10-特権
ミナモシティ、コンテストライブ会場。
ルネジムリーダー、ミクリとその友人のコーディネーター、オーノは、うつくしさノーマルランクを観客席から眺めていた。
当然ライバルの視察ではない。たしかにミクリはうつくしさマスターランクコンテストを数日後に控えてはいるが、この大切な時期にノーマルランクにエントリーするライバルはいない。
彼らは、ノーマルランクに参加する新人コーディネーターをチェックするのが好きだった。こなれてきてセオリーを重視したアピールが多いスーパーランクやハイパーランクと違い、ノーマルランクには独創的で挑戦的なアピールをするコーディネーターがいることが稀にあるからだ。
同じことを考えている人間が多いのだろう、ノーマルランク観客席は意外と席が埋まる。ミクリのような有名人でもちょいと変装をしてしまえば滅多ににバレない程度には。
おっ、とオーノが一人の出場者に目をやった。
四番目のエントリー、サトーと紹介されたそのコーディネーターは、最終進化形であるゴルダックと共に出場していた。
「肉付きは悪くない」
彼らは共にルネシティ出身だった、水の街と呼ばれることもあるルネは、水タイプの使い手が多く、彼らもまた、水タイプのポケモンに対する造詣は深かった。
「よく鍛えられているね、実力のあるトレーナーなんだろう」
ミクリも、オーノに同調して彼らを分析する。オーノはまだマスターランクへの出場権こそ得ていないが、いずれトップコーディネーターになる資質があると、ミクリは僅かに年下の彼を高く評価していた。
だが、ミクリは「だけど」と続ける。
「コンテストには不慣れなようだね」
オーノもふふっと小さく笑ってそれに同意した。
彼なりに頑張ってコンテスト用におめかししたつもりなのだろうが、櫛を入れる方向がバラバラだったのか毛並みは無茶苦茶だし、目付きと爪は尖すぎる。コンディションから判断するにポロックもあまり食べさせていないのだろう。
「一次審査の評価は酷いだろうね」
コンテストは二段階の審査があり、一次審査はその見た目を評価し、二次審査で技を評価する。
サトーのようにコンディションをおざなりにしているコーディネーターはまずこの一次審査で評価されることはない、コンテストのことを多少調べることさえすれば、犯しようのない間違いだからだ。
この時点で、二人は四人の出場者の内、サトー一人しか注目すべきコーディネーターは居ないと判断していた。その他の三人はポケモンのコンディションをきっちり整えている上に、共にアピールするポケモンも、ありきたりなものだった。
「技には、期待ができるかもね」
ミクリの言葉に、オーノは頷いた。ゴルダックを見れば、実力のあるトレーナーであることは分かる。
その時、サトーが二人の方に目線を向け、ニンマリと笑った。何かを、見抜かれたような笑みだった。ゾゾゾ、と恐怖に近い感覚が、二人の背筋をなでたような気がした。
「面白かったけど、ありゃ酷いな」
ミクリと共に観客席を後にしたオーノは、先程のうつくしさノーマルランクコンテストをそう評した。
二人が楽しみにしていた二次審査、サトーとゴルダックが見せたのは、大技『ハイドロポンプ』のみだった。
『ハイドロポンプ』そのものは、うつくしさを競う上で悪くはない選択肢だ、うつくしさを全面にアピールすることができるし、審査員の注目を一気に引き寄せることもできる。
だが、それもやりすぎると逆効果だ、審査員はその技しか取り柄がないのかと呆れてしまうし、観客もうんざりして盛り上がらない。
「技単体で見れば悪くなかったけどね、四回も続けるのはスマートじゃない」
ミクリも同じような感想を持っていた。
「あれじゃ勝てるもんも勝てないよ、まあ、トレーナーの暇つぶしかなんかなんだろうけど」
ポロックでも作っていくか。とオーノがミクリを誘おうとした時、遠くから、男が早足でこちらに向かってくるのが見え、目を見開いた。ミクリもオーノの様子に気づき、男と目線を合わせる。
男は、先程コンテストに出場していたサトーだった。彼は分かりやすく目深にかぶっていた赤いキャップを、更に目深にしながら「ルネジムリーダー、ミクリさんですね」と右手を差し出した。
明らかに不審だったが、ミクリにとっては珍しいことでも何でもない。ジムリーダーとして、コーディネーターとして結果を出している彼の変装を見破り、不審な男が握手を求める、いくらでもありそうな光景だった。
「いかにも、私がジムリーダー、ミクリです」
ミクリは深く、しっかりとサトーの右手を握った。大抵の相手は、そうやってサインでも書いてあげれば、いともあっさりと引き下がる。だが、きっとこの男はそうではないのだろうな、とミクリは予感していた。
サトーは彼の右手を握りしめたまま、ニッコリと笑って言った。
「実は、あんたと戦いたくてここまで来たんだ。俺は今すぐでも良い」
だろうな、と二人は思った。あのコンテスト内容から察するに、この男がそういうものよりも、バトルの方に価値を見出している事は簡単に予想がつく。
「ルネジムに連絡を入れてみよう」
そう言って、ポケギアを取るために握手をとこうとした右手を、サトーは再び強く握る。
「いやいや、ジム戦じゃねえんだ。バッジは必要無い」
彼はようやくミクリの右腕を離し、胸元からトレーナーカードを取り出した。そこには、既に八つのバッジが存在している。しかもそれは、ジムの歴史が最も古く、ポケモンリーグの本部が存在するカントーのものだった。
どうやら、想像以上の大物らしい。オーノは、思うところがあって、まじまじとサトーの顔を見つめた。
「俺はあんたのミロカロスと戦いたいんだ。あんたのパートナー、コンテストでキラキラしてる、あのミロカロスとな」
厄介だな、とミクリは思っていた。一応最後に「ジム戦じゃ不服かい」と食い下がってみる。
「ジム戦じゃあ意味が無いからな」と、サトーは拒否する。
「ジム戦ってのは、あんたらの本気じゃないだろう。そういうのは、もういいんだ」
ミクリがその返答に困っているのを見て、オーノがサトーの肩を押して間に入る。
「ミクリ、こんなやつに付き合う必要はねえ、損するだけだ」
ようやく思い出した、とつぶやいて続ける。
「お前、カントーリーグのモモナリだな」
その名前は、ミクリも耳にしたことがあった。
サトーは、キャップを少しだけ上げて、特に悪びれるでも、慌てるわけでもなく「ああ、そうだよ」と答えた。
「イッシュ地方のチャンピオンを襲って、もう十分名前は売っただろ」
その言葉を聞いて、ミクリもようやく思い出した。
二週間ほど前、ジョウト地方を観光していたイッシュ地方のチャンピオン、アデクを襲撃したリーグトレーナーが、随分と話題になったのだ。そのトレーナーはそれまでにも数々の問題行動を起こしており、ついにポケモンリーグが公式に処分を言い渡したと。
「三ヶ月の謹慎じゃ足りないって事か、名前を売るには随分なリスクだな」
「言いがかりだ、俺は本気のミクリと戦いたいだけだ」
「だからそれが無茶なんだよ、ミクリとミロカロスはうつくしさマスターランクコンテストを控えている。大体、ミクリのミロカロスにどれだけの価値があると思ってる、売名に使われるのはゴメンだね」
ミクリとパートナーであるミロカロスは、その素晴らしいうつくしさと、質の高い技の数々で、もはやホウエン地方のコンテストの歴史を語る上で、無くてはならない存在になっていた。事実、ミクリの出場するうつくしさマスターランクコンテストは既に全国放送が決定しており、チケットは当然のように捌けている。もし、戦いによってそのコンディションに何らかの問題が発生すれば、ホウエン地方そのものを揺るがしかねない大きな損害になる可能性すらあった。
「俺はコンテストを理由に戦わないことのほうがゴメンだ」
堂々巡りになるであろう返答を、モモナリはケロッとした顔で言った。
「構うことはない、ミクリ、さっさと行こうぜ」
オーノはモモナリの反論を無視して、ミクリの手を引いた。ミクリは何かを考えている風だったが、オーノに手を引かれるままに、コンテスト会場ロビーを去った。彼の判断は、正しかっただろう
残されたモモナリは、ふう、とため息を付いて「まあ、いいさ」と笑う。
「今は無理でも、いずれ戦うことになるんだからな」
☆
「おいおい、これはどういうことだ」
オーノは、ミクリがそれを口にするよりも先に、そう口にした。
コンテスト会場ロビーは、多くの人でひしめき合っていた。
ミクリガエントリーしているうつくしさマスターランクコンテストの日ならば、その説明もつくのだろうが、それはまだ先の話、今日に限っては、かしこさスーパーランクと、幾つかのノーマルランクコンテストがあるのみだった。
特に異質なのは、人々の半数以上が、コーディネーターではなく、トレーナーであることだった。勿論トレーナーがコンテストに出場してはいけない規定などはないが、ミナモシティを拠点としているトレーナーの半数以上は、コンテストに興味が無いはずだった。
すぐさまオーノは、近くにいたコーディネーターに声をかけた。彼女はミクリやオーノよりも年上だったが、彼らが自分よりも優れたコーディネーターであることに敬意を表している、人間の出来たコーディネーターだった。
「みんなここに避難してるのよ」と、彼女は言った。
「避難」とオーノとミクリは首を傾げた。
「なんでも、とんでもなく強いトレーナーが現れたらしいのよ」
二人は、背筋を凍らせた。心当たりがこれ以上無いほどにあった。
「トレーナーだろうがコーディネーターだろうがお構いなしにふっかけてくるらしくてね。ここならバトル禁止だから」
「ポケモンセンターもそうだろう」
「そっちも人でいっぱいなのよ、それも避難じゃなくて、ポケモンの治療待ちでね」
二人は言葉を失った、ポケモンセンターで順番待ちだなんて、聞いたこともない。
オーノは彼女に丁重に礼を言って、「一体どうしたいんだ」と呟いた。
「そういうタイプの、トレーナーなんだろう」と、ミクリは答えた。
「そういうタイプというと」
「戦うことしか、知らないのさ。戦い続ければ、いつか自分の要求が通ると思っている」
ふうん、とオーノがなんとなくそれに相槌を打った時、自動ドアの音と共に、ロビーのトレーナー達からざわめきが起こった。二人がそのざわめきの指す方向に目をやると、そこには昨日の男、モモナリがいた、もはや正体を隠すつもりは無いのだろう、赤いキャップはかぶっていなかった。
モモナリは、ぐるっとロビーを見渡して、ミクリとオーノを見つけると、ニヤッと笑って早足で彼らに近づいた。トレーナーや、コーディネーター達は、何か安心したような表情を見せながら、人波を割って、彼に道を作った。
「あんたと戦いたいんだが、俺は今すぐでも良い」
本人は、ニッコリと笑っているつもりなのだろう、だが、その目は明らかに好意ではなく、一刻でも早く自分の欲求を満たしたい肉食のポケモンのような、コンテスト会場にあまりにもふさわしくないものだった。
「君は、脅しで私達を引きずり出そうとしているのか」
ミクリの口調には、明らかな軽蔑の意があった。だが、モモナリはそんなことを気にもとめずに返す。
「脅しってなんのことだ」
「ミナモシティのトレーナー達を襲っているだろうが、ポケモンセンターが機能しなくなるまで」
オーノはいらつきながらそう口を挟むが、モモナリは首を傾げる。
「妙なことを言うなあ、トレーナーがトレーナーと戦って何が悪いんだ。目と目があったら勝負をする、トレーナーとはそういうものだろう」
「いつの時代の話だよ」
「あんたはわかってくれると思ったんだけどね」
さて、とモモナリはオーノとの会話を強制的に終わらせて、ミクリと再び向き合う。
「で、どうなの。戦ってくれるの、くれないの」
ミクリは鋭い目つきでモモナリを見据えながら答える。
「君のやり方はスマートではない。戦いとはお互いへのリスペクトがあって初めて成立するものだ。君の欲求を満たすためだけに、ミロカロスを使う気にはなれないな。ルネジムで君の考え方そのものを鍛え直しても良いのならいつでも歓迎だけどね」
その返答に、ふう、とモモナリは長いため息をつく。
「頑固だなあ、それに、戦いというものを難しく考えすぎだよ。例えば今ここで俺があんたを襲えば、あんたは絶対にミロカロスを使わざるを得ないだろうに」
不穏で、明らかに不用意な発言だった。ロビーが大きくざわつく。気の早いトレーナーなどは、既に手元を腰にやっていた。ミクリのそばにいるオーノもその一人だった。
さすがのモモナリも、その空気を察知することは出来たのだろう、笑いながら右手を振って否定する。
「いやいや、流石にやらないよ。俺は過激派じゃねえからルールは守れるし、そんな戦いに意味なんて無い。あんたが戦ってくれるまで、粘り強くやるさ。いつでもいいぜ、幸い、時間だけは大量にある」
ミクリに手を振ってその場を去ろうとしたモモナリは、最後に少しだけ立ち止まって、「ああ、そうか」とクスクスと笑う。
「ホウエンにいるコーディネーターとトレーナーをすべて倒してしまえば、最後はあんたが出てこなきゃならねえなあ」
それは、ホウエン全土に対する、明確な宣戦布告だった。あまりにも壮大過ぎるそれは、テレビショー等でコメディアンなどが発すれば馬鹿馬鹿しいジョークだと大きく笑われるだろう。だが、その時そこにいるトレーナー達は、全員が全員その発言を疑いすらしなかった、それができるかどうかはともかく、この狂った少年ならば、そのくらいの事は考えてもおかしくはないのではないだろうかと皆が思っていた。
☆
ミクリが出場するうつくしさマスターランクコンテストを前日に控え、ミナモシティは大きな賑わいを見せていた。元々ホウエン一の都市ではあるが、やはり普段のそれとは比べ物にならない。
モモナリは、宣言後もペースを落とす事無く、戦い続けていた。モモナリを敵と見なして向かってくるトレーナーも多くいたが、皆モモナリが潰していった。トレーナーがーいなくなったらコーディネーターを探し、コーディネーターがいなくなったらトレーナーを探す。モモナリはそんな一日を何度も繰り返していた。
勿論、ホウエンのポケモン協会や、ポケモンリーグ本部にもその話は届いていたが、どちらもこれと言った対策を打ち出せないでいた。トレーナーが他地方のトレーナーと戦う、一体どんな権限が、それを止めることができるだろう。事実モモナリはバトル禁止の区域では絶対にバトルをしないし、一方的に人間を襲うわけでもない、あくまでも戦いをふっかけ、その狂気に威圧されたトレーナー達と戦っているだけなのだ。
もはやこの問題を解決するには、最も原理的な交渉手段である、強さを持ってしてモモナリを排除する以外に無かった。野生のポケモン達が、強さを持ってして縄張りを主張するように。
ミナモシティ位に隣接する百二十一番道路、対戦相手を物色していたモモナリは、ある男に声をかけられた。ミナモシティに来てから声はかけまくっていたが、声をかけられる経験は殆ど無かった。
その男は、縦にも横にも大柄な男だった。髭を蓄え、頭は剃り上げている。美的感覚が鈍りきっているモモナリですら、その男がコーディネーターではないことはすぐにわかった。
「お前が噂のモモナリだな、聞く所によれば随分と強いらしいじゃねえか」
随分と馴れ馴れしい、不躾な男だったが、モモナリは特にそれを気にしなかった。そんなものはお互い様だろうと言う程度の自己認識はあった。
「ミクリに喧嘩ふっかけてるってのは本当かい」
「別に喧嘩ってわけじゃないですよ、戦いたいだけでね」
「コンテスト用のミロカロスを使えってのも本当かい」
「ええ、そうですよ」
男はモモナリの返答に満足したふうにガッハッハと必要以上に大きな声で笑った。
「頼もしいじゃねえか、俺もあいつは好かん。チャラチャラしてるくせに評価されてるからな。お前は若いのによくわかってる、結局のところ、トレーナーの価値ってのは強さよ」
はあ、と曖昧な返事をしたモモナリに、男は手を差し出す。
「レンジャーとしてこの辺を任されてる、ウエノってもんだ」
ええどうも、とモモナリも手を返す。
「さっきも言ったが、俺は基本的にお前のことは嫌いじゃねえ。だが、お前にぶっ叩かれた一人に俺の親戚がいてな、残念だが、お前のバカンスもここまでだ」
ウエノはトレーナーカードを誇らしげにモモナリに提示した。そこにはホウエン地方のジムバッジが八つ存在している。
「ミクリよかいい試合ができると思うぜ」
ふうん、とモモナリはウエノの笑顔を眺めた。
「レンジャーが一般トレーナーと戦うのはまずいんじゃないですかね」
ふふふ、とウエノが笑う。
「おっとそうは行かねえ、今日は非番だ、運が悪かったな」
生き急いでいる人だな、とモモナリは思った。
ひどくひどく、つまらなそうに、モモナリはため息を付いた。
その対面で、ウエノが大きな声で笑っていた。
「はっはっは、こりゃあ驚いた。大した強さじゃないか」
勝負は、わかりやすくモモナリの勝利に終わっていた。
ウエノがモモナリの肩を叩く。
「応援してるぜ、お前ならミクリに大恥かかせることができるな。なんてったってこの俺に勝ったんだからな」
モモナリは、それを言おうかどうか悩んでいた。別にこのままサヨナラをしても自分は困らないだろう、だが、それでは確実に困る人間が存在しているのだ。
二秒ほど考えて、面倒くさいから言ってしまおうと思った。
「何か勘違いしてるけど、あんた弱いよ」
あ、とウエノが笑いを止めてモモナリを睨む。
「おいおい、そりゃあお前には負けたんだからそれは認めるけどよお、ちょっと言い方ってもんがあるだろうが」
「いや、弱いね」
むむ、とウエノが唸る。
「跳ねっ返りだな、俺はお前と同じでバッジを八つ持ってるんだぜ」
「そういう所が弱いんだよ」
ハッキリと言い切る。
「バッジ八つは強さの証明じゃねえ、スタートラインだ。ジムバッジを手に入れてるから自分がミクリより強いと思い上がれるところは凄いけどね」
「俺はこのへんじゃあ一番つええぜ、俺が一声かければ、結構な人数が動く」
「だからそれは自分より弱いやつを従わせてるだけでしょ。あんたは人をぶっ叩く才能はあるんだろうけど、強さに関してはてんで駄目だよ」
はぁ、とウエノが威圧するようにため息を付いた。
「なあ小僧、言って良いことと悪いことの分別はつけようや」
「それ、まさか俺に言ってるの。あんた俺より弱いのに」
ウエノの表情から笑みが消えた。
「あんたが弱いやつ集めてお山の大将気取るのは勝手だけど、そいつらと同じように俺を従えようってのは無理があるよ。トレーナーにとって重要なのが強さだってことは認めるけど、そこまでわかっててミクリや俺にそんな態度を取れることが不思議だね」
そこまで言った時、モモナリの体がぐっとウエノの方に引き寄せられた。ウエノが彼の胸ぐらをつかんで、引き寄せたのだ。
だが、ウエノがモモナリに仕掛けようと思っていた、その先の行動を実行に移すことはできなかった。ボールから飛び出したゴルダックとアーボックが、それぞれの右手と牙を、ウエノの首に向けていた。多少考えが足りないとは言えウエノも馬鹿ではない、ゆっくりと、ポケモン達に邪推されないように、モモナリの襟から手を離した。
「あんたは、致命的に強さに対する嗅覚が欠けてる。ホウエンも甘いね、あんたカントーじゃバッジ五つがせいぜいだよ」
襟元を正しながら、モモナリが続ける。
「素手で俺達にどうやって勝つつもりだったのかは、今後のために興味あるけどね」
ウエノは、何も言葉を返せないでいた。いつもの通り、願えばなんでも言うことを聞いてくれる友人にするようにモモナリを引き寄せた時、彼は自分が死んだことを確信した。そして、彼は理解するに至った。自分はこれまで、人間社会を支配する強力な倫理観によって、かろうじて守られてきたのだと言うことを。こんなにも簡単に、人は死ぬのだということを。
もう関わりたくない、らしからぬことをウエノは思っていた。弱くていい、お山の大将でもいい、カントーじゃバッジ五つがせいぜいでもいい、もうこの目の前の少年と関わりたくなかった。
☆
ミナモシティグランドホテル、明日の準備のために英気を養っていたミクリは、ドアのノックを特に警戒すること無く開いた。
「どうも」
モモナリが、ニッコリと笑顔を作っていた。ミクリはため息を付いた。宣言以来、彼は一日も欠かさずミクリの前に現れ、対戦を要求していた。
普通ならばもっと喚き散らしてもいいのだろうが、モモナリがこれから自分をどうこうすることはないのだろうという事をミクリはなんとなく理解していた。これまでも、唐突に対戦を要求すること以外は、何もしなかった。
ドアボーイがモモナリを恐れて彼を中に入れ、ホテルマンがモモナリを恐れて彼を見逃し、ベルボーイが彼を恐れて客室番号を教えたのだろう。何処にも、彼の悪意にすべき箇所が見当たらない。ミクリの熱狂的なファンでも、可能ならば同じことをするだろう。
「たとえ私にその気があっても、今日と明日は無理だ。そのくらいは分かるだろう流石に」
「まあ、万が一ってことがあるからな」
モモナリがあっけらかんと答える。本当に、ある一点以外は普通の少年だった。
「今日の内に明日の分の返事もしておくけど、明日も駄目だ」
「残念だなあ」
心底残念そうに目を伏せたモモナリが踵を返そうとしたときに、ミクリは「ちょっと待ちなさい」と引き止めた。
その声に振り返ったモモナリの目は、これでもかと言うほどに輝いていた。だが、ミクリに戦うつもりはない。
「これを」
彼がそう言ってモモナリに手渡したのは、首からぶら下げるカードケースだった。
「なんだこれ」
「明日のうつくしさマスターランクコンテストの、関係者証明書だ。あいにくチケットは完売で隙間が無かったが、それがあれば関係者席から観戦することができる」
へえ、とモモナリはそれを眺めていた。
「いいのかね、俺は関係者じゃないのに、こんなものをもらって」
「構わないさ、何かあれば私から貰ったと言えばいい、裏にはサインもしてあるから疑われないさ」
ふふっ、とモモナリが笑った。
「なんだ、似たようなことをしてるんじゃないか」
「明日はベストのパフォーマンスを見せるつもりだ、絶対来てほしい」
「まさか、こんなものを貰えるとはね、嫌われてるから、俺は」
「私だって、君にいい印象があるわけじゃないさ、だが、だからこそ見てほしい」
まあ、考えておきますよ。とだけ残して、モモナリは消えた。ミクリは、明日必ずモモナリが現れてくれることを願っていた。
☆
うつくしさマスターランクコンテスト、当日。
その日ミナモシティをゆく人々の目的先は、殆ど一箇所に決まっていた。ホウエンで一番の規模であるミナモデパートですら、その日にコンテストライブと客を取り合うという愚かなことはしない、むしろコンテストが終了し、会場を後にした人々をターゲットにと考えていた。
安宿の畳に寝転がりながら、モモナリは考えていた。今日、コーディネーターは街にはいないだろう、物好きなトレーナーは何人かいるかもしれないが、それも直ぐに尽きる。あまり野生のポケモンをいじめるのもよくないと思うし、暇を持て余している。
目の前には、昨日渡されたカードケースがある。どうするかなあと頭を掻いた。
人の動きが疎らになった頃を見計らって、モモナリは安宿を後にした。マスターランクコンテストはメインイベントだから、それまでに幾つかのエキシビションがあるのだろうが、別にそれには興味がない。
その時「おい」と、聞き慣れた声をかけられた。振り向くと、そこにはオーノがいた。
「今日は暇だろ、顔貸しな」
その表情で、大体オーノの目論見は理解することが出来た。だが、モモナリは少しだけ悩んだ。ポケットの中にはカードケースがあった。これを理由にオーノの要求を断ることはできるだろう。そして、恐らくオーノの要求に従えば、マスターランクコンテストを観戦することはできない。
二者択一だった。
「いいよ」と、モモナリは答えた。
オーノが向かった先は、街が経営しているポケモンバトル会場だった。ミアレシティにジムはないが、ホウエン一の都市なだけあって対戦環境は整っている。
「お前の存在に、今日ケリをつける」
オーノに導かれるまま、モモナリが対戦場に入ると、そこには何人ものトレーナーが、全員待ち構えていたかのようにモモナリを見据えていた。
なるほどね、とモモナリはつぶやき、トレーナースペースへと歩を向ける。
「ミナモじゃ見なかった顔だ」
モモナリは記憶力が抜群に良いわけではない、彼がミナモシティで倒してきた一人一人の顔を覚えているわけではないが、今この場にいる彼らの目付きが、素人のそれではないことはよくわかっていた。
「俺の地元、ホウエン最難関ルネジムのジムトレーナー十人だ。全員実力は折り紙付きだし、ミクリを馬鹿にしようと執拗に追ってるお前に対する殺意も本物だよ」
「おあつらえ向きだね」と、モモナリは背伸びする。
よし、と顔を叩いた。
「それじゃあさっさと始めちゃおうよ、それとも、もう始まってるのかな」
その言葉に、トレーナー達は一瞬ざわめいた。
☆
様々な色が、自分を照らしていることを自覚しながら、ミクリは歓声に応えるように両手を上げてアピールし、パートナーのミロカロスを繰り出した。
ミロカロスを照らすのは、出来る限り自然の光に近づけられた一つのライト、ミクリや、他のポケモン達のように、無理矢理にグラデーションを作る必要など無い。神が作り出したと言われるほどに、ミクロの単位で複雑な構造をしたミロカロスの鱗は、光の反射する角度によって虹色に輝く。彼女がいたずらに体をくねらせれば、会場に存在するすべての観客にその事実を明確に提示し、キャンパスに色を塗ることしか表現技法を持たぬ油絵画家は、まず彼女に嫉妬をし、その次に彼女をどのようにして描けばいいのか、頭を悩ませる。写真家ですら、彼女を一瞬一瞬で切り取ることしかできないのである。映像カメラだって、彼女に魅力すべてを映し出せるわけではない、だからこそ、人々はコンテスト会場に向かうのである。
勿論それは、ミロカロスという種族に生まれたすべてのポケモンが持ち得ているわけではない、生活の一つ一つが彼女らのうつくしさを組み立て、差を作り出す。自堕落なトレーナーに従ったミロカロスは、確実にそのうつくしさを失うだろう。最も、それがそのミロカロスにとって必ず不幸せとは限らないが。
ミクリは、舞台脇の黒服の男に目をやった。彼はミクリの視線にすぐに気づき、両手で大きくバツの字を作った。
一瞬、ミクリは動揺した。彼はモモナリが必ずこの会場に現れると確信していたのである。
彼は大きなショックを受けていた、今、最も自分達のうつくしさを見せつけたい相手が、今ここにいない。
だが、ミクリはすぐに気持ちを切り替えた。トップコーディネーターとして、この程度で演技に支障をきたして良い訳がない。
確かに、今ここにそれを見せるべき存在はいない、だが、それ以上に、自分達を求めている人々がいるのだから。
☆
「落ち込むことはない」
モモナリはアーマルドをボールに戻して、ニッコリと笑った。
「あんたらは強い、それは俺が保証しよう。どこぞの身の程知らずなレンジャーよりかは、よっぽどな」
その言葉が、何人の耳に届いただろう。ルネジムトレーナー達は、今すぐにでも舌をかんでしまいたいほどの屈辱をこらえるのに必死だった。
あり得て良い訳がなかった。ホウエンの精鋭と言ってもいい彼らが、粗暴な若者に全員叩きのめされてしまうなど、あって良い訳がない。
だが、それは事実、モモナリはここ数日いつも彼がしていたように、十人のジムトレーナーすべてを勝ち抜いたのだ。
オーノも彼らと同じく、言葉が出なかった。勿論ジムトレーナー一人がモモナリに完勝するという図を思い描いていたわけではない、だが、普通、普通ルネジムの精鋭たちが畳み掛ければ、たとえそれがモモナリだろうと、いつか力尽きるに違いないと画策していたのだ。
「それに、あんたらは誇り高かった」
一切悪意のない、むしろ賞賛ですらあるモモナリのその言葉は、彼等の肩に重くのしかかった。
「全員が一斉に俺を襲えば、勝敗はともかく、無事では済まなかった。やっぱり最難関ジムは違うね」
誰もモモナリと目を合わせることができなかった。
自分達が誇り高いなどど、誰が思えるだろうか。
本来ならば、恥ずべき行為なのだ、たとえ相手が話して分からぬ猛獣のような男だとしても、本来その強さを叩きつけるようなことをしてはならない自分達が、よってたかって袋叩きにするなど、あってはならない。
だからこそ、この日を選んだのだ、ミナモの誰もがコンテスト会場に向かうこの日ならば、自分達の醜い姿を見られなくて済むから。
それを、それを誇り高いなどと言われて、一体どのような顔をすればいいのか。
一斉に襲えばよかったとモモナリは言うが、そんなこと、一体誰ができようか、トレーナーの誇りを持っていたわけではない、そんなこと、考えもしなかっただけ。やらないだけ、できないだけなのだ。トレーナーとして、相手の対面に立って戦うことしか知らないから、集団で一人を袋叩きにするノウハウなど持っていない。
ジムトレーナーの一人が、よろよろとなんとか歩きながら、対戦場を後にした。
それに続くように、一人、また一人と、同じようにそこを去った。だが、何処に行けばいいのかなど、分からなかった。
そして、対戦場には、モモナリと、オーノだけが残った。
「それで」と、モモナリがオーノの方を向く。
「どうするの」
モモナリの要求が自分だということを理解したオーノは、背筋が凍った。
「実は、あんたとも戦ってみたいんだよね」
ふふっ、とモモナリが笑った。
「あんた、カントーでバッジ持ってるよな」
もう、怖いやら驚きやらで、オーノは混乱している。確かに、オーノはカントージムのバッジを所持していた。
「昔、ジムで見たことがあるんだ、技の軌道がきれいだったから、印象に残ってたんだよ。後でコーディネーターだって聞いて、納得したんだ」
オーノがモモナリを知っているように、モモナリも、オーノを知っていた。
「細かいことはどうでもいいんだ。今は、いくつ持ってるんだ」
六つだ、苦虫を噛み潰したような表情で、オーノが返す。
「なるほどね、たしかあんた、コンテストの方も結構なランクだったよな。そういうやつと、戦いたいんだ、なあ、戦おう」
モモナリは笑っていた。彼の中では、純粋な誘いなのだろう。だが、それはオーノからすれば、殆ど脅迫のようなものだった。あれだけのものを見せられて、一体どう断ることができるのか。
☆
伝説的な、ステージだった。
ミクリ達のうつくしさが、世界に届いていた。鳴り止まぬ拍手、一帯となって轟音と化した歓声。本来は禁止されているはずなのに、締め出されることを覚悟でカメラのフラッシュを焚く不届き者。きっと画面の向こうでも、幾多もの人間が、息を乱していることだろう。
見せたかった、とミクリは後悔していた。あの狂気の少年に、自分達の演技を見せることができれば、あるいは。
優勝の栄光と、たったひとつの失意のもとに、華やかなステージを去った自分を待ち受けていたのは、休日返上でジムで特訓をしているはずだった、十人のジムトレーナーだった。
最年長の女性が、震えながら頭を下げていた。責任を、彼一人が背負うつもりだったのだ。
そして彼女は、洗いざらい、彼の知っている限りのすべてを、ミクリに告白した。
☆
単純な実力差があることは、もちろん理解していた。相手はバッジ八つ持ちの天才、こちらは彼と同い年ながらバッジ六つで停滞している。
だが、食い下がることは可能だと踏んでいた。とにかく痛手を、モモナリのエースであるゴルダックに痛手を与えることくらいならできるだろうと思っていた。
だが、オーノはそれすらもできなかった。
とにかく、モモナリ達の動きに対応するだけで精一杯だった。繰り出され、行動し、そこからまた間髪入れずに行動することができる。それでいて技は的確に、威力は落とさない。
しかも、モモナリはその一瞬一瞬に巧みに餌と罠を散りばめてくる、それらに着いていくことができなかった。
反射的に手癖のような行動を繰り返してしまい、モモナリはそれらの行動を確実に咎めてくる。オーノのセオリーは一枚ずつ丁寧に根本まで剥がされていき、最後に残った人間的な本質も、モモナリは食い散らかす。それは、オーノを完全否定しているも同じだった。
そして気づけば、オーノは対戦らしいことを何もすることができず、手持ちはすべて戦闘不能となっていた。
「予想通りだったな」と、モモナリは笑う。
「いい試合だった。あんた強いよ、才能ある」
もはやそれは、皮肉にしか聞こえなかった。
わからない、とオーノが震える声で漏らした。
「これだけ強くて、なんでコーディネーターをいたぶる必要があるんだ」
その返しに、モモナリは首を傾げた。
「いたぶるってどういうことだ、俺はそんなつもりは全く無いぞ」
「だってそうだろう、こんな強さを、コーディネーターに向けて一体何の徳があるんだ」
オーノがすべてを言い終わる前に、モモナリがぐいっと一歩オーノの方に踏み込んだ。
彼は、思わず、小さな悲鳴を漏らしてしまった、強さが自分との距離を詰めることが、恐怖以外の何物でもなかった。
「あんたらは、みーんな、勘違いしてる」
彼の口調には、呆れの感情が混じっていた。
「ミナモのトレーナーも、あんたらコーディネーターも、コンテストという存在が、強さというものとかけ離れた存在だと勘違いしてるんだ」
オーノは、モモナリの言っていることが理解できなかった、それは勘違いでも何でも無く、ただの真実のように思えた。
「不思議に思わねえのか、コンテストというものの始まりには、必ず戦いがあったはずだろう。『技』とは、常に戦いの中にあったんだからな。『技』を競うコンテストが、なぜ強さと無関係だと、決めつけることができるんだ。リーグトレーナーを『美しい』と表現することはあるのに、なぜその逆はないと確信ができるんだ。それを決めるのはあんたらのように戦いを拒むコーディネーターじゃねえ、コンテストを下に見ているトレーナーでもねえ。この、俺だ」
だから、と続ける。
「だから俺は、ミクリと戦うためにミナモに来たんだ。最もうつくしいトレーナー達は、果たして強いトレーナーでもあるのか否か、それを俺自身が確かめるために。ミクリが俺と戦うことを拒むのは、俺が怖いからじゃねえ、奴もうつくしさと言うものの力を、信じているからだ。奴は違う、考え方そのものが、あんたらとは違うんだ」
モモナリの演説が、オーノの精神を追い詰めようとしていたその時、モモナリの腰に付けているモンスターボールから、ゴルダックが飛びだして、対戦場の入場口に向かって、戦闘態勢を取った。
モモナリもまた、ゴルダックの動きに合わせて、オーノからは視線外さないように、入場口に気を向ける。
そこにいたのは、ルネジムリーダー、ミクリだった。うつくしさマスターランクの衣装をそのままに、彼はあらんばかりの敵意を、モモナリに向けていた。
モモナリはふう、と溜息をつくと、ゴルダックをボールに戻した。つかつかと早足にモモナリに近寄ったミクリは、動揺のあまりに呆けてしまったオーノを、ぐっと自らの側に引き寄せた。
「断ることも、できたはずだろう」
ミクリの口調は、モモナリを責め立てるものだった。
「関係者証明書を見せれば、断ることができたはずだ。君は、あまりにも我が強すぎる」
ミクリが見せた敵意に、モモナリは興奮していた。自らの欲求があと少しで満たされるかも知れなかったのだ。
「君の『強さ』は認めよう。だが、その使い方にはあまりにも問題がある。与えられた『強さ』というものの特権を理解しているのに、なぜそれを戦うことにのみ振るう必要がある」
強さと言う特権を振るおうとするものは、いくらでもいるだろう。だが、それらは大抵、勝利、や、安息、を目的としている。だが、モモナリはそうではない、モモナリは戦うことそのものを目的として、その特権を振るっているのだ。
「それはお互い様でしょ」と、モモナリが返す。
「確かに俺はあんたと戦いたいよ、そのためには何だってするよ。それは認める。だけどあんたは、俺を止めるために、『うつくしさ』と言う特権を振るおうとしてたじゃないか。持っている者同士、それは言いっこ無しだよ」
モモナリとミクリの考え方は、奇妙なことにほとんど一致していた。モモナリもミクリも『強さ』と言うものが、己の我を通すための特権であることを理解していたし、また同時に『うつくしさ』と言うものも、己の我を通すための特権であることを、十分に理解していたのである。
「『強さ』は常に誰かを傷つけて誇示するが、『うつくしさ』は誰も傷つけない。私はコンテストが、人々とポケモンの絆を深める可能性だと信じている」
「でもその『うつくしさ』で俺は止まらなかった、それが全てだよ。あんた達が『うつくしさ』のトップコーディネーターを名乗ることには何の異論もないよ。だけど、仮にあんたらの演技を見たとしても、俺は止まらなかったんじゃねえかなあ。むしろそれに触発されて、ライブを台無しにしてたかもね」
あんたの言いたいことは分かるよ、と続ける。
「あんた等の『うつくしさ』が、とんでもない力を持ってることは、今日のミナモシティを見ればよく分かるさ。だけど、やっぱ俺みたいなやつはいるんだよ、そんでさ、やっぱそういうときに『うつくしさ』を『強さ』にしなきゃ駄目なんだよ。『うつくしさ』を『強さ』の代わりにするんじゃなくてさ」
『うつくしさ』という特権が『強さ』の代替品である事は間違いないだろう。そして『強さ』こそがこの世に存在するすべての特権の根源であることも、間違っていない。『うつくしさ』の持つ力を信じているミクリにとっては、受け入れるのに時間のかかる現実だった。
ミクリは、ちらりとオーノに目をやって、モモナリに問うた。
「君は、君と戦うことで、この道を諦めてしまうかもしれないトレーナーについて、考えたことはあるかい」
「そりゃ無いことはないよ」
「どう思う」
「さあ、分からねえな。実を言うと、負けたからやめるって奴の気持ちが分からねえんだ。そういう奴って、自分が死ぬまで、ずーっと勝ち続けることができると思ってんのかな」
「不可能だと思うかい」
「面白くねーよ。それって自分より強いやつが生涯現れないってことだろ、そりゃ王様になりたいならいい人生だろうけど、俺には魅力がない」
なるほど、とミクリはため息を付いた。そして、少しばかり考えた後に「明日だ」と告げる。
「明日の早朝、東の海岸だ」
モモナリは顔を明るくし、オーノは体を跳ね上げて、ミクリを見た。
「それじゃあ、コンディションを整えておかないとね」と、モモナリはくるっと出口に体を向けた。
「あ、そうだ」と更に続ける。
「ミナモのポケモンセンターは、カントーのトレーナーカードでもいけるのかな」
モモナリは、ああ、とミクリの返事に嬉しげに頷いて、対戦場から姿を消した。
「いいのかよ」と、不安げなオーノに、ミクリは「構わない」と答える。
「彼は、壊れないだろう」
強く言い切るミクリに、オーノは安心しきってしまい、袖で、顔を拭った。
「ミクリ、頼む。俺は、悔しくてたまらないよ、ホウエンの男として、今日ほど悔しかった日はない」
ミクリは、謝罪するオーノの頭を抱えた。心許せる友人が、まだ壊れていないことが、嬉しくてたまらなかった。
「私もだ、だが、安心しろ、明日、全てを取り戻してみせるさ」
☆
「良い海だな、遠浅でさ」
朝日が、モモナリを背後から照らしていた。彼は満面の笑顔なのだろう、影になってその表情が分からなくとも、まるでそれが見えるようだった。
ミクリとオーノは、予定通り早朝に現れた。オーノは、ミクリに無理を言って、これに同行していた。
「待たせたね」と、ミクリが言う。
「数日待ったんだ、なんてこと無いさ」とモモナリが返した。
ミクリは、腰のボールを手に取ると、それを海に向かって投げた。現れたのは、ミクリが最も信頼するパートナーである、ミロカロスだった。朝日を全面に受け、その体が虹色に輝く。
へえ、とモモナリが感嘆の声を漏らす。
「きっと、強いんだろうね」
だが、やはり、そのうつくしさは少年には届かなかった。
モモナリも同じように、ボールを海に投げる、現れたゴルダックは、前日にポケモンセンターでリフレッシュしていた。
「こいつは俺のパーティ一番の古株だ。俺はハナダ、あんたはルネ、どっちも水の町出身だ、マッチアップに問題はないだろう」
ミクリは頷いて同意を示した。「一対一ということだね」
「そうだ、複数バトルにしてどっちも最古参を出せずってのはゴメンだからな。どっちかが倒れるまでやろう、さあ、いつ始める」
それは、モモナリなりの気遣い、妥協案だった。
本当ならば今すぐにでも始めてしまいたいものを、それではあまりにも無粋と、ミクリにその権利を譲ったのだ。
ミクリは沖を指差した。
「朝になると、水面をラブカスが跳ねるんだ。それを合図に、始めよう」
オーケー、とモモナリがそれを了承した。
じっ、と三人がミナモを見つめる。
海風が砂を巻き上げ、三人を襲ったが、ミクリとモモナリは微動だにしない。目がそれに反応し、涙を作って視界がぼやけることすら煩わしかった。
やがて、水音、朝日を受けるラブカスを綺麗だと思ったのはオーノだけだった、二人のトレーナーが動く。
先に動いたのはモモナリとゴルダック、ゴルダックは明らかに『ちょうはつ』的な動きでミロカロスを煽る。
ミロカロスの強みの一つに、豊富な戦術がある。『さいみんじゅつ』で相手の動きを抑制することもできれば『あやしいひかり』で相手を幻惑することもできる。『ミラーコート』によるカウンター戦術なども有名だ。
更にミロカロスは恵まれた耐久力から、しぶとく立ち回ることもできる。勿論電気タイプや草タイプなどの苦手な相手にはそうは行かないが、相手が水タイプのゴルダックとなれば、余程のことがない限り大ダメージを食らうことはないだろう。したがって『とぐろをまく』や『しんぴのまもり』などの変化技で自信の立ち回りを有利に進めることができるという強みもある。
モモナリの『ちょうはつ』はひとまずそれらの技を防ぐ立ち回りだった。たとえわずかでも、ゴルダックのほうがミロカロスよりスピードに強みがあることを、モモナリは即座に理解していた。
だが、ここまではセオリー通り、とオーノが考えを巡らせる。あれだけミクリとの勝負を熱望していながら、こんなにも落ち着いてセオリー通りの動きをしてきた事には驚いたが、全く考えられないわけではない。
煽られたミロカロスは、一瞬だけミクリに目をやり、彼の合図を持って海に潜った、浅瀬だが、朝日を照らしてきらめく水面は、彼女の姿を巧妙に隠した。
「『つめとぎ』」と、モモナリがゴルダックに口頭で指示する。
彼はミロカロスの攻撃を『ダイビング』と読んでいた。『ちょうはつ』で頭に血の上ったミロカロスを落ち着かせるのに十分な技だし、同時に頭に血の上ったミロカロスの心境をよく理解している技でもあった。
だが、水タイプの攻撃であるダイビングならば、ゴルダックが大きなダメージを受けることはない。ここは『つめとぎ』で集中力を高め、次に備える。『ちょうはつ』によるアドバンテージはまだこちら側にあるという考えだった。
ゴルダックは足元の砂をかいて、『つめとぎ』を行う。だが、その時、ズブリ、と右足が砂に埋まり、バランスを崩しかけた。
相棒であるゴルダックのこの微妙な変化を、モモナリも気付いていた。そして、やられた、と頭の中をフル回転させる。
その時、大きな水しぶきの音を立て、ミロカロスがゴルダックの背後に現れた。そして、ミクリの合図と共に『りゅうのはどう』を口から吐き出し、ゴルダックに攻撃する。右足の埋まったゴルダックはそれに上手く反応することができず。それをモロに食らって、沖へと吹き飛んだ。
オーノはその光景を眺め、自らの対戦知識をフル回転させて、そうか、と答えを導き出す。
ミロカロスが敢行した攻撃は『ダイビング』ではなく『じならし』だったのだ。だからゴルダックは砂に足を取られ、ミロカロスに遅れをとる結果となった。
ついて行けている。とオーノは心の中で激しく興奮していた。モモナリと彼のポケモンが作る対戦のスピード、自分はそれに追いつくことしかできなかったが、ミクリはそのスピードの中で、確実にモモナリの裏をかき、対戦を有利に進めていた。
ミロカロスはさらに畳み掛ける、沖で体制を整えているゴルダックとの距離を一気に詰め『りゅうのいぶき』で追撃。
攻撃すると共に麻痺の状態異常も狙っていたが、ゴルダックはなんとかそれをこらえた。
いける、とオーノは思った。『じならし』によってミロカロスはゴルダックを上から叩けるようになっているし、単純な耐久力ならばミロカロスの断然上、このままこの差を押し付けていけば相手はジリ貧になるはず。
だが、モモナリとミクリはそう考えていなかった。『ちょうはつ』のアドバンテージはあまりにも大きい。
『ちょうはつ』の効果は切れ、ミロカロスの頭がゆっくりと揺らめく、しかし、それは彼女が変化技の準備をしているからではない。
ゴルダックが放った『さいみんじゅつ』がミロカロスに効いていた。ミロカロスは眠りに落ちかける意識をなんとか保つのに精一杯だった。
絶好のチャンスだった、だが、ゴルダックはまだ動かない。
「『ドわすれ』」と、モモナリが指示していた。ゴルダックはその場でボーっと呆け、メンタルを整える。
それまでの慌ただしさを一旦落ち着かせるようなローペースな攻防だな、とオーノは思った。だが、考えれば考えるほどこれは理にかなっている。
ミロカロスの主な得意技は、『りゅうのはどう』などに代表される特殊攻撃、『ドわすれ』などの技で特殊防御力を上昇させられてしまえば、途端にゴルダックを落とせなくなる。
そして、『つめとぎ』によって精度が上昇した『さいみんじゅつ』は十分な脅威、単純なスピードで負けても、このような保険を持っているとは思わなかった。
更にゴルダックは『ローキック』をミロカロスの尾の付近めがけて打ち付ける。彼女の特性『ふしぎなうろこ』は彼女が状態異常などの無防備なときにこそ力を発揮する特性だが、『つめとぎ』によって上昇した攻撃力は、ゴルダック本来が持っている力を上回る。さらに『ローキック』は彼女の筋肉を確実に痛めつけ、再び素早さの優位をゴルダックに引き戻した。
ああ、とオーノは思わず声を漏らした。ついに、ついにモモナリの牙が、ミクリのミロカロスを襲ったのだ。ミクリとミロカロスの努力が作り上げた世界一うつくしいと言っても過言ではない芸術品に、ついに。
だが、ミクリも、ミロカロスもそれを気にも留めない。彼も、彼女も、こうなることは覚悟の上だった。むしろ、モモナリ達に勝利するには、このくらいの犠牲は払って当然だとすら思っていた。
ミロカロスの意識が朦朧としていることをいいことに、ゴルダックは水中をぐるりと回って加速する。
そして、タイミングを図ったモモナリの指示と共に、大技『クロスチョップ』を狙う。この技も本来ならば不安定な技だが、『つめとぎ』によって安定を得たゴルダックは、それを確実にミロカロスに決めた。ミロカロスが、水面に叩きつけられる。だが、彼女は『クロスチョップ』はきつけだと言わんばかりにすぐに大きな水しぶきを作りながら再びゴルダックと向き合い。口から『くろいきり』を吐き出した。
その技は、お互いの能力値の変化をリセットするものだった。『じならし』によって得た速さのアドバンテージを失うことになるが、『ローキック』で再びゴルダックのほうが速さで勝るようになっていることと、『つめとぎ』によって『さいみんじゅつ』や『クロスチョップ』が力を得ていること、『ドわすれ』を考えると、ミロカロスが得るメリットのほうが遥かに大きい。
次はどうなる、とオーノが考えを巡らせようとする。振り出しに戻ったのだから、もう一度『ちょうはつ』だろうか。
ゴルダックの飛び出しは早かった、彼は口から何かを手に吐き出すと、それを爪に塗り込んだまま、ミロカロスの頭部をひっかく。
『ちょうはつ』を読んでいたミクリとミロカロスは、ゴルダックに『こごえるかぜ』を決める、氷タイプの技なのでダメージは低いが、筋肉を強縮させて、再び素早さで上に立つ狙いがあった。
ゴルダックの攻撃の意図が、読めなかった。だが、自分を見つめるミロカロスの目を見て、ミクリが気付く。
それは、猛毒だった。恐らく『どくどく』による攻撃だろう。
逃げ回るつもりか、とモモナリの狙いに気付く。
ミロカロスにとって毒状態自体は、特性である『ふしぎなうろこ』が発動するためにそこまで悪い状態ではない。だが、『どくどく』による猛毒状態となれば話は別、時を負う毎に前進を蝕むその毒は、いつしか『じこさいせい』では間に合わないほどのダメージを生む。
ゴルダックは『まもる』『ダイビング』『みがわり』などの技で逃げ回り、猛毒によるダメージでの勝利を狙うことができる。『じこさいせい』によるリセットは許さないと言うメッセージだった。
考える時間は、少なかった。ミクリはミロカロスに『リフレッシュ』の指示を出し、猛毒状態を治癒させる。
長期戦を想定した『どくどく』攻撃に対し、ミクリ達は『リフレッシュ』でそれを拒否する。それは、二人の二匹の間に、この戦いの終わりがもうすぐであることを予感させた。
だがそれは、ゴルダック相手に無防備な姿を晒す事となる。ゴルダックは両腕を水面に付け、攻撃の体制を取った。
頭の宝石が光り、放たれた念動力が水面に波紋を作る、やがてそれらはひとりでに幾つもの水しぶきを作るほどにまで成長し、ミロカロスに襲いかかる。
飛沫自体は、大した攻撃ではなかった、だが、ミロカロスが自身の体に変化が起きていることに気付いたその時には、彼女の悲痛な叫び声が、海岸中に響き渡っていた。
オーノは、その技が何なのかわからなかった。恐らく特殊な技なのだろうが、水タイプであるゴルダックが、同じく水タイプであるミロカロスに、ここまで大きなダメージを与えることができる技が、あるだろうか。
ミクリは、その技が『シンクロノイズ』であることに気付いてはいた。だが、それは全くの想定外、想定外の大ダメージだった。
『シンクロノイズ』は同タイプのポケモンに大きなダメージを与える。震わされた水面はそのままミロカロスの体内の水と共鳴し、ミロカロスを内部から攻撃していた。元々はエスパータイプのポケモン達の技だったが、彼らはサブウェポンに『シャドーボール』を覚えることができる、技術はあれど埋もれていた技だった。
モモナリは、この技をあえて隠していた。たしかに序盤から使えばもっと楽な立ち回りができたかもしれない。だが、それでは相手に情報のアドバンテージをそのまま与えることになってしまう。
ミクリほどのトレーナーならば、その情報を有益に活用するに違いないとモモナリは睨んでいた。事実、彼はこの戦いでモモナリのスピードに劣らず対等に戦っていた。もしモモナリがラブカスが跳ねてすぐに『シンクロノイズ』を使うことがあれば、必ずそれに対応していただろう。だからモモナリは、それが最も効果的なタイミングを見計らっていた。試合終盤の想定外は、ボディブローのように甘くはない。
ゴルダックは更にミロカロスに襲いかかる。知性に組み立てられた立ち回りの綻びは、野性の侵略には耐えられない。モモナリは本能的にそれを理解し、実行することができる野性を、生まれたときから持ち合わせていた。
ミクリの指示は、遅れた。
ミロカロスは、至近距離での『シンクロノイズ』をモロに食らう。ゴルダックもこれが勝負を決める一撃だということは理解していた。波紋が水しぶきを上げる程度ではなく、今度は自分の持てるすべてのサイコパワーを、水面と同調させる。
反響の音とともに、巨大な水柱、地面から吹き出す間欠泉のようなそれは、当然ミロカロスの体内に存在するすべての水も、同じように共鳴させていた。
終わった、とオーノは思った。絶望だった。
ミクリは、昔のことを思い出していた。それは、師匠であるアダンの手ほどきを受ける少し前のことだった。
彼は、相棒であるヒンバスと共に、ある強大な野生のポケモンに襲われたことがある。
慈悲無くぶつけられる野性は、ヒンバスにも、ミクリにも、為す術がなかった。やがてヒンバスは追い詰められ、ぼろぼろになる。
その時、彼はなんとかそのときに持ち得ていた知識をなんとかつなぎ合わせ、ある戦術を作り上げた。その戦術のお陰で彼らはその窮地を脱し、その後もなんとか、野性から生還していた。
想定外の『シンクロノイズ』で一瞬生まれた思考の空白、自らに襲い掛かってくる野性を感じたミクリは、その戦術につながる指示を、出していたような気がした。
確信は無かった。無意識の行動だった。だが、もし、自分達がまだ戦えるのならば。
「『じたばた』」と、ミクリは彼に似合わないほどの大声で叫んだ。友人であったオーノが思わず全身をビクつかせてしまうほどに、彼に似合わない大声だった。
水柱の中から、唸るような鳴き声が聞こえた。そして、『シンクロノイズ』の不快な反響音が消える。
力を失った水柱は、雨となって、海に波紋を作った。
その中心に、ミロカロスは居た。彼女はその全身を、うつくしいウロコに傷がつくのも構わず、右から左から上から下から、ゴルダックに叩きつけていた。
うつくしさのかけらもない攻撃だった、必死だった、相手を倒さなければ自らが生き残れないという現実を、その全身で表していた。
ゴルダックの仕掛けた『シンクロノイズ』は、勝負を決める事ができるほどの一撃だった。だが、その瞬間に、ミクリが無意識に放った『こらえる』の指示は、たしかにミロカロスに届いていた。
息も絶え絶えなミロカロスは、やがて力尽きたようにゴルダックを開放した。
ゴルダックは動かず、水面に浮かんで波に揺られる。
ミロカロスはなんとか最後の気力を振り絞り、その全身で、なんとか波に逆らった。
「終わったな」
モモナリが呟く。そして、ゴルダックをボールに戻した。
「もったいねえよ」
ミクリがミロカロスをボールに戻した頃を見計らって、モモナリが呟いた。
「コーディネーターだからってだけで、あんたの強さが評価されねえのは、もったいねえ。こんなにつええのに」
「納得の行く内容ではなかった」
ミクリはモモナリに歩み寄った。今でも少し、モモナリに対する恐怖はあった。自分の一番の相棒はもはや虫の息だし、モモナリにはまだ強力な手持ちが控えているのだろうから。
だが、もうモモナリは危険ではないような気がしたのだ、それは単純にミクリが『強さ』でモモナリを制したからではない。自らと戦うという目的が達成され、モモナリを覆っていた狂気のようなものが、晴れているような気がしたのだ。
「最後の『じたばた』はコーディネーターとしての私の強さではない、コーディネーターとしての私は、敗北していただろう」
無意識下の行動だった。かつて自分達が野性という脅威からなんとか逃れるために、体に刷り込ませていた技術だったのだ。勿論それは、彼がコーディネーターという概念を知る前だった。
「関係ねえよ、あんたらは持ちえる技術を使って、俺に勝ったんだ。最もうつくしいと言うことが、弱さの証明にはなりえないことを、あんたは証明したんだよ。きっとあの『したばた』がなければ、コーディネータとしてのあんたも存在しないんだから」
それに、と続ける。
「あの『じたばた』、俺にはグッと来たけどね。もし俺が審査員なら、あんたを優勝させるよ。うつくしさの根源って、意外とああいうことなんじゃねえかな」
勝者が謙遜し、敗者が勝者を称える。理想的な光景だった。
何処かで、ラブカスが跳ねる音がした。それを合図に、モモナリは言う。
「なあ、あんたらカントーリーグに来ちゃえよ。あんたらならいいトコ行けるよ」
堂々とした、ヘッドハンティングだった。自分より強いトレーナーを、敵として迎え入れる。こういうところで、モモナリは自らの欲求に素直だった。
だが、ミクリは首を振ってそれを断る。
「まだまだ、ホウエンでやりたいことが沢山あるんだ。それらをやめることは出来ないよ」
「もったいねえなあ」と、モモナリは心底残念そうに呟いた。
さて、と、背伸びする。
「それじゃ、きっちり退治もされちまったことだし、俺を恨んでる連中に見つかる前に退散するとしますか」
何の前触れもなく背を向けたモモナリに、ミクリは待て、と引き止めた。
「来年、君に必ずマスターランクコンテストのチケットを送ろう。来年は、必ず見に来るといい」
モモナリは、ハハハ、と軽く笑った。
「ミナモシティを出禁になってなかったら考えるよ」
☆
「すげえ」
オーノは、砂浜を踏みしめながら、ミクリに言った。
「勝っちまうなんて」
ミクリは、軽くおどけてそれに返した。
「おいおい、私はルネジムのリーダーだよ」
「そりゃ、そうだけどさ」
オーノはモモナリというトレーナーがどのような実績を持っているかを知っていたし、実際に彼と戦い、その強さを肌で感じていた。
だからこそ、変則試合とは言え彼に勝利したミクリの強さに、感服するしか無かったのだ。
「俺も、ミクリみたいになれるかな」
オーノは、今持っている不安をそのままミクリに問うた。彼にとっては、ミクリは、崇拝の対象ではない。自らがこの道を歩く以上、必ず追いつき、乗り越えなければならない相手だった。だからこそ彼は、ホウエンのジムを回る事をしていなかった。そうすれば最後にルネジムリーダーのミクリと戦わなければならなくなり、彼に認められることになる。なんとなく、それは嫌だった。
だが、モモナリによって自分とミクリの差がここまで浮き彫りになってしまった。オーノは怖くて仕方がなかった
「なれるもなにも」と、ミクリは間髪入れずに返す。
「私は今だって、君に追い抜かれやしないか、不安なんだよ」
それがミクリの優しさだとしても。オーノは、自らの強張りと、震えが止まったような気がした。