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「いってきます」
「おーう、気いつけろよ」
平日の朝、トレーナーズスクールに向かうコウタを、グリーンが見送った。
トキワシティに構えたグリーンの住居にコウタが同居を初めてから、すでに結構な日にちが経過していた。最初はコウタの下宿先が見つかるまでのつなぎとして持て余し気味だった客間を提供していたのだが、中々いい物件が見つからないこともあってグズグズしている内に、もうここでいいんじゃないかという認識が二人の中で一致していったのだ。
二人共それに不満はなかった。特にコウタは、かつて不審者に洗脳されていた経験から、一人暮らしを怖がる傾向にあった。ただのジムトレーナーならば、何を怖がっているんだと言ってもいいだろうが、事情が事情だけにグリーンもそれに苦言は呈さない。客間を提供しているから最低限のプライバシーは守られているし、何より殿堂入りトレーナーと生活をともにすることは、コウタにとってはこれ以上にない経験であり、向上心の強いトレーナーの中には、自らそれを希望するものだっているだろう。
扉が閉まったのを確認してから、グリーンは「失礼」と、ポケギアに向かって呟いた。
その通話先、シンオウリーグチャンピオンであるシロナは、特にその空白を気にすることなく会話を続ける。
『まさかクワノ先生がカントーに行くなんて、考えてもいなかったわ』
『教皇』クワノ一世がカントー地方シオンタウンの『たましいのいえ』を襲撃した事件は、カントー地方よりもシンオウ地方の方で大きく報道されていた。その意見の中には、驚異であった『教皇』クワノ一世とその狂信者が活動の場を他地方に移した安堵や、シンオウ地方が生み出してしまった巨悪が他地方の人々に被害を出したことを恥じるようなものもある。だが、そのどちらも、『教皇』クワノ一世が相当な脅威であることを否定はしていない。
グリーンの部屋にある薄型のテレビは、全国で放送されているニュース番組を映し出している。大小の差はあれ『いぶんかのたてもの』炎上という痛ましい事件は、朝のニュース番組の格好の的となっていたが、視聴者の興味を引くために不確定な情報ばかりを流す局もあり、シロナとグリーンは彼らが持ち得る知識から、最も信頼に当たるニュース番組を示し合わせてそれぞれ確認していた。
だが、それでもその事件や、クワノについての明快な情報があるわけではない。
クワノによる『たましいのいえ』襲撃に、グリーンが巻き込まれることを知ったシロナは、すぐさまグリーンに連絡をとった。クワノをよく知る人間として、カントーのトップトレーナーであるグリーンに、その知識を与えようとしたのだ。
グリーンは最初、ポケギアの向こう側にいるのがシロナだとは思わなかった。チャンピオンズリーグなどで出会う彼女は常に余裕のある女性であり、年下であるグリーンに対して姉のような立場から意見することもあったが、今日のシロナの口調や声量は、それまでグリーンが聞いたことがないほどに酷くくたびれた、不安と、悲しみと、焦りに取り憑かれているようなものだった。
「元々、腕のあるトレーナーだったんですか?」
『かなりのものよ、時代が時代ならチャンピオンだったかもしれない』
なるほど、と、グリーンは頷いた。動揺していたとはいえ、自らの読みを上回り、そしてレジアイスにポケモンとしての速さを与えたその反射神経とテクニックにようやく納得がいった。
だが、グリーンにはもう一つ、否、本当のことを言えばクワノのこと全てが分からなかったが。その中でも、特にわからないことがあった。
「クワノの目的は、一体何なんです?」
シロナは、その質問に一瞬押し黙った。シンオウ地方の被害からそれを知るものとして、それには答えなければならない。
だが、彼女もそのすべてを知るわけではない。しかし、その傾向から、目的を想像することはできる。だが、それは、クワノを知るシロナからすれば、とても信じられないことだった。
『クワノ一世は、おそらくこの世に存在する全ての信仰からなる文化を敵視している。かつて、世界すべての文化を受け入れていた彼からは信じられないことだけど』
「一体どうして」
『それはわからない。私だってそれを知りたい』
突き放すようだが、それにはシロナの苦悩が乗っていた。
瞬間的に出てしまったそれを反省したのか、シロナが続ける。
『だけど、想像はできる。おそらくクワノ先生は、神を信じ始めたのよ、それもすごく、とびきりに、狂ってると言っていいほどに』
「それと、文化を敵視することに、なんの問題があるんです?」
『強烈に神を信じた人間にとって、それ以外の信仰は全てまやかしということになる。自らが信じる神の力を高く見積もれば見積もるほどに、その思いは強くなるんじゃないかしら』
その説明でも、まだグリーンはピンとこなかった。
『でも、わからない』と、シロナが続ける。
『そんな『ペテン』に引っかかるような人じゃなかった。あの人を信仰的なトリックや詭弁で言いくるめることなんて不可能に近いのに』
そこまで言って、シロナは口をつぐんで黙り込んだ。
同じくグリーンも静かになり、ある考えを頭に浮かべる。
そして、全く同じような考えを、シロナも脳裏に浮かべていた。
もしかして、クワノは本当に、『神』を見たのではないか。
何も本当に概念としての神ではなくてもいい。ポケモンを『神』として崇める地方が存在することも、そして、その信仰がとてつもない力を生むことがあることを、グリーンは知っている。人がそれを神だと信じれば、道端に転がっている石ころさえも、神になる可能性を秘めているだろう。
だが、グリーンは感覚から、そしてシロナはクワノを知る知識からそれを心の中で否定した。あれ程の力と知識を持ったトレーナーが、いまさらそのような根拠のない信仰に走るだろうか。
もしかすれば、その『神』は、本当に力を持っているのではないだろうか。
二人は首を振った、考えすぎて頭がおかしくなりそうだ。
『ごめんなさい』と、シロナが言った。
『本当は私がカントーに向かってクワノ先生を止めるべきなのはわかってる。だけど、まだクワノ一世の信者の一部がシンオウで活動しているから、私もここから離れる訳にはいかないの』
「わかってますよ、カントーだって、いいトレーナーはたくさんいますし、警察にも優れたトレーナーがいます。俺だって、次出会ったときにはその気でやります」
あの時、ピカチュウがいなければ負っていたであろう不覚、グリーンはそれを重く考えていた。
ピカチュウがいたのは、たまたまだ。それも、レッド失踪というアンタッチャブルな状況ゆえのもの。それに助けられるようでは、トレーナーとしてあまりにも甘い。
『無理はしないで、手段をいとわない危険な集団よ』
ええ、わかってますよ。とグリーンが返そうとしたその時、テレビの向こう側、それまで『教皇』クワノ一世の目的についてふわふわとした上辺の議論を放送していたスタジオの、更にその裏方がざわめき始めた音が、伝わってきた。
グリーンとシロナは一旦会話を止める。
そして、画面が切り替わり、厳かな表情を浮かべた初老のアナウンサーの緊張した面持ちが映し出される。
『速報です、今朝方、アルフの遺跡参加所がポケモンの技『だいばくはつ』によって爆破されました。犯行は『教皇』クワノ一世を中心とした武装集団によるものとみられ、併設されたアルフ歴史研究所からは、先日発見された『アンノーン手稿』が、同集団によって持ち去られたと発表されています』
「持ち去る?」と、グリーンとシロナはほとんど同時にそう言った。その後から、ジョウト地方も毒牙にかけた『教皇』クワノ一世の狂気に感情がざわつく。
しかし、その感情を共有するよりも先に、彼らはほぼ同時につぶやいたそれについて話し合う。
『おかしい、クワノ一世のやり方ではない』
「そうですよね、アルフの遺跡を潰すのはわかるが、『アンノーン手稿』を持ち去るのはそれまでと違うパターンだ」
そして、更に議論を深めようとしたその時に、アナウンサーが続ける。
『また、カントー警察局はこの事件にポケモンマフィアロケット団が関与しているとみて捜査を続ける方針です』
「ロケット団」
グリーンは跳ね上がるように背筋を伸ばしてそれに反応した。数年前に完全に壊滅したと考えられていたロケット団が、再び復活したというのか。
『ありえないことじゃないわ』と、シロナがグリーンの動揺を察して言う。
『シンオウでもギンガ団の残党を吸収して巨大化した経緯があるし、シンオウ地方とカントー地方の間にある中小地方のアウトローを信者に招き入れた報告もある。カントー地方でロケット団の残党を吸収したとしても不思議じゃない』
それに、と言って続ける。
『持ち去る、なんて手段を取るノウハウは今までの彼らにはなかった。ロケット団のコミュニティを使ってそれを闇に流して資金にすることを考えているのかも』
ありえない話ではないが、とグリーンはそれに相槌を打ったが、心の奥深く、感覚的な部分では、それを否定していた。
資金繰り、それと悪の組織は容易に結びつく、だが、それと『教皇』クワノ一世の狂気は結びつかない。
あれ程の狂気の世界に住む存在が、果たして敵視している信仰的文化財を軽々しく金に変えるだろうか。その行為は、その文化財を誰かに譲渡するわけで、この世にそれが存在する事実は変わらない。それを『教皇』がよしとするとは思えない。
その後も二人はそれについて話し合ったが、結論が出ることはなかった。それはそうだ、二人寄ったとしても、狂人の考えなどわかるはずもない。
しばらくしてから、グリーンはポケギアを切った。彼にはまだ時間があったが、シンオウチャンピオンのシロナは多忙なようだった。
その時、グリーンの足元をこそばゆい感覚が襲う。小さく声を上げてそれを見れば、サンダースとの毛づくろいを終えたピカチュウが、グリーンの足にすり寄っている。保護した当初のことを考えると、随分と打ち解けたようだ。
ピカチュウの気分を害さないように一旦それから逃れようとした時、グリーンははっとしてそれに気づいた。
それは、あり得る仮説だった。
幹部を失い有象無象と化していたロケット団、それが新たな指導者を迎え再び一つの共同体、概念として復活した時、ボスであるサカキをロケット団解散に追いやったレッドを恨み、その復讐を果たすことは十分に考えられる。
グリーンは、外出用のジャケットを探した。
ロケット団について何かの手がかりがあるわけではない。
だが、一つ行くべき場所があった。
☆
タマムシシティ、タマムシニューゲームアンドアミューズメントセンター。
ピカチュウを肩に乗せてその施設に足を踏み入れたグリーンは、彼が想像していたよりもかなり人にあふれているその施設に驚いていた。平日、それも昼間だと言うのに。
かつて、カントー地方で唯一の公的なギャンブル場として栄えていたここは、その裏の顔として、ポケモンマフィア、ロケット団の実質的なアジトとしての役割を持っていた。カントー地方で最も人の集まる都市の一つであるタマムシシティのど真ん中に、彼らは本拠地を構えていた。
もし、レッドという名の少年が、実質一人でそこを壊滅させることが出来なかったら、ロケット団は未だにカントー、更にはジョウトをその裏から支配し続け、もしくはその支配域をさらに広げていたかもしれない。
地下へと続く階段を降りながら、グリーンは居心地の悪さを感じていた。それは肩に乗ったピカチュウも同じようで、しきりにキョロキョロと周りを見回しながら、落ち着かない様子だった。
ロケット団が解散し、悪名と共に抜け殻となったその施設は、数年前にある新興企業がその悪名ごと買い取った。どれだけ悪評が染み付いていようと、この一等地に存在する地下施設付きの物件の価値を、その企業は重視していたようだった。
そして、その判断は大成功となる。
その企業は、その物件を、元のゲームコーナー、そして、地下にはアミューズメントセンターとして再開発した。
それも、かつてロケット団がそこをアジトにしていたという汚名を隠すことなく、むしろ、それを全面に押し出すような作りとなっていた。
来場客達は一階のゲームコーナーを楽しみ、もしくは素通りし、あえて狭く作られた階段を伝って地下へと歩む。あえて曲がりくねって作られた地下の間取りは、ロケット団のアジトだったものをそのまま利用しているという噂も広がり、わかりやすいテナントよりも、より入り組んで初見ではとても見つけられないような場所に構えた店のほうがより人気となった。
ロケット団がそこをアジトにしていたと言う悪評を、その施設はブランドへと変貌させた。今ではロケット団の存在を知りもしなかった。否、ロケット団の存在を知らなかった他地方の人間の方が、その施設を訪れることを望んでいた。
身を捩るようにグリーンの横を通ったカップルも、その施設の雰囲気に酔いしれているようだった。
地下一階に足を踏み入れながら、グリーンはため息を付いた。
経済的、もしくは経営的な理論はグリーンにはさっぱりわからない。だが、グリーンはこの施設に良い感情は抱いていない。
ロケット団だぞ、と、グリーンは思う。
おおよそポケモンを使った悪事の殆どを網羅し、シルフカンパニーをほとんど乗っ取りかけ、あまつさえそのボスは当時世界的に見ても難関ジムであったサカキ、限りのない正義側の人間でなければならなかった男だった。それほどの存在、それ程の悪、一つ運命の歯車が違えば、その理不尽な支配の影響を受けていたかもしれない存在であったのに。それを、こんな風に楽しむ事を、グリーンは理解が出来ない。
それは彼の肩に乗るピカチュウも同じであったようだ。彼は一度レッドと共に視線を切り抜けたはずのそこが、賑やかに人で賑わっていることに戸惑い、それを警戒すべきなのかどうか迷っている。
「今は落ち着いていいぞ」と、グリーンはピカチュウの首の下を指でくすぐりながら言った。それに反応して、ピカチュウは体の力を少し抜いたようだった。
少し、贅肉が増えたかもしれないな、と、グリーンは指先の感触からそれを感じた。太っている、とか、ぽっちゃりしている、とか、そういうわけではないが、あの時、あの時対面したときの印象から少し増えている。
「運動はさせてるんだけどな」と、グリーンは考えを浮かび上がらせるように呟く。
ピカチュウがレッドのもとに帰った後に支障が出ないように、彼はレッドの手持ちであるピカチュウにも自らの手持ちと同じようにトレーニングを積ませていた。そしてカントーポケモンチャンピオンに、ポケモンの管理すらろくにできないやつだと思われたくはなかったし、何より、親友の相棒に鈍ってほしくはなかった。だからトレーニングもしっかりこなさせ、食事の管理もしていた。
だが、それなのに、少し多めに肉がついているとういことは。
これまで気が付かなかったが、もしかしたらこのピカチュウは通常の個体と比べると太りやすい体質なのかもしれない。
一体、どれほどの事をして、このピカチュウはこれより少しシェイプされた体型を維持していたのだろうか。
ああ、まただ。とグリーンは少し苦々しく思う。
自分の中にある固定観念、常識、理論、理屈、計算。一度はトップを掴んだ、それらの知識。
それをまた、このピカチュウとレッドが乗り越えていく。自分が培った常識の範疇の外の世界を、彼らは知っている。
ふと、グリーンは周りを見回した。あえてそうしているのか、少し薄暗い地下一階ショッピングモールの複雑な間取り、これが果たして本当にロケット団のアジトそのままなのかどうか、グリーンにはわからない。
だが、このピカチュウとレッドなら、それを知っているだろうし、それを嬉しげに耳打ちしてくるかもしれない。なんと言っても彼は、ロケット団を解散に追いやった英雄なのだから。
その英雄が失踪したこの世界で、一体誰が、ロケット団を、カントー地方で活動する悪と戦えば良いのだろうか。
自分、という答えを、グリーンはまだ出せないでいた。
☆
「考えることはみんな一緒ってことですかね」
一階、タマムシゲームコーナー。
地下の淀んだような空気を嫌ったグリーンがそこで出会ったのは、一人の男だった。
現ポケモンチャンピオンにして、ポケモンGメンとしてカントー警察局と連携を取ることのできる数少ないトレーナーでもあるドラゴンつかい、ワタルは、やや憮然とした表情で緊張感を放っていた。一応TPOに合わせたのだろう、ポロシャツを着こなす軽装だったが、心までここに合わせることは出来ていないようだった。
「あまり、好きな雰囲気ではないな」
ワタルは、その緊張を言葉にして表現する。最も、ワタルというトレーナーが空気を読めないわけではない。むしろ、堅物揃いの新旧四天王に置いて、そのようなノリを楽しむことができる数少ない人材であったが、やはりそれでも、かつてロケット団のアジトであったこの場所を快く思っていないようだった。
「同感です」と、グリーンもそれに同調する。
グリーンの肩に乗っていたピカチュウが、ワタルに向けて挨拶のように鳴き声を上げた。
「お前も久しぶりだな」と、ワタルはピカチュウの耳の付け根を撫でたが、それに楽しげな声を上げるピカチュウとは対象的に、彼とグリーンを交互に見やって悲しげな表情を見せた。
ポケモンGメンであるワタルは、グリーンがレッドの失踪願いを出したことを知っていた。そして、彼もできる限りレッドの足取りを追うために力を尽くしてもいた。だが、それでもレッドの足取りを追うことは出来ない。
「すまないな」
ワタルは、小さな声でグリーンに謝罪した。
「手段は尽くしているんだが、まだ何も」
「大丈夫ですよ。ワタルさんが何も掴めないのなら、おそらく世界の誰も、それを掴めないでしょうから」
ワタルはそれに複雑そうな表情を見せたが、グリーンからはそう言う他ない。
そして彼らは、できるだけ人気のない場所を探した。
おそらくこれから交わす会話、そして、交換する情報は、公共の場所では憚れるようなものだろうと、彼らは確信していた。
ゲームコーナーから五分ほど歩いた場所にある小さな、それでいて立地が悪いのか誰もいない公園のベンチに二人は腰掛けていた。
「どこまで調べた?」
ワタルが直線的にそう問うた。それは、グリーンへの信頼の証でもあった。
故に、グリーンも直線的に答える。
「サンダースとフーディンを連れてあの施設を散策しましたが、特におかしいと感じるところはありませんでした。あの施設と今回のロケット団は無関係だと思います」
「そりゃまあ、そうだろうな」と、ワタルは少し汚れを気にしながら背もたれに体重を預ける。
グリーンは、かつてロケット団のアジトであったそこに、再びロケット団が潜伏しているのではないかという疑惑のもとに、そこを訪れていた。
無論、そんな馬鹿なことはないと誰もが考えるだろうし、真っ先にそこに向かったグリーンをあざ笑いたくなるような気持ちも覚えるかもしれない。
だが、その馬鹿なことが起こりうるのが『ロケット団』と言う組織なのだ。タマムシシティのど真ん中にアジトを構え、大企業シルフカンパニーをヤマブキシティごと襲撃し、その首魁がトキワジムリーダーであった組織がロケット団と言う組織。
ワタルも、グリーンの行動そのものを愚かだとは思わない。
「だが、そこをいの一番に疑いたくなる気持はよく分かる。俺だってそれが目的だった。最も、カントー警察局は近々あの施設を捜索するらしいが、この様子だと、収穫はなさそうだな」
それは、警察関係者ではないグリーンに対して漏らしていい情報ではなかった。
だが、ワタルはグリーンを信頼している。否、それよりも、ロケット団という組織がかつてカバーしていた人脈の広さを考えると、警察関係者の中にだって、確実に信頼できると言っていい存在は少ない。実力があり、なおかつロケット団とのつながりがほぼ確実に存在しないグリーンは、ワタルにとって数少ない味方だった。
「ナナシマのアジトはどうなんです?」
「いや、それも無さそうだった」
ナナシマ、とは一応カントー地方に属するはるか海の向こうにある小さな列島であり、かつては、そこにもロケット団のアジトが存在していた。
「ラジオ塔占拠事件のように、小規模な復活なのかもしれないが。それでも可能性の有りそうなところを一つづつ潰していくのは大事だな」
その方がいい、と、グリーンは頷いた。
さらにワタルがグリーンに問う。
「君は、ロケット団とクワノ一世の集団についてどう考えている? カントー警察局は、この二つの団体が同化し連携をとっていると考えているようだが」
ワタルは、クワノが『たましいのいえ』を襲撃した際に、グリーンと出会っていること知っている。
グリーンはその問いに少しだけ沈黙して考えをまとめた後に答える。
「連携を取っているのは間違いないと思います。実際にその場にクワノとロケット団がいたんですから。ただ、感覚的に、同化はしていないんじゃないかと思うんです」
「と言うと?」
「あくまでも営利主義だったロケット団と、そのような考えを持たないテロリズム集団であるクワノ一世の集団が同化できるとは思いません。もし『たましいのいえ』襲撃がロケット団の利益になるようなことがあるなら話は別ですが」
「なるほど、それは調べてみよう」と、ワタルはその意見に納得したが、「ですが」とグリーンが続ける。
「もし、その二つの団体の利害が一致する何かが存在するのなら、それは十分に考えられます。ただ、現段階では、それが見えてこないというだけで」
たしかに、今の段階ではクワノとロケット団の間に接点が見いだせない。
だが、彼らの延長線上に、何らかのものが存在する可能性はまだ十分にある。
「ワタルさん」と、今度はグリーンが問う。
「ロケット団の復活と、レッドの失踪に、なにか関係があるとは思いませんか?」
グリーンの横にちょこんと腰掛けていたピカチュウが、その言葉に耳を動かして反応した。
そして、それまでは落ち着いてグリーンと情報交換をしていたワタルも、それには少しだけ体を反応させて「なるほど」と頷く。
「確かに、それは考えられる。ロケット団ならばレッドに恨みを持っているし、失踪と復活のタイミングも辻褄が合う」
しかし、ワタルはすぐさま「しかし」と呟いて続ける。
「できるのか? そんなことが」
その言葉に、グリーンはグッと押し黙る。
ロケット団が復活したところで、果たしてレッドを拉致することなど、果たしてできるのだろうか。
かつてロケット団を根こそぎ壊滅させたあのトレーナーを、果たしてどうすれば打ち負かせることができるのか。
トキワジムリーダーのグリーンですら、それを想像することは出来ない。
「もし、そうだとしたら」と、グリーンが言う。
「相手は、とんでもない組織だということになります」
ワタルは「うーん」と唸ってそれを肯定した。
☆
あるだけの情報をそれぞれ交換し、ワタルがその公園を後にした後も、グリーンはそこに残っていた。
相変わらず誰もその公園に訪れてはいなかった。グリーンも思わず、その公園の必要性を心配してしまうほどに人の気配がない。
「とにかく、他のジムリーダーとも連携をとって警戒しろ、向こうは何をしてくるかわからない上に実力もある」
ポケギアの向こう側に向かって、グリーンが言っていた。
その向こう側でグリーンの声を受け取る人物、コガネジムリーダーアカネは、何時になく真剣な雰囲気でそれに頷く。
『わかった、他のジムリーダーにもよお言っとく』
クワノ一世の目的を信仰的文化財の破壊だとするならば、その目標になりやすいのは、カントーよりもむしろジョウト地方だとグリーンは考えた。すでに彼らの中である程度の対策は立てているだろうが、念には念をと、グリーンはアカネと連絡をとった。アカネに伝えれば、その他のジムリーダーにそれが伝わるのに半日とかからない。コウタがトキワシティに来る際に無理やり交換させられたポケギアの番号が、意外な形で役に立った。
「気をつけろよ、コガネシティにはラジオ塔もある。クワノとロケット団、どっちからも狙われかねない」
コガネシティの象徴的建造物であるラジオ塔は、かつてロケット団が占領した事件もあり、更に時を遡れば、ジョウト地方に存在する歴史ある塔を改築して作り出したという歴史的背景もある。グリーンに詳しいことはわからないが、おそらくその根本には何らかの信仰があっただろう。
『わかっとるわ、もしコガネに手を出した時には奥歯ガタガタ言わせたるわ』
頼もしい言葉だったが、グリーンは釘を刺す。
「もしものときは無理をするなよ。あいつら本当無茶苦茶やるからな、市民の避難を最優先に、お前も無理はするな、お前にもしものことがあったら、コガネを守る奴がいなくなるんだ」
グリーンは、クワノが放ったあの『だいばくはつ』を思い出していた。躊躇もなければ、一欠片の良心も存在しないあの攻撃が、もし、抵抗することが出来ない人々に向けられたときのことを考えると背筋が凍る。
「狂ってはいるが、実力は確かだ」
もう一度刺された釘に、アカネは少し間を開けてから『わかった』と素直に答え、その後二、三ほど言葉をかわした後にポケギアを切った。真剣だったからだろうか、通話が終わる時にいつも仕掛けてくる悪ふざけはなかった。
通話の終了したポケギアをポケットに戻しながら、グリーンはもう少しそこに腰掛けながら考えを巡らせようとしていた。その後にもう一度あのアミューズメントセンターに戻って散策をしてもいいと考えていたし、タマムシジムリーダーのエリカに連絡を取ったほうがいいのかもしれないとも考える。
その時、その公園に足を踏み入れるものがあった。
だが、グリーンはそれを気に止めはしなかった。その公園に誰かが訪れることなんかなんの不思議もないことだ、そもそも、そのために作られたスペースなのだから。それに、ワタルやアカネとの会話のような、誰かに聞かれて困ることを話すわけでもない、頭の中を覗き込まれるならば話は別だが。
だから、グリーンはその人物が乞食のような服を着てヒゲと髪を伸ばし放題の大男でないことをちらりと見やって確認しただけで、すぐにそれから目を切った。
だが、その足音は、だんだんとグリーンに近づいてきた。
「隣、開いてるかのお」
少し低い女声に不釣り合いな、強烈な訛りのある声が、グリーンに投げかけられた。
彼は反射的に「どうぞ」と言って、ピカチュウと共に少しベンチの端に寄った。
その後に、彼は不自然なことに気づく、ベンチは、自分が座っているものそばに、もう一つあったのだ。
ようやく、グリーンは隣りに座った女性に視線を移した。ピカチュウも同じように、グリーンのももに手をついて興味深そうにその女性を覗き込んだ。
グリーンよりかは年上だろうが、それでも若いと言っていい年代の女性だった。軽くかぶったキャップの中に髪を収納し、タイトなジーンズに包まれた足は組まれ、青い瞳が、ちらりとグリーンを確認する。
「あんた、殿堂入りトレーナーのグリーンじゃろ?」
それを言い当てたことに、グリーンは特に驚かなかった。わざわざ自分を見つけて横に座るような奴だ、それを知っていてもおかしくはないし、何より、グリーンはそのような経験を多少はしていた。
「一度、会ってみたかったんじゃ」
差し出された右手を、グリーンは「どうも」と言って握った。
同じようにその女性の右手に触れようとしたピカチュウに、彼女は素早くその手を引っ込めた。
「悪いの、ピカチュウは苦手なんよ」
抑えられた声に、ピカチュウは耳を垂れてすごすごとグリーンの隣に引っ込む。
珍しい人だな、とグリーンは思った。ピカチュウが苦手だなんて、中々そうはいない。
「すまんのお」と、もう一つ強い訛り口調で言ってから、彼女は切り出す。
「『たましいのいえ』では、散々だったのお」
グリーンは、その言葉に思わず背筋を伸ばして彼女の方を見た。
「どうして、それを知っている?」
彼女がただのミーハーな野次馬ではないことを、グリーンは理解した、クワノ一世による『たましいのいえ』襲撃に自分が関係していることは、警察と一部のトレーナーしか知らないことだった。それに、ミーハーな野次馬の第一声の質問が、そのようなものなわけではない。大抵の場合、あの試合のことか、トキワジムでの業務についてである。
グリーンの口調が、敵意あるものに変えられたものに動揺することなく、その女性はそれに答える。
「風のうわさで聞いただけじゃい。あいつらバカじゃけえのお、何するかわからん」
グリーンは、利き腕をボールに伸ばした。彼女がクワノについて何かを知っていることは明白だった。
だが、その女性は「いかんいかん」と、手を振る。
「馬鹿なことは考えんほうがええ、私は今はあんたの敵じゃないんよ。それに、あんたみたいな強いのと戦うのはごめんじゃわ。今日は会いたかっただけなんじゃ、お互いにゴウな事はやめようや。私はあんたに悪い感情はもっとらん」
当然、グリーンがそれではいそうですかと警戒を解くはずがない。
その女性は立ち上がって両手を上げながら「わかったわかった、今日はもう帰るけん、そんな怖い顔せんとってくれえや」と、そのままグリーンに背を向ける。
そして二、三歩ほど歩いたかと思うと、思い出したように「そうじゃ」と振り返った。
「もう一つ、聞きたいことがあったんよ」
警戒をしたままのグリーンに問う。
「あんた、神様を、信じるか?」
グリーンとピカチュウは、それに立ち上がって戦闘態勢を取った。その質問は、明らかにクワノ一世のようなスタンスを持った質問だった。
そして、グリーンが答える。
「いいや、信じない」
女性は「そうか」と、一つ呟いてから、その青い瞳でグリーンの目をしっかりと見据えながら続ける。
「私もじゃ、あんなもん、信じるほうがどおかしとる」
彼女は、そのままグリーンに背を向けて、その公園から去った。
グリーンとピカチュウは、その背中を呆然と眺め続けていた。
神の否定が、戦いの引き金だと、彼らは思っていた。故に、彼女が否定を肯定したことに、彼らは肩透かしを食らっていた。