セキエイに続く日常
13−愚かな勝負師
「あんたのウルガモスと戦いたい」
 カントーポケモン協会職員、オークボはいま眼の前にいる男がとんでもない馬鹿であるということは知ってはいたが、まさかここまでの馬鹿だとは思っていなかった。
「オークボ君、彼はなんと?」
 イッシュリーグチャンピオン、アデクのその言葉に、オークボはどう返そうか悩んだ。なんとか丸く収めることはできないだろうか、と考えたが、どう考えてもそれは無理だろうと思われた。
 カントーで開かれたイベントに招待され、そのオフにでジョウトに訪れたというアデクに、イッシュの言葉が理解できるオークボはエンジュの案内役をかって出た。旅好きだというアデクはエンジュのエスニックな雰囲気を大変気に入り、オークボも大仕事をなんとかやり終えそうだと言う事にホッとしていた。
 そこに現れたのが目の前の男、リーグトレーナーモモナリである。Bリーグ一期目にしてここまで全勝で走り抜けているまだ若いそのトレーナーは、明らかに切望の眼差しをアデクに向けていた。
 オークボはすぐさま彼の意図を読み取った。そして、こうなってしまったモモナリが話し合いでどうこう出来る相手でないことも理解していた。彼はもしものためにと引き連れていた腕のたつエンジュジムトレーナーを数人立ち向かわせたが、まるで駄目。
 イッシュでもこのようなことが無いわけではないのだろう、今度はアデクに付き添っていたイッシュのトレーナーがモモナリに立ち向かったが、これも駄目。そして彼は、あろうことかイッシュリーグのチャンピオンに宣戦布告してしまった。
「彼はつまり、あなたと、あなたのエースと戦いたいと」
 アデクはその言葉にさして驚きはしなかった。ふんふんと鼻を鳴らしてうなずき、オークボに向けて一つ笑顔を作った。
「今彼が倒したトレーナーはな、イッシュリーグでも指折りの『プロ』でね。腕自慢の素人やいきのいい若手を転がすのが得意なんだ。彼に勝ったということはこの若いトレーナーは相当に腕が立つね」
 そしてじっとモモナリを観察し「不思議なトレーナーだ、こんなことをしているのに、強さに飢えているわけでは無い」と分析する。
「良いだろう」
 アデクは首に下げたボールを手にとった。それを見て、モモナリは心底嬉しそうにニッコリと笑った。
 馬鹿、辞めろ。オークボは殆ど祈るように天に懇願した。今ならまだ、自分の力でなかった事に出来る。アデク氏はエンジュを大変に堪能したと報告できる。だから辞めろ、辞めるんだ。これ以上はもう庇いきれない。
 こんな大切な時期に、馬鹿なことをするんじゃない。






 カントー・ジョウトポケモンリーグ、Bリーグの最終戦は全ての組み合わせがそれぞれ違う町で一斉に行われる。Aリーグへの昇格とBリーグへの降格が決まる最終戦に、余計な紛れをなくすための措置だ。
 今期のBリーグ戦は、中堅選手のカトーが現時点で八勝二敗と最終戦の勝敗に関わらず自身初のAリーグ昇格を決めている。BリーグからAリーグへの昇格枠は二つ。残ったもう一つの枠は、現時点で七勝三敗で並んでいるシバとモモナリ、Bリーグ最終戦で顔を合わせる二人の勝者のものである。
 キキョウシティ、ポケモンリーグ対戦場控室。
「モモナリ、いらねー三敗でミソは付いてるが、おめーはここまで全勝だ、何も気負うことはない」
 クロサワはモモナリに炭酸ドリンクを手渡しながらそう言った。
 カントー・ジョウトリーグの若手が、観光中のイッシュリーグチャンピオンを襲った。この事実にカントーポケモン協会はついに怒り狂った、本来、チャンピオンと戦うということは幾多もの難関をくぐり抜けて初めて成せることなのである。これまでにもモモナリについてそのようなトラブルがなかったわけではないが、それらは全て国内でのこと、馬鹿な若者が馬鹿なことをした、強いトレーナーと戦いたいというモモナリの心理自体もわからないわけではないし、相手からの抗議の声もないから今回は大目に見ようか、と見て見ぬふりをしていたカントーポケモン協会も、異国の有名人に手をかけたとなると話は別である。ある程度の処置はしなければイッシュ地方に対して示しが付かないし、モモナリに対してもいい加減にしろと、堪忍袋の緒が切れたのだ。
 カントーポケモン協会が下した結論は『モモナリの三ヶ月間の公式試合謹慎』である。それはつまり『リーグ戦三試合の不参加』を意味していた。これまで五戦を全勝と昇格レース独走態勢だったモモナリに対してこの処置はあまりにも重い、モモナリのBリーグ一期抜けは厳しくなったと誰もが思った。
 ところがモモナリはそこから見事に盛り返したのである。復帰してからの二戦を見事に連勝し、七勝三敗という好成績で昇格レース最終戦にもつれ込んだのだ。協会からのペナルティで文章上三敗はつけられているが実質的にはBリーグを無敗で突き進んでいる。
「相手はシバだ、アウトボクシングに徹すりゃお前なら危なくもならない。カポエラーもグズをカモにしているだけでトップから見れば遊びだ、変に動きについて行かなきゃ自滅する、シバはそういう男だ」
 クロサワはこのように言うがシバは四天王としてレッドとも闘った古豪トレーナーの一人である。ポケモンと共に自らの鍛錬も怠らないタイプのトレーナーで、精神力はポケモンリーグでも随一と言われている。しかし、近年ではそのあまりにも一直線なスタイルが対応されることも多くなり、Aリーグでは苦戦を強いられている。
 モモナリは「はあ、そんなもんですか」と気の抜けた笑いを見せた。Aリーグに上がれるか否かの一戦を前にしている若手とは思えないが、しかしそれこそがいつものモモナリだとクロサワは安心した。
 控室のドアがコンコンとノックされた。「どうぞ」とモモナリがそれに答えると、眼鏡を掛けた中年トレーナーがお徳用サイズの炭酸ドリンクを両腕に抱えて現れた。カントー・ジョウトポケモンリーグCリーガーのトミノだった。
「モモナリ君」
 トミノは抱えていた炭酸ドリンク二つを床に置くと、つかつかとモモナリに近づいてその両手をぐっと握りしめた。その突飛な行動にモモナリはもちろんクロサワも驚いた。
「私はシバさんの大ファンだが今日だけは君を応援しようと思っている」
 キキョウのポケモントレーナーズスクールでアルバイトをしているというトミノの声はデカイ上によく通る、クロサワは耳を掻いた。
「君のような若者に協会の仕打ちはあんまりだ」
 協会のモモナリに対する処分については、リーグトレーナーの殆どが妥当と感じていたが、ごくごく少数に限りやり過ぎだという声もあった。トミノはそのうちの一人であったが、彼にはさして影響力がなかった。年齢こそモモナリの一回り以上、クロサワよりも幾つか上だったが、リーグトレーナーとしてはモモナリと同期の超遅咲きトレーナーだったからである。
 トミノの激励にモモナリは「それはどうも」と会釈し、ちらりとクロサワを見やった。トレーナーは才能が全てと考えているクロサワにとって、遅咲きで才能の欠片も感じられないトミノは侮蔑の対象だった。
「おっさん、あんたはまず自分の心配をするべきだろう。今期の成績も良くないようだし、Cで勝ち越せないとなると引退も視野に入れたほうが良い、あんたならそのほうが稼げるだろ」
 渾身の皮肉だったが、トミノはクロサワの方に向き直って、感動に声を震わせながら答えた。
「返す言葉がないよ、Aリーガーの君にまで心配されて自分が情けない。私自身のレベルアップが必要なのはご指摘のとおりだ、だから今日はモモナリ君の戦い方を大いに学んで帰るつもりだし、クロサワ君にも幾つかご教授してもらえるとありがたいな」
「お、おぅ」とクロサワはたじろぎ「相変わらずあんたしんどいな」と顔をひきつらせた。クソ真面目な上に事実を事実として受け入れられるトミノはクロサワの苦手なタイプの人間だった。





「勝ちに徹すれば絶対に勝てる相手なんだ」
 モモナリを見送った後、クロサワとトミノはそのまま控室に残り、中継のモニタから試合を見守ることにした。モモナリとシバはすでに入場を終えており、審判員からルールの説明を待っている。
 観客からの指示は半々、もしくはややシバの方に歓声が偏っているといったところだろう。傍若無人で何を考えているかさっぱりわからないが目の覚めるような強さを見せつける勢いのある新人であるモモナリの支持層と、寡黙で目立つことはしないが、闘争心を対戦場に具現化したかのような熱い試合を見せるシバの支持層ははっきりと別れている。
「勝負に絶対という言葉はなかなか出てこないのでは?」
 勝負の行方を断言するクロサワに、トミノは首を傾げた。クロサワはこれみよがしに舌打ちをしてみせた。
「凡才にゃあ分かんねんだろうがシバに関しては絶対がある。だから奴はAから落ちたんだ」
「良ければ、理由を教えてほしいな」
 トレーナーズスクールで教鞭をとるトミノにとって、クロサワのように不躾な存在は慣れたものだった。むしろ子供のように意味の分からない行動をするわけではないのでそれらの比べれば大分素直な男だとすら思っている。
「奴は古い」とクロサワはハッキリと切り捨てた。
「確かにシバ自身は『本物』のトレーナーだ。奴はその戦いの中に人生を投影することができるし、人間として度胸もすわっている。トレーナー本来の目的である『野生への対抗』を最も達成しているトレーナーの一人だろう、だが、時代が悪い」
 クロサワはトミノを指差して「あんたはチャンピオンロードを抜けてないだろう?」と続ける。
「シバのように古いトレーナーが想定しているのは『野生のポケモンが自らに襲いかかってくる』という状況だ、相手がこちらに対して明確な殺意を持っているという『暴力対トレーナー』という前提のもとに成り立っている。だが、今のポケモンリーグにそれはない、ちょろちょろとアウトボクシングしてじわじわと倒す『トレーナー対トレーナー』の想定をしていないし、それに合わせようとしていない。だが、時代はとうの昔に『トレーナー対トレーナー』に移行しているんだ」
 ここで一つ間を開け、トミノが意見を言わないことを確認してさらに続ける。
「もちろんそれは悪いことじゃねえ、トップクラスのトレーナー達の技術が『暴力』に対してある程度の答えを出したということだ。これからは『技術』と『知識』を高めていく時代なんだ。事実ワタルやイツキはそれに合わせて来ているし、俺達だって上手く対応しようとしている。だが、あの男はただ一人それを辞めねえんだ、だから絶対がある、あの男の土俵に入りさえしなければあの男はそれに対する抵抗手段をほぼ持たない、手持ちの殆どが近接戦闘系の格闘タイプだぜ? 最近じゃカポエラーでテクニックも見せてるが結局は同じこと」
 トミノはクロサワの説明に「なるほど」と感心し、しばらく頭の中で情報の整理をした後に「しかし」と問うた。
「シバさんはBではきちんと結果を残していますよ、事実これに勝てば昇級なわけですし、私もシバさんの試合は全て追っていますが、勝った試合は殆どシバさんの格闘ポケモンの素晴らしい技術が光っています」
「あんたは本当に素人だな。全て追ってるならだいたい分かりそうなもんだが」
 いいか、と指をふる。
「Bの連中も馬鹿じゃねえ、シバ相手にアウトボクシングしてりゃあ勝てるくらいのことは分かってる、頭ではな。だが、それが現実に出来るかどうかはまた別問題。シバ相手に効果的なアウトボクシングする事自体も技術が必要だし、もし仮にできたとしてもそれに徹するには相当な自信と精神力が必要だ」
 精神力ですか、とトミノは首をひねった。これまでのクロサワの話ではアナログのシバとデジタルの新時代のような印象だったが、ここに来て新時代に精神力が求められているとは思わなかった。
「アウトボクシングってのはダメージを稼げねえ、エスパータイプでドカンといけりゃあいいが、その隙にシバが黙ってるわけもねえしな。辛抱強く耐え続けるシバとそのポケモンにある種冷酷にヒットアンドアウェイを続けるってのは並大抵のことじゃねえ、どっかで妥協して安易に仕留めに行くと」
 パン、とクロサワは手を叩く「終わりだ」
「それに、あんたも知ってるだろうがシバの精神力ってーのは並大抵もんじゃねえ。伊達に山にこもってねえよ。Bリーグのシバってのは精神力で対戦相手を押しつぶしてるようなもんだ」
 はあー、とトミノは再び深く感心した。
「やっぱりAリーガーの話はためになるねえ、今度トレーナーズスクールでその話をさせてもらうよ」
「おう、だが勘違いすんなよ、スクールってのはリーグトレーナーを育てるところじゃねえ、『暴力』から自分と仲間を守るためのトレーナーを育てるところだ、あまり深入りはさせんなよ」
 ええ、というトミノの返事の後、少しだけ沈黙が流れたが。「なあ」とクロサワがトミノに声をかけた。
「おっさん、あんたマジで引退考えてないのか?」
 トミノはその言葉に全く不快感を示さず、ニコリと笑って「ええ、まったく」と応える。
「あんたタマムシ大学出てんだろ? 正直こっちの才能無いし、やめれば今すぐにでも今の二倍は稼げるぜ」
 トミノはリーグトレーナーとしては異端中の異端である名門タマムシ大学院博士課程卒業生である。ジムバッチ八つを所持している博士は世界的にも稀であり、携帯獣学の権威であるオーキドの後継者として期待されていたが、彼はなぜかリーグトレーナーとしても道を選んでいた。
「私は、この世界に憧れていましたから」
 目を輝かせるトミノに、クロサワは深く深くため息を付いた。
「家族とかなんか言わねえのか」
「いえ、妻も応援してくれてますし」
 妻、という言葉に、クロサワはズルリと椅子から滑り落ちそうになった。彼は何とか体勢を建て直して「あんたも大概馬鹿だなあ」と笑うしか無かった。

 エビワラーの目にもとまらぬスピードの『マッハパンチ』を、アーマルドは正面から受け止める。
 その後も二発、三発と更に打ち付け、アーマルドの巨体から鈍い音が響き渡るが、アーマルドはエビワラーを離さない。
 アーマルドはエビワラーを持ち前の『ばかぢから』でぶんまわし、地面に叩きつけた。更に背中から勢い良く水を吹き出し『アクアジェット』で追撃。
 大きく吹き飛ばされたエビワラーは何とか空中で体制を整え、着地とともに再びアーマルドに向かう。
 同じ技は二度喰らわぬと、マッハパンチを『まもる』したアーマルドは小さいが確実に一歩後退してそれに備える。しかし、エビワラーはワンテンポ遅らせた『フェイント』で無理やりアーマルドのガードをこじ開け、鋼のように固く握られた『バレットパンチ』が降り注がれる。アーマルドの巨体がぐらりと揺れた。
 チャンスともう一撃を欲張ったエビワラーに、アーマルドの巨大な爪が振り上げられる。エビワラーは『つばめがえし』をモロに喰らい、片膝をついた。
「素晴らしい攻防だ」
 モニターを凝視していたトミノが思わず叫んだ。その言葉通り、一見直線的に見えてお互いがお互いの動きに合わせて柔軟に対応している一連の攻防は、観戦しているトレーナーが唸ってもおかしくない。
 笑みすらこぼれているトミノに比べ、クロサワの顔色はよくない、祈るように両手を組み、恐る恐る試合展開を眺めている。
「必要なのは良い試合じゃねえ、勝てる試合だ」
「しかし、ここまでは一進一退、この試合展開でモモナリ君がここまで力を発揮するなんて」
「そんな事は奴の才能に少しでも触れていたらわかる。しかし、アウトボクシングしろと言う俺のアドバイスとはまるで逆、始めっからインファイトど真ん中。あまりにも欲を出し過ぎだ」
 モニターの中で、アーマルドとエビワラーが同時に倒れた。残る手持ちはお互いに二体。
「欲?」
 クロサワの言葉にトミノが首をひねる「欲とは一体」
「勝負師として、勝負に徹するという欲、相手のすべてを受け入れ、堪能したいという食欲にもよく似た欲。才能を持ってしまったがゆえに芽生えてしまったただ勝つだけと言うのはつまらないという信じられない程のうぬぼれ、あまりにもヌルい、ヌルすぎる」
 しかし、とクロサワは続ける。
「今日に至るまで、誰にも咎められなかった。本人がやりたいようにやって、それで勝てていた」





 ポケモンの回復を終え、控室に戻ってきたモモナリを、トミノが出迎えた。
「モモナリ君、見事な試合だったよ」
 何一つ偽りのない言葉だった、事実今日シバとモモナリが見せた試合は観客を魅了するに十分なものだった。元四天王シバは久しぶりに己の力を十分に発揮し、モモナリは誰もが恐れるシバの猛攻に真正面から立ち向かい、最後の一瞬まで気を抜かなかった。
 そして、モモナリは負けた。Bリーグで、否、リーグ戦で初めての黒星だった。BリーグからAリーグに昇格するのは、中堅選手のカトーとベテランのシバである。
「俺も、そう思いますよ」
 モモナリはニッコリと笑っていた。しかし、子供の表情の変化に敏感なトミノは、そこに少しばかりの悔しさがあることを見ぬいた。
 モモナリもまた、自分より一回り以上年齢が上のトミノが自分の本心を見抜いていることに気づき、照れを隠しながら「勝てると思ったんですけどね」と頬をかいた。
 それだけなのか、とトミノは驚いた。自分にはとても想像すらできないほどの大偉業を達成するあと一歩のところまで踏み込み、そしてそれを逃したと言うのに、たったそれだけの言葉で終わらせる事ができるのか。
「クロサワさんは?」とモモナリは控室を見回した。あれだけ熱心に自分を世話してくれた先輩がいないことに当然ながら違和感を覚えていた。
「ああ、彼は急用が入ったらしくて、僕に任せて先に帰ってしまったよ」
 トミノはモモナリに微笑んだ。その言葉は嘘だった。





 砂嵐が晴れた後、対戦場に立っているのはシバのカイリキーだった。カバルドンが砂嵐を静めたのではない、シバのカイリキーがその腕力を持ってして砂嵐を沈めたのだ。
 カイリキーも息は荒く、足はふらついている。砂嵐の中、的確に自身に向かってくるカバルドンに恐怖も覚えていた。もし自分にシバと言う信頼の置ける第三第四の目が無ければどうなっていただろう。
 ほぼ同様のことをシバも感じていた。一瞬の判断力の勝負に引きずり込まれた時には自分にも分があると自信があった、しかし、目の前の少年は自分の想像以上に的確で、途中この土俵においては自らのほうが格下だという判断を下すことができなければどうなっていたかわからない、また、もしカイリキーが恐れと不安から冷静な判断力を失っていれば、たちまちのうちにカモにされていただろう。
 辛く、終わりのないように思えたあの修行にが今ここでこうして成果となっていた。自分達のやっていたことは間違いではなかったのだと、胸をなでおろした。
「終わりだな」
 と、モニタから目を離してクロサワは吐き捨てた。モモナリへの差し入れだった炭酸ドリンクを一口飲んで、何かを振り払うかのようにそれを思い切り壁に投げつけた。ボトルから吹き出たドリンクが床を濡らしても、なんとも思わなかった。
「まだ来年があります」
 トミノはボトルを拾い上げながら力強く言った。
「あれだけのことができる子が、このまま終わるわけがない」
 自分では想像もできないような死闘だった。自らがコラッタを手懐けることすらままならなかった年齢だというのに、あのシバと対等にぶつかり合ったその少年に、この敗北がそこまで重くのしかかるとは思えなかった。
「おっさん、あんたは分かってない。平和で優しい世界に入り浸りすぎてなんにもわかっちゃいない」
 クロサワは安くて短いが味の強いタバコを二本口に加えて、火力の強いライターで火をつけた。
「ここを落としたのは奴にとってとんでもない痛手だ」
 トミノはクロサワの次の言葉を待った。性格上、相手がどんなに馬鹿げていることを言っていると思っても、とりあえず全てを言い終えるまで待つ。
「勢いというものがある。実力や確率論、統計学ではとても説明の付かないものがある、今回奴はそれに乗り損ねたんだ」
 ゆっくり、そして大きく煙を吸った。ため息をかき消すように一息でそれを吐き出して更に続ける。
「セキエイの神が作ったレールから、奴は自らの意志で降りたんだ。神は二度と奴に振り返らない、もしかすると奴は、Aリーグに上がれないままリーグトレーナーとしてのキャリアを終える可能性もある」
「そんな、神だなんて根拠がなさすぎる」
「理屈じゃねえのさ、事実奴が勝負に甘いのはここで見たとおり。おっさん、Bリーガーってのはな、小手先で勝負に勝つ技術は合ってもそれが上では通用しない連中の集まりなんだ、スケールの小せえ肉食獣のような奴らさ、そこにあんなに勝負に甘い奴が、神の加護もなく放り込まれる。格好の餌だ」
 さて、とクロサワは立ち上がった。
「俺は帰る、モモナリは好きだが、今日は掛ける言葉が見当たらねえよ。おっさん、後よろしくな」
 ある意味、彼はトミノの大人しいところに期待していたのだろう、今の自分がモモナリと接すると自分が何を言ってしまうかわからない。
 扉を蹴り飛ばして、クロサワは控室を後にした、陣取っていた記者達も、クロサワの迫力に一歩たじろいでいた。





 残酷なものだな、とトミノは思った。そういえばあれだけ控え実の前に陣取っていた記者達も、どこかへ消えてしまったようだ。
 あの時、彼はクロサワの言葉を否定することができなかった。Cリーグの自分にはわからない世界ののかもしれないと、ぐっと言葉を飲み込んでいた。
「いやー、シバさん、強かったなあ」
 モモナリ少年は炭酸ドリンクを傾けながら、笑顔でそう語った。その笑顔に、トミノはどんな表情を返せば良いのかわからなかった。目の前の信じられないくらいに強い少年は、それでいて非常に純真無垢で無知な存在なのだろうかと、虚しさに似た感情を覚えたのだ。
 トミノは笑顔を作ることができなかった、そういう部分まで、真面目で嘘のつけない男だった。
 それでも何とか笑顔を作ろうとして、彼は不意に、シバについて語り始めた。
「私はね、シバさんがレッドのカビゴンを倒したのを見て、この世界に入ろうと決めたんだよ。それはそれは、かっこ良くてねえ」
「俺もそこはお気に入りですよ」とモモナリはそれに乗ってきた「とても器用だとはいえないと思いますけど、その分一撃が爽快で、絶対に沈めるんですから」
 対戦したいトレーナーの一人だったんですよ、とモモナリは続けた。
「あの人達の強さを、俺も感じたかった。今日は負けたけど、楽しかったですよ」
「そうだよ、君にならまた何時でもチャンスは巡ってくる」
 ふと、モモナリはトミノが一体何のことを言っているのかわからないと言ったふうに目を瞬かせた。そして、すこしばかり間を置いてから「ああ」と返す。
「そうですね、まあその時が来たら、その時なんでしょう」
 その後、彼等はすこしばかり沈黙を続け、モモナリは帰る支度を、トミノは控室の片付けを始めた。
 トミノさん、とモモナリが口火を切った。
「もう少し、シバさんの話、しませんか?」
 ふふ、とモモナリは笑っていた。珍しい趣味を持った人間が、ようやく語り合える相手を見つけたような、そんな安心しきった笑顔だった。
「ああ、良いとも。どこかで食事でも取りながらね」
 どうすれば良いんだろう、とトミノは内心思った。目の前の少年の心のなかが全く読めなかった。もし、悔しさを押し殺しているのならば、その精神は強靭すぎるように感じるし、さっと切り替えようとしているのならば、今日負けた相手の話をさらに続けようとする意味がわからない。自分は彼を励ますべきなのか、それとも叱咤激励するべきなのか。もしかすればそれは、彼の今後のトレーナー人生を、もしかすればカントー・ジョウトポケモンリーグの歴史をも大きく変えてしまうことになるのではないか。今ならば、クロサワが帰った理由がよく分かる。
 トミノのそんな動揺を、モモナリはどう感じ取ったのだろうか、彼は伏し目がちになった。
「そりゃあ負けたのは悔しいですけど、でもそれ以上に楽しい試合だったんですよ、俺も、ポケモン達も」
 フフ、とモモナリは笑顔を作った。トミノはほっと思うとともに彼の言葉に不安を感じた。
 負けは悔しいが、それ以上に楽しかった。だから良い。それはあらんばかりの才能を発揮して勝ち星を積み上げている今の彼だからこそ説得力を持つ言葉だ。現に自分もその言葉の妙な説得力に納得している。
 しかし、もし自分がそんなことを言えばどうだ、とてもとても許される言葉ではない、たちまちそれは聞く人全てに負け惜しみとられ、まともに相手してはもらえないだろう。この世界は強くなければ発言権すら無い。
 もしあの時クロサワが言ったように、モモナリがこのままBリーグに飲み込まれ、過去の人となってしまえば、彼も同じように思われるだろう、勝ちを積み重ねず、楽しさを優先していると言っても、過去の栄光にすがりついているだけの、とてつもなく早熟だった男の虚言と取られても仕方がない。
 そして、その時、この目の前の純粋無垢な少年は一体何を思うのだろうか。背筋がゾッとして、とても考えられたものではなかった。そんなことを考えている自分が信じられなかった。
「今日は、私がご馳走しよう。なんでも好きなものを食べればいい」
「いいんですか? 俺結構食べますよ」と表情をニコっとさせてモモナリは笑った。その少年は、まだまだ年齢的には子供なんだと、トミノはようやく思い出した。
 きっと大丈夫だ、とトミノは思い込むようにした。こんな負け一つで、この少年の人生が大きく変わるなんて無いだろうと、自らに言い聞かせた。

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来来坊(風) ( 2016/02/20(土) 21:32 )