2
「『ほうでん』!」
グリーンのサンダースが電撃を放ち、それはグリーン達を囲んでいた汚れた服を着た集団が操るポケモンを蹴散らす。
殿堂入りトレーナーのグリーンほどではないが、その集団達は、それぞれ無視できない実力を持っていた。『教皇』クワノ一世がこの襲撃に力を注いでいる証拠だろう。
エンジュシティは、もはや巨大な対戦場と化していると言っても良かった。グリーンとマツバが想像していたよりもずっと多く信者達が、恐れを知らぬ目を輝かせながら破壊に勤しんでいる。
歴史ある街を守るために対策をされていたのだろう、警察隊とポケモンレンジャーがすでに到着し信者達を相手に戦っていた。彼らは食い下がってはいたが、信者達との戦力は拮抗していると言っていい。
だが、マツバとグリーンがその中に飛び込んだことで、戦局は大きく変わろうとしていた。
「『シャドーボール』!」
マツバのゲンガーが、その施設の前に陣取っていたトレーナーのポケモンを吹き飛ばした。それが最も頼れる手持ちだったのだろう、そのトレーナーは親の仇を見るような目でマツバとグリーンを睨みつけ、それでもジリジリと下がってその施設から離れる。
「よし」と、マツバは一つ言ってその施設に飛び込み、グリーンもそれに続いた。
「無事か!」
マツバの呼びかけに、ジョーイを始めポケモンセンターの職員たちはそれぞれ怯えた声あげながらも「はい」とそれぞれ答えた。
その反応に、マツバ達エンジュジムの関係者も、グリーンも胸をなでおろした。それは、職員たちの身の安全に対するだけのものではない、信者達からポケモンセンターを奪う事ができたことは、戦局的にも大きな意味を持つ。
かつて、ヤマブキシティ全体を占拠したテロがあった。首謀者はロケット団、そのどす黒い野望が、最も世界の掌握に近づいた事件として、世界的に有名である。
ヤマブキシティに本拠地を置くシルフカンパニーの技術を狙ったその事件は、電撃的なスピードで街ごと占拠するという大胆なスケールの大きさと、警察局とポケモンレンジャー協会という二つの戦力団体を内部から操ることによって正義の強行をわずかに遅らせるという緻密さを持ったものだった。事実、小さな癒着を手広く行うロケット団の手法に寄って、この二つの団体は明らかに初期対応を遅らせていたのである。
その計画に、穴はわずかにしか存在しなかった。だが、その穴に二人の少年が潜り込み、その事件は失敗に終わる。レッドとグリーンである。
今でも見方によっては完璧に見えるその計画が失敗に終わった要因の一つ、それは、ロケット団がヤマブキシティのポケモンセンターを占拠してはいなかったということ。事実、ロケット団の構成員と激しく戦ったレッドは、ポケモンセンターでポケモンを回復させた後にシルフカンパニーに向かっていた。回復が容易であるというポケモンの利点の一つを、ロケット団は見逃していたのだ。
それ以来、町を対象にしたテロに対する重要な防衛策の一つに、ポケモンセンターの奪還が挙げられることになった。味方を回復し敵をジリ貧に追い込むことのできるその施設は、正義側にとっても悪側にとっても重要なものだった。
「ひとまずは、これでなんとかなるだろう」
マツバはジョーイにモンスターボールを預けながら安心したようにそう呟いた。信者達がこの施設を利用できず、警察局とレンジャーには開放する、自然と物量でこちら側が有利になるはずだ。
エンジュジムトレーナー達と共にセンター外を警戒していたグリーンも、マツバの後にポケモンたちを回復させた。対してダメージを追負っているわけではなかったが、そこで回復をしない理由など存在しない。
マツバとグリーンがなにか意見を交換しようと目を合わせたその時だった。
「マツバさん!」
開けっ放しの扉から、一人の少女が飛び込んできた。赤の目立つ振袖に、かんざしで止められた髪、彼女がエンジュシティの信仰と文化を象徴するものの一つである舞妓であることは説明するまでもなく明らかだ。
だが、彼女を舞妓と表現するには多少の違和感もあった。振袖は着崩れ、足元には泥がついている。かんざしはなんとか髪の毛に刺さっていると言っていいような状況で、髪の毛はバサバサと乱れている。何より、額に汗をかき、口を開けて肩で息をしているところなど、彼女らが人に見せていいものではなかった。
「コモモか」
マツバは少女の名前を呼んだ。同じ信仰を持つものとして、マツバとエンジュの舞妓らは親交を持っている。
コモモと呼ばれたその舞妓は、息を切らせながら続ける。
「あの男が、スズのとうに」
その報告にマツバは目の色を変えた。当然、それを想像していなかったわけではない、むしろ、ポケモンセンターを落とした後には、エンジュで最も神聖なその場所に向かおうともしていた。
だが、実際にそれを情報として知らされれば、心が動くのも当然。
「行きましょう」
冷静に、グリーンがそう言って一歩マツバの先を行った。そして、なんとか冷静を保とうとするマツバもそれに続く。
だが、マツバは顔を伏せるコモモの前で一旦足を止める。
どうしたんですか、とグリーンがそれを問おうとしたが、それよりも先に、マツバは口を開く。
「何があった?」
マツバは、コモモの利き手にモンスターボールが握られていることに気づいていた。
握られたモンスターボール、そして、ポケモンセンターに飛び込んできたこと、彼女が手持ちを戦闘不能にしているのは明らか、そしてそれは、誰かと戦い、そして破れたということ。何かを、守れなかったということ。
コモモは、マツバに顔を見せないようにうつむき、声を震わせながら答える。
「踊り場を」
そう言って一つしゃくり上げるように息を吸ってから、続ける。
「あいつら、踊り場を」
震える声だった、怒りと、悲しみと、悔しさが、およそネガティブな感情のすべてがこもっているような、そんな声だった。
それは、彼女らの本拠地であるエンジュの踊り場が、信者達によって破壊されたのだろうという想像を容易にできる声だった。
マツバは、それに声を無くした。
彼は、エンジュの舞妓というものがホウオウ信仰の中でどれほど重要な役割であるかを最も理解している人間の一人だった。スズのとう、そして焼けた塔を中心としたホウオウ信仰の中で、ホウオウを歓迎し、それを呼び出す伝説を形として受け継いでいるのがエンジュ舞妓だ。
踊りが踊れるだけでは駄目、ポケモンを従えるだけでは駄目、美しいだけでは駄目、ホウオウを心の底から信じているだけでも駄目、誰でもがそれになれるわけではない、選抜と、過酷な努力の末にあるのが彼女たちなのだ。
「行こう」
マツバはコモモから目線を切ってグリーンに言った。その直後に、コモモが崩れ落ちたような気もしたが、彼はもはやそれに気を止めなかった。
連れてきたジムトレーナーたちにポケモンセンターを防衛を命じると、マツバは早足でポケモンセンターを後にし、グリーンもそれに続く。
あっていいはずがない。許されていいはずがない。
神を否定することと、年端も行かぬ少女を絶望の中に叩き込むこと、それらが線でつながっていいはずがない。神を信じないことが、そんなに特権あることなのか。
「あの野郎」
どちらかがそう呟いた。
☆
マツバは、その光景を見て再び言葉を無くした。
スズのとうにつながる『スズねのこみち』その入口を守護するその僧侶は、マツバが知る限り、自分自身を除いてこのエンジュで右に出る者のいない実力者のはずだった。
マツバは彼の強さを信頼していた。クワノがどれだけ実力あるトレーナーだとしても、スズのとうを守る守護者もまた実力者であり、その戦力は拮抗しているものだと思っていた。
だが、その僧侶は、衣服を泥に塗れさせながら、地面に突っ伏していた。
グリーンは、それをなんとも言えぬ感情で眺めている。
彼は、マツバほど楽観的な考えをしていなかった。グリーンはクワノの実力を知っていたし、その狂気的な破壊衝動も経験している。並のトレーナーが敵う相手では無いだろうと、彼は半ば予想していた。だが、それを伝えることが出来なかった、どうしてそれを伝えることができようか。
そこに乞食のような巨人はいなかった。まさかここまで来て引き返したとも考えられない。『教皇』クワノ一世がスズねのこみちを抜けたのは明らかだ。
だが、二人も同じようにそれを追うことは出来ない。なぜならば、その道を塞ぐように、薄汚れた服を着た三人の男が立ちふさがっていた。
男たちのうち一人、丸メガネをかけた痩せ型の中年が一歩前に出てグリーンたちに語る。
「我らは『司祭』、『教皇』クワノ一世の教えを理解し、人々へ伝える者」
マツバはそれ以上聞くことなく『シャドーボール』と叫ぶ。
それと同時に繰り出されたゲンガーが、目にも留まらぬ速さで『シャドーボール』を司祭に向かって放つ。
だが、それは司祭をかばうように現れたポケモン、キリンリキによって防がれる。キリンリキの下半身に存在するしっぽのようなもう一つの顔が、『シャドーボール』を飲み込んだのだ。
「愚かな」と、司祭はマツバを鼻で笑って続ける。
「今日は記念すべき日、我らが『教皇』クワノ一世が、ホウオウを神の座から引きずり下ろす正しき日。偽りの神を崇める愚か者に、その邪魔はさせん」
これはまずいなと、グリーンは少し表情を歪める。
マツバに対してキリンリキ、この対面は明らかにマツバがゴーストタイプのエキスパートであることを意識した選出だ。ノーマルタイプとエスパータイプを複合するキリンリキにはゴーストタイプの攻撃が効かず、キリンリキのエスパー攻撃は毒タイプでもあるゲンガーには効果が抜群だ。
勿論、マツバほどのトレーナーがただ相性が悪いからと言って無様に敗北することはない、器用なゲンガーを巧みに操りそれに対応するだろう。
だが、おそらくこの三人の『司祭』は、皆同じようにマツバに対して対策のある者達だろう。そうなれば、少なくとも瞬殺という訳にはいかない。
グリーンは、相棒であるサンダースの入ったボールに手を伸ばした。ここは自分が司祭たちを蹴散らすのが最も効率の良い行動だろう、司祭達も、自分の存在は想定外であるはずだと考えたのだ。
だが、マツバは全く違うことを考えていた。
「行け」と、マツバがスズのとうを見つめながらグリーンに言う。
「ここは、俺がなんとかする」
表情こそ変えなかったが、グリーンはその提案に驚いていた。
勿論、マツバならばこの三人を相手にしても負けることはないだろうと思っている。だが、それ以上の感情がこのその男にはあるはずだった。
マツバは、エンジュの民としてホウオウ信仰を心の底から信じている男。故に、その信仰を軽視し、スズのとうに向かったクワノに対し並々ならぬ怒りがあるに違いない。だからこそ、マツバが自分を先に活かせることが予想できていなかった。
だが、一瞬の内にグリーンはマツバの意思を理解して息を呑んだ。
マツバは、グリーンの強さを信頼したのだ。
一秒でも早くクワノを引き止めたいこの状況、彼は殿堂入りトレーナーであるグリーンに、それを託した。
彼はグリーンの実力を自分よりも上だと判断していた、今ここで自分がこの三人を引き止めてでもクワノに差し向けるべき最高戦力、それがグリーンだったのだ。
冷静な判断だった。そして、限りなく正しい判断だった。信仰を軽視、破壊され、妹分である少女の屈辱を目の当たりにしてもなお、その判断を下すことのできる素晴らしい精神力を、彼は持ち合わせていた。
瞬間、グリーンは地面を蹴った。
マツバの判断を、ムダにするわけにはいかなかった。信頼を、期待を、怒りを、グリーンはその胸に感じている。
司祭の一人が、その進路を塞ぐようにポケモンを繰り出した。巨大な体格に分厚い脂肪、ノーマルタイプで特殊防御力に優れるカビゴンが現れる。
「『とうせんぼう』!」
その巨大な体格は、人一人の進路を塞ぐのに十分だった。『司祭』を名乗るだけあって、『教皇』のサポートのに関しては理にかなった行動ができるようだ。
だが、マツバはその上を行く。
繰り出されたカビゴンは、その横を駆け抜けようとするグリーンに目もくれず、体を捻ってマツバのゲンガーに向かって『メガトンパンチ』を繰り出した。だが、実体のないゲンガー相手にそれは通用せず、地面を強く叩く。それを中心に起きた地響きが、季節が来ればスズねのこみちを彩る木々の揺らし、その葉が落ちる。
「なんと」と、リーダー格の司祭がそれに驚いた、カビゴンを繰り出した司祭も、まだそれの理由を理解できていない。
「追え!」
三人目の司祭がボールを手に取り、ヨルノズクを繰り出した。すでに遠くなりつつあるグリーンを、ヨルノズクが空から追おうとする。
だが、ヨルノズクもグリーンを追うことが出来なかった。彼もまた振り返ってマツバとゲンガーを見る。
その時になって、ようやく彼らは理解した。
マツバとゲンガーは、カビゴンに対して『ちょうはつ』ヨルノズクに対しては『くろいまなざし』を放ったのだ。
『ちょうはつ』そして『くろいまなざし』それらは共に相手の興味をこちらにひかせる補助的な技、器用で素早いポケモンであるゲンガーの得意技だった。
「たった一人で、我ら三人を相手にすると?」
リーダー格の司祭が、一歩マツバとの距離を詰めながら、血走った目で言った。
『教皇』クワノ一世の腹心として、一匹のネズミを神聖なる舞台に紛れ込ませることは、本来ならばあってはならないこと。
だからこそ、彼ら司祭は、この町のホウオウ信仰の中心人物の一人であるマツバの無様な敗北を捧げることは、『教皇』に対する最低限の贖罪だと感じている。
キリンリキも、カビゴンも、ヨルノズクも、同じように狂気の目線で、ゲンガーを見ていた。
小さくなるグリーンの背中を一瞬だけ見やってから、マツバとゲンガーは三人を相手に戦闘態勢を取る。
「何なら、牧師でも呼ぶか?」
その言葉と、ゲンガーが動き出すのは、ほとんど同時だった。
☆
「やぁ、やぁ、やぁ」
スズのとう、最上階。
ホウオウのために開かれた舞台から広がる絶景を眺めながら、クワノは両手を広げて笑った。右手には『にじいろのはね』が握られ、それは、高く登った太陽の光を受けて、風に揺れる度に、きらめくべき光の色を気まぐれに決めている。
「素晴らしい光景だ」
それは、クワノの本心だった。偽りの神の為に捧げられたこの光景を美しいとういことは、一見、彼の思想と矛盾しているように聞こえる。
だが、彼はその矛盾に後ろめたさを感じることなど無かった。
彼からすれば、この世界は偽りの神話が支配する汚れた世界だろう。だが、そのすべてが穢れてはいないことを、彼は否定しない、否、彼はそう信じている、心の底から。
この世界すべてが穢れてはいない証拠に、この世界に神と神の子が現れたのだ。故に、この世界にも美しいものはあり、慈しむべき花も存在している。
偽りの神を信じた人々の努力を恨むことはない、彼らはただ無知だっただけ、不安だっだだけ、恐れただけ、力がなかっただけ、愚かだっただけ。
この美しい光景を騙し取った偽りの神とその物語こそが恨むべきものなのだ。
この美しい光景を、新たな世界でも作るのだ。本物の神と、神の子に捧げるべきこの美しい光景を。
強くなり始めた風が、クワノの外套をバタバタと鳴らした。こびりついて乾いた泥が少し巻き上がり、それもまたすぐに風の向こう側へと吸い込まれる。
いつの間にか、気まぐれを纏っていた『にじいろのはね』も、風の中に溶けていた。だが、クワノはうろたえない。
太陽の光を受けて虹色をまとった美しいポケモンが、クワノの元に降り立とうとしていた。
縄張りの中に敵意を持って乗り込んできた人間に対し、その、神とも呼ばれるポケモン、ホウオウは威嚇するような鳴き声を上げた。
「なんと醜いのだろう」
ホウオウ信仰の中にいる人間ならば、思わず跪きそうになるその光景を目の当たりにしながらも、クワノは侮蔑の表情でホウオウに吐き捨てていた。
「恐怖と畏れで人を支配し、崇められることでその本能すらも無くしたポケモンが、まさか本当に、自分が神だとでも思っているのか」
いつまで経っても立ち引かぬ人間に対して戦闘態勢を取ろうとしていたホウオウに、クワノはボールを投げる。
スズのとうが一瞬大きく揺れた。現れたポケモン、レジロックの重みに傾いたのだが、その中心に連なる揺れる柱が、その揺れを吸収した。
ホウオウは、レジロックに対して『せいなるほのお』を吐き出して攻撃した。質量を持ちながら、そのすべてを燃やすわけではない不思議な炎は、レジロックに襲いかかる。
だが、レジロックはそれを苦にすることなく受け、両手をホウオウに向けていくつかの岩を発射する。
「『とおせんぼう』」と、クワノが指示した。
ホウオウの退路を断つその技は、ホウオウを倒してその信仰を破壊したいクワノの執念がこもっていた。