11-あなた達の関係を羨ましく思います
森の中、幹が太くてよく目立つ一本の木の元に、グズマはなるべく人間の匂いがつかないように注意しながら、落ちているきのみを集めていた。
それは、擬似的なマケンカニの巣だった。きのみを一箇所に集めておく習性のあるマケンカニは、自然と巣の周りにきのみを盛るようになる。そして闘争心の強い彼等は、より高くきのみを盛っているところを、意図的か勘違いなのかはともかく、自らの巣だと認識してしまうのである。
グズマは、まだこのホールでマケンカニを確認したわけではなかった。だが、そのコースの特徴である深さのある幾つかのバンカーには、おそらくマケンカニのものであろう爪の特徴的な足跡がいくつかあったのだ。
マケンカニと言うポケモンは、クラブやシザリガーによく似た姿をしておりながら、全く泳げずに、湿ったところを嫌うという特殊な生態をしている。乾いた砂を集めているバンカーは、彼等にとっては絶好の遊び場だ。バンカーに足跡が残っているのならば、必ず近くに居るはずだ。
彼等がゴルフコース内に巣を作ってしまうより先に、擬似的な巣を作っておくことで、コースに彼等が迷い込んでしまう可能性を少しでも減らしておこうというグズマの作戦だった。
試練も中盤を越え、グズマはこの試練のコツを少しづつ理解し始めていた。
重要なのは、想像力と気遣いだ、少し口の悪い言い方をすれば、根回しと言えば、すんなりと意味が通る。
迷い込んだポケモンと面と向かってしまえば、それはもうお互いに硬直するしか無い、それがグズマ自身の持つ強さが、攻撃できないという特殊な条件下において持ってしまう弱さの一つだ。つまり、面と向かってしまったときには、もう遅いのだ。
だから根回しをする必要がある。自らという脅威に、彼等が出会ってしまわないように。
巣を作り終えたグズマは、すぐに次の行動に移る。彼はひとまず森を抜け、コースを確認する、そろそろカヒリ達がこのコースに乗り込んでくるはずだから、コースにポケモンが乗り込んでいないか、最後の確認だ。
そこでコースにポケモンがいないことを確認すると、彼は再び森に戻り、音を頼りに、相棒の一匹であるアリアドスを探す。彼はマケンカニの巣を作る前に、アリアドスにある指令を出していたのだ。
よしよし、と、グズマはアリアドスの仕事っぷりを見て、満足げに彼の頭をなでていた。
見れば、森の木々を縫うように、アリアドスの糸が張り巡らされている。もちろんそれらは、野生のポケモンを攻撃する技とはみなされていない。彼等のようなポケモンが、獲物をとらえるために張り巡らせるそれとは違い、それらの糸はとてつもなく主張的であり、森のはるか奥からでも、その存在を確認することが出来るだろう。オブジェとしては優秀かもしれないが、罠としての機能は殆ど持ってはいない。
だが、それらの糸一本一本には、アリアドスとグズマの明確な意図が込められている。
多くの虫ポケモンが攻撃や自衛の手段として持ちえる『いとをはく』という能力は、ただただ糸を作り出すという単純さだからこそ、それらを作り出すポケモンの格というものをハッキリと映し出す。
グズマのアリアドスが吐き出す糸は、一本だけならばまるで空気にとけ込むように細く透き通り、それでいて一度絡んでしまえば大型のポケモンですら手間取る粘着性と強さを持つ。おそらくアローラ全体で見ても、これほどの糸を作り出せる存在は多くはいないだろう。
つまりアリアドスはそれらの糸をあえて見せつけることによって、自らという脅威が存在することを野生に訴えかけているのだ。
アリアドスに捕食される側である小型のポケモンも、あるいはそれらの種族と縄張り争いを繰り広げるほどの力を持つ大型のポケモンも、その警告をすんなりと受け入れていた。野生は馬鹿ではないし、くだらない虚栄心に思考を支配されたりもしない、常に生きることが第一。その先にあるかもしれない脅威に対して自ら突っ込んでいくなど、そこを支配しているボスのようなポケモンがいない限りはありえない。
もっとも、この近くにそんなポケモンはいないようだな、と、グズマは安心していた。もしそのような存在が居れば、そもそも自分達がこの森に侵入した時点で、何らかのアクションを起こしているだろう。
グズマは、内心驚いていた。
最初にこの試練の内容を聞いたときには、何だそんな簡単なことでいいのかと思った、そして、その浅はかな考えはすぐに覆された、普段自分がどれだけ攻撃性頼っていたのかと痛感し、後悔した。だが、今は再び、戦わないということの、簡単さを感じている。
もちろんそれは最初に感じていた簡単さとは全くの別物であった。今強く感じているのは、力に頼らないと言う行為そのものに対するものである。
グズマは物心ついた頃から、戦うという行為に疑問を覚えることがなかった。何故ならば彼には戦う才能があり、それに負けることもほとんど無く、勝ち続けることが出来たからだ。
だが、普通の人間、普通の生物はそうではないのだ。自分の強さに極端な自信を持っているモノ以外は、出来ることならば、戦わずに済む方法というものを模索している。それこそが自然界のスタンダードなのだ。
つまりグズマは『戦わない』という解決方法の有意義さを、感じていたのだ。
「よし」と、グズマは、森と、そこから見えるごフルコースをぐるりと見回して、一息ついた。
残すは最終ホール、十八番コースのみだった。
彼がそこに向けて足を踏み出そうとしたその時、上空で彼等を監視していたはずのカヒリのエアームドが、特徴的な羽ばたき音を残しながら、彼等のもとに舞い降りてきた。
グズマはそれに特に驚くことはなかった、キャプテン、カヒリの手持ちであるエアームドが、自身を攻撃するはずがない。
だから彼は、エアームドが加えていた手紙の封を、特に疑うこともなく手に取った。どう考えても、それは自分に向けられたものだった。
いくら見た目より軽いとは言え、そろそろ肩がじんわりと痛くなり始めたな、と、スカ男は思いながら、前を行くカヒリの後に、忠実に付いていた。
彼は初めてカヒリのプレイを間近で見ていた、そして思った。このゴルファーという肩書を持つアスリート達は、とんでもない集団だなと。
まずドライバーで飛ばす飛距離が凄い。もちろんゴルフクラブというものが、ゴルフボールというものが、より遠くより遠くに飛ぶように作られていることは分かっているが、それを知識として知っていてもなお、彼女の放つボールの軌道に、力強さに驚かされる。
そして、それでいてそのショットは正確無比だ、例えばバンカーであったり、コースのど真ん中にあえて残されている一本の大木であったり、あえて長く切りそろえられた色の濃い芝であったりとか、そういう障害物は器用にかわす、しかも聞けばそれらは次の展開も考えながら落とす場所をコントロールしているというのだから恐れ入る。
パットもまたすごい、スカ男は遊園地などでパターゴルフの経験は何度かあったが、起伏の無いまっさらな鋼鉄製のマットの上ですら、ボールのコントロールは難しかった記憶がある。
今日初めて間近に見たグリーンというものは、やはりとんでもなかった。一見すれば一面緑色のまっさらに見えるが、近くでそれを確認すれば、幾つもの細かな起伏が作られている。カヒリはその起伏を見定め、ボールの転がる軌道を予測して打つのだが、そのボールがスイスイと、まるで吸い込まれていくように穴に収まるのだから、スカ男はただただそれに感嘆するしか無かった。
新たなコースのティーグラウンドで、スカ男はカヒリにドライバーを手渡しながら、この試練の形式に感謝していた。
グズマとカヒリが顔を長く突き合わせるような試練でなくて良かったと思っていたのだ。素人のスカ男ですら十分に理解することが出来るカヒリのゴルファーとしての完成度の高さを、経験者であるグズマが目の当たりにしてしまえば、彼は打ちのめされてしまうかもしれない。
「彼は、悔しいでしょうね」
ドライバーを二、三度素振りしながら、彼女は不意にそう言った。当然独り言ではないだろう、それはキャディであるスカ男に向けたものだった。
自らの考えを見透かされたような驚きを覚えて、彼はそれに反論しようとしたが、その瞬間に彼女がピタリとスイングの体勢を取ったので、一旦それを飲み込んだ。プレイ中はお静かに、スカ男でもそのくらい知っている。
ドライバーが振り上げられ、カヒリの腰が捻られる。スイングは、腰、そして下半身から始動するんだなあ、ゴルフクラブを振り回してボールを遠くに飛ばすというゴルフのイメージから、飛距離というものは上半身の筋力によって決まるのだから、カヒリのような少女は、あまり飛ばないんだろと思っていたのに、彼女があまりにも遠くにボールを飛ばすものだから、スカ男はそれが強く印象に残っていた。
棒が振られる音の後に、ボールがクラブにひっぱたかれる甲高い音。打ち出されたボールは真っ直ぐではなく、やや曲がりながら芝に落下し、点々と転がることで飛距離を伸ばしながら、やはり薄い色のフェアウェイで止まった。
「ナイスショット」
少しだけ不機嫌ではあったが、スカ男はそう言って彼女のショットを賞賛した。もちろんキャディとしての役割の一つではあったが、急造キャディのスカ男がそんなことを気にする必要はない、だがスカ男は、カヒリのショットに対して、本心からそう思っていたので、何の問題もない。
「あなたには、分からないでスカら」
ドライバーをカヒリから受け取りながら、スカ男はそう毒づいた。
「わからないッスよ、悔しがる人間の気持ちなんか」
「あら? どうしてかしら?」
カヒリは手袋を引き抜きながら、そう返す。
「感じたことありまスカ? 悔しさとか、そんなの」
おそらく彼女は感じたことがないだろうと、スカ男は思っていた、彼女は完璧だった。キャプテンで、素晴らしいアスリート。自分から見れば、彼女は夢のような存在だった。
カヒリはスカ男のその言葉にため息を一つ、彼に背を向けて、ボールに向かって歩みを進めながら答える。
「全ての事柄において、道を歩み続けている限り、悔しさはかならず訪れる感情です」
そりゃあ、綺麗事だろう、とスカ男は思った。
二人はしばらく無言で歩き、やがて再びカヒリが口を開く。
「私のゴルフ人生は、金でゴルフにしがみついているような醜男にスコアで負けて、「所詮は金持ち娘の道楽」と、笑われるところから始まりました」
ひどい言葉だな、とスカ男は思い、少し顔を上げて彼女の姿を見た。表情は見えやしないが、何の事はない、今目の前を歩いているのは、ただの少女だ。
「思い出すだけで全身が震えるような経験でしたが、私はそれをいい経験だったと思っています。もしあの経験がなければ、私のゴルフは、彼の言うとおり「金持ち娘の道楽」に終わっていたかもしれません」
スカ男が何も返さないのを確認してから、続ける。
「悔しく思うことは、何も悪いことではありません。悔しさがあるうちはまだ大丈夫なのです。本当にマズいのは、何の感情も生まれなくなること、悔しいとすら思わなくなった時が、本当に危ないのです」
再び大きく見え始めたカヒリの背中を眺めながら、スカ男は自らの軽口を後悔した。
「申し訳ないッス」
一旦歩みを止めて頭を下げたスカ男に、カヒリは背を向けたまま答える。
「あなたが謝る必要はありません。思い返せば、配慮のある発言ではありませんでした」
「あ」と、スカ男はそれを見つけて、カヒリの顔色をうかがいながら、自身の顔色を青くした。
間違いなく短く切りそろえられた薄色の芝に飛んだはずのカヒリの第一打は、たしかに大まかな位置としてはフェアウェイに存在していたが、そのボールは不自然にボコッと芝のえぐれた穴の中にすっぽりと収まっていたのである。
「ディグダだ」
スカ男はその穴が、ポケモンであるディグダが作り出したものであることをすぐに理解した。そして、これはつまり、ポケモンの乱入による問題が発生しているということなのだろうか、と、それを眺めるカヒリの表情を観察しながら、緊張していた。
「これ、大丈夫でスカ?」
恐る恐る切り出したスカ男に、カヒリは腰をかがめてボールを穴から取り出しながら答える。
「穴を掘るポケモンが作り出した穴や盛り土に関しては、異常なグラウンド状態として、例外的に無罰での救済が認められます」
カヒリはそのままボールを穴の直ぐ側に落とした。
スカ男はゴルフの面倒くさいルールに心の底から感謝する。グズマの頑張りはこのキレイなコースから十分想像できる、こんなことで試練失敗だなんて、あまりにも酷い。
そしてスカ男にアイアンクラブを要求しながら彼女は微笑んだ。
「あなた達の関係を羨ましく思います」
彼女から羨ましいと言う言葉が出てきたことを意外に思いながら、スカ男が「関係でスカ?」と返す。
「ええ、あなたはグズマ君のために、重たいバッグを担いで私のキャディをしていますし。今こうやって、彼の試練のことを本気で心配している。とても羨ましい関係ですよ」
「俺が好きでやってる事でスカら」
「そう思われる彼が羨ましいのです」
更にカヒリは続ける。
「勝敗を競う以上、勝負の世界で本当の友達は出来ない。これは私の、ゴルファーとしての意見です。しかし、ポケモンバトルの世界では、それはまた別の問題であると、私は信じています」
「それは、どういうことでスカ?」
「明確な勝敗が、人生を分けてしまう個人スポーツと違い、強さを極めることが目的であるバトルならば、お互いをリスペクトすることが可能だと思うのです」
彼女は微笑みを持ったままそう言って、二、三度素振りをした後に、ボールを打った。打たれたボールは強いバックスピンを維持したまま、グリーンに落ち、何度かバウンドしてピンを追い越した後に、バックスピンの回転で再びピンに近づいて、その直ぐ側で止まった。
素晴らしいショットだった。だがスカ男は、それにナイスショットと言うことができなかった、彼女の語った理想が、あまりにも彼の思うものとは、合間見れないものだったからだ。
「それは、違うんじゃないでスカ?」
先程軽口を後悔しばかりであったが、どうしてもこれは、主張しておきたかった。あの軽口の後悔からこれを飲み込むことは、あり得なかった。
「強さを得られずに道を踏み外したトレーナーなんて、腐るほど居るじゃ無いでスカ。それって結局、勝負の世界と同じッスよ。強さって、誰かを蹴落として主張するものでスカら」
カヒリの言う事が、悪いことだとはスカ男は思わない。だが、それはあまりにも理想論がすぎる。
だが、スカ男は知っている。底を知っている。
誰かの強さを証明するために、負けていったトレーナー達を、スカ男は知っている。
だから彼は、カヒリの言葉を否定した、そうしなければ、自分が見てきたトレーナー達が、自分が、あの世界のグズマが、まるで人間ですらないようではないか。
「試練だって、そうッスよ」
スカ男は更に続ける。
「誰も彼もが達成できるわけじゃないでスカ、キャプテン達の中には明確な基準があって、それに満たなかったら不達成でスカら、それは、選別でしょ? 強さを極めるって言ったって、それは十分に強い人達の意見じゃないでスカ、それに満たない奴らだって一杯いまスよ。別にそいつらと友達になれなくても良いのなら、何の問題も無いでスけど」
カヒリの表情から微笑みが消えた。スカ男はそれが心苦しかったが、ここは譲ることが出来ない。
「酷いことを言ってるのはわかってるッス、あなたの意見が、悪いものじゃないこともわかってるッス。だけど、みんながあなたみたいな考え方を持っているわけじゃないでスカら。それは分かって欲しいッス」
彼女は、スカ男から目をそらしながら答える。
「そのような考え方も、あるのかもしれません」
彼女は、スカ男の意見を否定しなかった。それはもちろん、彼女自身がトレーナーの選別を行うキャプテンという立場にあることも、十分に関係しているだろう。
「グズマ君とは、いい友達になれると思っていたのですが」
カヒリは、ただただ悲しそうな顔をしていた。
その後、彼女はあまりにも簡単なパットを外した。
そして、舞台は最終ホール。