32-俺達は、それに抗う権利があるだろうが
グズマはアリアドスをボールに戻し、瞬間的に発想を頭のなかに思い浮かばせようとした。
だが、その時間はなかった、眠っているはずのオニシズクモは、決して視界に捉えては居ないはずのグズマの元に歩み寄り始めていたからだ。時間を使えば、島ごとグズマが破壊されてしまうだろう。
グズマはすぐさまグソクムシャを繰り出して、オニシズクモと対面させる。そして、その行進を止めるために『であいがしら』と叫んだ。
ボールから飛び出した勢いそのままに、グソクムシャがオニシズクモに飛び込んで爪を振り上げる。それは意識のおぼつかない相手には絶好の速攻だった。
しかし、ルドベキがニ、三言指示を出せば、オニシズクモはすぐさまグソクムシャの爪を迎撃するかのように、頭部を覆う水疱による頭突き攻撃『アクアブレイク』を繰り出した。
グソクムシャの『であいあしら』によってオニシズクモの足は少しぐらつきを見せる、だが、オニシズクモの『アクアブレイク』は、グソクムシャの爪を弾き飛ばした。『であいがしらに』による攻撃が成功しながら、自らのほうがダメージを受ける、着地こそ成功したが、グソクムシャにとっても、グズマにとっても、それは初めての経験だった。
「浅はかだな」と、ルドベキが言った。傍らのオニシズクモは『ねむり』から覚め、水疱を大きく揺らして意識を覚醒させていた。
ルドベキの言葉に、グズマは舌打ちする。水タイプの打撃攻撃である『アクアブレイク』に対して、水に抵抗を持ち、厚い装甲から打撃攻撃に強いグソクムシャを選択した。自身の判断力に対する信頼を揺さぶられないためにもう一度自問自答する。自身が限られた一瞬で導き出したその判断は、間違いないと断言できる。
だが、ルドベキの言う浅はかさも、今なら理解できる。信じて繰り出したグソクムシャの攻撃が、弾き返された現実がある。
グズマは、ルドベキの持つ破壊という概念を、測りそこねていたのだ。彼の持つ破壊という手段が、まだ自分達の知る戦いの延長線上に存在すると信じて疑っていなかった、トレーナーがいて、ポケモンがいて、主張をぶつけ合う、そこに道義が加わることで、ここまでトレーナーがリミッターを外すことが出来ることを、枠の中で生きてきた彼は知るはずがなかった。
理不尽だった、あまりにも理不尽な、破壊という力がそこにはあった。
しかしグズマは、抵抗を諦めなかった。
「『シザークロス』!」と、彼は叫び、グソクムシャも破壊に怯むこと無く、オニシズクモに向かっていく。
あるいはもう、自分達にそれを止めることは出来ないかもしれなかった、だが、だからといって、自分達が破壊に対する抵抗をやめてしまうことは、あり得なかった。
それは、ベンケイに彼らと戦えと言われたからか、違う、カプに認められる島巡りのためか、違う。彼らは、あの時言語化することができなかった、ルドベキの思想を拒んだ理由を、おぼろげながらに掴み始めていた。
グソクムシャの爪による『シザークロス』と、オニシズクモの水疱による『アクアブレイク』が、再びぶつかった。
奇跡を信じた、だが、やはりそれは弾かれた。
グソクムシャは『ききかいひ』するために自らグズマのもとに戻り、ボールへと収まった。
「やるじゃないか」
ルドベキは一転してグズマ達を賞賛した。彼らの攻撃によってオニシズクモが負ったダメージに、驚いていたのだ。それは、彼のイメージを遥かに超えていた。
そして、グズマを賞賛する彼の笑顔は、毒気のない、例えば悪ガキ達を束ねる良き兄貴分のような、見ていて気持ちのいいものだった。
だが、その表情もすぐに変わる。
彼はオニシズクモに『ねむる』の指示を出しながら、続ける。
「ますます惜しいな、お前さんがいれば、俺の理想であるアローラの破壊を、必ず達成できるというのに、何故、どうして理解してくれないのか」
グズマは、今から自分が言うであろう言葉が、自分の立場からすれば大言壮語もいいところであることを理解していたから、大きく、一つだけ深呼吸して、今度はしっかりとその質問に返す。
「あんたがアローラを破壊するのだと言うのなら。俺は、俺達は、それに抗う権利があるだろうが」
一つ置いてさらに続ける。
「あんたはすげえよ、あんたとオニシズクモのコンビには、正直理不尽さすら感じる。多分、ポケモンを持たねえ、持っていても上手く戦うことが出来ねえ奴らは、あんたを止める術がねえ」
グズマは力を持っていた、それを理解している。自分よりも力を持たないアローラの民が存在することを知っている。
グズマは、今日この時この瞬間まで、自らが持つこの力を、どのように使えば良いのかわからなかった。カプにその実力を認めさせるためだけにその力を振るおうとしていたこともあったが、それが間違いであることはすでにスカ男に教えられていた。
だが、今なら分かる。
「俺は、あんたを止める術がない弱い奴らを守るために、弱い奴らの代わりにあんたと戦うんだ」
ルドベキは、グズマの返答に言葉をつまらせた。
もっと単調な、ありきたりな、ちっぽけな正義感に溢れた言葉が返ってくるものとばかりに思っていた。破壊は良くないだとか、誰もそんなことを望んでいないだとか、あるいはルドベキ思想そのものを捻じ曲げようとするような、矛盾に満ちたような言葉が返ってくるとばかり思っていた。
だから彼は、グズマの言葉を何度も頭のなかで巡らせた。そして、彼は頭を振ってそれに答える。
「お前さんの考え自体には敬意を表したい、弱者を守るために戦う、それは俺も同じだ」
皮肉なことに、ルドベキも、その思想の根の部分はそこにあった。
「だが、どうやら俺達は交わらないようだ」
ルドベキは、強い信念を持った男だった。
彼はオニシズクモに『アクアブレイク』の指示を出し、グズマは、新たにカイロスを繰り出した。
ここに、二人の思想は完全に決裂した。
☆
だんだんと近づいてくる地響きに、スカ男は慌てて外に飛び出した。
その後からベンケイ達が彼を落ち着かせるように続くが、むしろ行動として普通なのはスカ男の方であった。
普通、地響きと、揺れがだんだんと近づいてくれば、誰もがスカ男のように慌てふためく、それを当然の現象として受け止めているベンケイ達の方がおかしいのだ。
「一体何なんでスカ!?」
どうすれば自身の身を守ることが出来るのかと、考えを巡らせながらスカ男が叫んだ。
「戦っているんだ」と、ゲニスタが答える。
「ルドベキが、彼とね」
信じられなかった、このような地響き、ポケモン同士を戦わせることで生まれるとは思えない、まるで災害のようだ、実際、ゲニスタやヤマホと戦っているときには、こんなことなかったじゃないか。
「ヤバイじゃないでスカ!」
これはもう普通ではない、スカ男は真っ先にグズマの身を案じた。
だが、ヤマホが冷静に答える。
「これが続いている内は、まだ大丈夫。少なくとも負けているわけじゃない」
じゃが、と、ベンケイが続ける。
「問題なのは、その後じゃな」
スカ男は、その言葉の意味するところが理解できなかった。
「もし、ルドベキが勝利しているようなことがあれば、ワシが奴と戦うことになる」
それに、ゲニスタとヤマホが、自分達も手を貸すと、ベンケイに同調した。
スカ男は、まだあったこともないルドベキと言うトレーナーへの恐怖を募らせながら、同時に、そのようなトレーナーと戦わされているグズマに対し、同情的な気持ちを覚えながら、ある種の理不尽さのようなものも感じていた。
「なんで、グズマさんだけが、こんなに苦労しなきゃいけないんでスカ?」
誰にでも無く、宙に語りかけた問いだった。
すんなりと、キャプテンになるトレーナーがいる、まるでそれが決まっていたことであるかのように、何の気なしに、机の上にあるきのみを手に取るように簡単にカプに選ばれるトレーナーがいる。まだ何にもしていないのに、カプが勝手にリングを手渡すようなトレーナーだっている。
どうしてグズマが、こんな苦労をする必要があるのか。
それに答えたのは、ゲニスタだった。
「カプ神の決めることだから、僕達にはわからない」
それが答えとして最も明快なものだった。
スカ男は唇を噛む、そんなこと、自分にだって分かっている。彼が求めている救いはそのような明快な答えではなかった。
悔しげなスカ男に同情するように、だけど、と、ゲニスタが続ける。
「僕達と違って、彼は逃げなかった。だから苦労し続けていると言う考え方も、あるんじゃないかと思う」
スカ男は、顔を上げた、ゲニスタのその言葉は、グズマへの最大の賛辞であると共に、スカ男への賛辞でもあったのだ。
そしてスカ男はようやく気がついた、グズマがルドベキと戦っているということは、グズマは、『こっちの世界』のグズマは、アローラの伝統の破壊と言う思想を受け入れることを、拒否していたのだ。
スカ男は、それを誇らしく思った。それは、彼の知っているグズマの真逆であるのにもかかわらず、彼は自らが信じた男が、最後まで戦い抜くことを決意していることが、嬉しくてたまらなかった。
あ、と、ヤマホが空を見て漏らした。
スカ男達がつられてそれを見ると、雲一つない晴天の空に、一筋の光が流れていた。
スカ男は、それを流れ星だと思った。当然だ、彼はたとえ昼間であろうと、空を走る一筋の光が流れ星以外の何かであるなど考えてもいなかった。
だから彼は、手を組んでそれに祈った。
頑張れなどと無責任なことは言わない。せめて無事で、グズマが無事でさえいてくれればそれで良かった。
ベンケイだけが、その光の正体を知っていた。
だが、ベンケイは、何故それが今ここでこうして現れているのか全くわからない。彼の知る限り、その理由は全く無いように思えた。
目を瞑っていたスカ男も、ようやくそれに気がついた。その光は、流れ星のように消えるどころかドンドンと勢いを強め、ポニ島の方へと向かってきているようだった。