6-今目の前の少年が道を踏み外す事を望んでいる自分は、一体何者なのか。
「『いばる』戦術はマズいッスよ」
「なんでだよ、成功すればぐっと流れを持ってくることができるじゃねえか。虫ポケモンはからめ手を駆使しないと一線級のポケモンと戦うことは出来ないっておっさんも言ってたじゃねえか」
「からめ手の方法がマズいッス」
それは、スカ男とグズマの、夜の日課だった。
その始まりは、ハラ家の客間で、スカ男がそろそろ寝ようかなと寝具の準備をし始めた頃に、グズマが外から窓を叩いた事だった。
それ以来、彼等は夜になると、スカ男の寝具を挟んで二人、戦術についての議論を深める。グズマは今以上の力を得るために、スカ男の戦術感がとても重要であると理解していたのだ。
スカ男もまた、グズマに未来の戦術を快く享受した。グズマは他の弟子達よりも数段格上だったので、応用的な戦術を理解することが出来たし、それらの戦術が生まれた背景のようなものも、薄っすらと理解しているようだった。
おそらく、グズマは単純な強さのためだけに自分を頼っているのだろう、と、スカ男は少しネガティブな気持ちを覚えていた、いずれ彼が自分の持っている戦術を全て理解すれば、彼は直ぐにそれらをも応用し始めるだろうし、おそらくそのときには、自分はグズマの戦術を理解できなくなっている。そうなった時、グズマは自分を頼ってはくれないだろう。
だが、それでも良かったのだ。あのグズマが、打算的で一時的ではあれど、自分を頼っているという事が嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。
かつて『あっちの世界』で、自分はグズマに頼りっぱなしだった。もっとも、直接的に彼に助けを求めるなんて恐れ多さと恐怖でとても出来たものではなかった。だが、スカル団という居場所、そして、スカル団というカサに、自分が頼りっぱなしだったことは事実だったのだ。
団員たちの中でそれを数値化したわけではないが、事グズマへの忠誠心という点においては、自分はかなりのものだろう、と、スカ男は自認していた。
考えたことがある。もし、もしグズマさんが自分を頼りにしてくれることがあれば、快くそれを受け入れよう。否、それではあまりにも身勝手がすぎる、自分は、グズマさんに頼りにされることがあれば、必ずそれに報いなければならないし、それを望んでいたのだ。グズマさんのためならば、と『あっちの世界』でどれだけ思っただろう。
「『いばる』戦術は、たしかに強力な戦術ッス。でもそれはあくまで格下が格上に対して使う場合に限りまスカら」
グズマが異論を挟まないのを確認してから続ける。
「あの技はギャンブルすぎまスカら、戦況に『運』を持ち込んでしまうッス。普通に勝てる相手との戦いに『運』を持ち込むのは良くないでしょ。実際に今日の手合わせだって、グズマさんちょっと危なくなってたじゃないでスカ」
母音に濁点を付けたような唸り声を上げながら、グズマは下を向いた。たしかに、今朝の手合わせの中で、明らかな格下相手のラッキーパンチを貰ってしまい、一転して窮地に陥るという場面があったのだ。
「じゃあ、俺より強いやつにやるのは良いだろう?」
「それもあんまりオススメしないッス」
スカ男はグズマの顔色をうかがいながら続ける。だが、グズマはスカ男をすっかり信頼しているようで、それに不機嫌な風を見せることはなかった。
「グズマさんより格上となると、多分それらの戦術が通用しづらいと思いまスカらねえ。それに、そもそもアリアドスやアメモースなんかは『いばる』戦術に向いてないッス。向いていないというより、もっとすごい使い手がいるといったほうが正しいッスね」
「へえ、そんなポケモンがいるのか」
「そうッス、クレッフィってポケモンなんスけど、『いばる』戦術に関してはこのポケモンがトップクラスっすね」
「どんな動きをするんだ?」
「特性が強いんスよ『いたずらごころ』って特性で、これは変化技を素早く出すことができる特性でスカら、『いばる』や、『みがわり』を、大抵の相手より先に出すことができまス。おまけに固くて、タイプも優秀でスカら、相当な力のあるポケモンッスね」
グズマは、「へえ!」と目を見張った。
「じゃあそのポケモンを持ってるやつは相当強いんだろうなあ」
「いや、実はそうでもないんス」
グズマが驚きの声を上げるよりも先に続ける。
「結局は運の要素が強い戦術ッスからね、安定性がないッス。さっきも言ったように、格下がなりふり構わずジャイアントキリングを狙うなら素晴らしい戦術ですけど、どっしりと腰を据えた戦いをするにはやっぱりそれ相応の準備と資質が必要ッス。やっぱりアリアドスやアメモースでやるべき戦術じゃないッスよ」
それに、とさらに続ける。
「グズマさんが、『自分より強いやつ』なんて言っちゃ駄目でスカら。らしくないッスよ」
グズマはハッとしたように寝具に体を預けた。全くの盲点、少しばかり気弱になっていた自分に気づいていなかったのだ。
「なあ、おっさん」と、グズマは再び体を起こしてスカ男と向き合う。
「今の俺には、何が足りていないんだろうなあ」
グズマは、自分の弱い一面を誰かに見られることを極端に嫌う傾向があった。だから、その質問をこれまで誰にもぶつけることはできなかったし、本来ならばするつもりもなかった。スカ男が自身の性分を認めてくれていると確信したからこその質問だった。
「俺はさ、ハラさんの弟子の中で一番つええんだ。それは分かるだろう?」
スカ男は頷いて肯定する、それを疑う要素は存在しなかった。
「でも俺はカプ神にも、ハラさんにも認められない。ってことはさ、何かが足りないってことなんだよ。なあ、それって何だろう」
スカ男は、少し複雑な心境になり、おそらくそれが表情にも出ていただろう。
「今のままじゃ、不服でスカ?」
この質問は、今この瞬間だけのものではない。これより先、つまりはグズマがスカル団というものを率いるための資質、スカル団というものに行き付いたグズマの人生そのものを問うものだった。
グズマは、スカ男の言った言葉の意味が全くわからない。といった風に眉を潜ませ、言葉にも「おっさん何言ってんだ?」と言った。
「おっさん、俺はしまキングであるハラさんの弟子なんだぜ。親だって俺をサポートしてくれている。俺はとてつもなく恵まれた立場にあるんだ、現状に不服がないなら、直ぐにやめてるよ」
それは、『あっちの世界』のグズマとはまるで逆の意味を持った言葉だった。しかし、スカ男は、その言葉に、グズマらしさというものを感じた。それは、目の前にいるのがグズマだから、と言う単純な理由ではない。おそらく目隠しをされていても、グズマさんみたいなことを言う人だな、と思っただろう。
彼は、その言葉に強い責任感のようなものを感じていたのだ。
そもそもグズマほどの強さがあるのならば、自分達のようなグズを中身に引き連れる必要なんて微塵もなかったはずだ。強いやつと強い徒党を組めば、もっと好き勝手出来たはずだ。
それでも自分達をスカル団に引き込んでくれたのは、やはりそこにはな何らかの責任感のようなものを感じていたからなのではないだろうかと思うのだ。
スカ男は虚しさを感じながら。それに答える。
「俺には分からないッス、でも、それはきっと、自分で見つけるしか無いものなんでスよ」
吐き気のするような、青臭い、意味の無い。純白のドレスを身にまとった罪無き少女が、裾を持って、飢えている子供を避けながら語る言葉のような、そんな。
☆
翌日、スカ男はリリィタウンの騒がしさに目を覚ました。
怒声だ、怒声が聞こえる。しかもそれは、オクターブこそ低いが、聞き覚えのある怒号だった。
「グズマさん?」
まだ睡眠状態だった脳と体を無理矢理に覚醒させて、グズマは寝具から跳ね起きた。寝具をそのままに、客間を飛び出す。
さらにハラの家から飛び出そうとしたスカ男を、同じくハラの家に下宿している弟子の一人が止める。
「今は、行かないほうが良いですよ」
彼はその理由を知っているようだった。
「一体何があったんでスカ?」
弟子はため息を付きながらそれに答える。
「ライチがね、アーカラ島のしまクイーンに選ばれたんですよ」
知った名だった。『あっちの世界』でもしまクイーンだった。
そして、スカ男はその一言で、グズマの怒声の理由を完璧に理解したのだ。
「今、ハラさんがなだめてるんだ。今のグズマは誰にでも噛み付くよ、だから」
行かない方が良い、と続くはずだったその言葉をスカ男は完全に無視して、ハラの家を出た。
「グズマ! 何やっているんだ!」
他の弟子のポケモンを徹底的に痛めつけていたグズマに、ハラが声を荒げる。
「おかしいだろうが」と、グズマはグソクムシャをボールに戻しながらハラに振り返った。
「ライチがしまクイーンだって? おかしいだろそんなの。俺はあいつに勝ったことだってある。そんな俺がキャプテンにもなれず、あいつはしまクイーンだ」
息は荒く、目は据わっていた。 だが、その意見の全てが暴論だとは、誰も思っていなかった。
「カプも、あんたも、まだ俺の強さを疑っているんだろう? だから証明してやってるんだ。このメレメレで一番強いのは誰かってな、それをあんたが止める筋合いなんて無いだろうが」
ハラは押し黙ってしまった。今直ぐにポケモンを繰り出して、グズマを叩きのめすことは、ハラなら十分にできただろう。だが、それをするだけの稚拙さ、相手の意見に耳を貸さず、理解もせず、だがそれを一方的に間違っていると腕力で叩き伏せる事ができる知性の無さを、ハラは持ち合わせてはいなかった。
ハラは、統括者としてはこれ以上無いほどに優秀な男だったが、こと指導者としては、そのような腕力に欠ける部分が、相手にある程度歩み寄ってしまう優しさがあったのだ。
スカ男は、ついにこの時が来たのだ、と思った。
この押し問答には、答えが無い。ライチがしまクイーンになったのは事実だろうし、グズマがライチに勝利したことがあるのも事実なのだろう。そして、それでいてグズマが未だにカプ神に認められていないのも事実なのだ。
グズマ、ハラ、このどちらかが折れぬ限り、この沈黙は晴れないだろう、だが、ハラが折れたところで、グズマがカプに認められるわけではない、グズマが折れたところで、彼がこれまで通りに純粋な心を持っていして修行に身を落とすことは出来ないだろう。
そして、どちらかがどちらかを捨て去ることもおそらく出来ないのだ、グズマは自身の強さに自信を持っているからトレーナーという業から逃れることは出来ないし、ハラも同じくグズマの強さを知っているからこそ、ここで彼を切り捨てることが出来ないでいる。
となれば、この事件の顛末はただ一つ、ハラはグズマを罰せず、グズマはハラの元を去る。自身の強さの正当性を強く信じたままだ。
まさか、スカル団が誕生するその瞬間を目にすることができるとは思わなかった、と、スカ男は思っていた。自分がよく知る、何も恐れない兄貴分としてのグズマへと変貌する瞬間がもはやすぐそこ。
そうなれば、自分は迷うこと無く彼のサポートに回ろう、と、スカ男は決意していた。
だが、果たして、本当にそれは良いことなのだろうか、と一瞬思った。
その思いを、自身の中に住むもう一人の自分が、打ち消した。良いに決まっているだろうと、だって、グズマがスカル団をまとめてくれなかったら、自分や、相棒は、どこに行けば良いのか。
それに、それを良いことではないと結論づけてしまえば、それはそのまま、自分の、自分達の否定になってしまうではないか。
「それって結局、俺の我儘なんじゃないでスカ?」
小さな声だった、小さな声だったが、スカ男は自らの中に巣食うもうひとりの自分を、確実に否定した。
そうだ、それは自分の都合なんだ。結局のところスカ男は、自分の居場所が欲しいだけだったのだ。
だとすれば、だとするのならば。
自らの都合のためだけに、今目の前の少年が道を踏み外す事を望んでいる自分は、一体何者なのか。そう考えた時に、彼はゾッとした。自らの恐ろしさが信じられなかったのだ。
もう、決別しなければならない、と彼は思った。『こっちの世界』だからこそ、決別しなければならないと強く思った。考えてみろ『こっちの世界』の居場所なんて、どうでもいいではないか。たしかに今この世界に、自分を愛してくれる存在はいないかもしれない、だが、同時に、自分を否定する人間もいやしないじゃないか。
スカ男は、被っていたスカル柄のニット帽子を脱ぎ去った。彼の人生の中でも、かなり高い買い物であったそれは、もう彼には必要のないものだった。
そして、彼はグズマに向かって一歩踏み出した。その後さらにもう一歩踏み出し、彼に向かって歩き始めた。
その場にいる人間全員が、それに気づいていた。だが、誰もそれを止めなかった。
当然グズマも、それに気づいている一人だった。だが、それを咎めることは出来ない。
スカ男の決意が、彼に凄みを与えていたのだ。
彼は、グズマの真正面に陣取った。
そして、ゆっくりと、グズマの両肩を掴んで揺さぶった。
「グズマさん、このままじゃダメになりまスカら!」
そしてさらに続ける。
「今ここで、俺と戦うッス!」