314 彼女のアドバイス
『今日のワイルドエリアは雲ひとつない晴天ですね! 今日はラーノノジムのメンバーでワイルドエリアの清掃ボランティア! 今日は強力な助っ人も参加していただけます! 皆さんもゴミを見つけたら拾ってみましょう!』
月末の早朝、ポケスタグラムに放り投げられたその投稿には、キバ湖をバックに、白黒メッシュの髪型の青年、ラーノノジムトレーナ―のミスミが火ばさみを片手に野生のホルビーと戯れている写真が添付されている。
インディー業界では少し名のしれた彼のもう一つの顔がたまに出るということで『ノーマルエールパワーズ』の熱心なファンにもフォローされているラーノノジムのアカウントは、出だしこそキバナ絡みで炎上したものの、その後くべられる薪がなかったことや、ジムリーダーノマルの毒にも薬にもならない投稿にすでに落ち着きを取り戻し、本来彼女が望んでいたような規模にまとまりつつあった。
だが、まだイマイチSNSというものに慣れぬノマルは、やはり少しずれた感性でそれを利用している。例えばミスミの管理する『ノーマルエールパワーズ』アカウントの投稿に対して『ミスミ君、明日イーブイ達の下見に行くからポケじゃらし持ってきてね』と思いっきり業務連絡をしてしまう程度に。
☆
その写真が投稿されてわずか数分後、早朝のワイルドエリアでは清掃のボランディアのために集まった四人が顔を合わせている。普通、有名人が公共の場で何かをするときにはSNSに何日かずらして投稿するのが常識というものなのだが、残念ながらノマルにはそのような常識は通用しないようだった。
「改めて! 本日はよろしくおねがいします!」
ノマルはふわふわした髪の毛を揺らしながらその二人に頭を下げた。それと同じく横のミスミも「よろしおねがいします」と頭を下げる。本当は若者らしく「おねしゃあす」とか「しゃーす」とか言ってもいいのだが、それをするにはノマルは恐ろしすぎる。
「いえ、こちらこそよろしくおねがいします」
「よろしくおねがいします」
同じく強力な助っ人の二人も頭を下げる。
その片方はルリナ、バウジムリーダーとして活躍するメジャージムリーダーであり、モデルとしても活動している。最も、どちらが兼業であるのかわからないほどにどちらでも成功を収めているのだが。
普段は水着やモデルの衣装などでスラリと長い手足を惜しむこと無く晒す彼女も、流石に屋外の清掃ということもあって、長靴に作業着、顔をすっぽり覆うサンバイザー付きの頭巾と、清掃の本気の姿を見せている。
もう片方はヤロー、同じくメジャーであるターフタウンジムリーダーであり、普段は農園で働いている。やることは対して変わらないのだろう、彼は普段と変わらず農園での作業着の着用していた。農作業で鍛え上げられたパツパツの筋肉などを見ると、ミスミは男として少し悔しい気持ちになってしまう。
この二人は、ノマルと比べればジムリーダーとして破格のポジションに居る存在であった。ノマルがついうっかり先程の投稿に名前を出してしまえば、もしかしたらややこしいファンなどが二人に合うためにワイルドエリアに突撃してしまっていたかもしれない。ノマルのSNSにおけるいい意味での目立つ意識の薄さが二人には幸いだった。
頭を上げ「えー」と、一つ声を出してからノマルが言う。
「二人共いつも参加してくれてありがとーねー」
「いえいえ」
「ワイルドエリアの環境維持もトレーナーの立派な仕事ですからねえ」
ワイルドエリアの清掃活動をおこなっている団体や企業は数多く年に数回大々的に行われることもあるが、ノマルのそれは月に一度少数精鋭のメンバーで行われる。ワイルドエリアを闊歩して良い実力者というものを、ノマルが自らスカウトするのだ。特にノマルは厳しく参加者を選ぶ、例えばジムトレーナーのミスミは彼女に言わせればギリギリの最低ラインだそうだ。
「それでは今日の予定を発表します。本日の拠点となるテントはすでに私とミスミがセッティングしました」
「どうも」
ペコリとミスミが小さく頭を下げる。もう何度もノマルには付き合っている。テントだろうがタープだろうがお手のものだ。
「今日はこのままお昼までペアで清掃活動を行います」
それを合図に、ミスミが二人に火ばさみと背負いかご、大きなビニール袋を手渡し、二人もそれを素直に受け取った。ビニール袋と背負いかご役割被ってない? という疑問は二人共発さない。
「その後は私の研究カレーをお昼ごはんに食べてから解散です」
「楽しみじゃあ、うちの子達はノマルさんのカレーが大好きじゃからなあ」
目を細めるヤローに照れたのはノマルだけで、ミスミとルリナはその言葉に疑問は持たなかった。
ノマルの研究カレーとは、その名の通りノマルが研究しているカレーである。
ガラル地方伝統のカレーが、組み合わせる食材と具材となる木の実、そして調理の腕によってポケモンの体力や状態異常を回復させる効果があることは有名であり、特に最高級の美味しさとされる『リザードン級』を極めるために幾多ものトレーナーや料理人が切磋琢磨しているが。ノマルが目指すのはそこではない。
彼女はが目指すのは『ダイオウドウ級』、最上級からは一段回落ちるが、体力の回復や状態異常の回復はさせることができる。
ノマルは最小の効率、最小のコストで『ダイオウドウ級』を作ることをのできるレシピと常に模索している。というのも『リザードン級』はある程度食材や木の実のコストがかかり、実戦的ではないと考えているのだ。
ワイルドエリアでのキャンプはポケモンセンターに駆け込むことと同義だ、一刻を争う状態であるのならば、食材にこだわる暇はないだろう。どのようなトレーナーでも手の届く安心を彼女は探る。
そして、他の料理はてんで駄目だが、この研究カレーだけはやたら美味いというのが評判だった。
「それでは早速ペアを決めて清掃に向かいましょう! 途中『獲物』があったら遠慮なく回収してくださいね!」
☆
「なんかほんと、うちのリーダーがすみません」
ミロカロ湖北。わたわたと野生を楽しむように彼らを先導するイーブイの後をゆっくりと追いながら、ミスミは隣のヤローにそう言った。はしゃぐイーブイを優しく見守る彼の目に、それを切り出すのは今だと思ったのだ。
「なんのことです?」
ヤローは首を捻った。ミスミの気遣いを彼はピンときていない。
それにミスミが首をひねるより先に、先を行くイーブイが高く嬉しげな声を上げながら草むらの中に飛び込んだ。彼は二、三度ぴょんぴょんと飛び跳ねながら草を踏み鳴らして音を鳴らし、自身がそこにいることをパートナーのミスミにアピールする。すでに鳴き声には甘えがまじり、褒められることを期待している。
「お〜よしよし、よくやったなあ」
ミスミは一旦話題を切ってその方向に向かった。そして、腰をかがめて期待にムンムンのイーブイの頭をなでてやってから、彼の『獲物』であったそれを火ばさみで取り上げる。
「お、結構形残ってるな」
それは、すでに誰かが使った後であろうピッピ人形だった。
すでに元の可愛らしい姿は殆ど残っておらず、食いちぎられたであろう頭部からは綿がはみ出し、朝露を吸ったのだろう、火ばさみにかかる重みはずしりと重い。ポケモンのマーキングによる臭いがないのがまだマシだった。
「そのへんに欠片あります?」
慣れた手付きでピッピ人形だったものをひょいと背負いかごに放りながら、ミスミはヤローに問う。
「いやあ、見当たりませんねえ」
ヤローは火ばさみでガサガサと周りの草むらを漁ったが、ピッピ人形の欠片は見当たらない。
代わりに火ばさみで空き缶をひろった彼は、それを手持ちのビニール袋の方に入れた。
「そっちは?」
問うミスミに、イーブイも同じく草むらを漁ったが、やがてわかりやすく落ち込んだ声で鳴きながらミスミの足元にすり寄った。彼は意外と仕事に対する意識が高いようだった。
「まあ、協会の人達に任せとけばなんとかなるでしょう。次、次」
協会、とは『ガラル遺族協会』のことだ。
ピッピにんぎょうの有効性はかなり高い。放り投げることで必ずと言っていいほど野生のポケモンから逃げることができる。
だが、その値段は意外と高い。故に、他のアイテムと比べて優先度が低いのが現状だ。
ガラル遺族協会はその状況を打破するためにピッピにんぎょうのリサイクルをボランティアとして行っている。ボロボロの状態から有志の手によって修正されたそれが野生のポケモン相手に効果を発揮するのはノマルがすでに実証済みであり、効果は信頼されている。そして、それらはノマルのような初心者を相手にするイベントなどに寄贈されるのだ。
しばらくゴミやピッピにんぎょうを探した後に「いやね」と、ミスミが再び切り出す。
「ヤローさんとルリナさんをバッティングさせるのはまずいって言ったんですよ、一応」
それにヤローは一瞬キョトンとした後に「ああ、なるほど」と笑った。
ヤローとルリナの関係性は、少しややこしい。
彼女がヤローをライバルとして強烈に意識していることは雑誌のインタビューやリーグカードなどを通してすでに周知の事実だ。年齢が近く、タイプ相性による勝敗がヤロー側に傾きつつあるのは事実だが、それにしてもと思うファンも居る。
方やヤローはライバルを『自分自身』だと当たり障りのない回答をしており、ルリナ側の挑発には乗らない状況となっている。
もちろん、ルリナのライバル意識が一種の『プロレス』であろうことはミスミも理解しているところではあるが、かと言って仲良くボランティアに参加させても良いものかと思うところもあった。
「僕は気にしとらんですよ」
「まあ、それなら良いんですけどね」
「ノマルさんはなんて?」
「仲良さそうだから良いじゃん、の一点張りでしたね」
「ははあ、あの人らしい」
ヤローはそういうほかなかった。彼もルリナも、ノマルがメジャージムリーダーであった世代であるし、新任のジムリーダーであった頃にはジム運営についての手ほどきもされている長い付き合いだ。
「どうなんです? 実際のところ」
ヤローが険悪な雰囲気ではないことに安心したのか、ミスミはそこに切り込んだ。
彼は頬を一つ掻いてから答える。
「ルリナさんは、昔から真っ直ぐで感情をごかまさないところがありますから。むしろ、ライバルだと思ってもらえて嬉しいと思っとりますよ。僕のことが憎いとか、そういうことではないと思うてます」
へえー、と、ミスミは頷いた。どうやらヤローもルリナのそれが『プロレス』であることは理解しているようだ。
「それなら、どうして乗ってあげないんです? ヤローさんがそのフリを透かしちゃうとルリナさん宙ぶらりんじゃないですか」
ミスミの疑問に、ヤローは「んー」と、少し考えてから答える。
「だって、それを受けてしまったら、ぼくがルリナさんを意識してることが冗談みたいになってしまうじゃあないですか」
その返答に、ミスミはしばらく沈黙した。興味を持って踏み込んだそれが、思いの外深く踏み込んでしまっていたことに気づき、気まずくなった。
ヤローも、うっかりそう言ってから顔を赤くし、自分たちの他に誰もいないかとキョロキョロと周りを見回した。幸いなことに周りにはミスミ以外誰もおらず、仕事の意識が高いイーブイが「はよ次行こうや」と、足元に擦り寄り急かすばかりだ。
「忘れてください、変なことをいってしまったようじゃ」
「いや、俺の方こそ申し訳ない。いらないことを聞きすぎました」
もうしばらく沈黙し合った後、赤くなった顔をごまかすようにタオルで拭ったヤローがつぶやく。
「本当は、ノマルさんにこういうのを相談したいんですが」
「ええっ!?」
彼に言葉に、ミスミはこれまでのムードを吹き飛ばすほど大声で驚いた。どのくらい大声かと言うと、それに驚いて飛び上がってしまった仕事熱心なイーブイが「こいつやる気あるんか?」と不機嫌フェイスを晒すほどに。
「いや、辞めたほうが良いっすよそれは」
「やっぱりプライベートなことすぎるかなあ」
「いや、そうじゃないくて」
ミスミは息を整えてから続ける。
「あの人本当にそういう事わからない人なんで、ほんと、なんというか、その、ほんとにそういうの無理な人なんで」
「そんなにですかい?」
「そんなにです。長年一緒にいる俺がその空気すら感じたことないんでそれは間違いないです」
更に彼は続ける。
「そういうことをノマルさんに聞くくらいなら、多分そこらへんで花占いしたほうが良いと思います。ほんと、ノマルさんにそういう相談するのは判断ミスも良いところなんで、相当切羽詰まってるときにやることなんで」
☆
「ノマルさん、実は相談したいことがあるんですけど……」
ワイルドエリア、こもれびばやし。
カチカチと緊張を和らげるように火ばさみを鳴らしながら、ルリナがノマルに近づいて小さな声でそう言った。恥ずかしいことなのか褐色の肌を少し赤くしている。全く同じ頃に『相当切羽詰まってる人』と認定されていることなど欠片も知らない。
対するノマルはようやく見つけたボロボロのピッピ人形を拾い上げていた。かつては自身もピッピにんぎょうの修繕ボランティアをやろうとしていたこともあったが、そこで学んだことは適材適所という言葉の重みだけだ。傍らのイーブイはあまり仕事熱心な方ではないのか、あくび混じりにそのピッピ人形をつまらなさげに眺めている
「ん〜? どうしたの?」
それに集中していたのだろう。ノマルは少し気の抜けた返答を返した。
しかし、ルリナがそれにむっと思うことはない、ヤローと同じくノマルとはジムチャレンジの頃からの付き合いだ。子供扱いなんてものではない、ノマルから見ればまだまだ自分は子供なのだ。だからこそこうして、切羽詰まって相談している。
「あの……ヤローくんのことなんですけど」
「ヤローくんの?」
ノマルは一度獲物を探す手を止めた。傍らのイーブイもそれは満更でもない様子で、すでに足を折って一眠りの体勢だ。
「はい、あの、ノマルさんはわかってると思ってるんですけど、どうやったらヤローくんに意識してもらえるかなって」
それを聞いて「ははーんなるほど」と、ノマルはほくそ笑んだ。ルリナとヤローの微妙な関係性についてはすでにジムトレーナーのミスミから確認済みだ。
彼女はそのアドバイスに極力答えてあげようとしていたし、極力協力しようとした。それが姉貴分としての役割だろう。
「うんうんわかるよ。ルリナちゃんとヤローくんは昔から仲良かったけど、そういうこともあるよね! 私にできることなら何でも協力するから、頑張ってね!」
頼もしく胸を張る小さな姉貴分に、ルリナはホッとし、ノマルに相談してよかったと思った。
だいたい分かるように、ルリナは姉貴分としてノマルの能力をかなり過信しているところがある。仕方のないことだ、彼女の心に残るのマルは、あまりにも強い女すぎる。
ノマルが話を詰めようともう少し踏み込もうとしたときだった。
不意に天を貫くような光の柱がワイルドエリアから突き抜け、その後に、地響きとポケモンの巨大な鳴き声。
「ダイマックス!」と、ノマルが光の方向を見上げながら叫んだ。同じくルリナもそれを見る、足元のイーブイなどは不意に跳ね起きてノマルの影に隠れる。
それは、紫色の強い光であった。ワイルドエリアの中にあるポケモンの巣から、強力なポケモンが現れたときに生まれる強烈なエネルギーの塊だ。
距離は遠くはない、ワイルドエリアに点在するポケモンに詳しいノマルならば、それがドコにあるのかもわかるだろう。
「行きましょう!」と、気づけば背負いかごも火ばさみも投げ捨てたノマルが、すでにイーブイをボールに戻してそれに向かおうとしていた。先程までの温和な雰囲気がまるで嘘であるように、その足取りには迷いがない。
手におえるトレーナーたちならば良いのだが、と、僅かな希望が無いわけではなかったが。だが、あの規模のポケモンを扱えるだろうか。
「はい!」と、ルリナもそれの後についていく。ワイルドエリアでの身の振り方に関しては、ノマルのほうが一日の長がありそうであった。
☆
ポケモンの巣から現れたそのキョダイなポケモンを前にして、その名もなき少年トレーナーは腰を抜かしていた。
目的があるわけではなかった。
ただただ、度胸試しの一環として、自分は何があっても大丈夫なのだろうという根拠のない自信があった。自らが恵まれた立場に居続けたものだから気づけなかった、野生というものは、自らの手の中に収まるものではないのかもしれないということを、彼はようやく理解できるかもしれないという段階に来ていた。
そして、もう遅いのかもしれないということも理解しかけている。自らの前にいるポケモンはなんとか虚勢を張ってはいるが、頼れそうにはない。
諦めが早いのは、潔いからだろうか、否、そうではないだろう。彼の人生の中にこの様にどうしようもないほどのピンチがこれまで無かったから、どうすれば良いのかがわからないだけだ。
そのポケモンが自らを視界に収めたことを認めたくなくて、ギュッと目を閉じようとしたときだった。
はるか上空から、そのポケモンに攻撃するものがあった。
そして、自らとキョダイなポケモンの間に割って入る小さな影。
そして、声。
「準備はありますか!?」
柔らかく、少女のように高い声だった。
上空から攻撃したポケモンが、その影の前に降り立つ。ふくろうポケモンのヨルノズクであった。
少年は、それに答えることが出来ない。理由は二つある、一つは、準備なんて無いから、そしてもう一つは、そう言ってしまえば怒られると思ったから。
だが、その小さな影、ふわふわの髪をした女は、その沈黙を怒ることもなければ、その答えを求めることもしなかった。
代わりに、彼女は少年の傍にモンスターボールを投げる。
現れたのは、毛を逆立てて耳をピンと伸ばしたイーブイだった。
「逃げなさい!」と、その女は言う。
「そのイーブイが、逃げ方を知っています!」
その言葉に、彼はようやく抜けた腰を上げることが出来た。もしかしたら助かるかもしれないという希望と、その女の不思議と安心がある声が彼を立ち上がらせる。
イーブイはそれを確認してからキョダイなポケモンに背を向けてその場から逃げ出す。『にげあし』の良いポケモンだ、逃げ方を知っている。
それを追おうと少年が体を捻った時、その女の横に立つトレーナーが視界に入った。
彼はそのトレーナーを知っている。彼女はメジャージムリーダーのルリナだった。
だが結局、彼は自らを助けてくれたその女が誰なのかはわからなかった。
そのキョダイなポケモンから目線を切らぬように気を張りながら、ノマルは少年がイーブイを追って逃げたことに一先ず安心した。そのキョダイなポケモンもすでに逃げた小物には興味なく、自らを攻撃してきたヨルノズクとノマルに興味が移っているようだ。
「このポケモンは……」
ノマルのそばでポールを構えながらルリナが緊張の面持ちでつぶやく。
キョダイな果実に一体化したようなそのポケモンは、りんごはねポケモンのアップリューだ。それも特殊で強力なダイマックスであるキョダイマックスの姿である。
「私が指揮を取ります!」と、ノマルが叫ぶ。
みずタイプのエキスパートであるルリナにとって、草タイプのドラゴンであるアップリューとの相性は最悪だ。状況からして、さらに年長者でありこういう状況の経験豊富さから言って、ノマルが指揮を取ることに問題はないだろう。
「はい!」とそれを受け入れながら、ルリナはボールを放り投げてカジリガメを繰り出した。相性は最悪、だが仕方がない。
「『リフレクター』!」
ノマルの指示と共に、まずはヨルノズクが念動力で『壁』を作り出す。
アップリューの必殺技である『Gのちから』を意識した対策技だったが、カジリガメの相性の悪さをそれで補えるかどうかはノマルも自身がない。
ポケモンの巣からダイマックスしたポケモンはとにかくタフな上に、ダメージが通りにくい特殊なバリアを展開する、そのため単純な一個体のパワーよりも、いかにこちらの手数を切らさないかが重要となる。故に、相性が最悪であったとしても数を維持したい。
「来ます! 備えて!」
ノマルはアップリューの動きを予測し叫ぶ。そして、その警告が正しいものであることを証明するかのように、アップリューが攻撃態勢をとった。体の周りの空気が歪んだように揺れ、竜巻のように形を作る。
狙いはヨルノズク、まだ彼はルリナとカジリガメを視界の端に捉えるだけでそれを脅威だとは思っていない。
巨大な竜巻がヨルノズクに向かって放たれた。それが纏う音は高い。空気を切るような速度を得た竜巻がヨルノズクを襲い、抜けた羽毛を巻き上げ天に吹き上げる。
ヨルノズクは宙を舞ったが、すぐさまバランスを取り戻して地面に着地した。彼も負けず劣らずタフであるが、その前に貼っていた『リフレクター』が効果を発揮していた。
「『こおりのキバ』!!!」
技の打ち終わりのスキをルリナは逃さない。
すぐさまにアップリューの懐に潜り込んだカジリがメは、その尾っぽに思い切り齧りついた。
ただの『かみつく』ではない。水ポケモンのサブウェポンとして代表的な凍てつく攻撃だ。
アップリューはその攻撃に地響きのような悲鳴を上げて尾を振り回す。草タイプとドラゴンタイプである彼にとって、『こおり』タイプの攻撃は効果が抜群どころの騒ぎではない。
だが、カジリガメも一度くらいついたら離さない顎の力が自慢のポケモンである。振り回されながらもその顎を離すことはなく、むしろ自身の重みを加えてダメージを与え続ける。
しびれを切らしたアップリューは、それを地面に叩きつけることで問題の解決を図ろうとした。尾を高く振り上げ、痛みの箇所を再確認してから振り下ろす。
「戻って!!!」
しかし、そこはルリナも実力者である。彼は相手の意図をすぐさま理解してパートナーに指示を出す。
カジリガメもさすがはジムリーダーのパートナーだ。彼もまた彼女の意図を理解して、てこでも外れないであろう顎の力を緩めて地面に着地し、彼女のもとに戻る。
叩きつけることが空振りに終わったアップリューは憤りながらルリナ達に視線を向けようとした。
だから彼は一瞬気づくのが遅れた。もうひとりのトレーナーであるノマルがすでにヨルノズクをボールに戻し、巨大化させたボールを放り投げようとしていることに。
「よいしょっと!」
重たそうに両手を使って下手から放り投げられたそれから、アップリューと同じく巨大化したヨルノズクが繰り出される。そして彼は相手を威圧するように巨大化した羽を広げ、地を這うほどに低くなった鳴き声を上げた。
それもまたノマルの作戦の一部であった。こちら側のほうがより脅威であるように相手に見せかけ、ルリナ達から気をそらしたい。
だが、そのアップリューも強力な個体であったのだろう。彼は目先のキョダイな相手よりも、先程凍てつく攻撃をしてきたルリナとカジリガメのコンビのほうが厄介であることを本能的に理解していた。
目を彼女らに向けたまま、アップリューは動き始める。
「『ダイジェット』!」
まずいと判断したノマルが指示を出し、ヨルノズクが翼を振って螺旋のように鋭く相手を切りつける風を送ったが、特殊なバリアによって威力を半減されたその攻撃ではアップリューの気を削ぎきれない。
「来ます!」と、ノマルが叫んだ。
おそらくは草タイプの攻撃が来るだろう。と、ルリナとカジリガメは身構える。
防御壁である『リフレクター』があったとしても、果たして耐えられるだろうか。
アップリューが攻撃を放とうとしたその時だった。
「『ぼうふう』!」
不意に、彼らの視界の外から、強烈な『ぼうふう』が吹き荒れ、攻撃態勢に入らんとしていたアップリューを攻撃する。
そして、彼女にとって馴染みの声が、少し焦ったトーンと粗い息づかいと共に聞こえた。
「遅れてすみません!」
救世主、ヤローは、ダーテングを引き連れてルリナの横に並ぶ。
突然増えた敵にアップリューが考えを整理するよりも先に、その次の矢が飛んでくる。
「『ブレイブバード』!!!」
ヨルノズクが作り出した『ダイジェット』の風と、ダーテングが作り出した『ぼうふう』の勢いを十分に活用しながらウォーグルがアップリューに突っ込む。
それは特殊なバリアによって弾かれたが、アップリューの気を削ぐには十分だった。
「加勢します!」
翻ったウォーグルを傍らに従えながら、同じくミスミが隊列に並ぶ。
数が増えようと関係ない、と言わんばかりに低く威圧するアップリューに、ヤローが叫ぶ。
「ぼくが指揮を取ります!!!」
ルリナはそれに驚いた。彼の大声を聞いたのは久しぶりだったから。
ノマルはそれに頷く。
「わかりました! よろしくおねがいします!」
メジャージムリーダー二人に、マイナーではあるがジムリーダーとジムトレーナー。
彼はまだ気づいてはいないが、アップリューの形勢はだいぶ悪くなり始めていた。
☆
「はい! それでは今日は皆さんお疲れさまでした!!!」
ワイルドエリアは昼下がり。晴天のもとにカレー鍋から立ち上る香りがその周辺に漂っている。
すでにカレー皿を手渡されたルリナとヤローは、傍らのカジリガメやダーテングと共にそれを堪能している。
一仕事を終えたイーブイやヨルノズク、ウォーグルも一緒だ。
「ノマルさんのカレーはあいかわらず美味しいですなあ」
「えへへ、うれしいなあ」
今日ノマルが作ったカレーは彼女の予定通り『ダイオウドウ級』、最高峰である『リザードン級』と比べてしまえば見劣りするだろう。だが、彼女の研究カレーには家庭で食べるような温かみがあった。ヤローの言葉はお世辞ではないだろう。
思い通りのカレーが出来たのかノマルは上機嫌だった。非常にコストパフォーマンスのいい組み合わせを見つけたのかもしれない。
「愛して〜るの〜エールを〜あげ〜る〜」と鼻歌を歌いながら、ミスミはお玉を片手にカレーを皿に装い続けている。
客人はヤローとルリナだけではない。カレーの匂いに釣られる少し警戒心の弱いポケモンたちに対しても、ノマルは惜しむこと無くその研究カレーを振る舞うだろう。今日のレシピに対してどのようなタイプのポケモンたちがどのような反応を示すのか、彼女にとっては貴重なデータだ。
さらに。
「あなたも災難だったよねえ」
ノマルは傍らでカレーを貪るアップリューにそう言った。当然巨大化はしていない、彼らのよく知るアップリューの大きさだ。
ダイマックスした彼を沈めた後、ノマルはアップリューを捕まえてこのキャンプに招待していた。
何も仲間にしようというわけではない、戦いによって消耗したであろう彼を少しでも癒やしたかったし、決して人間というものが安息を侵略するだけの存在でないことを知ってほしかった。
そもそも彼は悪意を持って人間を攻撃したわけではないのだ。静かに暮らしていたところに強烈なエネルギーを流し込まれて戸惑っただけに過ぎない。
アップリューがカレーにご満悦なことが、ノマルにとっては幸いだった。
「ところで」とノマルがヤロー達に視線を向ける。
「今日のヤローくんかっこよかったね!」
想像していなかったのだろう。その言葉に、ヤローは一瞬ハッとしたように体を緊張させてから顔を赤くした。ちなみに、その横ではルリナも同じ様に顔を赤らめながら小さくコクコクと頷いているがノマルはそれに気づかない。
「い、いやあそんな……」
「びっくりしちゃったなあ、結果、ヤローくんに任せて正解だったし」
「あれはその……相手がアップリューだったからつい思わず……」
あの時、ヤローが集団バトルの指揮を取ろうとした判断は何一つ間違ってはいない。
彼の言う通り、相手は草タイプのアップリューであったし、それは草タイプのエキスパートであるヤローの専門領域であった。
だが、あの時あの瞬間、すでにダイマックスをしている年上のノマルがいる状況で、後から来た年下の彼が、自らが指揮をとったほうが良いと判断しそれを実行した胆力というものを、彼女は褒めているのだ。
「ルリナちゃんもタイプ不利だったのに堂々としてたし、二人共もう立派なジムリーダーだね!」
その言葉に、ルリナとヤローはやはり顔を赤らめたまま小さく頭を下げた。
立派も何も、二人はすでにメジャーのジムリーダーである。だが、自分達が本当に子供であった頃から付き合いのあるノマルにそう言われることが、彼女らは嬉しく、照れくさくもあった。
「あ、そうだ!」と、ノマルはそのままの流れのままに続ける。
「今日からヤローくんのライバルはルリナちゃんってことね!」
ワイルドエリアの時が一瞬止まったような気がした。
本当に何の気無しに、恐らくは百パーセントの善意で、そして、駆け引きの欠片もなければ文面上の意味しか持たれていないその言葉を聞いて、まずヤローは目を見開いて言葉を失い、ルリナは茹だったのかと思うほどに赤くした顔で何かを取り繕う言葉を探した。
やがてお互いはなぜか顔を見合わせ、すぐにそれを反らす。
厄介なことに、二人共ノマルの言葉から文面上以上の何かを感じ取っていた。そして、それは勘違いだ。
「これからもお互いに意識して仲良く頑張っていってね!」と、とどめを刺すような追加を放ちながら、ノマルはニコニコとカレーとポケモンたちに目を落とし、今日はいい日だなあとすでにその日のまとめのモードに入っている。
唯一それを第三者目線で眺めることの出来ていたミスミだけが「あー、リーダーこれはアレだな、やっちまったやつだな」と、その二人を眺めながら推理しており、後で二人に花弁の数が数えやすい花でもあげようと思ったのだった。
☆
『今日のワイルドエリア清掃は終了です! 途中トラブルも有りましたが強力な助っ人二人のおかげで問題なく終えることが出来ました! 友人でもありライバルでもあるだけあって素晴らしいコンビネーションでしたよ! 皆さんもワイルドエリアや草むらなどでピッピにんぎょうを見つけたら破れたりしていてもお近くのバックパッカーさんに預けてくださいね! ボランティアの皆様の手によって修繕されて初心者のトレーナに寄贈されます!!!』
同日夕方、ポケスタグラムに放られたその投稿には、真ん中にノマルを据えてそれぞれが少し赤い顔と微妙な距離感で写るルリナとヤローの姿があった。
「ほら、二人共もっと寄って寄って!」と、恐ろしいなまでに無邪気で鈍感な善意によって本来ならば密着したツーショットになる予定だったその写真は、ノマルの事をよく知るミスミの「ノマルさんが真ん中に入ればいいんじゃないですか?」という素晴らしすぎるフォローによってなんとか最も恥ずかしい状況は逃れている。
顔が赤いのは野外清掃の後だからとごまかせるだろうが、写真からでもわかる微妙な二人の『かたさ』は、果たして敏感なポケスタグラーマーにどの様にうつっただろうか。
ちなみにキバナはその投稿を速攻で『いいね』していたという。