」
「へ?」
「ボクには夢がある。世界中を探検するんだ。ひたすら、ひたすら歩いてね。大昔に眠っていた財宝を探し当てたり、時間を忘れるほど見惚れる綺麗な秘境の奥地を、記憶に刻むんだ。その夢を、ボクに力を貸してくれてるパートナー…リーダーにも見せてあげたい」
一人でに語るピカチュウの目にはいつしか寂しさは消え、叶う望みの少ない夢を成し遂げようとする、強い意志が現れていた。
「そのリーダーは今、無理をしちゃって寝込んでる。ボクにもっと力があれば、そうはならなかったんだ。だから今は、リーダーが起きるまでは力を少しでも身に着けるんだ」
「はー……。お前も努力家ってことかよ。ホント、好きだねぇ。ま、頑張りなよ」
「言われるまでもないよ。君も、刑務所を出たら、何か頑張りなよ」
「んー…おう。ま、すぐには手をつけないけどな!」
「………電気ショック」
★
夕方になってプクリンのギルドへムックルを連れた際、彼の体が妙に香ばしい香りを漂わせていたのは、言うまでもなくピカチュウによる行いが原因だったが、その程度のことは日常茶飯事であるらしく、お尋ね者を連行していくじしゃくポケモンのコイル、じばポケモンのジバコイルは全くといいほど気にする様子はなかった。
「オ尋ネ者ノ逮捕ゴ協力ニ感謝シマス!コチラハソノ報酬デス、ドウゾ受ケ取リ下サイ」
「うん、ありがとう」
機械的な声質と共に手へ渡された報酬は、体の筋力を高めるドリンク薬タウリンと、2000ポケであった。
刑罰の軽さの割には随分と気前のいい報酬だったのは、どうやらそのオレンの実を盗難した家が結構、力のある所であったらしく、こうした高めの報酬を奮発したらしかった。
特に、このタウリンの恩恵は大きかった。
飲むだけで身体を微量ではあるが強化してくれるため、今のピカチュウには喉から手が出るほどの代物だった。
(これを飲めば、ちょっとだけでもザックについて行けるようになるよね)
そうして心をほころばせているところへ、ペラップが目の前に現れた。
ペラップが自分の前に現れたことに対して、ピカチュウの喜びはすぐに落胆へと落ち込んだ。
なぜかと言えばそれは、
「うむ、ご苦労だったな♪それではさっそく、報酬の徴収を行うぞ」
「はぁ…。今回くらい全部じゃなくても多めに頂戴よ、パートナーの治療手当として」
こういうことである。
実はこのプクリンのギルドでは、弟子達は手に入れた報酬金の9割を運営費と宿泊費、食費、治療費等として納める決まりがある。
しかもこの決まりは、仮に卒業をした後でも、他所の探検隊であっても例外なくついてくる。
こちらの場合、回される資金は弟子達への食費と運営費ということになる。
通常の労働相場でこんなものを強要されたら、暴動騒ぎになってもおかしくはないだろう。
このような条件で今まで暴動が起きなかったのは、この土地全体の物品の値が安いことと、安定した精神を持っているからこそだった。
言い忘れてはいたが、ゼファーから受け取った報酬金の8000ポケも当然、9割が徴収されている。
この決まりを初めて聞かされた時、ピカチュウは絶句したのだったが、ザックは以前からそれを予感していたらしく表情には出さなかったが、内心落胆していたに違いない。
「治療なら我々ギルドのほうでも行うし、弟子になって間もない新米に手当を早々に出すわけにもいかん。予算もまだ徴収量を減らせるほど良くない状況だしな。それに今回の場合は大丈夫だっただろうに、しばらくの辛抱だからふんばりな」
「うぅ、わかったよ…」
正論を叩きつけられたこともあって、ピカチュウのテンションはさらに下がった。
その矢先に、外から来客が訪れたらしく、もぐらポケモンのディグダとドゴームが二人で連絡を取り合っていた。
誰が来るのだろうと思った二人は、互いに言葉を交わした。
「こんな夕方に来客?珍しいものだな」
「なにか急を要することなのかな?こんな時間でここを訪れる人って、まずいないよね」
「お前さんの言う通りだよ。夕方に来る来客は、大抵がロクなモノを持ってこない」
夕方に訪れる来客に嫌な縁があるのだろうか、ペラップは目を細めてこう呟いた。
「今回もまた、厄介なことになりそうだね」