4.
「神の子よ」
ハッキリと、クワノはそう言った。
グリーンは、それに身構える。当然、それが素直な命乞いのハズがない。こちらのスキを突いて何かを仕掛けてくる可能性に、彼は備える。
だが、その予想は、背後からの声で否定された。
「クワノ」
少女の声だった。高く、それでいて空気の中を鋭く響き渡るような、そんな声だ。
グリーンはバネ細工のようにそれに反応した。体を捻り背後を確認する。グリーンを守るようにポジションを取っていたカイリキーもそれに慌てふためく。
グリーンが見たのは、白いワンピースに身を包んだ少女だった。色素の薄い肌と、金色の髪を持ち、この戦場にふさわしくない細い体。
その背後には、フードで目元を隠した少年がその少女を守るように立っている。その肩には一匹のペラップが止まり、グリーンと目を合わせて狂ったように一つ、けたたましく鳴いた。
グリーンは、跳ねるよにしてすぐさまに彼らと距離をとった。どう考えても味方ではない、少女らとクワノ、その二人から距離を取るように、最上階の出入り口、階段の側へとポジションを取る。
彼らは、それを妨害しなかった。
「ひどい有様ね」
少女が、歩いてクワノの側に近づく。
その時グリーンは、少女の後を行く少年の胸に、彼の体格には似合わぬ分厚く薄汚れた本が抱えられていることに気づいた。
すぐさまグリーンは、それが『アンノーン手稿』なのではないかと予測する。否、もうそれ以外に考えられない。
冷静に努めようと努力していたが、グリーンはその状況に混乱している。
そもそもその少女たちが不意に現れたことがまずおかしい、クワノとの戦いの中、グリーンは常にこの下位へと続く階段に注意を向けていた、マツバが援軍に来るにしろ、司祭達が襲いかかってくるにしろ、何か変化が起こるときには、必ずそこに何らかの動きがあるはずだから。
だが、そこにはなんの動きはなかったのだ。じゃあ、その少女たちは、一体どこから来たというのか。
この混乱を突かれるとまずい、グリーンは優れたトレーナーとしてそう考えていた。だから、混乱する脳内を冷静になるように努めながら、カイリキーと共に戦闘態勢を崩さない。
だが、冷静になればなるほど、この状況が最悪であるという事実が、グリーンを余計に焦らせる。
三対一、クワノがすでに無力だと楽観的な予測をしても二対一。
そして『教皇』クワノ一世のあの態度から想像できることは、あの少女の立場が少なくとも『司祭』よりかは上だということ。それを守護する少年もペラップを連れていることからトレーナーだろう。
最悪だ、勝てる希望が、限りなく少ない。
グリーンの焦りをよそに、クワノは目を見開いて少女を見つめがら言う。
「『神の子』よ、私の力不足を、どうかお許しください」
クワノはその少女に許しを請うていた。膝を床についても、まだ同じような目線を持つかもしれぬ華奢な少女を前に、その狂った男が。
「仕方のないこと、この地には神に仇なす者がいた。それに」
少女はグリーンと目を合わせる。
「さすがのお前でも、あの少年に勝つには『聖騎士』の力が必要でしょうね」
ふふふ、と、『神の子』と呼ばれた少女は笑う。
「クワノ、あなたはよくやった。しばらく身を潜め、『騎士団長』と『枢機卿』との合流を待ちなさい。それが、我が父の意思」
仰せのままに。と、クワノは頭を下げながらそう返す。『教皇』クワノ一世が、そのように素直な返事をできることに、グリーンは驚いた。
再び、ペラップが不気味に鳴いた。
そして、少女はグリーンに笑いかける。
「はじめまして、私は『神の子』。我が父、神の知性より生まれた、本来ならばこの世界に存在しないはずの存在」
『教皇』クワノ一世と同じだった。何を言っているのかまるで理解することが出来ない。
少女は続ける。
「素晴らしい戦いでした。クワノとその下僕であるアルセウス相手に見事な立ち回り。神を思うように繊細で、神を神とも思わない大それた戦略。流石はこの世界で最高のトレーナーの一人といったところかしら」
さらに続ける。
「グリーン、私と共に新たな世界に向かいましょう。私の父も、あなたを歓迎するでしょう」
その言葉は、グリーンにってありがたいものだった。
勿論、今更彼女らの仲間になるつもりなど毛頭ない。だが、グリーンの中で整理しきれていない神の問題から、矛先がそれることがありがたい。
それに対する答えは、ハッキリとしている。
「まさか、それに同調するとでも?」
「そうね、少なくとも今のままではしないでしょう。だけど、私達の提案を聞いても、そう思えるかしら」
どうせ都合よく聞こえのいいことを言うだけだ。と、心構えるグリーンに、少女が続ける。
「私達なら、『レッドのいない世界』を作ることができる。それも完璧な、誰もレッドを知らず、誰もそれを疑わない。誰も、貴方の邪魔をしない世界を、私達は作ることができる。この世界に存在しないはずの私を生み出したその逆、この世界に存在するはずの存在を失わせることなど、我が父にはたやすい。今のように、ただいなくなるだけではなくね」
その言葉に、グリーンは反射的に言葉にならぬ声を上げた。それはあまりにもわかりやすい動揺だった。
二つの脅威が、今、一つの線になりつつある。
「お前ら、レッドに何をしたんだ」
怒りに声を震わせながら問う。
だが、少女はそれを無視して続けた。
「『レッドのいない世界』彼のいない人生。まさか一度も考えなかったわけではないでしょう? レッドの存在によって最も損をした人間の一人である貴方が」
グリーンは、当然、それを否定しょうとした、当然。
だがその時、舞台に突っ伏していたホウオウが、鳴き声を上げながら体を起き上がらせる。ボロボロにながらも、その咆哮には、まだ神としての威厳が残っているように聞こえた。
怒りに血走るその目の先には、『教皇』と『神の子』があった。
「やめろ!」
思わず、グリーンはホウオウに向かってそう叫んだ。どう考えてもまともに戦える状態になく、そして、おそらく勝てる相手ではない。
だが、神が人間に従うはずもなく、ホウオウは『神の子』に敵意を向けた。
「うざったい鳥ね」
まるでゴミ捨て場にたむろする小さなヤミカラスに向かって言うように気だるげに、まるで危機感なくそう呟いた『神の子』は、ホウオウから目線を切りながら、左の手のひらだけをその方向に向ける。
次の瞬間、体を起き上がらせていたホウオウが、まるで跪くように、再び舞台に突っ伏した。
決して神の子を敬ったわけではないだろう。予想外のことに驚いているような表情が、それを物語っている。
「『じゅうりょく』か?」
グリーンはホウオウのその様子を見て、そう呟いた。軋む舞台に、もがきつつも全く動くことの出来ないホウオウ、その様子は、対戦な中で強力な『じゅうりょく』を使われたポケモンの様子そのままだ。
グリーンはあくまで少女たちから注意を切らないように気をつけながらも、ぐるりとあたりを見渡した。どこかに『じゅうりょく』を放ったポケモンがいるはずだ。神の子を守るフードの少年のペラップでは、その技を打つことは出来ない。
だが、どこにもそれらしき存在はない。
そして、フードの少年の肩に乗っていたペラップが、不快な、けたたましい鳴き声を上げながら飛び上がり、上空から、ホウオウを見下ろす体勢をとった。
まずい、と、瞬間的にグリーンは推測した。すぐにサンダースを繰り出して『かみなり』を放てば間に合うだろうか。
だが、それは出来ない、少女とクワノが明らかに自分の手元に注視している。動けない。
「耳をふさげ!」
それだけ叫んで、グリーンは両手で耳をふさいだ。カイリキーも同じように二本の腕で耳をふさぐ。
ペラップの小さな体からはとても考えられないほどのエネルギー『ばくおんぱ』が放たれた。それは無防備に、それを確認することすらかなわないホウオウに直撃し、エネルギーがその体を貫き、舞台の足場を固める柱を何本もへし折る。あまりにも頑丈に作られたスズのとうが、この状況ではホウオウに不利に働いている。どうせなら舞台が崩れて下に落ちたほうが、まだマシだったかもしれない。
グリーンの脳内を、甲高い高周波が支配する。頭が弾けそうになる幻聴をようやくこらえ、グリーンとカイリキーが耳から手を離した時、ホウオウは、もはや動かなくなっていた。
守れなかった。託されたものを。
その光景に言葉を失うグリーンの視界に、モンスターボールが転がった。
彼がその意図に気づくより一瞬先に、そのボールからレジロックがくり出される。巨大な岩のポケモンが、太陽からグリーンを隠した。
「やぁ、やぁ、やぁ」『教皇』クワノ一世の笑い声が、まだ続いている耳鳴りの向こうからかすかに聞こえた。
「『だいばくはつ』」
レジロックとグリーンの間に、カイリキーが飛び込んでくる。だが、それが精一杯。何かをすると言う段階には入れない。
グリーンは、せめて体を丸めようと動こうとする。
巨大な岩が、光り輝きながら『だいばくはつ』する。とてつもない爆風は、舞台に倒れる鳳凰の羽根を揺らし、いたずらに七色の光を作り出す。
「我が父の教えを忘れたの?」
爆風にはためく白のワンピースを押さえながら、『神の子』である少女は、『教皇』クワノ一世に言った。
だが、クワノは悪びれもなく「やぁ、やぁ、やぁ」と口にし、続ける。
「あの聡明な少年が、あの程度の攻撃で命絶えることはないでしょう」
含みのある言葉だった。死にはしなくとも、少なくとも無事ではないだろうという推測を込めている。
砂煙の向こう側から、少女は目を背けようとした。だが、すぐさまそれに釘付けとなる。
その向こう側には、カイリキーとグリーンが立っている。そして、スズのとうの床も無事。
その前に陣取るのは、黄色く小さく可愛らしい、ピカチュウだった。だが、その目は、指すような敵意を少女たちに向けている。
「なるほど」と、少女は小さく笑いながら言った。
「『教皇』の言う通り、我が父は、彼が死ぬことを望んでいない」
「さよう、それが神の意志」と、クワノは目を輝かせながら答える。目的を達せられなかったことすら、彼には神々しく映るようだった。
それは、ギリギリのタイミングだった。
突如として最上階に現れたピカチュウは、状況を一瞬で判断し、グリーンとカイリキーの前に飛び出して『リフレクター』を張った。レジロックの『だいばくはつ』の威力を最小にまで押さえたそれは、カイリキーとグリーンを『まもる』。
「グリーン!」と、同じくスズのとうを駆け上がったマツバがグリーンのもとに駆け寄った。
「すまない、遅くなった」
大したものだ、とグリーンは他人事のように思う。それなりに強そうなトレーナーを三人も相手にしていたというのに。
「助かった」
グリーンは、ピカチュウとマツバの交互に視線をやりながらそう答える。『だいばくはつ』の危機は当然として、不利な状況も、彼らの登場で多少はましになりそうだった。
マツバは、グリーンの無事を確認すると。今度は舞台の上に横たわるホウオウを視界に入れ、声を無くす。
人生を通してまで信仰する神のその姿を見て彼がどう思ったか、グリーンには想像することも出来ない。
「すまない」とだけ、グリーンは言った。
マツバは、その謝罪に反応しなかった。
「あいつら」
普段の彼からは想像もできないほどに怒りを込めた声を出したマツバは、すぐにクワノ達に目を向けて、ゲンガーを繰り出す。
ピカチュウも、それに合わせて電撃をほとばしらせながら、小さくファイティングポーズを構えた。
少女達は、それになんの動揺も見せない。
それどころか、少女は酷くつまらなさそうにあくびをして、涙を片手で拭いながら言う。
「飽きちゃった」
もう片手は、ゲンガーに向けられている。
「『シャドーボール』」
その言葉とともに少女の手のひらから発せられた『シャドーボール』は、そのままゲンガーに直撃する。
それを防ぐ指示の遅れたマツバは驚く、当然だ、彼はまだ、その少女が見えない場所から技を繰り出してくる技術を持っていることは知らない。
今度は上空からけたたましい鳴き声が聞こえ、グリーン達はその方を見た。
そこでは、フードの少年の手持ちであるペラップが、大きく息を吸い込んでいる。
「『まもる』!」
グリーンの指示に、カイリキーは防御の姿勢をとった。
次の瞬間、内臓が共鳴して口から飛び出してしまいそうになるほどに不快な不協和音を纏った『おしゃべり』が、上空から振り下ろされる。
カイリキーはなんとかそれから身を守ろうとし、ゲンガーはその攻撃に倒れる。
だが、全く別の動きをしているポケモンが二匹。
ピカチュウとサンダースが、姿勢を低くして『おしゃべり』の攻撃範囲からうまく逃れながら、少女たちに向かって突っ込む。
グリーンはこれが狙いであった。相手に翻弄されているように見せかけ、その一枚上を行く。
殿堂入りトレーナーの相棒である電気ポケモン二匹の『ほうでん』を食らってしまえば、『教皇』だろうが『神の子』だろうが関係なく無事ではすまないだろう。そうやって捕らえる。それが目的。
二匹のでんきポケモンが少女達に向かって『ほうでん』しようとしたその時、今度は少女が両手を広げる。
「『ワイドガード』」
それと同時に、ピカチュウとサンダースの周りに半透明の防御壁があらわれその二匹を取り囲む。
二匹は最大の力を使って『ほうでん』したが、全体を攻撃するその技はすべて『ワイドガード』に吸収された。
「馬鹿な」
グリーンはもう一度ぐるりと回りを見渡して少女のポケモンを確認しようとする。だが、やはりそれを捉えられない。
そして、上空のペラップの鳴き声と不快な輪唱を作るように、もう一つの鳴き声が重なる。
ピカチュウとサンダースの前にくり出された二匹目のペラップが、小さな翼を振りかぶり『ねっぷう』で二匹に攻撃する。
小さなペラップの攻撃であったが、その威力は絶大だった。同じく小さな二匹のでんきポケモンは、それに吹き飛ばされてラインを下げる。
「帰りましょう」と少女が片手を振りながら続ける。
「『はめつのねがい』」
少女の手の振りに合わせるように、空にいくつもの岩のような物体が現れる。太陽の光を受けて鈍く光っていることから、もしかしたら鉱物が混じっているのかもしれない。
「待て!」と、グリーンは少女に叫ぶ。
だが、少女はグリーンに笑顔を見せながら「また会いましょう」と言うだけ。
「やぁ、やぁ、やぁ」と、クワノが笑う。
「追うのだ、我らを導く、ことわりの会話を」
次の瞬間、少女も、フードの少年も、クワノも、その場から消えていた。二匹のペラップも同様に。まるでそれを生業にしているバリヤードの『テレポート』のように。
「追おう」と、マツバはもう一匹のゲンガーを繰り出しながら言った。
全く不可能なことではない、マツバの透視的な超能力とゲンガーの能力を使えば、あるいはできるかもしれない。
だが、グリーンは首を振った。
「駄目だ、時間がない」
その目線の先には、宙に浮かぶいくつもの岩がある。
「この技は『はめつのねがい』です、『みらいよち』のように時間差で隕石を降り注がせる大技」
グリーンも、それを実戦で見るのは初めてだった。だが、知識としてはそれを持っている。
星を呼び、いくつもの隕石を降り注がせる大技、千年に一度だけ目覚めると語り継がれる伝説のポケモン、ジラーチのみが使えるはずのその技を、少女がどうやって使ったのかはわからない。
マツバは、それの意味するところを理解する。
このままでは、このスズのとうが、隕石によって破壊される。
マツバの信仰心を逆手に取った少女の策は、あまりにも的確だった。
「助けを呼ぶか?」
至極まっとうなマツバの提案に、グリーンは再び首を振る。
「人を巻き込むかもしれません、それに」
再び隕石を見ながら続ける。
「おそらく、間に合いません」
もし『はめつのねがい』が『みらいよち』と同じような時差で攻撃を開始するのであれば、その攻撃が始まるまで、後数分あるかどうか。
助けを呼び、それを待っているようでは間に合わない、それどころか、助けに来た人々を巻き込む可能性もある。
もはや、スズのとうを守るために残された手段は一つしか無かった。そして、二人ともそれを理解する。
それに、マツバは一つ息を吐いてから答える。
「できるか、俺達だけで」
グリーンは、サンダースとカイリキーを交互に見やり、最後にピカチュウと目を合わせながらその覚悟を決めた。
ピカチュウは小さく鳴き声を上げ、ファイティングポーズを作る。
「やるしかないでしょう」
ピジョットを繰り出しながら、グリーンはマツバに言った。
「そうか」と、マツバも残りのゴーストポケモンたちを繰り出しながら答える。
二人だけで、これらの隕石をなんとか食い止める。
それは、今彼らの目から見える隕石の数を考えれば、とても可能であるようには思えない。
だが、エンジュのシンボルであり、ホウオウ信仰の象徴であるスズのとうを少しでもこの世に残しておくためには、そうするしか無かった。
二人共、その場から逃げるという選択肢は存在しなかった。マツバはホウオウとそれに関係する文化物への信仰心から、そしてグリーンは、託されたものを守ることが出来なかった贖罪の気持ちから。
当然、それが終わった時、二人共が必ず無事であるという確証はない。だが、彼らは逃げることが出来ない。
ゆっくりと、隕石が動き始めたような気がした。二人のトレーナーとその相棒たちは、それらを迎撃するために力を込める。
その時だった。
突然、舞台の一部が激しく燃え上がった。それは、先程までホウオウが横たわっていた場所。
その光景に、二人は時間がないと知りつつも身構えた。彼らの頭の中にあるのは、先程の少女達。
だが、それは勘違いであることを、彼らはすぐに知る。
激しく燃え上がる炎の中から現れたのは、先程までそこに這いつくばっていたはずのホウオウだった。彼が翼を振るうと、それまで燃え盛っていたはずの炎が何事もなかったかのように消滅する。
二人は、その光景に釘付けになった。
「『さいせいりょく』か?」と、グリーンが誰にでもなく呟いた。時間を置くことで体力が自然回復する特性『さいせいりょく』が、グリーンの脳裏に浮かんでいた。
「いや」と、マツバはそれを否定してから続ける。
「『せいなるはい』だ」
グリーンはその言葉の意味するところが分からなかった。しかし、それは仕方のないこと。
『せいなるはい』それはマツバを始めホウオウを深く信仰している人間だけが知る伝説。ホウオウだけが持ち得る、灰という、万物の最後の姿でありながら、すべてを復活させる神聖な灰。ホウオウ神話を語る中で幾度か登場し、あるものはそれを手に入れ幸福を、またあるものはそれを求めて破滅する、人間には扱い切れることの出来ないとてつもない力を持った聖なるもの。
一度瀕死になったホウオウが、その力によって復活することに、マツバは精神的な動揺を持ってはいなかった。それもまた、ホウオウ伝説の一部であり、真実だった。
ホウオウは、力一杯の咆哮を太陽に向けて放った。広げられた翼が太陽の光をイタズラに反射し、七色の輝きをつくる。
それに見とれている場合ではないことを、二人も、ポケモンたちも理解はしている。だが、ホウオウが作り出す神々しい雰囲気に、手が動かない。
ホウオウは、上空に浮かぶ隕石を一目見やると、すぐさま舞台から飛び立ち、口から炎を吐き出した。
その『せいなるほのお』は、スズのとうを狙う隕石すべてを襲い、空は一瞬日が落ちてしまったのかと錯覚してしまうほどに真っ赤に焼けた。
だが、不思議と二人はその熱を感じない、そう言えば、先程燃え上がった舞台にも焦げ一つない。
「『せいなるほのお』」と、それを眺めながらマツバが呟く。
「悪しき物を焼き払い、正しきものに幸福をもたらす神聖なる火」
その伝説を目の当たりにしていることに、彼は感激している。
その炎は、しばらくエンジュの空を明るく染め上げていた。
「準備しろ」
グリーンはピカチュウと相棒たちにそう言った。それぞれのポケモンは鳴き声で返事し、隕石に備えようとする。
しかし「いや、待て」マツバはそれを制す。
「間に合わなくなるかもしれない」
グリーンは少し声を強めてそう答える。ホウオウの目的がわからない、否、本当にホウオウにそれを成せるだけの実力があるのかどうかを、グリーンはまだ信じきれていない。それが、彼とマツバの大きな差。
「せめて、『せいなるほのお』がさめるまで」と、マツバはその光景に釘付けになり続けながら言った。
グリーンは、沈黙をもって、多少の不満を持ちながらもそれを承諾する。
だが、彼はサンダースらと目配せをして、もしものときにはすぐに動けるように意思を揃えた。
やがて、空を覆う『せいなるほのお』が消える。
そこにはもう、一欠片の隕石も残ってはいなかった。
「おお」と、マツバはその奇跡に感嘆の声を上げる。
グリーンは、ぐるりと回りを見渡して、本当に隕石が一つも残っていないことを確認してから、ピカチュウ以外のポケモンたちをボールへ戻す。
助かった、そして、助けることが出来た。と、胸をなでおろす。
ホウオウは、グリーンとマツバの前に降り立ち、グリーンに向かって小さく鳴き声を上げる。
それに気がついたグリーンが一歩前に踏み出すと、ホウオウは自らの首をグリーンに差し出し、頬と頬をすり合わせるように動かす。
熱く、それでいてなめらかな毛並みを感じた。
そして、ホウオウは舞台から飛び立つ。
彼はスズのとうをぐるりと回ってから、スズのとうから離れる。
抜けるような青空の向こう側に、ホウオウの姿が点より小さく消えていったのは、それからしばらくしてからのことだった。
「なんと礼を言っていいのかわからない」
共に『すずねこのみち』を歩きながら、マツバはグリーンに向かって言った。
「君はホウオウとスズのとうを守った。エンジュシティの人間は、君に救われたんだ」
状況だけを考えれば、それは紛れもない真実だった。エンジュシティの人間、特にホウオウ信仰に深い関係を持つものは、グリーンを英雄として称えるだろう。
「違いますよ」と、グリーンは答える。
「俺は、ホウオウを守れなかった。マツバさんも見たでしょう? ホウオウは一度瀕死に、いや、もしかしたら命を落としていたかもしれない、そこから復活したのは、ホウオウの力に過ぎません。スズのとうだって、そのすべてが無事だというわけではない」
重量級ポケモンであるアルセウスとの戦い、そして、ペラップの強力な『ばくおんぱ』によって、スズのとうの一部は崩壊してる。そのすべてはグリーンの責任ではない、だが、そのすべてを守ることが出来なかったことは、グリーンの中では事実。
だがマツバは、真剣な表情をして答える。
「スズのとうはまた修復すればいい。俺が言っているのはつまり、ホウオウに対する信仰とその歴史が、君によって守られたということなんだ。形がなく、それでいて脆いものを、君は守ってくれた」
更に続ける。
「今後、我々はもっと実践的な訓練を中心に鍛錬を組む必要があるだろう、自分たちの信じるものすら、自分たちでは守れないようではな」
それに対して、グリーンは頷いた。すべての信仰が武力を持つべきだと考えているわけでではないが、『教皇』クワノ一世のような考え方を持った存在が現れた以上、それは必要なことだろう。
「いつでも力を貸しますよ、敵役でもね」
グリーンの言葉に、マツバは少し笑顔を見せる。
だが、すぐに表情を戻してから続ける。
「あの少女は、一体何者なんだ?」
マツバは『教皇』クワノ一世については多少情報を持っていた。
だが、あの少女の存在は全く知らなかった。
グリーンは、少し沈黙してから「わかりません」と答える。
「俺も、あいつは始めて見ました。ですが、どうやら『神の子』としてクワノより上の立場であることは間違い無さそうです」
その少女が見せた、超常的な力。クワノがそれまでの自分を捨ててまで『神』を信仰する理由は、それなのだろうか。
グリーンは、振り返って自らの後ろを歩くピカチュウを見た。ピカチュウはグリーンの視線に首を傾げ、耳を動かす。
いつ見ても、素晴らしいポケモンだ。
そして、それを思うたびに、もしかすれば、自分が彼のパートナーであったかもしれない世界線が、どうしても浮かび上がってくる。
孫に甘い老人は、イーブイと、草むらで捕らえたピカチュウを、孫が望めば簡単に手渡しただろう。
『レッドのいない世界を作る』
少女が言った言葉が、頭の中を反響している。
そのようなこと、考えて良いはずがない。
だが、その言葉はいつまでもグリーンの頭の片隅に居座っていた。