208-彼等の時間 B
「本心だと思うよ」
エンジンシティジムリーダー、カブはそう言った。
未だにホウエンなまりの抜けないガラル語であったが、それでもロトムが変換する電子的な音声に比べれば、十分すぎるほどに温かみがあった。
その対面に座るホップはその言葉に驚いた。それはカブの返答そのものについてもそうであったが、何より、カブがその答えをよどみなく、考えることなく出したからだった。
「こっちでは有名な話さ『最後のチャンピオンロード世代』はね」
ホップは『最後のチャンピオンロード世代』という言葉が内包する意味はわからなかったが、それでも、それがモモナリというトレーナーを指しているのだろうということはわかった。
突然自分の前に現れたそのトレーナーを、ホップは兄であるダンデのエキシビションの相手であったということしか知らなかった。
だが、ホップが追うことの出来る言葉でどれだけその名を検索しようと、出てくるのは彼の経歴と手持ちのポケモンくらいだ。彼の人となりや『戦った後のことは戦った後に考えればいい』という勝負哲学を本当に持っているのかどうか問うことはわからない。
だから彼は、ホウエンにルーツを持つカブにそれを問いに来たのだ。ホウエンとカントー・ジョウトが近いことは、インターネットの情報でも簡単に入手できるたのだ。
「悪人というわけではないんだよ」
カブはホップがモモナリに何をされたのかを知っているわけではなかったが、それでも、自分に対してその質問があったということはどういうことなのかを逆算して言った。
「ただ、自分の欲望に限りなく素直な子だ。最も、それが悪人だということなのかもしれないけれど」
カブは注文していたカフェオレに手を付ける。エンジンジムのそばにあるそのカフェは、ジムリーダーやその知り合いたちのプライベートを尊重する隠れ家であった。
「戦ったんだろう?」
まるでそれが当然であるように、カブはそれを問うのではなく確認しようとする。
だが、ホップは「そういうわけじゃないぞ」と首を振った。
「ええ!」と、カブはそれに驚いてカップを倒しかけた。「失礼」と続ける。
「珍しい、前のときには至るところでふっかけてたのに」
「吹っかける?」
「ああ、そこらじゅうで野良バトルを仕掛けてね。僕とか、キバナ君とか」
とにかく、無茶苦茶な男なのだなと、ホップは理解した。
「気にしないことだよ。僕たちとは少し考え方が違うトレーナーなんだ」
「……羨ましいぞ」
意外なそのつぶやきに、カブは首をひねりながらその続きを待った。
「俺、『トーナメントに出てどうなりたいか?』って聞かれて、何も答えることができなかったんだぞ」
「……人にはそういうことを聞くんだね」
カブは呆れたように首を振る。
「焦ることはないさ、そう言うものは言われて無理やりひねり出すものじゃないし、確固たる決意があったとしても、それが失われることもある……かつての僕のようにね」
カブがかつてマイナー落ちを経験するほどのスランプを抱えていたことは、今更言われずともホップはよく知っている。
「カブさんは、今『何のために戦っている』んだ?」
「僕かい……? はは、この歳になってそれを口に出すのは恥ずかしいなあ」
だが、カブはそれを言った。それを言うことで、目の前の悩める少年が救われるかもしれないのならば、一時の恥などなんてことはなかった。
「僕はね、戦い続けたい。高みを目指し、巻き上がる炎の渦のように、いつか燃え尽きるその日までね」
その言葉は、悩める少年の助けになっただろうか。
☆
スパイクタウン、スパイクジム兼ライブ会場。
「『これはチャンスだ』と言ったばい」
新たなスパイクタウンジムリーダー、マリィは、トーナメントの一回戦で当たるはずの相手が不意に現れても嫌な顔ひとつせず、むしろその質問には当然といった風に答えた。
元々『ある騒動』を治めるために奔走した仲だ、ホップとマリィの仲は悪くない。
「チャンス?」
「うん、チャンピオンになれるチャンス」
シンプルな理屈だった。あまりのシンプルさに、その質問を投げかけたホップはあっけにとられたような表情になる。
「そうか! そうだぞ!」
「あたしはともかく、ホップやボーケさんにとっては滅多にないチャンスばい」
ジムリーダーとしてファイナルトーナメントに参加することの出来るマリィらと違い、ホップのようなアマチュアはチャンピオンを目指すのならばジムチャレンジに参加しなければならない。その手間と競争率を考えれば、トーナメントは効率がいいだろう。
「全く思いつかなかったぞ」
頭を抱えるホップに、マリィはさも当然といった風に言う。
「思いつかんかったちゅうことは、考えとらないうことやなあ」
彼女はステージに腰掛け、ホップをそこに誘う。普段は兄が歌うそこは、その日は誰のものでもなかった。
「ホップはチャンピオンになりたかばいけやなかやろう」
真っ向からそう言われれば、そうなのかもしれないとホップは思った。
兄であるダンデのようになりたいと思った、兄であるダンデを越えたいと思った。だが、それはチャンピオンになりたいことと同義ではない。
そして、目標であった兄がチャンピオンの座を降りた今、ホップの中で、チャンピオンという立場はランドマークではないのだろう。
「そうかもしれないぞ」
誘われるままに腰掛けるホップにマリィが続ける。
「難しい話やね、戦いたくないわけじゃなかろ?」
ホップはそれに頷いた。
☆
「『これはチャンスだ』と言ってたよ」
スパイクタウン、新たなジムリーダーの就任や前ジムリーダーの歌手活動専念などにより僅かながらに活気が出始めているそこでも、彼らがいるその酒場は、いい意味で人気がない。
たった二人だけ、カウンターに並んだ客は、薄暗いそこに似合わぬポップな酒瓶を傾けていた。
「マリィらしいですね」
元スパイクタウンジムリーダー、ネズは、伝え聞いた妹の言葉に表情を緩ませ、それを悟られぬようにグラスを傾ける。
「……いい酒ですね」
「だろう」
隣の男、モモナリはその言葉に喜んだ。
「誰に持たされやがったんです?」
ネズは喜ぶモモナリを一瞥しながら言った。
「あんたのセンスじゃない……質より量ってタイプでしょ、あんたは」
ネズがモモナリと会うのは二回目だ。
だが、彼はすでにモモナリというトレーナーの本質を掴み始めている。
「僕の友人が手掛けたものでね」と、モモナリは笑いながら言った。
「その言葉は、僕たち二人に対する褒め言葉だと受け取っておくよ」
「相変わらず、幸せな脳をしているようで」
「煽るなら、ポケモンを繰り出してくれないか?」
「……そういや、どうして今回は騒ぎを起こしやがらないんです? キバナなんか、あんたが来るとわかってから妙にピリピリしやがっているというのに」
前回、モモナリがガラルを訪れたときに、どのようなスタンスで、どのような行動を起こしたのか、ネズは体感していたし、腐れ縁であるキバナから散々愚痴を聞かされていた。
「それが聞いてよ」と、モモナリはうんざりといった表情を作りながら、自らの周りを浮遊するスマホロトムを指差す。
「こいつにはこの酒の友人の息がかかっていてね」
「ほう」
「僕が喧嘩をふっかけると、たちまちこいつが煩く鳴き声を上げて、その友人に連絡を飛ばすという仕組みになってるんだ。今はその友人もガラルにいるから、その気になれば十分程度で捕まっちゃう」
「捕まるって、居場所がばれるわけじゃねーでしょう?」
「なんかよくわからないけど、僕のいるところがわかるようになってるんだって」
そこまで聞いて、ネズは室内を響き揺らすほどの大声で笑った。さすがは歌手なだけあって、その声はモモナリの内臓が震えているのかと勘違いするほどだ。
「そりゃああんた、ひっ……子供……子供につけるような機能じゃないですか。あーっはっはっは!!!」
酒場の外で待機していたエール団の男達は、突然にボスの笑い声が聞こえたものだから何事かと身構えた。普段クールな『哀愁のネズ』がここまで笑うなど、かつてあっただろうか。
だが、男は酒場には踏み込まなかった。モモナリ前回の強襲を教訓に何があっても複数対一の状況を作ることが出来るようにはしているが、笑いが漏れているうちはそれを作る必要がないだろう。
「そこまで笑うことかね」
思いっきり馬鹿にされているというのに、モモナリは釣られて微笑むばかりであった。
「こりゃあ面白い、この友人とやらは頭のいい野郎ですね」
ネズは酒瓶を傾けてグラスにそれを注いでつづける。
「ますますこの酒が気に入りました」
「伝えておいてあげるよ」
「しかし、まだ妙な違和感は残ってやがりますね」
ふっふと微笑みを吐き逃してからネズが問う。
「あんたがそう簡単に捕まってくれるとは思えないし、それに、十分もあればあんたにゃ十分でしょう?」
モモナリという人間をよく理解している言葉だった。
そして、モモナリもそれに頷く。
「僕もね、最初はそう思った。だけど、あれを聞くとねえ」
「あれとは?」
「警報を鳴らされると、僕、今回のトーナメントの出場権を剥奪されるんだ」
「友人とやらは随分と力を持ってやがるんですね」
「うちのポケモンリーグ協会の理事だし、今回のこっちがわの責任者だからね」
「へえ、そりゃあ痛い」
グラスを傾けて、ネズが首をひねる。
「しかし待ってくださいよ、あんたからすりゃそれですら対したペナルティじゃありやがらないんじゃないですか? 舞台にこだわるタイプじゃないでしょ」
それもまた正しい分析であった。モモナリは舞台にこだわらない、彼の中では、一万人の観衆の前であろうと、誰も見ていなかろうと、バトルはバトルである。
「そうだね、別にそれも大したことじゃない」
「じゃあなんで」
「リザーバーとして、その友達が変わりにトーナメントに出場する事になってるんだよ。そんなの虐殺ショーだよ、悪趣味だ」
モモナリはグラスを一気に傾けて続ける。
「友達思いなんだよ、僕は」
「……いい友人持ちましたねえ」
お互いが少しばかり友人の味を楽しんで沈黙を作った。
そして、今度はモモナリが切り出す。
「君らしくもあったよ」
それが何のことかわからず、ネズは沈黙を続ける。
「妹さんのことさ」
「マリィですか?」
「『マリィらしい』と言っていたじゃないか」
ネズはそれが自らが馬鹿笑いをする前の話題であることに気づいた。
「マリィが俺らしいと?」
「そうとも」
モモナリは懐からメモを取り出した。
「どうしてチャンピオンになりたいのかと聞いたら『スパイクタウンのため』だと言っていたよ」
彼は、彼女のその目的を、ネズのそれと重ねたのだろう。
「君の妹だ。『あくタイプのカリスマ』を次ぐものとしてふさわしい」
ネズはそれを肯定も否定もしなかった。だが、悪い気はしない。
「一つ、聞かせてほしい」と、モモナリはペンを取り出した。
「君は、妹さんの戦い方についてどう思っているんだい?」
「マリィの?」
ネズはその質問に驚きこそしたが、その質問を不思議には思わなかった。彼自身、妹と自分の『違い』をよく理解している。
「君の妹さんの試合を見させてもらったんだ」
そこで一拍おいて、ネズの機嫌を伺いながら続ける。
「使っていたね『ダイマックス』」
意外な質問、というわけではなかった。モモナリだけが気づくような質問というわけでもないし、誰もが思いつく質問だろう。
元スパイクタウンジムリーダー、ネズがダイマックスを使わない『ノンダイマックス戦法』の使い手であることは今更説明する必要がないほど有名であるし、彼がそのような戦術を引っさげながらもメジャージムリーダーの二番手という立場であったことも事実だ。
故に、その意志を継ぐマリィが、ああもあっさりとダイマックスを戦術に組み込んだことを以外に思う人間は腐るほどいるだろう。
「もちろん、君の妹さんが君より劣っているというつもりはないさ。ただ、君がどう思っているのかが知りたいだけだよ」
ふん、と、ネズは鼻を鳴らした。取って付けたような言い訳にも聞こえるが、恐らく本心だろう。
「好きにすればいいんですよ」
それは、捉えようによれば彼女を肯定しているようにも、突き放しているようにも取れる言葉だった。
だが、モモナリはそれを疑問に思うことなくメモをとる、彼の中でその答えの意味は固まっているようだった。
ネズは続ける。
「俺は好きでダイマックスを使わなかったんです。マリィがダイマックスを使いたいのならば使えばいい」
彼はモモナリがペンを止めるのを待って更に続ける。
「つまらないしがらみにとらわれないことも、悪には必要ということですよ……大事なのは目的だ、手段じゃねーですよ」
そういうネズの表情は柔らかかった。
「なるほどね。手段は違えど、目的が同じである信頼があるわけかい」
モモナリは同じように微笑みを浮かべて言う。
「君たち二人は、自分ではない誰かのために戦っているよね。僕には理解できないよ」
その言葉に、ネズはグラスを傾けてから答えた。
「だからオメーは、カリスマになれねーんですよ」
挑発的な物言いだったが、モモナリは微笑みを崩さなかった。
「違いない」