5-エンジュの決戦と『神の子』
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 薄汚れたボロ布のような服をまとったその集団は、フラフラと立ち上がりながら、岩と岩の隙間から日の差すその場所の周りに集まった。
 『教皇』クワノ一世と共に潜伏するその場所は、薄暗く湿気まみれで、ボロの布のような服にこびりついた乾いた泥の上に湿った泥を重ねるような環境で、とても恵まれた環境だとは言えなかったが、彼らはそれに不満はなかった。同じ状況にありながら、文句の一つも言わずそれを享受する『教皇』クワノ一世を目の前にして、一体誰がそれに不満を唱えることができようか。
 悪いことばかりではない、否、隠れ家のそのような状況を不服としないのであれば、むしろ彼らは自分達を恵まれた立場にあると心の底から信じているだろう。クワノの言う新しい世界への歩みは、止まる気配を知らない。
 偽物の神を破壊するどころか、神への供物である『アンノーン手稿』の奪取にも成功した。向かう所に敵はなく、何もかもがうまくいく。
 それは、神の祝福があるからに違いないのだと、彼らは思っていた。そして、その傲慢な発想は、そのまま彼らの気力となり、立ち上がる足に力を与える。
 岩と岩の隙間ら日が差すそこに、同じようにボロボロの外套を身にまとった大男、『教皇』クワノ一世が、のそりと移動した。その光を彼が一心に浴びることに、信者達はなんの異も唱えない。
「やぁ、やぁ、やぁ」と、クワノは満足げにそう言った。
 伸ばし放題のヒゲの中にいくつかある白髪が、陽の光を反射してチカチカときらめく。
「神は」
 クワノの低い声が洞窟の不均等な岩盤に反響し、不気味なうねりを帯びて響き渡った。やはり力のある声で、彼は続ける。
「『神の指南書』は、神のもとに祀られた」
 その言葉に、信者達はそれぞれの声を上げ、洞窟内に鼓動を吹き込む。
 その洞窟を住処にするはずのポケモンたちは、その集団に近づけないでいる。彼ら野生のポケモンは、狂気の恐ろしさを、人間よりもよく知っている。
「神と、神の子による新たな世界」
 そう声を上げたクワノは目を閉じて一旦押し黙る。それと同時に、信者達も目を閉じ、暗闇の中に自身の思考を投影する。
 彼らが思い浮かべているのは、彼らの思う、理想の、新しい世界だった。私利私欲にまみれぬ、平和で、争いのない、素晴らしき世界。
 理性と道徳のあるものは、彼らのその理想と、現状の大きな差異を指摘するだろう。
 だが、恐ろしいことに、『そうなってしまった』前の彼らを知るものは、彼らのことを善良な市民だと言うだろう。元々の彼らは、争いを好まず、神は平等と平和を望んでいることを信じ、その世界が善であり正義であることを心の底から信じていたのだから。
 だが、もはや彼らにそれは届かない、彼らは、この闘争が理想の世界を作るために必要な闘争だとその矛盾を強引に解釈してしまっているし、そもそも、偽りの神々が支配するこの穢れた世界では、彼らの理想の世界など実現しようがない。それは必要な闘争であり、必要な暴力なのだ。
 大きく息を吸ったクワノが続ける。
「我々は、また一歩、それに近づいたのだ」
 おおおおおおお、と、地鳴りのような信者達の声が、クワノの耳に届く。
 彼は、それを嬉しく思い、彼らを誇りに思い、しかし、一つ、悲しく思った。
「だが」と、信者達の声を静し、新たな沈黙が生まれてから、彼は続ける。
「同時に、私はこの世界の、この世の浅はかさに、まだ心を許すことは出来ていない。偽りの神々はまだ人々の心の中に生き、偽りの歴史と、偽りの道徳の中に生きている」
 クワノは両手を広げ、岩盤の隙間から差し込む光の、その向こう側を見ようとする。
 そして、信者達がクワノの声を待つために再び作り上げた沈黙の中で、その決意を、この世界でそれを語るにはあまりにも大きなエネルギーを必要とするその決意、それを、彼はそれを自らにしか出来ぬことだという尊大で高貴な使命感を持ってして言った。
「子供たちよ! 私は、エンジュに向かう!」
 一瞬、信者達は押し黙った。
 クワノの言葉を、理解することは出来ていた、だが、その勇気を、『教皇』クワノ一世が自分たちに見せたそのあらんばかりの勇気を、脳ではなく心に落とし込むことに、時間を必要としている。
 だが、やがて、それを成した一人の信者が「おお!」と短く声を上げながら、握った右手を光指すものに向かって突き出す。
 そして、それに同調するように、クワノの言葉を心で理解した信者達が、同じように光指すものに向かって腕を差し出す。
 その目には、クワノへの尊敬があった。
 大それたことだった、その神に手を出すこと、それは、あまりにも大それ、そして、大きな力を、力強い魂を必要とすることだった。
 エンジュ、ジョウト地方に存在する一都市、歴史古く、特徴的な建造物と、特徴的な文化を有する都市。
 そして、美しく雄大な神話、人々を利用するがために何十にも偽りで塗り固められ、黒く、いびつに光る偽物の神の物語が存在する都市。
 反響する歓声の中で、クワノが続ける。
「時が来たのだ! 我々は、カントージョウトにおいて最も声の大きく、そして、最も年老いた声を持つその偽りの物語を、ついに、ついに打ち崩すのだ!」
 乞食のような外套のポケットに手を突っ込んだクワノは、そこからあるものを取り出して、それを差し込む光に向かって掲げる。
「私は、ホウオウが神ではないことを証明する!」
 その右手には、陽の光を受けて虹色に輝く大きな羽が握られている。
「追うのだ、我らを導く、ことわりの会話を」











 その日、エンジュジムに一人の少年が挑戦していた。
「『さいみんじゅつ』」
 ジムリーダーマツバがコントロールするゴースは、その指示に従い、対戦相手のサンドを睨みつけて『さいみんじゅつ』を仕掛けようとする。
 だが、サンドは軽いフットワークでゴースの視線から逃れた。丸っこい体ではあるが、種族的にはピカチュウやコラッタに近い構造を持つサンドは、一瞬体を横にふってゴースの注意をそらした後に、一気に距離を詰める。
「『つばめがえし』!」
 サンドのパートナーである少年、コウタは、サンドのフットワークに惑わされることなく、むしろその軽さを利用して攻撃に転じる。
 トキワジムトレーナーである彼は、トキワジムリーダーであるグリーンとの特訓の末、手持ちの中で最もレベルの高いサンドのスピードとその意志を、なんとか理解できるようになっていた。
 サンドの爪が宙に浮かぶゴースを切り裂く、ガスのような体を持ち、工夫のない打撃や地面タイプの攻撃は無効化してしまうゴースも、鳥ポケモンの翼が空気を切り裂くようなスピードで攻撃する『つばめがえし』を無効化することは出来ないようで、表情を歪ませていた。
「もどれ」と、マツバがゴースをボールに戻した。彼はゴースが戦闘不能だと判断したようだった。
 もちろん、エンジュジムリーダーのマツバが、特訓で実力を底上げしたとはいえコウタのような少年に実力で劣ることはありえない。
 だが、これはジム戦、それもバッジを一つも持っていない少年を相手にしたもの、マツバはこの一連の動きから、コウタの実力をある程度判断し、トレーナーとしての基本ができていることを見抜いた。
「それでは、このポケモンを相手にどう動く」
 そう言いながらマツバが繰り出したのは、ゴースの最終進化系、ゲンガーであった。黄色くするどい目でサンドとコウタを交互に見やりながら、大きな口から舌を出してからかうように威嚇する。
 コウタは、一瞬それに身構えた。当然ジム専用に実力を制限されてはいるだろうが、それでも三段進化の最終進化系、それも最も厄介なポケモンの一つであるゲンガーが相手となれば、コウタの実力を考えれば仕方のないことだろう。
「『したでなめる』」
 そのこわばりを感じたのかどうかはわからないが、先に動いたのはマツバとゲンガーの方だった。
 先程のゴースとは比べ物にならないスピードでサンドとの距離を詰めたゲンガーは、その大きな舌でサンドをべろりと舐め回す。サンドはその濡れた箇所に寒気を感じ、体が『まひ』しかける。
 だが、それ自体は小さなダメージだった。もしゲンガーが放つことのできる最も強力な技の一つである『シャドーボール』を打ち込んでいれば、特殊な防御力に強みのないサンドは大きなダメージを受けていただろう。ポケモン単体の強さではなく、トレーナーとしての強さをみるジム戦では、そのようにあえて技のダメージを絞ることは珍しくない。それに、あえて『したでなめる』攻撃をすることによって『まひ』のような状態異常に対するトレーナーの対応を見ることもできるのだ。
「『つばめがえし』」
 しかし、コウタはそれに驚くことなくサンドに指示を出した。ゲンガーが高い素早さを持つという知識はすでに身につけている。吸収した知識は、一瞬身構えると言う行為に意味をもたせていた。


「まあまあだな」
 エンジュジム二階席からその試合を眺めていたグリーンは、一つ頷きながらそう呟いた。
 彼がトキワジムに来た当初を考えれば、彼とサンドのコンビネーションは目に見えて向上している。まだまだグリーンが満足するレベルではないが、コウタの目が、トレーナーとしての最低ラインに達したことは間違いないだろう。サンドがサンドパンに進化するのを待ってから、オニスズメやコラッタとのコンビネーションを詰めていっても良いかもしれないと考える。
 だが、及第点なのはあくまでもコンビネーションだけの話だった。その戦いの節々に、不満に思うところがないわけではない。
 まず一つ大きく問題だと思っているところは、コウタがゲンガーに対して地面技を打つ気配がないところだった。
 マツバが繰り出すであろうゴースやゴースト、ムウマの特性『ふゆう』を警戒し、地面技を打たなかったのは、グリーンがコウタにエンジュジムに行くことを告げた一週間前からの予習の成果だろう。
 それ自体は何も問題がない。よく研究しているし、ゴーストタイプへの対抗策として、わざマシンと特訓の力で『つばめがえし』を技としてものにした判断と努力も素晴らしい。
 だが、それをどのくらい実戦に落とし込めているかと問われれば、グリーンは半分だけと答えるだろう。
 ゴースやゴーストと違い、ゲンガーは『ふゆう』の特性を持たない。当然だ、どう見たって、ゲンガーは地に足をつけている。
 ゲンガーのタイプはゴーストと地面、サンドならば『マグニチュード』で大ダメージを狙うこともできるし、そんな事をしなくても『じならし』などで弱点を突きながら相手の速さを抑え込むことだってできる。
 混乱しているのか、はたまたその知識に確信が持てないでいるのか、コウタはゲンガーにも『つばめがえし』で攻撃している。
 コウタはゴースの特性『ふゆう』に対する情報に溺れ、新たに得た『つばめがえし』と言う武器に縛られているのだ。戦いの中でそれは致命的、実際には、知識を実戦に応用することこそが最も大事なことであり、情報はそのためのパーツでしか無い。コウタのその行動は、戦いの知識、という点では及第点では無かった。
 胸ポケットから取り出した小さな手帳にそのようなことをメモしながら「まあ、ゆっくりとな」と、グリーンは再び呟く。
 座学を実践的に応用することを、コウタのような少年にすぐに求めてはいけないのだと、グリーンは理解しつつあった。自分がそれをすんなりと受け入れられたのは祖父の影響と天性のものがあったからであり、普通はそう簡単には出来ない。
 それを指摘するよりも、サンドとのコンビネーションが良くなっていることを褒めたほうがいいのだろうとグリーンは判断した。事実それは十分褒めるに値することだし、彼らの努力の成果でもあった。
 地面技を打たずとも、この試合に勝つことはできるだろう、技の威力を抑えられているゲンガーに対し、サンドの『つばめがえし』の威力も悪くない、いずれゲンガーが力負けする。
 思いっきり褒めてやろう、とグリーンは手帳をポケットにしまった。そして、それが不自然でわざとらしいものにならないようにはどうすればいいのかを考える。
 グリーンの横にちょこんと座るピカチュウは、小さく何度も首を動かしてマツバとコウタの試合を見ている。
 一体こいつにはどれだけのものが見えているんだろうな、と、グリーンは思った。


「何も問題は無かったよ」
「それは洗脳のほうでしょ?」
 マツバに対し、グリーンは少し笑いながらそう返した。マツバもその笑みの理由を理解しているようで、それに苦笑いを返す。
 グリーン達がエンジュジムに訪れたもう一つの、いや、最も大きな理由は、コガネシティでの洗脳事件に巻き込まれたコウタの洗脳が、完全に解けているのかどうかを確認するためだった。ゴーストタイプのポケモンに精通し、彼自身にも特殊な能力があるとされているマツバは、悪意を持った洗脳に対するある程度の解決策を持っている。
「対戦の方は穴だらけですよ」
 一つ目のジムバッジを手に入れた興奮がまだ収まりきっていないのだろう、エンジュジムのジムトレーナーとの手合わせに夢中になっているコウタを遠目にみやりながら、グリーンが呟いた。
 ようやく思い出したのだろう、コウタとサンドは『じならし』を対戦相手のゲンガーに打ち込もうとしている。
「高望みをしすぎだよ」と、マツバがそれに笑って答える。
「元々の彼を知っているわけじゃないけど、大したものだよ。あのサンドがサンドパンに進化すれば、三つ目のバッジぐらいまでなら行けるんじゃないかな」
 マツバの指摘は、おそらく正しい、サンドパンがもとより持っている力を発揮すれば、三つ目のバッジを獲得することは可能だろう。
 だが、グリーンはそれに首を横に振った。
「そんなやり方じゃ長くは持ちません、いつかきっと躓く」
 ポケモンのポテンシャルに身を任せたトレーナーの挫折は深い。それがカントー地方最強のジムリーダーとして何人ものトレーナーを見てきたグリーンの考えだった。
 グリーンがジム戦で繰り出す『すなあらし』と『トリックルーム』を主軸とした戦術は、挑戦者の知識の応用力をはかる目的を強く持っている。事実『すなあらし』による場の状況と、その状況に対するいわタイプのポケモンの特殊な優位性、さらに『トリックルーム』によってより複雑化する戦況に思考放棄する挑戦者は多い。もちろん、じっくりと考えて行動すればそれらに対応できる知識を彼らは持ち得ているだろう、だが、グリーンが実戦に近いテンポで繰り出すそれらに、彼らは対応ができない。その知識を、応用できる段階にないのだ。
 故にグリーンは、ポケモンのポテンシャルを伸ばすのと同時に、コンビネーションや知識を増やすことをコウタに求めていた。その意味では、コウタはまだグリーンの及第点には達していない。
 理想が高すぎるかもしれないが、グリーンはその方がより良いと信じていた。
 あまり無理をさせるなよ、といったようなニュアンスのことを、マツバが笑いながら告げようとしたその時だった。
 けたたましいサイレンの音が、ジム内に鳴り響いた。
 その音に、マツバやエンジュのジムトレーナー達は一斉に目の色を変え、身構えた。コウタの相手をしていたジムトレーナーも同じく目の色を変えながらポケモンを手持ちに戻し、コウタはそれに驚きうろたえるだけ。
 それとほとんど同時に、一人の男がジムの扉を勢いよく開いて飛び込んでくる。息を切らしたその男は「襲撃です」と、息も絶え絶えに言った。
「クワノか」
 その様子から、グリーンはそれが『教皇』クワノ一世の襲撃を指していることを理解した。飛び込んできた男はそれに頷き、息を整えようと大きく呼吸する。
「行くぞ」と、マツバが言うと、数人のジムトレーナーがそれに続いてマツバの周りに集まる。おそらく彼らはエンジュジムの中でも腕の立つトレーナーたちなのであろう。
 おそらくそれは用意されていた動きだったのだろうとグリーンは予想する。クワノが信仰の破壊を目的としている以上、彼らがホウオウ信仰の中心であるエンジュシティの『スズのとう』を狙う可能性は高い。エンジュジムリーダーであり、彼自身もホウオウに対するあこがれを持つマツバがその襲撃に備えるのは半ば当然だろう。
「俺も行きます」
 グリーンがそう言い、彼の足元にいたピカチュウも鳴き声を上げてそれに続いた。
「助かる」と、マツバはそれを受け入れた。戦力は一人でも多く欲しい状態、殿堂入りトレーナーであるグリーンの存在はありがたかった。
 その時、グリーンの背後からコウタが声を上げた。
「俺も行きます」
 グリーンはそれに振り返った。コウタは少し緊張の面持ちでグリーンを見つめ、サンドの入ったボールを握りしめている。怯えと、使命感のようなものを感じているような目だった。
「駄目だ」と、グリーンはすぐにそれを拒否する。
 コウタは少し目線を下に下げた。グリーンがそれを拒否する理由はわかるし、それを覆すことができるほどの実力がないことくらいは理解している。だが、やはりふり絞った勇気が拒絶されることのショックがないわけではなかった。
 それを理解しているのだろう、グリーンは「ピカチュウ」と、足元のポケモンの名を呼び、「コウタにつけ」と続ける。
 ピカチュウは小さく短く鳴いてそれに答えると、すぐさまにポジションをコウタの足元に取る。
 そして、グリーンはコウタの名を読んでからさらに続けた。
「お前はここに避難してくる住民たちを残ったジムトレーナー達と守るんだ」
 数人のジムトレーナーがまだここに残っているというのは、おそらく、エンジュシティの住民たちがここに避難してくることを想定しているのだろうと、グリーンは見抜いている。そして、それは正しい。
 コウタは、それに少し表情を明るくさせ、すぐさまそれを引き締めて「はい」と強く答えた。守られる側ではなく、守る側であることをグリーンが認めてくれたことが嬉しくもあった。
「行きましょう」
 グリーンはすぐに彼らに背を向けてマツバと共にジムの外に向かう。
 彼は知っていた。
 クワノ達の目的が信仰の否定と破壊である以上、彼らにエンジュジムへの敵意は存在しないだろう。故に、エンジュジムは実質的な避難地帯、コウタがピカチュウと共にそこにいることは、そのまま安全につながる。
 その予想は、おそらく正しいだろう。

■筆者メッセージ
拍手メッセージいつもありがとうございます!いつも助かっています!
来来坊(風) ( 2019/05/26(日) 21:15 )