3-行ってみたいところがあるのですが、良いでスカ?
リリィタウン。やはりと言えば良いのだろうか、ついこの間まで自分がアローラ相撲をしていたあのリリィタウンとは全くの別物だった。
まだハラには多くの弟子がいるのだろう、土俵の周りは手入れが行き届いているし、リリィタウンそのものが、雑草一つ無いさっぱりとした印象だ。
スカ男は、自らの前に姿を現せたハラの若さには驚かなかった。だが、自分の知っているはハラよりかは若いとは言え、十分高齢の域に入るはずのハラが、その全身からとんでもない威圧感を醸し出していることには、とても驚いた。白髪こそ自分の知っているハラと変わらないが、ハリのある表情にはシワが少なく、何より腹が引っ込んでいたのだ。
「元気に、なりましたかな?」
ハラは、笑顔を見せてスカ男の手を取った。軽く握っているのだろうが、スカ男は手に若干の痛みを感じる。
「まだ、少し混乱しているみたいですよ」
スカ男をリリィタウンまで案内してきたグズマが、ハラにそう言った。混乱とは、スカ男が病院で見せた一連の立ちふるまいを擁護しているのだろう。
スカ男は、そこでようやく自分がまだ帽子をかぶったままだという事に気づき、それを取って頭を下げる。流石に顔を覆うバンダナはポケットの中だった。
「どうも、助けていただいたようで、感謝してるッス」
「困ったときは、お互い様ですな」
大きく笑うハラを見て、スカ男は、性格に関してはあまり変わっていないな、と思ったが、そもそも、この世界を過去とするのなら、自分がいた世界のハラを仮定して、過去のハラに対して性格が変わっているだの何だのと思うことは間違っている認識なのではないか、変わるのは未来の人格であって、もし仮にこの世界のハラの性格が自分のいたハラの性格と大きく違っていたとしても、それはこの世界のハラが変わっているのではなく、時を経て自分のいた世界のハラの性格に変化した、というのが正しいのではないか、とそこまで考えて、自分は何をそんなくだらないことを考えているのだ、と頭を振る。そんなことよりも、もっと重要な事があるだろう。
「あの」と、スカ男は切り出す。
「二人だけで、話すことはできまスカ?」
ハラは、スカ男の言葉に少し驚いた様子を見せて返す。
「私も丁度、そう言おうと思っていたところですな」
そしてハラは、グズマに礼を言って、自由にしていいと彼を開放する。
「『いくさのいせき』に行きませんかな?」
それに何も返さないスカ男が、説明を求めているのだと判断して、ハラは続ける。
「あそこなら誰かに聞かれるということは絶対にありえませんからな。あなたも、何かを思い出すかもしれませんな」
何かを思い出す、と言う言葉に、スカ男は、ハラはまだ自分がこの世界の人間で、何らかの影響で記憶を喪失しているのではないかと思っているのだなと思ったが、丁度それを訂正することが、自らの目的でもあったので、何も言わずに頷いた。
☆
それまでと違い『いくさのいせき』の周りは、特に変わっているようには思わなかった。まめに掃除がされているのだろうか、雑草が見当たらないな、と思ったくらい。
「まずは、これをあなたに返さなければなりませんな」
ハラは懐から小さなメモ帳を取り出して差し出した。それを見て、ようやくスカ男は自身のポケットを確認し、それが存在しないことに気がついた。
その小さなメモは、バトルのマニアだったスカ男が、テレビ中継で観戦した他国のチャンピオンや四天王のポケモンの技や戦術を、びっしりと書き留めていたものだった。何に使うというものでもなかったが、そうすれば自分も画面の向こう側のスタートレーナーと同じ時間を共有しているような気持ちになれたのだ。最も、実力的なことを考えれば、とてつもなくバカげたことを思っているのだが。
「ありがとうございまス」
メモを受け取ったスカ男に、ハラは尊敬の声色で話しかけた。
「あなたは随分と戦術に精通していらっしゃるようですな、すべてを見たわけではありませんが、様々な興味深い戦術に驚きましたぞ」
スカ男は驚いた。そりゃたしかにこのメモに書いてあるのはある程度高等な戦術ではあるが、ハラほどの熟練者ならば、すべてを網羅していてもおかしくないものばかりだった。
そこまで考えて「あ」、とスカ男は脳内の驚きの声を漏らした。そうか、そういうことか。
つまりこれらの戦術は、まだこの世界では確立されているものじゃないんだ。そりゃ勿論カントーやらイッシュやらの本場ではありふれている技術かもしれないけれど、情報の発達していないこの世界のアローラ地方では、すべてのトレーナーが持っているとは限らない知識なのだ。
一瞬だけ、それらの知識を悪用することを考えたが、直ぐにやめた。自らの身の丈というものを思い出したのだ。自分に実力があればそれも十分にできたかもしれないが、そんなことができるようならば、元いた世界でもっとマシな立場にいたはずだ。
一旦この問題を保留して、スカ男は「あの」と、本題を切り出す。
「頭がおかしいと思われるかもしれないですが、その、自分は、多分この世界の人間じゃないッス」
なんて自分は口下手なのだろうか、とスカ男は思った。これじゃ本当に頭がおかしいか、強く打ったと思われても仕方がない。元々いた世界ではそのような扱いに慣れていたとはいえ、もうちょっとやりようというものがあるだろう。
だがスカ男のそんな心配をよそに、ハラは神妙な顔で「詳しく、話を聞かせてもらえませんかな?」と説明を求めた。
スカ男自らの境遇の大体を彼に話した。
自分がこの世界とよく似た別の世界にいたこと、空の歪、そこから現れた化け物、自分が恐らくその化け物に喰われたということ、そして、気がついたらこの世界にいた事。
だが、その世界とこの世界が、恐らく過去と未来の関係にあることはうまく誤魔化した。なんとなくではあるが、そこは誤魔化しておいたほうが良いと直感的に思ったのである。
危機感だった、自分が未来から来た、なんて言ってしまえば、どんな扱いをされるかわからない。
「なるほど」
ハラは至って真面目にスカ男の話を聞いていた。その様子からは、少なくともスカ男を頭のおかしい人間だと断定している風ではなかった。
「自分でも言うのもなんですか、疑ったりはしないんでスカ?」
スカ男はそれがちょっと信じられなかった、自分は絶対に信じない自信があった。耳を傾けるのもバカバカしくなるような話だし、もし仮に多少の信憑性があったとしても、スカ男の性格的に、あまりにも壮大過ぎたり、難しすぎる話に関しては、それを理解するよりも先に全てをシャットアウトしようとするところがあった。
「ニワカには信じられない話ではありますな」
頷きながらハラがそれに答えて、ですが、と続ける。
「空の歪み、そこから現れる化け物、それら自体はアローラに古くから伝わる伝承にありますな」
スカ男は驚いた、勿論彼はそんなことは知らなかったのだ。自分が住んでいる土地についてもうちょっと勉強しておけばよかった、と彼は後悔した。そうしておけば、もっとマシな行動を取れたかもしれない。
「ですが、化け物に喰われて、となるとちょっとわかりませんな。ですが、この『いくさのいせき』はリリィタウンからの一本道、我々住人に気づかれずに向かうのは至難の業であることを考えると。全く信憑性のない話というわけでも無い、と考えていますな」
それで、と、ハラはスカ男に問う。
「これから、どうするつもりですかな?」
スカ男は、その言葉に含まれるニュアンスは、自信が答えようとしていることよりももっと大きな視野を持つものだということを理解はしていた。
例えば、これからどうやって生活していくつもりなのか、とか、元の世界に変える道を模索するのか、それともそれを諦めてこの世界で生きる道を模索するのか、そういうたぐいのことをハラは問いたいのだろう。
だがスカ男は、それにもっとピンポイントな答えを返した。
「行ってみたいところがあるのですが、良いでスカ?」
☆
腐るほど見た光景だった。勿論それは自身が見てきたものよりも随分と新しくはあったが、その違和感よりも、やはり腐るほど見てきたと言う実感のほうが勝る。
オリジナリティの欠片も存在しない、モデルルームをそのまま持ってきたような家だった。最も、その選択が一番無難で、大きな失敗をしない選択肢だったのだと最近知ったばかりだ。
「よろしいですかな?」
ハラの言葉に頷いて、スカ男はその家のインターホンを押した。家の中から反響するインターホンの音に、元々は、ちょっと高い音だったのだな、と思った。
はあい、と、間の抜けた伸びた声が聞こえて、扉が開かれる。
その向こう側から現れた女性に、スカ男は胸を打たれた。
母だった、それは、随分と若い姿の母だった。昔は、随分と可愛らしかったのだなあ。
「あらハラさん、何か御用ですか?」
彼女は能天気にハラに笑いかけた。人が戻しそうなくらい感極まっている時に、この能天気さ、そういうところが、アレなんだよ、と彼は思った。
「新しい弟子を受け入れたので、挨拶回りですな」
上手い誤魔化し方とは言えなかった。多少ポジティブに考えても、やっぱり無理のある設定だろう。
しかし、ハラは強引にそれを信じ込ませた。しまキングと言う立場は、多少の無茶ならゴリ通せるだけの強さはあるのだろう。
「あらあ、そうなの、頑張って下さいね」
彼女はスカ男にも優しく笑いかけて、その手を取った。
これなんだよ、とスカ男は思った。
この優しさが、キツかったんだ。
優しく、優しくありさえすれば、世界はきっと、自らを祝福してくれるだろうという、根拠のない物を信じているこの優しさが。
こみ上げるものをなんとかこらえて「ありがとうございまス」と握り返した。
その時、パタパタとした軽い足音がして、彼女の後ろから、小さな子供がひょいと「だあれ?」と、顔を出した。
そりゃそうだ、とスカ男は思った。
この世界が過去であることは殆ど間違いないのだから、いるに決まっている、むしろそれが居ないと思う方がどうかしている、そもそも、何故居ないかもしれないと思ったのか。
その子は、自分だった。
そりゃそうだ、この世界の、過去の世界の母の後ろから出てくるのだから、過去の自分に決まってる。
自分だ、島巡りに挑戦し、失敗し、スカル団に入る、自分だ。
何にもできないことに絶望するんだ。
皆が当然のようにしていたことが、やっぱり出来なくて、それはおかしいと自分を責めながらなんとかそれをやろうと頑張ってみて、やがてそれが生まれ持った資質による影響があるのではないかと気づいた頃には、もう遅くて。誰にも受け入れられず、逃げて。
「新しいお弟子さんだって」
母はその子に目線を合わせて言った。
そしてその子は彼女に促されて「がんばってください」と自らに笑顔を見せる。
スカ男は情けなさに打ちひしがれながら「ありがとう」と、やっと振り絞った。
その扉が閉まってからしばらく、スカ男は動くことができなかった。
ハラに「行きますかな」と、肩を叩かれて、ようやく彼は、自らが歩くことのできる生物であることを思い出したのである。
「はい」と、一旦返事を返して、スカ男は次の行動を考える。
だが、どうにもそれは上手くいかなかった。
当然だろう、と、スカ男は半ば絶望しながら思っていた。
この世界、自分には、帰る場所がないのだ。
タスカル団も存在せず、スカル団も存在せず、笑い合える相棒も存在せず、帰るべき家も無く、謝るべき家族もいない。
誰も、この世界の誰も、自分のことを知りはしないのだ。そんな中で、一体何をしようなんて考えられようか。
高くなりつつあったアローラの太陽を背に受けながら、スカ男は自らの影を見て、再び少しの間、放心していた。
もしかしたら、ハラは何かに気づいたのかもしれない、だが、彼がそれを追求することはなかった。