18-嬉しくて、戦いたくなるのです!
とてもとても、未成年の泣き声とは思えなかった。
それを耳にした誰もが、何故いい大人がみっともなく大泣きしているのだと思うだろう。鍛えに鍛え上げられた彼の肉体は、感涙を主張するその時ですら騒がしかった。
マリエ庭園、グズマが提出した一枚の写真を片手に、ダイチは大きくむせび泣きながら、おそらく彼の知るあらん限りの賞賛の言葉を、グズマに投げかけていた。
「なんて、なんて素晴らしい写真なんだ!」
貴重な文化物、と言っていたはずの太鼓橋の支柱を叩きながら、彼は再び大口を開く。
「素晴らしい光景だ! トレーナーとベトベトンに対する君の尊敬と感謝が、この写真を通して私にも伝わってくる! なんてハッピーな写真なのだ! 素晴らしい!」
スカ男は、ダイチから無理やり手渡されたアルバムの中にあるその写真を見た。たしかに良い写真であるようには思えたが、そこまで泣き叫ぶような写真であるようにも思えない。苦笑いのおっさんと無駄に満面の笑みのベトベトンが肩を組んでいるだけの写真だ。だが、ダイチがここまで言うのだから、彼の目的は達成されているのだろう。
「感極まる俺」と、いつもより多く連写で自撮りするダイチを眺めながら、グズマは達成感と照れくささで顔を真っ赤にしていた。褒められることに慣れていなかった人生に、ここまでの賞賛を放り込まれるのは、彼にとってはいささか不慣れな経験だった。
体が火照ったからだろうか、グズマは、少し肌寒くなっていることに気づいた。たしかに日が弱くなる時間帯には近づいているが、まだ日が落ちているわけではない。
ふと空を見上げると、どこから来たのか、少し分厚い灰色の雲が、太陽を覆い始めていた。妙だな、ついさっきまで、雲一つない天気だったはずなのに。
ダイチはスカ男からアルバムを取り上げ、二人ではない誰かに言う。
「どうだ、君も、素晴らしい写真だと思うだろう!?」
ダイチは、アルバムをスカ男とは逆方向に手渡す。そこで初めて二人は、ダイチの横に陣取った彼に気がついた。
アルバムを受け取るその腕は、人間のものではない。彼は、ニョロトノだった。
スカ男もグズマも、ギョッとして声を失い、アルバムを見るニョロトノの動向に釘付けとなる。
ニョロトノは、その写真をじっと見つめると、やがて元々十分なくらいに潤っている両の瞳を更にうるませて、ゲロゲロと鳴きながら泣き始めた。
その時、ポツリと、グズマの頬に水滴が落ちる。
上を見上げれば、パラパラと雨粒が、彼の顔を叩く。
「『あめふらし』でスカ?」
スカ男は、ゲロゲロと号泣するニョロトノを眺めて、そう呟いた。ニョロトノが稀に持ち得る特性『あめふらし』、それは、技を介さなくても雨を呼ぶことの出来るものだった。
グズマは、手に持っているカメラを雨に濡らしてはいけないと慌ててそれをシャツの中にしまい込みながら、気づいた。たしかこれは、防水性。
「感極まる俺達」
同じく防水性のカメラでニョロトノをフレームインさせた自撮りをしたダイチは、アルバムをリュックにしまい込みながら言う。
「我が相棒のニョロトノにもこの写真のハッピーさは十分に伝わっているようだ、さながらこの雨は俺達の涙雨、こんなものを見せられては、こんなものを見せられては!」
ダイチの演説に共鳴するようにニョロトノがゲロゲロとハモり、更に雨脚を強める。
気がつけば、庭園にいた他の者達は皆、雨から逃れるために屋内に避難し、周りには自分達以外の誰もいない。
顔を振り、涙か雨粒かをふるい落としたニョロトノが、一歩、グズマの方に足を踏み出し、大きな鳴き声を上げる。
「ハッピーな写真に感動したニョロトノは、嬉しくて、戦いたくなるのです!」
マリエ庭園、ぬしポケモンのニョロトノが、勝負を仕掛けてきた。
グズマはまってましたと笑みを浮かべながら、すぐさまそれに合わせてグソクムシャを繰り出す。
そして、先手必勝の大技『であいがしら』を指示した。ボールから飛び出た勢いそのまま電光石火に相手を攻撃する技で、グソクムシャの鈍足を補う優秀な技だった。
グズマは、その技に絶対的な自信を持っていた。とりあえずの攻撃としては申し分なく、相手の動揺も誘える。精神的に優位に立つことの出来る選択肢だった。
だが、ニョロトノは落ち着いてその攻撃から身を『まもる』、その一瞬で、グズマは少し思考が止まった。
スカ男は、その一連の動きを見て危機を感じた、この先に、なにかまずい連携があったようなきがするのだ
「グズマさん」と、ニョロトノに注意すべきことを伝えようとしたスカ男の叫びは、雨音が消し去る。
これのほど強い雨音の中で意思を表すには、ダイチのように並大抵以上の大声を張り上げるしかないのだ。
「いつもは対戦相手に合わせた手合わせを意識するところだが、島巡り達成者相手に手加減は失礼に当たる。今日のぬしはフルパワーの最強モードだ!」
ダイチは「決めた俺」と自撮りした。
グズマには二つの選択肢があった。
一つはグソクムシャを引っ込め、他のポケモンを繰り出すこと、もう一度『であいがしら』を打つことの出来る権利を手中に戻しながら、グソクムシャの食らうはずだったダメージを控えに負わせることが出来る。
もう一つは、このままグソクムシャを居座らせ、火力によって押すこと。
一瞬考えが遅れたことを自覚していたグズマが選んだのは、後者の選択肢だった。ニョロトノはタフさに強みのあるポケモンではなく、グソクムシャはその攻撃性に強みのあるポケモンだ、ニョロトノが水タイプのポケモンであることを考えると、水と虫の複合タイプを持つグソクムシャとの対面は、グソクムシャに有利に働くこともある。体力的な優位に立つことを目的にした選択だった。
これはまずい、と、スカ男はようやくニョロトノの戦略を理解した。
「『きゅうけつ』!」
グズマは攻撃しながら体力を回復することの出来る大技を指示、かすり傷のようなダメージならばあっという間になかった事に出来る選択だった。
だが、グソクムシャはニョロトノに飛びかかることはせず、のっそりと右の鉤爪をふるった。その動きから察するに『であいがしら』の攻撃のつもりだったようだ。
グズマは、瞬間的にはグソクムシャが指示を取り違えたことを危惧したが、すぐにそれをはありえないことに気付く、それは、彼らが長い付き合いで連携に自信を持っていることも理由の一つだったが、最も大きな理由は、対面のニョロトノの動きだった。
ニョロトノは、パンパンと両手を叩きながら、ケラケラと笑っているようだった。
「『アンコール』」
スカ男がそうつぶやくのと、グズマがグソクムシャをボールに戻すのはほとんど同時だった。してやられた、完全にニョロトノの術中にハマっていたのだ。
ニョロトノの繰り出した『アンコール』は催眠術の一種であり、『相手が直前に使用した技』を、強制的に連続させる性質を持つ。
グソクムシャが直前に繰り出していた『であいがしら』は、グソクムシャが繰り出されたその直後にのみ使うことの出来る技、それを『アンコール』されてしまうと、もはやグソクムシャはただの木偶の坊になってしまう。だからグズマはすぐさまグソクムシャを手持ちに戻したのだ。
スカ男は、ちらりとダイチの表情を確認した。理想的なまでの試合運びだったにも関わらず、彼は特に興奮すること無く微笑んでいる。つまりそれらの連携は、彼らの中では準備されていたものと言うことだろう。
こりゃ厄介だ、と、スカ男は思った。ただの馬鹿に見えながら、持ち得ている戦略は深い。
次のポケモンが繰り出されるこのタイミングで、どんな大技をしかけてくるのか。
少し考えてからグズマが次に繰り出したのはアリアドスだった。ある程度は、捨て石としての考え方もある選出。
そして彼らは、ニョロトノが繰り出すであろう大技を警戒した。そして、ニョロトノが動く。
ニョロトノは口から『ハイドロポンプ』を発射し、アリアドスを攻撃する。
雨という有利な状況下から、最終進化形であるニョロトノから繰り出されるその技の威力は絶大なものだったが、アリアドスはぎりぎりそれに堪えた。
だが、アリアドスが反撃することはできなかった。ふいに上空から巻き起こった『ぼうふう』が、アリアドスを巻き上げてしまったからだ。
スカ男とグズマの二人は、突然のことに慌て、攻撃者を確認するために雨に打たれることを覚悟しながら上を見る。ニョロトノであることはありえない、彼はついさっき『ハイドロポンプ』を打ったばかりだし、そもそも彼は『ぼうふう』なんて飛行タイプの大技を放つことはできない。
二人がなんとか視界に捉えた攻撃者は、雲だった、雲のようなポケモンだった。
「ポワルンでスカ」
珍しいポケモンだったが、スカ男もグズマもそのポケモンについては知識があった。ポワルン、天候によって姿を変え、その天候に応じた攻撃を放つことのできる特殊なポケモン。
それならば説明できる、『ぼうふう』という技は最高クラスの威力を持つ大技だが、天候が雨ならば必ず相手を巻き込むことのできる特性を持った技。そして、ポワルンならばその技を操ることが出来る。
そのポワルンが気まぐれにこの戦闘に参加したなんてことはありえない、どう考えてもぬしであるニョロトノが呼び出したポケモンだ。
陸と水にニョロトノ、そして上空にポワルン、この陣形は硬い、駆け出しのトレーナーから見れば絶望的だ。相当手練のトレーナーでなければ破ることは出来ないだろう。
だがこの陣形を作り出す前にぬしであるニョロトノがやられてしまえばそれは意味をなさない。
先程の『まもる』から『アンコール』までの一連の動きは、その戦略の結果には大した意味を持たない。極端なことを言えば、失敗しても良いのだ。大事なのは、それまでの時間稼ぎ。
つまり、ニョロトノがポワルンを呼び出すことの出来る時間さえ稼ぐことができれば、後はこの強固な陣形がなんとかしてくれる、そのような発想。
言ってしまえば野生のポケモンであるニョロトノに、この戦略は思いつきにくいだろう。手引きをしたのは間違いなくダイチ。
そこまで考えて、スカ男はようやく理解し、ダイチの方をふたたび見る。
ダイチはやはりそれに驚くこと無く、微笑んでいた。
「とんでもないやつじゃないでスカ」
ダイチは、試練の中におけるぬしポケモンの働きと動きをシステム化し、それにあった戦術を用意し組み込んだ。天候が雨ならば『ぼうふう』が必ず当たるという知識があるかどうかすらあやふやなこの時代にである。
スカ男のようにテレビやラジオなどで簡単に戦略を知りそれを記憶しているわけではない、彼は断片的な、それでいて保証のない情報を一つずつ組み上げてこの試練を作り上げた。
「めちゃくちゃ強いじゃないでスカ」
ダイチはその言葉を、おそらくニョロトノか、もしくは呼び出されたポワルンに向けられたものだろうと思った。だが、その真意は、彼本人に向けられたものだった。
グズマは当然戦闘不能になったアリアドスを手持ちに戻し、新たにアメモースを繰り出した。特に考えのある選出ではない、試合を決めることが出来るカイロスやグソクムシャは温存しておきたいという消極的にも程のある発想からの選択。
「『しびれごな』!」
速さはアメモースが勝る。アメモースは上空のポワルンに照準を定め、雨に負けぬよう小さく固められた『しびれごな』を放つ。
それはポワルンに命中すると砕け散るように舞い、ポワルンを麻痺させた。
虫タイプを中心に組み立てられたグズマのパーティにとって、ポワルンの『ぼうふう』は脅威、それの可能性を少しでも削るための場作りの行動だった。
次はニョロトノだと、グズマは視界にそれを捉えるが。その瞬間、鳴き声とともにニョロトノが強靭なスプリントで飛び上がり、飛翔しているはずのアメモースとの距離を詰めていた。
グズマがアメモースに指示を出すよりも、アメモースがニョロトノに反応するよりも先に、ニョロトノの右腕が、アメモースを地面に叩きつけられるほどの威力で振り下ろされた。
跳ねが凍りつき戦闘不能となるアメモース、ニョロトノは地面のぬかるみを気にすること無く着地し、未だ冷気のこもる拳を吹いて見せた。
ただの『メガトンパンチ』ならば、飛行タイプであるアメモースには大したダメージにはならない。だが、冷気を込められた『れいとうパンチ』なら話は別。コーチであるダイチと同じく、おちゃらけて見えながらも、器用で賢いポケモンのようだった。
グズマはアメモースを手持ちに戻し、舌打ちした。不必要な犠牲だったかもしれない、ニョロトノに氷タイプの技の選択肢があることくらいは、知っているはずだった。
「なにをやっているんだ」
自身を奮い立たせるために、彼はそう呟いた。こんなものでは無いはずだと自らに言い聞かせる。
自らは、戦いの神に護られたメレメレの男だと、しまキングであるハラの手ほどきを受けた強者、負けることなど有り得てはならない戦士であると、自らに言い聞かせる。
グズマは三番手のポケモン、カイロスを繰り出す。
出てきた勢いそのままに踏み出すカイロスに、地のニョロトノは『ハイドロポンプ』を、麻痺のせいか、やや遅れて空のポワルンは『ぼうふう』を、それぞれのタイプの大技を繰り出した。
カイロスは、それを真正面から食らってしまい、その体をぐらつかせる。だが、グズマの指示通りカイロスは強靭な精神力を持ってそれらを『こらえる』、そして、彼はそのまま暴風に乗り、ポワルンの元へと飛び立った。
「『じたばた』!」
カイロスはそのハサミでポワルンを挟むと、あとは重力に任せてそのまま落下し、地面に激突する。
更にカイロスは両腕をやたらめったらに振り回し、引きずり下ろしたポワルンを殴り続ける。
死に物狂い、大技二つを重ね打ちされて、後が無いからこそ出来る選択肢だった。
だがその行動は、目の前の敵を打ちのめすことしか考えられていない。
ニョロトノが、カイロスの背後から『グロウパンチ』を打ち込み、精神力のみで行動していたカイロスを戦闘不能にする。
自身の攻撃力を高めることの出来る『グロウパンチ』をフィニッシュホールドに選んだのは、抜け目ないとしか言いようがない。
当然ポワルンも戦闘不能となり、これで残るは一対一だった。
「素晴らしい!」
ダイチはカメラを乱射しながら、嬉しげに叫んだ。
「俺達の本気の連携を打ち破るとは!」
スカ男も声にならない感嘆の声を上げていた。ここでいわゆる『こらじた』のコンビネーションとは恐れ入る、たしかに大ダメージ与えることが出来、戦局を腕力で引き込むことの出来る連携ではあるが、この押され気味の状況でこのリスクのある連携を選択し、きっちりと遂行することの出来る判断力とポケモンとの信頼感は、おそらくスカ男では生涯たどり着くことの出来ない領域だった。
やっぱりこの人は違う、と、スカ男は拳を握りしめた。
グズマはカイロスを手持ちに戻し、最後の一匹、グソクムシャを繰り出した。
ニョロトノはグソクムシャをきっちりと見据えて、挑発的にシャドーボクシングのような動きをしてみせる。
「『れんぞくぎり』!」
グソクムシャはニョロトノに飛びかかるが、ニョロトノは再び『まもる』でそれを弾き返し、自身はぬかるんだ地面を転がって衝撃を殺した。
グズマが『であいがしら』では無く『れんぞくぎり』を選択したのは、先程の『アンコール』戦術を考えれば当然、これによってニョロトノは『アンコール』で相手を縛ることができなくなった。
だが、この小器用なニョロトノはそのような小細工を封じられたからといって全てのプランが無くなるようなポケモンではない、『アンコール』を封じるためにゴリ押し戦術に出るというのならば、それなりの押し引きがあるというもの。
ニョロトノは、ぬかるんだ地面を両足で踏みしめて、『カウンター』の体勢を取った。突っ込んでくる相手の力を最大限に利用して、より大きなダメージを相手に与える返し技だ。
再び『きゅうけつ』で噛み付いてくれば、硬い外殻に覆われていない部分に強烈な一撃をお見舞してやる。と意気込むニョロトノに、彼の想定通りグソクムシャが距離を詰めてくる。
必要経費のダメージに備え、覚悟を決める。だが、グソクムシャはある一定の距離でその歩みを止めると、足元の泥をすくって、ニョロトノに掠らせるようにぶん投げ、バカにするような鳴き声を上げて『ちょうはつ』した。
「ゆるめた!」
スカ男が声を上げた。相手をあえて激高させる『ちょうはつ』は、当然攻撃をされるリスクは存在するが、それ以上に、相手のトリッキーな行動を封じる事ができるメリットのほうが大きい場面が多々存在する。
ぬしであるニョロトノは『ちょうはつ』に慣れていない。彼は激高し、その怒りを拳に込めて、『メガトンパンチ』を敢行する。
「まずい」と、ダイチが呟いた。
ニョロトノの拳は、グソクムシャの頭部を捕らえ、彼の巨体を殴り倒す。
泥まみれになりながら立ち上がったグソクムシャは、くるくると体を揺らして『つるぎのまい』を舞った。硬い外殻に覆われているとは言え、攻撃力を引き上げたニョロトノの一撃を食らって、全く無事というわけではない。
それをニョロトノも分かっている、そして、瞬発力でも自身のほうが勝っていることも理解していた。彼は再び強靭なスプリントで地面を蹴り、右手を振り上げながらグソクムシャとの距離を詰める。
グズマとグソクムシャは、それをギリギリまで引きつけてから、動いた。
「『ふいうち』!」
不意に打ち出されたグソクムシャの右手が、ニョロトノを捉えた。相手の踏み込みを利用して、攻撃を加える。『つるぎのまい』で引き上げられた攻撃力は、必ず一撃で仕留めることの出来る力を与えていた。
ニョロトノが地面に叩きつけられ、あたりに泥を撒き散らしながら吹き飛んだ。
ダイチが彼に駆け寄り、スカ男はグズマに駆け寄った。
気づけば、雨脚は弱くなり、雲の切れ目から、沈みかけた太陽が顔を出しつつあった。
☆
「素晴らしい! なんて素晴らしい挑戦者なんだ!」
先程降った雨が関係あるのだろうか、太陽は久しく感じるほど赤みを帯びながら、沈みつつあった。
「俺が鍛えに鍛えたニョロトノの本気に、こうも見事に打ち勝つとは想像だにしていなかった」
ダイチは彼の横に立つニョロトノと肩を組んで「やられた俺達」と自撮りする。ニョロトノもウィンクを決めながらそれに答える。
戦闘不能になったニョロトノは、ダイチが特別な薬だと言いながら飲ませた異様に苦そうな漢方薬と、その後に口直しと与えられた信じられないくらい甘そうなジュースでハッピーを感じることが出来たのか、そのまま上機嫌に、住処であろう池に戻っていった。
「とんでもなくハッピーな気分だ、俺はまたも一人の少年が、男になる瞬間を目の当たりにしたのだ」
ダイチはそのままグズマと肩を組み、「一回り大きくなった少年とそれを喜ぶ俺」と自撮りした後に、「それを見届けた男」と、スカ男を撮った。
「やはり島巡りは素晴らしい文化だ。俺はキャプテンをやめても試練サポーターとして彼らの助けでありたい」
それはそれで、めんどくさそうだな、とスカ男は思ったが、流石に口にはしなかった。
グズマは照れているのだろうか、表情をこわばらせたまま何も言わない。
それに気づいたダイチは、ノーノーとわざとらしく言いながら指を振った。
「そんなふてくされたような顔をしてはダメだ。君は我々のコンビに勝利して、自分が一人前の男であることを証明したんだ、さあ、笑うんだ、ハッピーを表現するんだ、その全身で」
要は笑えということだった。だが、グズマは上手く表情を作れない。
その様子を見て、ダイチは笑った。
「なあに、仕方のないことだ。俺は毎朝ハッピーを表現する手段を鏡の前で練習しているが、この俺でも意識して笑うのは難しい。いつでもいい、気が向いた時にそれを表現すればいい。俺は君が心の中に、きちんとハッピーを持っていることを知っている」
ダイチは、もう暗くなりかけている夕焼け空を写真に収める。
「さあ、もう夜だ。食事をして風呂に入って歯を磨いて布団に入って、今日のハッピーを噛みしめるんだ。そしてもっとハッピーになりたければ、スーパーメガやすで買い物をすれば良いんだ!」
ダイチは、グズマとスカ男の肩を掴んで、涙を浮かべながら揺すった後に、そのままマリエ庭園から消えた。
と、思えば。ぬかるんだ地面をバシャバシャやりながら戻ってきて「忘れてた忘れた」と言い。彼らと無理やり肩を組んで「旅の記念に」と、無理矢理な集合写真を取ったかと思うと、やっぱりそのままマリエ庭園から消えた。
スカ男は、一つ大きく深呼吸をしてから、言う。
「なんか、無茶苦茶な奴でしたねえ」
「そうだな」と、グズマもそれには二つ返事だった。
スカ男は、グズマの表情が、少しだけ明るくなっているような気がしたが、都合よく沈んだ太陽は、それ以上スカ男に彼の表情を見せなかった。