200-彼は自分こそが中心なのだとガラルで叫ぶ C
アラベスクタウン、街全体が間接照明で照らされ続ける不思議な街だ。幻想的な風景を持つが、ガラル地方でも最もフェアリー文化に造詣が深く、伝統あるジムも存在する。
ガラル地方名物、アーマーガアによる空を飛ぶタクシーからその町の降り立ったのは、アラベスクジムのリーダー、ポプラだった。御年八十八になる老婆だがまだまだ元気で、今日も跡継ぎを探すためにガラルの中心地に赴いていた。
「ポプラさん」
小さな歩幅のポプラとは対象的に、パタパタと小走りで彼女に駆け寄る女性があった。名前はコト、ポプラが信頼するジムトレーナー。
「何かあったのかい?」
焦りの表情を見せるコトとはやはり対称的に、ポプラは落ち着いた口調で答える。
「ジムに、お客様がいらっしゃってます」
それに、一瞬だけポプラは目を見開いて驚いた。
「ジムチャレンジャーかい? おかしいねえ、まだここまでは来ていなかったはずなんだけど」
ジム巡りの途中である新人トレーナーとすれ違いがあったとなると、それは礼儀に欠ける行為だ。ベテランのポプラからは考えられない。
「いえ、それが、カントーからの観光客の方で……」
それにポプラは再び目を見開いて驚く。そうなってくると、礼儀に欠けるのは相手の方だ。
「追い返しちまいなそんな奴」
物騒だがごもっともな意見だ。
「はい、私達もそうしようとしたんですが……」
コトはさらりと物騒な思いを吐露するが、同時に力なく首を振る。
「だいぶ強くて、どれだけ相手しても疲れないんです」
「どういうことだいそりゃあ」
「さあ、私達にも目的がさっぱり……ああでも、あなたに伝えておいてくれと言われていました」
コトは一応周りを気にしてから、ポプラに顔を寄せて言う。
「キクコさんからの、使いだそうです」
ポプラは今度は目を見開かず首をひねった。もはや驚きではない、ただただ意味がわからない。
確かに、カントーとそのトレーナーの名は結びつく。だが、それが今である意味がわからないのだ。
彼女はその謎をため息に込めてから呟く。
「まあいい、とりあえず。ジムに向かおうか」
アラベスクジム。
舞台のリハーサル会場のような構造を持つそこで待つ男をひと目見て、ポプラは「なるほどねえ」と呟いた。
「あんた達が敵わないわけだよ」
コトを始めとするアラベスクジムトレーナーは精鋭揃いだ、並のトレーナーならばそうそう引けは取らない。
だが、相手がカントー・ジョウトリーグのトップ層であるならば話は別だ。
「この男は観光客なんかじゃないさ、もっと厄介で、めんどくさい存在だよ。そうだろう、リーグトレーナー」
コトを始めとするジムトレーナー達は、一様にそれに納得して頷いた。カントーのリーグトレーナーならば、その強さも、その傲慢さも理解できるというもの。
「始めましてなのに、随分な事言いますね」
ヘラヘラと笑ったその男、モモナリは一歩ポプラのもとに踏み込んで右手を差し出した。その足元にいるベロバーは、少し緊張をはらみながらもそれについて来る。
「カントーリーグトレーナーのモモナリです」
ポプラはじとりとその目を見ながら握手を返した。
「長くこの業界にいるとね、いろんなことを聞くのさ。若いトレーナーがカロスで大暴れしたとか、イッシュのチャンピオンが襲撃されたとか、世にも珍しいピッピの群生地のボスが、彼らと同一人物だとかね」
「まあまあ、昔の話ですよ。まだまだ元気で、道の歩き方を知らなかった頃のね」
とぼけた様子に呆れながら、ポプラは彼の足元にいるベロバーに目を向けた。モモナリがガラルに来た日程を考えれば、それほど長い付き合いではないはずだ、それでいてボールに入れられて管理されているわけでもないのに、彼から離れる様子もなく、少しばかり信頼も見える。
厄介なことに、大したトレーナーだと、彼女はモモナリを評価した。
「で、何が目的なんだい? 戦いたいなら戦ってもいいけど。無観客試合でもいいならね」
これまでの行動からして、どうせ目的はそれだ。
「流石!」と、モモナリは手を打つ。
「話が早くていいですね。実はガラルのトレーナー達のダイマックスがない時の立ち回りが気になりましてね」
「ああ、なるほど」
ポプラはハイハイと頷く。
「ピンクの似合わない人間が考えそうなことだね。最も、それでわざわざガラルに来てまで喧嘩売るのはそういないが」
急に出てきた色単語に首をひねったモモナリをもう一度じろりと眺めながら続ける。
「あからさまにピンクじゃないね。真っ直ぐだが、捻くれてなさすぎる」
またもやその意味のわからぬモモナリを無視して、彼女は問う。
「そう言えば、随分と懐かしい名前を出してきたけど、あの人はまだ元気なのかい?」
「ええ、元気ですよ。何人も弟子育ててますし」
ああ、と漏らしてから続ける。
「キクコさんから伝言あるのは本当ですよ。ガラルに行くって言ったらあなたに聞いてくれとね」
「へえ、言ってみな」
モモナリは一つつばを飲み込んでから言う。
「『どうして、あの時誘いに乗ってくれなかった?』って言ってましたよ」
ふぅん、と、ポプラは鼻を鳴らした。
「あの時、あなたがカントーに来てくれれば、フェアリータイプの研究でカントーリーグが一歩遅れることはなかった。あなたをひと目見た今、僕もそう思う」
ジムトレーナー達が少しざわつくのを感じながら、ポプラは「古い話だね」と昔を懐かしんだ。
「キクコさんは、あなたを誘ったんでしょう?」
ポプラはモモナリと目を合わせながらも、その実遠くを見つめるように視線を飛ばしながら答えた。
「ああ、ジムを継いで十年ほど立ってからかね。確かにキクコにカントーリーグへの移住と参戦を勧められたよ。あの時代のカントーにしちゃあ、随分と賢くて、綺麗で、ピンクなトレーナーだったねえ」
「悪い話じゃなかったはずですよね?」と、モモナリが言う。
「当時のガラルとカントーならばカントーのほうがバトルやジムの地位は高かったはずだ。なんと言っても、戦うだけで飯が食えた数少ないリーグでしたし、研究だって、オーキドにキクコにカツラにフジですよ? 揃えようたって揃えられないメンツだ。カントー地方やキクコさんだけが得をする話じゃない」
「まあ、そうだろうね」と、ポプラは答えたが、「だがね」とそれに反論する。
「わざわざガラルを出てまで、バトルに関わりたくはなかったのさ。それが許されるなら、ジムを継いじゃいない」
モモナリは「ふーん」と、その言葉に疑問符を持って鼻を鳴らす。
「つまり、不本意だったんですか?」
てっきり、彼は彼女がキクコの申し出を断った理由はガラリ地方のジムリーダーという職務に対する忠誠心だと思っていた。
「昔すぎる話で、もう忘れちまったよ。だが、十七歳、視野の中に色んなものがある年齢さ。何を思っても不思議じゃない」
「断れたでしょ、あなたなら」
モモナリはいかにも当然のようにそう言った。それができるだけの実力が彼女にあるし、あっただろうことを彼はすでに見抜いていた。
「そうだね、その気になれば反抗できただろう、カロスにでも行って、役者として生きていったりね」
じゃあ、どうして、と言いたげなモモナリの表情を確認して続ける。
「あたしが居なくなれば、あたし以外の誰かがジムを継ぐことになる。それに耐えられなかったのだろうね、誰かを導くジムリーダーという役割が、あたしの知らない、多分あたしより劣っているトレーナーにその役目が行くことが許せなかったのだろう。自分の人生と天秤にかけるほどに」
ジムトレーナー達は、ポプラの言葉を黙って聞いていた。彼女が母親からその役割を継いでいることは知っていたし、もしかしたらそれに納得していなかった時代があったかもしれないことも理解はしていた。だが、実際に言葉にされると違う。
だが、それで失望することはない。
「まるで」と、だけ言って、モモナリは、口をつぐんだ。三十代前半、さすがのモモナリもその先に続く単語が礼に欠くことは想像できるし、それを止めることもできる。
だが、ポプラはその先を読んだ。対戦相手の動きを的確に読み取り『魔術師』とまで呼ばれる彼女の観察眼は、バトル以外でも生かされる。
「そうだね、呪いみたいなもんだ」
言葉を失うモモナリに先んじて続ける。
「だがね、あまり悪いもんでもなかった。やっぱり若いトレーナーたちが自分のもとで成長していくのを見るのは極上の喜びさ、あたしのもとを通り過ぎてジムリーダーになった子もいれば、博士の助手になった子もいる。チャンピオンのダンデだって例外じゃないさ、最も、あの子はピンクではなかったけどね」
「なるほど」とだけ、モモナリは相槌を打った。
ポプラはモモナリに背を向けて距離を取る。
「さあ、辛気臭い話は終わりだよ。さっさと戦って、さっさと帰っとくれ。今はジムチャレンジ中で忙しいんだ」
「ええ、そうしましょう」
同じく距離をとりはじめたモモナリが思い出したように呟く。
「楽しみだなあ。キクコさんが引退して以来、トップレベルのベテランと戦うのは久しぶりですよ」
二人がそれぞれの距離をとったことを確認してから続ける。
「ベテランとの戦いって、結構好きなんですよね。戦いの中で、その人生の中にあった苦悩や喜びや信念を感じることができるんです」
「だからといって、勝ちを譲ってくれるようには見えないがね」
「そりゃまあ、そんなもんですよ」
お互いがボールを投げる。
ポプラが繰り出したのはクリームポケモンのマホイップ。
対してモモナリが繰り出したのはピクシーだ。
「おっと、踏み込むと良くない」
モモナリはいつもの様に速攻の指示はしなかった。ポプラにしろマホイップにしろ、その動きに俊敏なものは感じないのに、何をやっても手痛い反撃を食らってしまうようにしか感じられないのだ、同じフェアリータイプを繰り出しては見たものの、やはりフェアリーに関しては『魔術師』が一枚上手なようだった。
同じことをピクシーも感じているのだろう。目でマホイップを牽制してはいるものの、踏み込むことはない、モモナリの手持ちきっての武闘派もそれは理解している。
「ところで」と、ポプラが指を振ってモモナリに問う。
「あたしの年齢はいくつだと思う?」
ジムトレーナー達はそれにピンときた。その質問は、ポプラが対戦相手の人となりを測る手段だった。見た目通りの年齢を答えれば、正直者だがピンクではない。その逆に、見た目に反しているが若い年齢を答えれば、嘘つきだがピンクだ。
彼女らはそれに対するモモナリの返答を待つ。
そして彼はポプラに笑顔を向けながら答えた。
「大丈夫、バトルに年齢は関係ありませんよ」
想像だにしていない答えだった。正解ではないが、じゃあ不正解なのかと言われると、否、きっと不正解なのだが、あまりにも不正解の方向性が向こう側。
フッと、ポプラはそれを鼻で笑う。
「ピンクじゃないねえ」と呟いて、その後を続けた。
「好きにしな、若いの」
☆
おつきみやま。
ニビシティとハナダシティをつなげてはいるものの、一般人が容易に通り抜けることができるわけでもない。野生の楽園。
それを頂点に向かって難しい方難しい方に登っていくと、ある開かれた広場に出ることができる。本当の意味で限られた人間しか足を踏み入れることのできない秘境。
そこにはピッピ達の群れと、その幼生であるピィが数多く見られる。ピッピの群生地であるはずのお月見山で長年ピィが確認されなかった理由の一つであり、その「ピッピの小さいやつ」を知る数少ない人間も、まさかそれが「ピッピの進化前」だとは思っていなかったわけである。
満月の照らす夜に、そこにはピッピの一族が集まっていた。とても数が多いとは言えないが、それでもお月見山にいる殆どのピッピ一族が集まってるとなれば、その希少さがわかるというもの、ポケモンの密輸によって利益を得ている人間が見れば垂涎モノだろう。
しかし、その中に明らかに異質で場違いなポケモンが二匹。
そのうちの一匹、いわつぼポケモンのユレイドルは、その八本の触手を岩に叩きつけながら何かを『発掘』していた。
大胆に岩肌を削っていくと、やがてキラリと輝く塊が現れた。ユレイドルはそれを確認すると一旦触手の動きを止め、今度はそれらを器用に動かして小さく小さく削っていく。パートナーであるモモナリとよく化石や宝石を掘るが、それと同じ要領だ。
やがて小さくコツコツとした打撃も少なくなると、今度はその塊を触手で支えながら、またも器用にカリカリと周りを削る。
十分程それをしていただろうか、やがてその塊はボコリと音を立てて岩肌から剥がれる。ユレイドルはそれをゆっくりと地面におろした。
それを眺めていたピクシーが、ユレイドルにひと声かけてからそれを抱えた。腕いっぱいに抱えてもまだ不安定なように感じるサイズのそれは、彼女がこれまで見てきたものの中で最も大きいサイズのものかもしれなかった。
報酬だろうか、いつの間にかユレイドルの周りには色とりどりにきのみが並べられていた。別にいいのにと思いながらも、ユレイドルはそれに触手を伸ばす。元々は海の浅瀬に住んでいたポケモンであり、その環境がベストかと言われれば決してそうではないが、かつての仲間たちの化石があるこの環境は落ち着く。
不意に、ピクシー達が緊張感を持った。彼女らは広場の入口に目を向け、仲間たちを下がらせる。人間の気配だった。
ユレイドルがあまり早くない足で地面をにじりながらピッピ達の前に出ようとする。しかし、それよりも先に人間が姿を表した。
「おお、やってるな」
ピクシー達は一応にそれにホッとした表情を見せる。
筋肉質な四肢に細い目、ニビジムリーダーのタケシは、ピクシー達にその広場に立ち入ることを許された数少ない人間の一人だった。
すぐに受け入れられたタケシは、ピクシー達に挨拶して周りながらユレイドルに近づく。
「ありがたい話だ、君たちがいれば百人力だよ」
右手を差し出したタケシに、ユレイドルは触手を伸ばして握手のようなものをした。相変わらず人間臭いポケモンだなとタケシは思う。
「もう一人はどこだい?」
タケシは周りを見回しながら問う。もう一匹、送り込むと聞いていたアーマルドが見当たらないのだ。
ユレイドルは笑うように目玉を揺らしながら触手である一点を指した。
タケシがそれに目を向けると、そこには山程のピィとまだ進化して間もない幼いピッピが何かに群がっている。
それはウゴウゴとうごめいていたが、やがてくすぐったさがピークに達したのかゆっくりと起き上がった。乗っていたピィ達がボロボロと地面に滑り落ちるが、本人たちは楽しそうにもう一度もう一度とそれにせがむ。『ボスの友達の優しくて硬いおじさん』は、彼らの心をつかんでいたようだ。
ピンクの隙間から現れたアーマルドは、タケシを一目見ると一瞬気まずそうにしたが、やがてせがまれるがままにピィたちを甲羅に乗せはじめた。
「驚いたね」
タケシはその光景があまりにも面白かったので、クツクツと小さく笑った。普段あまり笑わない男だが、一度ツボに入ると長い。
彼はそのアーマルドを初めて見たときのことを思い出す。モモナリの「珍しいでしょお」という得意げな表情と出会った時の彼は、いかにも他のものを寄せ付けないと言った風だった。
末の妹が出来て以来すっかりと性格が変わったと聞いてはいたが、まさかここまでとは。
ユレイドルもその変化が楽しいのか触手を揺らしてそれを眺めている。
広場の中心、最も満月の光が当たる場所には、何かを祀るような台座が置かれている。
一匹のピクシーが、先程ユレイドルが掘り返した大きな月の石をそこに置く。
「そろそろ始まるかな」
タケシは広場の角に座り込みながら呟いた。
数年に一度、月が最も近づく夜にしか行われない、ピッピたちにとって神聖な儀式が始まるのは、もう少ししてからだった。
☆
ワイルドエリア、ナックル丘陵。
ナックルシティにつながる野生地であるそこは、普段ならば、少しスリルを楽しみたい町の住人や、ジムチャレンジ中の新人トレーナーで賑わっている。
だが、その日は珍しく人が殆どおらず、人間の居ない自然のみがそこにある。
「まいったな、迷ってしまった」
ガラルリーグチャンピオンのダンデは、遠くに見えるナックルスタジアムを眺めながらそう呟いた。だが、台詞の割に悲壮感はなく、どちらかと言えば笑っている。
ガラルで最も尊敬される人物の一人である彼は、反面とんでもないレベルの方向音痴だという弱点があった。最も、今回の場合はただただ迷ったわけではない、待ち合わせまでの時間を潰そうと思って入ったワイルドエリアにて、少しばかり珍しい色合いをしたポケモンを見つけてしまったものだからついついそれを追ってしまったのだ。まあ、結果として迷子になっているわけではあるが。
「連絡しておくか」
待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。彼はスマートホンを取り出して誰かに連絡を取ろうとした。その後リザードンに乗って行けばまあ激しく怒られることはないだろうという考え。
その時だ、彼の向かい側に何者かが立つ音がした。底の厚いスニーカーが、地面を踏みしめる音。
「どうも」
スマホから顔を上げたダンデが見たのは、エキシビションマッチの対戦相手、カントーリーグトレーナーのモモナリだった。その足元ではベロバーが不敵に笑っている。
「オレの後をつけていたんですか?」
スマホをしまい込みながら、ダンデがそう問うた。かつて通り魔に揶揄されるほどの常軌を逸したトレーナーだったというモモナリの情報を、彼は知っている。
だが、そこに恐怖や侮蔑はない、むしろダンデはそれも面白いとすら思う。チャンピオンとして、絶対的な強者としての余裕があった。
「いいや、そういうのはもうやめたんだ。もっと若ければやっていたかもしれないけどね」
妙にずれた弁解をしながらも、モモナリはそれを否定する。
「道を歩いていたんだ。道を歩いているとね、出会うものなんだよ」
彼は足元のベロバーに目配せしながら続ける。
「さて、このうってつけの土地で、トレーナーとトレーナーが出会ったんだ。やることは一つだろう?」
モモナリが指をふると、少し周りを気にしながらも、ベロバーが彼の前に飛び出した。
だが、ダンデはそれに首を振る。
「今ここでお互いの手の内をバラせば、エキシビションに影響が出ますよ。ガラルの観客たちはカントーからきたあなたがどんな戦いをするのか楽しみにしているんです」
モモナリは、その拒否に「ふうん」と、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「若くて強いのに、意外と真面目なんだね」
一瞬溜めを作ってから「ねえ」と、ダンデを指差して続ける。
「いつも気になっていたんだ。そのマント」
ガラルリーグチャンピオンであるダンデは、様々なスポンサーロゴの入ったマントを羽織っている。それはダンデがガラルリーグチャンピオンであることの証明であるし、ガラルリーグチャンピオンが持つ影響力の証明でもある。
「それさ、重くない?」
含みの有りすぎる質問だった。その質問をされて、ただただそれの材質のことだけを指したものだとは誰も思わないだろう。
だが、ダンデはそれにくすくす笑う。
「オレ、そういう事は言われ慣れているんですよ」
「へぇ」と、モモナリが相槌を打つ。
「じゃあ、そういう連中をどうやって黙らせてきたのかな?」
あくまで一点に話を持っていこうとするモモナリに、さすがのダンデも苦笑する。それに、そういう連中を黙らせるために別段何かをした記憶など無いのだ、いつものように勝ちを重ね続けていくことで、そんな声を払拭しただけ。
だから本来モモナリの問いの先に、彼の望みはないのだ。
だが、めんどくさい存在に噛みつかれたことには変わりない。
さて、どうしようかと思っていたその時。
「あんたにはわからないだろうよ」
第三者の声が二人の間に割って入った。ダンデにとっては馴染みの、モモナリにとっては初めての声だ。
ナックルジムリーダー、キバナ、褐色の肌に群を抜く長身を持つそのトレーナーは、モモナリに対して明らかな悪意を向けていた。
「ガラルリーグチャンピオンとのマッチメイクってのは、そう簡単に成立するもんじゃねえのさ」
ガラルリーグ最難関、ナックルジムリーダーである彼は、自他ともに認める、チャンピオンダンデのライバル。その彼が、あさましくもチャンピオンとの対戦を望む人間に好意を持っているはずがない。
キバナはダンデの横に並んでモモナリを迎える。
「いつものように時間通りに来ないお前を迎えに行ったら何だこの状況は」
すまないな、と心がこもっているのか居ないのかよくわからないダンデの返答を流してからキバナが続ける。
「世界の果ての片田舎ではどうなのか知らないが、ここガラルじゃチャンピオンに挑戦することは名誉なことなのさ、エキシビションとはいえ、あんたごときが挑戦できることだって、オレは不満なんだぜ?」
「言うねえ」と、モモナリは笑う。
「そして、君こそがチャンピオンと戦う『名誉』を独り占めにしてるってことかな、ずっと、ずっと」
挑発的な物言い、だがキバナはそれに動揺はしない。
「今ここで黙ってりゃ、エキシビションの件は飲んでやってもいい」
つり上がった目で自身を睨むキバナに、モモナリもやはり動揺しない。
「残念だけど、僕はもっともっと怖くて強いドラゴンつかいと毎年やりあってるんだ。戦いたいトレーナーが一人から二人になった程度で、ビビりゃしないよ。大体、それがそんなに名誉なことならば、そこで仲良く並んでないで、今すぐポケモン繰り出して戦えばいいじゃないか」
無茶苦茶な意見に、今度はダンデが「モモナリさん」と異を挟む。
「あなたの気持ちがわからないこともない。ですが、今は新人トレーナーたちによるジムチャレンジ中。オレが軽々しく呼ばれるがままに戦いに応じてしまえば、オレと対戦することを夢見て挑戦を続けているトレーナー達への敬意を欠きます」
それは、キバナの個人的な考えによる否定に比べれば、ある程度道徳的で倫理的な返答に思えた。
モモナリもそれを感じたのだろう。「ふうん」と鼻を鳴らして考える。
「真面目なんだねえ、驚くほど」
そしてしばらく、彼は考える。だが、モモナリの足元に戻ろうとするベロバーは、彼の右手が制し続けている。
やがて、モモナリは答える。
「君たちの言いたいことはよく分かった」
その言葉にダンデはホッとし、キバナは、まだ緊張の面持ち。
だが、その言葉とは裏腹に、モモナリはベルトからボールを取り出した。
「だから今度は、僕の言いたいことを言う」
キバナはダンデの肩を押した。モモナリの不穏な雰囲気を感性で感じている。
「行け! ここはオレがなんとかする」
彼は『名誉』を守るために脅威に立ち向かう。
脅威はボールを放り投げながら叫ぶ。
「その意見を通したきゃ、二人まとめてかかってこいや!」
同時に、キバナもボールを二つ投げる。
モモナリの前にはドリュウズとベロバーが、キバナの前にはサダイジャとフライゴンが並ぶ。
「オレさま相手にダブルを仕掛けたこと後悔させてやる!」
ドラゴンつかいの意志を尊重し『名誉』はそこから去った。
だが、モモナリはそれを惜しいとは思わない。どう転がってもガラルの実力者と戦える事実に変わりはなく、逃げた『名誉』とはまたいずれ戦える。
「僕相手に『すなあらし』とは、いい度胸してるねえ!」
キバナ側のポケモンが動こうとする。
だがそれよりも先に、ベロバーの技が戦況を捻じ曲げにかかっていた。戦況が複雑になればなるほど、絡み合えば絡み合うほど自身に有利な状況になるということを、その脅威は理解していた。
☆
ハナダシティのはずれ、四番道路。
生まれたばかりのアーボ達が、草むらに巻き付きながら眠っているのを、モモナリの手持ちであるアーボックは眺めていた。
それらのうち何匹が、果たして自分のような立派なアーボックになることができるのだろう。まだ未熟で敵に打ち込む毒すら持ち得ていない彼らが、果たして何匹生き残るのだろう。
そして、そのうちの何匹が、トレーナーの手持ちとしての人生を歩むのだろう。そして、そのうちの何匹が、ポケモンのことをより理解している優秀なトレーナーの手持ちになることができるのだろうか。それを考えると、彼女の夜は長くなる。
トレーナーの手持ちになること。彼女はそれがポケモンとしての幸せだとは思わない、だが、トレーナーの手持ちとなった自身のこれまでの生涯を悲観的にも思っていない。
むしろ自分は幸せだったと思う。自分ですらコントロールできてはいなかった自分自身の強さというものを最大限に引き出し、そしてその強さが決して疎まれるだけのものではないことを教えてくれたのがモモナリだった。
だが、すべてのトレーナーがモモナリのようであるわけではない。
その時、草むらに巻き付いていたアーボ達が首をもたげて威嚇を始める。毒も力も持たぬ彼らは、その分人一倍臆病で繊細だった。
アーボックもその気配に気づき首をもたげる。鱗が蠢き胸部に描かれた恐ろしい模様がさらにその威圧感を増す。
その向こう側から現れたのは、キバへびポケモンのハブネークだった。
ギラついた目だった。息を荒げながら周りを警戒し、それでいて目の前の倒すべきを見据える狂気の目。
アーボ達は、ハブネークの風貌に恐れおののいた。だが、背を見せて逃げるわけにはいかない、相手から目を切ったその瞬間に、そのキバが容赦なく自分たちにとんでくることを生まれながらの本能で理解している。力なき自分たちにできるコトは唯一つ、虚勢を張り、それが過ぎ去るのを祈るのみ。
だが、アーボックはそうではない。
群れの長である彼女は脅威であるそれを迎え撃つ義務がある。そして、彼女は目の前のハブネークを哀れんでいる。
そのポケモンは、本来ならばこの土地にいるべきポケモンではなかった。もっと南のホウエン地方に生息するポケモンであり、ハナダには居着かない。
それなのに、彼はここにいる。
考えられる可能性は少なく、そしてその中で最も可能性は。彼が元は人のポケモンであったということだ。
よくあることだ、気に入られ連れ帰られるが、やがて手に負えなくなり、手放す決意をする。
それがせめてもの償いなのだろうか、アーボやアーボックは彼の仲間だと信じ込み、その側に離した。大方真相はそんなところだろう。
そんなことだからポケモンを手放すことになるのだ、と彼女は人間に対して憤る。慣れぬ地方に放たれたポケモンがどうなるかという想像すらできてない。
二択だ。
すべてを支配してその地の王になるか、誰にも助けられず野垂れ死ぬか、その二択。
ギラついた目のハブネークは、アーボックを見据えている。彼女こそが倒すべき女王であることは彼は本能的に理解していたのだ。
倒さなければならない。
それを倒さなければ、自身に待つのは死なのだ。
ハブネークは顎を大きく開いてアーボックに『とっしん』する。
それは迎え撃つアーボックの模様に的中する。
だが、ハブネークの力はアーボックの体幹を捉えなかった。ハブネークの『とっしんは』すかされ、空振りに終わる。
アーボックはハブネークの攻撃に対し、あえて模様を広げて迎え撃った。的が大きければその分相手の狙いもアバウトになり、力のぶつかり合いを拒否することができる。
攻撃が失敗に終わったことにハブネークが気づいた頃には、すでにアーボックの胴体が彼を『しめつける』。
所詮は人間の目を満足させるために連れてこられた観賞用のポケモン、リーグトレーナーが相手なら容易に看破される作戦を見抜くことも出来ない。
はたから見れば絡み合ってるようにしか見えないその光景も、実際にはアーボックが力も技術も完全に上。ハブネークがもがけばもがくほどにアーボックの筋肉が彼を締めあげる。
やがて、ハブネークの抵抗が段々と力なくなってくる。やがてそれは、生き残りたいという欲求すらも失わせる。
だが、それが完全に尽きる寸前に、彼女はその拘束を解いた。ハブネークの体が力なく地面に横たわり、アーボ達はそれを恐る恐る覗き込む。
戦闘不能、意識はない。だが、死んではいないだろう。
いずれ見回りのポケモンレンジャーが彼を見つけるだろう。そしてこの土地に本来いるべきではない彼をレンジャーは保護する。
だが、その後彼がどうなるかは彼女にはわからないし、それは彼次第とも言えない。彼が元の土地に戻ることができるのか、それとも再び誰かのパートナーとなるのか、幸せになるのか、不幸せになるのか、それも全てが今後出会う人間次第。
つくづく、自分は運が良かったのだ。と、彼女は大きな満月を眺めながら思った。
アーボ達は再び草むらに身を巻きつけて眠りにつく。
彼らにとってハブネークはただの侵略者であった、彼が何者なのかも知らないし、彼に何があったのかも知らないし、彼が幸せだったのか不幸せだったのかも知らない。
彼らがそれを知るにはまだ早すぎる。