83-遅れてきた凡人
「なるほど、遅れてきたとはいえ、実力は間違いないようだな」
トキワジムリーダーシゲルは、力が抜け、地面に突っ伏してしまったウィンディをボールに戻し、挑戦者、クシノを挑発するように言った。
「だが、常識が通用するのはここまで、ここからは才能がモノを言う領域だ」
シゲルが次に繰り出したポケモンは、草タイプのナッシーだった。確かに巨大でエスパータイプも複合しているトリッキーなポケモンではあるが、常識が通用しないとまではいかない。
クシノのペルシアンがナッシーの三つ首の一つに『かみつく』力の抜けた攻撃にも見えるが『テクニシャン』であるペルシアンは、的確にナッシーの弱いところを捉えていた。
しかし、噛みつかれていないもう二つの頭は不気味に笑い声をあげていた。不気味に思ったペルシアンが距離を取ろうとした時、クシノはその変化に気がついた。
ペルシアンが、非常にゆっくりと、まるで何かに捕らわれているかのように空中を翻っていた。これはまずい、とクシノは『とんぼがえり』するよう指示したが、次の瞬間、僅かにしか動かなかったナッシーが一瞬のうちにペルシアンの側に現れ『ギガドレイン』で体力を吸いとった『かみつく』で受けたダメージをある程度は取り返す。
ペルシアンは最後の力を振り絞ってナッシーに体ごとぶつかりクシノの元へ『とんぼがえり』する。
「『トリックルーム』」
シゲルはニンマリと笑みを浮かべて、クシノに語る。
「速い、が、遅いに、遅い、が、速いになる特殊な空間だ、これまでのジムで培った常識は通用しない、さあ、どうする」
クシノは新たにポケモンを繰り出す。大きな地響きとともに現れたのはまるで空母のように平らな背中を持つ氷山ポケモン、クレベースだった。
なるほど、とシゲルは感心した。このポケモンならナッシーよりも遥かに遅いだろう。
ポケモンの交換も考えたが、シゲルはそのままナッシーに『しびれごな』の指示を出した、『トリックルーム』の影響下でも、麻痺状態は関係ない。
しかし、次の瞬間、クレベースはまるで瞬間移動するかのようにナッシーとの距離を詰め『こおりのキバ』でナッシーにかぶりついた。
その巨大な顎に氷点下と言う武器を使われては、体力に自信のあるナッシーもひとたまりもない。シゲルはナッシーをボールに戻し、次のポケモンを繰り出した。
そのポケモンの登場とともに、ただでさえ特殊な空間にさらに『すなあらし』が巻き起こった。その奥に見えるのは、よろいポケモンバンギラス、『すなあらし』は彼の特性によって巻き起こされたものだった。
「友達で慣れてるか?」
挑発的にシゲルがおどけてみせた、友達、とはモモナリのことだろう。
慣れてなど、いるわけがなかった。モモナリはある程度力の均衡を感じなければ、カバルドンを使わない。否、自らの長所である判断力の勝負に引きずり込む前に勝ってしまうからだ。
クシノはキリリ、と歯ぎしりした。まるで自分の力の無さを見せつけられているようだった。
自らの尖った岩の鎧で『ストーンエッジ』を狙うバンギラスを、クレベースは受け止めた、そのまま『ばかぢから』でバンギラスを空中にぶん投げる。
その重量は、時として自身を押しつぶす悪しき力にもなりうる、地面に叩きつけられたバンギラスは起き上がることができず、明らかな戦闘不能状態だった。
「まだまだぁ」と、シゲルはバンギラスを手元に戻した。最近は、ジムリーダーとしての手加減であったり、受けるべきものと受けるべきでないものの見分けができるようになり、この手加減されたパーティで挑戦者に負けることに誇りを感じ始めていた。
そして次に繰り出されたポケモンはサイドン『トリックルーム』と『すなあらし』状態をつくりだした意味はこのポケモンの君臨にあった。
すぐさまクレベースが『こおりのキバ』で攻撃するが、サイドンはさっと右腕を振って、その攻撃から身を『まもる』
その行動の意味を、クシノは一瞬見失っていた。意識に空白が生まれ、指示を戸惑う。
使うポケモンは違えど、トレーナーは変わらない、かつてのカントーポケモンリーグチャンピオン、伝説の住人はその空白を見逃しはしなかった。
指示を受けたサイドンが動き出すのを見て、クシノはようやく『トリックルーム』が解除されていることに気づいた。先ほどの『まもる』は『トリックルーム』の影響を無効化するための時間稼ぎ『トリックルーム』はその力を失うときにも大きな変化をもたらす。
指示を飛ばすが、動きの遅い空母が先手を取れるわけがない、サイドンの『ストーンエッジ』をクレベースは受け止める。硬さに自信があると言っても、氷よりも硬いであろう岩の攻撃は痛烈、氷山空母がグラっと揺れる。
ダメ押しと言わんばかりに、サイドンはもう一度『ストーンエッジ』をクレベースに叩きつける、流石に二発は耐え切れない、クレベースは沈んだ。一瞬の思考の空白が、戦況をここまで大きく変えてしまった。
しかし、それでこそ。とクシノは気持ちを切り替える。自分ごときの思い通りに行くわけがない、これがトップの世界のなのだ。
次に繰り出されたのは、比較的小さなポケモン、ヤミラミだった。
目の前に現れた小さなポケモンに、サイドンは勝ち誇って腕を振りかざした。シゲルの指示ではない、サイドンは明らかに『こんらん』していた。
クレベースが二発目の『ストーンエッジ』を食らう寸前、クレベースはサイドンに向かって『いばる』をしていた。これから沈むはずの相手に尊大な態度を取られたサイドンは怒り狂い、パートナーであるシゲルの声が届きづらくなっていた。一瞬生まれてしまった思考の空白、クシノはギリギリの判断で、次に繋げる指示を敢行していた。
怒り狂うサイドンの攻撃が触れるか触れないかのところで、ヤミラミは自身の体に埋め込まれている宝石をビカリと光らせ、サイドンを戸惑わせる、振り上げられた右腕がてんで方向違いの部分に叩きつけられた、『ねこだまし』のような技だが、じわりと確実にダメージを与える。
しかし、ヤミラミの攻撃はこれで終わらない、サッとサイドンの股の下に潜り込んだかと思うと、足の関節をひねるように攻撃する。
ただでさえ重量級の体を支えて負担の多い部分であるのに、地面にめり込んでしまった右腕のせいでその一点に体重がかかってしまっている。そこをひねられてしまっては堪らない、サイドンは悲鳴を上げながら地面に頭をつけた。相手の力を利用する『イカサマ』な技だが、相手が負けを認めればそれで良し。
「なるほど! 資格ありだ!」
シゲルは嬉しげにサイドンをボールに戻すと、最後の一つを放り投げた。
現れたのはピジョット、このポケモンに限り、手加減されたものではない。シゲル本来の手持ちの一つ、シゲルと共に一時は世界を獲ったポケモンである。
「何をしてもいい、勝ってみな」とシゲルは叫んだ。
☆
ポケモンリーグに関するコアな情報専門記者達の囲み取材を終え、クシノはトキワシティポケモンセンターでのんびりとポケモンの回復を待っていた。いつもより無理をさせたかもしれないから、ちょっとばかし時間をかけて精密な検査をしてもらっていた。
カントージムバッチコンプリート達成者へのインタビューは思っていたよりも長くかかった。やはりクシノのトレーナーとしての来歴の濃さが関係しているのだろう。
クシノは元四天王のエスパー使い、イツキの付き人を経験したただ唯一のトレーナだった。イツキといえば若年の頃からジョウトリーグトップクラスだったトレーナーで、今現在でもAリーグ現役を維持しており、『カントー・ジョウトのトップテン』の一人である。
当時、二人は奇異の目で見られていた、イツキは付き人を付けるには若すぎたし、クシノも付き人になるには若すぎた。彼は当時、まだリュックサックを背負って旅に出ているような年齢だった。
また、二人共海外の血が入っており、色白で相当な美麗の持ち主だった。「十万ボルトってなあに?」と首をひねってしまうような女性でも、イツキの名前と顔は知っている、それほどの影響力があった。
クシノは二年ほどイツキの付き人を経験した後、カントー地方のジムバッジ挑戦を始めた。初めは業界やファンも注目していたが、時が経つに連れてその関心は薄れていった。伝説を髣髴とさせるようなきらめきはまるで無かったのだ。
それでもゆっくりと時間をかけて、クシノはジムバッジを集めた。自らに才能がないことにはふたつ目のジムバッジを入手を時に完全に悟っていた、しかし、それでも諦めなかった。そして今日、彼は晴れてカントージムバッジをコンプリートしたのだ。
「よお」
背後からそのように呼びかけられた、ジョーイにしては乱暴すぎるし声が潰れすぎているなと口角を上げてクシノはその声に「どうも」と答え、ソファーから立ち上がった。
声の主はカントーポケモンリーグBリーガー、クロサワだった。彼はクシノの笑顔につまらなさそうに鼻を鳴らした。
「勝ったのか、ポケモンリーグもレベルが落ちたな」
クシノはクロサワに最も小言を浴びせられたトレーナーだろう。もはやこの程度の小言なら挨拶と感じることが出来る。
「これでようやく対等ですわ」
コガネ訛りでそう答えた。
「バカ言え、せめてBに来てからだろ」
クロサワは呆れたように手を振った。そこから一拍間を置いて「どうしてAリーグの日程に被せたんだ? 可哀想に、奴ら集中できねーぞ」
奴ら、とはモモナリとキリューのことだろう。クシノにとって二人は無二の親友だった、モモナリにとってもクシノは最も付き合いの古いトレーナーの一人だったし、キリューも馬鹿仲間としてクシノを可愛がっていた。
「最後のバッジぐらい、自分の力で取りたいやないですか」
あの二人が来てしまえば、きっと自分は本来以上の力を出せてしまうだろうとクシノは思っていた、それでは勝負が紛れてしまう、それだけは避けたかった。自らの力で掴み取りたいと思った。
「へえ、いっちょ前じゃねえか。イツキ相手にへーこらしてた時はどうなるかと思ったがなあ」
満足の行く答えだったのだろう、クロサワは機嫌よく笑って、ジャケットの内ポケットから小さなケースを取り出し、クシノに向かって放り投げた
「これ、やるよ。祝いに取っとけ」
両手でそれを取ったクシノがケースを開くと、中身は現代的なデザインのサングラスだった。
「いつも同じ色眼鏡じゃあ芸がねえ、たまには気分変えな。お前は見てくれが良すぎるんだ、イツキみたいに気持ちわりいのに目をつけられる前に上手く隠せよ」
クロサワは所謂『顔のファン』を徹底的に嫌っていた。単純な僻みからだけではない、顔でしか評価しないファンの存在は、時としてそのトレーナーの正当な評価の妨げになると常に言っていた。例えばイツキなどはミーハーのせいで過小評価されすぎているというのが彼の意見だった。
「どうも、俺はこう云うのに疎いんで助かりますわ」
おう、とクロサワは仏頂面で答え、さらに「ああ、あとひとつ」と続ける。
「リーグトレーナーである以上、誰かに憧れるなんてことはやめとけよ。特にお前は、才能がねーんだからな」
「ええ、俺もそう思います」
不思議と、クロサワのその言葉が皮肉だとか、小言だとかとは思わなかった。リーグトレーナーの誰もが思っているが、決して口にはしない真理のようなものを、最も早く、直接的にぶつけてきているだけなのだろう、優しい人なんだろうなと思った。
お、とクロサワがポケモンセンター入り口に目をやった。クシノもその人物に気が付き、自然と背筋が伸びる。
入ってきたのはカントーポケモンリーグAリーガー、イツキだった。クロサワはわざとらしく大きな舌打ちをして「気分悪いな、帰るぜ」とわざとらしく肩で二人をかすめ、センターを後にしようとした。
「ありがとう」と、イツキはクロサワの背中にかけた、それが聞こえたのかどうかはわからなかったが、クロサワはこちらを振り返らずだらしなく右腕を上げ、消えた。
さて、とイツキはソファーに腰を下ろした。クシノも同じくその隣にいちどる。
「おめでとう」
イツキはそう言って彼に右手を差し出した。クシノもそれに答え、二人はガッチリと握手をした。
「キクコさんの気持ちがわかるよ」
ふう、とひとつため息を付いて、イツキは微笑んだ。
「トレーナーの人生を背負うことが、こんなにも重いとはね」
「随分と、世話になりました」
実際にクシノがイツキの付き人として活動していたのは二年弱、しかもその間イツキはクシノに指導らしい指導はしていなかった。それでも、クシノの言葉は真実だった。トッププレイヤーの戦いや苦悩、考え方を間近で感じることが出来ることは一つの財産であるし、何より、イツキは彼にとってまさに人生を変えてくれた尊敬すべき人物だった。
「でも、これでゴールだと思ってはいけないよ。むしろこれは終わりのない旅の始まりなんだ」
「はい、わかってます」
強いということに終わりはない、リーグトレーナーを間近に見てきたクシノはそれを覚悟していた。
その覚悟のない、バッジをコンプリートしたこと自体に達成感を感じ、燃え尽きた結果、短期間で挫折してしまったリーグトレーナーも数多くいた。
「イツキさん」
クシノは自身のトレードマークであった青レンズの色眼鏡を外すと、それを丁寧に折りたたんで、イツキに手渡した。
「これ、お返ししますわ」
レンズと同じく透き通るように鮮やかなブルーな瞳は、ぼやけること無くイツキの目をしっかりと見据えていた。その色眼鏡には、度が入っていなかった。
イツキは、感慨深さにそれを包む手を震わせた。それは、クシノがイツキに出会ったその日に、彼のブルーの瞳を目立たなくするために手渡したものだった。
若き日のイツキは、ジョウト地方のコガネシティに本拠地を置いて活動していた。しかし、彼自身の故郷がコガネシティだったわけではない。放浪の旅の末に行き着いたのが、華やかで嘘のない町、コガネシティだった。
彼は幼い頃から世界各地を旅して周り、ポケモンバトルの修行に明け暮れていた、レッドやシゲルと同じような生い立ちを持つトレーナーである。見た目こそ軟派だが、その経歴は古豪達にも負けぬとも劣らない硬派なものであった。
クシノがイツキの前に現れたのは、イツキがワタルとのチャンピオン決定戦に敗北して一月ほど経った日のことだった。
「俺を強くしてください」
それ以外、言葉を用意していなかったのだろう、まだトレーナーズスクールで状態異常の種類について学ぶような年齢だった彼は、そう言ったきり、ブルーの瞳でじっとイツキを見つめていた。
これは面倒くさい事になったなあ、とイツキは頭を抱えた。その少年の強さへの欲求には、破壊と、制圧への衝動があるように思えて仕方がなかった。
原因はきっと、彼のブルーの瞳だろうと思った。この地方ではブルーの瞳は珍しい、きっと彼はそのブルーの瞳を理由に蔑まれ、疎外され、奇異の目で見られ、もしかしたら、直接的な暴力も振るわれたのかもしれない。自らに似たような経験がないわけではなかった。
その憂さを、単純に暴力で晴らそうとしているのだな、とイツキは見抜いていた。強くなれば舐められないという理由の、浅はかな衝動、その知性のない衝動は、いつか本来の目的を失って、弱者への一方的な暴力となるだろう。
不純な理由を咎めれば、この少年を簡単に追い返すことが出来るだろう。しかし、それでは意味が無い。
ここで彼を見放せば、彼は人の道を外れるかもしれない。若くて視野の狭い破壊衝動は、狡猾で無責任な破壊衝動に取り込まれ、本人がそれに気づいても後に引き返せなくなるほどにの深みに引きずり込まれるだろう。
これも運命なのだろう、とイツキは彼を受け入れた。コンプレックスであろうブルーの瞳を隠すことが出来るように青レンズの色眼鏡を手渡し、彼を引き連れてポケモンリーグを回った。強さのその先を求めている少年に、強さというものに終わりはないことを気づかせなければならなかった。
年齢の近いモモナリやキリューとの出会いは、クシノにとって大きなものだった。自分より遥か大きな力を持っている彼らは、その力を全て試合と修行に注ぎ、その他の欲望のために活用するとことはなかったからだ。
「みんな俺を化け物かなんかだと思ってるんだよ」と、モモナリは笑っていた。自分と似ているな、とクシノはその時思ったが、やがてそれはとんでもない思いあがりだと気づいた。強くなりたいという自らの欲求が、それ以外の不純な欲をはらんでいることに、クシノはようやく気づくことができたのだ。そして、自分も彼らのようになれるだろうかと思った、彼らのようになりたいと思った。
「イツキさん、俺はリーグトレーナーになれますでしょうか」
クシノにそう言われた時、イツキは悩んだ。たしかにクシノはまだ若い、しかし、あえて今日この日をトレーナーとしての始まりとするならば、そのスタートは遅すぎる。並のトレーナーでも一つか二つ、モモナリを例に出すならばジムバッジをコンプリートした年齢と同じだった。
「厳しいと思うね」と素直に答えた。
「ほんなら、ものすごく頑張ればイケるということですか」
その言葉に、イツキは思わず笑ってしまった。諦めるという選択肢は無いようだった。
「好きにしなさい」
もし、もしも駄目だと思うようなことがあれば、自分はクシノと戦わなければならないなと覚悟した。ここまでの付き合いだ、引導を渡す義務もあるだろう。
クシノはゆっくりとだが、確実にその実力を伸ばした。途中何度も挫折するのではないかとイツキをハラハラさせたが、彼は一度も折れなかった。後で聞けば、戦いの賞金だけで生活をすることで、ハングリー精神を無理やり引きずり出していたらしい。その生活にも、数えきれないほどの誘惑があっただろう。彼の両親は、貿易商として成功し、コガネシティでも有数の資産家だった。戦いにおいてクシノには目立った才能は感じられなかったが、その折れなさは、誇れる才能の一つだろう。
「君は大した男だよ」
イツキは本心からそう言った。この数年間、この男は幾つもの壁にぶつかり、そして乗り越えてきたのだろう。
「まだまだこれからですわ」と、クシノは笑った。透き通るようなブルーの瞳は、イツキの姿を優しく映し出していた。