42-その言葉は呪いでもあり
『42-その言葉は呪いでもあり』
とある地方であった。
優秀なトレーナーが生まれるほど人口はなく、それを補えるほどの優秀な育成機関があるわけでもなく、住民もそれを望んでいるわけではない。
だが、娯楽もなく、伝統的な文化はすでに跡継ぎなく瓦解している。そして、地元のメディアには新たな文化を作る影響力に欠け、放映するエンタメはカントーのものを少し狭めた程度のもの。
そんなとある地方において、カントー・ジョウトリーグの対戦興行は数少ない売れる興行であった。当然、経済的にも恵まれているわけではないその地方に、チャンピオンやAリーガーは滅多に招待されないだろう。地元の灯を閉ざさぬと気を吐く中堅企業からなるなけなしのスポンサーは、BリーグやCリーグの上位トレーナーを満足させる賞金を出すことで手一杯だ。
故に、モモナリのような中堅Bリーガーがそのような興行に招待されるのは、何の不思議もない。
かつて世間を賑わせた早熟の『元天才』知名度の割に安く招待することのできる、中小地方の興行主の理想のような選手であった。
☆
古く、建て替えも行われていないその対戦場は、モモナリのカバルドンが生み出す『すなあらし』に揺れ、軋み、観客を不安がらせる。
備え付けの中継施設では『すなあらし』の内部を明瞭には映し出すことができていない。バトルの本場であるカントーの中継機能でも追うことが難しいモモナリの『すなあらし』だ、経年劣化激しい地方都市の寂れた技術が追えるわけがない。
だが、観客達は砂嵐の向こう側に少しだけ映し出されるポケモンの影や激しい対戦の音色に心躍らせていた。今日を逃せば次に生でプロのバトルを見ることができるのは一年後だ。エンタメへの飢えが違う。
まともな人間の感性を持っているならば、そのようなファンの前ではせめて『すなあらし』などの天気変更戦術はやめようとか、多少はエンタメに触れるようなバトルをしようとか思うものである。だが、残念ながらモモナリはまともな人間の感性を持っているとはお世辞にも言えなかった。
砂塵を吸い込まぬように、モモナリは器用に微笑みを浮かべている。
『すなあらし』を作り出したカバルドンは目を凝らし、相手を迎撃する構えだ。
選択肢としては『ステルスロック』などで場の状況を作る方法もあるだろう。だが、モモナリはそのような猶予はないと判断した。
「『ねこだまし』!」
少し高い、女の声。
ノイズの向こう側から、そのポケモンが現れる。
カバルドンは一瞬右側に影を見たが、次の瞬間に左側から聞こえた足音に気を取られる。
「正面!」と、モモナリが叫んだ。
モモナリも、その影は見ているし、その足音も聞いている。
だが、彼はそのどちらも信用しなかった。
モモナリは、相手のポケモンを知っている。
砂塵の向こう側にいる群れの強さを知っている。
その気になれば、影も、足音も、ノイズの中に隠すことのできる相手だということを知っている。
故に、それはフェイク。
あえての正面突破、裏の裏は表。
だが、砂煙が巻き上がったのは右側。裏の裏の裏、右側。
現れたそのポケモンは、目にも留まらぬ一瞬の早業でカバルドンの鼻を叩く。
不意の刺激によりひるんで目に涙の滲んだカバルドンは、そのしなやかな体を捻りながら死角に潜り込む相手に気づかない。
「『ふきとばし』!」と、モモナリはひとまず指示をした。
安定的な選択肢だ。体力に自身のあるカバルドンがどっしりと技を受け『ふきとばし』によって迎撃する。『バトンタッチ』によって能力を引き上げている相手にとって、それは致命的なはずだ。
しかし、相手はその上を行く。
「『かみなり』!」
一瞬の衝撃だ。
死角から放たれたその電撃に、地面タイプであるはずのカバルドンは地に響くような悲鳴を上げた。
だが、それに動揺することはない。
必要なのは前提ではない、目の前で起きていることだ。
そのポケモンの『かみなり』によって、カバルドンは戦闘不能となった。その結果から考えを逆算すれば、自ずとその理由も絞れるというもの。
「いいぞ、いいぞ、いいぞ」
彼は頷きながらそうつぶやき、カバルドンをボールに戻す。
理想的な展開とは言えなかった。
相手を考えるのならば、カバルドンの『すなおこし』はもう一度ほど使いたかった。
あるいは『ねこだまし』の読み合いで一歩遅れなければそれは成せていただろう。
否、そうではない。
モモナリ本人すら気づいていないが、ミスはそこではない。
本来『すなあらし』状況下での突発的な対応は、モモナリの最も得意とするもの。
それを、相手は『あえて痕跡を残す』ことで、突発的な反射神経の世界から、読み合いの世界へとモモナリを引きずり下ろしたのだ。
もちろんそれは、相手が優れたトレーナーであるとモモナリに認識されている必要があるだろう。格下のトレーナーであるならば、そもそもモモナリは頭を使った戦いをしないだろうから。
その相手は、モモナリの実力と性格を理解しながら、その鏡に自らがどう写っているのかすら理解しているようだ。
「おもしろい、おもしろい、おもしろい」
その相手とのバトルは面白い。嘘偽りなく、モモナリはそう思う。
「さあ、どうするよ!」
モモナリが砂嵐の中に繰り出したのは、かっちゅうポケモン、アーマルドであった。
「『シザークロス』」
相手のポケモンにアーマルドの爪が襲いかかる。
だが、相手は逆にアーマルドに踏み込むと、前足で爪の軌道を逸らし攻撃から身を『まもる』
攻撃が空振り、スキが生まれたアーマルドの鎧をトンと踏み台にし、そのポケモンは砂塵に身を隠さんとする。
まずい、と、モモナリは「『アクアジェット』!」と叫んだ。
ジェット水流によって推進力を得たアーマルドが、その影に向かって攻撃を行う。
その攻撃自体には手応えがあった。
だが、それは相手も同じである。
伸ばした前足に走った鋭い痛みに、アーマルドが声を上げる。
そして、それはモモナリに届いた。
「猛毒かよ」
恐らくその攻撃は『どくどく』
そのポケモンが本能的に覚えることはできない技だが、恐らく何かを仕込んだが。
「『じしん』!」
アーマルドは相手を踏み潰さんとするが、再び己の体を壁代わりに離れられる。
ただ逃げるだけ、時間を稼いで自らの身を『まもる』だけの行動に思えたが、モモナリはその行動の意味を理解しているし、今、自分が相手の思い通りに動かされていることにも気づいている。微笑みが、笑みになる程度には。
タイムリミットだ。
観客達は、対戦場の軋みが弱くなっていることに気がついた。
同時に、先程までは影しか見えなかった『すなあらし』も薄くなっていることに気がついている。
彼等はまず、対戦場中央に仁王立ちするアーマルドに目をやる。そして、今度はその対面にいるポケモン。
ワッ、と、彼等は声を上げた。
お目当てのポケモンだった。
その対面にいたのは、おすましポケモンのエネコロロであった。
モモナリの対戦相手であるサイダの相棒にしてエースだ。
ただそれを目にするだけで満足してしまった観客は、彼女らのあまりにも細やかな戦略感にまでは気づかない。
エネコロロの特性である『ノーマルスキン』は、彼女が放つ技をノーマルタイプにするという特殊な仕組みだ。故にカバルドンが『かみなり』に倒されるのも道理である。
モモナリはそのような戦略にすぐに気づいていた、サイダとは長い付き合いであったし、そのエースであるエネコロロの能力も判っている。
だからこそアーマルドであった。
ノーマルタイプの攻撃が今ひとつである岩タイプであり、『すなあらし』の状況下では『かみなり』のような特殊な攻撃に耐性ができる。短時間であまりにも正しい判断だが、前回サイダと対戦した時にも使用した連携であった。
だが、サイダはその上を行った。
レパルダスによる『わるだくみ』からの『バトンタッチ』によって『すなあらし』起動役であるカバルドンをきっちりと処理し、その後に現れるアーマルドに対しては『すなあらし』の時間切れを狙いながら『どくどく』を打ち込んで『かみなり』の圧力を強める。
才能だけでこの世界を生き抜くモモナリを相手に、確かな戦略とアイディアで渡り合って、否、この瞬間だけを見れば上回ってすらいるだろう。
サイダという女は、間違いなく強いトレーナーであった。
モモナリの指示を待たず、アーマルドがエネコロロに踏み込んだ。
暴走か。
だがモモナリはそれに驚かない。
その判断は正しい。
猛毒での体力の減少を考えれば、ここは速攻で勝負を決めるのが正しい判断だろう。
むしろモモナリのそのような発想を、群れの中で高いレベルで共有できている。
もちろん、サイダは迎撃の体勢。
「『かみなり』!」
その戦略の最後の仕上げと言わんばかりに、エネコロロの『かみなり』がアーマルドに直撃した。
猛毒状態による体力の低下を考えれば、一撃での決着も十分に考えられた。
しかし、アーマルドの突進は止まらない。
耐えきった。
急所を守る彼の『カブトアーマー』は、間違いを起こさない。
「『ばかぢから』」
技を打ち終わりスキのあるエネコロロに、彼の全身全霊のタックルが炸裂した。
その激しい攻撃を、エネコロロが耐えられるはずがない。
同時に、アーマルドもまた前のめりに倒れる。
猛毒による戦闘不能だ。
観客たちはどっと湧く。
エネコロロが、アーマルドと相打ちとなったのだ。見た目だけならば、それは快挙のように思える。
だが、モモナリとサイダの考えは違う。
モモナリは手持ち二体と引き換えに、相手の絶対的なエースを倒し、サイダは『バトンタッチ』までしてお膳立てしたエースが、たった二体しか抜くことができず倒れたのだ。
エネコロロを失ったサイダは、まるで集中の糸が切れたかのように、それ以降はズルズルといたずらに手持ちを失うだけのような敗北を喫した。
☆
「よう、少年!」
寂れているのに繁華街と矛盾した道を歩むモモナリに、かけられる声があった。彼にとっては聞き覚えのある声だ。
彼は気まずそうに「いやあ、どうも」と振り返る。
対戦場以来だ。
その女性トレーナー、サイダは、意地悪っぽく笑みを浮かべながらモモナリの肩を叩く。
「今までどこで何してた?」
「ええと」
彼は苦笑したまま続ける。
「晩御飯を食べてました」
「ほう、どこで?」
「えーと」
彼はやはり戸惑い、サイダから目を逸らしながらよく知るファーストフードチェーン店の名を口にする。
だが、彼女は「はい残念」と、モモナリ少年の頬をつねった。
「この辺にその店はありません、二駅隣りにあります」
パッ、と頬を離し、痛そうにそれを擦るモモナリを眺める。
それなりに力を入れてつねった筈であるのに、その赤みは目立ってはいなかった。
なぜならば。
「また呑んだでしょ」
彼はそれに少しだけバツが悪そうに沈黙した後に「はい」と答える。
だが、その肯定を聞かずとも丸わかりだ。
見るからに健康体の明るい肌は、露骨に赤く火照っている。
モモナリは内臓は強いかもしれないが、その健康な血管はわかり易く紅葉していた。
「モモナリくん、あなたはいくつですか?」
その質問にやはり少し沈黙してから「十九です」と答える。
「君ねえ」と、サイダは短くカットされた髪をかく。
「クロサワさんもこんなことばっかり教えるんだから」
「いいじゃないですか別に、もう十九ですよ」
「まだ十九なのよ。折角の若い内臓になんてことしてんの」
「そういうサイダさんだって呑んだんでしょ?」
「そりゃ飲むわよ、あたしは大人で、負けてるの」
「そりゃあ悪かったですね」
「ほんとよ」
これまでを大体見て分かる通り、サイダという女は、モモナリにとっては口うるさい姉のような存在であった。
年齢はモモナリの三つ上だが、リーグトレーナーとしては同期、危なっかし人生を歩む彼を心配する人間の一人である。
「今日はいけると思ったんだけどね」
飲み屋街からモモナリを引き剥がすように、光から離れるように道を歩くサイダは、ポツリとそう漏らした。
「良かったですよ」
それが今日のバトルについてだと疑うこともないモモナリは、彼女のその言葉にすぐさまに反応した。
「一瞬やばいと思いました」
「一瞬かあ」
新人戦にて、モモナリの溢れんばかりの才能を肌で知っている彼女はその言葉の勝ちを知るが、世間はそうではない。
また、サイダが勝てなかったというのがおおよその世間の評価だろう。
エネコロロをエースに据える変わった女性トレーナー。
エネコロロというポケモンのビジュアル的な印象も相まって、彼女らはリーグトレーナーとしては人気であった。解説に呼ばれればチケットは売れるし、バラエティ番組に出ればそれなりに視聴率が上がる。
だが、リーグトレーナーとして結果を出せているのかと言えば、そんなことはない。惜しい年が無いわけではなかったが、彼女らはリーグ参戦以降Cリーグを抜け出せていない。
「あの『かみなり』でアーマルドが落ちていれば、全然わからなかった」
「そうね、あたしとしては落とせる計算だったんだけど」
「アーマルドの一歩目が早かった。もう少し遅かったら猛毒で落ちていたかも」
「想定してた?」
「まさか、『どくどく』までは想定外ですよ」
「じゃあ咄嗟の判断だったわけ?」
「判断というより、アーマルドの動きにこっちが合わせた感じですよ」
「へえ、やっぱ違うわ」
「でもそれくらいなら、サイダさんとエネコロロだってできるでしょ?」
「まあね」
そう言ったきり、二人はしばらく歩いた。どこか目的地があるわけではなかった。ただ、分かれるには遅く、眠るには早い時間だったのだ。
やがて、サイダがモモナリの袖をつまんでいった。
「ねえ、飲み直さない?」
えっ、と、モモナリは微笑み半分驚き半分で言った。
「いいんですか? 未成年ですよ、俺は」
「まあ、そういう気分のときもあるわよ」
彼女は大分暗くなった周りを見回して続ける。
「ただ、やっぱり最近は協会がうるさいから、二人きりになれる場所で飲みましょう」
「そりゃいいや、サイダさんとだったらいくらでも喋りたいことがある」
「ええ、あたしも」
☆
二人きりになれる場所、というのは、モモナリにはあまり馴染みのない施設だった。
パネルから部屋を選び、顔に仕切りのされた受付に鍵を手渡され、後は誰にも合わぬままに部屋に直行する。
鍵を開けて中に入ればベッドはキングサイズのものが一つしかなく、それでいて清潔感は自分達が止まっているホテルよりもあるように思えた。
だが、別にモモナリはそれに動揺することはなかった、飲み直すというのだから、飲み直すのだろう、そのくらいの認識だ。
「なんか、狭いなあ」
部屋をぐるりと見回しながらモモナリが呟く。
「一番大きい部屋にしたんだけど」
「そうですか。じゃあ、俺買ってきますよ」
上着を当然のようにベッドに放り投げ、モモナリが言った。買ってくるのがアルコールであることは聞かずとも分かるだろう。
だが、サイダはそれを否定する。
「冷蔵庫に入っていると思うからそれから飲みましょ」
「良いんですか?」
「後で払えばいいのよ、さ、とってとって」
「人使いが荒いなあ」
無駄に大きなテレビの下に埋め込まれるようにしてある冷蔵庫を開けようとモモナリがかがむ。
サイダは、少しばかり緊張に唇を震わせながら。
腰のモンスターボールに手をやった。
「ねえ、サイダさん」
モモナリは、缶ビールを二本手に取りながら、ゆっくりと振り返る。
「そういうことをするには、やっぱり狭いですよ」
三体のポケモンが、繰り出されていた。
一匹は、エネコロロ。
低い姿勢を取りながら、モモナリに向かって牙を向けている。
一匹は、アーボック。
モモナリの前に立ちふさがるように、胸に描かれた恐ろしい模様を広げている。
一匹は、ゴルダック。
彼はサイダの背後に回っており、前足の爪を一本、首筋に添えている。
「油断させたつもりだったんだけど」
首筋の冷たさを感じながら引きつり笑いを浮かべるサイダに、モモナリが答える。
「俺を油断させたとしても、後の六匹はどうですかね」
「ベルトを外させれていれば違ったかしら?」
「さあ、俺のモンスターボールは開閉スイッチ切ってあるんで」
「はあ、敵わないわね」
ため息を付いて、少しばかり沈黙した後に彼女が続ける。
「良かった。モモナリくんで良かった」
その言葉の意味をモモナリが理解するよりも先に、彼女が顔に両手をやる。
「あたし、とんでもない事しようとしてた。モモナリくんじゃなきゃ、多分、あたし」
彼女はそれ以上を告げることができず、顔を抑えたままに膝を折る。
その息遣いに嗚咽がまじり始めていることには、誰だって気がつけるだろう。
「ごめんなさい、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう」
その様子に、モモナリは先程よりも強く戸惑い、ゴルダックに目線を向けた。
ゴルダックも彼の意図を理解し、ボールに戻る。
すでに彼女は驚異ではないように見えた。
同じく「いいぞ」とアーボックにも声をかける。
彼女はエネコロロとサイダをそれぞれ睨んだ後にボールに戻る。
残されたエネコロロは、一つモモナリに睨みを効かせた後にサイダの方に振り返り、両手のから溢れてきているものを舐め取ろうとした。
モモナリは、手にしていた缶ビールを冷蔵庫に戻してから、一人でベッドに腰掛けた。
時間が必要だと思ったのだ。
彼女が冷静を取り戻す時間ではない。
狼狽する彼女に同じく狼狽している自分自身を落ち着かせるための時間が必要だった。
あまりにも、彼は人間とのコミュニケーションを相手に任せすぎてきた。
「嫌になったの」
ひとしきりの謝罪の言葉の後に、ベッドに腰掛けた彼女は横にいるモモナリにそう漏らした。
エネコロロは彼女の傍に寄り添い、不安げに彼女を眺めている。
「あたし達にできる最高の状態であなたに挑んだ。結果、ダメだった」
泣き腫らした目を、三つ下の弟分に向けながら続ける。
「もう本当に、何もかもが、嫌になった。だからといって、許されることじゃないけどね」
「良いですよ、別に」
モモナリはベッドに座り直して続ける。
「こんな事これまでにも何度かあった。そして、謝ってくれたのはサイダさんだけです」
「モモナリくんは優しいよね」
「嫌なことはしないようにしてます」
その言葉に何も言わず、ふう、と息を吐いてから彼女はモモナリに問う。
「どうすればいいのかな? もう、あたしわからなくて」
モモナリは、それに対する答えを持ってはいた。
だが、それを提案することは、果たしていいことなのだろうか。
それを言うことは、何か彼女の大切な部分に、嫌な部分に踏み込むことなのではないかと、モモナリですらそう思っていた。
だが、彼は意を決して言った。
「パーティの編成を考え直しましょう」
サイダは、それに表情を上げ「そうか」と、その言葉に二、三度頷いた後に答える。
「やっぱり、そうなるよね」
「エネコロロを外せと言っているわけじゃないんです。主軸に据えるのではなくサポートに徹せれば役割を持てるはずです」
そう。
彼女のパーティには、誰の目にも分かる明確な弱点がある。
それは、エネコロロをエースに据えるという構造そのものだ。
残念ながら、リーグを勝ち抜くという観点からすれば、エネコロロというポケモンはエースには物足りない。元々美しい見た目が人気なおすましポケモンである。彼女をエースにしてバッジをコンプリートしたという事実自体が、本来ならば称賛されるべきことなのだ。
少しばかり長く、彼女は沈黙し、空いた手でエネコロロの背中を撫でる。
「すみません」と、モモナリはその沈黙を嫌って頭を下げる。出過ぎた真似をしたのかも知れない、それは、不必要なアドバイスだったのかも知れない。
じゃあお前は、ゴルダックを外せと言われて外せるのかよ。
「いいの、違うの。モモナリくんが悪いわけじゃないの」
彼女は首を振って続ける。
「むしろ君はこれまでずっとあたしにそれを言わなかった。いつもいつも、あれが良かったとかあれがダメだったとか。あたし達に向き合ってくれた」
モモナリにとって、それは当然だった。
自らのスピードに付いてくるからこそ、自らの読みについてくるからこそ、自らのアイデアに返してくるからこそ、彼女らの素晴らしさというものを、モモナリは対面から眺めてきたのだ。
だが、この世の人間すべてが彼女の対面に立つわけではなく、彼女の対面に立つ人間すべてが、モモナリのように彼女らの才能を受け止めるだけの度量があるわけでもない。彼女らの才能と努力を感じることができる人間は、少なかった。
だからこそ、人々はサイダに『エネコロロ』を外す選択を平気で投げつけてくる。
そんな軽い言葉と、弱み痛み全てをさらけ出した自分に対して投げかけられたモモナリの言葉を、誰が同じ熱量だと思えようか。
「でもごめん。それはできない」
その決意と、助けを求める自らの言動が矛盾していることくらい、彼女にも判っている。
彼女はエネコロロを引き寄せるように腕に力を込めて続ける。
「本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンで勝てるように頑張らないと」
その言葉に、モモナリは表情を固める。
有名な言葉だ。あるいはポケモントレーナーが発した言葉、理念の中で最も有名であるかも知れない。
ジョウト出身のトップトレーナーカリンのその言葉は、彼女を追い詰めるのには十分な強さをはらんでいる。
「違う、そうじゃない」
モモナリは、咄嗟にそれを否定する。
だが、その否定には説得力がなかった。
モモナリもまた、その言葉のファンであった。そして、サイダもそれを知っている。
だが、モモナリはそれでもその先の言葉を続けた。
目の前で底なし沼に足を取られている友人を救うために、彼はなりふり構わず手を差し伸べる。
「あんたが、あんたが一番エネコロロを知っているはずなんだ。だから、だから、あんたがエネコロロにその力がないと思うのなら。エネコロロをパーティから外したって良いはずなんだ」
「それはできない」
サイダは首を振る。
「君は手持ちをパーティから、弱さを理由に外したことはある?」
その言葉に、モモナリは押し黙る。
その経験は、モモナリには、無い。
その沈黙が、質問の否定であることを理解しているのだろう、彼女は無理やりな笑顔を作りながら続ける。
「何なんだろう。君と、あたしの違いって、何なんだろう」
モモナリも、それを考える。
一つ、答えらしきものはある。
確かに、モモナリのエースであるゴルダックも決して強いポケモンではないだろう。だが、その逆に、決して弱いポケモンでもないのだ。
だが、果たしてそんなことを告げることができるだろうか。
あなたのエースであるエネコロロは、弱いポケモンなんですよ。
言えようはずがない。
モモナリは気づかない。
あまりにもバトルを日常と考えすぎる彼の元に、弱いポケモンが集まるはずがない。そんな簡単な理屈に、まだ彼は気づけ無い。
サイダも同じだ。
彼等は、同じ目線を持っていない。
その単純な理屈を、お互いが同じ目線を持っていると盲信している二人が気づけるはずがない。
「ごめんね」と、今日十何度目かの謝罪。
「こんなこと言っても仕方がないって、判ってはいるんだ。だけど、どうしても、どうしても。あたし、怖いの」
彼女はエネコロロの背を撫でながら続ける。
「一緒に勝とうって頑張って、色んなことを調べて、特訓している内に、あたし、この子の事、だんだん嫌いになりそうで、怖いの」
再び、彼女の目にそれが貯まり始めた。
モモナリは、何とかしなければならないと思ってはいる。
だが、その質問に答えることができないのだ。
彼には無い感覚だった。
なぜならば彼は、事バトルにおいては、大体のことが出来てきたから。
満足の行く戦いをしてきた、彼が思う動きはポケモンたちもできるし、彼が出来ないと思う動きは、ポケモンたちも出来ない。出来ないことにポケモンへの怒りつのらせることなど、これまでの人生で何度あっただろうか。
だから彼は、同じ言葉を紡ぐしかなかった。
「サイダさんほどのトレーナーがエネコロロをパーティから外すことも、ポケモンを理解しているということだと思います。だから、だから、多分、そうしても良いんです」
何故か胸にこみ上げてくるものを感じながら、彼は続ける。
「だから、勝つためには、エネコロロを外しましょう。もしそれでなにか言ってくるやつがいたら、俺がぶっ飛ばしますから。何があっても、俺がサイダさんを守りますから」
サイダは、その言葉を、少なくともこれまで同じように言われてきた言葉と同じだとは当然思っていない。自分以上に、ここまで自分達について考えてくれた人間が、父以外にいただろうか。
彼女はエネコロロの背を撫で、目線を合わせる。
エネコロロは、微笑みかけるように彼女の瞳を覗き込む。
サイダには分かる。
彼女は、サイダの決断を尊重するだろう。
戦いたくないとか、戦いたいとか、安堵とか屈辱とか、そういうことではない。
とにかく彼女は、どのような形であろうとも、サイダと共にありたいのだ。
そういうところが。
サイダは、彼女のそういうところが愛おしくてたまらないのだ。
バトルが好きな自分についてきてくれた。
難しい連携の練習も頑張ってくれた。
どんなに巨大なポケモンが相手でも立ち向かってくれた。
勝ちたいからか。
勝ちたいから、そうしてたのか。
違う、違う、違うだろう。
一緒にいたいから。
サイダも、エネコロロも、一緒にいたいから。
彼女らは群れではない。
彼女らはパートナーであった。
「ごめんね」と、サイダは呟く。
それがエネコロロに対してのものなのか、それともモモナリに対してのものなのか、それともそのどちらにも向けられたものなのかは、わからない。
だが、彼女の決断は、次の言葉から明らかだった。
「あたしは、この子と一緒に道を歩きたいから」
彼女はエネコロロをボールに戻し、ベッドから立ち上がる。
「ごめんね、今日は一緒に飲めないや」
「ええ」と、モモナリもそれに答える。
「またいつか」
「またね」
静かに、サイダはドアを締めた。
しばらく、モモナリはそのドアを眺め、その後、ベッドに体を預けて天井を眺めた。
天井には、星空と星座があった。
何も、考えていないはずだった。
だが、様々な言葉が、浮かんでは消えていた。
それは時折文章となってモモナリの脳裏を巡ったかも知れないが、彼はそれに気づかない。
しばらく、彼は天井の薄汚れた星空を眺めていた。
やがて、モモナリの脳裏に言葉が浮かぶ。
「いいのか?」
その言葉を聞いた後に、モモナリはバネ細工のように跳ね上がった。
上着を手に取り、かけるように部屋を後にする。
廊下を見回し、非常階段の方に目をやった。
エレベーターでは、あまりにも時間がかかりすぎるような気がした。
彼は非常口から飛び出し、簡素な鉄階段を音を立てて降りていく。
「サイダさん!」
彼は叫んでいた。
「サイダさん!」
酔っ払っているわけではない。
むしろ、夜風が冷たく感じるほどに、酔いは覚めている。
「サイダさん!」
二階から飛び降りるように地面に着地し、彼はその路地に出る。
「特訓しましょうよ! サイダさん!」
切れかけた電灯と、建物の下品なネオンだけが照らす路地に、彼は続ける。
「まだまだエネコロロでもいけますよ! 特訓して、皆を見返しましょうよ!」
だが、それに返してくるものは居なかった。
もう二、三度、彼は同じようなことを叫んだかもしれない。
だが、誰もそれに返してくるものは居なかった。
「サイダさん! サイダさん!」
彼はその名を呼びながら、ネオンライトから離れていく。
段々と暗く、暗くなっていく路地に吸い込まれるように足を踏み入れながら、彼は珍しく息を切らし、汗をかいている。
一人だけであった。
暗い暗い路地の中に、自分一人だけであった。
誰も居ない、誰も居ない。
「サイダさん」
小さくそう呟いた後に、彼は立ち止まり、すでにサイダは遠くに行ってしまっているのだろうことに気がついた。
置いていかれた。
そう思った。
何か漠然と『置いていかれる』と、そう思った。
サイダが今季限りでのリーグ引退を表明したのは、それからほんの少ししてからだった。
それを『才能あふれる友人がリーグから去った』と捉えた人間は、果たしてどれほど居たであろうか。