14-本来ならばその言葉で、救われる境遇にいる筈なのに
コニコシティ、しまクイーンのライチの出身地にして、彼女がジュエリーショップを構えているいわゆる本拠地を訪れたスカ男は、その足取りから分るとおりに心を弾ませながら、グズマを先導していた。
もちろんこの二人のコニコシティでの最終的な目標は、新たなしまクイーンであるライチと戦うことである。だが、その前にスカ男は、腹ごしらえに何か食事をしようとグズマを誘ったのだ。
心弾ませる理由はもう一つある、スカ男の懐が暖かい。カヒリがキャディとしての報酬をスカ男に支払っていたからである。さらにスカ男はホテルでナマコブシ投げのバイトを幾つかこなしていた、それがかなり割のいいバイトであることを、スカ男は『こっちの世界』で知っている数少ない一人だった。
つまりスカ男は、一つグズマに食事を奢ろうとしていたのだ。彼の知っている兄貴風の最大限が、弟分に食事をごちそうすることだった。
「この店にしまスカら!」
一先ず目についた店をスカ男は指差した。その店の真新しそうな外観が、きっと美味しいに違いないと、スカ男に語りかけていたのである。それほど高そうな店に見えないのも、ポイントが高い。
グズマは、少しだけ眉をしかめた。彼は、真新しい外観というものが、こと飲食店においてはギャンブル性を高めてしまう要因の一つであることをなんとなく感覚的に理解していた。つまりその店は、生き残っているわけではないのだ。
だがまあ、と、グズマは、軽い足取りで店内に入り、右手でピースサインを作り出したスカ男を眺めながら、腹に入ればなんでも良い、奢りなのだから、と思った。
結論から言えば、スカ男達はその店の料理に大満足していた。
多少創作的なメニューが目立ってはいたが、それらはアローラ住民の口にあうようにアレンジされて、その量も申し分なかった。
こりゃ流行る、と、スカ男はまばらな客席を眺めながら思った。この味がアローラの住民に認知されれば、必ず多くの客が訪れるようになるだろう。
味付けに関してはとても重要な事で、『あっちの世界』でも『こっちの世界』でも、アローラを多く訪れる観光客の関係から、最近では海の向こうの味付を意識しているような飲食店が多かったのだ。
だから彼らは、大いに食べた。下っ端根性の抜けないスカ男は、時折メニューを眺めながら、なんとなく料金を計算してしまっていたりしたが、もうちょっと食べてもまだまだ金額的には大丈夫なことを確認して、再び料理に没頭する。
だから彼らは、店の扉が開いたことに気づかなかったし、それが来客によるものだと言うことにも気づかなかった。店員が笑いながらその客を迎えたことにも気づかなかったし、足音がだんだんと自分達に向かってきていることにも気づかなかった。
「ここ、よろしいかしら?」
女性の声だった。
そう聞こえて、まずスカ男が思ったことは、いや、他の席が開いてるだろう。と言うものだった。別に相席が嫌なわけではないが、相席を好んでいるわけでもない。他の席が空いているのならば、極力そっちに座って欲しい。
だから彼は、それを伝えようと思ってその声の主を見上げた。そして、「あっ」と声を漏らして、彼はその言葉の意図を十二分に理解する。
目の前に居たのは、アーカラ島しまクイーンの、ライチだった。グズマの食が止まる音が聞こえた。
「どうぞ」
驚きすぎて、スカ男は普通にそれに答えた。ライチは二人に礼を言いながら、スカ男の隣、グズマの対面に腰掛ける。
「何の用だよ」と、グズマは若干警戒しながら問う。
「ご飯、食べに来ただけよ」
ライチは、余裕そうに微笑みながら答える。
「この店、美味しいもの」
常連なのだろう、彼女は大声で店員にメニューを伝えた。
「いつ、戦える?」
水で喉を潤してから、グズマは切り出した。ある意味で、ライチが自身を理解していることを信頼した言葉だった。
「あなたはもう島巡りを達成しているんだから、大試練を行う必要はないでしょう?」
あ、そうだ、と、スカ男は納得した。
大試練、それは島巡りのシステムの一つで、単純に、しまキングやしまクイーンが、島巡り挑戦者の実力を図るために、手を合わせることを言う。すでに島巡りを達成しているグズマが、それを求める必要がないという意見は、正しい。
だが、グズマが島巡りを達成して以降にしまクイーンに就いたライチは、グズマと大試練を行ってはいない。
スカ男は納得したが、グズマはそれに納得せずに、不服を露わにする。
「だったら、トレーナーとして、俺と戦え」
「嫌よ」
え、と、スカ男は思わず漏らしてしまった。意外な回答だったのだ、トレーナーとしてならば、戦ったっていいだろう。
「怖いのか? 負けるのが」
挑発的な言葉だったが、正直なところ、スカ男もちょっとそう思っている。だってライチがしまクイーンとしての強さを示したいのならば、単純に戦えばいいだけのことだからだ。
だがライチは、それにため息を返した。
「それが、あなたのためだから。と、言っても、納得はしないでしょうね」
そして、一つぐっと目をつぶってから、続ける。
「あなたは、何のために強くなるの? 何のためにキャプテンになりたいの? 何のためにしまキングになりたいの?」
その質問に、グズマは咄嗟に答えることができなかった。なんとか助け舟を出そうとしていたスカ男も、それに答えられない。強さ、キャプテン、しまキング、何のためになどと、考えたこともない。
少しの間、テーブルに沈黙が訪れた。運ばれてきた料理に対するライチの礼が、大きく聞こえるほどに。
やがて、グズマが苦しげに口を開く。
「それを目指すことが、アローラに生まれたトレーナーの、使命みたいなもんだろうが」
「違うわ」
なんとか見繕った答えのようなものを、彼女は即座に否定した。グズマが反論しないのを確認してから、続ける。
「いい? ただひたすら強くなることと、キャプテンやしまキングになることは、全くの別、真逆にあることだと断言してもいいと思うほど、相反する事よ」
現役しまクイーンのその言葉に、スカ男は驚いた、グズマも驚いているだろう。キャプテンや、しまキングは、アローラの強さの象徴のような存在ではないか。アローラの誰もが、彼らの強さを疑ってはいない。それが相反することだなんて。
更に彼女は続ける。
「キャプテンやしまキングはね、『負ける』役割なのよ。島巡りのシステムそのものがそうじゃない、アローラの未来を担う若者たちに、胸を貸す、慈愛を持ってね」
なるほど、と、スカ男は頷いた。たしかにそうだ、大試練にしろ、大大試練にしろ、しまキングが負けることによって、それを達成としている。つまり、島巡りの達成者が現れる度に、彼らは負けているのだ。冷静になって考えれば当然のことだが、島巡りを挫折したスカ男にとって、キャプテンやしまキングは絶対的な、恐怖の対象ですらあったから、それに気づけなかったのだ。
「私はね、あなたの強さは十分すぎるほど理解してるつもりよ、何度か痛い目にもあってるしね。だけど、全てを破壊するようなあなたのスタイルは、キャプテンやしまキングには向いていないのよ。想像できる? 技術も乏しくてまだパートナーも弱いトレーナーに、上手に負けてもなお笑っていられる自分自身を」
ライチの問いに、グズマは押し黙った。
グズマがそれに答えられないのは、ライチの指摘通りに、それを想像することが出来ないからだろうと、スカ男は思っていた。
実際に、スカ男も、それを想像できずにいる、強くてカッコよくて、誰よりも頼りになるグズマを想像することは出来ても、慈愛を持って、誰かを導いているグズマは想像できないでいたのだ。
テーブルを支配していたのは、重苦しい空気だった。だがライチは「でも」と、続ける。
「それは、別に悪いことじゃないのよ」
彼女はグズマに顔をあげるように言い、彼の目を見つめて続ける。
「何もキャプテンやしまキングになることだけが全てではないのよ。あなたの島巡り、これは、それを根本から見つめ直すことも必要なの。ククイのように、キャプテンやしまキングに『ならない』という選択肢だって、人生には十分にあるのよ」
ククイの名が出て、グズマは少しだけ体を揺らした。スカ男はそれが、大きな動揺をなんとか押さえ込もうとしている動きだということが良くわかった。
なぜならばグズマは、ククイという存在を侮蔑、嫌悪していたからだ。
誰からも認められる力を持ちながら、ついにキャプテンになることができなかった存在。そして、アローラを捨てた存在。当然、ククイが海外の大学に進学するためにアローラを出たことを知らないわけではない。だが、グズマからすれば、人一倍アローラに服従しているグズマからみれば、そもそも海外の大学に進学すること自体が逃げのようなものに思えたのだ。
「それはあんまりッスよ!」
スカ男の口から、反射的に出た言葉だった。
彼は、ライチのその言葉が、グズマにとっては耐えられないかもしれない威力を持ったものだということをよく理解していた。
皮肉なものだ、スカ男にしろ、グズマにしろ、本来ならばその言葉で、救われるの境遇にいる筈なのに。
「いくらなんでも、それはあんまりにも無責任でスカら! だってそうでしょ!? 皆、皆が『キャプテンを目指せ』って言うじゃないでスカ。それを急に、今になって、そんな突き放すような、あんまりでスカら!」
いくらスカ男が馬鹿だろうと、それをライチに言っても仕方がないことくらい、ちょっと冷静になればすぐにわかる。
だがスカ男はどうしてもそれを言わなければおさまらなかったのだ。トレーナーを目指すものならば、島巡りをクリアし、キャプテンを目指せ、そのようなしきたりを作り上げておきながら、よりにもよってそのしきたりの側にいるはずであるしまクイーンが、それを今更になってひっくり返すようなことを言って良いわけがないと、スカ男は思っていたのだ。
だったらもっと早く言えよ、と思った。それをもっと早く、誰かが言っていれば『あっちの世界』のグズマは、自分達は、あんなことにならなかったかもしれないじゃないか。
ライチは、思わず興奮して立ち上がってしまったスカ男を、怒鳴るでもなく、馬鹿にするわけでもなく、ただただまっすぐとその目を見据えて答えた。
「そうね、あなたの言いたい事はよく分かるわ。だけど、これだけは理解して欲しい。私は、しまクイーンとしても、個人としても、グズマの人生が明るくなることを願っているし、そうなることが出来る実力があることもよくわかってる」
「おっさん、良いよ」
グズマが、震えを悟られないように小さく呟いて、スカ男の袖を引いた。
「ライチの言うことも、全く間違ってるわけじゃない」
それは『あっちの世界』のグズマを知るスカ男からすれば、信じられないような言葉だった。絶対に、絶対にグズマは、自分と同じように激高すると思っていたのだ。
流石に未来の彼を知るスカ男だけあって、その予想は大体合っていた。事実グズマも、ライチの言葉を聞いた直後には、やはり怒りの感情があった。
だが、自分よりも先に、スカ男が激高してライチに噛み付いた。それが、グズマを冷静にさせ、一歩引いて、客観的な目線からこの構造を眺める猶予を与えたのだ。
だが、自らがキャプテンに向いていない、なるべきではないというライチの指摘を、全て受け入れることが出来るわけではない。
「けど、今更やめられねーよ。向いてるか向いていないかじゃないんだ」
ライチは、頷いてそれを受け入れた。
「私も、自分にできることならばなんでも協力するわ、けどね、向かない立場についてしまったときの苦しみは、多分あなたが考えている以上に大きい。あなたには、はっきりと欠けているものが、一つだけあるの」
席についたスカ男とグズマが、黙ってその続きを促す。
「あなたには、主体性が無いのよ。自我がないとも言えるわ」
自我がない、スカ男から知れば信じられない指摘だ。彼の知るグズマは、それこそ自我の塊のような男ではないか。
しかしグズマは、それに何らかの心あたりがあるように、口を曲げていた。
一見すれば、我が強すぎるように見えるグズマは、実は自分でものを考えているわけではない事を、彼女は見抜いていた。
「あなたが島巡りを達成した後、ウラウラ島に、新しいキャプテンが任命されたの」
ウラウラ島、この次に進む島だ。
「名前はダイチ。クセのある男だけど、なかなか興味深い見解をしているわ、彼に会えば、何かを掴むことが出来るかもしれない」
慈愛に満ちた若きしまクイーンは、迷える子羊が次に進むべき道を明るく照らそうと、明るくあるべきだと、そう願っていた。