20-この後悔は、きっと一生残るんだ
オンボロフェリーでの航海を経験してしまえば、多少ボロっちいバスの揺れなど、大した問題ではない。
肌寒さを感じながら、スカ男は自分達を乗せてホクラニ岳を登ってきたバスを見る。
「だっさいッスねえ」
バスの前面に貼り付けられた、マヌケなナッシーの三つの顔。
何の意味があるのかは分からないが、そのクオリティの低さは、地元の幼稚園の子供たちが寄贈したものと言われても、納得してしまいそうだった。
「寒いな」
グズマも同じく、肌寒さを感じているようだった。アローラでも有数の標高を誇るホクラニ岳であるから、それは仕方のないことだった。
スカ男は、遥か彼方に見えるラキアナマウンテンにグズマを重ねて眺めた。
ホクラニ天文台ならば、何か手がかりをつかめるかもしれない。
メレメレ島でのハラのアドバイスを、スカ男はすんでのところで思い出したのだ。
最も、何がなんでも『あっちの世界』に戻りたい、と言う訳ではなかった。だからホクラニ天文台の研究者にしがみついてワンワンと泣くことはないだろう。
だが、自分が巻き込まれた、この摩訶不思議な現象ついては、何らかの理解をしておきたいという気持ちもあったのだ。
「しかし、なんて言えばいいのでスカ?」
部外者を拒むように、ピッタリと閉じられたホクラニ天文台のゲートの前に立ち尽くしながら、スカ男は唸っていた。
スーパーメガやすのように、そこは自動で開くわけではない。ゲートの横にこれみよがしに設置されている装置は、誰が見ても分かるほどに、カードキーを通すことを求めている。
「そもそも、誰にこの事を言えばいいのでスカ?」
思えば、全くの無計画であった。
「別に悩むようなことでもないだろ」
グズマはそう言って、ゲート横のインターホンを遠慮なく押した。
その大胆さに思わず声にならない声を上げてしまったスカ男を、グズマは手で制して、静寂を求めた。
『はい』
ぶっきらぼうな声だった。
「島巡りをやっているのですが、キャプテンはいますか?」
『ああ、マーレインね。今から向かわせるから、待っててね〜』
グズマの返答を待つこと無く、そのままブツリと通信が切れる。
明らかにやっちまったと言った風な表情をして固まるスカ男をグズマはちらりと確認した。
「島巡りの時に、ここで試練をやってるんだよ」
「こんなところで試練でスカ?」
「ああ、『ぬしポケモンを呼び出す装置が完成した』とか何とか言って半日待たされた挙句に、結局何も来ないものだから、ぬしと戦ったのはここじゃねえけど」
思い出を語るグズマは、明らかに不機嫌そうだった。
しばらく二人で無言を貫いていると、向こう側からゲートが開き、いやにゴテゴテとしたメガネをかけた男が現れた。
その男は、不機嫌そうにしているグズマに影響されることなく、ニコニコと笑いながら言う。
「君にはもう鋼のクリスタルをあげたじゃないか」
「そうだな」
「嘘ついたのかい?」
「これが一番手っ取り早いだろ、実際に話のわかるやつがちゃんと出てきた」
「あはは、まあ、そうだけどね」
ニコニコと笑うその男に、スカ男はダイチとはまた違った種類のヤバさを感じつつあった。
「それに用があるのは俺じゃねえ、こっちのおっさんだ」
そこまで会話を続けたところで、男はスカ男に目を向けて、右手を差し出す。
「初めまして、キャプテンのマーレインです」
そして彼は、一応と言った感じにスカ男の前進を確認してから、訝しげに問う。
「ええと、島巡り、ではありませんよね?」
スカ男は慌てて「違うッス!」と否定する。
「このおっさん、聞きたいことがあるんだと」
「はあ」
そりゃ不思議に思うよな、とスカ男はマーレインの戸惑いを肯定する。どう考えても、自分は天文学が好きそうには見えない。
どうやって信じてもらおうか、と、頭を悩ませながら、スカ男は切り出す。
「実は、空の裂け目について何か知ってはいないかなと思ったのでスが」
馬鹿みたいだな、とスカ男は思ったが、マーレインはそれに目を見開いた。それはスカ男の言葉の突飛さに驚いているようではない。
「なんか、知ってんのか?」
グズマもそれを感じていたのだろう、まるで自分のことのように声を上ずらせ、マーレインの肩を掴む。
「もう少し、詳しくお願いできますか?」
どうやらマーレインは、スカ男をただの嘘吐きであったり、ちょっと頭の中がユニークな人種だと判断したわけではないようだった。
スカ男は、自身が経験したことをマーレインに詳細に話した。空の裂け目、そこから現れた化け物、喰われたと思ったらこの世界に来ていたこと。
だが、やはりそれら二つの世界が過去と未来という関係性にありそうだということだけは、明言しなかった。その発言をしてしまった時に生まれてしまう、大きな責任を背負うつもりにはなれなかった。
「それで、アローラで最も空に近いここなら、空の裂け目について何か知っているのではないかと助言されて、ここまで来たッス」
ううん、と、マーレインは顎に手をやる。
「たしかに空には近いですが、ホクラニ天文台で観察しているのは、空ではなく、宇宙ですからね。残念ながら、あなたの言う空の裂け目についての研究資料は、ここには存在しません」
「そうでスカ」
スカ男は少しうなだれた。だが、すぐにマーレインが言葉を続ける。
「ですが、一つの可能性として、あなたの力になることは出来るかもしれません」
マーレインは「こちらへ」と言って、二人を天文台の中に誘導した。
その部屋は、ひどく散らかっていた。
ホコリをかぶったダンボールと、同じくホコリをかぶったほんと書類が床を支配し、その上に申し訳なさそうにホコリを被っていない書類が乱雑に散らかされている。部屋の奥には、何の必要性があるのかわからない無駄に巨大な何らかの装置が放置されていた。
「あれがそうだよ」と、グズマは少し背伸びしてスカ男に耳打ちする。
研究者の部屋と言うものが、この票に表現されている漫画やアニメは腐るほど見てきたが、あれって意外と現実よりだったのだなとスカ男は思う。
マーレインはデスクの上にあったカップを傾けてコーヒーを全て飲み干すと、それを文鎮代わりに真新しい書類の上に置く。そしてダンボールに邪魔されて開きにくくなっているデスクの引き出しを、乱暴にこじ開ける。
「確かこの辺にあったはずなんだけど」
僅かな隙間に手を突っ込んで暗がりに目を凝らしながら何かを探す彼に、グズマは半ば呆れながら「箱を動かせよ」と突っ込み、スカ男は恐る恐るホコリまみれのそのダンボールを、スッと移動させた。
それと同時に可動域を広げた引き出しにマーレインは指先を軽くさせ、「あったあった」と、一冊のファイルを取り出す。
「今何時なんだろう?」
そうつぶやくマーレインに、「はぁ?」とグズマは悪態をつく、目の前には、無駄にメタリックを主張した置き時計があるじゃないか。
「そうじゃなくて」
グズマの悪態の意味をすぐに理解し、マーレインはファイルに目を向けたまま首を振る。
「イッシュの時間だよ、イッシュの」
二人は首をかしげる、そんなことを言われたところで、なあんだそうか、と、納得できるわけがない。だがそれ以上何かを続けると面倒な問答になりそうなので、二人は口をつぐんだ。
マーレインは「まあ、大丈夫でしょ」と、一人頷きながら、マウスを動かして、パソコンを起動させる。
そして二、三度マウスをダブルクリックして、今度はキーボードを叩く。
「おそらくあなたが見たのは、ウルトラホールと呼ばれる現象です」
一段落したのだろうか、マーレインはスカ男に振り返ると、そう告げる。
「非常に珍しいですが、アローラ地方では稀に発生します。僕達は専門外ですが、イッシュにそれを専門に研究している人がいるんです。とても良い人なんですよ、僕みたいなしたっぱの研究員にもとても良くしてくれて」
パソコンのディスプレイに、小さなウィンドウが現れ、電子音が響く。
マーレインは再びディスプレイに張り付いた。そして何度かキーボードを叩いた後に「よし」と、メガネをズリ上げ、そばに投げ捨てられていたポケギアを起動させる。
「今から、モーン博士と通話します」
急にそんなことを言われても、何を返せば良いのかわからない。
グズマは小声で「こんな感じのやつなんだよ」と告げ、スカ男も「はあ、なるほど」と、妙に納得する。
だが、マーレインは彼らの反応など気にせず、ポケギアに妙に太いコードを差し込んでいた。
「もしもし」
その言葉は、二人に向けられたものではないだろう。それを証明するように、彼は次々に言葉を続ける。
「はい、いつも、お世話になっています」
「はい、はいそうです、ホクラニ天文台のマーレインです」
「はい、実は少し気になる事がありまして」
「はい、いえ、僕が確認したわけではないのですが」
「はい、そうです、それを確認したという方が今こっちに来ていまして」
「はい、それが、ちょっと博士の論文とは少し違う現象もその方が確認していまして」
「はい、はいそうです。大丈夫です、今ここに来ています」
「はい、はっきりと判断することはできません。はい、その可能性もあります。ですが、個人的には興味深いのではないかと」
「はい、はい、分かりました」
マーレインはポケギアを片手に持ったままスカ男に手招きをする。
話が急すぎると思いながら、スカ男はそれに歩み寄った。
「モーン博士です」と、ポケギアを手渡される。
「おそらくウルトラホールに関しては、世界で最も知識を持っている人です。お忙しい人なので、質問はまとめて」
促されるままに、スカ男はコード付きのポケギアを耳に近づける。
その向こう側から聞こえてきたのは、えらく楽しげな、男の声だった。
『やあ、初めまして!』
「あ、初めましてッス」
学者らしくないな、とスカ男は思った、最もスカ男はその人生において、学者と呼べる様な存在と多く触れ合ったことはないが。
『もう紹介されていると思うけど、私はモーン、ウルトラホールの研究をしている』
ウルトラホール、知らない単語だった。
「ウルトラホールというのはなんでスカ?」
『うむ、明確な定義はまだ存在していないが、簡単に行ってしまえば、異次元空間に通じる扉のようなものだ。アローラ地方では古くから、空の裂け目として伝承が残っている』
なるほど、とスカ男は思った。おそらくそれは、自分が見たあれのことなのだろう。
「俺、多分それを見たッス」
『どうやらそうらしいね、もしよかったら、その時の事、話してくれないかな』
「話すと言っても」と呟いて、スカ男は少し考え込む。モーンのその質問が、空の裂け目が現れたときの前兆のようなものを問うものだとスカ男は理解していたが、それに当たるようなものを何一つ思い出せないのだ。
「何もなかったでスカら、でかい音がして、急に空が割れて、そっから化け物が出てきた、それだけッス」
後ろの方から「ええ!?」と聞こえたが、スカ男はそれに振り向かない。
相手は博士、しかもこの現象を研究している専門家なのだから、このくらいのことは知っているだろうと思っていた。
だが、モーンの声が跳ね上がる。
『化け物だって!?』
その勢いに、スカ男は何かまずいことを言ってしまったのだろうかと怯えながら「そッス」と答える。
『それはポケモンかい!?』
「いや、見たことのない化け物だったんではっきりとは言えないでスが」
なるべく詳細にあの時を思い浮かべながら、続ける。
「あれはポケモンでは無いと思うッス。俺、結構ポケモンは見てきたッスけど、あの感じは絶対に有り得ないでスカら」
ポケギアの向こうで、モーンの唸り声が聞こえる。
『君、これまでの言葉、カプ神に誓って真実かな?』
疑うような言葉に、スカ男はその瞬間はムッとしたが、そもそもこんな話が信じられるわけ無いだろうと自分ですら思っていたことを思い出して、無理のないことだなと納得する。
「誓うッス、嘘ならどれだけ良いことかと自分でも思ってまスカら」
再び電話口の向こうからは唸り声。
『ちょっと、ペンを探す時間をくれないか』
スカ男の返答を待たずに、ポケギアの向こうから何かをひっくり返すような音が響いた。
「おいおっさん」
グズマの声に、スカ男は振り返る。
「なんかやべえことになってんのか?」
スカ男を心配しながら、わかりやすく動揺もしていた。
たしかにやばいことは起きたのだが、それはもうずっと昔の話に思える。だからスカ男は笑って、それに返した。
「いや、なんてことは無いでスカら」
そして、そのまま「でも、ちょっと一人にしてもらえないでスカ?」と提案する。
おそらくこのままだと、化け物が現れたその先の話になるだろう、つまり自分が化け物に襲われ、気がつけば違う世界にいたという話になる。
なんとなく、それをグズマに知られたくなかった。違う世界から来たことが彼に知られたら、これまで彼に教えてきたバトルの戦術や、ポケモンの珍しい特性についての知識が、自分の手柄では無いことを看破されてしまうような気がしたのだ。
惨めに見えてしまうほどにちっぽけなプライドを守るために、このタイミングは絶好のものだった。
その証拠にグズマは「ああ」と言い残して、まだ興味を持っていそうだったマーレインを引きずりながら、部屋を後にした。
扉がしまったことを確認してから、自分を呼ぶポケギアを再び構える。
「おまたせッス」
『ああ、大丈夫だよ。もう一度だけ確認するけれど、その化け物は、ウルトラホール、空の裂け目から現れたんだね?』
「そうッス」
向こうでペンを走らせながら、ふう、とモーンが一息つく。
『これは凄いことだよ、アローラ地方にはウルトラホールの伝承と、カプと戦った化け物の伝承が近いものとして存在していたんだけど、それら二つを結びつける確信はなかったんだ。今後の研究は、その化け物の対策も十分行わないといけないね』
はあ、と生返事。スカ男はそのどちらの伝承も知らない。
『それで、その後どうなったんだい?』
「その後は、その化け物に喰われて、気づいたら、別の世界に来てたッス」
モーンは、化け物に喰われた、という部分で一つ驚き、更に『別の世界』という言葉にもう一つ驚く。
『く、喰われたのかい』
「喰われたッス、痛くはなかったッスけど」
『それで、別の世界?』
「そうッス、別の世界ッス」
『なんで別の世界だって分かるんだい?』
そこで、スカ男は返答に詰まった。その質問自体にはっきりとした答えはある。過去の世界だから、と答えれば良い。
だが、それは出来ない、それをはっきりといってしまえば、自分は未来人という超重要な立場であることがバレてしまうし、現在進行形で未来を捻じ曲げていることもバレてしまう。
自分が怒られる分は全く問題がない、慣れっこだ、だが、そうなればグズマの立場が無くなってしまう。未来を知っている人間が、今のままでは駄目だとグズマを叱責し、島巡りに引き連れている。自分が介入しなければグズマがどうなっていたかという事が、皆に知られてしまう。
だから彼は、それが極力嘘にならないように、それを誤魔化した。
「ちょっとずつ、世界が違ってまスカら、本当にちょっとずつでスけど、全部が違うから、猛烈な違和感ッス」
『なるほど』
モーンは、一応納得したようだった。
『ウルトラホールの向こう側には、異次元空間が広がっていると言われている。非常にサイエンス・フィクション的になってしまうけど、ウルトラホールと関係してしまった結果、パラレルワールド、平行世界に流れ着いてしまうということは、十分にありえると私は思う』
そう言って、モーンは押し黙ってしまった。スカ男も何も喋ることがなくなったので同じく沈黙する。
少しばかり沈黙が続いた後に、モーンが口を開いた。
『元の世界に戻りたいとは思っていないのかい?』
その質問が出てくることを、彼は待っていたのだ。だが、スカ男が何も言わないものだから、それを妙に思った。
スカ男は、特に考えることもなくそれに答える。
「ぶっちゃけ、元の世界への未練があんまりないッス、それに、化け物に喰われるなんてもう二度とごめんでスカら」
『ああ、すまない』
スカ男はちょっとしたジョークのつもりだったのに、モーンは低いトーンで彼に謝罪した。
『不幸中の幸いというわけじゃないけれど、君がそのような考えなのは非常に良いことだ。元の世界に戻る方法は、ほとんど考えられないからね』
なんとなくの直感的なものだが、スカ男もその考えには同意だった。
『君の体験どおりに平行世界というものが存在するのであれば、その数は無限近く、もしくは無限に存在しているだろうからね、もう一度ウルトラホールに関係したとしても、無限分の一の確率は引けないよ』
だけど、と続ける。
『もし、平行世界というものがそれぞれの世界同士にある程度の均衡を保とうとする性質を持っているとするならば、君は必ず元の世界に戻ることが出来るかもしれないね』
スカ男はモーンの言葉を瞬間的に理解することはできなかったが、それをニ、三度頭の中で振って、ようやく感覚的に理解した後に「できれば」と返す。
「できれば、そうならないで欲しいッス」
☆
「あの人は、一体誰なんだい?」
マーレインは、肌寒さに慣れているようだった。ラナキラマウンテンを眺めながら、同じく天文台の外に出たグズマに、そう質問する。あの人、と言うのは、スカ男のことで間違いないだろう。
グズマは、返答に困った。スカ男を自身の何であると表現すれば良いのだろう。
コーチであろうか、いや違う。スカ男は知識こそグズマを上回っているかもしれないが、実戦においてはグズマの足元にも及ばない。それはスカ男とグズマの共通の認識だった。だから違う。
ならば友達であろうか、いや、それも違う。友達としてしまうには、まだお互いに硬さのある関係だと思う、まだ少年であるグズマからすれば、スカ男とは年齢が大きく違うと言っていいし、スカ男はスカ男で、何故か未だに自分をさん付けで呼ぶ。それはきっと友人関係ではない。
ならば単純に知り合いだろうか、それは絶対に違う。ありえない、そんなに軽い関係ではないだろう。スカ男は誰よりも自分を理解してくれたし、誰よりも自分を理解してくれようとしていると思う。彼がいなければ、自分は今こうやって島巡りをしていない。
あまり誰かを簡単に信頼する方ではないが、スカ男ならば、信頼することが出来る。そこまで考えて、もっと気恥ずかしい関係がグズマの中に浮かび、彼は頭を振った。
「どうでもいいだろ」
照れを隠すように、彼はぶっきらぼうにそう答えた。
マーレインは、ふふ、と優しく笑った。
「いや、意外だったんだ。君はどちらかと言えば、無頼派って感じだったから」
「うるせえ」
口では毒づきながらも、マーレインの意見そのものには、グズマも同感だった。
「信頼できる人なのかい?」
それが単純な興味だけではなく、グズマ自身の身を案じてもいる質問だということくらいは、彼にも理解できる。
「ああ、いい人だよ。何かあっても、俺のほうが強いしな」
「そうだね、このアローラで、君より強いトレーナーを探すのは難しいよ」
マーレインの性格からして、それは皮肉ではないだろうが、カプに認められないことで打ちひしがれたグズマの心は、その言葉に少し心乱される。
「でもキャプテンにはなれねえ」
そう返してきたグズマに、マーレインは自身の言葉の軽率さに気づいたが、それをどうやって訂正すればいいかは分からない。
だから彼は、正直に彼の思っていることを言うことにした。
「正直、僕もなんで君がキャプテンになれないのかわからないよ、強さだって十分にあるし、こうやってキャプテンになるために島巡りをやり直している。熱意だって十分だ」
グズマを知るものならば、誰もがそう思うだろう。
なあ、と、グズマが問う。
「あんたは、なんでキャプテンになろうと思ったんだ?」
今度はマーレインが困った顔をする番だった。少し考えた後に、「怒らないでほしいんだけど」と、苦笑いで答える。
「しまキングに任命されたから、それだけだよ」
「それだけ?」
「そう、それだけだよ」
それだけ答えて、マーレインは沈黙した。
しまキングに任命されたから、ただそれだけの理由。ライチの言葉を考えれば、それはありえない。
「嘘だろ」と、グズマが言う。
「嘘じゃないさ」
「嘘だ、ライチが言ってたぜ」
そして彼は意を決したように、強い口調で続ける。
「皮肉を恐れずに言えば、僕は今すぐにでも君と立場を変わりたい」
グズマは、頭の中が真っ白になった。それは、彼の価値観の中には全く存在することのない選択肢だったのである。
「なんで?」
思わず、彼はその質問にトゲをつけるのを忘れた。
「僕はね、キャプテンになることで、アローラに縛られてしまった。もちろん、そうなることはわかってキャプテンになった。だけど、全く後悔がないかと言えば、それは嘘になる」
一泊置いて、グズマが何も返さないことを確認してから続ける。
「ククイは、キャプテンにならず、海外の大学に行った。たしかにそれは無茶苦茶な行為で、アローラへの反抗だと考えられても仕方がない。だから僕は、キャプテンの任命を拒否しなかった、だけど、ククイのようにアローラの外でもっと学びたかったという気持ちもあるんだ。ククイは、自分の力でそれを切り開いたんだよ」
嫌いな、ククイの名だった。そして、マーレインはククイを賞賛している。ほんの少し前のグズマならば、それを真っ向から否定しただろう。だが、今は違う。その意見を受け入れ、出来る限り客観的な目で見極めようと試みるだけの余裕がある。
「失敗だったと思うか? キャプテンになったこと」
マーレインは、もう一度ラナキラマウンテンを眺める。雲の切れ目から、その頂上がよく見えた。
「失敗だったかどうかは分からない、ククイがキャプテンになっていれば何人もの島巡りチャンピオンを育成できたかもしれないし、僕が海外の大学に行っていれば、幾つもの科学賞を取れていたかもしれないけれど、僕達が選んだ道がそうではない以上、それはありえない。だけど、僕はキャプテンとして君を含める何人もの島巡り挑戦者を見届けてきたし、今もこうやってホクラニ天文台で研究することが出来ている。今が失敗だとは思わないけれど、この後悔は、きっと一生残るんだ」
後悔は一生残る。マーレインのその言葉は、グズマの中で響き続けていた。理屈としてそれを理解することは出来るが、感覚としてそれを理解することは出来ない、グズマは未だに、そのような後悔を覚えてはいないし、一生残る後悔が生まれるような選択肢に立ったこともない。
だが、その感覚は、とてつもなく重いものなのだろう。
「ごめんな」
「謝ることはないよ、これで君の中で何か思うことがあれば、キャプテン冥利に尽きるというものだ」
後ろから、グズマの名を呼ぶ声がした。振り返れば、スカ男が天文台のゲートから出てきたところだった。
☆
「今日は、泊まっていくと良いよ。職員用の仮眠室が、いくつか空いているんだ」
そう言われたのは、マーレインが全ての問題を解決したと豪語していた『ぬしポケモンこいこいシステム』の稼働に付き合い、散々あーだこうだと説明を受け、何度かの停電の後に、マーレインがそれを失敗だと認めた頃だった。外は暗く寒くバスは運行時間を終了している。さすがのマーレインも、それには自身の責任があることを理解しているようだった。
だからグズマとスカ男は、素直にその仮眠室で夜を明かした。意外と良いマットだった。
そして、前日の肉体と精神的な疲れでちょっとぐったりしていた二人が、そろそろ起きるべきかなと思い始めた頃に、それは起こった。
ドンドンと、仮眠室の扉が強く何度も叩かれたのである。
目覚めた二人が真っ先に考えたのは強盗であったが、それは扉の向こうから聞こえるマーレインの切羽詰まった何らかの叫び声で違うと判断できる。
一応グズマがモンスターボールを構えながら、スカ男は扉を開いた。
そこには、真っ青な顔をして、朝だと言うのに汗だくになり、眼鏡もかけていないマーレインの姿があった。
「二人共! 手を貸してください!」
「もうぬしポケモンを呼ぶのは諦めたほうが良いんじゃないでスカ?」
あくび混じりに、スカ男がそう言った。前日は、散々だったという記憶がまだ強くあった。
切羽詰まっているマーレインは、それの否定をすっ飛ばして叫んだ。
「カプの罰が!」
その言葉に、二人は一気に眠気が覚める。
アローラの守り神であるカプ神は、時としてその能力を持ってして、怒りを覚えたものに罰を与えることがある。もちろんアローラの人々がそれを恐れてカプを信仰しているわけではないが、極たまに起こりうるそれに対して、人々は無力だった。それを防ぐことは出来ず、それが起きた後にキャプテンやしまキング達が自体の収集を図るのだ。
「どこだ!?」
「海辺、スーパーメガやす!」
グズマはそれに動揺する、つい先日足を運んだばかりだし、あのスーパーがカプの怒りを買うなんて考えられないからだ。
スカ男は、一瞬だけ冷静になった。そして彼は、あああああ、と叫ぶ。
遂に彼は、思い出した。忘れていたことを思い出した。そして彼は、思い出したことを、忘れたいとすら思っていた。