セキエイに続く日常
番外編-After the Elitefour B奇と悪
「珍しいこともあるもんだなあ」
 ジョウト地方はコガネシティ近郊の鉄道駅にて、男は感心したように鼻を鳴らしながら、腕時計を眺めた。
 男は、そこでキクコと待ち合わせをしていた、もっとも、それは男が提案したことではなく、またいつものようにキクコがトレーナー発掘のために男を誘っただけであった。待ち合わせの場所と時刻を意気揚々と伝えたのはキクコであったはずなのに、その時間になってもそこにキクコはいない。
 男のつぶやきの通り、キクコが待ち合わせに遅れることは非常に珍しいことだった。一瞬、男はキクコの身を案じたが、すぐさまそれはありえないと首を振る、一体この世の誰が、キクコに手をかけることを考えるだろうか。仮に知恵の足りぬものがそれを考えたとして、そのような知恵無しが、キクコを超えるほどの勤勉さを持っているとは到底思えない。交通機関の乱れと考えるのが自然だろう。
 そもそもカントーを本拠地としている彼等にとって、ジョウトは近くありそうで遠い場所だった。不安定な交通機関しか無く、共に栄えた地域であるはずなのに文化的な交流もほとんど存在しない。強力な野生の存在するシロガネ山が二つの地方を分断しているという一説が説得力を持っている。
 どうしたものか、と、考え始めた男は、自身の名を呼ぶ声に気がつき、不思議に思いながらその方を見た、それはキクコのものではなく、初老の男の持つ低い声だった。
 手を上げながら自らに歩み寄ってくる初老の男を、男は知っていた。サカベというトレーナーだ。
「探しましたよ」と、サカベは微笑みながら言った。
 男は、その言葉がサカベの口から出てきたことに、気まずさを感じた。
 サカベは、かつてはポケモンリーグのリーグトレーナーの一人であり、実力者として知られていた、しかし、彼は当時リーグトレーナーだったオーキドが離脱したことに感化され、自身も夢を叶え故郷に錦を飾るためにポケモンリーグを去ったのだ。
「あなたとキクコさんが、優秀なトレーナーをスカウトして回っていることは噂に聞いていますよ」
 仕方のないことだな、と男は思った。キクコ程の大物が動けば、少なくともトップ層のトレーナーはその意味を理解することができるだろう。
 更に男は続ける。
「今回、ジョウトのトレーナーを引き抜きに来たこともね」
 引き抜き、と言う単語に、男はサカベが自分たちに持っている感情が、歓迎ではないことを確信した。
 サカベの夢は、ジョウト地方に独立したポケモンリーグを設立することだった。
 アサギシティ出身の彼は、ジョウトのトレーナー達に優れた能力がありながらも、それを発揮するには自身のように故郷を捨てカントーに本拠地を移さなければならないことに悩んでいた。そして、ジョウト地方にポケモンリーグを作ることでそれを昇華しようと考えていたのだ。
 帰属意識の強いジョウト地方のことだから、それに賛同する人間は多かったかもしれない、だが、それは決して簡単な道ではなかっただろうと、長年キクコを近くで見てきた男は思っていた。
 サカベは、リーグトレーナーとして後輩であり、決して実力的にも引けを取らないであろう男に対して、深々と頭を下げた。
「頼む、今回ばかりは、手を引いてくれないか」
 頭を上げたサカベは、さらに男の肩を痛いほど握りながら続ける。
「ジムが出来た、システムも作った、スポンサーも集めた。もうジョウトリーグは完成間近なんだ。そして、ようやく最後のパーツを見つけたんだ。ジョウトのトレーナーたちの模範となり、リーグの看板となる絶対的な才能を持った王者を、数十年に一度現れるかどうかの天才を、俺達はようやく見つけたんだぞ」
「それは、絶対にキクコさんの前で言っては駄目ですよ」
 サカベの腕を掴みながら、男は答える。
「あの人の性格だから、それを聞いたら、ますます黙ってないでしょう。あの人は力の使い方と、そのタイミングを、限りなく理解している人なんですから」
 サカベは、少し目を潤しながら男の目を見た。
「だからこそ、君に言っている」
 男は一瞬その返答の意味を理解できなかった、どういうことだろうかと心の中で首をひねってから、ようやく理解する。
 サカベは、おそらく男の返答を理解していたし、キクコに何を言ってそのトレーナーを引き抜きにかかるであろうことも理解していたし、おそらくサカベらジョウトのトレーナーに、彼女の暴力を止めるすべがないであろうことも、自分たちの実力を極めて客観的に見極めて理解していたのだ。
 だからこそ、サカベは男を落としにかかった、彼はまあまあ強いが、気がよく、お人好しだから。
 はあ、と男はため息をつき、懐からキクコへの書き置きのために手帳を取り出しながら言った。
「じゃあ、とりあえずそのトレーナーに会わせてくださいよ、それから、色々考えましょう」



「なんて言うんでしたっけ、そのトレーナーは」
 先を行くサカベの背中越しに、男は彼に問うた。
「カリンだ」と、サカベは答える。
「女性ですか」と、男はその名前の響きから性別を予想し、多少驚きながら答える。妙な感覚だ、サカベのようなベテラントレーナーが絶賛するものだから、てっきり男だと思っていたが、よくよく考えれば、ポケモンの扱いが上手いか上手くないかに、性別なんてなんの関係もありはしないことを、男はキクコの存在からようやく思い出した。
「まだほんの少女といったところだが、とんでもない才能を持っている」
 才能ですか、と、男は空に向かって繰り返した。
「まあたしかに、才能だけは若さ関係ありませんからね」
 派手派手しい電飾のスロット屋を過ぎ、コガネ名物のラジオ塔も通り過ぎる。
「才能だけは、か」と、サカベが思い出した様につぶやいて、更に続けた。
「舐めてると、痛い目を見るぞ」
 その言葉には、サカベのカリンに対する多少の恐怖が乗っているように男には聞こえた。
「才能だけで調子に乗ってるガキなんて、コガネにゃ腐るほどいる、その程度のやつに夢を背負わせるほど、俺達はアホじゃないさ。カリンはな、見た目こそガキだが、中身はオオカミだ」
 その信頼に、男は多少意地の悪い質問をぶつけた。
「もしですよ、もし、そのカリンってトレーナーが、カントーの方のポケモンリーグに行くと言い出したら、どうするつもりなんです。最終的には、トレーナーの自由意志でしょうそれは」
 何かが作られているのであろう工事現場を通り過ぎ、サカベはそれに答える。
「その時は、まあ仕方がない。だがそうなれば、俺達はジョウトリーグそのものの機構、ひいては、本当にジョウトリーグを作るべきなのかどうかを一から議論し直す必要があるだろうな」
 は、と、男は思わず立ち止まって、あまりにも独りよがりな疑問の声をあげてしまった、そしてすぐに早足でサカベとの距離を詰めたが、サカベは更に大真面目に続ける。
「それほどのトレーナーだ、カリンならば、キクコに負けない格を俺達にもたらす。大の大人が揃い揃って一人の少女にぶら下がることへの賛否はあるだろうが、俺達はそれを恥ずかしいとは思わない、強いトレーナーがリーグの繁栄をもたらすことになんの不思議がある」
 ここだ、と、サカベはあるゲートの前で立ち止まった。男はその看板に書かれた文字から、そこが自然公園であることを知った。
「ここに待たせてある、今日、君達が来ることを知っていたから、彼女を手元においておきたかった」
 ゲートを潜りながら、こりゃあますますキクコに会わせる訳にはいかないだろうなと男は思った。絶対にキクコはそれを欲しがるだろうし、サカベらジョウトのトレーナー達は、それを阻止しようとするだろう。
 慎重に立ち回らなければならないな、と、男は思っていた。自分の行動一つで、もしかすればカントーとジョウトの間に戦争が、仁義なき戦いが繰り広げられることになるかもしれない。



 そこに、少女はいなかった。否、今目の前にいる仮面をつけた奇術師のような少年が、実は女なのですと言われてもある程度の納得はできるが。おそらくサカベの反応からして、それは違うのだろうなと男は思った。
「カリンは何処に行った」と、サカベはその少年に問う。
「消しました、僕がね」
 少年は、両手をひらひらとさせながらそれに答える。
「誰ですこの子は」
「イツキっていう、カリンに懐いてるガキさ」
 サカベはため息をつきながらそう答えた。
「まんざらでもねえのかカリンも気に入ってるから話がややこしい」
 もう一度だけ聞くぞ、と前置きしてから、サカベは更に「カリンは何処に行った」と少年に問う。
 少年は全く臆すること無く「知りたければ勝利を」と言って腰に手をやる。見れば、そこにはいくつかのボールがあった。
「それが、彼女の望みです」
 そして、ボールを握った手で、イツキは男を指差した。
 男は自らが指名されたことに驚き、助けの期待を込めてサカベの方を見る。
 サカベは頭に手をやりながら首を振る。
「まあ、遊びと思って付き合ってやってくれ。ただ、このなりで結構強いから気をつけろよ」







 彼女は、男との待ち合わせに遅れたわけではなかった。否、むしろ誰よりも早くそこに到着していた。自分が場所と時間を指定しておいてそれに遅れるなんて、やってはならないことだ。
 別に一人でもなんとかなるとは思うのだけれど、と、生まれつつあった暇への対処を考えいていたキクコに、少女が声をかけた。
「少し、お話しましょう」
 キクコがどういう人物なのかを知ってか知らずか、少女は物怖じしていなかった。そしてキクコは、それがただの無知からくるものではないことくらい理解できる。
「名前を、教えてくれないかねえ」
 少女は、微笑んでそれに答える。
「失礼、あたしはカリン。あなたが探しているトレーナー、そうでしょう、カントーリーグチャンピオン、キクコさん」


 コガネシティの中心部に存在する工事現場、キクコは、カリンに案内されるままにそこにたどり着いた。
 あまり賢い選択ではなかったかもしれない、悪意ある若者たちが、行き場のない血の気を発散するために獲物を誘い込むということだって考えられる。最も、キクコはそれを承知でそこに来たわけだが。
 そこにいるかも知れなかった若者達には幸いなことに、そこには、少女以外の誰もいなかった。
「今は、工事が中断しているの」
 キクコの疑問に答えるように、カリンが呟く。
「都市計画が頓挫したらしくてね」
「あまり品のいい場所とは言えないね」
 少女を牽制するように、キクコが言った。しかし少女はキクコに向けた微笑みの表情を変えずに答える。
「そうかしら、あたしは結構好きよ、こういう場所はね」
 そして、彼女は腰のボールに手をやった。
「お話と言っても、特に聞きたいこともなければ、言いたいこともないの、ただ、あなたと戦いたいだけ」
「別にいいけど、どうしてこんな場所で誰かから隠れるように戦う必要があるんだい」
 キクコは、更にカリンを牽制する。彼女は、今この場での主導権がカリンにあり、彼女が自らをコントロールしようとしていることに気づいていた。
 本音を言えば、キクコは今すぐにでもカリンと戦いたかった。自らに物怖じせず、誘い、はてはコントロールしようとしている。それは、恐れ知らぬ若さだけでなし得ることができることではない、自らの強さに、絶対的な、虚栄なき自信があるからこそできる。その余裕が、自信が、キクコの中に流れる戦士としての本能をくすぐり続けているのだ。
 年齢で言えば、カンナと同じか、それよりも少し幼いだろう。しかし、生まれ持った才能にまだ戸惑いがあったカンナと違い、カリンは、その若さにしてすでに、自信が持ち得た才能を受け入れるばかりか、一人のトレーナー、一人の人間として、しっかりと地に足をつけているようだった。
「あなたなら知っているでしょうけど」と、カリンが答える。
「もうすぐ、ジョウトにはポケモンリーグの真似事が生まれる、そして、あたしはもうすでにそれに参戦することが決定している。ジョウトリーグの関係者はね、あたしとあなたが接触することを恐れている」
 そりゃ、そうだろうね、とキクコは思った。自信が行おうとしている引き抜きが、ジョウトから見ればとんでもない行為だという自覚はあった。
「まあ別にそれは良いけれど、あたしが気に入らないのは、あたしが、あなたと戦うことも恐れられているという点ね」
「戦うこともかい」
「ええ、皆口には出さないけれど、あなたとあたしが戦うことで、ジョウトとカントーの間に明確な格付けがなされることが怖いみたい」
 なるほど、とキクコは納得した。帰属意識の強いジョウト人の事だ、『カントーより下』のリーグに熱狂するのかと言われれば、それは怪しい。
「あたしはそれがつまらないの。戦いたい時に、いえ、戦いたくないときにだって戦うのが、トレーナーのあるべき姿だと思わない? キクコさんなら、わかってくれると思うけれど」
 含みのある言葉だった、まさか自分の挑戦を、キクコ程のトレーナーが受けないわけがないだろうという、仮に戦いたくなくとも、戦うのがトレーナーであろうという。
 言葉を返さぬキクコにカリンはさらに続ける。
「ジョウトの重鎮に惚れられ、ポケモンリーグのチャンピオンに惚れられ、歳下のジプシーマジシャンに惚れられるのも悪くはないわ、けれど、あたしを束縛することができるのは、あたしだけ。これまでも、これからもね」
 キクコはその少女に姿形以上の巨大な概念を見出していた、先程、キクコはカリンを一人の人間として地に足をつけていると評した、しかし、それは間違いだったのだろうと彼女は思っている、その表現では、カリンの持つ才覚を表現しきれていない。
 本来ならばまだ空想の世界に身をおいていてもおかしくない年齢であるはずの彼女は、力を持つ者たちが作り出す巨大などす黒い渦の、その中心にいることを理解し、それを楽しみ、それでいて自身の個は強く確立していた。
 似ている、と、キクコは思った。自身の考え方と、彼女の考えは大きく似ている。
 だが、この年齢の時、自分はこの境地にいたのであろうか、もし、あの男と袂を分かつ事がなければ、自分はこの境地にいたであろうか。
「構えな」と、キクコは彼女を急かす。
 この対面における主導権を、力で引き寄せようとしていた。





「『れいとうパンチ』」
 ルージュラはその姿に似合わぬ軽やかなステップでプクリンの懐に潜り込み、右の拳をその柔らかな腹に叩き込む。
 彼女の細腕は例えばカイリキーのような太すぎる腕に比べれば力を持たない、だが、その拳に込められた冷気は、プクリンの体内からダメージを与える。すでに何匹かのポケモンを相手にしていた彼には、十分すぎるほどのダメージだった。
 男はプクリンをボールに戻し、間髪をいれずに次のポケモンを繰り出した。少年に、考える時間を与えたくなかった。頭のいい、見た目の割によく考えているというのが、戦いを通じ男がイツキに持った印象だった。
「『リフレクター』」
 新たに繰り出されたポケモン、カビゴンを見るやいなや、イツキはそう指示を出し、ルージュラは特殊な壁を前面に張る。
 カビゴンに対して物理技の威力を落とす『リフレクター』の選択は手堅く、的確だ。しかし、カビゴンはそれに動じること無く片手を地面につき、腰を落としてタックルの姿勢を取った。さらに男は、『すてみタックル』と叫ぶ。
 四百キロ近くの体重を支えている両足が、その力をいっぱいに使って地面を蹴る。そして、その巨体は『リフレクター』の障害をもろともせずに、ルージュラを吹き飛ばした。
 イツキはその光景に少し戸惑っていた、勿論、ルージュラというポケモンがフィジカルに優れている種族ではない事は知っている、『リフレクター』があってもそれなりのダメージは受けただろう。それよりも、対面の男が、何の戸惑いもなく『すてみタックル』の指示を出したことに驚いていた。ルージュラやこの後に控えているポケモンを考えれば『ドわすれ』などで自身を強化してくると思ったのだ。
 ルージュラを手持ちに戻し、男とは対象的にゆっくりと考えながら、イツキは最後のボールを投げる。
 現れたヤドランは呆けた表情を見せる『ドわすれ』で思考の中の余計なものをはじき出し、自己の特殊能力を引き上げる技。
 カビゴンのタフネスさを考えれば、たとえ『すてみタックル』で体力を消耗していても、一撃で沈めるのは難しいだろう、それよりも、自身の能力を引き上げ、火力のプレッシャーを男の後続にまでかけ続けるのがベストという考え。
 しかし、男とカビゴンは、イツキの繊細な組み立てを嘲笑うかのように突き進む。
 ふわり、と、カビゴンはその場から跳んでみせた、勿論それはポニータのような建築物を飛び越えるような規模のものではないが、その巨体を考えれば大したもの。落下地点はおそらくヤドラン上空。
「『のしかかり』」
 ヤドランの貝に存在するトゲが突き刺ささることも気にせず、カビゴンがヤドランにのしかかる。
 しかし、その一撃でやられるヤドランではない、『リフレクター』もあり、彼もまた、タフネスには強みのある種族、彼はサイコパワーを持って、カビゴンをはねのける。
 いける、とイツキは思った。『サイコキネシス』を叩き込めば、カビゴンは沈む。
「『サイコキネシス』」と彼は叫んだ。しかし、ヤドランの反応が遅れている。
 その致命的な遅れに気づいた時、彼は、カビゴンの体重を一気に受けたヤドランの片足が『まひ』し、まだ地面を上手く踏みしめられていないことを悟った。
 そして相手に目を向ければ、カビゴンは再び腰を落としてタックルの体勢。その絶望を受け入れるには、彼はまだ若すぎる。
「『すてみタックル』」の指示が早いか否か、カビゴンはヤドランに突撃する。ヤドランはかろうじてそれを受け止める体勢を作ることだけは出来たが、その巨体の突撃は、それだけでは防げない。
 カビゴンの肩口がヤドランを捕らえ、それを吹き飛ばす、カビゴン自身も地面を転がりダメージを受けるが、その派手さは、ヤドランに与えたダメージを物語っていた。
 状態を確認すること無く、イツキはヤドランをボールに戻した。誰がどう見ても、決着は明らかだった。
 それを傍観していたサカベは、彼らの勝因と敗因をハッキリと理解していた。
 試合を通して、上手く戦局をコントロールしようとしていたのはイツキだった、そして、それはほとんど実現できていた。老獪のように見えて、すべてを支配したいという若さのある組み立て。
 その繊細な組み立てにいち早く気づいた男が、戦局を荒らしにかかった。イツキの土俵で戦うことをいち早く拒否し、力をぶつけることによって歯車を無理やり破壊したのだ。それは、経験からなる大胆さだった、完璧な戦いなど、滅多にありはしない事を知っていなければ、そこに踏み込めない。本当の意味で老獪だったのは、男の方だ。
 男は、わかりやすくうなだれるイツキに歩み寄り、微笑んで言った。
「場数を踏めば、必ず強くなるよ」
 彼は満足げだった、それは勿論勝利したことによる優越感も多少はあったのだろうが、それよりも、原石のきらめきをめにすることが出来た高揚感のほうが大きかった。
 しかし、イツキは悔しげに、男と目を合わせなかった。勝利を取りこぼしたと、言わんばかりに。
 その礼を欠いた態度にも、男はむしろ頼もしい跳ねっ返りの強さを感じ、更に微笑む。
 そして、頭を掻きながら言った。
「僕もまあまあ強いんだけどなあ」





 激戦だった。
 ここまでの激闘はいつ以来だろうか、あの男の頃にまで遡らなければ、経験がないような気がする。
 その頃に比べれば、肉体的なパフォーマンスは衰えているだろう、見慣れぬジョウトのポケモンに対する不慣れもあった。だが、それでも。
 力量を測ることができればそれでよかった。極端なことを言えば、負けたって良かった、そうやって相手に華を持たせると言う選択肢だって、無くはなかったかもしれない。
 だが、キクコは途中から、負けぬことに全力を注いだ。何か恐ろしいものの片鱗を感じた、たとえそれが彼女の狙いであったとしても、今ここで勝っておかなければ、おそらく一生彼女に勝利することは出来ないのではないだろうかという予感が、ポケモンリーグチャンピオンであるキクコに、全力を引き出させた。彼女は自らの高齢を悔しく思っていた、トレーナーとしてではなく、人間として残された制限時間が、彼女にそれを恐怖させたのだ。
 キクコは勝利を拾った、だが、それは完全なる勝利ではなかった。
 彼女は、戦いの中でカリンの持つ才覚の、その底を図ると言う目的は達成できていなかった
 キクコは、戦闘不能になったイーブイをボールに戻すカリンを見る。その表情のなんと涼し気なことか、おそらく必死の形相になっていたであろう自分とは全くの逆。はたから見れば、どちらが勝利したのかわかりやしない。
「素晴らしかったわ」
 カリンは、おそらくすべての本心から、そう言った。
「本当に、本当に素晴らしかった。こんなにも、こんなにも滾ったのは、多分初めて」
 興奮げに語る、そのときだけは、彼女は年相応の少女に見えた。
「良いのかい、負けたんだよ、あんたは」
 キクコは、まだ微笑むことが出来ない表情でなんとかそれらしいものを作り出しながらそう言った。
 はたから見れば、それは挑発的な言葉に聞こえるだろう、だが、キクコが真に問いたい部分は別にあった。
 素晴らしい戦いというものに、自身が負ける戦いが組み込まれている彼女の思想を、探りたかったのだ。
「そんなの、関係ないわ」
 興奮を切らさずに、カリンは答える。
「もしかしたら、自分より強いトレーナーには、今後出会えないかもしれない。そんな不安を、あなたは吹き飛ばしてくれたのよ。勝つことが戦いならば、負けることだって戦いでしょう。素晴らしい戦いに、勝敗のアヤはないわ」
「あんたが欲しい」
 考えがまとまるよりも先に、キクコは反射的にそう叫んでいた。彼女が持っている、強烈な自我を、キクコはそれ以上ない唯一無二のものとして、もはや尊敬の念すら感じていた。
 負けても良い、自身の負けを肯定し、それを素晴らしいものだと捉えることができる。それは、自身という強烈な個を、圧倒的な自我を持つが故にできる、圧倒的に傲慢で、それでいて清すぎる発想。
 勿論、自我だけを持っていても役には立たない、大した実力もないくせに、自我だけは立派が故に破滅してきたトレーナーを、キクコは何人も知っている。
 だが、そこに才覚が乗るのならば話は別。
 彼女は必ずリーグをもう一段階の高みへと引き上げる、自ら亡き後も、女王として君臨してくれる。もはやキクコはそれに確信を持っていた。
「あんたなら、今すぐにでも通用する。あんただったら、全部すっ飛ばして来年からすぐに参戦しても良い。下積みの時間がもったいないよ。任せな、全部あたしがなんとかしてやる」
 魅力的な提案だった、あのキクコにここまで言わせているのだ。
 しかし、カリンは首を横に振る。
「ありがたい話だし、毎年あなたと戦えるなんて夢のようだけれど、それだけは出来ないわ」
「どうしてだい」と、キクコは大きく言った。
「ジョウトを裏切る訳にはいかないもの」
「それに何の意味があるんだい、いつまで持つかもわからないリーグに肩入れして、トレーナーとしての全盛期を不意にする必要はないさ、政治的なことは全部あたしに任せればいい。どんな言葉も、あんたには一言も通しやしない」
 その価値が彼女にはあるとキクコは確信していた。
 だが、彼女はそれでも首を縦には振らない。
「もし、逆の立場なら、あなたはジョウトを捨てたかしら。あたしとよく似ている、あなたは」
 その発言の意図するところをキクコは汲み取り、何も返すことができなかった。
「あなたがポケモンリーグをより良くしようとしているように、私はジョウトをより良くしたい。そのために、あたしがジョウトを去る訳にはいかないの」
 キクコは、それ以上彼女を説得することを諦めた。強烈な個と、自我を持ち、更にそこに義が加われば、もうその心を動かすのは不可能だろう。
 だが、あまりにも惜しい。
 キクコのその思いを感じたのだろう、カリンは微笑みながら言う。
「ここ、何ができると思う」
 ここ、とは今自分たちがいる工事現場を指しているのだろうが、キクコは想像がつかず、何も返さない。
「リニアよ、ここには、リニアの駅ができる予定なの」
 それを聞いて、キクコも心当たりを思い出した、コガネとヤマブキをつなぐリニアの計画を聞いたことがある。
 しかし、彼女の知っている限りそれは。
「今は色々とごたついて計画が中断されているけど、リニアそのものは、必ずできるわ。だって、ジョウトとカントーを一つにする大きな計画ですもの」
 一泊置いてさらに続ける。
「リニアがジョウトとカントーをつなぐのと同じように、ポケモンリーグも、いずれはジョウトとカントーはひとつになるとあたしは思っているの」
 その壮大な構想は、キクコも思ってはいなかった。彼女は自ら亡き後のポケモンリーグを考えてはいたが、その後のことまでは頭が回っていなかったからだ。
「ジョウト無くしてカントーは無く、カントー無くしてジョウトは無いわ。二つが一つになって、より大きなリーグになる日がかならず来る。その時、両方に強者が揃っていれば、リーグはより高めに近づける、混沌は、いつだって良い変化をもたらすから」
 キクコは、それを肯定しなかったが、否定もしなかった。うら若き少女の絵空事と切り捨てるには、カリンは賢すぎる。
「だから今は、あたし達を見逃して欲しい。いつか必ず、あたし達は寄り添うようになる」
 キクコはため息をついた。本当に、本当に惜しい人材だ。だが、その言葉を信じ、乗るだけの価値もある。
「なるほどね」と、キクコは相槌を打って更に続ける。
「それなら期待して待っておくよ。いつか、あたし達がジョウトのトレーナーの力を借りたくなったら、ぜひともその力を貸しておくれ」
 カリンは微笑み、それを承諾した。
 その時、数人の男たちがガヤガヤと自分たちに近づいてくることに彼女らは気づいた。
「イツキ、負けたのね。まあ、いい薬になったでしょ」
 そうつぶやいたカリンは、更にキクコに向かって続ける。
「ジョウトの奥地、フスベという村に、ドラゴン使いの一族が暮らしているわ。強いトレーナーを探しているなら、行ってみればいいわ」
「いいのかい」と、キクコは驚いた。
「ジョウトはあんた達の縄張りなんだろう」
「勿論、あたし達も行ってみたわ。けれど、敵わなかった。今のあたし達のレベルでは、彼らを振り向かせることができなかった」
 聞き覚えのある声が、キクコを呼んでいた。元はと言えば、その男が予定ギリギリに来るようなやつだから、こんなことになったのだが、それは、不幸中の幸いということになるだろう。
 自らにウィンクするカリンに、キクコは笑みを返した。


■筆者メッセージ
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来来坊(風) ( 2018/02/17(土) 20:04 )