33-誰も欠けちゃならないんだ
アローラのために全てを破壊せんとしているルドベキと、アローラのためにそれを食い止めんとしているグズマがぶつかるポニの広野に、そのポケモンは降り立った。
今この瞬間に、お互いから目を離すことは致命的なミスに繋がりかねないことを知りながら、グズマもルドベキも、不意に現れたそのポケモンに目を奪われていた。何故そのポケモンが、何故今、何故ここに現れるのか、全く見当がつかない。それを想像もしていないし、その予兆があるわけでもなかったのだ。
まず彼らの中にあったのは、純粋な驚きだった。そもそもそのポケモンが、ポニ島に降り立つなんてありえないのだ、何故ならばここは、彼の管轄外なのだから。
そのポケモンが、無知で不運な野生のポケモンではないことを、彼等は知っていた。何故ならば、そのポケモン、カプ・コケコは、アローラ地方で、神とされているポケモンだったからだ。人は、無知なポケモンを神とは称さないだろう。
カプ・コケコ。
神と一概に言っても、アローラの民一人一人が彼に持つ感情は、それぞれ違ったものであるだろう。
あるアローラの民は、彼に敬意を表しているだろうし、またあるアローラの民は、彼に尊敬を持っているだろう
グズマは、傍らに佇むカプ・コケコに対して、恐怖の感情を抱いていた。
彼は、カプに認められているわけではない、そして彼は、スーパーメガやすのあの事件を直ぐ側で体感している。一体自分が何をされるのか、気まぐれだと言われている思考の読めない神が怖かった。
その時である、カプを見つめるグズマの目前に、電撃が舞った。それは力を持って、グズマとカイロスを、その場から突き飛ばした。それは攻撃だった。
瞬間、グズマは自身がカプに抱いていた恐怖が、間違いではないことを確信していた。
だが、その考えも間違いであることを、すぐ後に理解することになる。
「『トリックルーム』!」
ルドベキの声だった。グズマがその方を見ると、ルドベキは新たにゴーストを繰り出している。
ルドベキとカプ・コケコをすっぽりと覆うように、念動力で作られた特殊な立方体が現れた。
目の前にカプ・コケコが現れる。それは、ルドベキにとって、願ってもない状況だった。
カプとの決裂を決意して以来、何度この状況を夢見ただろう。
あの日以来、ルドベキの人生は全てこの瞬間のために存在していたと断言しても良い。破壊だ、アローラの全てを破壊するためには、必ず行わなければならない儀式なのだ、否、カプ破壊することそのものが、アローラの全ての破壊と言っても過言ではないだろう。
あの日のよう、失敗することなどありえない。引きこもったエンドゲイブの中で、何度も何度もシュミレートしたこの状況を、ルドベキほどの男が、逃すはずもなかった。
速いものは遅く、遅いものは早くなる。特殊な部屋だ。
勿論カプは、その部屋の特性を理解してはいるだろう。だが、理解したところで、対処ができるわけではない。
鈍重なポケモンが、どれだけ鍛錬を積み重ねてもカプ・コケコを捉えることが出来ないのと同じように、カプ・コケコがどれだけそれを意識しようとも、鈍重なポケモンよりも鈍重になることは出来ないだろう。恨むのならば、生まれ持った優位性を恨むしかない。
ゴーストを手持ちに戻し、ルドベキはオニシズクモに、それの破壊を命じた。
その部屋の中で、オニシズクモは躍動する。
コケコは、それに迎撃しようとした。抵抗は無駄だった。そもそも、ルドベキの支配する戦場に足を踏み入れている時点で、コケコに勝ち目などあり得なかった。
弾丸のように、オニシズクモの水疱が、『アクアブレイク』が、遂にコケコを捉えた。
コケコは、それをから全身で受け、『トリックルーム』の室内で、ゆっくりと、地面に叩きつけられる。
ルドベキが再びゴーストを繰り出して、『トリックルーム』を解除する。
その瞬間、コケコは目にも留まらぬスピードで地面を跳ね返り、再び地面に叩きつけられた。
無理だ、と、グズマは思っていた。あのオニシズクモの『アクアブレイク』を、あそこまでモロに受け、無事でいるわけがない。命までは奪われていないかもしれないが、とても戦闘ができるとは思えない。
グズマの想像通り、コケコはわずかに不規則な呼吸をしているようで、よく見れば小さな体が、リズム悪く上下していた。
グズマは、まだそれを受け入れられてはいなかった、恐怖の対象とは言え、彼にとってもカプ・コケコは神であった。その神が、トレーナーに、ポケモンに攻撃されて、潰れている。
彼がその光景を見て第一に抱いた感情、それは絶望だった。最も、アローラの民がその光景を見れば、誰だって絶望するだろう。アローラの神だ、アローラの戦を司る神だ。アローラに外敵が現れれば、真っ先に飛び込んで戦う、頼もしい守り神だ。
その神が潰されてしまったら、一体誰がアローラを護るのか。
グズマの絶望を切り裂くような咆哮が聞こえた。
それは、ルドベキのものだった。息を吸い込み、大きな体を膨らませ、とても人間が放っているとは思えない咆哮を上げていた。
それが歓喜の咆哮であることに、疑問の余地はなかった。
彼にとっては、念願の瞬間だった。
長らく、長らく実現しようとしていた破壊の一つを、遂に彼は成したのだ。咆哮の一つや二つ、誰だって上げるだろう。
ルドベキとオニシズクモは、前進した。彼らの進むその先に、グズマは存在しない。彼らはもはや息をするためだけに全ての生命力を費やしている守り神を破壊し、守り神だったものにしようとしていた。
もはやルドベキの視界には、まだカプ・コケコであるものしか無かった。自分が何者で、これまで何をしていたか、そんなどうでもいいことは、頭に無かった。ただただ自分が成さねばならないことだけが、彼の全てを支配していた。
だから、彼は自らの進路に不意に現れた、一人と一匹のポケモン、その意味がわからなかった。自らの成すべきことの前に現れたそれらの邪魔者が、果たして何者なのかを理解しようとしたその時に、彼は、自分が、ついさっきまでグズマと言うトレーナーと戦っていたのだということを思い出した。
ルドベキは目線を、まだコケコであるものから、グズマに戻した。
グズマは、ルドベキ達とコケコの間に、足を震わせながら立っていた。自身を落ち着かせるために、脳に酸素をより多く供給するために、それでいて呼吸器に問題をきたさないように、大きく息を吸い、大きく吐きながら、それはあまりにも危険だと彼を止めようとする理性を、生存するための本能を沈めるために流れる脂汗が目に入っても、それを涙で流すための瞬きを我慢し、おそらく彼がそれ以上の経験をすることはないであろう絶望の中、彼はルドベキ達の行進を止めていた。
「素晴らしい、尊敬に値する精神力だ」
ルドベキはグズマを賞賛した。
「神であるコケコのこの惨状を目の前にしながら、まだ俺達に立ち向かう勇気と、希望を持てるとはな。惜しい、あまりにも惜しい。俺達の一族に一人でも良いからお前のようなやつがいれば、俺はお前を、一族の英雄と、尊敬していただろう」
だが、と言って続ける。
「馬鹿だ、大馬鹿者だ。こうなってしまえば、どちらに付くのが正義であるのか、分かりそうなものだ」
少しばかり沈黙を作った後に、彼は首を傾げて「どうして誰も、俺に賛同してくれないんだろうな」と宙に問うた。
グズマは、気づいていた。
今目の前にいる男、ルドベキは、決して強者などではない、否、むしろ彼は弱者なのだ。
だってそうだろう、己の正義が誰にも認めてもらえず、誰にも褒めてもらえず、理解されず、むしろその力を恐れられ、それでも自我を保つことの出来る強靭な精神力は持ち、一人で洞窟に引きこもり思想の日々、それを弱者と呼ばず、何を弱者と呼べば良いのか。
グズマは、彼等を護らなければならないと、本気でそう思った。アローラでもない、カプ・コケコでもない、ルドベキを、彼を護らなければならない、グズマは、ルドベキを護るために、彼等の進路を塞いでみせたのだ。
否、そうではない。
ルドベキを護ること、それはそのまま、アローラを守ることでもあるのだ。
ならば、自分は守りたい。
アローラを、この地を守りたい。
彼の中で散らばっていた幾つもの思想が、一つになった。
その時、グズマは、自らの左手が、何かを握っていることに気がついた。彼はルドベキから目を離さないようにと、その感触からそれの正体を掴もうとしたが、さっぱりわからない。
石のようだった、なんで石を握っているのだろう。もしかすれば、立ち上がる時に、そこにある何かを掴もうとしたのかもしれない。
オニシズクモが、グズマに襲いかかった。カイロスはグズマを庇うために攻撃を受け、コケコと同じように吹き飛ぶ。その先を見なくとも、戦闘不能になったことは明らかだった。
「今なら、まだ間に合うぞ」
ルドベキが、グズマを見据えて言った。それは強者の余裕からではない、むしろその逆、彼は仲間が欲しい。
グズマは、不思議と落ち着きながら、カイロスをボールに戻した。
そして、本心から言う。
「あんたと、あんたの相棒の力はすげえよ、素晴らしい。こんな攻撃をするやつを俺は見たことがないし、多分、これからも見ないだろう。本当に素晴らしいんだ、あんたはアローラにとって無くてはならないトレーナーだ」
ルドベキは、その賞賛を、グズマが自らの理念に導かれ初めているのだろうと都合よく愚かに解釈して、それに頷いた。
だが、グズマは続ける。
「誰も欠けちゃならないんだ、誰かが欠けちまうと、それはもうアローラじゃねえんだ、俺の守りたいアローラじゃねえんだ」
そこまで聞いて、ルドベキはようやく、グズマが自らの理念に導かれているのだという楽観的な考えが、滑稽な間違いであることを理解した。彼は右手を上げ、オニシズクモは構える。
俺は、と、グズマがルドベキを見つめる。
「俺は、アローラを守りたい、弱い奴らを守りたい、あんたも守りたい、世界を守りたい。だから、だからゼンリョクで、守らせてくれよ!」
ルドベキは、少しだけ戸惑った。何の根拠もありはしないグズマのその言葉は、しかし信じられないような力強さで、ルドベキの心を震わせていた。
だが、ルドベキはその震えすらも不必要な、彼の理想の世界のためには不必要なものだと冷徹に切り捨て、右手を振り下ろして『アクアブレイク』と叫んだ。
グズマは、攻撃を指示したルドベキを恨まなかった、もう引き返せないのだ。
ルドベキは優しい男だ、精神の強い男だ、正義の男だ、そんな彼が、今更自らの主張を変えることが出来るはずがない。
むしろ、グズマはそれを誇らしいとすら思った。こんな男が、アローラにはいるのだ。
だから、グズマは悔しかった。何も出来ない自分が情けなくて、悔しかった。
彼を止めたい、彼を守りたい。だがそれには、力が足りない。
力が欲しかった、ルドベキを護ることが出来る力が欲しい。
だが、自分にその力は無い、その現実を、彼は受け入れていた。
だから、彼はゼンリョクで、力を振り絞った。左手にある物を握りしめながら、彼はゼンリョクのあまりに無茶苦茶なフォームで、不格好に踊るようにボールを投げた。
「『であいがしら』!」
現れ、右腕を振り上げたグソクムシャは、その全身に、力が漲っていることに気がついた。明らかに、自身の能力の限界を超えた力だった。
その力は、自らの胸につけられているクリスタルから湧き上がっていた。リングを持っていないグズマが、それでも諦めきれず、彼自身を奮い立たせるために、自分達が島巡りを達成した存在であることを、せめて自分達だけでは誇りに思おうと、手持ち全員に持たせていたクリスタルから。
それに同調するように、グズマの左手にあるものも光り輝いていた。ルドベキはその光に目を奪われながらも、それでも自分達が負けることはありえないと、オニシズクモを信じた。
グソクムシャの右腕と、オニシズクモの水疱がぶつかる。
ポニ島全体を震わせるような衝撃が残った後に、グソクムシャの右腕が、オニシズクモを吹き飛ばした。