1-その男は、仲間達から『スカ男』と呼ばれていた。
地面が、スカ男に向かって迫ってきていた。このままでは顔面にそれが打ち付けられてしまい、スカ男の鼻はぺちゃんこになってしまうだろう。
だから彼は、一回転するようにして背中から地面に落ちた。しまキングのハラやその孫のハウに教えられた『受け身』という技術だったが、天性のものか、スカ男はそれに長けていた。全く痛くない、といえば嘘になるが、顔面から突っ込んで鼻血まみれになることを考えれば、なんてことのない痛みだった。
「大丈夫〜?」
能天気な声色で自身を案ずる声が聞こえてくる、審判をしていたハウのものだろう。とても誰かを心配しているようには聞こえないかもしれないが、それはハウの性格がそうさせるものであって、割と心配してくれていることをスカ男は理解していた。
「大丈夫っスカら!」
スカ男は地面から跳ね起きながらそう言ってハウに笑いかけ、同じく土俵に立っていた相棒に対して「もうちょっと手加減するとか出来ないんでスカ!?」と怒った。
その相棒は笑いながら「これでもしてるんだけどなあ」とスカ男をからかう。アローラ相撲を始めてから、彼は心なしか明るくなったな、とスカ男は思っていた。
相棒は、もともとアスリート気質だったのだろう。彼はアローラ相撲のコツのようなものを直ぐに理解し、ハラの弟子とも互角に渡り合える時があるほどにまで成長した。
しかし、スカ男はただただ受け身がうまいだけで、特にアローラ相撲がうまくなるわけではなかった。そもそも彼はテレビでポケモンバトルをメモ片手に観戦するのが好きなインドア派、しかもその知識を実践に活かすだけの器用さと思い切りに欠ける性格、誰かを力強くぶん投げる、ということに違和感を覚える側の人間だった。
その男は、仲間達から『スカ男』と呼ばれていた。
勿論それは本名ではない。だが、考えてみれば、同世代の仲間に一字一句間違い無しに本名で呼ばれている人物など、滅多に存在しないだろう。大抵は、会話をスムーズにするための愛称のようなものをつけられるに違いない。
彼は会話の節々に「スカ」とつけてしまう悪癖があった、否、癖というものは意識せずとも出てしまうものだから。それをあえて意識していやっている彼にとって、それは癖ではないし、彼はそれを悪いとも思っていない。なんとか個性を作り出そうとする安易な発想から来るものだった。
スカ男、とはなんともへんちくりんなあだ名だったが、個性を求めていた彼はそれを嬉しく思っていた。最も、だからといってスカル団と言う団体の中で彼の地位が上がったり下がったりということはなかったが、例えば本名の延長線上であったりとか、特徴的な身体的特徴を揶揄したものではないというだけで、彼は満足だった。
彼等が所属していた『スカル団』が団長のグズマの号令によって解散し、そろそろ一月が経つ。もっとも、彼が解散を宣言した頃には、スカル団員は相当に減っており、ほとんど団体として機能はしていなかったのだが。
スカ男と相棒は、最後までグズマを、スカル団を信じていた下っ端の二人だった。メレメレ出身の二人にとって、同じくメレメレ出身のグズマの存在はとても大きなものだったのだ。
行き場の無くなった彼等をしまキングのハラとハウが不憫に思い、試練サポーターとして引き取った。今では精神鍛錬の一環として、ハラの弟子たちとアローラ相撲に興ずることもある。
スカ男と相棒はそこで一念発起した。これまで自分達はずっと弱く、誰かに助けられてばかりだった。しかし、今度からは強くなろうと、たとえポケモンバトルが弱くても、人間として強くあろうと誓ったのだ。
そして彼等二人が作ったのは『たくましいスカル団』こと『タスカル団』だった。特に何かの活動をしているわけではないが。こういうのは気持ちが大事なのだと、二人の意見が一致した。
もう一番、と相棒が要求した時、彼等の前にしまキングのハラが現れた。二人は彼の直属の弟子というわけではないが、なんとなく背筋を伸ばす。
「今、よろしいですかな?」
しまキング、と言えば、彼ら『スカル団』の大敵だった。彼等が自分達を認めなかったから、自分達は世間から半人前として目の敵にされ、今の駄目な自分たちがいるのと同じだったからだ。
だが、こうして付き合ってみれば、思っていたよりも悪い人というわけではないのかもしれないな、とスカ男は思っていた。勿論彼らの柔らかい態度には、自分達の境遇に対する同情のようなものがあるとはわかっているが、それでも、久しぶりの優しさは彼らに染みたのだ。
「遺跡の掃除をしたいのですが、どちらか手伝ってくれませんかな?」
遺跡、とは、リリィタウンの先にある『いくさのいせき』の事だろう。メレメレ島の守り神であるカプ・コケコを祀っている。このアローラ地方では、人間の考えよりも上に、ポケモンの意思というものがより尊重される。都会から来た観光客は一様に驚いて、まるで非文明の民族を見るような目でアローラの住民を見るが、たしかにアローラ地方ではカプ神が守り神として機能しているのだ、むしろ、物理的な神の加護というものが存在しない他地方の方がおかしいのだ、と言うアローラ住民も存在する。
ハラの願いに、相棒は一瞬嫌な顔を見せた。彼はまだ少しだけ、カプに対する強い恐怖が残っていたのだ。島巡りを挫折するということは、神の意志に背くことも同じだという考えが、一部の島民には存在している。彼はその思想を、より近くで感じていたのだ。
「俺がやりまスカら!」
スカ男は手を上げて立候補した、相棒が怯えているのにそれをほっとく訳にはいかない、自分は『タスカル団』なんだから。
☆
遺跡の掃除、と言っても、実際に遺跡の中に入れるのはしまキングのハラのみであり、彼が遺跡の中に入っている間、スカ男は遺跡の周りの雑草抜きを黙々と行う。
元々このような雑用仕事はスカル団でもよくこなしていたこともあり、スカ男はそのような作業を嫌うことはなかった、サボると言っても何もすることもないのだ。
それに、遺跡周りの掃除だけでスカ男は十分だった、彼にとってカプ神は未だに恐怖の対象であったし、そんな大それた仕事を任されても困る、そんなことに欲を見せる性分ならば、スカル団で下っ端なんてやっていないだろう。
「終わりましたな」と、ハラが遺跡から出てきた。
「じゃあ、帰りまスカ?」
スカ男は雑草をまとめたゴミ袋を結びながらそう返した。マメな作業は嫌いではない、あたり一面の雑草は全て抜きつくされていた。
ハラは満足げに頷いて「帰りますな」と、二人でその場をあとにしようとする。
その時、視界の片隅に妙な違和感を覚えて、スカ男は振り向いた。
だが、遺跡の周りには何の変化もない、妙だな、と首を傾げたところで再び違和感。スカ男の目線ではない、その違和感は、空。
スカ男が空に目を向けたところで、何かが軋むような、大きな、大きな音がした。
彼の視線は空に釘付けになり、目の前で起こっている光景に「なんスカ? アレ」と、誰に聞くでもなく、その不安を口にすることでなんとか平静を装うしかできなかった。
空に、大きな歪が生まれていた。否、少し前までは歪だったそれは、軋むような大きな音を立てつつ、穴に変貌しようとしていた。
更に目を凝らせば、そこから何かが、出てきているような。
「逃げなさい!」
ハラの声だった。それまで聞いたことのないような、これまた大きな声。感情の篭った声、だが、怒りではない、それは焦り。
しかし、スカ男の足は動かなかった。目の前で信じられないことが起き、周りの人間がそれに明らかな焦りを見せているような絶望的な状況において、例えばヒーローのように自主的な行動を取れる人物が、果たして遺跡の雑草抜きなんてやっているだろうか。スカ男はそのような時、すべての思考力が停止して、その状況が飲み込めるまで、ただただ立ち尽くすことしか出来ない。そう言う側にいる人間だったのだ。
だが、そんなスカ男でもその場から動かなければならない状況になりつつあった。空に開いた穴から、黒々とした巨大な『口』が、自身の目の前に現れたのだ。
「『ねこだまし』!」
スカ男は背後から優しく放り投げられた。迫りくる地面に、スカ男は瞬発的に背を向けて、受け身を取る。大きく息を吸って、一瞬詰まりそうになった呼吸をなんとか留めて『口』の方を見ると、ハラの繰り出したであろうハリテヤマが、その『口』と対峙していた。
そしてよく見れば、彼が『口』だと思ったところはやはり口であったが、それは短いが尻尾を携えているドラゴンのようだった。
「なんスカアレ?」
スカ男は、やはりそこでもそう口にするしかできなかった。彼はポケモンには割と詳しい方ではあったが、それは、彼の見たことがないポケモンだった、いや、そもそもそれはポケモンではないのではないか、とすら思った。じゃあ、化け物だろうか。
そのドラゴンは、一撃で、ハラのハリテヤマを吹き飛ばした。スカ男はその光景に更に驚く。何故ならばハラはしまキングであり、四天王であり、このアローラで最も強いかもしれないトレーナーの一人なのだから。
更に混乱はスカ男に畳み掛ける。つい今しがたハラが出てきた『いくさのいせき』から、一筋の光が飛び出してきたのだ。
それはハラと化け物の間に割って入り、化け物はそれに一瞬たじろいだようだった。
「コケコ?」と、スカ男はただつぶやくしか無かった。そして、その状況のヤバさをようやくおぼろげに理解した。
アローラ地方のそれぞれの島の守り神、カプ神は、島に何らかの脅威が現れると、それを駆逐するために島キングとともに戦う。その伝承は、島巡りに挫折したスカ男でもよく知っていた。
その知識があれば、今目の前で起きていること、しまキングのハラの元にカプ・コケコが現れているということが、つまり今目の前にいる化け物が、アローラにとっての脅威であるということが分かる。
コケコは化け物に電撃で攻撃するが、化け物は怯まず、コケコを押しつぶすような『ヘビーボンバー』で攻撃した。
コケコは吹き飛び、動きを鈍らせる。
「これ、やばいんじゃないでスカ?」
その一撃だけを見ても、目の前の化け物がとんでもない存在であることはよく理解できた。
そして、もしかすれば、このままコケコが負けてしまうこともあり得るのではないかと、スカ男は思ったのである。
スカ男は恐怖した、今、目の前に、終わりの始まりがたしかに存在しているのだ。
コケコが負ければどうなる。それはもう、このメレメレ島の終わりだ。誰もこの化け物を押さえ込むことは出来ないだろう。
スカ男は腰のボールを握りしめた。自分がこの化け物を倒せるなんて微塵も思っていない、だが、少しだけ、注意をこちらにそらすことくらいならできるのではないだろうか。
決意しなければならない、自分は誇り高き『タスカル団』なのだ、もう負け犬ではない、アローラ相撲で鍛えたたくましさを開放するのは今しかないだろう。
スカ男は雄叫びを上げた。そうすれば、不意打ちの効果が薄くなることくらいわかっていた。だが、そうしないと、自身を追い込まなければ、自身に嘘をつかなければ、勇気を振り絞ることはできなかったのだ。
ボールを投げ、ズバットを繰り出す。
「『おどろかす』ッス!」
彼のズバットは、こちらに振り返りつつあった化け物にまとわりつく。だが、その化け物はなんてことのないようにズバットを口から生えている触手で捕まえると、それを口の中に放り込む。
スカ男がそれに衝撃を覚えるより先に、化け物はその巨体に似合わぬ素早さでスカ男との距離を詰め、スカ男も触手で捕まえる。
血の気が引き、思わず目をつむる。パニックになった頭の中に、うっすらと自らの本名を叫んでいるハラの声が聞えるような気がした。
考えてもみれば、無茶な発想だったような気もする。と言うより、どう考えてもこのような状況になるような作戦だったんじゃないだろうか。
化け物の口が近づくの感じながら、それでもなんとかそれに背を向けようとしたが、触手に掴まれていたことを体の痛みで思い出して、すべての抵抗を削がれたことに絶望した。
「あーあ」
スカ男最後の言葉になるはずだったのに、それは意外と気の抜けたものだった。
そこには後悔があった、自分はいつもこうだ。何かをやろうとやる気になったときだけ、いつも失敗する。結局のところ、それは全て自らの力不足が原因であることはわかっているはずなのに、それでも何かしなければならないと躍起になる時期がある。
まあでも、それも今日で終わりかな、と彼は思った。だってこれ、どう考えても死ぬし。
最後の瞬間、スカ男はせめて最後の抵抗にと、首を痛めたように顎を引いた。
それが功を奏したのか、最後の瞬間、痛みは無かった。