16-ヒーロー
その少年は、不機嫌だった。
もっとも、彼を見るナナシマ諸島の住民たちが、彼の、モモナリの正しい素性を知るわけではないから、彼が本当に不機嫌なのかどうかをハッキリと断言できるわけではない。
しかし、その少年の明らかに異質な行動は、彼が不機嫌であることを彼等に想像させるに十分なものだった。
彼と、彼が操るポケモンたちは、圧倒的な無慈悲さを、冷酷さを持って、対戦相手のポケモンたちに襲いかかっていた。
その対戦相手は、ナナシマ諸島出身のトレーナー、カンナだった。ナナシマ諸島はヨツノシマの出身の彼女は、こおりポケモンたちを相棒に、カントーリーグ四天王にまで上り詰め、その一番手としてあのレッドの前に立ちふさがった、ナナシマの英雄。
十分な実力者である彼女は、モモナリの攻撃をうまくいなそうとしていた。全盛期の彼女ならば、それを凌ぐことが出来たであろう。氷を叩き割るような圧倒的な攻めをしのぎ、それを返す技術と才覚があるからこそ、彼女は四天王の位置にまで上り詰めたのだ。かつてレッドを相手にしたときも、彼女はその技術を十分に見せつけ、レッドに戦術の変更を強いた輝かしい実績がある。
だが、時を得て衰えた彼女の目が、知識が、反射神経が、彼女の戦術の歯車を狂わせる。自信はある、だが、その自信すら、自らの衰えとのギャップをより深くし、見ようによっては無様に見える組み立てを見せている。
ナナシマの住民たちは、彼女の衰えを知っていた。否、彼女が衰えているからこそ、彼等は今日、こうやって集まっている。
ナナシマ諸島の中で最も栄えているミツシマには、小さな対戦場があった。ホドモエのコロシアムや、タマムシのドームに比べるのもおこがましいが、第二第三のカンナを目指さんとする子供たちのために、有志の手によって作られたとても大きな対戦場だ。時折ポケモンリーグの公式戦がそこで開かれ、彼等に刺激と興奮を与える。
今日は、リーグトレーナーカンナの引退試合だった。Aリーグ陥落が決定した日、彼女はすぐさま引退を発表した、それ以上の戦いは、彼女にとっては意味がなかった。
彼女の引退試合が故郷であるナナシマ諸島で行われることは必然だった。そして、その対戦相手に名乗り出たのはモモナリだった。素晴らしい才能を持った少年、かつてのレッドを思わせるその組み合わせは、ナナシマ諸島の住民たちも楽しみにしていた。
そのモモナリが今、まるでひとつづつ風船を割っていくかのように、カンナのポケモンたちを『処理』している。
引退試合であるこの試合は、当然非公式試合だ。勝ってもなんのメリットもなく、負けたところでなんのデメリットもない。
だから、観客達はそのモモナリが不機嫌であることを確信していたし。また、モモナリに怒りの感情があった。
普通、普通ならば、人間としての普通の感性がかけらでも存在していれば、ここはカンナに華を持たせるべき場面ではないのか。
負けろと言うわけではない、否、それも本当は、その若いトレーナーが、敗北というものを普通の人間よりも重く捉えている可能性を考慮して譲歩しているだけ。本当は負けてほしいし、負ける場面だろう。
それでも負けることを拒否するのであれば、ここはカンナの良さというものを最大にまで引き出して、その上で勝利するべきではないのか、こんな、尊敬のかけらもない戦い方を、引退するトレーナー相手にする必要があるのか。
誰もがそう思い始めていた頃、モモナリのピクシーが、カンナの切り札であるラプラスを沈める。
リーグトレーナーカンナの最後は、あまりにも味気なく、あっけないものだった。
その試合の祝賀会は、ミツシマのあるホテルのレストランで行われていた。
規模の大きなものではない、だが、それは決してカンナの影響力の問題ではなく、ナナシマの住民たちに本土の人間が配慮した結果である。
「あのガキはなんなんだ!」
カンナと同席の年配の男が、酒の勢いを借りてそう叫んでいた。参加者たちがそうなるように努めて穏やかに進んでいた祝賀会にはいささか不釣り合いな怒号であったが、それは、ナナシマ諸島の住民たちすべての代弁でもあった。
「アレはちょっと無いよね」
同じく年配の男が、それに同調する。彼はこのホテルの支配人であり、カンナの後援会の会長でもあった。彼は主に金銭面で駆け出しだったカンナを支えた彼女の恩人の一人だった。最も、彼女の活躍によって彼のホテルも十分に潤っていたので、投資以上の見返りはあったが。
「いくら若いと言っても、ものには限度というものがある。この場に彼がいれば、私も一言言いたかったのだが」
複雑な心境を視線で表現しながら、彼は酒をあおる。
本来ならば、この席にはカンナの対戦相手であったモモナリも同席するはずであった。
だが、モモナリはそのホテルから姿を消していた。ボーイが部屋を確認しても、そこには散らかされたままのベッドが存在するだけ。
彼等は、モモナリがこの祝賀会に参加しないことを、当然だろうと思っていた。あんなことを、ナナシマの人間の心を踏みにじるようなことをしておいて、ホイホイと顔を出されたほうが逆に困るというもの。
瞬間的に重くなった空気を割ったのは、それの当事者であるカンナの言葉だった。
「私は、あれで良かったのではないかと思っています」
同席の者たちが、一斉に彼女に視線を向ける。
「もし彼が私に華を持たせるようなことをしていれば、私の心に迷いが生まれたかもしれません。それに、彼は手加減なんて出来ないようなトレーナーですから、対戦相手が彼だと決まったその時から、もしかすればこうなるかもしれないとは思っていました」
全く筋の通っていない理屈ではない。だが、カンナの力量と、彼女を慕うナナシマの住民たちの感情は、近くあるようで全く別の問題でもある。
同席していた人間たちは、それ以上その話題を出すのはやめようと決意した。モモナリを責めれば責めるほど、それはカンナの力量の衰えを指摘することになることに彼等は気づいた。
勿論カンナのその言葉には、モモナリに対する多少のフォローがあっただろう。ここにはモモナリはおらず、カンナの味方である地元の人間しかいない。それでもなおモモナリを庇ったのは、ひとえに彼女が人格者であるからだろう。
しかし、だからこそナナシマの住民たちの心にはもやつきが残るのだ。
「おかしいな」
席を外していた年配の男が、そう首を傾げながら帰ってきた。
「家内にもう少し遅くなるから先に寝ていいと連絡しようとしたんだが、繋がらない」
当初、参加者たちはそれを他愛のない、可愛げのあるトラブルだと思っていた。「もう寝ちまったんだよ」とか「あんたまだ飲むつもりなのかよ」などと彼らは笑い、そのうち男と同じくヨツノシマに住居を構える男が、「じゃあ、私の息子に連絡して伝えさせましょう」と、席を立つ。
カンナは、最近本土で使われ始めている小型の携帯用端末を持っていたが、まだそれが普及していないナナシマ諸島では、それを拾う電波が無いだろう。
生活が落ち着いたら、その普及を手伝ってもいいかもしれないと彼女は思った。ナナシマ諸島にこそ、それは必要だ。
やがて、席を外した男が慌てて席に戻る。
「おかしい」と、彼は興奮しながら言った。
「ヨツノシマの誰の家にも電話が繋がらないんだ!」
その言葉に、祝賀会参加者たちはざわつく。当然ながら、それはありえない事だった。いかにナナシマ諸島が文明から遠い土地であろうと、電話は当然つながる。
「どういう事だ!」
酒の入った男の怒号に、カンナは一瞬最悪を想定した。さらにホテルの支配人も、彼女と同じ発想をした。
「船を!」
支配人の声を合図に、参加者たちは一斉に席を後にし、港へと向かう。
電話が繋がらない今、直接ヨツノシマに向かうしか、その原因を探る方法がなかった。
「駄目だ!」
ミツシマの港。電灯の強い光が照らすそこに、男の声が響いた。
「エンジンがやられてる!」
「こっちもだ! ひでえ事しやがる!」
自分たちの船が使えないことを知った男たちが、虫ポケモンのように電灯の麓に集まる。それぞれの表情には、これがただごとでは無いという焦りがあった。
「クルーザーも駄目でした」
同じく彼らと合流した支配人が、正装に汗を垂らしながら言う。
「スクリューに何かを巻きつけられている」
それが奇跡的な確率をくぐり抜けて起きた現象ではないことくらい、彼らは容易に理解できるだろう。明らかに人為的な、明確な悪意を持った行動。
そして、その悪意に先にあるものは。
誰かがそれを口にするよりも先に、カンナはボールからラプラスを海に繰り出し、その甲羅に飛び乗った。
「警察に連絡を!」カンナは男たちに叫ぶ。
「私は、先に『いてだきのどうくつ』に向かいます!」
男たちがそれに頷くのを確認するよりも先に、カンナはラプラスと共にそこを後にする。
不幸中の幸いか、満月が多少海を照らし、波も穏やかだった。
揺れでバランスを崩さぬように、慣れた動きで甲羅に座り込みながら、カンナは歯を食いしばる。
故郷のヨツノシマに存在する『いてだきのどうくつ』は、世界でも珍しいラプラスの群生地。好奇心旺盛で人懐っこく、機嫌が良ければ素晴らしい歌を歌うそのポケモンは、常に密猟者に狙われており『いてだきのどうくつ』のラプラス達も例外ではない。
しかし、カンナがリーグトレーナーとして、四天王としてカントーに降臨してからは、その数はめっきりと減り、最近では殆ど見られなくなっていた。それは、『いてだきのどうくつ』が保護区として認知された事も理由の一つだが、最も大きな要因は、カンナの縄張りであるということが広く認知されたからだろう。
油断していた。
まさか自分の引退式に合わせて、このように大掛かりなことを仕掛けてくるとは。
だが、それは当然だった。
カンナの引退は、密猟者達にとって、縄張りの主の力の衰えを意味する。このタイミングで『いてだきのどうくつ』に攻め込むのは、ある意味理にかなっている。
どうか、どうか間に合って欲しいと、彼女は暗闇の向こうをにらみながら願い続けていた。
☆
ヨツノシマの港で彼女を待ち構えていたのは、照明に反比例するように黒尽くめの二人のトレーナーだった。どう見ても、カタギの雰囲気ではない、彼女のよく知る、アウトローな、少ない労力で大金を得ることが出来るのならば、倫理観を捨てることの出来る人間たちのそれを彼らは纏っていた。
彼等はカンナとラプラスの姿を確認すると、何歩か下がって距離を取る。
それは、海上のカンナとは決して付き合わないという宣言のようなものだった。
いてだきの洞窟に向かうには、一度ヨツノシマに上陸しなければならない、彼等はそれを知っているから、彼女を引き込むように下がったのだ。氷と水のエキスパートである彼女との海戦を避け、更に自分たちが慣れている陸地での戦いを求めている。
そして、カンナがそれを拒否する事ができないことも知っているのだ。彼女がそれを嫌って海上から牽制すれば、それだけの時間を稼ぐことが出来る。
カンナに選択肢はなかった。
彼女がラプラスの首にしがみつくと、彼は大きく跳ね上がって港に乗り上げる。
巻き上げられた海水を蹴り上げながら、トレーナーの一人がカンナとラプラスに向かってボールを投げる。繰り出されたポケモン、格闘タイプのサワムラーは、勢いそのままに『とびひざげり』でカンナを狙う。
だが、その膝が届くより先に、サワムラーの体は荒々しい姿勢を保ったまま宙にとどまり、そのまま物理的法則を無視して地面に叩きつけられる。それはラプラスの『サイコキネシス』によるものだった。
「馬鹿が」と、もうひとりの男が吐き捨てるように叫び、同じくボールを投げる。
現れたのはレアコイル。ラプラスを含むカンナのポケモンたちに有利なポケモン。
格闘タイプのサワムラーに、鋼、電気の複合タイプのレアコイル。彼等の手持ちがある程度カンナへの対策を意識していることは明白だった。
ラプラスをそのままに、カンナはもう一つのボールを投げる。相手は二人、何も遠慮して一体づつ交換する必要もない。
「『じゅうまんボルト』!」
ラプラスを狙うその電撃を、現れたポケモンが受けた。黒ずくめのトレーナーたちはニヤリと口角を上げる。自分たちの想定が現実に起これば、トレーナーならば誰だって嬉しい。
だが、電撃を受けたはずのそのポケモンは、雄叫びを上げながらレアコイルに襲いかかる。そのポケモンがじめんタイプを複合するこおりタイプのイノムーであることに黒尽くめの男たちが気づいた頃には、レアコイルに『じしん』の衝撃が与えられていた。
しかし、レアコイルはまだ戦闘不能にはなっていない、『がんじょう』なその体は、一撃では決して倒れない。
「『ラスターカノン』!」
氷よりも硬い鋼タイプの攻撃をレアコイルが放とうとしたが、死角から飛んできた『こおりのつぶて』が、それよりも先にレアコイルにぶつけられ、浮遊する磁力を失った鉄の体は、地面に落ちた。ラプラスの放つその攻撃は、弾丸のようなスピードで先手を取れる。レアコイルの特性までを読み切ったカンナのムダのない攻勢。
カンナが勝利を意識したその時、彼女の腰にセットされたボールからヤドランが飛び出し、『サイコキネシス』の体制をとった。
それに彼女が気づいた頃に、パンチポケモンエビワラーの拳が、彼女の顎を捉える寸前で止められた。黒尽くめのもうひとりのトレーナーの二体目だろう。カンナ達がレアコイルに集中しているそのスキに、彼はエビワラーでカンナに直接攻撃を与えようとした。
だが、衰えたとはいえ、四天王の経験もあるカンナの実力を、彼はあまりにも低く見積もっていた。彼女らほどの手練になれば、ポケモンたちは有事の際には自らの判断で行動を起こすし、彼女もそれを許す。
おっとりとした表情からは想像もできないほどの怒りを乗せて、ヤドランの『サイコキネシス』はエビワラーの拳を押し戻し、やがてラプラスもそれに加わって、エビワラーを地面に叩きつける。イノムーはもうひとりの男を目で牽制するが、その男はレアコイル以外のポケモンを持っていないようだった。
「交渉しようや」
ヤドランの『かなしばり』によって拘束された黒尽くめのトレーナーのうちの一人、レアコイルのトレーナーが、憎らしげなアクセントを極力隠そうとしながら、カンナに提案する。
「時間がないの」
それに一切興味を示さずに彼等に背を向けたカンナに、男は更に叫ぶ。
「今回ばかりはあんたでも無理だ! 戦力が明らかに違う!」
更に続ける。
「ボスは本気だ、今回のために、八つ持ちの用心棒を三人も連れている。内一人は元リーグトレーナーだ」
八つ持ち、ジムバッジをすべて所持しているということは、それだけポケモンの扱いに長けていることになるし、所持しているポケモンの数も当然多くなる。
それが三人ともなれば、男の言うとおり、戦力の差は大きい。
「見逃したほうがいい、あんたのためだ」
それは、仲間のために時間を稼ぎたいという打算的な感情が半分、本心が半分だった。
男はカントーの出身であり、カンナの偉大さをよく知っている。当然今は敵同士だが、年数で言えば、彼女を尊敬していた時期のほうが長いだろう。
だが、カンナはそれに言葉を返すことなく、いてだきの洞窟に歩を進めた。
順序が逆だ。
カントーリーグの偉大なる伝説がいてだきの洞窟の守り人をしているのではない。
いてだきの洞窟の守り人が、カントーリーグの偉大なる伝説になったのだ。
☆
乱雑に荒らされ、場所によっては無遠慮に杭打たれ縄梯子を設置されているいてだきの洞窟を歩いているときは、こおりタイプの使い手である彼女には似つかわしくはないほどの、まるでマグマのように煮え返る憎悪の感情があった。
だが、彼女が密猟者達に対して抱いていた憎悪の感情は、戸惑いの感情に変化していた。
いてだきの洞窟の最深部の少し前、カンナの前には、十数人の男たちが、彼女に跪いて許しを求めていた。
それが彼等と彼女の交戦の末のことならば、彼女は動揺してはいなかっただろう。
だが、洞窟の最深部から現れた男たちは、彼女を見るなり、まるで事前にそうするように打ち合わせていたかのように、一斉に彼女に許しを請うたのだ。
「助けてくれ」
そのうちの一人、髭面の、およそ品とはかけ離れているような男が、眉を困らせ、彼女にすがりつくような視線を投げかけながらそう言った。
「何もしない、何も取ってない。今すぐにここを去るし、二度と、二度とナナシマには手を出さない。誓う、誓うから、お願いだから見逃してくれ」
彼等は、皆一様に震えていた、何かを恐れていた。目の前にいる、遙かなる実力を持った洞窟の主ではない何かを。
「殺されてしまうんだ」
男は、涙を流しながら続ける。
「ここにいたら、殺されてしまう。だから、頼むから、見逃してくれ」
彼等を見る限り、戦利品を手にしているようには見えなかった。
だが、彼女は彼等をまだ信用しきってはいなかった。
「用心棒を、何処に潜ませているの」
その言葉に、男の背後にいた三人のトレーナーが体を跳ね上げ、それぞれが首を振り、身を震わせながら、そんな大それたことをするわけがないと彼女を説き伏せるように目を泳がせる。
「コイツらはもうダメだ。全く戦力ならない」
それでも疑いの目を向ける彼女に、その三人のトレーナーは、自らのベルトから種類がまちまちの六つのモンスターボールを取り外し、彼女の前に投げ出す。明確な無抵抗の姿勢だった。
カンナは驚いた、トレーナーにとって、ポケモンたちは相棒であり、人生のパートナーでもある。それを、たとえ密猟者に肩入れするような不道徳な性根を持っているとは言え、八つ持ち、しかもリーグトレーナーという肩書を背負っていたことのある者が、それ誰かに差し出すなど。
男はさらに懇願する。
「なあ、頼む。今更あんたに逆らおうなんてこれっぽっちも考えちゃいない。頼むから、あいつに見つかったら、今度こそは本当に殺されてしまうんだ」
手を合わせ、拝むように願う男、嘘をついているようには見えなかった。だが、彼等を許す義理はない。
カンナは十分に警戒をしながら、ボールからヤドランを繰り出した。それでも彼等は抵抗の素振りを見せない。
彼女はそのまま『かなしばり』で彼等を拘束する。
彼等はそれぞれ悲鳴を上げ、脇目もふらずに泣き叫んだ。
「助けてくれ! 助けてくれ! 助けてくれ!」
殺される、とそれぞれに叫ぶ密猟者たちの間を縫い、彼女は洞窟の最深部に向かう。
彼らの恐れるものの正体を確信できないでいた。それに向かうことが危険であることもわかっていた。だが、ここは自分の縄張り、他者の侵入を許す訳にはいかない。
だが、もしかすれば、彼らを撃退したのはあのポケモンではないのだろうかと一瞬思い、彼女は首を振る。
そんなわけがない、確かにあのポケモンは強力で、自分と同じように密猟者たちを憎んでいるだろう。
だが、こういうことをするタイプではない。
ならば、誰が。何が。
☆
その少年は、上機嫌だった。
最も、カンナは彼の、モモナリの性格や考え方すべてを理解しているわけではないので、きっと彼は上機嫌なのだろうという想定でしか無い。
そして、その想定は間違っていない。
いてだきの洞窟最深部でぼうっと遠くを見つめていたモモナリは、カンナを視界に捉えるなり、ニンマリと笑った。
「洞窟には、いつも俺の求めているものがあるんだ」
それが何を示しているのか、彼女にはわからない。
だから彼女は、自分の持っている質問を先に彼にぶつけることにした。
「どうして、あなたがここに」
モモナリは会話がちぐはぐであることに微塵に不満も見せずにそれに答える。
「あんなことしたんだ、祝賀会には出られない、それよりも、俺はこっちのほうが落ち着くんだよ」
あんなこと、というのは引退試合での立ち回りのことだろう、自分の支援者達の反応を考えればその判断は賢明だったと言えるだろうし、そもそもその自覚があったことに彼女は少し驚いた。
そしてカンナは、もう一つの質問も投げかける。
「あなたが、密猟者たちを」
モモナリは更に笑って答える。
「ああ、そうだよ。せっかくいい気分だったのに、襲いかかってきやがったから、ちょっとだけ本気で相手してやったんだ」
彼は、ちょっと、を表現するのに指先で小さな間隔を作り、続ける。
「まあ、多少は知ってる奴らもいたけど、駄目だね、みんな古臭かった」
カンナはそれに納得した。若く現代的な感覚を持っているとはいえ、モモナリは封鎖されたチャンピオンロードに自ら飛び込んでいくような超実戦派、生活に窮し、密猟者からの報酬を頼りにするようなトレーナーたちとは、そもそもの心持ちが違う。同じ戦場に立っていると錯覚しながら、全く手の届かない相手に、彼らは恐怖したのだろう。
「ありがとう」と、カンナはモモナリに頭を下げる。
「あなたがいなければ、どうなっていたことか」
モモナリはそれにキョトンとしていた、好き勝手暴れたことに対して礼を言われることになれておらず、果たして何に礼を言われているのかわからなかったが、少ししてからその意味に気づいて、嬉しげに、大げさに首を縦に振りながらそれに返す。
「いやいや、かまやしませんよ。カンナさんがここを特別に思ってることは、知っていますからね」
もっともらしい理由を並べる。少し前、彼はカンナの後をつけ、この地の存在を知った。
微笑む彼女に、彼はさらに続ける。
「カンナさんの事は、大体知っているんですよ。あんたは元四天王、こおりタイプの使い手だ」
それはいまさら語るまでもない常識。
「あんたはあのレッドと戦い、苦しめた実力を持ってる生きる伝説だ」
それもまた、ポケモン通ならば語るまでもない常識。
「あんたはヨツノシマの、ナナシマの、いや、この世界にある全ての、小さな集落のヒーローだ。あんたがいなけりゃ、この世界はまだ、大都会主義だったかもしれない」
それは、多少ポケモンリーグの歴史を知っているものだけが知ることだった。
「そんなあんたは意外と少女趣味で、家には沢山のぬいぐるみがあって、毎年一体仲間を増やす。どうだ、俺はそこまで知っている」
それは、本当にごく僅かな、人嫌いで知られるカンナと深い付き合いのある人間か、モモナリのように、ある意味で気を許された人間しか知りえないことだった。
照れるカンナは、この洞窟から出ることを提案しようとした。
しかし、モモナリは「だけど」と、更に続ける。
「知らなかった。あんたがフリーザーを、選択肢として持っていることは、知らなかったんだ」
それは、今ではポケモンリーグを知る誰もが知っていることだった。
数年前、カンナ最後のチャンピオン決定戦となった試合で、彼女は、ドラゴンつかいのワタル相手に、フリーザーを繰り出した。伝説と言われるほどに、人とかかわらないことで有名なそのポケモンが現れたことで、業界は一気に湧いた。
彼女が沈黙を貫いたために、そのポケモンとの関係などは公にはなっていない。
だが、リーグトレーナーたちは、それが彼女の故郷であり、バックボーンでもある『いてだきの洞窟』に深い関わりがあることを知っていた。
更にモモナリは続ける。
「ずっと、不思議なトレーナーだと思っていた。あんたはあのレッドを最も苦しめたトレーナーだったかもしれないのに、常に冷静で、クールで、チャンピオンになることに執着がないように見えた」
伝説のトレーナー、レッドによる四天王抜きは、今では幻想的な感覚をまといながら語り継がれる。
カンナはその強力な『ふぶき』によって、レッドを苦しめた。レッドはその後シバ、キクコ、ワタルと勝ち抜くが、彼に四天王のレベルを叩きつけたのはカンナだった。
「だけど、あんたの後をつけてこの洞窟を見て、わかったんだ。つまりあんたは、この洞窟を、この島を守るヒーローであればいいと思っているから、煮えたぎるような本気を出さないんだなって思った。だが、それも違う」
カンナは、目の前の少年の持つ雰囲気が変わっていることに気がついた。
「なぜならばあんたは、あの試合で、フリーザーと共に戦った。驚いたよ、あんな隠し玉があったなんて、そりゃあ普段はクールに見えるわけだ。あれこそが、あの試合こそがあんたの本気、全身全霊、すべてをぶつけたあんたの本気だ」
その言葉を、カンナは否定しなかった。紛れもない事実だったから。
話の着地点が見えなかった。どうして、どうして彼が一点不機嫌になったのか、彼女にはわからない。
そして、モモナリの口からその答えが引き出される。
「引退試合ならあるいはと思った。だけど、あんたはフリーザーを出さなかった。なあ、どうしてフリーザーを出さなかった。なあ、どうして俺は、あんたの本気を味わえないんだ?」
カンナは、今彼が不機嫌な理由も、彼があの時不機嫌だった理由も理解した。つまりそれは、嫉妬、極端なことを言えば、構われぬことへのジェラシーだった。
そして彼は、まるで五歳児のような、打算に満ち溢れた懇願をする。
「なあ、俺はあんたの大切な場所を守ったんだ。だから、フリーザーと、戦わせてくれよ」
しかしカンナは首を横に振る。
「それは無理よ、あなた相手に、本気は出せない。あなたはワタルではないもの」
モモナリが弱いトレーナーだとは微塵も思っていない。
だが、彼女と彼の間には、あまりにも歴史がない、友情がない、負い目がない、闘争心がない、共有する屈辱がない。
モモナリは、その返答を予想していたであろうか。否、してはいなかった。
どうして自分に本気を出すことが出来ないのか、それを感覚的に理解が出来ない、恩を売ってもなお、それが満たされぬ苛立ちに、彼はふうと大きなため息を付いて「そーかいそーかい」と不貞腐れる。
そして彼は、駄々をこねた。
「じゃあ、俺は密猟者になる」
カンナがその突拍子のない宣言を飲み込むより先に続ける。
「この洞窟にいるポケモン全てを、掻っ攫う。すべてを金に変えて、この島にゴミ処理場を作る、汚え汁を全部海に垂れ流して、根こそぎ、根こそぎやる」
それは、まだ年齢的には幼い彼が思いつく限りの、徹底的な環境破壊だった。
カンナは、ようやく彼の意図を理解する。
トレーナーとしてフリーザーを引きずり出すことが不可能ならば、もう一つ、彼女が本気を出す可能性があるもう一つ選択肢をとったのだ。
私腹を肥やすためにカンナと戦おうとする密猟者のまるで逆、彼はカンナと戦うために、私腹を肥やそうとしているのだ。
信じられないことだった、考えられもしないことだった。かけらでも人間としての良心があれば、思いつきもしないようなことだった。
「あなた、その意味わかっているの?」
声を震わせながら、カンナが問う。
しかし、モモナリはあっけらかんと答える。
「あんたこそ、この意味わかってんのか?」
モモナリは笑っていた、だが、カンナを見返すその視線に、彼女は異様なものを感じた。信じられないほどに、澄んだ目だった。
ハッタリではない、この少年はきっと、それが自らとフリーザーを引き出す手段だと信じている限り、いてだきの洞窟のポケモンたちを根こそぎ乱獲するかもしれないし、それを売り払うかもしれない。そして、その気になればゴミ処理場だって作りかねない。
勿論カンナは、それを未然に防ぎたいし、防がなければならない。
ここに、両者の主張が共に通ることになる。
洞窟の中を、肌をしびれさせるほどの風が吹いた。モモナリは一つ身震いをして、カンナから視線を上げる。その震えは、ふいに洞窟内に舞い込んだ風だけが理由ではない。
カンナもまた、それを感じていた。当然だ、彼が強力なトレーナーであり、自分たちの敵であり、本気でこの洞窟を侵略しようとしているのならば、彼が、それを感じないはずがない。
れいとうポケモン、フリーザーは、長く美しい尾羽根をなびかせながら、カンナのもとに降り立った。
「いいなあ」と、モモナリは感嘆して、ボールを投げる。
繰り出されたゴルダックは、その相棒と同じように澄んだ目で彼女らを見つめ、どのような状況にも対応できるように腰を落とす。
「タイマンと行こうや」
モモナリの提案にカンナも頷く。
「わかってんだろうけど、あんたが負けたら」と、モモナリが言い終わるより先に、カンナとフリーザーは動く。
「『フリーズドライ』!」
彼女も分かっている、このタイマンを落とすようなことがあれば、モモナリはこの地に凄惨をもたらすだろう。なんとしても、それだけは防がなければならない。そうならないために、彼女は強者の道を選んだのだから。
フリーザーから放たれた光線がゴルダックを捉える。みずタイプに効果の薄い『れいとうビーム』と違い、水ポケモンの内部にある水を『フリーズドライ』するその技は、ゴルダックに対しては効果が抜群だった。
「『まもる』」
だが、ゴルダックは口から水流のバリアを吹き出してその攻撃から身を『まもる』。彼は敢えてカンナの動きを見る側に回ることによって、その後の戦略を選択する権利を得ていた。精神的な意味合いの部分で、先に仕掛けていたのはモモナリの方だったのだ。
カンナは自らの立場を瞬間的に客観的に考える。はっきり言ってこの状況はまずい。
なぜならばモモナリのゴルダックは選択肢として『かなしばり』を持っているからだ。ここでもう一度『フリーズドライ』を狙うのは悪くはない選択だが、そこに『かなしばり』を合わされると最悪だ。
過ぎたことではあるが、カンナが初手に『フリーズドライ』を選択したことが、甘いと言えば甘い。怒りによって乱れた彼女の行動を、モモナリが的確に咎めた。
ゴルダックとフリーザーのこの対面、一見すれば『フリーズドライ』を持っているフリーザー側が有利に見える。だが、『フリーズドライ』を封じられてしまえばそのまま一転して逆転する。
「『ぼうふう』!」
彼女は『かなしばり』を嫌ってフリーザーの持つもう一つの強みである風による攻撃を選択する。
フリーザーの作り出しが暴風が、洞窟内のしびれるような寒さをまといながらゴルダックに襲いかかる。外すリスクもある大技だったが、今回はしっかりとゴルダックにヒットしたようだった。
ゴルダックは一瞬だけその風に抵抗しようと踏ん張ったが、すぐにそれを諦めて『ぼうふう』に巻き上げられる。
カンナは勝負を決めるほどの大ダメージを期待した。だが、ゴルダックはひらりと身を捩らせて、『ぼうふう』をかわしていたモモナリの元にスタンと着地し、呆けた顔のまま、カンナたちを見据える。
その表情に、カンナは自らの思考を的確に読み取られたことへの動揺をあらわにする。
それは、『ドわすれ』によって作られる表情だった。自己暗示の一種で、自らのメンタルを強烈に引き上げる技、カンナもヤドランが得意技にしている。
モモナリは、二度目の『フリーズドライ』をカンナが打ってこないと予測するや、図々しくもゴルダックの能力を引き上げた。あるいはそれを引き上げることで『フリーズドライ』も耐えることが出来ると読んでいたのかもしれない。
ここまで、モモナリはカンナを相手に圧倒的な立ち回りを見せていた。それは、単純な実力だけの話ではない、カンナの読みが理論的に間違っていたわけではないし、どちらかと言えばモモナリの読みのほうが強引のようにも見える、ただ、結果としてそうなっているだけで、乱暴な言い方をすれば、運と片付けることも出来る。
だが、それよりも、ポケモンリーグから去るカンナと、これから最盛期を迎えるであろう若きトレーナーの勢いの差が、もしかすれば関係していたのかもしれない。
しかし、だからといってカンナが諦める訳にはいかない。
「『くろいきり』」
フリーザーがどす黒い霧を吐き出し、羽ばたきによってそれを洞窟内に充満させる。
それはポケモンたちの能力変化をもとに戻すことの出来る特殊な効果を持ったものだった。これによって、ゴルダックの『ドわすれ』を無効化させる。
だが、ゴルダックはそれに臆することなく、黒い霧をかき消しながらフリーザーのもとに跳び上がり、振りかぶった。
「『アイアンテール』」
ゴルダックは一回転し、尻尾をまるで踵落としのようにフリーザーに叩きつけ、洞窟内に鈍い音が響いて、フリーザーは地面に叩きつけられる。『アクアテール』の技術をより応用した技で、その威力は、まるで鋼タイプのポケモンが放つそれと同等、脆い氷タイプのフリーザーには、効果が抜群だ。
ゴルダックは両足を揃えて着地すると。ダウンしているフリーザーに向かって一気に間合いを詰める。
それは、この戦いの中で彼らが見せた唯一の隙だった。
「『フリーズドライ』!」
ゴルダックを十分に引きつけ、カンナが叫ぶと、フリーザーは頭をもたげてそれを放つ。『ドわすれ』の効力が消えた今、それは絶大なダメージを生むはずだ。
その技は、ゴルダックがはなった水流を交錯して、彼に直撃する。
ゴルダックはその光線の勢いに押され地面を転がり、所々の凍傷を地面にこすらせて悲痛な悲鳴を上げた。単純に考えれば、戦闘不能も考えられるダメージだろう。
片やフリーザーは、これと言ったダメージがなさそうに見えた。こおりタイプの彼にとってみずタイプの攻撃が効果が今ひとつなことを考えても、あまりにも。
目立ったものと言えば、『みずびだし』になっていることくらい。
彼女がそれに気づくのと、ゴルダックが両足を踏みしめて体を起こすのは、ほとんど同時だった。
ゴルダックが、足元の水たまりに両手をつける。その水たまりは、か細くか細く繋がりながら、『みずびだし』になっているフリーザーにまでつながっている。
「『シンクロノイズ』」
ゴルダックが手を付けた水たまりが振動による水しぶきを上げる、瞬時にそれは水の道に続き、フリーザーに襲いかかった。
その技『シンクロノイズ』は、みずタイプのゴルダックが同じくみずタイプのポケモンに対し大ダメージを与えることが出来る大技だった。
そして、あのときに放たれた『みずびだし』こそがその伏線。
それだけではない、彼等は『みずびだし』によってフリーザーのタイプを変更させることにより、擬似的に『フリーズドライ』の威力をも押さえることに成功していた。
伝説のポケモンであるフリーザーの、更に滅多に聞くことが出来ないであろう悲痛な叫びが洞窟内に響き渡っていた。
無理も無いだろう、特殊な振動が水を伝って自らの内部を攻撃しているのだ。これまでも、そしてこれからも味わうことのない攻撃だった。
しかしモモナリは攻撃の手を緩めない。彼は、戦いが、否、自らが戦ってみたいと感じたトレーナーたちが、こんなことで終わらないことを知っている。
彼がゴルダックに指示を出すと、彼もそれを待っていたと言わんばかりに、ついていた両手に力を込めて、スプリンターのように一気にフリーザーとの間合いを詰める。
カンナは選択を迫られる、限りなく小さく狭い選択を迫られる。
持ち前の特殊耐久力のおかげで、フリーザーは落ちてはいない、だが、おそらくゴルダックの次の攻撃に耐えることは出来ない。そして、ゴルダックを落とすことも難しいだろう。
ならば、あれを撃つしか無い。この状況ならば、あの技を撃つしか無い。
その技を撃てなかったから、彼女はリーグトレーナーとなった。そして、それは確実に彼女らの糧となった筈だ。
大丈夫だ、きっと撃てる。ワタルが相手のときには撃てたではないか。
この状況で撃つために、自分は強くなったのだ。
「『ぜったいれいど』!」
フリーザーが、それ以上無いほどの冷気を吐き出す。
かつて、この技は、洞窟内すべての、こおりタイプ以外の生物の息の根を止める技だった。だが、時が経ち、彼女が強くなり、その技の制御が可能になっていた。
向かってくる冷気を受けながら、ゴルダックは『つばめがえし』でとどめを刺そうとしていた。
だが、その途中、自らの身体が少し不自由になったことを感じ、そこで、彼の意識は途絶えた。
おそらく彼は、自らが凍ったことに気づいてすらいないだろう。
「ははあ」
その冷気に身を震わせながらも、命を奪われることまではされなかったモモナリが、美しく凍りついたゴルダックを眺めながら笑う。
「やられた」
「待ちなさい」
カンナの強い声が、洞窟内に響いた。手持ちの傷薬でフリーザーを手当しているそのスキに、モモナリがここからさろうとしていることに気づいたのだ。
ゴルダックをボールに戻し、ふう、と一つ息を吐いてから楽しげにそこをさろうとしていたモモナリが足を止めて彼女に振り返る。
もはやその表情に、この洞窟のポケモンをどうこうするなどという不埒な雰囲気は感じられなかった。もっとも、彼女が勝利したわけだから当然ではあるが。
「何の意味があるというの」
カンナはモモナリに問いかける。
「馬鹿みたいなリスクを負って、私達と戦うことに、一体何の意味があるというの」
カンナには、それが信じられなかった。
彼女はその経歴的に、強くあることを、戦わないことに使おうとした。だから、モモナリのように突っ張ってくる人間の心理が理解できない。
そして、それはモモナリも同じだった。
「目の前でフリーザーちらつかされりゃ、誰だってこうなるでしょ」
平行線だった。カンナは自らの強さの魅力にピンときていないし、モモナリは平穏の魅力にピンときていない。
更に今度は、モモナリが問う。
「馬鹿みたいなリスクって、なんです」
カンナはぐっと一つ息を呑んでからそれに答える。
「私は、あなたを殺せたわ」
あまりにも物騒な発言だった。
「私達の『ぜったいれいど』は、あれでも威力を調整しているのよ、その気になれば、あなたごと全てを凍らせることだって出来た」
モモナリはそれに少し考えてから答える。
「でも、あんたは俺を殺さなかった。もしあんたらがあの技で俺を殺そうとすれば、ゴルダックの攻撃が届いていたと俺は思うね。あんたらが勝ったのは、そんな事に考えを割かなかったからだよ」
一旦はそうやって反論したが、モモナリはカンナとその傍らのフリーザーを交互に見てから頭をかく。
「まあ正直、そんな事想像もしてなかったよ」
勿論カンナだって、それをするわけではない。そこにあるのはただの机上の空論。
「でもまあ」と、モモナリは続ける。
「もしあんたらが、俺達よりも強いのなら、その権利はあるだろうね。でもそこにあるのは権利だけさ、俺だって、あいつらを殺しはしなかっただろう。そんなことを考えるやつは未熟だし、洗練されちゃいないよ。そういう点では、まあ、あんたらの高貴さを信用していたのかもな」
カンナは、その言葉に嬉しさを覚える。自分たちがその他の粗暴者たちと一線を画する存在だと認識されていることは、彼女らがポケモンリーグでやってきたことが間違いではなかったということだからだ。
だが同時に、無茶苦茶だ、と、彼女は思った。
自分に対して、あれだけの挑発をしておきながら、一線を越えないことは信用していたなど、とても成立する理屈ではない。
目の前の少年は、あまりにも綱渡りに人生を生きている。そんなことをしても、誰も褒めてはくれない。あまりにも実りのない、悲しすぎる人生だ。
そこまで思って、彼女は、モモナリがこの洞窟を密猟者から守ってくれたヒーローだということを思い出した。半ば当然だが、彼女はそれを忘れかけていた。そして、彼女の中に、せめてそれを褒めねばという使命感が生まれた。
再び洞窟を後にしようとしたモモナリを、「待ちなさい」と、カンナが再び引き止める。
「ナナシマの人たちに、あなたを紹介するわ」
モモナリは一瞬それに嬉しげな顔を見せたが、やがて目を伏せて首を振る。
「それは無理だよね、今更そんな事出来るわけがない」
意外なことに、彼はそれを自覚しているようだった。
彼女はモモナリがそのような常識を持ち得ていたことに驚きながら。自らが持ち得る権利を使うことにした。
「いいから来なさい、負けたんだから」
カンナは、そういう女だった。
彼女の側にいたフリーザーが、鳴き声を上げながら飛び立つ。もうそこに、この洞窟に害を及ぼす驚異は存在していない。
「仰せのままに」
モモナリは彼女の表情を明るくさせ、ぴょこぴょこと跳ねるようにカンナの後に続く。その後、カンナの弁明によって、モモナリはナナシマの住民たちに、憎しみ半分歓迎半分で迎えられたのだった。