304 彼女はアナログ人間
ラーノノタウンは、シュートシティから電車で二時間。そらとぶタクシーを使えばもっと早いが、シュートシティを中心とするガラル地方において、抜群の立地であるとは言えないだろう。
だが、かと言ってスパイクタウンのように痩せた町かと言われれば決してそうではない。むしろ街の中心を流れるニューマス川の水運を利用した交易により、古くから商業的に力のある街だった。
その証拠が、バウタウンのものと並んでガラルで最も古いとされている野外市場であった。昨今では再開発により縮小傾向であるが、それでも歴史ある風情を保っている事に違いはない。
「おう、ノマルちゃん」
「おはようございます!」
「あら、ノマルちゃんじゃない」
「はい、おはようございます! 少しきのみを見てもいいですか?」
「ノマルさん、この間行っていたお香、手に入りましたよ」
「あ、ありがとうございます! 料金は払うのでジムに送っておいてください」
ラーノノジムリーダーであるノマルは、市場の店主たちと挨拶を交わしながら、目的の場所へと向かっていた。最も、彼女が逐一それらの挨拶にバカ丁寧に返答するものだから、なかなか目的地にたどり着かず、時間もいたずらに消費しているのだが。
ノマルはラーノノの出身ではない。彼女はガラルの中心であるシュートの生まれ育ちであり、生まれ持ってこの街の精神性を持っているわけではなかった。それでもこうして街の人間に受け入れられているのは、十年に及ぶ彼女のジムリーダーとしての貢献度と、この街のいい意味でおおらかでよそ者に優しい風土のおかげだろう。
着任して十年になるが、彼女はこのラーノノタウンを心から愛している。彼女はこの野外市場が好きであるし、ニューマス川も好きだ、自然公園も好きだし、大学も、庭園も、聖堂も好きだった。
彼女が目的にたどり着いたのは、思っていたよりも時間を使ったあとだった。
「プレミアムミルクティーを一つ」
それは、移動式のキッチンカーだった。
新しい一面を見せようと努力している野外市場の新しい波の一つ、軽食とやたら甘いドリンクを提供してくれるそこは、距離の近さを売りにしているはずのキッチンカーであるはずなのに、正面にメニューをベタベタに貼り付けた幕が下りており、いつも見えるのは店主の手だけだった。だが、むしろそういうところが若者には受けているようで、なんだかんだで商いは出来ているらしい。
「ゆっくりでいいんで」
小さな彼女の視線と正面にある店主の手が、その言葉に人差し指を立てた。
それは、その店が他よりもほんの少しだけ繁盛している理由の一つだった。
プレミアムミルクティーは割高だ。例えば違う店に行けば、同じ値段でたっぷりの炭水化物をそれに入れてもらえることだろう、なんならこの店にもっと安い値段の『スーパープレミアムミルクティー』がある。だが、当然ながらこのメニューには特典がある。「ゆっくりでいいんで」とは、その特典を得るための合言葉だ。
「今日、ジムリーダー達の集まりなんですよ」
不意の話だったが、店主は動揺しなかった。
プレミアムミルクティーの特典は、店主による今日の占いだった。気になることを呟けば、それに対する返答をカップに書いてくれる。抽象的なことばかりではあるが、それがやたら当たるのだと評判だった。
「新任の子もいるんで、仲良くなれるかどうか不安で」
店主は即断即決だ。彼はカップカバーにサラサラとペンを走らせると、それをカップに装着してからノマルの前に差し出した。
「どうも」
紙幣を手渡して、振られる店主の手に挨拶を返してから、彼女はカップを確認する。
そこには『大事なものに限って忘れてしまうもの』と、やたら達筆に書かれている。
彼女はそれに首をひねった。自分の相談とは全く違うような気もするのだ。
駅に向かって歩みを進め始めながら、彼女は手持ちの手提げバックの中身を確認する。
「切符はあるでしょ? メモ帳もあるし、財布も、万歩計もあるし……」
まあ、気休めの占いだ、当たらずとも当たらなくとも結構。と、彼女が思おうとした時「あ、そうだ」と、それに気づいた。
「電話しないと」
先程購入したお香は、ジムに送るようにしてもらっている。
事務方に連絡して受け取ってもらわなければ。
彼女はミルクティーを持ち替えてバッグの中に手を突っ込んだ。
ところが、である。
「あれ、あれれ」
家を出る前にあれほどきっちりと整理したバッグの中身をぐちゃぐちゃにしながら探っても、目当てのものが見つからない。
そのときになって、彼女は占いの言葉を再び思い出す。
「もしかして、電話忘れた!?」
待て待て慌てることはない、電話をなくしたときには誰かに電話をしてもらえばいいのだ、と、ミスミに電話をつなごうとしてやっぱり電話がないことに気づいた彼女は少し小走りになる。走るとせっかく買ったミルクティーがこぼれてしまうからだ。
「よりにもよって今日忘れちゃうなんて!」
彼女は強い女である。そんじょそこらのスマホがなけりゃその日一日の行動すらままならぬ小娘と一緒にしてはいけない。
彼女は電話がなくてもその日一日を過ごすことはできるし、公衆電話の使い方もわかるし、勘で街を歩くことを恐怖などと思わない。財布には現金、暇つぶしには文庫本、最強の布陣だ、電話など無くともなんの問題はない。
だが、今日この日に限ってはそうは行かないのだ。
彼女は小走りで家へと向かう。
予定していた電車には乗れそうにない。
ラーノノからシュートシティは電車で二時間。予定されている時間に間に合うかどうかは微妙だった。
☆
シュートシティ、ポケモン協会本部。
メジャーマイナーを問わずに集められたジムリーダー達は、外部講師による『SNS講習』を受講していた。
近年、SNSの発展と普及により、ジムリーダーとファンの距離というものはこれまでに比べれば急速に近づいた。
もちろんそれはファンとの距離が近く有りたいジムリーダ自身やある程度の常識というものがあるファンの間ではより良質な交流を生むことになったが、ファンが全て常識的であるはずなど無い。例えば有名人のプライベートを自分のものにしたがったり、一人でも多くの有名人を引きずり下ろしたいような人間だって当然存在する。SNSは彼らにとっては良質な餌場であり、そのサービスがスタートした当初とは随分と様相が変わりつつあった。
まあ要するに、その講習の内容の要点というものは「炎上するなよ」ということと「あまりプライベートを晒すなよ」ということだった。
「おーい、キバナくん」
その声に、色黒の大男は振り向く、大男と言ってもおとぎ話などに出てくるようなものではなく、シャープでスリムな今風の若者であった。
彼はナックルジムのジムリーダーにしてメジャーリーガーであるキバナだった。ジムリーダの中でもトップの実力を持ち、ドラゴンタイプの育成を得意としている。他の地方であればチャンピオンになれると噂されることもあるが、大抵そのような噂を持つ人間というのはどの地方にもいるものだ。
そして、今回このような『SNS講習』が開かれる原因を作ったジムリーダの一人でもあった。
講義終了後、ノマルは逃げるように外の空気を吸いに行ったキバナの後を追っていた。あまりにも違う体格差を気にすることはなかったが、見上げるようにしなければ目を合わせることも出来ないので首が心配だった。
キバナはあまりにも違う体格差を気にすること無くノマルを覗き込みながら「ノマルさーん」とそれに返す。
「オレサマ、頑張ったよなぁ?」
「まあ、たしかに、あなたにしては真面目に講義を受けてたと思うわ」
二時間近い講義であったが、ノマルの言う通りキバナは至極真面目にそれを受けていた。
当然、キバナにとては苦痛の時間だった。恐らく彼はSNSに関して外部講師の女史よりも詳しいであろうし、何より突き刺すようにキバナに放たれる『SNSの失敗例』としての皮肉がうっとおしい。
いつもの彼ならば、それとない理由をつけながらその場を後にしたりなどしたかも知れない、だが、今日の彼にはそれが出来ない理由があった。
「だって隣がノマルさんとメロンさんなんだぜ? おとなしくならない人間がいるなら見てーよ」
まだ年齢の若いキバナは、ノマルの全盛期にダイレクトの世代であった。彼の若い頃に記憶にはノマルがメジャーリーグに昇格したときの『鬼教官』としてのあまりにも激しい試合が残っているし、何ならジムチャレンジの際に対戦もしている。
もちろん今ではメジャーリーガーとマイナーリーガ―という関係であるが、それでも記憶の中に残った少しばかりの畏怖というものはそう簡単に消えるものではなく、未だに彼はノマルを「怒らせたくない人」にカテゴライズしている。
そんなノマルと、現在進行系で連敗中で圧倒的な母属性を持つメロンに挟まれては、さすがのドラゴンストームもシュンとせざるを得ない、協会の誰が考えた席順かわからないが、キバナの性格を考えた素晴らしい竜殺しっぷりだと言えよう。
「大体さあ、おかしーじゃん」
キバナはぐああと伸びをした。その強大な体に、会議室の椅子と机はあまりにも小さすぎた。最も、ノマルには丁度よいどころか少し大きいなと思うくらいだったのだが。
「俺が炎上してるのだって別に俺が悪いわけじゃね―し」
その弁明はある意味で正しい部分があって、別に彼がユーザーを煽るような投稿をすることは基本的にはない。
ところが、対戦成績に関わらず明るくナルシズムにSNSに投稿する彼を面白く思わない層というのもいるのだ、最も、彼が絶対的なチャンピオンであったダンデに対してライバル心をむき出しにするという立ち位置が無ければもっと違った話だったのかも知れないが。
「まあ、仕方ないわね」と、ノマルはよくわからないが首を振った。ノマルは少し前に流行った会員制のブログサービス以外にインターネットとの関わりを知らない。ダンデが炎上しているというのも彼女自身がそれを確認したわけでもなく、周りからの評判で知った。
「今ジムリーダーで炎上してるのなんて君とあの子しかいないんだし」
ああ、そうだ。と、彼女はポケットからスマートフォンを取り出しながら問う。
「ちょっと、写真について聞きたいんだけど、大丈夫?」
「んー、いーよ」
「あのね、写真がうまく取れないのよ」
彼女は慣れない手付きでスマホ画面をペタペタと触った。
そんな様子を見てキバナが問う。
「ロトム入れてねーの?」
ロトム入りスマホは最近のトレンドだ、情報機器であるスマホはロトムにとっても居心地の悪いものではないらしいし、意志を持ったスマホというのは何かと便利だ、スマホにはモーターが取り付けられていないので対戦には使えないが、むしろそれがポケモンを知らぬユーザーにもそれが広く受け入れられている一つの要因である。
ジムリーダーの中でも一二を争うほどにスマホに精通しているキバナもそんなロトムスマホユーザーの一人だ、彼は機能面でスマホに悩むことはないが、何より地面に落として画面が割れる心配をしなくていいという一点でも、そのテクノロジーにカネを払う理由になるというものだ。
故に、ポケモントレーナーでありながらスマホにロトムを入れていないノマルが不思議だった。
「なんか、怖くて」と、彼女は少し恥ずかしげに微笑みながら作業を続ける。
何が怖いものかね、と、キバナは口にこそ出さないがそう思った。今やスマホロトムなんて、そこらへんの老婆でも、否、そこらへんの老婆だからこそ入れいているのだと言うのに。
全盛期のあんたのほうがよっぽど怖かったっつーの。
「これこれ」
ようやく画面に映し出されたそれを、彼女はキバナに向ける。
彼がこれでもかと言うほどに背を丸めてそれを覗き込むと、画面の端にはノマル、そしてその向こう側にはそれぞれが思うようにイーブイを抱えて映る子供たちだった。
「この間のワイルドエリアでの初心者教室なんだけどね」と、彼女はそれを思い出すように笑ったが、すぐさま眉を困らせる。
「あなた達がよくやる『自撮り』ってやつをやってみたんだけど、これ一回で決めるの難しくない? 何かコツでもあるの」
その言葉の意味をキバナは全く理解が出来なかった。コツも何も、自撮りなんて一発でできるだろう。
しかし確かに、ノマルが見せているその写真は、お世辞にも出来が良いとは言えなかった。ピントは後ろの子供の方にばかりあっているし、ノマルは画面から見切れ、かわいそうにジムトレーナーのミスミなどは右手の一部分しか写っていないという状況だ。
例えばそれが彩度であったりとか、もっと複雑なピントについての質問ならばキバナも知っている限りのものを答えたかも知れないが、そもそもの質問の意味がわからないのでどうしようもない。
「コツも何も」
キバナは「ヘイ、ロトム」とスマートフォンを呼び出し、それを手に取る。たとえスマホにロトムが入っていなくても、自撮りくらいは簡単にできるはずだ。
「こうやりゃいいだけじゃん」
そのまま彼はもう気の毒なぐらい膝と腰を曲げて、なんとかノマルと顔を近づける努力をしながらパシャリと写真をとった、その位置取りには人一倍苦労したかも知れないが、その行為自体に難しいところなど見受けられない。
だが、ノマルは目を丸くして問うた。
「えー! やっぱり最新の携帯はすごいわね」
キバナはますます意味がわからない。一体今の行動のどこに最新の要素があったのか。
そして、ノマルの次の言葉に彼は戦慄した。
「内側にカメラが付いてるなんて考えたわねえ、たしかにこの携帯なら自撮りしやすそうね。買い換えようかな」
「は?」
彼は思わずノマルの持つスマートフォンを半ば奪うように手にとった。
まさかこのご時世にインカメがないスマートフォンなんて。
しかし、そのスマホのインカメにはしっかりとインカメがついている。
ということは。
「え、ノマルさんインカメしらねーの?」
「インカメって何よ」
「これだよ、これ」
信じられないくらい長い指でカメラアプリを操作すると、まあ当然ではあるがインカメの機能が立ち上がる。
ノマルはそれにたいへん驚いた。
「え、すごい! この携帯でもできるんだそれ!?」
「いや……出来ないスマホあんのかな?」
すごいすごいと腕を伸ばしながら初めてのインカメ体験を続けるノマルに、キバナは人間に一番最初に火の存在を教えた神はこんな気持だったのだろうかと思った。
「よかったー、これで自撮りができる! 一枚取ろ!」
必死に腕を伸ばすノマルに、キバナは仕方なくもう一度体を丸めて、その画角に入った。
そして彼は何となく問う。
「自撮りしてどーすんの?」
そして彼女は何となく答える。
「ポケスタグラムにのせようと思って」
「はぁ!?」
なんの気なしに放たれたその言葉に、キバナは今日一番の反応を見せた。
ポケスタグラムとは今流行りのSNSの一つであり、文字よりも写真や動画を中心としたものである。
「ポケスタやってんの!?」
「いや、そろそろ始めようと思って」
彼女は微笑んで続ける。
「ジムのこととか、勉強に来た子供達の成長とか、ラーノノの魅力とかをみんなに知ってもらえればいいなって」
志は立派だ。
しかし、それはあまりにも危険。
何しろノマルは、つい先程までインカメの存在すら知らず、なんの疑いもなくインスタントカメラでするようなものを『自撮り』と表現していたのだがから。
パッチールに地雷原を歩かせるようなものだ。
「いや、やめといたほうが」
「大丈夫よ、キバナくんと違って私はちゃんと講義聞いてたもん。アレでしょ? プライベートな投稿は一日ずらしたほうがいいのよね?」
得意げにそういうノマルにキバナは頭を抱えた。
「いや、あの講習はどっちかと言うと上級者向けと言うか……ノマルさんはそれ以前の問題と言うか……とりあえず、アカウントはつくりました?」
「アカウント? なにそれ?」
「ほら、そういうところですよ」
ううん、とキバナは考え込む。
ノマルとの付き合いは長い、恐らく彼女はそれにどっぷり浸ることはないだろうし、いわゆるひとつの「出過ぎたマネ」もSNSでは行わないだろう。
まあ、ポケスタグラムなら、と彼は考えた。利用者の多いポケッターであれば第三者の悪意による問題が怒らないでもないだろうが、利用者が少なく写真と動画が中心のポケスタグラムならば、たしかにアナログ人間のノマルでもなんとかなるかも知れない。
「じゃあ今度ラーノノに行くときに時間つくりますから、そのときに色々教えますよ」
「あ、ホント? それなら良かった」
能天気にニコニコと笑うノマルに、これはかなり骨の折れる作業になりそうだとキバナは思ったが、まあ俺も色々教えてもらったしな、と、仕方なく思うのだった。
ちなみにきちんとノマルに許可をとってからポケスタグラムにアップした彼女との自撮りは『久しぶりにラーノノジムのノマルさんと』とこれ以上無いくらい丁寧に彼女の説明がなされていたが、それでもその投稿への返信は『誰?』『これキバナほとんどしゃがんでね?』『親戚の子?』『キバナくんまた私以外の女の人と会ってる……』などのものであり、いいねの数もいつもの彼の投稿に比べれば控えめであった。