208-彼等の時間 @
永遠のようにも思えた英雄の治世が終わりを迎えたことは記憶に新しいが、それを圧倒してみせた新たな英雄の実力も記憶に新しい。伝統的なカロス地方との対抗戦でも優秀な成績を収めており、その英雄が少なくとも『欠地王』のような愚鈍ではないことは、ガラルの民にとって喜ばしいことであった。
それだけに、突然に開催を宣言されたそのトーナメントは、彼らを喜ばせるに十分なものだった。
トーナメントの規模自体は大きくない、むしろ出場選手は四人であるから小さい方だ。その内容も、優勝者がチャンピオンと戦うという決まりきったもの。
だが、そのメンツは普通ではない。その出場者に名を連ねるのは、第〇〇期チャンピオンカップセミファイナルトーナメントの面々なのだ。
第〇〇期チャンピオンカップセミファイナルトーナメント、そのベスト四、後のチャンピオンを含むその四人のハイレベルな激戦は、彼らのその後も含めてすでに伝説となりつつある。
その四人が一堂に会するそのトーナメントは、まさにその伝説の再現であり、全てのガラルリーグファンが望む催しであった。
だが、このトーナメントには問題が二つある。
一つ、このトーナメントが発表されたその時、チャンピオン以外の出場者たちは、まだその招待を受けてはいなかったということ。
そしてもう一つ、チャンピオンが決勝で待つというシステム上、セミファイナルトーナメントの出場者は三人、このままではトーナメントを開くことができない。
残った一つの枠を、ある他地域からの招待選手で賄うことが発表されたのは、そのトーナメントの発表後数時間してからだった。
☆
そのトーナメントの出場者の一人であるホップが、どうやらそのトーナメントに自らがエントリーされているらしいということを知ったのは、その発表から三日後、テレビの電波もラジオの電波も通らず、インターネットなど果たして何者だろうかと言うようなガラルの辺境からブラッシータウンに帰ってきたその日。駅に降りるなり地元の知り合いたちがこぞって自分に向かってきたときだった。
なんだなんだといくつもの質問をされたが、ホップはそのどれにも要領を得た答えを返すことは出来なかった。当然である、そのトーナメントに関しては、全くの無知なのだから。
「なんか、大変なことになってるわね」
助手であるホップにエネココアを差し出しながら、新進気鋭の若手博士という立場になったソニア女史が言った。
「まったくだぞ」
机に突っ伏したままのホップは、心底疲れ切った声で答える。
ソニアの手伝いとして、もしかすればガラル神話の手がかりが眠っているかもしれないガラルの片田舎まで調査に行っていたのだ。結果として収穫はなかったが、収穫がなかったという収穫があったわけだからそれは良い。
だが、地元にてようやくマットレスのあるベッドで眠れると思っていた矢先の一騒動である。緊張を解くタイミングが逃れたホップがクタクタになるのはある意味当然のことだった。
「しかも、許可取ってないんでしょ?」
「なんにも聞いてないぞ」
「無茶苦茶ね、そういうところはダンデくん色出さなくてもいいのに」
出場者に許可を取らないままにトーナメントにエントリーさせるなど、例えば脆弱な運営基盤を持つような興行であればありえるのかもしれないが、チャンピオン防衛戦を含めたガラルリーグ協会が絡むものとしては異例だろう。
ローズが委員長であった頃にはありえないことであったが、彼の辞任後新たに委員長となったダンデの自由っぷりを知るソニアは、それもありえないことではないのかもしれないと感じる。
「連絡はあったか?」
「いいや、全然」
「そっか」
チャンピオンとホップが幼馴染の仲であることはすでに説明するまでもないほどに有名な話だ。もしチャンピオンに思う所があればホップに連絡を入れることは可能であるし、何よりそれぞれの家は近所にある。その気になれば寝込みを襲うことすら可能だろう。
「どうするつもりなの?」
ようやく体を起こしてエネココアに手を付けたホップに、ソニアが問うた。
「もし出るなら、スケジュールに余裕を作ってあげるわよ」
ダンデの幼馴染であり、そのワガママに付き合ってきたソニアは、とても理解のある上司だ。その言葉には、トーナメント当日だけではなく、特訓の時間も取ってくれるという意味があるだろう。
すぐさまに首を縦に振ってもいいほどの条件であったが。ホップはそれにすぐに答えることは出来ず沈黙を返した。
それを不思議がったソニアが問う。
「出たくないの?」
ホップは小さく唸ってからそれに答えた。
「出たくないってわけじゃないけど、ちょっと急な話すぎてすぐには答えられないぞ」
「珍しいじゃない、いつもはホップからふっかけてたのに」
「昔の話だぞ」
一つため息を付いてから続ける。
「どうして、今になって誘ってくるんだ」
伝説となったセミファイナルトーナメントを最後に、ホップと現チャンピオンの間に公式戦はない。もちろん、チャンピオンが望めばホップを公式戦に誘うことは出来ただろうし、その様な手順を踏んで公式戦に誘われたジムリーダーも存在する。
だが、現チャンピオンはこれまでホップをトーナメントに呼ぶことはなかった。
それは『ある騒動』を境に学問としてのポケモンを極める決意をしたホップに対する遠慮であったかもしれない。だが、それならば何故このタイミングで呼ぶ必要がある。
「俺にはわからないぞ」
チャンピオンは好きだ、チャンピオンとのバトルも好きだ。だが、だからこそ、その誘いに純粋に乗ることが出来ない。
ようやく、勉強に慣れてきたところだ。
何を調べれば良いのか、何が注目すべきところで何が注目すべきではないところなのかが朧気に分かり始めてきたところだ。だからこそ、ソニアは自分を一人で研究に向かわせてくれたのだ。
もし、ここでこの誘いに乗り戦ったとして、それが何よりも楽しかったら、自分はどうするべきなのか。
果たして自分は、自分で決めたこの道に、再び戻ってくることが出来るのだろうか。
その自信を、ホップはまだ持てない。
☆
その男がこれ程までの歓声を身に浴びるのは久しぶりのことだっただろう。
ヤマブキシティ、ヤマブキスタジアム。
満員となった観客たちの視線と歓声は、スタジアムの中央で優勝カップを掲げる一人のトレーナーに向けられている。
当然だ、その男こそが今年のシフルトーナメント覇者。今夜の主役。
カントー・ジョウトリーグAリーグトレーナー、モモナリは、そのカップを掲げることにさして緊張している風ではなかった。見た目より軽く作られているそれに、彼はそれ以上の重みを感じてはいないようだ。
『モモナリ選手! おめでとうございます!』
めかした女性アナウンサーが、スポンサーロゴの入ったバックパネルが十分に画角に入るように最新の注意をはらいながらモモナリにマイクを向けた。
「ええ、ありがとうございます」
モモナリはめかしたアナウンサーにも、自身に近づくカメラマンにも特に緊張はしていない風に見える、彼らの腰にモンスターボールがないからだろうか。
『優勝した瞬間、どの様なお気持ちでしたか?』
当たり障りのない質問だったが、必要のない質問でもない。モモナリがシルフトーナメントの初開催からの上位常連選手でありながら、常に優勝に届くことのない選手であったことは、これまでさんざん彼のプロモーションビデオで紹介されてきた。
シルフトーナメントの面白さは、順当というものが存在しないことだ。
二日に分けて行われる本戦トーナメントでは試合間のポケモンの回復が禁止される、もちろんその様な状況でも相手に大差をつけて勝つ力であったりとか、パーティを運用する能力が重要にはなるだろうが、運の要素も重要になるだろう。
最も、その様な状況がリーグ戦と違って豊かでドラマのある上位者を生み、新たなスターを生むこともある。
それでいて予選大会は回復有りの通常ルールで行うのだから、最低限の足切りは出来ている。ある種において理想的なシステムだ。
「ようやくこのカップを持つことが出来るんだなって思いましたね」
『やはり重みを感じますか?』
「いや、結構軽いですね。片手で持てますよこれなら」
ほら、と優勝カップを雑に左手で持ち上げるモモナリに、女性アナウンサーは『うふふ』と、その行動が笑いを生み出すためのジョークであるのだという既成事実を強引に作った。
『決勝戦に向かう前、どのようなことを考えておられましたか?』
「さっきの試合すごかったなあって思ってましたね」
『ワタル選手とクロセ選手の試合ですか?』
「ええ、あれが事実上の決勝でしょうね。ワタルさんかっこよかったですよね」
アナウンサーはそれには何も返さなかった。
確かに準決勝のワタル対クロセ戦が激戦であり、わずかながらにそれを制したワタルの有志は、もしかすれば優勝者であるモモナリよりも光り輝いていたかもしれないし、アナウンサー自身も、目の前の打っても響かない男よりもワタルの方に魅力を感じているかもしれない。。
だが、ここでそれに同調してしまえば、今度は優勝者に対する尊敬がないとか、クロセに対する配慮がないとかなんとかでSNSを賑やかしてしまうかもしれない。面倒な時代だが、マスコミの最前線らしく彼女はそのようなものに敏感であった。
『モモナリ選手はワタル選手に比べて余力のある状態でしたが、そこは意識されていましたか?』
少し失礼な質問かもしれないが、ここは切り込まなければならない質問だ。
クロセとの試合で、ワタル本人も手持ちのポケモン達にも相当の消耗があったことは明白だ。それに対してモモナリはワタルらに比べれば余力を残して決勝に臨んでいる。
「意識? 意識ってどういう事?」
『ええと、有利を感じていましたか?』
「そりゃ感じるでしょ」
首を傾げながらモモナリが続ける。
「この試合形式で体力的にはかなりこっちに分があったんですから、そりゃ有利は感じましたよ」
『では楽な気持ちで対戦に臨めましたか?』
「まさか、例えば立場が逆だったとして僕は諦めませんよ。相手がトレーナーで、諦めていないのならなんだって起こりうるでしょ」
『気を抜くことはなかったと』
「この世界にワタルさんを相手に気を抜くことが出来る人間なんていないと思いますけどね」
モモナリの表情が曇った。
機嫌が悪いわけではないのだろう。だが、モモナリは要領を得ない質問をしてくるアナウンサーを少し疑問に思いつつあった。
そして、アナウンサーもそれを感じている。彼女だって好きでその様な質問をしているわけではない、だが、物事にはセオリーというものがあって、カメラの向こう側にいる視聴者というものは、その大抵がトレーナーという人間の生き方を知らないものなのだ。
だが、こなさなければならないセオリーももう終わりだ、そのカメラがスタジオに戻るより前に、彼女は自身が聞きたいことでもある質問をぶつける。
『この試合に勝利したことで、ガラルで行われるトーナメントへの出場権を手にしたことになりますね』
そうだ。
この年のシルフトーナメント優勝者は、賞金やスポンサー契約の他に、一カ月後にガラルで行われるチャンピオンへの挑戦者を決めるトーナメントへの出場権が与えられる。ガラルポケモンリーグ協会からの要請があったのか、カントー・ジョウトポケモンリーグが政治力を発揮したのか、それともまた別の理由があるのかはわからないが、とにかく、モモナリはそのトーナメントの出場者の一人となった。
「ああ、そうですねえ」
その話題に、モモナリはわかりやすく表情をぱっと明るくさせた。
「楽しみです」
『モモナリ選手は一度ガラルのエキシビジョンに参加したことがありました。その結果を踏まえてなにか考えていることはありますか?』
「ええ、一度ダンデ君と戦いましたね。あの頃に比べたらポケモンの入国規制も幾分か緩和されているらしいですし、もう少し自分を出せるんじゃないかなと思っています」
『ダイマックス戦法についての研究は行うのでしょうか?』
「研究と言える研究はしないと思いますけど、まあ、使いたくなったら使いますよ」
中継の終わりが迫っている。アナウンサーは更に自分の聞きたいことを問う。
『今回のガラルでのトーナメントはチャンピオンを含めた出場選手の若さから『フューチャートーナメント』と呼ばれています。ベテランであるモモナリ選手はこの『若さ』に対してなにか感じることはありますか?』
先程までの質問と同じ様な、抽象的な問いであった。
だが、モモナリはそれにスラスラと答える。彼の考えの中にすでにあったものだったのだろう。
「ダンデくんですら僕より若いというのに、新しいチャンピオン達はそれよりも若いらしいですね。若い感性からは勉強になることが多いですから、いい刺激になると思います」
一つ息を吸い込んで、モモナリは一言それに続ける。
「ガラルの未来を味わうのが、今から楽しみですよ」