200-彼は自分こそが中心なのだとガラルで叫ぶ D
バリケードは無慈悲に破壊され、バリヤードも無慈悲に倒される。
「早く何とかしろ!」
仲間の誰かがそう叫んだが。誰も何とかは出来ないでいた。
彼らの目的は終わったはずだった。
寂れたシャッター街である地元を盛り上げるため、地元出身のトレーナーがチャンピオンへの挑戦者になるように力を尽くしていた。
その為にオリジナルのタオルや応援グッズを作って行く先々でエールを送ったし、他のジムトレーナー達への妨害工作も行った。最終的には地元の出入り口を封鎖し、物理的にスパイクジムを難攻不落のジムにもした。
「絶対にこの奥にはいかせるな!」
二人がかりでそれを止めようとしても、相手は躊躇なく、そして苦労なく彼らをなぎ倒す。
戦況をかき回すべロバーと、パワーとスピードで押し切ってくるドリュウズは、トレーナーの数が一人増えたとか、二人増えたとか、そんなことはお構いなしだ。
ところが、彼らの目論見はことごとく失敗に終わった。
応援していたトレーナーはそのような工作は望んでおらず。また、ある別のトレーナーがバリケードの抜け道からスパイクタウンに侵入、スパイクタウンを物理的に難攻不落にする作戦は失敗に終わり、ジムリーダーとその妹の指示によって、地元の出入り口を開放した。
彼らエール団の活動はここに一旦終了した。もう彼らはジムトレーナーを妨害しないし、物理的にジムを封鎖しない。
恥も外聞もない、三人がかりでの防衛は、ドリュウズの『じしん』によって失敗に終わった。
彼らエール団にしてスパイクジムトレーナー達は、そのトレーナーを何が何でもその先に進めさせないように力を尽くしていた。
だが、そのトレーナーは止まらない。ジムトレーナー達の実力を持ってしても。
「やばい、やばいやばいやばい」
倒された女性トレーナーは、その先に進むトレーナーの背を見ながら声を震わせて呟く。
そのトレーナーと、ジムリーダーのネズを会わせるわけにはいかない。
彼女らはそのトレーナーの目的を知っている。
だが、それを阻止するのに彼女らの力は足りなさすぎた。
スパイクタウン、スパイクジム。
そのトレーナー、カントージョウトリーガーモモナリは、対戦場のど真ん中に立っていた。その足元にはベロバー、薄暗いスパイクタウンの雰囲気を、彼は気に入っている。
その向かい側には、ボロくて小さいがステージがあった。ジムのシンボルロゴのネオンライトは、その上で歌っていたであろうトレーナーを、妖しく、そして神々しく輝かせている。
それに夢中になっている観客たちは、侵入者であるモモナリに気づいていなかった。壇上に立つ男、スパイクジムリーダーのネズが持つカリスマは、たかだかちょっと強いだけのトレーナーの比にはならないということだろう。
「ノイジーな野郎ですね」
その一声で、観客たちは一斉にネズの視線の先、モモナリに目線を向けた。当然そこには、神聖なライブを邪魔されたことに対する怒りや憎しみの視線がある。
ネズは壇上を降り、観客たちが割って作る道を通りながらモモナリの対面に立つ。
だが、先に口を開いたのはモモナリだった。
「君が『あくタイプの天才』『哀愁のネズ』だね」
圧倒的なアウェイに怯まないモモナリにネズは答える。
「自分で名乗ったことはねえですよ、そんな大層な二つ名。『ハナダのノーてんきエッセイ野郎』だって、自分から名乗り始めたわけじゃねえでしょ」
モモナリはその言葉に苦笑した。久しぶりに聞いた自身の二つ名が面白かったのもあるし、ネズが自分を知っていることに少し驚いている。
ネズはモモナリを見下ろしながら続けた。
「キバナの野郎から連絡がありやがりました。気をつけろとね。俺は別に戦っても良かったんですがね、エール団がやたら張り切っちまって」
「そうだね、あそこまで徹底的にやられたのは久しぶりだったよ。良いリーダーなんだろうね」
その時、モモナリの背後から「ネズさん!」と女の大きな声。
ネズとともにその方に目線を向けると、そこには自分が先ほど倒した女エール団がいた。
女エール団は息を切らしながら叫ぶ。
「気をつけてください。そいつ、ネズさんを誘拐しようとしてる!」
彼女の口から出てきたその単語に、モモナリは思わず笑い声を漏らし、ネズは首をひねり、観客たちはざわめいた。
「曲解がすぎるよ」と、モモナリは呟く。
だが、モモナリがある意味それを肯定するような呟きをしたせいで、観客たちはやはり敵意を向けたままモモナリを見るし、ネズは更に首をひねる。
「戦う分ならいくらでもやってやっていいですが、野郎に連れ去られる趣味はねえですよ」
「やめてくれ気持ち悪い」と、モモナリは手を降る。
そして、こみ上げる笑いをきちんと殺してから続ける。
「僕が言いたいことはだね。カントーリーグに来ないかってことなんだよ、気が向けばね」
観客たちはそれに悲鳴のような拒絶反応を示した、そして、その後に、女エール団の言葉に納得する。たしかにそれは、彼らからすれば誘拐も同義だった。
ネズもその提案には少し驚いているようだった。歌手らしくなめらかに出てくるはずの言葉が、今は出てこない。
だが、モモナリはマイペースに話をすすめる。
「聞いたよ、ダイマックスを使わないそうだね、一体どうして?」
質問の矛先が変わって気が楽になったのか、ネズは少しだけ考えてからそれに答える。
「……それが、この町を代表しているということなのですよ」
スパイクタウンは、ダイマックスの使えない町だった。
否、正確には、ダイマックスと迎合することを拒否した町だ。
チャンスはいくらでもあった。
ダイマックスが発見されたその時、ダイマックスを得たジムリーダー達が栄光を掴み始めた時、ネズがジムリーダーとなってローズが接触してきた時。それを受け入れる事はできただろう。
だが、スパイクジムはそれを拒否してきたのだ。
それを愚かだという人間もいただろう。他の町への移住を決意した住人もいるだろう。だが、それでもスパイクタウンは今日まで残っている。ネズがそれを拒否するのには十分すぎる理由だった。
「残念だな、カントーに来ればポケモン勝負本来の醍醐味を楽しめると思うのに。君にとっても悪い話じゃないと思うけど」
「……本気でそう思っているなら救えない野郎ですね。この土地でダイマックスを持たない俺が戦うことにこそ意味があるというもんなんですよ」
ネズはそこで一拍置いた。そして、似合わぬことと思いながらも続ける。
「『俺達』がガラルで戦うことを諦めたら、一体誰がダイマックス無き町の希望になるんです?」
ネズの返答に、モモナリは「なるほど」と頷く。
「『あくタイプ』の天才だね」
更に続ける。
「そうとも、ダイマックスを持たないことは、不幸なことではない。君の考え方そのものや君自体のことは、僕は好きだよ……友達としてだけどね」
モモナリの冗談に、ネズは苦い顔を見せる。
そして彼は右手を振り、観客とリーグトレーナーたちを対戦場から追い出した。
「話が早くていいね」と、モモナリはボールを構える。ベロバーはやる気なようだったが、彼はそれを制した。
ベロバーの『いたずらごころ』はあくタイプには通用しない、モモナリはそれをよく理解している。
「俺、耳が良いんでね。うちのジムトレーナー相手に随分と暴れてくれやがってましたね」
いつの間にか現れたマイクスタンドを振り回しながら、ネズが続ける。
「まだ俺はこの町のジムリーダー、決まりは二つ。一つ『アンコールはなし』一つ『家族の仇は取る』」
ネズがボールを投げた。
☆
カレーが食べたい。
彼女の雄叫びの内容は、要約すれば大体そんな内容だった。
だが、人間たちにその内容がわかるはずがなく、彼女の周りを飛び回るプロフェッショナルなポケモン達はそんな事を気にしない。
彼女は厳重に固められたバリケードを『ドラゴンダイブ』で破壊しながらその女を追う。
カレーが食べたい。
もう一つ古城を振動で破壊するかのような声を上げた彼女は、侵入者である女を確実に追い詰めていく。
その古城の主である彼女にとって、侵入者は悪だ。
自身に噛み付いてくるトリミアン達を身をよじるだけで振り払った彼女は、雑魚に用はないと言わんばかりに彼らから目線を切った。
カレーが食べたい。
ついに女を追い詰めた彼女は、とりあえずそんな感じのことを叫んでおく。
そして、ついに彼女の爪が女の顔にかかろうとしたその時。
「待て!」
よく通る低い声と共に、その男がギルガルドと共に現れた。
男は彼女と女を交互に見やってから言う。
「彼女に指一本でm」
だが、台本通りのその台詞がすべてカメラに収められることは無かった。
なぜならば、その男が一瞬だけ女に目線を向けたその瞬間に、彼女は体勢を低く力を込めて一歩踏み込み、男がそれに気づいたときにはすでにギルガルドに『じしん』を打ち込めてしまう体勢になっていたからだった。
彼女こと、ガブリアスはそれに困惑していた。このままでは打ち込めてしまう、打ち込めてしまうよ? いいの? 駄目なんでしょ?
「カット!」
監督の声が古城の中に響き渡る。
その瞬間、先程までガブリアスに怯えていたはずの女がクスクスと笑った。
男の方はその瞬間に何が起きたのかわからず未だに困惑の表情のままだ。無理もない、今日はじめて自分が『共演』すべき相手の恐ろしさをその肌で感じたのだ。当然事前に様々な予習はしておいたつもりだったが、予想以上だった。
「少し休憩しましょう」
女がそう言った。本来ならば彼女はそれを決定する立場にないはずなのだが、その場にいる人間は全員それを受け入れる。それがカルネという女優、そしてトレーナーが積み上げてきた実績の力だった。
先程まで撮影が行われていた古城の一室で、モモナリの友人であるクシノはガブリアスをなだめていた。
「あれは俳優が悪いで」
ガブリアスにきのみを与えながら、クシノはそう呟く。
「『誰も生きて帰ってこない古城の主』相手に目を切ったらあかんやろ」
ガブリアスはきのみに不服気な表情だ。仕方ない、クシノが所有する農園で作られたそのきのみの味そのものに不安は欠片もないが、如何せん彼女の口はもう『カレーの口』になってしまっているものだから、その美味しさも半減するというものだ。
「昨日モモナリから旅先の写真が送られてきましてな、それに写ってたカレーに完全に心奪われてるんですわ」
流暢なカロス語でそう言うクシノに、同じくその場にいたカルネは微笑む。
「それでもあれだけの迫力が出せるんだから素晴らしいですね」
「よー言いますわ、すぐに笑ってたのに」
カルネや元リーグトレーナーほどにポケモンに精通すれば、あの時のガブリアスの雄叫びが、少なくとも怒りから来るものではないことくらいすぐに分かる。
悲しげで悔しげなそれに気づいても『誰も生きて帰らない古城の主』相手に追い詰められる無力な女を演じられるカルネがより素晴らしいだけだ。
世界中で楽しまれるあるスパイ映画の新作、意欲的な監督は『よりリアリティを』をテーマに掲げ、作品内最大のアクションシーンにはより実践的な動きを求めていた。だが、シンオウリーグチャンピオンのシロナを含め、自分のポケモンをそうやすやすと貸してくれるトレーナーなどいない。第二候補第三候補第四候補とまで下がっていって「友人が世話役につくのなら」と、それを了承したのがモモナリだった。
「しっかし」と、クシノは首をひねる。
「『よりリアリティを』と言ってるのに、あなたがただただやられてるだけってのはおかしな話ですわな。しかもあの俳優がガブリアスを倒す台本とはね」
その疑問はごもっともだった。
主演の若手俳優も決してポケモンの扱いが苦手なわけではない。むしろその年齢でそのルックスの俳優の中ではポケモンの扱いには長けている方だ。本拠地ガラルでは一応バッジを七つ集めている。
だが、それでも第一線で戦っているポケモンを追うにはいささか力不足だ。
その一方でカルネは誰もが知るポケモンチャンピオン、それがただただポケモンにやられるだけの役とは、こちらはいささか約不足だろう。
「それは違いますよ」と、カルネは首を振る。
「リアルとリアリティは違います。作品というリアリティの中では私が力ないことがリアルであり、あの子がクールで勇気のある若者であることがリアルなのです」
それに、と続ける。
「あの子ならばきっと出来ます。プロですもの」
「そんなもんですかねえ」
クシノは首を捻りながらも、その言葉の持つ説得力には抗えないでいた。
事実、その俳優はすぐさま演技指導のリーグトレーナーの元に赴き、熱心に実践的な感覚を身に着けようとしているらしい。遅いような気もするが、それだけガブリアスの動きのキレが良かったということなのだろう。
「まあ、頑張ればなんとかなるんかなあ」
かつての自分とその俳優を重ね、クシノはため息を付いた。
傍らのガブリアスは、今度は小さく鼻を鳴らした。カレーが食べられないことに対する憤りが、今度は悲しみとなっていたのだ。
「分かったわ、これが終わったらホテルでカレーおごってやるわ」
クシノの提案にも、彼女は渋い顔。
そういうことじゃない。
彼女は単純にカレーが食べたいわけじゃない。
皆とカレーが食べたいのだ。
あの写真にあったように和気あいあいと、皆と笑顔でカレーが食べたいのだ。ぶっちゃけ美味しいとか美味しくないとかそんな事はどうでもいいのだ。
その意図を理解したのかどうかはわからないが、カルネが提案する。
「それじゃあ、明日辺りに皆さんで作りましょうか。カレー」
その提案に、ガブリアスは一瞬だけ表情を変えるが、それで機嫌が全面的に治るわけではない。
その提案により驚いたのはクシノの方だ。
「ええんですか?」
「多分大丈夫でしょう。撮影現場の交友を深めるのって大事なんですよ。私も久々に食べたくなってきましたし」
ね、どう? と、自信の顔を見上げるカルネに、ガブリアスはやはり多少の不満顔は残しながらも、それに頬を擦り寄せた。
メイクが落ちることを気にせず、カルネが呟く。
「本当に、あの人とは似ても似つかないのね」
ガラル伝説のキャンプマスターを祖父に持つ若手主演俳優が、それまでに培ってきた技術とその才覚を最大限に覚醒させて作り上げたとんでもないリザードン級チーズまみれカレーにガブリアスを含む撮影スタッフ全員が舌鼓を打ち、厳しいことで知られるその監督からは信じられないくらいに朗らかに撮影が進むこととなるのは、その翌日のことだった。
☆
ベロバーはその『いたずらごころ』を利用して『ひかりのかべ』を作り出す。
だが、対面のドサイドンにその壁はあまり意味がない。
「『じしん』」
ガラルリーグチャンピオンダンデの指示通り、ドサイドンはベロバーに『じしん』の衝撃で攻撃する。
ベロバーの小さな体格ではそれを受けきれない。衝撃をモロに受けた彼は吹き飛び戦闘不能になる。
観客の中にはそれを不思議に思う人間もいた。小さなポケモンだ、攻撃なんて相手に届きそうもない、かと言って相手を掻き回せるようなスピーディな攻撃があるわけでもない、カントーからきた挑戦者は、なぜそのようなポケモンをパーティに組み込んだのか。実績だけのロートルなのか、いや、それならばもっと質の良いレンタルパーティだってあるはずなのに。
「よくやった」
モモナリは本心からそう呟いた。彼は大きな仕事を成した。今のモモナリのパーティの中で、唯一彼のみができる仕事だ。
戦闘不能になったべロバーは抵抗すること無くボールに戻った。彼がボールを嫌うことはモモナリも知っていたが、そういう事を言っている場合ではない。
「さあ、行くぞ」
最後のボールを握る。それを放り投げる。
繰り出された『砂の王』は、対面のドサイドンを、そしてその向こう側にいるダンデを見た。
こりゃあ、やっかいだ。と彼は思う。
風格のある『群れ』だった。自分たちが負けるはずがないという根拠のない自信を、勝ち続けてきた事実が支えている、そんな。
そして、背後にいるであろうモモナリの気配を感じる。こちらも到底負けるなどと考えてない。
いい経験だ、と彼は思う。
厄介なトレーナーだ。
現れたドリュウズの動きに警戒しながら、ダンデはモモナリの瞳を眺めようとした。
緊張感がないわけではないが、それでもすました顔だ。見ようによっては笑顔のようにも見えるかもしれない。
まるで、朝方ふらりと入ったレストランでモーニングメニューを眺めているような、そんな感じ。自然体、この戦いを特別なものだとはきっと思っていない。
だが、だからといって勝利を捨てているわけではない。確かに緊張感にあふれているわけではないが、試合を捨てて諦めているわけではない。
これまででモモナリが作り出してきた状況に、ダンデは考えを巡らせる。
先程ベロバーが作り出した『ひかりのかべ』
自陣を特殊な引力で浮遊する『ステルスロック』
だが、ダンデはそれらを厄介だと思っているわけではない。
彼を最も混乱させているのは、モモナリの腕にはめられているダイマックスバンドだ。
てっきり、彼はそれを使わないものだと思っていた。カントー出身の彼にはそれを上手くは扱えないと思っていたし、何よりモモナリはカントー流で戦うことに特別な使命感を持っているような気がしていたからだ。
いつ使う?
どのタイミングで使う?
ダンデがその考えをまとめるより先にドリュウズが動いた。ダイマックスではない。
「『じしん』」
ダンデとドサイドンはドリュウズの出先を潰そうとする。
ドリュウズは厄介なポケモンだ。リザードンの最大の弱点である『いわなだれ』を扱える上に、『こうそくいどう』でリザードンの先手を取るようになることもできる。絶対に自由な状態にしてはならないポケモン。だから先に潰す。
低い体勢をとったドリュウズに、ドサイドンが襲いかかる。
だが、彼らはそれを待ち構えていた。
「『つのドリル』!」
自身を潰しにかかるドサイドンの巨体に、ドリュウズは自慢の角で立ち向かう。
ドサイドンからすればかなり小さな体であるはずなのに、ドリュウズはその重量に踏ん張って角を振り上げる。
彼にとって生涯で二度目のその攻撃は、今度は人間との的確なコンビネーションによって、打つべき相手を的確に捉えた。
もちろんそこには運も絡む、だが、大事なのは結果だ。
体の中心を的確につかれたドサイドンは、嘘のようにあっさりと宙を舞った。その高さからの地面を、彼は初めて目の辺りにする。きっとただではすまないだろうなと思った。
そのまま地面に叩きつけられたドサイドンは、この星の重力と自身の重量を全身に受け、そのまま戦闘不能となる。
まだ意識はあるのに、体が言うことをきかなかった。生まれてはじめてのその衝撃に、彼はやがて意識を預ける。
観客達はどっと湧いた。終始劣勢であったように見えた挑戦者が、ついにチャンピオンのエースを引きずり出したのだ。
お互いに五体で始まったエキシビションは、挑戦者がずっと押されているように見えた、そりゃ当然だ、そのうちの一匹はボールにも入っていなかった小さなベロバーだったのだから。
観客達は少し興ざめしていた。このままではチャンピオンのダイマックスを見ることが出来ないのではないかと、あの強く美しい龍を見ることが出来ないのではないかと。
だが、その挑戦者は引きずり出した。ガラルリーグチャンピオンが誇る最強の相棒を、彼は引きずり出したのだ。
ダイマックスのないカントーのトレーナーも、なかなかやるじゃないか。
そんな声がスタジアムを支配しているようだった。
「おいおい」
その光景を関係者特別席で眺めていた色黒で長身の青年が呟く。
「やべえんじゃんねえかそりゃあ」
彼と、戦いというものを理解している数人は、その状況のまずさをすでに理解している。
戦闘不能となったドサイドンをボールに戻し、ダンデは状況を確認するようにぐるりと見回してからボールを投げる。
「頼んだぞ!」
観客たちと違い、ダンデのつぶやきは緊張をはらんでいた。
この戦いは、どちらにも転びうる。
だが、その上で勝つのは自分たちだ。
ボールから繰り出されたリザードンに観客達が歓声を上げるよりも先に、対戦場に浮遊していた『ステルスロック』が一斉にリザードンに襲いかかる。
歓声をあげようとしていた観客たちの喉は、一転して焦りの悲鳴となる。
そして、ようやく気づき始めた。
この状況が明らかにダンデに不利であることに。
モモナリ陣営が序盤にはなった『ステルスロック』と、終盤に敷いた『ひかりのかべ』は、ダンデのエースであるリザードンを徹底的に意識したものだった。
そして、察しのいい者たちは気づく。
カバルドンが巻き起こした『すなあらし』や『あくび』も、アズマオウがいたずらに戦況を引き伸ばした『アクアリング』も、『てんねん』なピクシーが自分だけ『ちいさくなる』しながら場をかき回したのも、全てはこのための布石だったのだ。
その男はこうなることを見越していた、そして、こうなることを見越しながら、それに打ち勝つにはどうすれば良いのかも考えていた。
だが、それはダンデも同じ。
彼だってそのくらいのことは理解している。そのような対策を取られたことが皆無なわけではない、むしろ彼を苦しめたのはその単純な対策を突破しようとした自分と徹底的に渡り合ったモモナリの大局観。
ある意味で彼は、ガラルリーグチャンピオンダンデが持つ唯一にして最大の弱点をついてきている。
ダンデが腕にはめているダイマックスバンドが光り輝く。
そして『ステルスロック』によって大きなダメージを受けたリザードンをボールに戻す。
その時、モンスターボールが赤紫色に光り輝き、大人のダンデが両手で抱えるほどの大きさに変形する。
「なるほど」と、モモナリはその光景を見て呟いた。
ダンデが後ろに放り投げたその大きなボールからポケモンが繰り出される。
それは、とてつもなくキョダイなリザードンだった。
いや、厳密にはそれはリザードンではない。
それはダイマックスの力を得て巨大化し、姿を変えたリザードンだ。キョダイマックスと呼ばれるその変化は、ガラルでも希少な、限られた人間しか使うことの出来ない大技。
そのキョダイなリザードンにとって『ステルスロック』などダメージにならない。それは弾き飛ばされ、再び対戦場を浮遊する。
普通ならば、それを目の当たりにしたことに感動するだろう。だが、モモナリはそうではない。
「『いわなだれ』」
彼は現れたものが『リザードンっぽい』ことを確認するやいなや指示を出す。
ドリュウズは地面にその爪を突き立てる。地盤ごとそれを放り投げ、リザードンの上から攻撃しようとする狙いだ。
だが、その動きをダンデとリザードンが見逃すはずもない。
「『キョダイゴクエン』!」
巨大化したリザードンは、はるか上空から叩きつけるように炎を吐き出す。
その炎はやがて巨大な火ノ鳥のように形作られ、ドリュウズに襲いかかる。
その攻撃を遮るものがあった。小さなベロバーが作り出した『ひかりのかべ』だ。
だが、キョダイマックスから放たれたその攻撃はそれを貫き、ドリュウズに直撃した。
モモナリは、じっとそれを眺める。
ほんの少しでいい、ほんの少しでも良いから『ひかりのかべ』がその攻撃の威力を弱めてくれたら、勝利はこちらのものだ。
ダンデもまた『攻撃が来るかもしれない』と、それに身構える。『ひかりのかべ』によって、勝負はわからないものになっている。
そして、燃え盛る炎の中から、その攻撃は繰り出される。
剥がされた岩盤が『いわなだれ』として宙に放り投げられた。あれだけのドサイドンを放り投げたポケモンだ、そんな事ができても不思議ではない。
その光景に、観客は悲鳴を上げた。たしかに彼らはダンデがピンチになることを望んでいた。だが、彼が敗れることは『この試合』では望んでいない。
それが起こりそうだった。
重力に身を任せ始めたそれらが、リザードンに降りかかる。
巨大化したリザードンは身を捩ってそれをかわそうとした。だが、大きすぎる的はそれをかわしきらず、炎でかたどられた片翼が、その餌食となる。
リザードンは片膝をつく。
だが、もう片翼はまだ燃え盛っている。
願うだけの観客たちのエールが、彼に届いているだろうか。
やがてリザードンは残る片翼を力強く羽ばたかせながら再び立ち上がった。彼はダンデを悲しませまいと持ちこたえたのだ。
しかし、ダンデはそれは当然と思いながら、対戦場を睨む。
モモナリは、すでにボールを片手に持っていた。
『キョダイゴクエン』が作り出した炎の渦が晴れた時、そこには前のめりに倒れたドリュウズの姿があった。
モモナリが彼をボールに戻し、審判員がダンデの側を示す旗を掲げる。
勝者を称えるアナウンスが、スタジアム中に響き渡った。
しかし、モモナリはそれに愛想を振りまくことなく対戦場を後にし始めている。本来ならば対戦後には握手があるはずだが、知ってか知らずか、彼はそれに興味がないようだ。本来ならば礼を欠く行為としてブーイングモノだが、観客はダンデにエールを贈ることに夢中なようだった。
その姿を眺めながら「良いポケモン達だ」と、勝者であるはずのダンデは彼らを称えるように呟く。
戦いが終わり元の姿に戻ったリザードンの痛々しい傷を眺めながら、彼は思う。
あの攻撃が正確にヒットしていたらどうなっていたことか。
野生から数度の対戦のみでこの場に踏み込んだドリュウズは、初めて目の当たりにする『キョダイゴクエン』に、ほんの僅かであるが手元を狂わせていた。
その僅かな狂いが『いわなだれ』を外させた。直撃ならば『ステルスロック』のダメージも合わせて確実に戦闘不能になっていただろう。
だが、ドリュウズは初めて目の辺りにする『キョダイゴクエン』攻撃に、ほんの僅かに手元を狂わせるだけだったのだ。彼は勝利を信じ、自分自身を信じ、前のめりに倒れていた。素晴らしい胆力を持ったポケモンだ。
そして、対戦場から消えようとしているモモナリを眺めながら彼は思う。
勝者は自分だ、それは揺るぎない。
だが、もし彼がダイマックスを使っていたらどうなっていた。
そして、なぜ彼は、ダイマックスを使わなかった。
「モモナリ選手、どうしてダイマックスを使わなかったのです?」
控室。シャワーを浴び終えたモモナリを待ち構えていたローズは、感情の読めない表情で問うた。彼にしては珍しく、その背後に秘書の女性はいなかった。
「使えばよかったですか?」
モモナリは首をひねった、すでに回復を終え彼の足元でタオルを動かすベロバーも同じ様に首をひねる。
「ダンデくんのように」
「そうすれば、勝てた試合ではないのかね?」
「ダイマックスをしなくても勝てた試合だったでしょ? もう少し僕がうまく指示を出せていればね。彼が経験不足であることを考えれば、もっと上手くやれる状況だったかもしれません」
「だったらなおさら、ダイマックスをすれば、勝てたかもしれないだろう」
それに、と、ローズが続ける。
「お客さんは、それを望んでいた。カントー出身の君が、それをどう操るのかね」
その意見はごもっともだった。
エキシビションマッチ、その勝敗に何の拘束力もなく、それでいてそれを見る観客たちを夢中にしなければならない『興行』
「でも、十分に盛り上がってましたよ」と、モモナリは悪びれもなく答える。
「それに」と、彼は手早く着れるからと言う理由だけで長年愛用しているブランドに袖を通しながら続ける。
「もしそれが僕のクセになっちゃったらどうするんです?」
身支度を整えたモモナリは、足早にローズの横を通り過ぎようとする。
「ああ、そうだ」
彼はポケットからダイマックスバンドを取り出した。
「これ、お返ししますよ。どうもすみません、なんだかんだ言いましたけど、結局は使いこなせなかったんですよ」
それを受け取りながら、ローズはぼうっとモモナリの全身を眺める。
それがモモナリの本心でないことを、ローズは見抜いている。
それがなくても十分に盛り上げることができるから、クセになったら困るから、使いこなせなかったから。
だったらわざわざそれをつけて試合に望むはずがない、そういう『悩み』を見せるような人間ではないだろう。
だが、ローズはそれ以上を追求しなかった。
どうせそれ以上を追求したところで、モモナリから本心を引き出すことは出来ないだろう。
なぜならば、トレーナーという人種は。
「トレーナーというのは、どうも頑固者が多いようですなあ」
過ぎ去ろうとしていた背中に、ローズが語る。
モモナリは振り向きながらそれに答えた。
「僕達は『自由』ですからね」
それに、と続ける。
「お互い様でしょう、それは」
ベロバーを連れ、彼は歓声から離れていく。