39 種
その男、ガラルリーグチャンピオンであるアスチルは、久しぶりにブラウン管の前に姿を現していた。
今季のジムチャレンジをまとめているある特番、その番組に彼が『現チャンピオン』として登場することになんの不思議もないだろう。
しかも、それは生放送であった、アスチルは自身の言動を編集されることを非常に嫌っていることで有名だったし、彼がテレビ局にそれを強要することができる立場であることにもなんの疑問もない。彼はチャンピオンであり、誰も彼を従えさせることなどできない強さがある。
「ローズ委員長による新体制を、チャンピオンはどのようにお考えですか?」
司会者であるその男は、年齢的は高齢であるにも関わらず、それに似合わぬエネルギッシュさを隠すことのない肌ツヤであった。それは彼が満たされぬ飢えを常に抱えた男であることの証明でもあるだろう。
どこかのホテルの一室だろうか、画面に映る部屋は質素であったが、かといって貧相というわけでもない。絢爛であることがだけが格の表現ではないことを知る場所だ。
アスチルはそれに少し微笑みを返しながら答える。彼には珍しいことではあったが、機嫌がいいのだろう。
「ローズの運営に現段階で問題はないですよ。彼はジムチャレンジのエンタメ化を進めているが、それも悪くないと私は想う。尤も、私がそれに協力する義理はないですがね」
「ローズ氏の急速な改革にはリーグの私物化だと批判もありますが……?」
司会者の男は狡猾であった。有名人の和やかな一面を引き出すことと、愚かな面を引き出すこと、そのどちらがより自分の利益になるかを彼は経験から知っている。
この生放送は、彼にとっては餌場も同然だった。
「それになんの問題があるんです? ローズはリーグを改革することができる立場にあるし、それが彼の役職だ。それが気に入らないなら彼からその立場を奪えばいい」
それに、と、アスチルは続ける。
「彼にとって最も厄介な存在は私だろうが、ローズはすでに種を蒔いている」
「種……というと?」
「それを知らないのはあなた達の努力不足だ。ローズがリーグを自由にしたいこと、そのためには私の存在が面白くないこと、そこから『彼が私の立場を追うための布石』を打つことは簡単に考えられる。未来など視えなくともね」
未来が視える。時折アスチルがそうほのめかすことは有名であった。そして、司会者はそうやってすべてを分かっているかのように煙にまくアスチルという若造が個人的に気に食わないと思っていた。
「その未来が視えているのなら、どうしてそうして落ち着いていられるんです?」
口調こそ穏やかだったが、その言葉のイントネーションにアスチルに対する挑発的な含みがあることは、その場にいる全員が、そして、それをリアルタイムに眺めている視聴者たちにも理解することができた。
ベテランの、その業界でも力のある人間だからこそできる挑発であった。
だが、アスチルはそれを意に介さない。
「能力が強すぎてね、私の視える未来を変えることはできないんですよ。例えばあなたに『スキャンダルに気をつけろ』と言っても、それは未来を変える金言ではなく、ただの遅い忠告でしか無い。私達はこの世界に身を任せているだけで、私はそれをあなた達より僅か先に眺めることができるだけ」
アスチルの言葉の意味をガラルが理解することになるのはそのインタビューの一月後、その大物司会者があるスキャンダルによってその力を失うという報道を知ってからだ。
当然、それはアスチルがそのスキャンダルが公になることを知っていた、とか、その大物司会者ならばその程度のスキャンダルはあるだろうと用意に想像していたからだ、とか、もっと乱暴な考え方をすれば、そのようなスキャンダルをアスチルが作り出し、彼をハメたのだという考え方だってできただろう。
だが、そのどれにしろ、アスチルというトレーナーが、凡庸な人間では太刀打ちできない『力』を持っていることに変わりはなかった。
彼はそのインタビューをこう締めくくる。
「ローズの種も、ジムリーダー達の希望も否定はしないが、私が負ける日は当分来ないでしょう」
☆
その少年の快進撃は、ジムチャレンジに対して並々ならぬ興味を持つ、いわゆるマニアや業界人の間でしか話題にはなっていなかった。
それは、彼の故郷がガラル地方のハズレもハズレであるハロンタウンであることが大きく影響していた。故郷が田舎であることから彼はこれまでその実力を都市部で発揮することがなかった。故にリーグ関係者すら彼の実力というもの知らなかったのだ。
また、その情報の少なさから彼がハロンタウンでどのようなトレーナーであったのか、どうしてポケモントレーナーになったのかというバックボーンすら全く知られていない。そして、実力の割にゆっくりとしたジム巡りのスピードは、田舎者ゆえの移動の不慣れさであるとされていたのである。
まだ推薦状のシステムにまで人々の興味が向いていなかった時代だ、少数を覗いてその片田舎の少年をジムチャレンジに推薦したのはガラルリーグ委員長のローズであることはまだ知らなかったし。そして、その少年が将来的にガラルリーグを背負って立つ無敵のチャンピオンになることも、当然知らなかった。
少年の名前はダンデ、この年のジムチャレンジが彼を中心に回ることになるとは、このときは本人もまだ思ってはいなかった。
☆
ラーノノタウン、ラーノノ大聖堂。
ラーノノタウンの中でも随一の歴史を誇るその大聖堂は、当然、来るものを拒まず、来訪者の選別などあるはずもない。
だが、不意に現れたその少年は、どう考えても大聖堂には不釣り合いであった。
ラーノノ大聖堂はその敷地内に小中学校を構える、だが、その少年をそこの学生だと思うものはただ一人もいないだろう。
雑に被ったキャップ、にじむ擦り傷が見える膝小僧、服と髪は乾いた泥にまみれ、それでいて爛々と輝く瞳は大きく、長いまつげは瞳を保護するというその役割を誇らしげに全うしている。
彼の傍らに立つかえんポケモンのリザードは、しきりにTPOを踏まえた小さな声でキュウキュウと鳴き声をあげながら、その少年のシャツの裾を引っ張っている。リザードは荒々しい性格で知られるが、彼のリザードは慎重か臆病なようだった。
「しまった」と、その少年は周りの人間が物珍しそうに自分を見ていることを知ってか知らずかそうつぶやく。その見た目と、その声だけならば、併設された学校の聖歌隊にいてもおかしくないのだがなあと思われていた。
「どうやら、迷ったみたいだぜ」
どう考えても、そのラーノノ大聖堂は少年の目的地ではなかったし、そもそも、目的の場所で少年と待ち合わせをしていたはずの少女がいないのだ。
「早くしないと、ソニアに怒られちまう」
口ではそう言うが、体はなぜか大聖堂奥へ奥へと進む。彼は理性より探究心のほうがまさる体質のようだ。
シャツを引っ張りながらそれを止めようとするリザードも、彼の探究心を止めることなどできなかった。
「すっげぇ……」
ラーノノ大聖堂が誇るステンドグラスを見上げながら、その少年はつぶやいた。
彼は教養のある方ではなかったが、その分感性に優れているところがあった。すごいものを見てすごいと思う、それだけあれば人間として十分だ。
だが、やはりそこは彼の目的の場所ではない。ついに彼が裾の力に観念して踵を返そうとしたときだった。
「どうかしましたか?」
女の声に、少年は引き止められた。
少年がその方に向くと、そこには自分より少し大きい程度の背丈しかない、彼から見れば年上の女性がいた。
彼女は少年とリザードとを交互に眺め、少年をしっかりと見据えながら続ける。
「ここはジムチャレンジをするトレーナーが来るところではありませんよ」
少年は、彼女が自身をジムチャレンジ中だと見抜いたことに少し驚いたようだったが、よく考えれば見え見えだ。
「ごめんなさい、その、迷っちゃって」
「この町で迷うのは珍しいですね」
「見たことのないものが一杯で」
「そうですか、どこから来たんですか?」
「ハロンタウンから」
「ハロン……それは随分と遠くから」
彼女は少年に右手を差し出して続ける。
「私はラーノノジムリーダー、ノマルです」
「わっ! ジムリーダー!?」
少年はそれに随分と驚いたようだった。大きな目をさらに大きくさせている。
珍しい子だな、とノマルは思った。新人だが、カブを倒したことで顔は売ったほうだ。
「お名前は?」
「ダンデです。ハロンタウンのダンデ」
右手をギュッと握ったダンデに、ノマルは表情を引きつらせながらもなんとか笑顔を保とうとする。
ダンデ、とは、確か委員長のローズが推薦状を書いたトレーナーのはずだ。
そのダンデは、ジムリーダーに会えた興奮で、その表情の引きつりには気づいていない。
「よろしく、いいポケモンを連れていますね」
ノマルはリザードに目を向ける、その言葉に嘘偽りはない。見るからに引き締まっている、今この状況においても周りを気にする臆病さを持っている。
おそらくこの子がエースだろうなと、ノマルはそこまで当たりをつけた。
「ああ、俺の相棒だぜ!」
相棒を褒められてテンションが上ったのか、ダンデはついうっかり敬語を忘れ、その事実にも気づいていないようだ。
悪い子ではなさそうだな、とノマルは思った。少なくとも含むところのある男であるローズ委員長が推薦したとは思えない。
リザードの目線に手のひらを写すようにしながら彼女はリザードに語りかける。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ラーノノは来るものを拒みません」
少し目線を泳がせてから警戒を解いたリザードの顎を撫でる。
「この子と、バッジをいくつ集めましたか?」
その言葉に、ダンデが誇らしげにバッジの数を宣言し、ノマルはそれに頷く。
「それなら、次はラーノノジムですね」
「はい! だから友達とジムで待ち合わせしてたんですけど」
「なるほど」
そう言ったノマルにダンデが問う。
「ところで、どうしてノマルさんはここにいたんです?」
ノマルはその問いに一瞬言葉をつまらせたが、すぐに答えた。
「……祈りを捧げていたのですよ」
彼女は空気を変えるように「もう用事は終わりました、一緒にラーノノジムに行きましょう」と、ダンデの手を引いて一緒に歩こうとしたが、ダンデは慌ててその手を引っ込める。
「あら、ごめんなさい」
少し顔を赤くしたダンデにノマルが苦笑した。
☆
「もう、ダンデくんったら!」
ラーノノジム前、我先にと突き進んでいたダンデに頬を膨らませながらそういったその少女とワンパチを、ノマルはよく知っていた。
「ソニアちゃん……?」
驚くノマルに、ソニアは一つ頭を下げる。
「ソニア、ジムリーダーと知り合いなのか!?」
「ダンデは会ったことなかったっけ? ソニアさんはおばあさまによく話を聞きに来ていたのよ」
彼女の言葉通りだった。
その少女、ソニアはブラッシータウンに研究所を置くマグノアリアという博士の孫娘であった。聡明なマグノリア女史はポケモンのダイマックスにおける研究の第一人者として知られ、ノマルは時折彼女に直接意見を問うために研究所に顔を出していた。故に、ノマルがソニアと顔なじみであることに不自然はない。
さらに。
「それに、私はもうラーノノジムをクリアしたんだから!」
それを言うソニアは誇らしげだった。
事実、数日前に彼女はラーノノジムにチャレンジをし、ジムバッジを手に入れていた。
顔なじみだからといってノマルが彼女に手を抜くことはなかったが、ソニアはマグノリア譲りの聡明さで冷静に戦局を理解し、どうあがいても駄目だと判断できる状況でピッピにんぎょうを投げ、条件をクリアしたのだ。
「そうなのか!?」と、驚くダンデにノマルが答える。
「はい、非常に優秀な挑戦者でしたよ」
それは贔屓目なしの意見であったし、ソニアとダンデもその言葉をそのまま受け取り、片方は照れ、片方はすげー、と感嘆した。
「二人はお友達ですか?」
「はい、幼馴染です」
「子供の頃から一緒なんだよな!」
それぞれ頷く二人をノマルは可愛らしいなと思った、子供の頃から、というが、ノマルから見れば彼女らは未だにまだまだ子供であった。
だが、ソニアの機嫌が良かったのはそこまでだったようで、今度は眉をひそめ、唇を尖らせながらダンデに言う。
「今日も急にいなくなるからびっくりしたんだよ! ラーノノ駅からラーノノジムまでってほとんど一本道なのに、どうしてダンデくんは道に迷うんだろうね」
「俺もよくわからないんだぜ!」
「ラーノノ駅から迷って大聖堂に?」
ノマルは首を捻った。ソニアの言う通り、ラーノノ駅からジムまでは大通り一本だ。迷いようがない。
「いつもそうなんですよ!」と、ソニアは味方を増やしたいように言う。
「ダンデくんったらいつもいつも道に迷うんです! 私がいないとどこにもいけない」
「まあ、いつもソニアには助けられているな!」
「友達がいなければ道に迷うようではいけませんね」
「大丈夫だぜ!」とダンデがいって続ける。
「俺とリザードが一緒なら何があっても大丈夫だ!」
その言葉に、ソニアは「そりゃそうだけど……」と同調しようとした。彼女はダンデが相当に強いトレーナーであることを最もよく知っている人間の一人であったし、事実、彼は道に迷ったとしてもトレーナーとしての強さでこれまで事なきを得てきたのだ。
だが「それはいけません!」と、ノマルが少し強い口調でそういったものだから、彼女はビクリと背筋を震わせるだけでその言葉を出すことができなかった。
ソニアと同じくダンデもノマルの突然の叱責に体を固まらせていた。つい先程までは、声を荒げる事など無い優しい人だと思っていたのに。
その口調が強かったことに、叫んでから気づいたのだろう。ノマルは一旦自身を落ち着かせる努力をし、二人をたしなめるように続ける。
「何事も強さで解決しようとする考えには感心しません。その考えを持ったまま『その考えが通用しないモノ』に出会ってしまえばとんでもないことになってしまいます」
彼女はダンデに背を向け、ラーノノジムの自動ドアを開かせながら続ける。
「そのような考え方では、このジムをクリアすることはできませんよ」
☆
「はっはっは、元気のいい子だねえ」
ラーノノジム、ミッション会場。
真っ赤な顔でミッションフィールドを駆け巡るその少年、ダンデを眺めながら、フッツは久しぶりに声を上げて笑っていた。
「退屈だよお」
生あくびを噛み殺しながらその傍らに立つミスミは、抱えていたピッピ人形を二度三度抱きしめながらあまりにもつまらなさそうに言う。
二人は、少し変則的なこのミッションが、誰でも簡単にクリアできるものだとは思っていない。だが、それを差し引いたとしても、ダンでの右往左往っぷりは彼らがこれまで見てきたどのチャレンジャーよりも凄まじい。三歩歩けば、自分が振り返ったことを忘れてしまったのだろうかという動きをすることさえある。
「無理じゃないかな?」
「こら、そういう事を言っちゃ駄目だよ」
ダンデが二人のいる場所に来るまでは、まだ随分と掛かりそうだった。
☆
ラーノノジム、対戦場。
それなりの人数の観客を前にしても、挑戦者、ダンデはそれを気にしていない。
それは、彼がジムミッションで精神と体力を使い果たしたからではない。むしろ彼は、あれだけジムミッションで駆け回り、彼なりに頭も使ったというのに、その表情を見るに全く疲れてはいないようだった。
大きな瞳は照明の反射と希望にキラキラと光り、その瞳で真っ直ぐにノマルの目を見ている。ピッピにんぎょうを抱えているその姿は、その瞳の強さがなければ可愛らしい少年だと思わせただろう。
「さっきは、ごめんなさい!」
そう言って彼は頭を下げた。とりあえず謝っておこうというのが、ノマルと別れた後ソニアと二人で決めたことだった。
急に謝られたものだから、ノマルは少し戸惑った。
「あなた、私がどうして怒ったのかわかっていますか?」
「わからない……道に迷ったから?」
「……そういうことにしておきましょう。私もカッとなってしまいました、申し訳ありません」
ノマルもそう頭を下げ、とりあえず二人の間にわだかまりがなくなったらしいということをお互いがなんとなく感じてからノマルが切り出す。
「少し、休みますか? 随分とミッションに手間取っていたようでしたが」
「いや、いらないぜ!」
興奮からか、やはり敬語を忘れながらダンデが続ける。
「俺は早く戦いたい!」
はあ、と、ノマルはため息を付いた。わかっていないようだ。
「それならば、このジム戦のルールを説明します」
「ソニアから聞いてるぜ!」
誇らしげにそういうダンデ、別にそれはルール違反でもなんでも無い。
だが、彼は抱えていたピッピ人形を脇に放り投げた。
「俺はこれは使わない!」
その行動に、観客たちはわずかに湧いた。自ら退路を断つその行為は、その少年の見てくれの良さもあって好意的に受け入れられている。その挑発的な行為もあって、ノマルもまた情熱的なバトルを見せてくれるはずだ。
だが、ノマルは彼らの想定外の行動を取る。
彼女は少し歩いてそのピッピ人形を拾い上げると、それについていた汚れを払ってから、それをダンデの前に差し出したのだ。
「これは、持っておきなさい」
それは、ダンデにとっても想定外の行動だっただろう。彼は少しばかり目を泳がせた後に「どうしてだ?」と問う。
ノマルは間髪入れずにそれに答える。
「あなたがこのピッピ人形を持つのは、このバトルにおけるあなたに保証された権利です」
「でも、俺はこれを使いたくない! ノマルさんと正々堂々と戦いたい!」
「これを持っていても、私と正々堂々と戦うことはできます。正々堂々と戦い、負けそうになればピッピにんぎょうを投げればいいのです。私はそれを否定しません、観客たちもそれを否定しません……この私が、それを否定はさせません」
「でも……」
「ね、持っておきなさい。今は使いたくなくても、試合の中で使いたくなるかもしれません。そして、それは悪いことではないのです」
更に彼女は続ける。
「私に持たされたと言えばいいのです、あなたは勇敢にこれを捨て去ろうとした。だけど、私がそれを許さなかった。それで良いのです」
ダンデはそれにしばらく考えた。
そして、彼はそのピッピ人形を受取る。ノマルは一旦ホッとする。
だが、ダンデはそれを自らの足元にそっとおいた。
明確な、拒否だった、観客たちはそれに湧く。
「やっぱり、俺はこれを使わない」
更に彼は続ける。
「俺は、ノマルさんと戦いたい。逃げ道を用意したくない」
ノマルを見上げるその目線は、美しかった。
その美しさを曇らせる言葉はないだろう。
ノマルはそれを諦めた。
「それならば、この試合でバッジを得ることは諦めることです」
彼女は背を向けて、ダンデと距離を取る。
想定はしていた。
彼のような人間がいること、そのような人間がトレーナーとなること、ジムチャレンジを行うこと、自らの目の前に現れること。
観客は、すでにダンデを支持しているだろう。
ローズ委員長が彼を推薦した理由が今ならわかる。ダンデは無鉄砲であり、そして、それは勇敢であるという概念に親しい。
無鉄砲さとニアイコールの勇敢さが、人々の心を掴む。
そして、人々の賞賛は、無鉄砲であることを疑わさせず、強要する。
想定した。
そのようなトレーナーが目の前に現れることを想定していた。
そうなればいいとすら思っていた。
そういうトレーナーを徹底的に潰すのが、自らの使命なのだから。
ノマルはダンデをにらみつけるように振り返りながら続ける。
ダンデは、その視線に、これまで誰にも向けられたことのない、どう表現すれば良いのかわからないその視線に背筋を凍らせ、そして、その凍った背筋を溶かすほどの情熱が、自らの心を高ぶらせる。
「そのような考えがある限り、私は絶対にあなたにバッジを与えません!」
ジムリーダーの、ノマルが、勝負を、仕掛けてきた!
☆
「『ダイホロウ!』」
ダイマックス状態となったイエッサンの攻撃だ、ゴーストタイプのその攻撃は、ノーマルとエスパーの複合タイプであるイエッサンが特異としているものではないが、決してその威力が低いわけではない。
事実、ダンデが繰り出したポケモン、ヒトツキはその技によって戦闘不能になったようだった。無理もないだろう、鋼、ゴーストタイプである彼にとって、ゴーストタイプの攻撃は効果が抜群だ。
ダンデがヒトツキをボールに戻すのと同時に、ノマルのイエッサンもそれまでの巨大な姿から、もとの大きさへと姿を変貌させる。ダイマックスは強力なシステムだが、その分時間制限がある。
だが、ノマルはそのダイマックスによって十分な利を得ただろう、イエッサンはダンデのポケモンを二体以上戦闘不能にしている。
ダンデの残りは一体、ノマルの残りはイエッサンを含めて三体、だが、観客たちはまだその勝負がわからないと考えているものが多い。
なぜならば、ダンデはまだダイマックスを残している。
「頼んだぜ!」
工夫も気取りもない言葉を投げかけられながら繰り出されたリザードは、大聖堂で見せていた姿がまるで嘘であるように、高らかな雄叫びを上げながら現れた。
それに感慨を覚えるほど、ノマルは勝負にぬるくはない。だが、それはダンデも同じ。
イエッサンが動くよりも先に、ダンデがリザードをボールに戻す。一見すれば不可解なその行動に、ガラル民は今更疑問を覚えない。
巨大化したモンスターボールを、ダンデは体幹をブレさせること無く後方にオーバースローで放り投げる。
現れたのはダイマックしたリザードであった。低く地面を揺らすような雄叫びが対戦場に響き渡る。
「『リフレクター』!」
「ダイバーン!!!」
巨大化したリザードが息を吸い込むより先に、イエッサンが一瞬素早く『ひかりのかべ』を作り出す。
それを押しつぶすように吐き出された凄まじい獄炎がイエッサンに襲いかかる。
スタジアムは、ダイマックスされたポケモンの技の影響が観客を負傷させないように設計されている。
だが、それでも観客たちはそのダイマックス技の威力や熱を感じ、そして、それを望んでいるからこそ、こうやって足を運んでいる。
炎が晴れれば、そこには戦闘不能となったイエッサンの姿があった。仕方のないことだ、蓄積したダメージもあるだろうし、貼った『リフレクター』は物理攻撃を半減はさせるが、リザードが得意なのは特殊攻撃、おそらくその『ダイバーン』も特殊技を軸としたものだろう。
観客たちは、その『リフレクター』に違和感を覚えた。どう考えても、壁を貼るならば特殊攻撃に強い『ひかりのかべ』を貼るべきだろう。
さらに、観客たちと対戦場を強い日差しが照らし始めている。リザードの『ダイバーン』があたりを乾燥させ、状況を変化させたのだ。
こうなるとますます炎ポケモンであるリザードに有利な展開となる。このように、自分の技によって自分の有利な状況を作ることができることが、ガラルにおけるダイマックス温存戦術の骨子となっている。
ここから大逆転もあり得る、と、観客たちは期待した。
だが、観客たちの期待を知ってか知らずか、ノマルは至極冷静にイエッサンをボールに戻す。
そして、興奮を隠しもしないダンデの視線から逃げること無く、それに睨み返しながら言った。
「勇敢であることだけが人生ではないことを教えてあげましょう!」
放り投げられたボールから繰り出されたのはヨルノズク。
強いポケモンではない。観客たちは直感的にそう感じた。
だが、そう感じることすら、バトルでは不純なタイムラグなのだ。
「『ダイバーン』!!!」
再び灼熱。状況によっては、これで試合が決まることもあり得る。
だが、ヨルノズクはその攻撃では倒れない。
当然だ。
ヨルノズクは特殊防御力に強みのあるポケモンであり、たとえダイマックスであろうと、最終進化も遂げていないポケモンの特殊技で倒れることはない。
最も、反面ヨルノズクは防御力に弱みのあるポケモンではあったが、それは『リフレクター』によってカバーされている。
この子、強い。
ノマルは、この一連の攻防によって、ダンデの実力を理解した。
この特殊ダイバーンによる攻撃は、単なる馬鹿の一つ覚えではない。ダンデがポケモンの特性をある程度理解し立ち回りができることはそれまでの戦いで理解している。
この状況、浅い知識だけで考えれば物理攻撃を選択してもおかしくはない、『リフレクター』を込みで考えたとしても、ヨルノズクは物理防御の弱いポケモンであるからだ。
それでも迷いなく特殊攻撃を選択できたのは、ダンデの知識と状況の判断力、そして何よりこのような状況で妄信的に自分を信じることのできる精神の強さがあるからだろう。
自信を持つだけのことはあるようだ。
だが、強ければバトルに勝てるのかと言えばそれは大間違いだ。
「『そらをとぶ』!」
炎を振り払ったヨルノズクはその翼を広げて空を掴む。
その行動を見て観客たちは戸惑うようにざわめいた。
ヨルノズクは物理攻撃が強いポケモンではない、故に物理的な攻撃である『そらをとぶ』は理にかなわないように見える。
だが、ダンデは「しまった!」と言わんばかりに表情を歪ませている。彼はすでにノマルの目的を理解していた。
「『ダイウォール』!!!」
巨大リザードが炎で同じく巨大な壁を作り出し、ヨルノズクの攻撃を防ぐ。
時間の限られたダイマックス状態において『そらをとぶ』というさして強くもないを防御するという行為は、あまりにも無駄だ。
だが、それは仕方ない。
『そらをとぶ』をしている鳥ポケモンに攻撃を当てるのは至難の業であり、それはダイマックス中のポケモンであっても同じだ。例えばこの状態でリザードが『ダイバーン』を繰り出していれば、その攻撃は空を切り、僅かかもしれないがヨルノズクの攻撃がリザードにダメージを与えていただろう。
ノマルは『そらをとぶ』という攻撃によって、実質的にリザードの時間を奪ったのだ。
その証拠に『ダイウォール』を打ち終えたリザードはその巨大な体を元の体に戻しつつある。
「くそっ!」と、ダンデはヨルノズクから目を切らずにつぶやいた。少なこともこの状況において、戦略的に優れていたのはノマルの方であっただろう。
だが、冷静に『ダイウォール』の指示を出したダンデも優れた感性を持っている。並のただただ突っ込んでくるだけのトレーナーであれば、すぐさまに『ダイバーン』の指示を出し、状況をよりひどくしていただろう。
「『かえんほうしゃ』!」
ダンデは反省を後に託して指示を出し、リザードもまた自身が最も力を発揮できる状況を削らされた焦りを一旦は忘れながら攻撃を放つ。
まだ圧倒的に不利なわけではない。リザードの体力は満タンであるし、十分ではないかもしれないがヨルノズクの体力は削れている。
この攻撃でヨルノズクを戦闘不能にすることができればあるいは。
『かえんほうしゃ』はヨルノズクを的確に捉える。だが、ヨルノズクがそれで戦闘不能になることはない。先程もらった『ダイバーン』に比べればなんてことのない攻撃だ。
ダンデとリザードはその次の攻撃に備える。
だが、その攻撃は来なかった。
「『はねやすめ』」
ノマルの指示は、ヨルノズクの体力を回復させるものであった。ヨルノズクもその指示に戸惑うこと無くそれを完遂する。
観客達はその選択に息を呑む。
冷静、そして冷酷な判断であった。
ヨルノズク自体の特殊耐久力、そして『リフレクター』、さらに潤沢な体力となると、もうリザードがヨルノズクを倒すのは難しく思える。
さらに言えば、もう一匹ポケモンが控えているノマルの戦力は盤石だ。
使いなさい、それを。
ノマルは、ダンデの足元にあるピッピにんぎょうをちらりと見やった。その視線に、ダンデは気づいただろうか。
もう無理です、この布陣、どれだけあなたに才能があろうと突破することはできません。
使いなさい、投げなさい、逃げなさい。それで良い、それで良いのです。
それこそが、正しい道なのです。
だが、ダンデはその選択肢に一瞥もくれなかった。
「『かえんほうしゃ』!!!」
リザードもその選択は頭に無いようだ。
彼は自らの視界すべてを炎で覆い尽くすほどのそれを解き放つ。
「そうですか」と、ノマルは眉をひそめてつぶやいた。
ダンデという人間が考えを曲げられないのならば。
彼の前に立ちふさがる、絶対に突き破れぬ壁になることが、自分の役割なのだ。
ヨルノズクがその『かえんほうしゃ』につっこみ、羽ばたきで炎をかき分ける。
リザードの視界が不意に開け、ヨルノズクが現れた。
「『ハイパーボイス』」
衝撃。
☆
「ありがとうございました!」
泣くでもなく、怒るでもなく、恐れるでもなく。
妬むでもなく、憤るわけでもなく、諦めるでもなく。
ダンデは、その美しい笑顔に汗を光らせながら、ノマルに右手を差し出した。
その徹底的な敗北に、彼は暗い感情は持っていないようだ。
この子ならばそうだろうな、と、ノマルはその右手と握手をしながら言う。
「残念ですが、私に敗北したのでバッジを与えることはできません」
「わかってます! それよりも、やっぱりノマルさんはすごいトレーナーです!」
彼は興奮していた。
ノマルの手持ちはノーマルタイプ、お世辞にも強力なポケモンが揃っているとは言えないだろう、そもそも、彼女のポケモン達はジム専用にある程度実力を発揮できない状態にあるはずなのだ。
それを、
「そこまでわかっているのなら、どうしてピッピにんぎょうを投げなかったんです?」
その問いに、ダンデは間髪入れずに答えた。
「だって、投げたらバトルが終わっちまうぜ!?」
屈託のない表情だった。その倫理に欠片の疑問も持っていない表情だった。
その表情に、言葉に、やはりノマルは決意を固める。
「ジムチャレンジの期間中は、いつでもこのジムに挑戦できます」
彼女はダンデに背を向け、対戦場を後にしながら続けた。
「ですが、私は手を緩めません。あなたが考えを変えない限り、あなたにバッジは与えませんよ」
ノマルも、観客も、ダンデ本人もまだ知らない。
この敗北は、ダンデのキャリアにおける、数少ない公式戦の敗北の一つだった。