13-あなたはきっと、彼の弱さを、たくさん知っている
ほんの数十メートルほどの背後では、壮絶な戦いが繰り広げられていることを、スカ男はその騒々しさから理解していた。
ヤバイヤバイと、スカ男の本能は露骨にそこからの退避を求めていた。
しかし、なんとかその場からは逃げ出さずにいる。だがやっぱりヤバイヤバイと体中を反響する。
「プレイ中は、お静かに」
そんな喧騒を他所に一人集中していたカヒリが、構えを解いて言った。
たしかに、アスリートが集中力を研ぎ澄ませることが出来る環境とは到底言えない、だが、その言葉が向けられていたのは森の喧騒ではなく、恐怖故に先程から何もはっしていないはずのスカ男に対してだった。
スカ男は感覚的に、それが物理的な音に対してではなく、スカ男の精神に対しての発言であることをなんとなく理解した。
「無理に決まってまスカら!」
ほとんど逆ギレのようにスカ男が叫び、それがもしかしたら森の中にまで届いてしまうかもしれないということを思い出して慌てて声量を落として続ける。
「無理でスカら、無理ッスよ、無理」
更に続ける。
「普通ビビりまスよ、誰だって、大体の人間はビビリまスカら。むしろどうして、あんたはビビらないんでスカ? 強いキャプテンだからでスカ?」
「それも理由の一つではあります」
カヒリはスカ男に一歩踏み込んで続ける。
「しかし最も大きな理由は、私が、彼を信頼していることでしょう」
スカ男はそれに猛烈に反発する。
「そりゃ俺だってしてるッスよ。俺だってグズマさんを信頼してるッス! それでも怖いもんは怖いッスよ」
無理も無いことだった、むしろ、それこそが正当な反応と言える。
落としたはずの声量は、再びどんどんと上がっていく。
許せなかった。彼は許せなかったのだ。カヒリという成功者が、グズマに対して信頼を語ることが許せなかったのだ。
「嘘じゃないッス、ほんとでスカら! だって俺はこの世界で一番、グズマさんを信じてるッスよ!? 絶対、あんたよりも俺のほうが、グズマさんを信じてるッス!」
「それはおそらく、そうでしょうね」
カヒリは、スカ男の声を否定しなかった。
「ですがあなたは、おそらく彼について知りすぎているのでしょう。私は彼の強さしか知りませんが、あなたはきっと、彼の弱さを、たくさん知っている」
スカ男は、それにハッとした。彼は、信頼、と言う言葉を、過剰に捕らえていたのだ。つまり信頼というものが、その対象をより深く、より深く理解していることの代名詞だと思っていたのである。
「先程も言いましたが。私は彼の実力なら、考え方さえ間違えなければこの試練を突破することは簡単だと思っています。ですが、きっとあなたは、何かを不安に思っている、それがそのまま、心の震えとして現れているのです」
それは的を射ている意見だ、とスカ男は思った。たしかに『こっちの世界』にて、期待されている若手トレーナーとしてのグズマの、ほんの表面上しか知っていないカヒリと、『あっちの世界』から『こっちの世界』に至るまで、グズマのありとあらゆる弱み、欠点、脆弱さ、を知り尽くしているスカ男とでは、その認識に差が出るのは当然だ。それこそスカ男は、試練に成功しないかもしれないグズマを『あっちの世界』でさんざん見てきたのだ。
「そういう話になるのなら、そうッス」
スカ男は観念した。
「だけど、俺がグズマさんを信頼していないかもしれないなんて、考えたくもないッス。どうすればいいのでスカ?」
カヒリは、少し考えて提案する。
「もっと単純に、単細胞的に考えるのです」
はあ、と、気のない返事を返すスカ男に、続ける。
「二択で考えましょう、あなたはグズマ君が、試練を達成できる実力を持っていると思いますか? 思いませんか? 難しことを考えずに、どっちかを選ぶのです」
なるほど、と、スカ男は思った。
「そりゃ、実力はありまスカら、達成できまス」
「そう、それ以外のことは考えないことです。彼がこの試練を達成するのならば、我々に危険が及ぶことはありません」
微笑んだカヒリは一歩スカ男から離れて、一度腰の動きを確認するよに素振りしてから、構える前にもう一言添える。
「後は、なんと言えば良いのでしょうか、そう、そうですね。あなた自身が、多少、その、精神的に虚弱的である、と言うか、神経過敏である、というわけではなく、そうですね、生存本能が強い的な、いえ、そうですね、その、つまり、あなた自身が、多少、ええ、つまり、その、誤解を恐れずに言うとすれば、ええ、自分がビビりだということを、強く認識する事とか、ですかね」
カヒリが猛烈に言葉を選びながら、最終的にそれを諦めるまでの一連の動きを見て、スカ男はようやく笑顔を取り戻して「善処するッス」と答える。
彼女が腰から始まるスイングを開始したその時、森の中から一際大きい鳴き声が響いたが、二人は特に驚くこと無く、飛んでいくボールを目で追っていた。
☆
音波による攻撃『ハイパーボイス』が森中に響き渡る。
直接的な攻撃ではないが、高威力を誇る技だ。オンバーンやバクオングなどのように特殊な攻撃に強みを持つポケモンならば、その被害は相当なものになるだろう。
だが、アリアドスには大したダメージがないようだった。事実アリアドスは何もうろたえること無く、『いとをはく』の指示通りに森を縫った。
特殊なその攻撃は、ドデカバシの得意なものでは無かった。ドデカバシもそれは知っている。
それでもその攻撃をしなければならないのは、グズマが作り出した状況による。
グズマは広場一面に粘着質の糸を吐き散らし、地面にはまきびしを撒き散らしている。枝に張り付いた『ねばねばネット』のせいでドデカバシは枝を掴むことが出来ず、『まきびし』のせいで地面に降りることも出来ない。
ドデカバシは飛ぶことを余儀なくされていた。たまにまだ糸が絡んでいない枝を見つけて止まることは出来るが、それをすれば、すぐにそこは糸に覆われる。
自分よりも賢い敵だ、ドデカバシはそれを理解し、受け入れた。それは消極的に見えるかもしれないが、相手の実力を正しく見抜くけることも、ぬしたる者の資質の一つだった。
そしてぬしは、もう一つのことにも気づき始めていた。
攻撃をしてこない。ということにである。
チャンスは何度もあったはずだった。事実、ドデカバシも多少のダメージを覚悟した局面も存在する。だが、今彼は疲弊という意味では疲弊していたが、直接的な外傷という意味では、全くの無傷だった。
馬鹿なのか、あるいは実力がないのか、と一瞬彼は考えたが、すぐにそれを否定した。この敵に限って、それはありえない。
ならばと、考えを改める。つい先程の自分のように、油断を誘うのが目的なのだろうか。
そう考えている間にも、アリアドスは『ねばねばネット』を吐き続ける。もう広場の殆どがそれで覆われていた。
これも厄介だ、とドデカバシは感じていた。侵入者の厄介さを認めてから、彼は仲間を呼んでそれに応戦しようと考えていたが、まるでカゴのように張り詰められたアリアドスの巣が、仲間の侵入を防いでいる。
そこまで考えた時、ドデカバシの耳に、聞き覚えのある金属音が響いた。それは、カヒリがボールを引っ叩いた音だった。
そして、ドデカバシは気づいた。まるでその失態を誤魔化すかのように、一つ大きな雄叫びを上げた。
わかった、つまりこの厄介な侵入者は、ただの囮。彼らの目的は、仲間を自分の縄張りに侵入させることだったのだ。
ドデカバシは憤った。当然だろう、自らの縄張りにのうのうと侵入され、自分は囮相手に手こずっている。ぬしとして、形容しがたいほどの屈辱だった。
限りなく正解に近いその発想は、グズマがドデカバシに攻撃しないことの説明にはならない。まさか侵入者が、囮に対して、脅威である主に攻撃してはならないなどという制約を課しているなど、ドデカバシが考えることが出来るはずがないのだ。だが、彼はそれに再び頭を悩ませる事はなかった。もうすでに、彼の中の敵は、目の前のトレーナーではなく、今自分の背後で何かをしている何者かになっているのだ。
すぐに思い知らせなければならない、ドデカバシは大きく舞い上がった。グズマはそれを見上げる。
ドデカバシは知っていた、彼らが作り出したこのカゴには、僅かではあるが、文字通り穴が存在する。
それは上空、カゴの頂点。さすがのアリアドスもそこには届かなかったのだろう、僅かに空間が開いている。
ドデカバシは、そこから逃げるつもりだった。決して敗走などではない、相手の思惑を外すための行動。これ以上奴らに付き合う必要なんて無い。
自らを無視して高度を上げるドデカバシを、グズマは口角を上げながら指差した。アリアドスもそれを待っていたかのように身構える。
「『いとをはく』!」
アリアドスは口から『いとをはく』、それは、ドデカバシが彼らに向けていた足に見事に絡まった。
全ては、これのための伏線だった。
いたずらに対戦を長引かせ、相手の行動を一つづつ潰していきながら、足場を封じる。そのまま相手がスタミナ切れを起こしてくれるのならばそれでも良かったが、それは期待していなかった。
そして、彼らが作り出したカゴは、乱入者の抑制というドデカバシの思惑とは別に、もう一つ目的があった。
それは、ドデカバシを誘うこと。
対面を続けていけば、自分達が攻撃しないことに、いつかドデカバシは気がつくだろう。そうすれば、ぬしは自分達を無視し、カヒリ達を妨害に向かうだろう。
その時が最大の試練であり、最大のチャンスでもあるとグズマは睨んでいたのである。
自分達を見据え、自由に飛び回るドデカバシを糸で捉えることは出来ない。だが、自分達から目を切り、ある一点を目指しているのならば話は別だ。
つまりグズマは、あえてカゴに穴を作ることによって、ドデカバシの隙を誘ったのだ。
足を捕らえられてもなお、ドデカバシは強く羽ばたきながら、それを振り切ろうとしていた。自らが罠にかかってしまったことはすでに理解している。故に、なりふり構わず力でそれを振り払おうとした。
だが、グズマもこの機を逃さない。
彼はもう一体グソクムシャを繰り出して、アリアドスとともに糸を引かせる。さすがのぬしも、大型のポケモン二体には力負けし、徐庶に高度を下げる。
ドデカバシは振り返り、『タネマシンガン』で迎撃を狙う。
グズマはそれを見切っていたかのように、もう一度『いとをはく』の指示を出した。
アリアドスは今度は尾っぽから糸を繰り出し、ドデカバシの巨大なクチバシに巻きつけ、『タネマシンガン』を封じる。
だが、主もこの程度のことでは怯まない、すぐさま『くちばしキャノン』の体勢を構える。クチバシに篭った熱で、糸を焼き切る狙いだ。
だがアリアドスも次を狙う。再び尻から糸を繰り出し、今度はドデカバシの羽を狙う。
技の体勢を取っていたドデカバシは、それを防ぐことが出来ない、あっという間に羽はぐるぐる巻きにされ、羽ばたきを失った彼は引力に身を任され、ようやく糸を焼き切ったクチバシからは、悲痛とも取れる雄叫びが響いた。
「『クモのす』!」グズマは更に動く。
アリアドスは最後に、広場に巨大なクモの巣を作り出した。伸縮性の高いその糸は、落ちてきたドデカバシを何度も跳ねさせ、地面に激突することを防ぐ。
もし地面に激突してしまえば、『まきびし』によって大きなダメージを負っていただろう。
「わりいけど、もう少しだけ、おとなしくしててくれ」
汗を拭きながらそう語りかけたグズマに、ドデカバシは何も答えなかった。実力の違いを察し、もうどうにでもしてくれと思っていた。
☆
「素晴らしく快適で、非常に価値のあるプレイをすることが出来ました」
ハノハゴルフコースラウンジ、タオルで額の汗を拭ったカヒリは、そう言ってグズマを讃えた。
「最も、貴方にとってはなんてことのない試練であったかもしれませんが」
「まあな」
グズマは、不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、口端を上げてそれに答えた。
「グズマさん! 俺も信じていたッスよ!」
スカ男は、カヒリに負けまいと妙な対抗心を燃やしながら言う。
その言葉には、僅かで微妙ではあるが誇張があることをカヒリは知っていたが、彼女は、それを咎めなかった。それは、些細な事なのだ、むしろ、それを知っていたからこそ、彼女はスカ男を尊重しているのだ。
「試練達成者にはクリスタルを送ることになっていますが」と、カヒリは言葉を切る。
「貴方はもうすべてのクリスタルを持っていますよね?」
グズマは、それに頷いて肯定した。
クリスタル、とは、ポケモンの『ゼンリョク』を最大限に引き出すことが出来る特殊な宝石だ。それらは各地のしまキングやキャプテンが管理し、試練をクリアしたものに与える事になっている。そのトレーナーが、ポケモンの『ゼンリョク』を引き出すに値するトレーナーであることを、人間側であるしまキングが証明するのがクリスタルなのだ。
そして、その遂に存在するものが、各地のカプ神が与えるリングだった。
試練を達成している、つまり、人間側には認められているグズマは、全てのクリスタルを手中にしている。
グズマのポケモンたちの胸で虚しく光るそれらのクリスタルを、スカ男は知っていた。
「何もいらねえよ」
グズマは、かったるそうにそう答える。
「今更キャプテンに何かを貰おうってわけじゃねえ」
それに小さく頷いたカヒリは、ふとグズマの背後に目線をそらし、それに気づいて小さく笑いながら「でも、どうしても貴方に会いたい方がいるそうですよ」と、窓を指差した。
カヒリと同じ側に立っていたスカ男は、グズマが振り返るより先に窓の外を確認することが出来た。彼は「ヒッ」と、小さな悲鳴を上げた。
見れば、窓の外にはドデカバシが居た。それも普通の大きさではない、何から何までデカイどう考えても先程のぬしだった。
グズマは、「危ないでスカら!」と自らを制するスカ男の声を無視して、それに近づき、窓を開けた。
ドデカバシは、そのでかいクチバシだけを窓から差し出した。よく見れば、それが木の実のような何かを咥えている事に気づいて、グズマは右手を差し出す。
そこに現れたのは、ゴルフのボールだった。見覚えのあるマークにグズマが気付いたときには、ドデカバシはもう、大きな羽音を立てながらそこを飛び去っていた。
「なんスカ?」
スカ男の質問に、グズマは右手を差し出しながら答える。
「ボールだ、さっき打ったやつ」
そう、そのボールに描かれているマークは、カヒリが好んで使っているアローラのメーカーのものだった。
「なるほど」と、カヒリが頷く。
「ぬしが、貴方を認めたようですね」
おぼろげながらにであるが、グズマもその意味を理解しつつあった。
それは、ドデカバシなりの、グズマへの敬意だった。
明らかに自らより強力な力を持ちながらも、それで自らを傷つけることはせず、それでいて格の違いを見せつけた。自身の持つ強さによって、また別の強さを制し、救いもしたのだ。ドデカバシがグズマに対して敬意を示すことに不自然はない。
それは、グズマにとっては珍しく、相手を倒すこと以外で手に入れた報酬だった。
「なあ」と、グズマがトゲのないトーンで言う。
「これ、くれよ」
彼は、右手をぐっと握りしめた。
「ええ、構いませんよ」カヒリは微笑んでそれに答える。
そして、更に続けた。
「貴方達の島巡りの成功を、願っています。もし、よろしければ、友人の一人として、また一緒にコースを回りましょう。その日が来るのを、楽しみにしています」
グズマとスカ男は、頷いた。