189-彼がキレた日
コガネシティ、コガネスタジアム。
カントー・ジョウトAリーグ最終節、日付が変わる寸前まで行われていたその試合で、最後まで立ち続けていたのは、モモナリとそのパートナーであるガブリアスであった。
疲労感を伴った歓声の中、モモナリはウズウズしながら横に並ぶガブリアスの喉元を鱗に逆らわないように撫で、頬を赤くしながら一つ息を吐いた。
緊張感のある戦いだった。
一つ気を抜いてしまえば、心臓に手を突っ込まれ、そのまま引き抜かれてしまいそうな。鼓動を早くさせ、喉を乾かせ、思わず息を荒くしてしまいそうな。そのような、明確な戦いへの熱意を、濃い『すなあらし』の向こう側から感じることのできる戦いだった。
「流石だな」
彼はガブリアスをボールに戻し、対戦場中央、センターサークルに歩みを進める。
すでにそこに歩みつつあった対戦相手は、とても敗者とは思えないほどに背筋を伸ばし、見上げるようにモモナリと目を合わせている。
「いい試合だった」
その男、キリューは、一つ二つ頷きながらモモナリに右手を差し出す。
「ああ」と、モモナリはそれを握った。
「こういう結果で、良かったと思う」
キリューはぐるりと観客席を見回しながら言った。
モモナリは気づかないが、その歓声の中には、ただその試合に対する賞賛だけではないものが含まれている。
奇妙なめぐり合わせであった。
かつて直接対決にてモモナリを打ち負かし、Aリーグ昇格を決めたキリューは、同じく直接対決にてモモナリに打ち負け、三勝六敗の成績となってリーグを降格する。
対するモモナリはこの勝利で五勝四敗。二度目の昇格以来、陥落無くAリーグを住処としている。
「この後の予定は」と、モモナリは握手の力を強めながら問うた。
「いや、駄目だ」と、キリューはその手をほどきながらそれに返す。
「今日は一門の連中が詰めかけてるだろうからな」
一門、というものが、カントー殿堂入りトレーナー、キクコの弟子を中心とする集まりであることは、モモナリのみならず、多少ポケモンリーグというものを知っている人間ならば理解できるだろう。
キクコの一番弟子であるキリューのリーグ最終節だ、彼を兄と慕う弟弟子達が集まるのは不思議なことではない。
モモナリは少しばかり沈黙してから「そうか」と、目を伏せて返した。
「悪いな、埋め合わせは必ず」
「ああ」
モモナリに背を向け、対戦場を後にしようとしたキリューに、モモナリは何かを伝えようと口を動かしたが、それは歓声にかき消された。
モモナリほどの人間オンチにも、彼の立場は理解できている。
キクコの一番弟子にして、長年Aリーグに所属し、チャンピオン決定戦にも出場した。
キシ、そして、今季Aリーグ昇格を決定しているワゴーと後続にも恵まれ、なにより、すでにキリューには全盛期の力がない。
元々、反射神経と深い読みに支えられたサイクル戦を得意としていたトレーナーだ。三十代後半に差し掛かり、目が、頭が、経験が、かつてのそれを鈍らせている。そうなれば、彼を彼たらしめていた感覚にほころびが出るのも無理はない話だ。
Bリーグに降格となったこのタイミング、引退という形で跡を濁さぬ選択肢は、十分に考えられるものだった。
☆
キリュー側控室。
彼の予想通り、そこには彼の弟弟子達が集まっていた。
だが、キクコ一門とその関係者と比べると僅かな数である。
彼らは一門の中でも現役のカントー・ジョウトリーグトレーナー達だ。最も、Aリーガーであるキシは同日にアサギシティでのリーグ戦を行ったため、そこにいたのはB、Cリーグトレーナーたちだ。
「キリ兄」
まだ声質に少年のそれが僅かに残っている若いトレーナー、ワゴーは、キリューが控室に戻るやいなやソファーから立ち上がり彼に駆け寄った。
「ああ、遅くまで悪かったな」
駆け寄ったは良いものの、兄弟子に対してなんと声をかければ分かってはいない少年の肩を叩き、さらにその後ろからキリューに向けて複雑な表情を向ける弟弟子達にキリューが呟く。
ふと、彼はその控室の雰囲気に似合わぬ明るい声が小さく聞こえていることに気がついた。
その方を見ると、弟弟子が彼の視線を感じて一歩後ろに下がり視界を広げる。
そこにあったのは、控室据え置きのワイドなテレビであった。
僅かに聞き取れる司会の女性アナウンサーのよく通る声は、キリューとモモナリの試合の解説を求めている。
「消しますよ」
「いやいい、構わんさ」
リモコンを手に取ろうとした弟弟子、Bリーガーのヨシダをキリューは声で制する。
「キシはどうなった?」
「一時間ほど前に勝利しています」
「そうか、勝ち越したな」
キリューは僅かに首を動かして続ける。
「大したもんだ、あのガリ勉のおかげで、なんとか先生の顔に泥を塗らずに済んだ」
わずかにユーモアを含んだ『ガリ勉』という言葉に、弟弟子達は震え上がった。
キシと言えば、キクコ一門初のチャンピオンとなったトレーナーである。同じ一門にありながら雲の上の存在であり、とてもではないが『ガリ勉』などとからかうことなど出来ない。
それを隠すわけでもなく、それを何気なくからかうその姿に、彼らはキリューという人間の一門での立ち位置を再確認したのだ。
「いやしかし申し訳ない。皆に見せるような試合ではなかった」
やはりおどけたようなその口調に、弟弟子達はやはり何も言えない。
それは、何よりも厳しい現実を控室に突きつけていた。
笑いながらそれを否定できるような試合ではなかった。
年々求められる技術と知識の水準が高くなりつつあるカントー・ジョウトリーグにおいて、今日のキリューが見せた動きは、少なくともチャンピオンを争うようなトレーナーのそれではない。
一門の重鎮としてキリューを知る彼らだからこそ、その衰えを誰よりも理解できているのだ。
更にキリューはワゴーの方を向いて続ける。
「お前にも悪かった、楽しみにしてたのにな」
それが何を意味している言葉なのか、少なくとも控室のトレーナーたちは理解している。
一門の中でもまだまだ若い方のトレーナーであるワゴーは、それでいてCリーグを一期で抜けてしまうほどの才能を持った少年でもあった。破竹の勢いでチャンピオンとなったクロセに迫るトレーナーとして、業界からの注目度も高い。
今期、彼はBリーグ一位の成績を残し、来期からのAリーグ昇格を決めていた。
キリューがAリーグに残留していれば、来期は彼らの対戦があったはずであり、ワゴーがそれを楽しみにしていたことを、彼は知っていた。
ワゴーはそれに対して、あまりにも真っ直ぐにキリューを見つめながら答える。
「キリ兄、俺はずっと待ってます」
若手トレーナーのその言葉を、控室はやはり悲しく迎え入れた。
彼は若いから、物事の道理というものを知らないのだ、と、彼らは思っていた。
リーグトレーナーの夢舞台であるAリーグ、その登竜門となるBリーグは、所属年数が長くなるほどに飢えの増す魔境である。とてもではないが、スキを見せるほど衰えたベテランが生き残れる場所ではない。
キリューが再度昇格を果たすのは難しいだろう。
それを、ワゴーは理解できない。
否、心の奥底ではそれを理解しているのかもしれない。
だが彼は、兄と言うには年齢の離れすぎた兄弟子は、自らのような若人が想像もできないほどの底力を持っているに違いないのだと、あまりにも若々しい希望を抱いている。
ベテラン勢を時代遅れだと吐き捨てる彼ですら、一門の情にそれを適応は出来ない。
最もそれは、彼の生まれ、育ちが影響しているかもしれなかったが。
ふと、キリューは聞き馴染みのある声の波長が耳に届いていることに気がついた。その声は、あまりにも重苦しいこの控室に似合わぬ、楽しげで、戦いを苦しいだなんて欠片も思っていないような、そんな。
キリューの視線の先には、控室据え置きのワイドなテレビがあった。
弟弟子たちも彼の視線に釣られるようにそれを見ると、そこに写っていたのは、この日キリューと戦ったリーグトレーナー、モモナリであった。
「いや、消さなくていい」
リモコンに手を伸ばそうとしたヨシダを再び制して、逆に「音量を上げてくれ」と、彼は何気なく指示した。
自らを打ち負かしたモモナリのインタビューを、兄弟子が聞きたいと言っている。
控室の緊張感がぐーんと上がるのを感じながら、ヨシダはそれに従った。
『ええまあ、ガブリアスを温存できたことが大きかったんじゃないですかね』
スピーカを通して聞こえるモモナリの声に、キリューは僅かに口角を上げる。
大きい、なんてものではなかった。
対策が進み、全盛期ほどの使用率ではないものの、未だにガブリアスの対面性能は高い。戦略でごまかそうと、根本的なポテンシャルの高さが落ちるわけではないのだ。
それを落としたい時に落とせず、落としたくない時に落とさなかった。それがそのまま勝敗に直結するのは当然だ。
もう一つ二つ、モモナリのインタビューが続いたが、キリューはそれに特に何かを思うわけではなく、不気味に静まり返る控室に、何故かそこにいないはずのモモナリの声が響いている。
そろそろ自分も、記者の元に向かわなければならないだろう、と、彼が、視線をテレビから外そうとしたときだった。
『対戦相手のキリュー選手は、降格を気に引退の噂がありますが、モモナリ選手からなにか一言あれば』
なんてことのない質問。というわけではなかった。
それは、キリューを敗北させたモモナリに対して投げかけるには強い質問のように思える。
あるいはその男性アナウンサーが、あるいはその背後にいるプロデューサーが、ディレクターが手柄を欲したか。もしくは、特になんの考えもなく「いやあ、彼ならまだまだやれると思いますけどね」というあまりにもありきたりでぬるい返答を求めたか。
ただ、一つ間違いないのは。
まずい。
弟弟子たちが、より一層緊張感を強める。
否、すでにそれは緊張感という言葉で片付けられるものではない。まるで自分たち全員が、キリューに生殺与奪権を握られているような幻覚を覚えるような、彼の機嫌次第で、自分達の人生が決まってしまうかのような恐れ、恐怖を覚えている。
誰でもいい、ヨシダからリモコン奪って切っちまえよ。
控室の殆どの人間が、そう思っていた。
リモコンを所持しているヨシダですら、そうしてくれと思っていた。
自分はキリューに「音量を上げてくれ」と指示された身なのだ、電源を切るという、それを反故するような行動を取れるはずがない。
唯一、ワゴーだけはそれを成そうと一歩右足を踏み出していた。
だが、わずかに自らに振られたキリューの視線は、彼の気遣いをやんわりと拒否していた。
テレビの向こう側にいるモモナリは、それにわずかに沈黙を作った。
『それを僕に聞いてどうするんです?』
質問に、質問で返した。
わずかに彼の雰囲気が変わったことに気づいたのだろう、アナウンサーは自らの発言を失言だと理解して謝罪しようとした。
だが、モモナリはそれよりも先に言葉を続ける。喋りすぎろという先輩からの助言に対して、彼は忠実だった。
『辞めたいなら辞めれば良いんですよ。Aリーグから落ちたから、勝てないから、弱くなったから、悔しいから、辛いから、恥をかきたくないから。別に理由は何でもいい、辞めてそれが解決されるのならば辞めればいい、ただそれだけの話でしょ。それに僕がどうこういう権利は無いし、言ったところで何かが変わるわけでもない』
そう捲し立てるモモナリに、アナウンサーは冷や汗が止まらない。なんてことはない、彼はただただ、地元の雄であるキリューに対し『辞めるなんてもったいない』と声をかけて欲しかっただけなのだ。
ふと、彼はモモナリの腰元を見る。あのボールには、まだポケモンがいる。
だが、その反面、彼の背後にいるテレビ局の人間はガッツポーズをしているだろう。
話題に事欠かなさそうな発言だ。業界の重鎮の進退と、それに対する批判的な意見、その裏に潜む真意などどうでもいい、何より、自分たちに責任がない。
モモナリは更に一言付け加える。
『弱くなって疲れた、だから辞める。それで結構、無理やり頑張ってしがみつくような場所じゃないでしょ、ここは』
モモナリが踵を返したそのタイミングで、テレビ画面はスタジオの女子アナウンサーと解説者に移り変わった。
『はい、やはりトレーナーの皆様からすれば、その進退にはそれぞれ意見があるようで』
やや引きつった声でそれ以上を続けようとするアナウンサーは、すぐさまに真っ黒な画面へと変貌する。
我慢できなくなったワゴーが歩を進めてヨシダからリモコンをひったくり、その電源を切ったのだ。
「あの野郎」
ワゴーが怒りを吐き出すようにつぶやいたその言葉が、モモナリに向けられていることは誰もが理解できるだろう。
だが、ワゴーのその怒りに対して、助かったと思った者もいた。
彼の若さ溢れる怒りに対して、兄弟子は冷静になるだろう。
いつもそうだった。
キクコの一番弟子としていわれなき批判をされた時も、セキエイ高原でのチャンピオン決定戦に敗北したときも、キリューは常に周りからの声に怒ることはなかった。その小さな体でそれらすべてを受け止める、彼はそういう男だった。
代わりにキシのような弟弟子が苦言を呈し、彼はそれをなだめる。
そうやって保ってきたバランスだった。
だから、今回もそうなるだろうと、誰もが思っていた。
「キリ兄」
怒り混じりにワゴーは彼の名を呼んだ。
納得できなかった。
十数年に及びカントー・ジョウトAリーグを死守してきた、キクコ一門の最重鎮、彼の世話になったトレーナーは数しれず、チャンピオン経験者のキシですら一歩下がる彼に対して、業界になんの貢献もない、ただただ乱雑に生きてきた『最後のチャンピオンロード世代』が、その人生になんのリスペクトもないことが納得できなかった。
あまりにも青臭い怒りだった。
そして、キリューはそれをなだめるだろう。誰もが、そう思っている。
そして、彼が呟いた。
「連れてこい」
小さな声だったが、静まり返った控室に、それはよく響いた。
そして、彼は唐突に声を荒げる。
「連れてこい!」
控室に響き渡るそれに、ワゴーを含む弟弟子達は、驚くことも忘れていた。
彼が声を荒げるなど、弟弟子たちには経験がなかった。
彼らの戸惑いを気にかけること無く、キリューは吐き捨てる。
「モモナリのクソバカアホボケノータリンクズへなちょこ野郎を、俺の前に連れてこい!」
まだ、ワゴーを含む弟弟子達はその現実を受け入れられてはいないだろう。
だが、彼らの中で一つ、共有することのできる感覚がある。
モモナリは、絶対に怒らせてはならない人間を怒らせたのだ。
☆
「どう思ってますか?」
一夜明けたハナダシティ。
カントー・ジョウトBリーガーのヨシダは、その隣でわずかに憤りを身にまとわせている少年、ワゴーに問うた。
「何がです?」
扉に背を向けながら、ワゴーが礼儀の中にぶっきらぼうさを付け加えながら答える。
扉の向こうに、目的の人物は居なかった。
「そりゃあ、モモナリさんの発言ですよ」
一歩一歩とその家から離れながら、ヨシダは身振り手振りにそう言った。
「もう少しわかりやすくしてくださいよ」
ワゴーはため息まじりに言った。このヨシダという兄弟子は、本来ならば人間が持つべきはずの緊張感というものが僅かに欠落しているタイプの人間だった。一門の中でも古参でありながらBリーグの中上位を行き来し、十近く年齢の離れた弟弟子にリーグ順位を抜かれようと特に思うところがなさそうなところがその証拠。
「いやね、キリューさんがあんなに怒っているところなんて始めて見ましたよ。あのキリューさんがですよ」
「ええ」
「あんなにも怒りをあらわにして、一人の人間を名指しにして『連れてこい』だなんて。怖かったですよ。ええ、怖かった。アナタもそうだったでしょう?」
その言葉に、ワゴーは沈黙をもって肯定を表現する。
一門の古参であるヨシダですら見たことがないというのだから、当然ワゴーも同じ。特に彼にとってキリューはよく兄であったから、その衝撃は大きい。
「だからこそ、でしょ」と、ワゴーが沈黙を破った。
「だからこそ、絶対にあの男に詫びを入れさせなきゃならない」
「本当にそう思っていますか」
「あんた、それ本気で言ってんですか?」
ワゴーは睨みつけるようにヨシダを見る。
「キリ兄を舐めるってことは、俺達を舐めるってことですよ。あんただって、キリ兄は世話になってるはずだ」
「そりゃあもちろん、あの人には足を向けて寝られませんよ」
「だったら、どうして」
「いやね、そりゃ自分だって思わないことがないわけじゃないですよ。モモナリさんの言葉は、キリューさんに投げかけるには強すぎる。ですがね、どうもね」
ヨシダは歩みを止め、一つ考えて首を捻る。
「自分の知る限り、キリューさんってもっと酷いこと言われてたんですけどねえ」
その言葉に、それまでヨシダの意見をすべてに反発しようとしていたワゴーの思考が僅かに止まる。
ポケモンリーグの重鎮であるキクコの一番弟子という立場は、重い。
ポケモンリーグにおける彼女の影響力は決して小さなものではない、噂によれば、ポケモンリーグ協会の会長ですら彼女には頭が上がらないと言うし、何よりそれが噂ではないことは一門である彼らもよく知るところである。
故に、その寵愛を一身に受けていると考えられるキリューに対し、無責任な方向からの意見があることは想像に難くない。
だが、ワゴーは一つ息を吐いてから答える。
「だからついに切れたってことでしょ? 何も不思議じゃない」
「積み重ね積み重ねで、ついにモモナリさんの言葉に怒ったと」
「それ以外どう考えるんです」
「だったら、モモナリさんだけがその怒りを一身に受けるのって、なんか可愛そうじゃないですか?」
それをワゴーは鼻で笑う。
「欠片も思いませんよそんなこと、あの言葉にキリ兄に対するリスペクトはない。キリ兄がそれに怒ることは当然の権利だし、キリ兄を馬鹿にされた俺が怒るのだって当然でしょ」
それとも、と、彼は続ける。
「あんたは怒りを感じないのかよ。やりたい放題やってる奴にキリ兄が馬鹿にされてさ、あんたは腹立たないのかよ」
その直線的な感情に、ヨシダは一瞬言葉をつまらせる。
ワゴーは彼をあざ笑うかのように鼻を鳴らして続けた。
「まあ、いいよ。あんたが何も思わないならそれでいい。ビビってここにこなかったCリーグの連中が何思わないでもそれでいい。ただ、俺は俺が思うように動く。キリ兄が怒ってなくとも、俺はいつかこうなると思ってた」
「帰りたいなら、帰ってもいいぜヨシダさん」と、彼は一歩ヨシダの前に出た。
☆
ハナダシティ、ハナダの岬。
彼らのターゲットであった男、カントー・ジョウトAリーグトレーナー、モモナリは、一つ飛び跳ねてから水面に消えたアズマオウを眺めていた。
「やあ、どうも」
相変わらず、緊張感のない男だ。と、ワゴーは苛立った。
兄弟子のヨシダが僅かに緊張感が欠落している男だとするのならば、目の前の男は緊張感そのものが欠落している男だろう。尤も、それこそが時代遅れのこの男を未だにAリーガーという立場に押し上げている要因の一つ何かもしれないと彼は思っているが。
「手持ちの休養ですか」と、ヨシダはモモナリに対する怒りの感情無く問う。僅かな観察から、いま水面の中に消えていったアズマオウがモモナリの手持ちであることを見抜いていたのは流石と言ったところ。
「ええまあ、たまに兄弟たちと会いたがるんですよ」
ところで、と、モモナリはヨシダとワゴーをそれぞれ見やる。
「何の用かな」
微笑みながら彼らに問う。
「あんたを迎えに来たんだ」
ヨシダが口を開くよりも先に、ワゴーが早口に言った。
「キリューさんがあんたを呼んでる」
キリ兄、と喉元まで出かかっていたのだろう。彼はそれを飲み込んでからその名を呼んだが、身内の人間は敬称を略するものだというところまでは気が回らなかった。尤も、その常識を知っていたとして、彼がキリューを呼び捨てにできたかどうかはわからないが。
「へえ、そりゃ珍しい」
ちらりと、彼は二人の腰元を見やった。当然、そこにはモンスターボールがあるだろう。
「理由は?」
「心当たりはないのかい」
ワゴーの物言いはひどくぶっきらぼうであったが、モモナリはそれを気にすること無く首をひねる。
「どれだ、と言われると困るね」
悪びれる風のないモモナリに、ワゴーは鼻を鳴らして答える。
「昨日は随分と舐めた言いようだった『辞めたいなら辞めろ』だって?」
それを聞いて、彼にしては察しよくそれに気づいたのだろう。モモナリは苦笑いした。
「いやあ、アレは意地の悪い質問だったからね」
そう気の抜けた返答に、ワゴーが言葉を連ねようとするより先に、ヨシダがそれに割って入る。ワゴーに比べれば、彼は持つべき社会性を持っている方の人間だった。
「モモナリさんとしてはなんてことのない言葉だったかもしれませんが。とにかくそれがウチのキリューの気に触ったようで」
そこで僅かな沈黙を挟み、モモナリがそれに不満を覚えていないことをなんとなく確認してから続ける。
「一つ、お二人で話をしていただければと」
「話? 話って何だい」
モモナリは一つ背筋を伸ばして続ける。
「全くわからない。何をすればいい?」
「謝れってんだよ」
今度はしびれを切らしたワゴーが割って入った。
「あの言葉を取り消し、謝れってんだ」
「謝る?」
モモナリは首をひねった。
「話が見えてこないな」
「あんたの舐めた言葉にキリューさんが怒ってんだよ」
「へえ、またかい」
「事態を重く考えたほうがいい、あんたは俺たちを敵に回してる」
「ふうん」
モモナリは再びワゴーとヨシダを見比べ、その背後にまで視線を合わせた。
「キシくんは?」
「こんな子供の使いにキシさんが出てくるわけ無いだろうが」
「そうかい」
モモナリは一つ頷いてから続ける。
「そりゃあ、残念だ」
彼は頬をかいて続ける。
「そんなに酷いことを言ったかなあ」
「言ったさ、だからこそキリューさんが怒り狂ってる」
「ふうん、そうかい」
モモナリはワゴーと目線を合わせて問うた。
「君は、どう思う?」
突然の質問に沈黙したワゴーに続ける。
「あのインタビューすべてを覚えているわけではないが、僕は確かに『辞めたいなら辞めろ』と言ったんだろう。普段から思っていることだからね。それで、君はどう思うんだい? そう言われたキリューが怒って当然だと思うのかい?」
ワゴーは沈黙を続けた。沈黙を続けて思考した。
モモナリの言葉は自分を試しているように思える。
その言葉は無慈悲で、冷酷なものに聞こえるかもしれない。だが、それはリーグトレーナーならば肯定しなければならない理屈のように思える。
だが、やはり。
「少なくとも、キリューさんにかけていい言葉じゃねえよ」
「それはどうして?」
「あんただって知らねえわけじゃねえだろう、あの人はこの業界に貢献してるし、俺達の世話も焼いてくれたし、何より、ずっと強かった。キリ兄の進退を他人がどうこう言う筋合いはねえ。あの人ほど頑張ってる人を、俺は知らねえよ」
その言葉が、身内贔屓、そして、モモナリにすべての責任があるわけではないことをワゴーは理解している。
キリューの業界への、一門への貢献など、モモナリの知るところではない。
さらに言えば『辞めたければ辞めればいい』という言葉自体も、彼が進んで行ったわけではないのだ。
「なるほど」と、モモナリはため息を付いた。
「皆、頑張っているんだよ。キリューも頑張っているだろう、君たちも頑張っているだろう。僕も頑張っているし、皆頑張っている。そこに貴賤はない」
「モモナリさん」
モモナリの主張を遮るようにヨシダが声を上げる。
「あなたの言うことにも一理あると私は思いますよ。だが、現にあなたの言葉でキリューは怒り、我々が使わされている。これは理屈ではない、事実です」
「まあ、だろうね」
「この際、本心でなくともいいんです。一言、キリューに謝ってくれればいい。それで全ては丸く収まる。あなたにも信念はあるだろうが、意地を張れば、我々一門はあなたを『軽蔑』せざるを得ません。同情はしますが、譲歩するつもりはない」
感情にまみれたワゴーの意見よりも、ヨシダのそれは理にかなっているように思えた。
理屈はどうでもいいのだ、事実として、キリューが怒っている。モモナリの理屈でそれが収まるわけではないだろう。
ふう、とモモナリはため息をつき、胸ポケットからポケギアを取り出した。
誰にかけるのか、ワゴーらが考えるわけもない。
漏れ出す着信音を耳に当てながら、やがてそれが消えた。
「もしもし、キリューか」
モモナリは微笑んでいる、緊張感の欠片もない。
「ああ、そうそう、今ワゴーくんとヨシダくんが来てるよ」
一拍、沈黙する。
「キシくんはどうした。ああそう、残念だ。ああ、話は大体聞いたよ」
更に一拍、少し長めにモモナリが沈黙。
「ああ、その話なんだけど」と、モモナリが眉をひそめる。
「お前の都合にワゴーくんとヨシダくんを巻き込むのはどうなの?」
その瞬間、ワゴーとヨシダは同様の緊張感を持った。
馬鹿なことを言っている。
「彼らも暇なわけじゃないんだからさあ、巻き込んじゃ駄目だよ」
馬鹿野郎、やめろやめろ。と、ワゴーはそれを取り上げてしまおうかどうかと悩んだ。
だが、それを実行するよりも先に、モモナリが最後の句を告げた。
「言いたいことがあるならお前が来いよ」
そう言って、モモナリはポケギアの電源を切った。
ワゴーは、スピーカーの向こう側からこれまで聞いたことがないような怒号が聞こえているような気がした。
「あんた何やってんだ!」
同じく、ワゴーも怒号をあげた。ここがハナダの郊外ではなければそれなりの注目を浴びていただろう。
無鉄砲なチャンピオンロード世代だと馬鹿にしながらも、最低限、通すべき筋はある人間だろうと思っていた。
だがまさか、ここまでの阿呆だとは誰が予測しただろう。
自分の兄弟子であるキリューをそこまで軽んずるモモナリに対し、呆然とした感情と、ふつふつと再び湧き上がり始めた怒りがあった。
「いや、なんか君たちが可愛そうだなと思って」と、モモナリはポケギアを胸ポケットに収めながら答える。
「さて」と、モモナリは二人を見据えて続ける。
「どうする?」
「は?」と、ワゴーはその言葉に抗議に似た困惑を上げた。
ヨシダはモモナリから目を離さず、彼にしては珍しく舌打ちをしながらモモナリに言った。
「モモナリさん、これはもう見逃せない。あなたは我々への敬意を欠いた」
「まあ、そうなるだろうね」
「この先、カントーだろうが、ジョウトだろうが、ホウエンだろうが、シンオウだろうが、あるいは、未だリーグのない地方においても、我々一門の影響がある限り、あなたは『軽蔑』されるでしょう」
ワゴーはモモナリへの困惑と怒りを維持しながらも、ヨシダのその言葉に驚いていた。
彼らしくない、相手に緊張感を直接ぶつけるような口ぶりだった。
だが、モモナリはそれをなんとも思っていないようで、口元に手をやり小さく息を吐くように鼻で笑う。
「この先、だって」
二人に問うようなニュアンスの言葉であった。
「随分と、鈍いんだねえ」
ワゴーと目線を合わせる。
「君はまだ若いから仕方ないけど」
今度はヨシダに視線を投げる。
「君はわからないわけじゃないだろう」
「おい、何が言いたい」
ワゴーにとって、好ましい投げかけではなかった。
年齢という、覆しようのない事実を根本とした説教。
モモナリに対し、ますます怒りが募る。
だが、その腕が動くことはない。
「いいかい」と、モモナリが人差し指で宙をかく。
「キリューは怒った。だから僕に謝罪させるために、君たちを使わせた」
背後で革靴が砂を擦る音が聞こえたが、ワゴーはそれをとるに足らないことだとモモナリの言葉に集中する。
「君たちは僕を連れていきたい、そして僕は、謝る気も連れて行かれる気もない。その先にあるのは」
風が吹いた。
ワゴーがそう思ったのは、自らの耳元を掠めたものがあったからだ。
だが、そのすぐさま後に、それは風ではなかったことを知る。
爪が金属をひっかく不快な金切り音、破裂のような小さな電撃音。火花。
モモナリの正面に陣取るジバコイルは、その相手を見据えて電撃をほとばしらせている。
その目は、不意に現れたマニューラを睨みつけていた。
「モモナリさん」と、ヨシダがため息交じりにその名を呼ぶ。
「もう、そういうのは時代遅れですよ」
ワゴーは、それに気づかなかった。
自らの耳を掠めたそれは、ヨシダが音もなく繰り出したマニューラだったのである。
嘘だろ、と、ワゴーはそれを理解する。
私闘だ、これは、私闘。
自らの我を通すためにポケモンを繰り出すバトル。
倫理的に許されているはずもない。それをしないことがリーグトレーナーとしての倫理観なのだと、ありとあらゆる大人達から、うんざりするほどに聞かされていた。
故に、ワゴーにその選択肢はない。
否、まったくなかったわけではないだろう。
兄弟子への侮辱、チャンピオンロード世代への敵対心、気に入らなければ野良試合でわからせることも怒りの中の選択肢になかったわけではない。
だが、怒りに身を任せなければ生まれなかったであろうその選択肢を、まさかモモナリがあそこまで涼しい顔をしながら選択するとは思っていなかったのだ。
話には聞いていた、かつて無茶をしていた『最後のチャンピオンロード世代』だと、しかし、まさかこの時代においてもその感覚を、恥ずかしげもなく披露するなどと誰が思えようか。
「時代遅れだって」と、モモナリは口元に手をやって笑う。
「それをやれと言ってきたのは、キリューのほうじゃないのかい」
「ワゴウ!」
背後から、ヨシダの怒号が飛んでくる。
振り返れば、緊張感を欠いているはずであったヨシダが、目を吊り上げモモナリを睨みつけながら、その視界の中にわずかに自分を捉えている。
「ぼけっとしてると、死ぬど!」
その言葉で、ようやく彼は我に返る。ヨシダの変貌など、一先ず思考の角に置く。
「『ラスターカノン』」
僅か程の躊躇もなく放たれるその鈍いきらめきの光線は、ヨシダのマニューラを吹き飛ばす。
ヨシダが自分に気を向けなければその直撃は防げただろうか。
ワゴーの若く豊かな感性は、目の前のことに動揺しながらも冷静にそれを分析している。
そして、彼は順応を始めた。
「『かえんボール』!」
叩きつけられるようにして繰り出されたエースバーンは、瞬く間に塵を発火させ形作った炎の、エネルギーの塊を、一つフェイントを挟みながらジバコイルに打ち出す。
大技を放ったスキに対し、同じく炎の大技、更にそれは、はがねタイプであるジバコイルに対して効果が抜群である。
瞬間的に、彼はこの状況における正解を、感覚的に、本能的に繰り出した。それは、彼の才能が豊かであることの証明であろう。
だが、その感性は、あくまでも対戦場で培われたものであった。
不意に、彼らの視界を塞ぐ毒色の体格。
「『まもる』」
Bリーグトレーナーですら対処に手こずっていたその『かえんボール』は、アーボックが広げた首で受け、その軌道をそらしていた。
しなやかな彼女の体格は、それによるダメージをほとんど受けていないようだった。あるいは迎撃が目的として正面からそれを受ければ無視のできないダメージになっていただろうが、ジバコイルを攻撃から守るための最小限の受けだった。
胸の模様を広げながら自分たちを威圧するアーボックに、ワゴーは思考を巡らせる。
威圧による萎縮。
弱点攻撃である『しねんのずつき』でも落とせるかどうか。
相手はメジャーなポケモンではなく、自分の中でその戦略がアップデートされていない。
だが、かつてそのポケモンが『じしん』を撃っていたことは知っている。
エースバーンというポケモンの能力は秀でているが、この対面は五分から不利であるかもしれない。
するべき行動は。
そこまで考え、彼はようやく胸の模様の向う側にあるモモナリの視線に気を向ける。
彼は、ワゴーの方を向いてはいなかった。
「『ムーンフォース』」
その目線の先には、ヨシダと、マニューラだ。
いつの間にかジバコイルと入れ替えられていたピクシーが、起き上がったマニューラに『ムーンフォース』を撃ち込んでいる。
ジバコイルの『ラスターカノン』によってすでに大ダメージを負っていたはずだ、それに耐えられる耐久を持つポケモンではない。
遅れた。と、ワゴーは優れた感性からそれに気づいてしまう。
状況的に、モモナリも二体目を繰り出す可能性は考えられた。
否、むしろ、相手はなんでもありの『チャンピオンロード世代』そのくらいは考えていなければならなかった。たとえそれが、過去を知らぬ自分たちに対する、苦し紛れのホラだと思っていたとしてもだ。
「クソがっ!」
思わず漏れたその言葉は、果たしてモモナリに届いただろか。
モモナリはその言葉に反応すること無く、二歩三歩と砂を擦って、ヨシダとワゴーを正面に捉えることのできる体勢を取り始めた。
感覚的に、ワゴーはそれをまずいこととして攻撃の指示を出そうとする。
だが、エースバーンの動きが鈍い。
それがアーボックの『へびにらみ』によるものだと気づいたのと、エースバーンが『まひ』しながらも『しねんのずつき』を繰り出さんと動き始めたのはほとんど同時であった。
そして、モモナリも動く。
「『じしん』」
アーボックが動く。
だが、それはワゴーに向かってではない。
彼女は次のポケモンを繰り出さんとしていたヨシダに向かった。
ヨシダが繰り出したドグロックに、彼女の尾から放たれる『じしん』の衝撃。
少ないダメージ、というわけには行かないだろう。
「『まもる』」
代わりにエースバーンの『しねんのずつき』を受けたのは、先程までマニューラを攻撃していたピクシーだ。
だが、それも迎撃を目的にしたものではない、その険しい目つきに似合わぬしなやかな体の使い方でダメージを最小限に押さえる受け。
ヨシダのドグロッグのダメージが深そうであることを確認すると、モモナリはちらりとワゴーを見やり、そして、わずかに微笑んだ。
その微笑みを肌で感じて、ワゴーはその男に抱いていた怒りの感情が更に沸き立つと同時に、彼の戦略感の深さにわずかに恐れを覚えた。
まるで、学生の不勉強をからかうような微笑みだった。親しみと、僅かばかりの呆れを抱いた、それでいて、その結果どうなろうと知ったこっちゃないよという突き放しのような感情のある微笑みだった。
親身な人間ほど、不勉強を叱るものだと、ワゴーは心の底から学んでいる。
『まあ、こういうのは慣れてないよね』と、その男の声が聞こえるようだった。
良いか悪いか、ワゴーはその男が見せた戦略の意味を、僅かな時間で理解するに至った。
目標は、最初からヨシダであった。
ジバコイルとピクシーでヨシダのエースであるマニューラを揺さぶりながら、ピクシーに対して繰り出されるであろうドグロッグに先手を取って『じしん』を撃ち込む。
否、ドグロッグを繰り出すのだと確信があったわけではないだろう。腐ってもBはリーガーであるヨシダが、自らに向けられているピクシーという選択肢に対してどのような行動をとり得るか、モモナリは正確に読み切り、それに対する的確な反撃をすでに放っていたということ。
たとえ繰り出されたのが毒タイプであろうと鋼タイプであろうと、アーボックは的確に反撃したのだろう。
「戻れ!」
ピクシーが攻撃の姿勢を取った。
危険だ、ピクシーには『みずのはどう』があり得る。
ワゴーはエースバーンをボールに戻し、代わりのポケモンを繰り出す。
「ひきつけろ!」
新たに繰り出されたルカリオは、両手のガードをあげ迎撃の姿勢を取った。
ピクシーを懐まで引き込み『バレットパンチ』でカウンターを取る算段だ。
だが、その考えは失敗に終わる。
ピクシーはエースバーンがボールに戻ったことを確認するとすぐさまにバックステップで距離を取り、戦いのペースをスローダウンさせた。
「ここでかよ」
思わずつぶやくワゴーを尻目に、アーボックはヨシダが新たに繰り出したポケモンとスピーディな戦闘を繰り広げ、モモナリの視線もそちらに集中している。
ここに来て、彼は考え方を改める決心をした。
競技者である関係上、ワゴーはダブルバトルの経験は少ない、知識としてセオリーや戦略は知っているだろうが、それを反映したことはないだろう。
尤も、競技者であることはモモナリも同じであろうが、これが『チャンピオンロード世代』というものなのだろうか。
一人と二匹で二つの選局を管理しながら、それぞれの試合を自らの力でコントロールもしている。
こちらは二人と二匹であるはずなのに、むしろそれがウィークポイントであるかのようにそれぞれが弄ばれている。
ワゴーは認めざるを得なかった。
この戦い方ならば、モモナリのほうが自分よりも遥かに経験値がある。
ヨシダの戦局を見やる、うまく抵抗しているが、劣勢のように見える。
スピーディな展開を押し付けられることにより本能的な対応を繰り返し、それを的確に刈り取られる。それを鑑みる時間も修正する時間も与えず、全てを失った後にそれに気づかせるような戦い方だ。
「クソっ!」
それの救援に向かおうとは当然考えている。
だが、スペースを開けた状態で自分たちを睨みつけるピクシーの圧に、無造作に駆けるということはできない状態だ。
ピクシーにスキはなく、動けばタダではすまないだろう。
しかし、睨み合いを続ければ続けるほどにモモナリの思うつぼであることも理解はできている。
ピクシーと、こちらに目線を向けぬモモナリとを交互にみやりながら、ヨシダのポケモンが戦闘不能になる様子を感じるしかできなかった。
☆
ヨシダにしろワゴーにしろ、リーグトレーナーとしてできる抵抗は出し惜しみすること無くやったつもりだった。
だが、時間が経てばヨシダは完敗し、ワゴーもモモナリを突破できてはいない。
スーツを泥まみれにしながら地面に膝をつくヨシダは、次のポケモンを繰り出さない。
未だ手持ちが尽きたわけではない、だが、すでに最も信頼の置けるポケモンたちは戦闘不能となっている。これより先は結果の見えている勝負だった。
「さて」
ヨシダが両手を上げ戦闘放棄の姿勢を見せたのをしっかりと確認してから、モモナリは体を開いてワゴーとルカリオを正面に捉える。
「まだまだ楽しめる」
僅かに巻き上がった砂埃を手で払いながら、彼は口元に手をやり、微笑みを消すように頬を揉む。
「『かえんほうしゃ』」
突如として、ピクシーの手のひらから炎が放たれる。
「『みきり』!」
弱点である炎の攻撃であったが、ルカリオは両腕で廻し受けを作りげてそれを無力化。
しかし、その炎の向こう側から現れたのはアーマルド。
「『じしん』」
「『バレットパンチ』」
炎を煙幕として使用したアーマルドがルカリオに手をかけるより先に、ルカリオの迎撃が間に合う。
目くらましがあったとはいえ、この迎撃を、この引き込みこそが狙いであったのだ。カントー・ジョウトAリーガーであるワゴーとルカリオがそれを見逃すはずがない
だが、先に体勢を崩したのはルカリオの方であった。
なっ、とワゴーが困惑の声を上げ、膝を折ったルカリオにアーマルドがのしかかる。
その背後にいたのは、右手をかかげたピクシーであった。
しまった、と、ワゴーはその現実を受け入れる。
二対二の状況だったので、ヨシダが倒れた時点で二対一になるのは当然だ。
競技者として慣れすぎた感覚が、未だに足を引っ張っている。
今から二体目を繰り出そうか、否、間に合わないだろう。
振り上げられたアーマルドの前足が、ルカリオに『じしん』の衝撃を与えようとした。
その時だった。
「『ひかりのかべ』!」
少し目線を上げたモモナリの指示と、アーマルドを守るように現れた『ひかりのかべ』
次の瞬間、背後から叩きつけるような『ぼうふう』をワゴーは感じた。
アーマルドはそれに煽られルカリオから離れた。そしてそのまま、ピクシーのそばにポジションを取り直す。
何が起こった。
ワゴーは振り返ってそれを確認したかった。
だが、それはモモナリ達から目を離すという事。できるはずがない。
何者かが、自らの背後に立った。
方向からして、モモナリは何が起こったのか、そして、ワゴーの背後に立つ人物が誰なのか、容易に確認することができるだろう。
モモナリは口角を釣り上げながら言った。
「ピジョットに乗る時には、ハーネスは必須なんじゃなかったかい」
何者かは、ワゴーに近づきながらそれに答える。
気づけば、ワゴーの視界の中に、スピードを緩めながら地面に降り立つピジョットの姿が見えた。
「そりゃあ、競技での話だ」
何者かは、ワゴーの方に手を置く。
聞き慣れた声に彼は気づいた。
「キリ兄!」
まさに救いであった。
その男、キリューは、一度ワゴーに目線を向けて頷いてから、再びモモナリを睨みつける。
「随分と舐めた真似してくれたなあ」
「そっちこそ、ただ会うのに下っ端二人寄越すだなんて、人付き合いってものがわかってないよ。普通に呼んでくれれば行ったのに」
モモナリはちらりとヨシダを見やる。
キリューも同じく彼を眺めると、地面にあぐらをかきながら頬杖をついている彼は、そのまま片手を文字通りお手上げした。
「無理ど。俺には荷が重い」
「キシと俺を抜けば、お前がウチで一番の実戦派だろうがよ」
「そりゃそうですけど、前より強うなってますもん。こういうのって普通は鈍っていくもんど」
「お前なあ」
そう呟き、ワゴーとヨシダがその先を聞こうとしたところで、キリューが動く。
僅かな動きで繰り出されたドサイドンが、ピクシーに『ドリルライナー』を振り下ろさんとしていた。
ワゴーはそれに驚く、らしからぬ奇襲だ。
だが、モモナリはそうではなかった。
彼はキリューの僅かな動きを敏感に感じ取ると、すぐさまポケモンたちに迎撃の指示。
ピクシーは『ひかりのかべ』で、アーマルドは『ストーンエッジ』でその技を受け、ダメージを最小限に抑える。
バックステップで距離を離すドサイドンを視界の中に収めながら、キリューはワゴーに耳打ちする。
「支配されるな」
その言葉に、ワゴーは沈黙をもってその続きを待つ。
「自分の考えを疑うな、自分を信じろ」
アドバイスとしては凡庸だった。
しかしワゴーはその言葉で、自らが今置かれてい状況を、そして、キリューがそれを正確に見抜いていることも理解した。
「来るぞ」と、キリューが呟く。
それに反応して戦局に意識を戻せば、モモナリがピクシーを手持ちに戻し、新たなポケモンを繰り出していた。
そして同時に現れる『すなあらし』
繰り出されたカバルドンは、憎きモモナリをノイズの向こう側に消していく。
「相変わらず工夫がねえなあ」とキリューは向こう側に叫ぶ。
「これこそが工夫さ、極上のね」
モモナリはその姿が完全に紛れる寸前に、彼らと目を合わせて言った。
「こいやあ!」
その姿が見えなくなる。
ワゴーは身構える。
警戒すべきは『すながくれ』のガブリアス。
しかもこの、カントーで最も濃いと言っても過言ではない砂嵐の中だ。
だが、ワゴーは先程までとは違い、精神が落ち着いている。
一門の最古参、頼れる兄貴分、この世で最も信頼の置ける人物であるキリューが、自らの横に立っている。これ以上の安心があるだろうか。
「合わせろ、ワゴー」
「はい!」
だが、彼の中には、僅かな安堵と共にある違和感があった。
昨日、キリューはアレほど激昂していた。
そして、つい先程に電話で挑発してきた舐めた野郎が今目の前にいて、お互いにポケモンを繰り出しているというのに、キリューからは憎しみが、怒りがあまり感じられなかった。
それどころか、その表情には、僅かな微笑みすら感じられるような気がしたのだ。
ハナダの郊外を覆う『すなあらし』は未だに晴れてはいなかった。
無理もないだろう。天気を変更させようと動くワゴーを、モモナリは徹底的に妨害していた。
『ちょうはつ』『アンコール』『いちゃもん』
対応するポケモンをうまく入れ替えながら、彼はワゴーのサポートを徹底的に否定する。
濃い『すなあらし』の中で、モモナリはただ暴れるだけの存在ではなかった。
だがそれは、あくまでワゴーの対面での話である。
「『ドリルライナー』!」
「『じしん』」
強固で巨大な肉体同士がぶつかり合う衝撃音。
それらはわずかに砂嵐をかき分ける風圧となり、その姿をわずかに顕にする。
ドサイドンと、アーマルド。
『すなあらし』によってさらに強固となった二匹のポケモンは、それ故に更に遠慮なく体をぶつけ合う。
力比べは互角か、否。
「『アクアブレイク』」
わずかに、ドサイドンの動きが鈍っている。
そして、キリューはそれに気づくのが少し遅れた。
その原因、おそらく砂嵐の向こう側のポケモンが、ドサイドンの足元をわずかに妨害したのだろうということに気づいた頃には、すでに水をまとったアーマルドの爪がドサイドンに襲いかかっている。
類似した役割を持つ二体であるが、その大きな差は水による攻撃だろう。
尤も、キリューとて無知なトレーナーではない。むしろモモナリの戦略に関しては最もよく知る人間の一人だろう。故に『アクアブレイク』の選択肢を知らないわけではない。
だが、ドサイドンを妨害してくる存在までには気が回っていなかった。
それは、彼もまたそれに慣れぬ競技者であったからだろうか。
否、そうではない。全盛期の彼ならば、つい昨年ほどの彼ならば、それをケアしながらアーマルドの動きに目を光らせることなど造作もなかったことだろう。
目の衰えか、脳の劣化か、あるいは固定された地位に柔軟な思考が侵されつつあるのか、はたまた昨日の試合の疲労が未だ抜けていないのか。そのどれであるにしろ、それらはすべて言い訳になってしまうだろう。
新たなポケモン、ハリテヤマを繰り出しながら、キリューはノイズの向こう側にいるであろうワゴーを気にかける。
「なにをやっている」と、キリューは小さく呟いた。
動きたいように動かしてもらえず、ヨシダや自分のようにその横に立つトレーナーに戦力を集中されている。
この意味を、なぜ理解できない。
この、本能による闘争の擬人化のような人間の戦略を、どうして素直に受け取らない。
支配されるな、自分自身を信じろ。
「クソッ!」
ドサイドンの断末魔は、そして、ハリテヤマの荒い息遣いは、当然ワゴーにもとどいている。
だが、彼は未だにキリューに対して思うようなサポートはできていない。
ピクシー、アーボック、そして、新たに現れたゴルダック。
様々な搦手を使用するこれらのポケモンを未だに突破できてない。
否、本来ならば、本来の彼の実力ならば突破できるはずなのだ。
だが、戦略の中でサポートを出そうとすれば、すぐさまに二匹目のポケモンがそれを妨害しに来る。二対一でありながら、一対二の状況を作られ、目的を潰される。
モモナリというトレーナーは、そのスイッチ的な運用に優れている。二匹のポケモンを一人で管理するという一見負担の大きそうな立場を、むしろすべての戦略を一人のトレーナーがコントロールすることができるという利点にしているのだ。
「『トリックルーム』」
ゴルダックの額の宝石が怪しく煌めく。
まずい、とそれを感覚的に理解し、ワゴーが動く。
「『はどうだん』!」
ゴルダックが集中力を高めるより先に、それを止めようと攻撃を放つ。
だが、それが届くより先に、ノイズの向こう側から影が揺らめく。
「『ドラゴンクロー』」
現れたガブリアスは、爪の一振りでそれの軌道をそらした。
そして、ゴルダックを中心に時空が歪む。
「しまった」と、ワゴーは呟いた。
あのガブリアスはモモナリのエースだ。時代遅ればかりの彼の手持ちの中ではめずらしく、カバルドンと並んで現代バトルでも動ける存在。
それがここでフリーに動いてくるということは、キリューの旗色が思わしくないだろうということ。
そして、先程まで聞こえていたバトルの情報から考えれば、キリューはすでにドサイドンとハリテヤマという『遅い』ポケモンを失っているだろう。
対応できない、と、ワゴーは思う。
ダブルバトル、砂嵐、トリックルーム。
今のキリューさんでは対応できない。
その考えが脳裏に浮かんだ自分自身を、ワゴーは激しく攻め立てた。
あの人を低く見積もるな。
あの人はそんな人ではない。
あの人こそがヒーローだ。
だがそれと同時に、ワゴーの中にある戦いのための豊かな感性は、その全てがその考えを肯定している。
あの人に、この状況を突破できるだけの馬力は、今はない。
じゃあどうする、どうすればいい。
サポートに回ろうとも、自分はモモナリに相手にされること無く、状況を硬直させられているだけだ。
こちらがなにか動こうとすれば、二体がかりで。
そこまで考えて、ワゴーはあれ、と、心の中で首をひねった。
バトルに参加できないから、自分はモモナリに相手にされていないと思っていた。事実、ヨシダやキリューと激しく戦うその合間に自らが妨害されていた。
だが待て、何かがおかしいぞと、彼はそれに気づく。
僅かな時間だ、その僅かな時間で、違和感の正体を探る。
どうする、自分ならばどうする。
もし自分が二人組みに絡まれ、一人と二匹でダブルバトルをするような状況になれば、一体どうする。
その答えはシンプルだ、競技者であるワゴーですら簡単にそれを導くことができる。
弱い方から叩くに決まっている。
「『インファイト』!!!」
睨みをきかせるガブリアスに向かって、ルカリオがその懐に入り込まんとする。
だがそれを、ゴルダックに変わって入れ替えられていたアーマルドが受け止める。
「『じしん』」
状況は『トリックルーム』遅いアーマルドこそが先手を取れる。
「『バレットパンチ』!」
しかし、懐まで潜り込ませての『バレットパンチ』は速さに関係なく先手を取る。
アーマルドの巨体はぐらついたが、その全身で倒れ込むようにルカリオに飛び込み『じしん』の衝撃を与える。
お互いに懐に潜り込んでの弱点攻撃だ。結果を見ずとも結末は理解できる。
ルカリオをボールに戻しながら、ワゴーは砂嵐を眺める。
すでにガブリアスはその向こう側に消えている。だが『トリックルーム』の状況下、恐ろしいほどの驚異ではない。
状況を複雑にするためにはなった『トリックルーム』が痛手となるか。
だが、そのような状況以上に、ワゴーはモモナリに怒りを募らせる。
このダブルバトルにおける、モモナリの戦略感は至極単純だった。
驚異となるトレーナーを極力刺激せず、弱い方のトレーナーに全力を尽くす。
つまりこの男は、ワゴーよりもヨシダやキリューの方が弱いと踏んだのだ。
兄弟子二人に対して遠慮のあった自分自身に甘さがあったとはいえ、キリューを弱いと断言するような戦略感。納得はできない。
「キリューさん!」
その怒りに身を任せるように、ワゴーはノイズの向こう側に叫んだ。
「合わせてください!」
考えられない言葉だ。
一門の最古参に対して『合わせろ』など。
だが、ノイズの向こう側から聞こえてきたのは意外な返答。
「おうともよ!」
力強く、安心できる返答であった。
キリューの懐の深さに感動するよりも先に、ワゴーが次のポケモンを繰り出す。
現れたのはフシギバナ。
対してモモナリがその対面に選んでいるのは、いわつぼポケモンのユレイドルだ。
そりゃあそうだろうな、と、ワゴーは驚かない。
「『ヘドロばくだん』」
巨大な花弁から、毒の塊を放たんとしたときだ。
ノイズの向こう側から、重量感とスピードを兼ね備えたポケモンが現れる。
おそらくは『トリックルーム』でスピードを得たカバルドンだろう。
だが、その突進はフシギバナにまでは届かない。
同じくノイズの向こう側から現れたハリテヤマが、腰を落とした状態でその前に立ちはだかったのだ。
カバルドンは止まらず、ハリテヤマの懐に突っ込む。
「『あてみなげ』」
だが、ハリテヤマはその勢いを利用してカバルドンを地面に叩きつけた。
それら一連の攻防が終わる頃には、すでに『ヘドロばくだん』がユレイドルを襲っている。
「くるぞ」
ワゴーはそう指示し、フシギバナは身構える。
今が『トリックルーム』状況下であることを彼は忘れていない。
先手を取ったのではない、先手を取らされたのだ。
それの意味するところは、大技。
「『メテオビーム』」
ユレイドルの頭部から、その巨大な光線が放たれた。
光をため放つ岩タイプ最高クラスの攻撃だ。
果たしてフシギバナで耐えることができるだろうか。
だが、そんな事を考える必要はなかった。
ユレイドルとフシギバナの間に割って入るものがあったのだ。
「好きにやれ! サポートは任せろ!」
そのポケモン、洗濯機を模したロトムは、ユレイドルの『メテオビーム』を真正面から受けて吹き飛ぶ。
そこから、ワゴーは間髪を入れぬ。
「『リーフストーム』!」
フシギバナが身を振ることで、幾多もの葉っぱがユレイドルに襲いかかる。
だが、ユレイドルはどっしりと動かない。
天候は『すなあらし』その攻撃では倒れない。
同じく、新たに繰り出されたアーボックが攻撃を守ろうとそれに飛び込まんとする。
「やめろ!」
モモナリがアーボックを止めた。彼女はその指示通りに動きを止めてキリューに視線を投げ、ユレイドルは攻撃に耐える体勢。
襲いかかる『リーフストーム』特別相性が悪いわけではないが、ユレイドルはそれに耐えきれずに体から力を抜いた。
攻撃が通じたことに安堵しながら、ワゴーは、モモナリの声が久しぶりに聞こえたことに気づく。
モモナリの声をかき消していた『すなあらし』が晴れつつあった。
風がやんだのか、否、違う。
風を晴らしたのだ。
自らの前方に伸びる影に、ワゴーが気づいた。
「『ほのおのキバ』」
大技後のスキのあるフシギバナに、アーボックが襲いかかる。
「『エアスラッシュ』!」
同じくアーボックに向けられたその攻撃は、モモナリが新たに繰り出したガブリアスが『アイアンヘッド』で打ち消す。
首元に炎の攻撃を受けたフシギバナは、流石に膝を折った。
無理もないだろう。
この『にほんばれ』の状況で、炎タイプの攻撃には耐えられない。
完全に晴れた砂嵐の向こう側、モモナリはワゴーから目を離さないが、その小さな太陽は嫌でも目に入る。
否、むしろその小さな太陽によって、ワゴーらの動きを確認しづらくなっている。
ロトムをデコイにした後に、キリューはすぐさまにネイティオを繰り出して『にほんばれ』させた。
砂嵐は晴れ、ユレイドルの耐久性は低下し、なんとか『リーフストーム』がとどいた。
だが、キリューとてすべてが思い通りだったわけではない。
あの僅かな時間で、モモナリは『にほんばれ』を理解し、アーボックを温存し、そして『ほのおのキバ』でフシギバナを処理した。
考えた末の行動、というわけではないだろう。
その感性の、なんと恐ろしい事か。
あるいは、それだけの才能が自分にも存在すれば、と、キリューは一瞬だけ思った。
「もう、逃げ場はねえぞ」
ワゴーの言う通り、すでにモモナリはカバルドンを失っている。
ガブリアスを含む他のポケモンが再び『すなあらし』を起こすことはできるだろうが、そんなことを彼らが許すはずがない。
油断するなよ、と、キリューはワゴーをたしなめようとして、辞めた。
すでに、自らがコントロールする領域に、彼はいないだろう。
フシギバナを手持ちに戻し、ワゴーが新たに繰り出したのは、ドラゴンポケモンのボーマンダであった。
「『ドラゴンクロー』!」
「『ドラゴンダイブ』」
両雄、激突する。
強靭な肉体を持つ二体のドラゴンが、それをぶつけ合った。
お互いにダメージは大きいが、お互いのタフネス故に、未だ勝負はついていない。
いける、と、ワゴーは確信する。
ボーマンダの素早さは、ガブリアスに一歩劣る。
だが、状況は『トリックルーム』ボーマダンダのほうが先手を取れる。
「『ドラゴンクロー』!」
「『ドラゴンクロー』!」
だが、モモナリも同じ指示を同じように繰り出した。
その瞬間に、時空の歪みが、音を立てて元に戻った。
「はあ!?」と、ワゴーはそれに驚き声を上げた。
しかし、モモナリはそれに驚きはしない。
彼は『トリックルーム』解除のタイミングまで、戦略に組み込んでいたのだ。
ワゴーは敗北の予感を感じた。絶望的な展開だった。
二体のドラゴン、再び相まみえる。
それぞれの前足が振り下ろされる。
速さで勝ったのは、ボーマンダの方であった。
それをまともに食らったガブリアスは、一瞬地面を踏みしめてこらえかけたが、膝から崩れ落ちるように地面に横たわった。
「『こおりのキバ』」
だが、まだ終わってはいない。
すでにネイティオを倒したアーボックが、ボーマンダの弱点攻撃でその羽根に牙をつきたてる。
大きなダメージだった。
しかし、ボーマンダはギリギリのところでそれをこらえ、尻尾を振り回してアーボックを引き剥がす。
「『じしん』!」
そして、その体を無遠慮に踏み抜いてダメージを与える。
戦闘不能は明らかだった。
「なるほど」と、モモナリは倒れている二匹をボールに戻す。
「負けたな」
彼はワゴーとキリューをそれぞれ見やった。
ワゴーとボーマンダは、未だに警戒の体勢を解くことができていない。
だが、その肩をキリューが叩く。
「終わりだ。もう大丈夫」
その言葉で、ワゴーはようやく緊張が溶け、ようやく大きな呼吸を始めることができた。
何が起こったのか、ワゴーはまだわからない。
なぜあの時、ボーマンダは速度でガブリアスを上回った。
気合とか、根性とか、そういうもので結論をつけたくはなかった。
そして、彼を案じて目を合わせようとしてくるボーマンダの動きを見て、彼はようやく気づいた。
「『トリックルーム』」そう、呟くしかなかった。
そして、逆算的に何が起こったのか理解する。
キリューがそれを使ったのだ。
時空の歪みが元に戻ったことを瞬時に察知し『トリックルーム』で再び次元の歪みを元に戻した。
何という戦略感。と、ワゴーは戦慄する。
だが、事実は少し違う。
ガブリアスとボーマンダが激突したその瞬間、アーボックはネイティオに猛然と向かっていた。
その瞬間、キリューは違和感を覚えた。
毒タイプのアーボックでネイティオに突っ込む。いくら『こおりのキバ』で弱点をつけるとはいえ、らしくない特攻だ。
それに合わせて『サイコキネシス』でアーボックを鎮めるのは簡単だろう。だが、その安易な行動こそが、モモナリの狙いであるのではないかと、確証は無いが感じたのである。
確信はなかった、だが『トリックルーム』を撃った。
モモナリならば、トリックルームの消滅を戦略に組み込みかねないと、その長い付き合いから思ったのである。
故にネイティオを犠牲にした。最後の『トリックルーム』に全てをかけ、そして、それは正解だった。
「どうせ満足してるんだろう?」
モモナリと距離を詰め、キリューはそれを見上げながら呟く。
「キリ兄、俺達、勝ったんですよね」
ワゴーはそれに確証が無かった。
形としては三人がかりである。それも途中までは押されていたと言ってもいい。
結果としてモモナリは抵抗の意思を示していないが、それを果たして勝利と呼んでもいいのか。
「ああ、お前の勝ちだよ」と、キリューはワゴーに呟き、更に続ける。
「俺達の勝ちでもある」
「それはどうかな」と、モモナリは笑った。
「来たのはキリューだ、僕じゃない。僕は一歩たりともキリューには近づいていないよ」
「わけのわからないことを」
その人を喰ったような言葉に、ワゴーはモモナリに抱いていた怒りの感情をようやく思い出した。彼に一歩踏み込み、その胸ぐらを掴まんとする。
しかし。
「そのへんにしとくんだね」
聞き慣れた、それでいて力を持つ声だった。
ワゴーはそれに背筋を伸ばし、キリューも敬意のこもった視線をその方に向ける。
唯一モモナリだけが、微笑みのままその方を見た。
「随分と、派手にやっていたじゃないか」
車椅子に腰掛けた老婆が鋭い目でそれぞれを見やりながら言った。
その横にはヨシダだ。泥だらけのスーツなどお構いなしに「あーあ」とその表情が物語っている。
そして、その車椅子を押しているのは、カントー・ジョウトAリーガーにして、チャンピオン経験者でもある男、キシであった。
必然的に、その車椅子に座る老婆が、殿堂入りトレーナーのキクコであることは説明に難くないだろう。
「先生に、キシ兄、なんで」
断片的な言葉だが、ワゴーの混乱はわかりやすい。
「かわいい弟子たちのことでわからないことなんて何一つ無いさ」
吐息を含むような笑い声。
「先生、これは先生の思ってるような私闘ではなく」
僅かな緊張感でそう説明しようとするヨシダに、キクコはやはり笑って答える。
「ああ、わかってるさ。キリューが怒れば、あんた達としては動かざるを得ないだろうねえ。これが弱いものいじめならあたしの機嫌も悪くなるが、この男じゃあ」
キクコはモモナリをちらりと見やった。
「少なくとも、弱い者いじめにはならないだろうね」
「いやあ、そりゃどうも」
手を振って照れるモモナリに、キシは露骨にため息を付いて呆れ、ワゴーは驚いた。
この男は、あのキクコにこうとまで言わせるトレーナーなのか。
「そして」と、キクコはワゴーに視線を移す。
「あんたもよくやった、見事な立ち回りだったよ」
「あ、いや」
ワゴーは慌ててキリューの方を見る。
「キリ兄がいたからです」
「おい、俺わい」
ヨシダの悪態を無視し、彼は続ける。
「キリ兄が来なければ、多分、俺達は」
「ふうん、まあ、そう思うならそれでもいいさ」
キクコはしばらく沈黙してから「さて」と、今度はキリューとモモナリの方を見る。
「あんた達、もっとこっちに来なさい」
その言葉に、モモナリは揚々と、キリューは僅かに緊張を持ちながらキクコに近づく。
「なんです?」
そのまま軽口を続けようとしたモモナリの足の甲を、キクコは杖で思い切り突いた。
叫ぶこともなく、ただただ悶絶しながらうずくまるモモナリを横目に、キリューは覚悟を決めるように目をぐっと閉じる。
そして、そのまま予想通りに彼の足にも杖が突き立てられた。
「さて」と、キクコは立ったまま悶絶する一番弟子を横目に続ける。
「喧嘩両成敗さ、これで手打ちだよ」
キシ、そしてヨシダはその言葉に異論を挟まなかった。弟子のトラブルに対しての、その元締の決定である、横槍を入れることができるはずもない。
ただ一人、ワゴーを除いては。
「だけど先生、こいつは」
ようやく痛みが引き、足の感覚を確かめるように立ち上がり始めたモモナリを、ワゴーは指差した。
彼の中では未だに収まっていない。
最も尊敬すべき兄弟子に対する不敬。
礼儀を欠いた発言だけではない、キリューを格下とみなした戦いでの立ち回り。許されるべきものではない。
「いや、これで終わりだワゴー」
痛む足を振りながら、キリューは言った。
「勝負はついた。お前たちの勝ちだ」
「だけど」
ワゴーはモモナリを見やる。
痛みが我慢できるものになったのか、涼しい顔を見せ始めたその男は、未だに謝罪していないではないか。
手持ちのすべてが戦闘不能になったわけでもない。その口から明確な敗北の言葉が出たわけでもない。
彼の思う勝利とは、程遠い結果である。
だが、ワゴーは未だに気づいていないのだ。
当事者であるはずのモモナリが、その言葉を否定していないということを
キリューは続ける。
「先生の言う通り、手打ちだ」
彼はキシとヨシダをみやって続ける。
「付き合わせて悪かった。埋め合わせは必ず」
その言葉を皮切りに、ヨシダは一つため息を付いてから彼に背を向け、キクコの車椅子を押すキシも、それに続かんとする。
「ああ、キシくんちょっと」と、モモナリは彼らに声を上げた。
「なにか?」
「いや、今日はなんでキシくん来なかったのかなって」
その問いに、キクコは僅かに声を上げて笑い、キシは大きくため息を付いた後に鼻を鳴らして答える。
「僕はAリーガーですよ、怪我でもしたらどうするんです」
「へえ、そりゃあ残念」
「リーグでならいくらでも相手してあげますから」
そう言ってキクコとキシも彼らに背を向ける。
一人、ワゴーだけは未だに視線をモモナリらに残している。
「キリ兄はどうするんです」
「ああ、少しこいつと話すべきことがある」
親指を向けられたモモナリは、それを拒否しない。
ワゴーは、何となくそれを危険だと思った。何を考えているか、何をしでかすかわからない人間だ。
だが、彼は視線から彼らを外した。
それを指摘することは、彼の中で一線を越える行為だった。
「ワゴー」と、背を向けかけた彼にキリューが投げかける。
「今日の感覚、忘れるなよ」
その言葉が、何のことを指しているのか。ワゴーはわからなかった。
否、わからないわけではなかった。
だが、それを理解することは、彼には心苦しいことだった。
「はい」と、彼は僅かばかりに嘘を含めながらそれに答える。
視界の隅にあった兄弟子の姿は、普段より小さく見えた。
☆
「悪かったな」
ピジョットを撫で、ボールに戻しながら、キリューは遠くで跳ねるアズマオウを眺めてモモナリに言った。
「何がだい」と、キズぐすりで回復させたポケモンたちをボールに戻し終えたモモナリは、同じく遠くの水面に跳ねるアズマオウを眺めながら答える。
「巻き込んだ、お前を」
「よくわからないな」
首を傾げるモモナリに、キリューはため息を付いた。バトルの時に見せる冴えを、なぜ日常生活では使えないのか。
「腹が立って仕方がなかった」
仕方なく、観念して、彼は自らの心の内を吐露する。
都合のいいことに、ハナダ郊外のそこには、彼ら以外の人影はない。
「自分が情けなかった。望むこと一つできず、可愛い弟弟子達に気を使われ、それでも醜態を晒すわけには行かないという現状に腹が立って仕方なかった。だから、たまたま画面に写ってたお前を利用した」
その言葉にモモナリはしばらく考え「ああ」と、答える。
「やっぱり、怒ってなかったんだ」
「なんだ、わかってたのか」
「まあ、なんとなくね」
彼はボールを撫でながら続ける。
「我を忘れているような戦い方じゃなかった。いつものように、戦略的で、思い切りが良くて、ある程度の想定外やミスは許容するような、いつものキリューだった」
それにキリューは鼻を鳴らす。
「まあ、遠慮がねえなとは思ったけどさ、今更お前相手にそんなことで本気で怒りゃしねえよ。堪忍袋がいくつあっても足りやしねえ」
モモナリはそれに笑った。
堪忍袋がいくつあっても足りないだって、誰からの影響かあまりにもわかりやすい古臭い言い回しだが、わかりやすい。今度使おう。
「別に怒ったっていいじゃないか」と、モモナリは言う。
「そりゃお前はそうかも知れないがなあ」
キリューは頭を振って続ける。
「仮にも先生の一番弟子が、負けを理由に怒るようなことがあっちゃあ業界に示しがつかんよ」
その言葉には嘘があった。
確かに、それも理由の一つかもしれない。
だが、キクコ一門の最古参である自分が怒りを顕にしてしまえば、歪になってしまうパワーバランスがあるかもしれないことを、彼は理解していた。
「怒ることも、人だよ」とモモナリが続ける。
「ワゴー君のようにね」
「ああ、ありゃあ怒ってたな」
キリューは遠くを眺めながら続ける。
「ああなるから、俺は気楽に怒れない」
「君が来てから少ししてからグンと良くなった。それまではコントロールしやすかったんだけどね」
「何が起きたと思う?」
「覚悟決めたんだろうね」
モモナリは指先で宙を撫でながら続ける。
「突然、自分が群れのリーダーになるんだって覚悟で突っ込んできた。ワゴー君ほどのトレーナーがそれをやって、キリューがサポートに回られたら、そりゃあしんどい」
「なるほど」
キリューはその言葉にホッと胸をなでおろした。
「あんなだが、俺達に我を見せない奴でなあ」
「ああ、わかるよ」
「父親がな、居ないんだよ」
その言葉に、モモナリは一瞬返答が遅れる。
「それは僕が聞いていい話なのかい?」
「有名さ、少し調べりゃすぐに分かる」
「そんなこと調べて何になるんだか」
呆れるモモナリにキリューが言う。
「ウチに来てからは俺が世話役だった。父役とまでは言わないが、兄役くらいはこなしたつもりだし、あいつも俺に懐いてた」
彼は下を向いて続ける。
「だからこそ、あいつは俺を見切らなきゃならなかった。落ち目の俺を目印にしちゃああいつに未来はない」
「ああ」と、モモナリはそれに納得したように頷いた。
「だから、君に遠慮してたのか」
それが先程のバトルのことを指していることをキリューは理解していたが、同時に、それを理解できるモモナリの能力に、彼がそのような人間であることをこの世の誰よりも知っている人間の一人でありながらも新鮮に驚く。
タッグバトルにおいて、その人間関係が戦局に反映されることは容易に考えられることだろう。事実、ワゴーは途中までキリューに対して遠慮があった。それはキリューでも理解できる。
だが、それはキリューがワゴーの生い立ちや人間性を深く理解しているからだ。人間の感情を知るからこそ、それがバトルに及ぼす影響を理解できる。
しかし、モモナリはその逆、バトルの戦局から、その人間の感情を細かに読み取っている。
「そこまで考えて彼を僕に」
「まあ、なにかきっかけになればとは思ったさ、そういう意味じゃ、お前に感謝だな」
「そりゃどうも」
「考えて俺に電話してきたわけじゃないだろう?」
「まさか、カウンセラーじゃあるまいし」
「だろうな、そういう奴だよ、お前は」
そこからしばらく、彼らは沈黙して水面を眺めていた。
遠くでは、ヴェールのように美しい尾びれを持ったトサキントが、考えられない高さにまで跳ね上がって水面に落下していた。十中八九、モモナリのアズマオウとの遊びだろう。
「どうするんだい」と、モモナリがぼうっと投げかけた。
長い付き合いだ、それが自らの進退についての問いだということをキリューは理解している。
「状況は厳しい」
モモナリの沈黙を確認してから続ける。
「予想より早かったが、体は衰えてきている。今からそれに戦略を合わせていくのは難しい。ましてや溺れるガーディを叩くようなBリーグだ、戦略を模索しながら昇格枠に入るのは簡単なことじゃない」
戦略のアップデートは可能だが、肉体のアップデートは現実的ではない、かつてのチャンピオン経験者であるキシが身体のケアを重視し始めたのは兄弟子の苦労を目にしているからかもしれない。
「ましてや、俺はキクコ一門の古参だ。あまり惨めな姿を見せると業界に示しがつかない。俺がいることでBリーグのパワーバランスが歪んでしまう可能性だって十分に考えられる」
モモナリはそれにも沈黙を返す。何も言うべきことがない、まっとうな分析のように聞こえる。
「だが」と、キリューは続ける。
「それ以上に、俺はリーグが好きなんだ」
その言葉に目線を上げたモモナリに、キリューは更に続ける。
「まだまだ辞めやしないさ。Aリーグから落ちたから、勝てないから、弱くなったから、悔しいから、辛いから、恥をかきたくないから。そんなもんはリーグを辞める理由にはなりやしない。誰かが迷惑を被ろうが、俺を軽蔑しようが、そんなことは関係ねえよ」
はは、と、モモナリは笑顔を見せる。
「随分とわがままだね」
「ああ、取り繕っても、俺はトレーナーだ。好きに生きるさ、一先ずの目標は、四天王在籍年齢で先生を越えることだな」
「良いじゃないか、目線は遠いほうが良い」
「お前は、歓迎するか?」
「さあ、僕には君の進退を決める権利はないし、君がどんな決断をしようが、それに口をだすつもりはない」
「だけど」と、彼は再び遠くの水面を眺め、照れくさそうに言った。
「嬉しいね」
「ああ、なら良かった」
鼻をすする音が聞こえる。
緊張が溶けた。
彼はAリーガーでも、兄弟子でもなく。ただ一人のトレーナーとしてそこに立っていた。目の前の友人は、自分が一角の人間ではなくとも、戦いを続ける限り自らを一人の人間として認めるであろう。そんな単純な人間であった。
そうなった時、突然に、それまで一角の人物として堪えることができていたものが、溢れてきたのだ。
「ああ、悔しい。悔しいなあ、なんで落ちちゃったかなあ。もっとできたと思うんだけどなあ」
キリューのその声は、わずかに震えているように聞こえる。
モモナリにとって、それは珍しいものではなかった。彼が感情豊かな人間であることを、彼は知っている。
それこそが、今溢れているものこそが、彼が最も弟弟子達に見せたくなかったものなのだろう。
モモナリはキリューの方を見なかった。それこそが礼儀なのだと、彼は僅かな社会性から思った。