324 一人三役
「あのね、あたし、少し怖いと」
ある日、スパイクタウンジムリーダーであるマリィは、彼女にしては珍しくそう漏らした。
もちろんそれは彼女を応援するエール団の前ではなかったし、彼らのたむろ場であるスパイクタウンのジムでもない。だからこそ、そう漏らすことができたのだろう。
「どうしましたかマリィ」
ソファに腰掛けていた痩せた男が、書き込んでいた譜面から彼女に目線を変えながら言った。彼はネズ、前スパイクジムリーダーにして、マリィの兄でもあった。だから彼らが同じ家に住んでいることも、部屋を共有していることも何の不思議はない。
実の兄であるネズからしても、マリィがそう漏らすことは珍しいことだった。確かにもっともっと子供の頃には引っ込み思案で泣き虫ではあった、だがそれは遠い昔の記憶、たった一人でジムチャレンジを達成するまでになったマリィの口からその様な弱音が出たということに、ネズは驚きと焦りを表すまいと努力していた。
「メールが来た」
彼女はソファーの開けられたスペースに腰掛けた。
「依頼ですか?」
「そう」
彼女はジムリーダーだ、仕事の依頼なんてゴマンとあるだろう。そして、兄の知る限りマリィはどんな依頼でもこなしていた。まさかそんな彼女が依頼に対してナーバスになるとは。
まさか、と、ネズは妹の顔を覗き込むように身を乗り出す。
「いかがわしい内容ではありやがりませんか!?」
駄目だ駄目だ! と、ネズは強く頭を振った。今は一つにまとめられた長髪が体に巻き付くように中途半端に舞う。
ありえない、ありえてはならない! 確かにジムリーダーという立場であればある程度容姿を綺羅びやかに見せるような仕事が来ることもあるかもしれない。キバナやルリナのように、あのカブさんですら髭剃りのプロモーションを撮っているのだ。
だが、マリィはまだティーンだ。ネズは自分が性に対して病的な潔癖ではないという自覚はあるが、まだ早すぎる。
突然声を強めた兄にぽかんとするマリィを尻目に「ダンデはなにをやってやがるんですか……」と、ネズは頭を抱えた。
ジムリーダーへの依頼だ、当然それはポケモンリーグ協会を通しているはず。
彼の知る限り現ポケモンリーグ委員長のダンデは倫理観が崩壊しているタイプではない、崩壊しているのは方向感覚だけだ。
だのにどうしてこんなことになる。バトルタワーオーナーとの兼業があまりにも激務過ぎてそこまで手が回らないのか。
いやまて、そもそもその依頼は本当に協会を通しているのか? もしかすれば『闇営業』の誘いなのかも。
そこから更に深めて考えていこうとしていたネズの思考を、妹の楽しげな笑い声がかき消した。
「違う違う、そげなとやなかばい」
絞り出すように否定の言葉を紡いだが、それもまた大笑いにかき消される。
次にぽかんとしたのは兄の方だった。
「ああ、笑った……ありがと、少し楽になった」
目尻を指で拭いながらマリィが続ける。
「そんな依頼じゃなか、エキシビジョンの依頼よ」
その言葉に、ネズは一旦ホッとし、そして、再び不安を感じた。
「マリィがエキシビジョンを怖がるなんて珍しいですね」
「怖いわけじゃなか! 少し怖いだけ」
パッと、ネズは妹が少し恐れている対戦相手を当てようと想像してみた。
だが、その答えはすぐには出てこない。
ジムリーダー相手に行われるエキシビジョンの相手なんてその大抵が人格者である、唯一オニオンというゴーストタイプの少年ジムリーダーがホラー的な意味合いで恐ろしいと認識されているが、自分たちはあくタイプのエキスパート、今更ゴーストを恐れはしないだろう。
「誰なんです?」と、ネズは白旗を上げた。
「ノマルさん」
マリィは少し体を縮こまらせながらそう答える。
「ああ」と、ネズは納得した。
マイナージム、ラーノノジムリーダーノマル。
一般的な認知であれば、とても恐怖を覚えるような相手ではないだろう。かつてはメジャーリーガーであったかもしれないが、すでにその記録は遠くにあり、マイナーリーガーである歴史のほうがすでに長い人物である。メジャーリーガーであるマリィがたった少しであろうと恐怖を覚えていい相手ではない。
だが、ネズにはその理由がよく分かる。
ジムリーダーノマルの全盛期、それはマリィがまだほんの子供の頃であり、ネズがジムチャレンジに挑戦していた時期である。
その頃のノマルは、確かに恐怖を覚えるに値するトレーナーであった。
だが、ネズを含めその世代のジムリーダー達はノマルへの恐怖心はさほど無いだろう。なぜならば、彼らはノマルに対して、その実力で自由を勝ち取ったのだから。
だが、マリィらの世代は違う。
彼女らは対戦を通してのノマルの恐怖を覚えることはしただろうが、それに打ち勝つタイミングが存在しなかった。故にあの頃の恐怖が未だに心の奥底に存在していてもおかしな話ではない。
「大丈夫ですよ」と、ネズはマリィの肩を抱きながら続ける。
「優しい人です」
「アニキは怖くなかったと?」
「怖かったですよ、少しなんてものじゃない」
ネズは嘘をつかない。
あの時、ノマルはたしかに恐ろしかった。
だが、それから歳を重ねて思うこともある。
「ですが、優しいからこそ、怖かったのです」
☆
『ラーノノタウン、本日は記念日で学校もお仕事もお休みです! 子供たちも市場の皆さんもこの日を心待ちにしていました! 私も日の出ている内はラーノノタウンの一住人として楽しんで、その後エキシビションに望みたいと思います!!! 試合の観戦はケーブルテレビかこちらのサイトから!!!→https://www〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇mypage.〇〇〇〇〇〇〇』
ラーノノタウン、世界的には何の意味もないただの平日に、ガラルでただそこだけは、人々の期待と、わずかばかりの興奮に満ち溢れている。
ガラルの中でラーノノだけにある特別な記念日だ。ガラルの人々はその日を休日だとして疑っていないし、ラーノノに出店しているフランチャイズですら、その日はラーノノの人々に敬意を払い、その日を休日として扱っている。
最も、何割かのラーノノ住民は、その日がなぜ休日となっているのか深くは知らないだろう。遥か昔に何かがあった事は知っているだろうが、それが本当なのか、それとも嘘であるのかもわからないし興味がない。ローカルなケーブルテレビでは毎年その理由を長時間かけて放送しているが、その後のイベントに比べれば視聴率は芳しくないかもしれない。
だが、それでもなおラーノノの住民たちがこの日を休日として扱うことが、その歴史と文化の重みというものを物語っているだろう。
☆
「プレミアムミルクティーを一つ」
祭りの雰囲気に賑わいを見せる野外市場の中でも、その移動式のキッチンカーはいつもどおり幕を下ろし、相変わらず店主の手だけが見えるが、その爪が少しだけ明るい色とカラーリングで揃えられているところから、店主も少しだけ浮かれているのだろうということがわかる。
「ゆっくりでいいんで、今日の運勢をお願いします」と、占いを依頼し、ラーノノジムリーダー、ノマルは賑わう野外市場をぐるりと見回す。
ノマルはこの日が好きだ。
ラーノノの人々が、ラーノノの人々として楽しむこの日が好きだ。
そして、自分がこの日の締めを任されるということも、光栄だ。
彼女が思っているよりも長く物思いにふけっていたのだろうか、たったそれだけを考えただけであったのに、すでにプレミアムミルクティーはカウンターに置かれている。
「どれどれ」と、彼女はそれを手にとった。
『まるで鏡を見ているようでしょう』
店主が浮かれていることが原因なのか、普段よりも抽象的で私的な要素が強いその言葉にノマルは首をひねり「ミラーマッチってこと?」とだけつぶやいたが、店主はすでに次の注文の準備に入っており、その言葉に何かを返すことはなかった。
☆
カリスマの弱点とはなにか、それは、自らがカリスマとなる前を知る人間と合うことだという。
かの有名な救世主も、自らの生まれ故郷では少し気まずかったとか。
特にカリスマの前を知る人物、例えば母親のような存在と、自らの狂信者とに挟まれてしまったカリスマは大変だろう。カリスマであることと、息子であることとは、本来両立しない概念だ。
ラーノノタウン、ラーノノスタジアム。関係者控室。
本来ならばあまり人が入ることのないその部屋は、その日は珍しく人でごった返し、そして、その人々の身なりも特徴的であった。
「エール団ナンバー十四! ラーノノ支部長ミスミ! ふつつかながら本日、マリィ応援隊の隊長を務めさせていただきます!!!」
そう叫んで猛烈に頭を下げるミスミに、彼の後ろに並んでいた数十人のエール団も同時に頭を下げる。
当然、その先には、エール団の実質的な団長と読んでもいいであろう立場の男、ネズがいた。
いつものミスミならば、すぐさまにジャケットにサインを求めるだろう。だが、今の彼には立場というものがあるし、何より、その立場を全うすることが出来ることは、あるいはライヴ後のジャケットを投げかけられることよりも価値のあることかもしれない。
「はいはい、よろしくおねがいしますよ」
ロングベンチに腰掛けるネズは、手をひらひらと鬱陶しそうに振りながらそう答えた。
エール団は、スパイクジムリーダーとその関係者を応援するファナティックな集団である。彼らは特徴的なユニフォームに身を包み、顔もペイントで統一させている。
彼らの自主的な『応援』はいつしか集団的な統率を見せるようになり、いつからかこのように、試合前にその試合の応援責任者がネズに挨拶をするのが慣習となっていた、もちろんネズはそれを望んでいるわけではない。
しかし、冷静に見れば妙な光景である。
本日の応援責任者であるミスミの後ろに並ぶエール団の面々は、その個人個人はミスミよりも年齢や社会的立場が上である人間も珍しくない。それに、その中にはこの様な序列的な慣習を普段は嫌っているものもいるかも知れない。
だが、それらを疑うことを放棄させる力が、その奉仕を喜びだと感じさせることの出来る格というものが、スパイクジムとネズにはあるのだろう。
「はい、よろしくおねがいします!」
そして、ネズの横に立っていたラーノノジムリーダー、ノマルもその小さい体躯を折り曲げるように頭を深く下げた。
「いや、なんであんたがこっちにいるんですか」と、ネズは呆れたように呟く。なぜならば、今日はスパイクジムリーダーマリィと、ラーノノタウンジムリーダーノマルとのエキシビションマッチだからだ。
その日、ラーノノタウンの記念日の締めとして行われるのは、地元のジムリーダーであるノマルと、招待された選手とのエキシビションマッチだ。これもまた古くからの慣習であり、先代や先々代のラーノノジムリーダーも例外なくおこなってきた。
地元の企業がスポンサーとなっており、勝者にはラーノノのチョコレートとマスタードが一年分送られることになっている。
地元の英雄であるラーノノジムリーダーの対戦ではあるが、勝率に関しては五分五分といったところ、大切な記念日の終わりがそのようなことになったとしてもあまり不満を持つ住民がいないことが、ラーノノタウンという町のおおらかさや生真面目さを現しているのかもしれない。
マリィは対戦者控室で集中力を高めているだろうに、その相手であるノマルがこうものんきに『スパイク陣営』に足を踏み入れている。ネズはそれがよくわからない。
「いやあ」と、ノマルはニコリと笑う。
「久しぶりにネズくんの顔見ておこうかなと思って」
ネズくん、とまるで弟や親戚の子供のようにノマルが接するものだから、ミスミを除くエール団の面々はざわめいた。
彼らにとってネズはカリスマだ。全ての人間から尊敬の目で見られるべきだし、決して上から押さえつけられるようなことがあってはならない。そうではないからこそ、ネズは『あくタイプのカリスマ』なのだ。
「エール団! 全員退室!」
事が大きくなりそうな予感を感じ、ミスミは一言そう叫んだ。
応援隊長の言うことは応援隊にとってはネズの次に絶対である。エール団達は一言だけそれに返事をしてぞろぞろと退室、観客説の持ち場を目指す。
関係者控室に残ったのは、ネズ、ノマル、ミスミの三人だけとなった。
「ネズさん、どうか気を悪くなさらないでください。リーダーに悪意はありません」
「それはわかってますけど」
「久しぶりだね〜、中々会ってくれないから心配してたんだよ」
ノマルは腰掛けているネズの頭をなでる。ネズが妹以外に頭を撫でられるなどあってはならない。カリスマは大変だ。
だが、ミスミはそれに驚くこともなければ失望することもない、もちろんそれは彼がノマルという人間をよく知っていることもあるだろうが、何より大きいのは、ネズのファナティックな信者の一人である彼もまた、カリスマとなる前のネズを知っていることだ。
「対戦受けてくれてありがとね〜。マリィちゃん人気だから受けてもらえないかと思ってたよ」
ネズの妹であり、ダイマックス戦法を扱う初めてのスパイクジムリーダーであるマリィは、ファナティックな集団を抜きにしても人気のジムリーダーであった。たとえエキシビションであったとしても、小さな町の記念日、それも対戦相手がマイナージムリーダーとなれば、それを受けてもらえないことも十分に考えられた。
「あんたに頼まれて断れってのが酷な話ですよ」
ネズは更に呆れたように言って続ける。
「マリィにとっても悪い機会じゃねえですしね。負けるとは到底思ってませんが、一度はあんたみたいなのと戦っておいたほうがいい」
その言葉に、ミスミは首にかけていたマリィが描かれた応援タオルを広げて言う。
「ネズさん! お任せください! 俺たちのエールが必ずマリィを勝利に導きます!」
「私だって負ける気はありませんよ、この日のために対策はバッチリです」
「もちろんです! 俺とリーダーで練りに練ったマリィ対策見せつけてやりましょう!」
「お前の情緒どうなってやがるんですか?」
コロコロと態度を変えるミスミにネズはため息をつくが、ミスミはむしろ胸を張ってそれに答える。
「応戦しているのはマリィ、信じているのはリーダーです!」
「じゃあマリィは信じていないんですか?」
「いえ! マリィも信じています!」
何のためらいもなくそう言い切るミスミに、ネズはそれ以上疑問を呈するのを辞めた。
☆
ラーノノスタジアム。老朽化が進んでいることを無理やり歴史を感じると言いかえることも出来るであろうそこでは、健闘むなしくノマルが劣勢となっていた。
だが、それは決して意外であるとか、波乱だというわけではないだろう。むしろ、マイナーリーガーとメジャーリーガーだという立場の違いを考えれば、ノマルが割と検討しているとすら言える状況だった。
ネット配信からその対戦を眺める『アームチェアジムリーダー』の面々は、この余興にふさわしくないマリィの立ち回りを不思議に思っていた。
普通、この様な主役のハッキリとしたエキシビションマッチでは、強いほうが多少の手心を加えるのが余裕ある遊び心だというものだ。
だが、この試合においてマリィは未だにそんな様子を見せることはなく、淡々と彼女のペースを崩すこと無くノマルを相手していたのだ。当然、ダイマックス戦法も温存しながら。
「彼を打ち下すことができたなら、無事『卒業』を認めましょう!!!」
最後の一体となったヨルノズクをボールに戻しながら、ノマルは対面の少女に向かって叫んだ。
その少女が、あのネズがあとを継がせるほどの実力と才能に満ち溢れたトレーナーであることを、当然ノマルは知っているし、それを疑ってもいない。
だがそれでも『卒業』という言葉が思わず飛び出してしまったのは、ノマル自身の過去から続くクセであるのだろうか。
「よいしょっ!」
相変わらず重そうに、両手を使って下から巨大化したモンスターボールを投げれば、そこから現れるのはダイマックスしたヨルノズク。
彼はマリィとズルズキンを見下ろしながら、彼女たちに立ちふさがるように羽を広げ、咆哮でスタジアムを軋ませる。
この試合は、まだわからない。
マリィはそう感じ、すでにズルズキンを捨て石にする覚悟を決めていた。
重要なパートナーであるモルペコは、ノマルの徹底した対策と執拗な狙い撃ちによって倒れている。
故に、ノマルのヨルノズクを止める安易な戦略は、今この状況では存在しない。
そして、ノマルは『ダイジェット』でヨルノズクの素早さを引き上げてくるだろう。そうなれば、戦略に長け耐久に強みのあるヨルノズクが更に厄介な存在となる。
残るポケモンの数の有意などひっくり返りかねない。
なぜならば、と、マリィはヨルノズクの攻撃によって戦闘不能となったズルズキンをボールに戻し、それを強く握りしめて思う。
この試合、自分はダイマックスを使わないのだから。
☆
「よく頑張りました」
ラーノノスタジアム、対戦者控室。
必要以上に大きく作られたチョコレートとマスタード一年分贈呈のパネルを抱えて戻ってきたマリィを、ネズはそう言って出迎えた。
だが、その言葉とは不釣り合いに、パネルを抱えるマリィはクールに目線を下げている。たしかに彼女のクールな視線はエール団のみならず一般的なガラル住民をも虜にすることもあるが、彼女がそれを兄であるネズに向ける必要などあるだろうか。
兄を前にしても、彼女は少し不機嫌だった。少しばかりの涙を堪えるほどに。
だが、兄を前にしてもその涙を溢れさせることがなかったのは、彼女のスパイクっ子魂の最後の抵抗であった。
「勝てんかった」
それは、勝者が一年分のチョコレートとマスタードをもらえる大会において、その贈呈券を抱えるものが言う台詞ではない。彼女がその試合の勝者であることは、その中継を見ていた何万という人間が保証するだろう。
だが、兄にはその言葉の意味がわかる。
「片意地張る必要なんてね―ですよ」
彼はマリィの頭を一つなでてから続ける。
「俺があの人と戦った時はジムチャレンジ、エキシビションとは勝手が違う」
その言葉にも、マリィは未だに笑顔を見せない。
彼女は、勝ちたかった。
かつて、子供心ながらに強烈に残っている記憶のように。兄のように、ノマルを相手に『ノンダイマックス戦法』で勝利したかったのだ。
だが、ノマルとヨルノズクの突破力に対し、マリィは最後の最後で、自らのパートナーの一人であるオーロンゲをダイマックスさせた。
彼女はそれが悔しくてたまらない。
ネズの言うことがまっとうであることはわかっている。兄がノマル相手に勝利したのはジムチャレンジ中の手加減されたパーティ相手であり、今日の結果と一概に比べることの出来ることではない。
だが、自らの記憶と、決意と、思想というのは理ではないのだ。
押し黙るマリィに、ネズが問う。
「どうしてダイマックスしたんですか?」
それは、ネズの知るマリィという人間からすれば不思議なことであった。
彼の知る限り、妹は強く、心の強い女だった。冷静で、決意は固い。
そんな彼女が『ノンダイマックス戦法でノマルに勝利する』という決意を諦めた理由を確認したかった。それが、自らの想像と合致しているのならば、それはむしろ喜ばしいことだった。
マリィは、やはりその質問から少しばかりの沈黙を作ってから答える。
「あたしだけの戦いじゃないから……意地張って負けたら、町の皆に申し訳がたたんと」
そうだ。
彼女はスパイクジムリーダーとして戦った。彼女には背負うものがあるし、彼女を信じ背負われているものもいる。
ノマルという恐怖を目の前にしながらも、彼女は最後の最後までそれを忘れはしなかった。
「それでいいんですよ」
ネズはマリィに微笑むを向けて続ける。
「それを忘れなければ良い、我々が戦う理由を忘れさえしなければね。なに、リベンジの機会はいくらでもあります。それに、もう怖くはないでしょう?」
妹をからかうようなその口調に、マリィは緊張を解いて「もう!」と頬を膨らませた。
☆
「本日は対戦ありがとうございました!」
ラーノノスタジアム対戦者控室。
やはり当然のような顔をしてマリィの控室に飛び込んできたノマルは、ニコニコと笑いながら彼女とその兄であるネズに頭を下げた。
「本日もエールを送らせていただきありがとうございました! 試合終盤のダイマックスからの攻防、お見事でした!」
同じく入ってきたミスミは、ノマルよりも鋭角に頭を下げ、その後頭を振り上げてからノマルに言う。
「リーダーもお疲れさまでした。ヨルノズクのダイマックスまで作戦通りでしたが、力負けしてしまいましたね。勝てた試合でした、リサーチ不足で申し訳ない」
「だからお前の情緒どうなってやがるんですか?」
とんでもないスパイもいたものだ。
ネズの呆れに動揺することもなく、ミスミはマリィの方を向いて続ける。
「それでは、エール団にねぎらいの言葉をお願いします」
「ん、わかった」
マリィはそのある意味図々しいような願いに素直に頷き、ミスミと共に控室を後にする。圧倒的な手際でスタジアムの清掃を行っているエール団の今日一日は、彼女からのねぎらいで報われるだろう。
「お兄ちゃんも大変だね」
ノマルとネズのみとなった室内。
ジムリーダーと元ジムリーダーという立場であるお互いは、しばらくはジムの機構がどうだとか、新しい委員長が提案したシステムがどうだとかいう話をしていたが、ふと備え付けのモニターに映ったマリィのハイライトシーンを眺めるネズに、ノマルがふいに言った。
ネズはそれに沈黙を返し、肯定も否定もしなかった。
「大丈夫? 疲れてない? ネズくんはがんばりやさんだから心配だな」
ネズはそれに不快感のない親しみのある舌打ちを返した。
子供あやすような物言いだったが、二人だけの空間、それを否定できない。何より、ノマルはネズ少年を知っている。
だが、それはネズも同じであった。
「その言葉、そっくりそのままあんたに返しますよ」
その言葉に舌打ちを返すという発想は、ノマルにはなかった。
『今年もこの日を皆さんと終えることが出来てよかったです! 対戦相手のマリィちゃんと応援に来ていたネズくんと一枚写真を取りました! また機会があったら対戦よろしくね!』