3.
カントーの外れにあるその町は、恵まれない交通状況と、微妙な立地、そして、何かとやる気のない町議会が絡み合い、都会の人間が訪れればその不便さに思わず顔をしかめるような、それでいて、電気が通ってないような本当の田舎かと問われれば、決してそんなわけではない、非常に中途半端な、一戸建てを夢見る家主が、今後の人生における通勤時間と引き換えに土地とマイホームを得るような、そんな土地だった。
当然、そのような土地にある古本屋が繁盛しているはずもない、大抵古本屋というものは、寂れていればいるほど良いものがあるとイメージされているが、その古本屋に足を踏み入れれば、いくつか巻数の抜け落ちたギャグのダサい漫画本と、やたら数だけは存在する昔流行った自己啓発本が並ぶラインナップに、それが幻想であることに気がつくだろう。
一人の少年が、その店に足を踏み入れた。
その赤髪の少年、シルバーは、ホコリかぶった文庫本が何冊も積まれている店頭に少し苦い顔をした。流行ろうという気持ちが、この店にはない。
大体、こんな無防備に商品を陳列しては、万引きしてくれと言っているようなものだ、と、シルバーはその文庫本を一冊手に取った。
だが、すぐにため息を付いてそれを元に戻す。数年前に流行った都市伝説をまとめた本など、今更誰が欲しがるというのだ。ただでもいらないとはまさにこのこと。
最も、もしシルバーのその様子を見るものがいれば、とても彼が古本を買いに来たとは思わないだろう。赤髪の長髪に、鋭い目つき、あまりお近づきになりたいタイプの少年ではない。
シルバーは店の先へと歩を進める。薄暗い上にやたら斬新に配置された本棚は、まるでちょっとした迷路のようだった。
彼が器用にそれを抜けると、ようやくレジと店主が視界に入る。
「いらっしゃい」
皺だらけの老人は、簡素なパイプ椅子に座って体を震わせていた。年をとって細く弱くなった白い髪はところどころちぎれて跳ね回るように好きな方向に飛び出している、歯が入っていないのだろうか、頬はこけ、モゴモゴと動く唇が、彼が老人であることを表現している。
シルバーは遠慮なくその老人の正面に立った。そして、周りに誰もいないことをしっかりと確認してから言う。
「燃料は足りているか?」
とてもではないが、古本屋でその店員に問うような言葉ではない。もしその場に人がいれば、この少年は気でも狂っているのかと、一歩彼から離れるだろう。
しかし、その老人はそれにたじろぐことなく答える。
「この店をどこで知ったんで?」
「またまた、たまたま、な」
シルバーの返答に、老人はゆっくりと立ち上がって周りを確認した。そして、誰もいないことを確認するとそれに答える。
「はい。こちらにございますよ」
老人はそのまま杖をついてシルバーを先導する。
「さっさとしろよ」
とても博愛精神があるとは思えないシルバーのその言葉は、老人には届いていたが、彼はそれにうろたえることはなかった。
シルバーは、古本屋の奥、老人の生活スペースのような場所に案内されていた。
老人はそこにはいない、シルバーを迎い入れた後に「少し、お待ちを」と言ってそのさらに奥に消えてしまった。
布団が片付けられ、骨組みだけとなっているコタツに手を付きながら、シルバーは「こちらを」と老人に出されていた湯呑に口をつける。
弾ける口当たりに、彼はそれに入っていたのが好物であるサイコソーダであることに気づいて「ふん」と、鼻を鳴らし、もう一度それを傾けるとゴクゴクとそれを飲み干して、こみ上げるものを我慢した。
その時、部屋を仕切るふすまが勢いよく開き、先程の老人とは似ても似つかない中年の男があらわれ、シルバーの対面に滑り込むように腰を下ろした。
シルバーはそれに特に驚かず、呆れるような表情でそれを眺めている。
「坊っちゃん!」
その中年は、潤んだ目でシルバーを見つめながら感極まってそう言った。
「私ラムダは、この日を待っておりました。まさか坊っちゃんから、私を訪ねてくる日が来ようとは……」
かつてのロケット団幹部、ラムダは、サカキ無き後のロケット団を再びまとめ上げた大幹部の一人で、その後に起きたロケット団残党によるラジオ塔占拠事件の首謀者のひとりでもある。
ゴールドという少年トレーナー、そしてシルバー、更にはワタルらの尽力によって失敗に終わったその作戦後、ラムダは得意の変装術によって警察の追手から逃れ続けていた。もとより戦うより逃げることや偽装、窃盗のほうが得意な性分だ。その生活に疲れることもない。
「一年前、坊っちゃんの目を見たときから、私ラムダは確信しておりました。ああ、サカキ様が残したカリスマの遺伝子は、確かにここに生きているのだと」
一人で感極まるラムダを相手に、シルバーはため息を付いた。
自分の正体が、この男にバレてからちょうど一年ほどになっただろうか。
どこから仕入れた情報でそれを知ったのかは知らないが、ラムダは、シルバーがロケット団首魁、サカキの息子である事を掴んだ。そして、彼はすぐにシルバーと接触し、その忠誠を彼に示したのだ。
当然シルバーは、当初それを受け入れはしなかった。もとよりロケット団を嫌悪し、ラジオ塔占拠事件のときにはロケット団と敵対したこともある。ロケット団幹部の庇護など、受け入れるはずもない。
だが、ラムダはそんなことでへこたれはしなかった。「坊っちゃんのお気持ちが変わるまで、このラムダ、いつまでも待つつもりです」と、彼個人のアジトの地図を渡しては「なにか困ったことがあれば、私ラムダ、必ず力になります」と、忠誠を示すのだ。
当然シルバーがそれに頼ることなどこれまではなかった。むしろ、匿名の情報としてそのアジトの場所を警察局に流したりもした、だが、ラムダが警察に捕まることはなく、ふらりとシルバーの前に現れては、新たなアジトの地図を渡すのみだ。
「ああ」と、ラムダが額に手を当てる。
「湯呑が空になっていますね」
そう言って素早く湯呑を手にとったラムダは「いや、いらない」というシルバーの声を無視しながらこれまた素早く冷蔵庫に向かうと、今度はサイコソーダの瓶をそのままシルバーの前に起き、器用に片手で栓を抜いた。
「ささ、どうぞ」
正直な話、シルバーはラムダの忠誠を今になっては疑っていなかった。
当然、ラムダに対する気味の悪さは残っている。こちらの事は殆ど知られているであろうことに対し、シルバーはラムダのことを殆ど知らない、今の中年オヤジの姿が素顔である保証もどこにもない、先程の老人の姿が素顔な可能性だってある。その気になれば美しい少女に化けることだってできるのだ、この男は。
シルバーは、その瓶に手を付けることなく言った。
「一つ、聞きたいことがある」
ラムダは、その言葉に背筋をゾクリとさせ、「はい」と上ずった声で答えた。自身に命令するその言葉の奥底に、かつてのサカキの姿が思い起こされたのだ。
シルバーは少し緊張感を持ちながらその次を続ける。
その質問は、面と向かってラムダに問うのは危険であった。
ラムダが自身に忠誠を誓っていることはわかっている、だが、状況によっては、ラムダがその質問に答えなかったり、それどころか激昂して襲いかかってくる可能性もある。自身に対する忠誠よりも、更に上の忠誠が、そこにあるかもしれない。
当然、その時は戦うつもりだった。
「お前ら、ゴールドをどこにやった?」
その質問に、ラムダは一瞬顔をしかめる。
ゴールド、とは、殿堂入りトレーナーの一人で、ロケット団のラジオ塔占拠事件を解決に導いたトレーナーの一人である。
そして、シルバーの人生観を大きく変えた、彼にとって大切な関係を持つ人物の一人だ。
だが、少し前ほどから、彼と連絡がつかなくなっていた。俗に言う失踪と言うやつで、ゴールドは急にこの世界から姿を消した。
シルバーは、その事件を追っていたのだ、時に知り合いのドラゴンつかいと連携を取りながら、彼はゴールドの手がかりを探したが、それは実らない。
そこに飛び込んできたのが、今朝の事件だった。
教皇、とか、クワノ一世だか二世だか、アンノーン手稿とか、そんなものはどうでも良かった。シルバーが注目したのは、ロケット団が復活したという情報だ。
ロケット団なら、それがあり得ると考えたのだ、ゴールドに恨みがあり、組織力もある。ロケット団が、ゴールド失踪に関係していることは、ほとんど間違いないと、シルバーは思っている。だからこそ、シルバーはラムダのアジトに訪れたのだ。
そして、その質問はラムダの痛いところをつくはずだったのだ。
だが、ラムダはすぐさま表情を柔らかくして答える。
「ははあ、なるほど、今朝のニュースのことですな。確かに、ロケット団ならば坊っちゃんのご友人を狙う恨みがある。この短期間でそこまでの考えに至るとは、流石は坊っちゃん、サカキ様に似て聡明なお方だ」
その答えに、シルバーは肩透かしのような感情を懐き、思わず「お前らじゃないのか」と聞き返してしまった。
そしてラムダがそれに答える。
「確かに、それは十分に考えられます。ですがね、今朝話題になったロケット団と、我々大幹部は、全くの無関係と言っていいです。そりゃあ木っ端の下っ端が何人か協力はしているかもしれませんが、その大体は、かつてのロケット団とは程遠い」
「どうしてそれがわかる」
「どうしても何も、私のところにもかつての部下から誘いがあったからですよ、『今度のボスは男の中の男だ』と息巻いておりましたが、くだらない、そんなもの考えるまでも拒否ですよ拒否、まあ、そのおかげで私も追われる身になっていくつかのアジトを潰される羽目にはなりましたがね」
そういえばと、シルバーはなんにもしていないのにラムダがアジトを数回変更していたことを思い出した。
「どうして、それに乗らなかったんだ?」
シルバーはそれが不思議であった。彼らにとってロケット団の復活は悲願であったはずなのに。
ラムダは肩をすくめながら答える。
「どうしてって、当然ですよ。我々が望んでいるのはサカキ様がボスとして君臨するロケット団であって、名前だけの有象無象とは違う。案の定あいつら、田舎から来た狂人の集団と手を組んだりして、くだらない」
「もし」と、一つ言って続ける。
「もしですよ? サカキ様が復活し、もう一度ロケット団を再結成なさるのならば、このラムダは命をかけてそれにお供し、必ず運命をともにするつもりです。もし、その時坊っちゃんと道を違えることがあっても、私はそれを後悔しません。あの時、あのラジオ塔のときも、我々大幹部はそう考えていました。確かに坊っちゃんやゴールドとか言うガキのせいで我々は散り散りになりましたが、そもそも、あの放送をしてもサカキ様がお戻りにならなかった以上、我々の行く末は、破滅しかありえなかった。アポロは優秀な男でしたが、サカキ様に比べればとてもとても、いずれ必ず、空中分解していたでしょう。いや、もしかすればあの時こそが、空中分解だったのかもしれません」
シルバーはそれに複雑な感情を抱いた。いつまでもそれにこだわるくだらない男だと思ったが、同時に、素晴らしい部下だとも、つい思ってしまったのだ。
「それなら」と、シルバーが問う。
「その新しいロケット団が、ゴールドを誘拐したのか?」
ラムダはそれに首を振った。
「いや、私はそうは思いません。そもそも、私達大幹部が束になっても叶わなかったのが、あの忌々しいゴールドとかいうトレーナーなのですよ? 今更有象無象が集まったところで、ゴールドに敵うとは考えられません。それに、ロケット団の血が薄いあの組織にとって、ゴールドがそこまでの敵とも思えません」
シルバーはそれに無言を返したが、内心ではそれに納得していた。
それを知ってか知らずか、ラムダが続ける。
「良いですか坊っちゃん。私ラムダは、サカキ様と、その血を継ぐ坊っちゃんに忠誠を誓っております。そして、そのサカキ様がいなくなってしまった以上、私は、坊っちゃんしか信頼しません。あなたがロケット団の復活を望むまで、私はいつまでも待ち続けております」
ふん、と、シルバーはそれを鼻で笑ってから立ち上がった。
「弱いやつが群れるのは嫌いなんだ」
幼少の頃からずっと思い続けてきたことを言う。
背中を見せるシルバーに、「坊っちゃん」と、ラムダが声をかけた。
「坊っちゃんの考え、私は嫌いではありません。ですが坊っちゃんの考えは、あまりにも弱いやつに厳しすぎる」
「何が言いたい?」
背中越しに問うシルバーに、ラムダが答える。
「坊っちゃん、かつて我々は、何者でも、悪ですら無かったのです。ただただ世間を恨み、反抗し、それでも中途半端なグズが我々だったのです。ですが、その我々に、悪の道を示し、居場所をくれたのが、他でもない、サカキ様なのです。当然それは裏の道、表には顔向けが出来ず、悪として日の当たらぬ道、人に恨まれ、憎まれるようなことに手を出し、当然のように表の世界から迫害される。ですが、我々にはサカキ様がいた。たとえそれが光の当たらぬ闇の道であっても、サカキ様のために働くことが、我々にとっては、幸せだったのです」
「くだらない、それこそ、負け犬が傷をなめあっているだけじゃないか」
「ええ、そうですとも、ですがね坊っちゃん。この世はね、吠える負け犬と、吠えない負け犬、そして、たった一人だけの勝者だけが存在するのです。そんなこの世で弱いことを否定していては、辛いだけですよ」
シルバーは、それに何も返さない、否、返せなかった。
当然、ロケット団のような犯罪や倫理観を大きく外れた行為を肯定するわけではない、そして、それはラムダも前提として語っているだろう。
だが、弱いことを否定すれば辛いだけだという理屈に、なにか反論することが出来ないでいた。それは、自分自身に心当たりのあることだったから。
シルバーは、弱いことが悪だと信じて生きてきた。そして、弱いことを否定しようとして生きても来た。
だが、彼の人生すべてが勝利であったかと言えば、そうではない、彼は何度もゴールドに敗北し、ワタルに敗北し、エンジュシティの舞妓たちにも敗北した。どれだけ鍛錬をつもうと、ゴールドやワタルに勝利することが出来ない自分を、彼は誰よりも責めている。
ラムダの理屈は、シルバーのそのような停滞を鋭く指摘していたのだ。
「じゃあな」と、そこを後にしようとしたシルバーの背中に、ラムダが更に言葉をかける。
「坊っちゃん、なにか困ったことがあれば、必ずこのラムダをお頼りください。このラムダ、坊っちゃんのご命令ならば、この命に変えても、それを完遂してみせましょう」
シルバーは、それに何も答えなかった。