17-この地はハッピーに満ち溢れている
異文化を押し出しているマリエ庭園、その敷地内に存在する茶屋も、当然異文化を全面に押し出しているものだった。
真っ赤な敷物の上に置かれたベンチに腰掛けながら、ダイチは「わびさび」とか「えすにっく」とか「しろがねまいこ」とか何とか言いながら、やはり乱雑にシャッターを切りまくっていた。
この庭園や、この茶屋に比べれば、ダイチのほうがよっぽど異端で異文化だとスカ男は思っていたが、誘われ、無理やりにではあるが奢られている身分であるから、それを彼を見る視線だけで表現するにとどまる。
スカ男は注文した木の実のタルトがアローラ向けの味付けをされていることをありがたく思いながら、ダイチの注文した菓子を見る。
それはジョウト的な、花をかたどった美しく繊細な造形の菓子ではあったが。どう考えてもそれは、砂糖の塊と言ったところだった。スカ男は自身の舌が一級品であるという自覚があるわけではないが、あんなものを食べては、歯が溶けるのではないかと思う。
同じくダイチが注文しているお茶も酷い、そこが見えないほどに濁ったそれは、もう視覚からその苦さをアピールしてきている。毒のあるポケモンは、それを外的に見せしめるためにあえて毒々しく派手な模様になるのだと何処かで聞いたことがあったが、それはポケモンに限った話ではないようだと思った。
「彼は、きっといい写真を撮ってきてくれるだろう」
乱雑にカメラを振り回すダイチの周りには誰も寄り付かないから、きっとそれは横にいるスカ男に投げかけられた言葉だろう。ダイチは、スカ男が少し不安そうだったことを見抜いていた。
スカ男は、返しを待つダイチ相手に少しだけ間を置き、彼がグズマに対して持っている多少の不安を、彼に意地悪く八つ当たりするように答える。
「それは、あなた次第でスカら」
ダイチは、両手を上げるようにそれにオーバーリアクションを取った。
「君は随分な悲観主義者だね」
「達成率百パーセントってのも、結局は、そういうことでしょ」
それらの問答は、グズマにとって不利益になるかもしれないことだった。
だが、ダイチに悪態をつきながらも、スカ男は心の何処かで、キャプテンが試練に対してそのような私情を挟むわけがないと、ある部分でキャプテンを神聖化していたのだ。
だから、元々この指摘そのものが、その思想に対する矛盾をはらんでいた。スカ男は『あっちの世界』で自分達を認めてはくれなかったキャプテンというものに不信感をいだきながらも、彼らキャプテンの輝かしいポケモンさばきに何処か心酔し、過度な神格化もしていたのである。それはきっと『スカル団』の団員殆どが持ち得ていた思想の矛盾であったかもしれない。
「カプに誓って、試練に私情は挟まないよ」
そら見たことか、と、スカ男は思った。
「俺の試練はとても簡単なんだ。なぜならば他のキャプテン達のように、トレーナーの資質を測るものではなく、人間が元々必ず持ち得ているハッピーという資質を引き出すことを目的にしているのだから」
更に続ける。
「人生とは常に、どこまでも果てしなくハッピーなんだ、俺は七つの時にこの地方に来たが、この地はハッピーに満ち溢れている。出来る限りそれを記録しようと写真を取り続けているが、きっと腕が四本あってもまだ足りないだろう」
いいかい、と挟んでまだ続ける。
「俺が俺を好きであるように、俺は君達が好きだ、そして、俺が君達のことを好きであるように、君達も君達のことを好きになれるように導く、これが、俺が俺に課している試練なのだ」
ダイチはメチャクチャ胡散臭い笑顔を作りながら、「決める俺」と自撮りし、茶を啜った。
スカ男は瞬間的に、彼の思想があまりにもポジティブすぎて、それを否定したくなった、だが、出来なかった。ダイチの持ち得る言葉のパワーがそれを防いだ。勢いのある言葉だった、綺麗すぎる言葉だった。だが、ダイチ自身がその思想を、都合よく利用するために誰かに押し付けているようには見えなかったのだ。
彼はそのお茶の苦さに顔をしかめながら自撮りし、再び言う。
「この飲食店、お茶屋はジョウトの文化物であるようだが、俺はこの文化が好きだ。この文化はつまり、自身と人生がハッピーであることを噛みしめる事を目的にしているのだろう」
今度ばかりはスカ男もそれに首捻った。苦いお茶のどこにハッピーの要素があるのか、さっき自分が食べた木の実のタルトのほうがよっぽどハッピーだ。
そしてスカ男はハッとした。たとえ頭の中で想像しただけだとしても、ハッピーなどと言う感情、果たしていつ以来だろう。
「例えばこのお茶は、口の中がしびれてしまうほどに苦い。単体ではとても飲めたものではないし、これで喉を潤せる人間なんかいやしないだろう、こんなものを売って商売として成立していることが不思議だとすら思うことがある」
急に大きな声で商品をボロクソに言い始めるものだから、スカ男は慌てて店主の方を見た、禿頭の店主はそれが聞こえてはいたが、果たしてどうすれば良いものかと不安げだった。
更にダイチは砂糖の塊のような菓子を齧って続ける。
「この菓子もまるで歯が溶けてしまうかのような酷い甘さだ、たしかに俺の故郷であるイッシュの菓子も相当に甘いが、限度ってもんがあるだろう、何だこれは、こんなの砂糖の山に頭突っ込んでるのと似たようなものだ」
あたふたする店主の存在を認知することもなく、更に続ける。
「しかし、それら二つが組み合わされることによって、素晴らしきハッピーが生まれるのだ」
ダイチは菓子をもうひとかじりしてから、お茶を口に含み、生まれた笑顔を自撮りした。
「日々の生活と同じだ、ただただハッピーが転がっているわけではない、苦すぎるもの、甘すぎるもの、それらが混じり合うことによってハッピーが生まれることに気付く。素晴らしい人生の教訓だ、初めてこれに気づいた時、俺は感動で大声で叫び、夜も眠ることができなかった。だが、ジョウトの人々はそれをあえて口にするような無粋な真似はしないのだろう。なぜならばハッピーであることを知り尽くしている彼らにとって、ハッピーであることは当然のことであり、今更それに感動を覚える必要はないからだ、つまりこれこそが、彼らの言うわびさびなのだ」
無粋なまでに大声でまくし立て、「感動する俺達」と、勝手に被写体を増やして自撮りしているダイチに肩を抱かれながら。スカ男は店主の方を見て、「本当でスカ?」と、目で訴える。
店主はただただ申し訳なさそうに、首を横に振った。
☆
つい先程までは真上にあったように感じた太陽が、気づけばもう少しで赤みを帯びそうになっていた。
その太陽の光を受けながら、グズマは、力なくうつむきながらマリエを散策していた。
撮れない。全く取れない。
彼はマリエのほうぼう歩き回り、ポケモンと人間のハッピーを探そうとした。ポケモンも人も、沢山いた。だが彼は、どうしても良い写真を取ることができなかった。
何もかも、一から十まで馬鹿馬鹿しいと思っていたダイチの試練、だが、彼の指摘は正しく、たしかに自分の撮る写真は、どこか不自然な部分があるように思えた。
ハッピーの共有など、想像もできない。それをするにはまず、自分自身がハッピーで、つまり多少楽観的な心持ちが必要であることくらいはグズマにも理解することが出来るが、そもそも、それ自体ができそうにもないのだ。
なぜならば、島巡りのやり直しというこの状況そのものが、グズマの焦燥感を駆り立てているからだ。もうほんのすぐそこにまで近づいているはずのものに、手が届かない。どうしてそんな時に、楽観的でいられるだろうか。
全てを開き直り、空元気に物を考えることができれば、あるいは簡単に達成できる試練かもしれないが、完璧主義者の様な性格を持っているグズマにとって、それはどうしてもできないことだった。
これはもう無理かもしれない、そう考えること自体が、悲観のドツボに飲み込まれつつある状況だと言うことを頭では理解しながらも、グズマはそう思いながら、操作に手慣れ馴染めたポラロイドカメラを指先で弄った。
悲観のドツボにはまっていたから、グズマは、周りにだんだんとすえた臭いが立ち込め始めていること、それが原因で、人々がそこに近寄らないマリエのハズレの方に進みつつあることに、気づかなかった。
鼻を突くすえた生臭さに気づいてふと顔を上げたグズマの先にあったのは、マリエには似合わない近代的な工場のような建物と、その前でくつろいでいる巨大なベトベトンだった。
その生臭さに思わず顔をしかめるが、グズマは、それが目の前のベトベトンが原因のものではないことをよく知っていた。アローラ地方で独自の進化を遂げたベトベトンとその仲間は、基本的に無臭なのだ。
「ゴミ処理場か」
鼻で空気を吸い込んでしまわないように気をつけながら、グズマはそう声に出した。グズマほどの年齢になれば、自分達が出したゴミが勝手に消えているわけではないことは知っていたし、それを一箇所にまとめて処理をする場所がウラウラ島にあることも知っていた。後は目の前にいるゴミを食べることで有名なベトベトンを考えれば、そこがゴミ処理場であることは明確だった。
なんとなく、グズマはカメラを構えて、ベトベトンを写真に収めようとする。これほど巨大なベトベトンを見るのは初めてだったし、ゴミ同士の化学変化によって絶えず斑に変化する彼の体色が、珍しく思えたのだ。
ファインダーの中心にベトベトンを据えると、彼はそれに気づいたのか素早くポーズを取った。
「こんなところに来ても面白くないだろう」
ファインダーの外から、おそらくグズマ自身に向けたであろう言葉が聞こえて、グズマはカメラを下ろす。ベトベトンはなんとなく不満げに、再びくつろぎ始めた。
見れば、作業着を着た男が、グズマの直ぐ側に立っていた。言葉自体は拒むような意味合いを持っていたが、その表情はにこやかで、歓迎している風だった。
「観光客じゃ、無いです」
「そうかい、カメラを持ってたからな」
男は、その場に落ちていた空き缶を拾い上げ、振って何もないことを確認すると、それをベトベトンに向かって放り投げ、ベトベトンはまるでマシュマロを口でキャッチするように上を向き、それを飲み込んだ。
「なんかゴミあるかい? あいつはなんでも食うよ」
呆れたように笑う男に、グズマはポケットの中にあった写真を全て差し出した。どーせ必要のない写真だった。
くつろいでいたベトベトンが、なんだなんだと起き上がって彼らに近づく、やはり彼からは悪臭はしなかった。
男は少し不思議に思いながらそれを受取り、急に「そうか島巡りか!」と声を上げた。
「ダイチの試練だな、俺達の頃に比べたらだいぶ風変わりな試練だが、あいつは良いキャプテンだよ」
「まあ、悪い人じゃないんでしょうけど」
「それで、これ捨てちまって良いのかい?」
「ええまあ、多分不合格の写真ですから」
「そんなのやってみねえと分からねえだろ、持っとけ持っとけ」
無理やりそれを押し付けられたグズマは、渋々再びそれをポケットに戻す。ベトベトンはそれを目で追っていたが、男に少し叱責されて、だらりとだらけた。
よくしつけられていベトベトンだな、と、グズマは思った。最終進化系にして、これほどまでのサイズを持つポケモンならば、多少は我が出てくるものであって大抵のトレーナーはそれに手を焼き、最終的に彼らを手放してしまうことも少なくない。
「おじさんも、島巡りを?」
「ああ、こいつと一緒にな」
男は、だらけたベトベトンの毒が結晶化されていない部分を器用に撫でた。
「しかし妙だな、坊主は十一歳ってわけじゃないだろう?」
グズマは、ある程度その男に失望されることを覚悟しながら答える。
「二度目なんです、まだカプに認められて無くて」
へえ、と、男は特に何も思うことなさそうに答えた。
早くその話題から離れたくて、グズマは別の話題を振る。
「島巡り、どうでした?」
「まあ、ぼちぼちさ、今はこんなだが、昔ほんの少しだけ、キャプテンの補佐もやったことがある。誰も信じないがね」
それは周りがあまりにも節穴すぎる、と、グズマは思った。これだけのベトベトンを従え、なつかれている時点で、相当な手練である事は明白だった。グズマは彼がかつてキャプテンだったと言われても、特に疑問を持たなかっただろう。
再びゴミの汚臭が彼の鼻をついた時、ふと、彼の頭に疑問が浮かんだ、だが、それはとてつもなく、場にそぐわない、失礼な質問だった。
「一つ、良いですか?」
「ああ、なんでも」と、男が答える。悩める島巡り挑戦者に、彼は好意的だった。
「その、これはものすごく失礼な質問だと思うんですけど」
「はは、大体何を言われるか想像できたぞ、まあ、気にせず」
男の笑顔に、グズマは踏み込む覚悟を決めた。
「どうして、おじさんほどの実力者が、こんな仕事をしているのですか?」
グズマからすれば、ありえないことだった。
強力なポケモンを従え、島巡りを達成し、実力も十分であるはずなのに、なぜそれを自身の立場に生かさないのか、彼は不思議だった。彼よりもおそらく弱いであろうのに、彼よりもふんぞり返っている人物を、グズマは何人も知っている。
よりにもよって、ゴミ処理なんて。
男は、頬をかいた。
「よくされる質問さ、実力者と言ってもらえるだけありがたい話だよ」
そして、ベトベトンの、おそらく背中をかいた。
「こいつはさ、その気になりゃあ一日に二トンものゴミを処理することが出来る、今日も、それに近いゴミを処理したところだ」
二トンのゴミと言うものにグズマは全く実感がなかったので、それが凄いことなのかどうか客観的に評価を下すことができなかったが、その男が言うのだから、それは凄いことなのだろうと思った。
「ゴミ処理場にはベトベターも何匹もいるが、そいつらもこいつが居ればサボらねえし喧嘩もしねえ、こいつはゴミ処理にうってつけのポケモンなんだ」
たしかに、これほどのベトベトンならば、同族に対する統率力もあるだろう。
「ゴミってのはさ、人間が生活する上では絶対に避けては通れねえ問題だ。誰もやりたくない仕事だろうが、誰かがやらなければならない仕事でもある。そして、俺達ならそれが出来る自信もあった。今やアローラのゴミは全部俺たちが処理してる。俺達はやったんだ」
力強い言葉だった。グズマは男の言葉に全身が震えるような感触を覚えた。自分が情けなく思えた、彼らの決意に比べれば、自らの不安や怖れは、非常にちっぽけのように思えたのだ、否、実際にちっぽけなのだ、彼らの決意に比べれば。
グズマは、カメラのフィルムの残りを確認した。まだまだ余りは十分だった。
彼は、意を決して、ポケットに戻したこれまでの写真を取り出して「やっぱ、いらねえ」と、ベトベトンに差し出した。ベトベトンは、一瞬、それに飛びつきそうになったが、慌てて男の方を見る。
「いいのかい?」
男は不安げだった。
「いいよ」
グズマは答えた。
男は、グズマからその写真を受け取り「よく撮れてるがなあ」と漏らしてからベトベトンにそれを与えた。
そして、グズマはカメラを握り直す。
「写真、取らせてください」
「見学かい? 明日朝なら稼働してるところを案内できるよ」
「いいえ、あなた達の写真を取らせてください」
男は再び頬を掻く。
「そりゃ良いけどさ、そんなもん撮ってどうするんだ?」
「良いですから、撮らせてください」
グズマは、首を傾げながらベトベトンと寄り添う男を、ファインダー越しに捉えた。