8-頑張ってまスカら
メレメレ島、ボートエリア。
グズマとスカ男は、定期便のフェリーを待っていた。
随分とボロっちいな、と、スカ男は思っていた。おそらく、まだこの頃は、都会から来る観光客が、あまりメレメレ島には興味を示していなかったのだろう。メレメレの発展は、かなり急速に進んでいた記憶があったのだ。
そのボロっちい港に、信じられないほどに群がっている予想以上の人混みに、スカ男は戸惑っていた。それら全員が、グズマの見送りだというのだからビックリする。
しかも彼等は、その全てがグズマに対して尊敬と期待を持っているようだった。「頑張って」「頑張って」と、無責任な言葉が連続して聞こえてくるのだから、それに間違いはない。
改めてスカ男は、メレメレにおけるグズマの存在の大きさというものを強く感じていた。彼等はグズマの島巡り再挑戦に敬意を払っていたのだ。
この存在がグズマを強くし、破滅もさせたのだろう。期待とは、無責任なものだな、と思いつつも、自身もグズマに期待しきってしまっていることにスカ男は気づいて、頭を振って思考の袋小路に迷い込みかけていた自分を無理やり吹き飛ばした。
海が近いからだろう、風が強かった。スカ男は頭に巻いたバンダナが緩んでいないかどうか急に不安になって、後頭部に手をやってそれを確認する。スカル柄のニットキャップはもう被る必要はなかった。
その時、自分の名前を呼ぶ声があった。振り返ると、ハラが手を上げていた。
「一つ、伝えておいたほうが良いと思いましてな」
「なんでスカ?」
「ウラウラ島のホクラニ天文台ならば、あなたが見たという空の歪みを、確認しているかもしれませんな」
ホクラニ天文台、聞いたことがあるようなきがするなあ、とスカ男は思った。だが、実際に足を運んだことはない、そりゃそうだ、スカ男のような立場の人間が、天文台になんて行くわけがない。
「わかったッス」
スカ男は素直に頭を下げた。そして、質問を返す。
「ハラさん。グズマさんは、何故カプに認められないのでスカ?」
カプに認められる、それはアローラに生まれた少年殆どの共通の夢だった。
カプに認められるということ、それは、力を得るということだった。
今、ハラの右手首に嵌められているリング、それこそが、カプに認められたことの証明だった。
そのリングと、ポケモンに持たせているクリスタルが同調すると、トレーナーとポケモンが協力し、『ゼンリョク』の攻撃を放つことができる。
それはかつて、カプとしまキングが、アローラを侵略しようとした外敵に対して共に戦った時に授けられた力だと言われている、それは、人間にはあまりにも過ぎたる力だからこそ、カプが直接そのリングの元となる特別な石を授けたトレーナーにしか持つことを許されなかった。
島巡りを早々に挫折してしまったスカ男は、ポケモンに持たせるクリスタルをたった一つも持ってはいなかったが、それをクリアしているはずのグズマは、全てのクリスタルを手にしているだろう。人間側がトレーナーに課す試練は、全てクリアしているはずなのだ。
後は、カプにその石を貰うだけなのだが、カプは気まぐれなのか、それをグズマには施さなかった。それは、まったくないことではないのだ、実力に疑問符がつくようなトレーナーに、あっさりと石を手渡したり、グズマのように、実力は申し分のないトレーナーにそっぽを向いたりする。
最も、カプも同じことを思っているのかもしれない。何故人間は、あんなやつを認めるのか、あいつを認めないのか、と。
「申し訳ないが、それはわかりませんな」
ハラは、そう答えた。カプに認められたしまキングでさえも、カプの意思は理解することが出来ない。
そうだよな、と、スカ男は思った。それが分かっているのならば、こうはならない。
「ですが、あなたとグズマならば、きっとそれを見つけることができると、信じていますな」
そう言って力強く差し出された右手を、スカ男は同じく力強く握った。指が回りきらない、大きな手だった。
☆
バタバタと音を立てながら向かってくる風を受けながら、スカ男はフェリーの屋外席でうなだれていた。潮風の臭いが、これ以上無いほどにうっとおしい。たまにアローラに訪れる観光客が、この潮風を堪能していることは知っていたが、当時から、こんなものの何が良いのだ、と思っていたのである。
旧型のフェリーだった、彼が長く親しんできたアローラ間をつなぐ連絡船よりも、よっぽど古いオンボロ船だった。当然それは未来の連絡船に比べれば大きく揺れるし、気を紛らわせてくれる液晶テレビがあるわけでもない。唯一ラジオが船内では流れていたが、スカ男からしてみればノスタルジックも良いところ、彼自身自分がファッションリーダーでは無いという確固たる意志があることを差し引いても、あまりにもダサくて、気を紛らわせることなんて出来やしない。
つまり彼は、徹底的に船酔いしたのである。
「おっさん、大丈夫か?」
水に濡らしたハンカチと、自動販売機で買ったスポーツドリンクを持ったグズマが、心配そうにスカ男を覗き込んだ。
「大丈夫でスカら、お構いなく」
気持ち悪さと、情けなさから、スカ男の声はとても小さかった。
差し出されるハンカチとスポーツドリンクを、何の抵抗もなく受け取る。ハンカチはグズマのものだし、スポーツドリンクはグズマのおごりである。今この地球上に、自分より情けのない人間なんて存在するのだろうか、とスカ男は思った。正直なところ、『あっちの世界』の自分よりも、瞬間的には情けなさで勝っているのではないだろうかと思った。
もちろん、船酔いなんてものはそれぞれの体質が大きく関係してくるし、そこに人間的な優劣は存在しない、神経が過敏であることは、同時に繊細であることの証明でもあるし、神経の強さは、そのまま無神経さの証明にもなりうる。今スカ男が船の上で失態を見せたところで、彼がグズマの心を溶かしたという事実は変わりやしない。
それを分かっているからこそ、グズマは彼に施しをしているのだ。大体、病人がいたらハンカチを濡らすくらいのことはするし、スポーツドリンクをとりあえず購入する位のことは、誰だってするだろう、それこそスカ男だってするはずだ。
額を冷やしながら、冷たいボトルを頬に当てるスカ男の隣に、グズマは腰を下ろした。
「だいぶ、楽になったッス」
苦々しく笑うスカ男を横目に見て、グズマは少し遠くに目をやった。フェリーは少し方向転換をしたようで、メレメレ島が、ずっと目線の先に見える。
グズマは、ようやく、自分がメレメレ島から離れたということ、島巡りの試練を、再挑戦するのだということを実感し始めていた。
「なあ、おっさん。ありがとうな」
それは、もしスカ男が船の上でもピンピンしながら、グズマにこれからの挑戦を頑張ろうとゲキを飛ばされていたならば、絶対に彼の口からは出ることのなかった言葉だろう。
それを元気なスカ男に言うのは、気恥ずかしかった。
スカ男は、その言葉が自身に向けられていたことを理解はしていたが、強い実感が湧いているわけではなかった。それは彼が弱っているから、というのもあるだろうが、何より、グズマが自分に礼だって、と言う驚きだった。
「ずっと思ってたんだ、何かを間違えているんじゃないかって。だけど、どうしても、一歩踏み出せなかったんだ。たぶん、それを否定するのが、怖かったんだと思う。今まで自分が頑張ってきたことが、全部無駄だったのかもしれないってなるかもしれないのが、怖かったんだ」
スカ男は、額のハンカチを抑えたまま、少し体を起こした。
初めて気づいた。
今、自分の横にいる少年は、少年にしてはとても大柄なのかもしれないが、まだ、とても小さく見えた。
グズマではあるが、同時に少年でもあるのだ。期待と、焦りと、未来に翻弄され、自身が何者なのかもはっきりとはわからず、自身が卓越した存在であることを望み、凡人であることを恐れながらも、卓越しているということがどういう事なのかはわからない。そんな。
スカ男は、スポーツドリンクのボトルを脇において、その手でグズマの、色素の薄い髪の毛をガシガシと撫でた。それは、グズマの性格からすれば、あまり好ましい行為ではなかっただろう、だが、彼はそれを受け入れていた。
「頑張ってまスカら」
頭を撫でながら、続ける。
「グズマさんは、今までも、これからも、頑張ってまスカら」
グズマは上を向き、鼻を啜った。
☆
アーカラ島、ボートエリア。
グズマとスカ男の他に、もう何人かの観光客が、そこに降り立った。
アーカラ島は、アローラの最重要観光地だった。二つの高級ホテルがその証拠。
ひとまず地面が揺れていたスカ男が落ち着くのをグズマが待っている間に、観光客は足早にそこを去った。仕方ない、時間のない彼らの観光計画において、ボートエリアに長く居座る理由など一つもないのだから。
「アーカラ島にようこそ! 歓迎するわ!」
スカ男の世界が平穏を取り戻すより先に、彼等に話しかける声があった。
しまクイーン、ライチ。それは随分と若かったが、スカ男の知った顔だ。相も変わらず露出の多い服装で、その若さでそれは問題があるんじゃねえのか、と、どうでもいいことを思ったりもした。
「ライチ」
スカ男に気遣ったのだろうか、声こそ小さかったが、グズマは明らかに敵意に満ちた響きで彼女の名を呼んだ。
「何かしら?」
余裕たっぷりに、彼女は返す。
「俺と戦え」
三人が三人の描いたとおりの言葉が飛び出した。歓迎の意を露わにしているしまクイーンに対してのこの言葉は、相当な非礼だった。
だが、それが強烈な嫉妬心の裏返しであることは、ある意味でグズマ以外の二人はわかっていた。
「今は駄目よ」
茶目っ気たっぷりに片目をつむりながら、彼女が答えた。
これほどの余裕は、人間的な余裕ももちろんあるのだろうが、何より彼女のトレーナーとしての実力の高さのなし得る技だろう。若く、無防備な服装をした少女が、これほどまでの余裕を持てるのは、強さを持っているからに決まっている。
あるいは、グズマの嫉妬心に対する、明確な返す刃を持っているかだ。
「そもそも、メレメレ生まれのあなたが、私に対抗心を燃やすこと自体がちょっとズレてるでしょうに」
そのまんまの正論にグズマは返す言葉を失ったが、それをフォローするように、ライチが続ける。
「でも、島巡りをやり直すあなたの決意は十分リスペクトに値するわ。なかなかできることじゃないわよ」
差し出された右手を、グズマはじっと見た。今にもそれを払いそうだが、流石にそれは、子供すぎるだろうと、踏みとどまっていた。
これは流れを作らなくては、と、スカ男は大分水平になった地面を一歩踏みしめて、彼女の手を握った。
「よろしくお願いするッス」
ライチはスカ男に目線を向けて笑う。
「ええ、よろしく。あなたの事も噂には聞いているわ、なんでも優秀なコーチなんですってね」
流れで再びグズマの前に差し出された右手を、彼は渋々握った。
一つ大人になったッスよグズマさん、と、スカ男は嬉しく思ったが、流石に黙っておいた。
「とりあえず、新人キャプテンの試練を受けてみるのはいかがかしら? 随分と面白い試練よ」
この時期のキャプテンとなると、当然スカ男の知っている世代のキャプテンではないだろう。
「誰でスカ?」とスカ男の質問に、ライチは直ぐに答える。
「名前はカヒリ、場所は、ハノハリゾートホテルのゴルフ場よ」
カヒリ、ああ、その名前は知っているな、と、スカ男は頷く。
たしか、『あっちの世界』で設立されたアローラ四天王の一人だ、最も、世界的にはそれよりも女子ゴルフのトッププロと言う認識のほうが大きだろうが。
そりゃキャプテンくらいやっているだろうな、と、スカ男は一人納得して、グズマを見たが、彼はその目を見開いて、じっとライチを睨むことで、不服を露わにしていた。