第四話:未知の存在
「ねぇ〜ザックー…」
「なんだ?」
「本当にやるのこれぇ…?」
小気味のいい砂利の鳴る音と共に漏れる否定的な声は、プクリンからの餞別で受け取った防御力を上げる防御スカーフを巻いたピカチュウによるものだ。
対してザックのほうはというと、総合能力を僅かだが引き上げるシルバーリボンを身に着けている。
ピカチュウから言わせれば、ランクはまずDか、Eから挑戦するだろうと、そう確信していたのだが、現状はどうであるのだろうか。
いきなり少し腕の立つ初級、中級者向けのランクB、それも挑戦状ときた。
このランクでの挑戦状はあまり見かけないものであるらしく、そういった類のものはもっと上のランクから張り出されていく代物らしいが、今回のは勝手が違う。
おまけに差出人が不明ときている辺り、ロクな相手が待ち構えていないだろうと、臆病な彼の脳内ではそればかりが駆け巡る。
そして、なによりも彼が理想としていた肝心のあれの要素が、まったくない。
探検だ。
「どうして探検隊なのに挑戦状を受けるのが仕事なのさぁ、こんなのおかしいよ!未開の地やどこかの霊峰なんかに足を踏み入れるのがボクらの仕事のはずなのにー!」
「泣き言を言うな。探検をするからには戦力、実力を身に着けるのも必要だって、お前も説いただろうが。今日これからやるのはその一環だと思え」
「だとしても初日からこれは予想してなかったよ…!うぅ、まさかいきなり実力勝負になるなんて……ん?」
怯え文句を吐き続ける彼であるが、周囲の警戒は一度として止めていない。
今いるここは「海岸の洞窟」という不思議のダンジョンの一つ。
ペラップから受け取った不思議の地図と呼ばれる、地形や不思議のダンジョンを自動的に描きこんでくれる地図によると、最初の十字路を真っ直ぐ下った先にある、海岸から見える磯の大穴から入るだけの、近場であることがわかる。
ポケモンの強さは数あるダンジョン内でも1、2を争うほど弱い、ビギナー中のビギナーのダンジョンで、初心者の多くがここで探検隊としての入門所として通っている。
モンスターハウスの頻度もないに等しく、出現ポケモンも非常に少ない。
いくら最弱といっても、ダンジョンという名がついている以上は敵が現れるのは当たり前なのだが、歩を進めていく彼らの身にはなにも降りかかってこない。
一匹たりとも現れないのだ、ポケモンが。
そこらに存在している物とすれば、岩、砂、水たまり、ダンジョン内の随所で見かける道具などだ。
野生ポケモンが存在しなく、道具だけが落ちている、まるでそこには、持ち主がいたと言わんばかりに。
ダンジョン内部を探索していると、時たま道具を見かけたりするが、この場合はそれが不気味なまでにそれが落ちている。
道具をありがたく頂戴すると共に、これを不自然に感じられずにいなかった。
手に入れた道具は、体力を回復するオレンの実、ダンジョンから一瞬で抜けられる穴抜けのヒモ、服用者を即効性のある成分で眠らせる睡眠の種、技のエネルギーの補給ができるピーピーマックス、そして、絶対にありえない物が一つ。
それをザックが手に取り、一振り、二振りする様を見ているピカチュウが目を強張らせる。
「鉄の棒…?それ、どこのダンジョンでも絶対に無い物だよ」
鉄の針なら、他のダンジョンへ行けば腐るほどあるため、まだわかる。
だが、棒などはなく、そんな物は絶対に存在しない。
それこそ、加工でもしない限りは出来もしないのだ。
ここに来るまでの道具にも見られるが、まるで「それらを使ってかかってこい」というように置かれていた。
というよりも、ここまで待遇の良い品を見る辺り、そうなのだろう。
でなければ『鉄の棒』なんていう、武器としての存在感が強い代物を置くはずがない。
試し斬りならぬ試し振りを終えたらしいザックが、棒先へと目を送らせる。
「長さは70cmほど。どうやら『殺傷能力』は抑えられてるようだな。中に空洞が出来てて重量を乗せてないし、棒切れ並みに軽い。あくまで相手を倒すだけの手段として用いるだけみたいだな」
「そんな真剣に解説しないでよ…それに、なんでそんな武器に詳しいのさ?」
「使ったことがあるからだよ。ま、それよりもよかったな。相手は少なくとも殺す気じゃあなく、果し合いだけをしたいらしい。オレらからの手段を問わずな」
「殺す気とか物騒なこと言わないでよ」
鉄棒はザックが手に持ち、残りの道具はピカチュウの持つトレジャーバッグの中へと収められた。
このトレジャーバッグという代物は、上限数まではいくらでも道具が入れられるようで、任意の道具を出すことのできる便利な道具である。
加えて、探検隊としてのランクが上がればそれに応じて収納数も上がるのだとか。
ポケモンの姿が一向に見えないのが気になるが、そうこう考えている内に、だいぶ深部まで潜り込んだらしい二人は、そこで足を止めた。
「結局、出てこなかったな」
「うん。……ここまでくると、もう依頼主が追い出した。としか考えられないね」
「それも、『戦闘を一回も行わず』か。プレッシャー…いや、ただの威圧感で叩き出したとなると、結構なやり手だな」
ここに至るまで、砂や岩が奇妙に抉れてる、爆心地跡といった、戦闘を行ったらしい形跡はどこにも残されていない。
残されているのがあるとすれば、大量の足跡と、正体不明の、地形の中央を陣取るように突き進んでいる足跡、一つだけである。
いよいよ、シャレにならない事態であるらしいことを、ザックは自覚する。
だが、退くつもりはまったくない。
それどころか、闘争意欲が余計に全身からにじみ出ている。
その状態の彼を見て、ピカチュウはへっぴり腰のまま声を掛ける。
「戦う気満々だね…」
「あぁ、ここまで挑発的な真似をするってことは、自分は負けないって自信があるわけだ。あんなふざけた文章を送りつけて、オレらにわざわざ道具まで持たせて、慢心ともいえるそいつの負け面を見るのが楽しみになってきたところだ」
皮肉たっぷりのセリフには、対抗心とも取れる僅かな怒りが感じられた。
結成するまでの間に、彼は反吐が出るほど一人で戦ってきた。
誰も加勢はしてくれない、誰も自身を殺さない保障がない、誰も守ってくれない、地獄のような環境下の中で技も使用できず、生身だけで生きてきた。
そうして見事生き延びてきている彼には、戦いの切符をおろし売ってきた敵を必ず打ち倒すという、使命に似た価値観、プライドを持ち合わせていた。
この先に果し合いのおろし売り人が待ち構えている。
打ち倒さなければならない。
己自身のために。
ピカチュウのために。
彼と手を組んだこのチームのために。
「行くぜ。ここから先はオレらの初仕事の相手が待ってる。これ以上待たせるわけにはいかないだろ」
「やるのが怖いけど…うん、頑張ろう」
覚悟を決めたらしい、ピカチュウも必要以上の恐怖を捨てて、二人は奥地へと足を進めた。
★
奥地には小さな砂場と、△状にできた空洞から入り込む海水が波となっている広場があった。
果し合いには十分な広さといえるだろう。
空洞から差し込む日の光の先に、その相手は仁王立ちしている。
足形通り、見たことのないポケモンだ。
200cmはあるだろう人型の体格に薄紫の表皮、球体上の三本の指、目に映る者を震え上がらせる紫の眼。
二人は、感覚的ではあるが瞬時に理解した。
『こいつは誰も、恐らくは神すらも知らない存在だと』
「ほう、まさかあんな安い文で釣られてくるとは、余程の物好きのようだな」
未知との遭遇は、存外に早いものであった。
性別的に男であるらしいそのポケモンは、二人に対して挑発的な笑みを浮かべている。
今にでも向かってこいといわんばかりだ。
それに負けじと、ザックも言葉をぶつける。
「あれだけの挑発文句とオレらへの手向けだ、やるからには無様な醜態を晒す気はないんだろ?オレはそんなお前をぶっ倒しにきたのさ。負け面を見にな」
未知のポケモンに対して、負けんほどの皮肉を浴びせ、手に持った鉄棒の先端を突きつけた。
自分ほどの存在を前にしてそれが気に入らなかったのか、未知のポケモンはギリ、と歯ぎしりを立てていた。
「よく言うわ。雑魚のくせして」
「その雑魚呼ばわりしたやつに、これからお前は倒されるんだよ」
「ね、ねぇ…それ以上挑発するのは――。」
挑発を止めようとしないザックへピカチュウが中止させようとするが、それはできなかった。
未知のポケモンが、瞬きもしない内に、一瞬で目の前に立っていたからだ。
やつの口元は、三日月のように歪んだ笑みを浮かべて、残忍そのものを体現していた。
「よろしい…これ以上戯言を吐くのは終わりだ。語り合う必要もあるまい、今ここで始めようか!!」
言うなり、三本指の拳が力任せに振り下ろされた。
ただの振り下ろしだというのに、大気が大きな鳴き声を上げている。
当たれば負傷どころでは済まされないだろう。
状況判断が僅かに遅れたものの、ピカチュウが急いで飛び退く最中、ザックは避けようともせず、そのまま攻撃の実行に移っている。
あのまま攻撃しても、良くて同士打ちか、そのまま打ち負けるのどちらかしかない。
(ヤバイ、あのまま直撃したら…!)
頭の回転こそ速いが、体が追いつかない。
未知のポケモンの拳は、そのままザックへと打ちつけられた。
そう、ピカチュウは認識していた。
……だが。
「貴様…」
「不意打ちなんてものは生憎慣れててな、カウンターを狙うなんてこともオレには朝飯前なんだよ」
振り下ろしは外れていて、彼の脇腹にはあの鉄棒がカウンターとして打たれていた。
そして、一体何を悟ったのだろうか、ザックはこんなことを口走った。
「はっ、見た目が怖いだけで内面はそうでもないらしい。オレが思うに、案外早く負けるぜ?あんた」
「なんだと!」
左手から繰り出されたパンチを軽々と避け、ピカチュウのいるほうへと飛び退く。
その際、ピカチュウにしか聞こえない声音で、ぼそりと呟いた。
「長期戦になればなるほど不利になる。短時間で仕留めるぞ」
「なにか、わかったの?」
「あいつ、力はバカみたいにあるが、さほど戦闘経験は無さそうだ。が、もしセンスが高けりゃ段々とこっちの戦い方を見抜いてくるに違いない。だから、だ」
「うん、わかった」
ピカチュウも怯えも、いつしか消えていた。
覚悟が決まった、その証拠である。
闘気の高まった二人に目を向き直したそのポケモンは、全身に力を巡らせていた。
そして、決闘を宣言するかのように、自己の存在を名乗った。
「オレ様はミュウツー…ミュウツーのゼファーだ!これより貴様らを地獄へ突き落とす者だ、その魂にオレ様の名を恐怖と共に刻み込め!」
「ほざけこの成り上がりが!お前こそ、このザックとピカチュウに負かされて泣きべそかかせてやらぁ!」
「ボクら二人の初めての依頼だ、絶対に成功させる!」
こうして、探検隊史上初、地獄のような初依頼、その死闘が幕を上げた。