セキエイに続く日常
164-挑戦者達
『うわぁ』
 実況席のササモトは、そう叫んで頭を抱えた。かつてカントージョウトリーグ屈指の戦略家として知られた男も、数年前にリーグを引退し、リーグトレーナー時代から兼任していたポケモンレンジャーとしての活動に本腰を入れていた。しかし、その理知的で、謙虚な人柄は未だに強い人気を誇り、こうしてたまにリーグ戦中継の解説に呼ばれることもあった。
 カントージョウトAリーグ最終戦の一つ、ワタル対キシの一戦はタマムシシティで行われていた。お互いが五勝三敗と同率で並び、勝利したほうが六勝三敗となって暫定一位となる。同じく五勝三敗としているシンディアの対戦成績によっては、そのまま勝者がチャンピオン挑戦者となる試合だった。
 対戦場では、ワタルが繰り出したハガネールが、キシのパルシェンと対峙していた。違和感というものは感じにくい光景である。ワタルは鉄竜であるハガネールを昔から手持ちに加えているし、パルシェンも絶対的というわけではないが、キシのパーティによく顔を出すポケモンだった。
 しかし、実況席のササモトとアナウンサー、そして観客たち、更には液晶画面を通してその試合を見ているトレーナーたちもその光景の異様さを容易に感じ取っていた。
『やったやった、やっちゃったよ』
 ササモトの解説は素直が信条である。思ったことを思ったまま口に出す。しかしアナウンサーもそれを熟知しているので、特にそれに気を取られることもなく職務を全うする。
『まさかのまさか、ドラゴン使いワタル選手まさかのカイリュー外しです。この大一番、ワタル選手が最後を託したのは二匹目のハガネールです』
 この試合は、キシが効率よくワタルを追い詰めつつ、安定したパーティの運用をしていた試合だと言っていい展開だった。チャンピオンロード世代のパーティに対するこだわりが弱点になりうることは、昔から指摘されていたとおりだった。
 だが、時代に取り残され、衰えつつあると言っても、ワタルのエースであるカイリューはカントージョウトリーグでも屈指の力を持ったポケモンであることに変わりはない、キシはトゲキッスとパルシェンを温存しながらパーティを運用していたのだ。
 しかし、ワタルが最後の最後、アンカーとして場を任せたのは、二匹目のハガネールだった。つまり彼は、この試合において、カイリューをパーティから外していたのだった。
『これは厳しい、厳しいですよ』
 ササモトが、ひゃー、と声を上げながら続ける。
『こんなのキシ君は想像だにしていませんよ。いや、勿論私だって考えていなかったし、リーグトレーナー達も想像していませんよ、これ他の場所で戦ってるAリーガー達が試合の後に聞いても実感わかないくらいのことですよ。ちょっと申し訳ないけどこれを想像出来てた人は自慢できませんよ、そのくらいの事ですよこれ』
 ワタルのハガネールが、パルシェンに襲いかかる。
『ほら、これこのまま勢いで押しつぶすつもりですよ。キシ君に状況の整理をさせてあげる義理なんてないですからね』
 あっ、とササモトが何かに気づく。
『コガネのシンディアさんとモモナリ君の試合はどうなってますか』
 アナウンサーもササモトの意図に気づいて、テーブルに備え付けてある端末を操作した。
 そして、あっ、と叫び声に近いような声を上げる。
『負け、負けです』
 ササモトが背筋を大きく反らせたために軋んだイスの音がマイクを通して視聴者に伝わる。
『コガネのシンディア選手、モモナリ選手相手に痛い敗戦です』
 これで、と勢いで叫んでしまったアナウンサーは、そこで少し沈黙した、自らがこれから叫ぼうとしていることが果たして正しいのかどうか、頭の中でその状況を反芻する。そして、どうやらそれが正しいらしいと確信して続けた。
『これで、シンディア選手のAリーグ優勝の目は、無くなりました。この試合は、Aリーグ優勝を決する一大決戦です』
『しかし、こっちももうほとんど決まったと言って良いでしょうね』
 パルシェンの戦闘不能から随分と時間が立ってから対戦場に現れたのは、トゲキッスだった。
『随分と繰り出しに時間をかけましたが、その程度の時間で状況を完璧に整理するのは不可能でしょう、当事者でない私だって混乱しているんです。しかもこの対面はハガネール側が有利、一匹目の『ちからずく』なハガネールと違って、恐らく二匹目は『がんじょう』でしょうしね』
 いやぁ、しかし、と続ける。
『あのワタル君がこんな試合運びをするとはねえ、時代だと言ってしまえばそれまでなんでしょうが、ちょっと感動的ですらありますよ』
『奇襲、と言っていいのでしょうか』
『いやあ、ドラゴン使いである彼がカイリューを外すことの大きさはそんな言葉で表せませんよ』
 この大一番での『竜外し』は関係者、ファンのど肝を抜いた。しかし、それ以上の驚きがチャンピオン決定戦にあることを、彼らはまだ知らなかった。





 殿堂入りトレーナーにして、長期に渡りカントーポケモンリーグトップ層に君臨し続けた伝説の一人、キクコは、何の連絡もなしに自宅を訪ねてきたワタルに、特に驚くことも無かった。むしろワタルの訪問に慌てふためいていたのは、キクコの付き人としてワタルを出迎えた二人の若いトレーナーだろう、まだバッジ全てを所持していない彼らから見れば、ワタルは師匠であるキクコに負けず劣らない伝説だった。
「お元気そうで、何よりです」
 机を挟んで向かいにいるキクコに頭を下げた、ワタルの言葉は消してお世辞などではなく、心の底からの本心だった。
 キクコは、随分と高齢になっているはずだった。事実、肉体的にはある程度の衰えがあるのだろう、つい数年ほど前までは、自宅においている付き人は一人のはずだった。
 しかし、その表情と眼光は、まだまだ若いと言っていいものだった。まだワタルが少年と言ってよかった時代、ドラゴンすらも従えることができていた彼を身震いさせたあの雰囲気は、まだ衰えていはいない。
 キクコはそれを世辞と受け取ったのだろうか、笑いながらフンと鼻で笑った。
「ワタルともあろう男が、そんな事を言うためだけに突然顔を見せるようなことをするわけ無いさ」
 彼女は側についていた二人の若いトレーナーに「八番道路で四人倒してきな」と言って、彼らを部屋から退出させた。
「どっちもキリューが見つけてきた子だよ」と更に笑う。
「まだあたしが老け込まずに済んでいるのも、あの子のおかげだね」
 もう二、三言言葉を続けるかもしれない、とワタルは本題を切り出せずに居た。
 そんなワタルが面白かったのだろう、キクコは機嫌よく沈黙を楽しんでいた。そして、頃合いを見定めて「当ててやろうかい」とつぶやく。
「あたしの知る限り、あんたはリーグトレーナーらしくない礼儀正しい男さ。それが何の連絡もなくあたしの家に来ることの意味。それはつまり、今あんたは勢いと感情に全てを委ねてると言うことだろうね。あたしに連絡してから実際にこうやって合うまでの間に自分の頭が冷えてしまうのが怖かったんだろう」
 ふぅ、と、ワタルが溜息つくのを聞いて。キクコはらしくなく声を殺して小さく笑った。
 嘘の付けない、真面目な男。初めて顔を合わせた時に彼女が直感的にそう感じた彼の性格は、今になっても変わることがない。
「全く、相変わらずですね。しかし、決めつけが過ぎますよ」
「だが、図星だろう」
「まだ分かりませんよ。ポケモンリーグに関するスキャンダルを急いで報告しに来たかもしれませんよ」
 その言葉に、キクコは大きく声を上げて笑った。
「そんな事、あんたがあたしより先に知れるわけ無いだろう」
 その言葉の通りだった、キクコ一門はポケモンリーグだけではなく、ポケモン協会やポケモンレンジャーなど、およそ『八つ持ち』が重用されるような場所にまで、徐々に広がりを見せていた。その業界で何か動きがあれば、たちまちのうちにキクコの耳に入るだろう。
「無駄さ坊や。諦めておばちゃんに何でも話してみな」
 年長者として、余裕を持った発言だった。現役を引退すれば確実に伝説に加えられるであろうワタルを、坊やと呼ぶことの出来る存在が、果たしてこの世界にどれだけいるだろうか。
 しかし、呆れの溜息とともにワタルから投げかけられた相談は、キクコの表情から笑みを消し、驚きの表情を引きずり出すに十分なものだった。





 ここ数年の内に、カントージョウトポケモンリーグの勢力図は大きく変わり始めていた。リーグトレーナー達や関係者たちは当然として、ポケモンリーグのファンたちもそれを感じつつあった。否、むしろ表面的なものしか見ることを許されていないファンのほうが、より敏感に、そしてより極端に勢力図を作り上げつつあった。
 その現象の象徴的な存在が、殿堂入りトレーナー、ワタルだろう。ほんの数年前まで、彼はカントージョウトリーグにおける絶対的なチャンピオンだった。シゲル、レッドに敗北した記憶はすでに過去のものになりつつあり、挑戦者たちをなぎ倒し続ける彼の姿のほうに、ファンは慣れていた。
 『チャンピオンロード世代』とカテゴライズされるベテラン世代が、徐々に若手トレーナー達に駆逐されつつあっても、ドラゴンポケモンを従える彼の強さが衰えることはなかった。カントージョウトリーグにおける現代の最強トレーナーは誰かという問いに対して、ワタルであると答えることができれば十分だった。
 しかし、キシにチャンピオンが移り、翌年のリベンジに失敗してからは、彼の評価は落ちる一方だった。もはやリーグ戦においても絶対的な強さはなく、挑戦権を逃す日々が続いた。
 リーグトレーナーであるモモナリは自身が連載するエッセイにおいて、その状況を『他のリーグトレーナー達がワタルに追いついてきた』と称した。だが、バトルに明るくないファンはそれを理解することができない。カリン、クロセとめまぐるしくチャンピオンが変わっていくたびに、ワタルは終わったトレーナーという認識になっていった。
 今期Aリーグ最終戦の『竜外し』も、ファンに驚きこそ与えたが、それがワタルというトレーナーの再評価に繋がることはなかった、むしろそれは、ワタルと言うトレーナーの力の衰えを顕著に表しているのだと思われていた。彼はドラゴンを捨てるという、それまでの生き方を全否定するような行為を経て、一時の勝利を拾ったのだ。
 なんとつまらない一勝なのだろうかと、ファンは思っていた。ワタルのトレーナー人生をのものを逆手に取ったその奇襲は、チャンピオン決定戦という場面でこそふさわしいのではないだろうか。そのような奇襲に頼らなければ、チャンピオン決定戦に駒を進めることもできない、それがワタルというトレーナーの今の実力なのではないだろうかと思われていた。

『何そのバカな質問』
 カントージョウトリーグトレーナー、オーノは、思わず口にしてしまったその言葉に後悔しながら、目の前のアナウンサーに目配せし、んん、と喉を乗らした後に『ナンセンスな質問だね』と言い換えた。
 コンテストマスター、そしてカントージョウトリーグトレーナー、全く異なると言っていい二つのジャンルで成功を収めている彼は、地元ホウエンのラジオ放送にゲストとして招かれる程度に有名人だった。
 幼馴染のミクリのちょっとしたエピソードや、カントージョウトリーグのトレーナー達のエピソードを少し話せば、後はラジオ番組に送られてきた幾つかの質問に答えるコーナーになる。
 パーソナリティであるアナウンサーが選び、事前にオーノと軽く打ち合わせをしていた質問をあらかた答えた後に、番組放送中に送られてきた質問にも答えていた。
 その時読まれた質問に対して、オーノは先程の言葉を繰り出した。その内容は、カントージョウトAリーグ最終戦でのワタルの『竜外し』についてのもので、仮の名前で身を眩ませている質問者が、ワタルの衰えを指摘しているような内容だった。
『損な話だよね、戦略を変えても非難され、戦略を変えなくても非難される。挙句衰えたなんて笑われるんだから』
 アナウンサーは、それに当たり障りのない相槌を打った。自らの発言による責任を負いたくはなかった。
『そりゃあ衰えはあるだろう。ワタルだって一応人間だから。だけどそれと『竜外し』はあまり関係がないと思うよ』
 それについてのオーノの見解をアナウンサーが求めた。
『変調であることには間違いが無い。だが私が思うにあれは衰えではない、もっと大きなことのテストのような、若々しさと、生命力に満ち溢れているように見えたよ』







 セキエイ高原特別対戦場、実況席のアナウンサーは、チャンピオンであるクロセと挑戦者ワタルの今季の試合を公式非公式共に詳細に解説してる資料に目を通しながら、心の奥底で震えている不安を紛らわそうと、隣りに座る二人の元リーグトレーナー、クロサワとササモトを見やった。
 二人共知った顔ではあった。クロサワはもはやチャンピオン決定戦の解説としては無くてはならない存在になりつつあり、今日も当然のように解説の席に座っている。
 その隣りに座るササモトも解説者としての人気は高く、何度も組んだことがある。
 しかし、この二人が同時に解説をすることはこれまで無かった、それは当然二人共優れた解説者であることの証明でもあったが、それ以上に、この二人は不仲であると言う噂がまことしやかに囁かれているからだった。
 そう考えられる要因はいくつもあった。そもそもクロサワとササモトの試合に関する考え方は大きく違っていたし、クロサワが現役時代にササモトの得意戦術である『天気変更戦術』に対して幾つかの苦言を呈していたことは有名だった。そして、今では解説者として、考えようによってはお互いの仕事を奪い合う立場にある。
 ササモトが解説に加わることは、数日前に急遽決定したことだった。無茶だ、アナウンサーは本能的に感じていた。しかもこの試合は、新鋭のクロセにカントージョウトリーグの象徴と言っても全く過言ではないワタルが挑戦するチャンピオン決定戦、歴史に残ることは間違いなく、どんな些細な失敗も許されないものだった。
 こうして二人が解説席に揃ってしまった以上、自分がなんとかバランスをとるしかない。アナウンサーはそれを覚悟していたが、いざこの重苦しいこの空気を経験すると、やはり不安になる。
「悪かったな」
 腕組みを崩さないまま、クロサワがそう呟いた。それはササモトに向けられたものなのかそれとも自分に向けられたものなのか、アナウンサーはわからなかった。
「あんた以外をここに座らせるなんて考えられなかった。現役リーグトレーナー以外で、チャンピオン決定戦の解説を任せられるのは、俺以外ならあんたしか居ない」
 それはハッキリとササモトに向けられた言葉だった。その内容は好意的なものだったが、アナウンサーは一瞬身構える。
「構わないよ。非番だったし、ここは特等席の一つだからね」
 ハハ、とササモトは笑っていた。「もっと早く呼んでもらいたかったくらいだよ」
 ふう、とクロサワは安心したように一つ息をついた。
「相変わらずだな、色々囃し立てる奴らがいるから、少し不安だったんだぜ。全く身に覚えがない訳でもないしな」
「クロサワ君が噛み付くのなんて、挨拶みたいなものじゃないか。逆に猫なで声でおべっかを使ってくれば、何事かと身構えるけどね」
 違いねえ、とお互いに笑う彼らを見て、アナウンサーは自らの不安が杞憂に終わりそうなことに胸をなでおろした。
「でも、どうせなら教えてほしいな」とササモトが切り出す。
「クロサワ君なら、チャンピオン決定戦を捌くことなんて楽勝だろうに、どうしてわざわざ私をねじ込んでくれたんだい」
 クロサワは笑いを止めて、少し神妙な面持ちを作りながら答える。
「俺はどうも、この試合を平等な目線で見るのは無理だと思ったんだよ」







 想像だにしていない大物の登場だった。
 セキエイ高原特別対戦場、関係者控室。まだ若手のリーグトレーナーも、すでにベテランの領域に達しているリーグトレーナーも、そのトレーナーの出現には驚きを隠せないでいた。
「一体、どういう風の吹き回しなんだ」
 リーグトレーナーモモナリは、カントー最難関トキワジム、ジムリーダーのシゲルに向かってそう言った。モモナリはリーグトレーナーになって以降、チャンピオン決定戦は必ずこの控室で観戦していたが、彼の記憶の中に、この控室を訪れているシゲルの姿は無かった。
 シゲルがモモナリの質問に答えるより先に、彼に噛み付いたトレーナーが居た。
「あんた、どの面下げてここに来たんだ。あんたはポケモンリーグから逃げた身だろう」
 ジムリーダーとしての地位がある人間がご機嫌になるような言葉ではない。控室のリーグトレーナー達は、その声の主を想像して、これはマズイと戦慄する。
 声の主は、若手リーグトレーナーのワゴーだった。しかも彼の傍らには、殿堂入りトレーナーのキクコが静かに腰掛けている。
 それは、ただの威勢のいい若手が実力者に身分不相応に突っかかっているだけの小競り合いではない、この世界における二つの大きなイデオロギーの衝突だった。
 かつて、シゲルの祖父であるオーキド・ユキナリは、殿堂入りトレーナーの一人であるキクコと共に、カントーリーグの基礎を作り上げたトレーナーの一人だった。だが、彼は携帯獣学への専念を理由に、若くしてポケモンリーグを去った。
 その損失は、大きかった。彼らの現役を知るものは現在でも「オーキドの脱退はカントーリーグの発展を二十年遅らせた、何故ならばキクコの好敵手が居なくなってしまったからだ」と語る。
 オーキドと言う好敵手を失ったキクコは、彼を恨むことはあれど、彼を憎悪することはできなかった。彼を戦いの道から引きずり下ろした研究という道を憎むことはできても、トレーナーとしての彼を憎むことはできなかったのである。
 空虚を埋めるため、キクコはより深く戦いの道に踏み込むことになる。各地の実力者をポケモンリーグへと呼び込み、自身も彼らと戦った。引退後は何人もの弟子を取り、戦う事、強くなることにのみ精進できるトレーナーの育成に努めた。
 ワゴーは、キクコの弟子の中でも、彼女の思想と生涯を、より濃く、より深く理解しようと努めていた一人だった。だから彼にとって、オーキド・ユキナリの孫であり、殿堂入りトレーナーでありながらポケモンリーグから離れてジムリーダーとなっていたシゲルは、嫌悪の対象だった。
 オーキド一族とキクコ一門の確執となれば、ポケモンリーグそのものに何らかの影響を及ぼしかねなかった。
 それを理解しているのか理解していないのか。モモナリは右手をひらひらとさせながら「キクコさんはどうなんです」と口を開いた。
「ワタルに免じて、何も言う事無し、さ」
 キクコはじっとシゲルを見据えながらそう答えた。さらに「悪いねえ、喧嘩っ早いけど、根はいい子だよ」と続ける。ワゴーは不服の表情を崩さなかったが、それ以上何も言わず、シゲルから目を逸らした。
 シゲルは苦笑いでそれに答えた。ワゴーが言ったことも、あながち全てが間違いだというわけでもない。極力ポケモンリーグとの関わりを絶ってるのは事実だし、こうやってチャンピオン決定戦の控室に顔をだすのも初めてなのだ、キクコの愛弟子だということを考えれば、理解できる範疇ではあるし、キクコ自身にも、思うところはあるのだろう。
「それで、どういう風の吹き回しなわけだよ」と、モモナリはもとの質問を繰り返す。
 まあ、とシゲルは何か言葉を濁らせるように一つつぶやいた後に「多少、興味があるってだけだよ」とそれだけ口にした。





「気を悪くするかもしれないが、今ならば、君の気持ちがわかる気がするんだ」
 セキエイ高原特別対戦場、挑戦者控室。挑戦者であるワタルは、全てのスタッフを一旦退出させ、控室を訪れていた殿堂入りトレーナーカンナに、そう言って微笑んだ。
 二人の付き合いは長い、カンナはその言葉が何を指しているのか直ぐに把握することができた。
「縁起が悪い、あの試合は私の引退を決定づけた試合よ。私だけでなく、伝説である彼の醜態まで晒したんだから」
 数年前のチャンピオン決定戦、カンナはワタルを相手に、伝説のポケモンと言われているフリーザーを繰り出した。そのポケモンが公式戦に登場するのは初めてのことだった。地方の非公式大会にまで手を広げても、前例はなかったであろう。
 それは、当時の彼女が用意することの出来る最大の戦力にして戦略だった。もちろんそのリスクは大きかった、自らとフリーザーというポケモンがその後常に関連付けられる事になるし、自らの故郷であるヨツノシマの治安にも関わるかもしれなかった。
「もしあの試合で君が勝利していたら、君はその次の年のチャンピオン決定戦でも、フリーザーと共に戦っただろうか」
「さあ、負けた試合を勝ったと仮定するなんて虚しいだけよ」
 話をはぐらかそうとしたカンナをワタルが笑い飛ばす。
「まさか君ほどのトレーナーが、負けるつもりでチャンピオン決定戦に望むわけ無いだろう」
 ふう、とカンナは一つため息を付いた。結局、いつもいつもこの男の強引な所にやられている。
「何にも、考えてはいなかったわ。勝ってどうするか、負けてどうするか、何にも」
「そうだろう、そして今の俺もそうだ。楽しみで、楽しみでたまらない。この一戦の後のことなんて、想像もできない。こんなこと初めてだよ」
 さて、とワタルは立ち上がった。もう時間が迫っていたのだ。
 カンナは、ワタルに道を開けながら「きっと、開放されているのよ」と呟く。
「あなたはずっと、強者であることに支配されていたから。私達がもう少し強ければよかったのに」
 ワタルは、それに微笑みを返した。





 選手たちは、もうすでに入場を終え、試合開始の合図を待つのみとなっていた。
『これまでの傾向で考えるならば、ワタルの一番手は殆どの確率でギャラドスだろう』
 この試合はどのような始まり方をするか、と言うアナウンサーの問いに、クロサワは画面の向こうにいるであろう視聴者を意識して答える。
『ギャラドスはその特性『いかく』で相手のポケモンを威圧することが出来るし、弱点らしい弱点は電気タイプくらいしか無い。後ろに控えるであろうハガネールやガブリアスを考えると、相手が電気タイプを組み込まざるをえない事は非常に大きなアドバンテージだ。俺達の世代は結構これにやられてる』
『なるほど、ササモトさんはどう思われますか』
『挑戦者に関しては大体クロサワくんの言ったとおりじゃないかな、対するチャンピオンの一番手はウォッシュロトムが濃厚だと思うよ。固いし、実質の弱点が草タイプの技しか無いからね、ギャラドス以外の挑戦者の手持ちに対しても少なくとも不利はない。近年ではワタル、キシ戦が有名だね。草タイプのポケモンって潰しが効きづらいからパーティに組み込むには勇気がいるんだよねえ。後は挑戦者がそれを読み切って一番手を変えてくるかどうかだね』
 ササモトの解説に、クロサワはウンウンと頷く。彼の期待通り、非常に筋の通った解説だった。
 そこで、観客の歓声が大きくなった。審判長がジャッジスペースに向かっていた。
『さあ、セキエイ高原特別対戦場よりお送りますチャンピオン決定戦、間もなく試合開始となりそうです』
『まあ、何が起こるかわからんよ』
 アナウンサーの叫びと、審判長が手を挙げるまでのほんの少しの隙間に、クロサワがポツリと呟いた。
 審判長が手を上げ、クロセとワタルが共に一番手のポケモンを対戦場に繰り出す。
 次の瞬間、視聴者に対して一切の遠慮がないササモトの叫び声が、響き渡ることになった。




 えええ、と言うササモトの叫び声は当然控室のトレーナー達の耳にも届いていた。
 しかし、彼らがそれを不快に思うまで、少しばかりのタイムラグが存在していた。なぜならば彼らトレーナー達も、ササモトと同じように叫んでいたからである。
「なるほどなあ」
 少し上ずった声を上げながら、シゲルは頭を掻いた。その頃には、モニターの音量も大分下げられていた。
 対戦場では、ゲンガーとウォッシュロトムが睨み合っていた。ウォッシュロトムを繰り出したのはクロセの方なので、ゲンガーを繰り出したのは、ワタルである。
 ほとんど全てのトレーナーが想像だにしていなかったことだった。十数年もの間、ドラゴン使いとしてポケモンリーグに君臨し続けた男である。彼が一番手にゲンガーを繰り出したことによって沸き起こる莫大な情報と感情は、トレーナー達を一瞬の思考停止に追いやるに十分なものだった。
「確かあのゲンガーは『エナジーボール』が打てるはず。これはクロセが一本取られてる」
 それらの衝撃からいち早く回復したシゲルは、そう戦況を分析した。
 モモナリは、まだ声を上げることができず、対戦場のゲンガーと、キクコとを交互に見やっていた。
「先生、これは一体どういうことですか」
 ワゴーの震える声が、キクコの耳に届いていた。彼もまた、ワタルがゲンガーを繰り出したことによる情報量の波に押しつぶされかけていた。
 しかし、ある疑問が、彼を踏みとどまらせていた。弟子の中でも一際キクコへの敬愛がある男だった、そんな彼が、気付かない訳がない。
 控室のトレーナーの中で、シゲル、モモナリ、ワゴーの三名はそれに気づいていた。そして、キクコもまたそれを知っている。
「見りゃあ分かるだろう」と、キクコは彼らに答えた。




 対戦場のゲンガーは『エナジーボール』をロトムに打ち込んだ。
 草タイプのその攻撃は、ゲンガーの得意とするところではない、ロトムはなんとか堪えたが、ギャラドス、最悪でもカイリューと想定していたポケモンの攻撃に比べれば、全く想定外のダメージと言って良かった。
 ええと、ええと、とササモトは対戦場の隅から隅までをくまなく観察し、なんとか興奮を抑えながら現状の解説に務める。
『受けるのは正解、だと思います。交代先への『おにび』や『でんじは』などの技が怖いから安易な交代はできませんし、『エナジーボール』は弱点ですけど、ロトムの耐久力なら一撃は殆どありえません。攻撃を受けたこのタイミングで、交代を入れるんじゃないでしょうか』
 ササモトの解説通り、ロトムは電気を纏ってゲンガーに体当りすると『ボルトチェンジ』でクロセのもとに戻ってくる。
『しかし、ワタル選手の一番手がゲンガーとは』
 ポケモン入れ替えの間に、アナウンサーは見ている殆どの人間が思っているであろうことを口にした。
『しかもあれはただのゲンガーじゃねえ。ありゃあ殿堂入りトレーナーキクコのゲンガーだな』
 なんでもないことのようにそれに合わせたクロサワの返答に、アナウンサーは激しく食いつき、ササモトは『ああ、やっぱり』と小さくつぶやいた。
『そんな、そんなことがあり得るんですか』
『分かるよ、動きや技の精度の良さを見ればそこら辺の十把一絡げな育て屋が手掛けたもんじゃねえことくらい分かる、近年であそこまでのゲンガーを育て上げてたのはキクコとシバタくらいのもんだろう。現役のシバタからポケモンを借りるのは規約違反だから自然とキクコしか残らねえ。多分勘のいい奴らはもう気付いてる、ササモトさんだって全くわからなかったわけじゃないだろう』
 ササモトはバツが悪そうにそれに答える。
『そりゃあもしかしてとは思ったけど、確信までは行かないよ。こんなこと前例がありゃしないもの』
『確かにその通りです。こんなこと記憶の限りでは初めてです』
 まだ動揺を抑えきれていない二人に、クロサワはふん、と鼻を鳴らした。
『協会の規約には違反しちゃいねえ。他人が育てたポケモンを試合では使えないことにしちまったら、今のリーグトレーナーは殆ど違反者になっちまうからな』
 対戦場のクロセも、ワタルが繰り出したゲンガーが並の強さではないことに気づいていた。少しばかり考えてから新たに繰り出されたポケモンは、ファイアローだった。
『悪くない選択肢だな』と、放心状態の二人に代わってクロサワが言う。
『単純な速さでゲンガーに敵うポケモンは限られてくる、ファイアローの特性を利用した『ブレイブバード』で確実な先手を取れば、『ボルトチェンジ』のダメージと合わせて確実に倒せる』
 クロサワの解説でなんとか自身の役割を思い出したササモトは、とりあえず目の前で起こっていることにのみ集中する決断をし、それに続ける。
『うーん、ゲンガーが電気技を使えることと『おにび』が全く痛くない事を考えると、やっぱり『ブレイブバード』で殆ど間違いないと思うから、変えるなら、ギャラドスかなあ。『いかく』でファイアローを牽制することが出来るし、ファイアローに電気タイプの技はないからね。万一それを読まれて『おにび』を食らっても、ギャラドスってポケモンは意外と小回りがきくんだよねえ』
 そつがない解説だったが、クロサワはいや、とそれに割り込む。
『もう何が来るかなんてわからんさ、そもそもギャラドスがパーティに組み込まれているかどうかすら怪しい。現存するポケモン全てが選択肢にあると言っていいだろう』
 ササモトは解説を否定された形になったが、特にそれを気にする様子はない。
『確かに、むしろここでギャラドスが来るかもしれないと考えること自体、ワタルの戦略にはまり込んでしまってる可能性があるのか』
 ふう、と一つため息を付いて『いやあ、しかし』と続ける。
『クロサワくんは、落ち着いてるね。僕なんかはもう動揺しっぱなしだよ』
 対戦場のファイアローが、攻撃の体制を取った。
 それを確認してから、ワタルはゲンガーを手持ちに戻す。
 そして、新たに繰り出されたポケモンに、ファイアローの『ブレイブバード』が炸裂した。
 あっ、とササモトが漏らした。アナウンサーもササモトのその反応を聞いて、察する。
『こういう展開になるかもしれないという、予想はしていたんだ』と、クロサワは対戦場を見据えて漏らす。
 対戦場に現れ、『ブレイブバード』を受けたポケモンは、小さなポケモンだった。だが、そのポケモンの強さと有用さは、バトルに関わる殆どの人間が知っていた。
 はるか海の向こうのポケモン、クレッフィは、飛行タイプ最高クラスの攻撃を見事に受けきっていた。
『ク、クレッフィです。ワタル選手の二体目は、近年流行りの鋼とフェアリーのポケモンのクレッフィです』
 アナウンサーにとっても、クレッフィは最近良く見るポケモンだった。優秀なタイプ属性を持っていることから後出しの選択肢として非常に強く、その特性『いたずらごころ』によって確実な仕事ができるポケモンだった。
『なるほどねえ』
 ササモトは知っていた。そのポケモンは、自らの隣に座る男、クロサワのキャリア晩年の相棒だった。
『そりゃあ、平等な解説なんてできないね』
 ふふ、っと笑い混じりに言われたその言葉の意味は、クロサワとアナウンサーにしか伝わらなかった。
『こうなると、複雑だね』
 クレッフィというポケモンが流行るより先にリーグトレーナー業を引退していたササモトは、そのポケモンが生み出す読み合いに造詣が深いわけではなかったが、彼の戦術感そのものが大きく衰えているわけではない。隣の男に任せるのが最も良い選択なのかもしれないが、恐らく彼は、今それどころではないだろう。二人の間にどのようなやり取りがあったのかは分からないが、チャンピオン決定戦という大舞台に自らのポケモンが居ることに間違いはない。
『もちろんチャンピオンは『いばる』を警戒するだろう。『フレアドライブ』で踏み込むか、それとも入れ替えか。だけど、入れ替えるとますますクレッフィのペースになるね』
 対戦場のファイアローが動く。攻撃の体制。体が燃え上がり、『オーバーヒート』した状態のまま、クレッフィに突っ込む。
 その攻撃が届く寸前に、クレッフィは超能力で半透明の壁『リフレクター』を作り出した。
 物理的な攻撃の威力を弱めるその技は『ブレイブバード』や『フレアドライブ』を主力とするファイアローにとっては有効な技ではあったが、強力な熱量を持って攻撃を放つ『オーバーヒート』の威力は弱めない。炎技トップクラスの攻撃をモロに喰らい、鋼タイプのクレッフィは倒れた。ワタルがクレッフィを手元に戻す。
『そうだ、それでいい』と、ようやくクロサワが呟く。
『ゲンガーを守り、『リフレクター』で場を作った。チャンピオン決定戦で、相手がクロセであることを考えれば、十分な仕事だ。あわよくばもう少し居座れればよかったのが、まあ、エースになれるタイプのポケモンではないからな』
 アナウンサーはクロサワに聞きたいことが山ほどあったのだが、ササモトがそれを遮る。
『チャンピオンの読みが冴えてたね。交代していたらもっと酷いことになっていた。個人的には、『いばる』よりも安定したいい選択肢だったんじゃないかな』
 クレッフィは特性『いたずらごころ』を利用して『いばる』や『みがわり』『イカサマ』などで戦況をムチャクチャにする事に強みがあるポケモンだった。格上を食うことが出来るその戦術は、下位リーグの若手に特に愛用されており、実際にシフルトーナメントでジャイアントキリングを達成することも多くあった。今回ワタルが敢行した『いたずらごころ』を利用しての『リフレクター』張りは、爆発力に欠けているように思える。
『『いばる』を選択しなかった理由は何なのでしょうか』
 クロサワへの質問をとりあえず置いておき、アナウンサーが純粋に思ったことを質問する。その質問はモニターを通してその試合を観戦しているバトルオタクのものでもあった。
『所詮運試し』と、クロサワが吐き捨てる。
『確かに強力な連携で、ハマれば二つほど格が上の相手でも喰うことが出来るだろう。だが、それはあくまで運命が己に振れたときだけの話。セキエイでは、運命はチャンピオンに微笑むだろう』
『クロサワくんの言うとおり『いばる』戦術は運の要素が大きい戦術だからね、それだけ挑戦者ワタルにはプライドがあるということだよ。もしかすると、ここまでの展開もある程度はワタルくんの予想の範疇なのかも』
 ササモトのその予想は、ワタルが繰り出した新たなポケモンによって、確信へと変わることになる。
 だがそれを視聴者が理解するより先に、クロサワとササモトの驚きの声が彼らに届けられることになる。


 控室のトレーナー達は、一斉にシゲルに目線を振った。それは、これまでの流れを考えれば十分にありえることだった。否、これまでの流れを考えれば、そうであることが当然であるように思えた。
 対戦場では、ワタルが新たに繰り出したポケモン、ナッシーが、ファイアローと睨み合っていた。
「ああ、俺の手持ちだよ」と、シゲルは虚空に、それでいて控室すべてのトレーナーにそう答えた。
 もはや驚きはなかったが、驚きがあった。シゲルにとってナッシーというポケモンは、かつてカントー四天王とワタルを相手に勝ち抜き、その後彼を追ったトレーナー、レッドとの対戦でも活躍したポケモンが、シゲルのジムリーダー就任以降は公式の場に現れることは殆どなくなった、もはや伝説の一員になりつつあるポケモンだった。
 よもやそんな大物が引っ張り出されてこようとは、果たして誰が予想しただろう。
「なるほどね」
 モモナリは口元にやった手で顎をもみながら一人頷いた。
「ナッシーを繰り出すならここしか無い」
 シゲルもそれに頷く。
 ナッシーとファイアロー、単純な見方をすればこの組み合わせはナッシーが圧倒的に不利なように思える。だが、クレッフィが作り出した場の状況は、単純なタイプの不利を大きく覆していた。
 場に残る『リフレクター』はファイアローの『ブレイブバード』と『フレアドライブ』を大きく弱体化させている。さらに『オーバーヒート』してしまったファイアローは、火力の面で大きく消耗していた。もはやファイアローにナッシーを一撃で倒す強さは無い。
「先生も、あんたも、ワタルも、今日はちょっとおかしいぜ」
 ワゴーは、恐れること無くそう言った。
 それを声に出すことはなくとも、控室のトレーナーの多くはワゴーと同意見だった。
「他人に自分のポケモンを貸すなんて想像もできねえよ」
 キクコの手前それを強く明言することはなかったが、ワゴーから見ればそれはプライドの欠片もない行為だった。
「あんたにゃまだわからんさ」
 ワゴーの口調に合わせるように、キクコが少し強めにそう彼を諭したが、その目にはまだ彼に対する慈愛があった。
「あんたはまだそういうやつに出会ってない」
「どういうことです」
 それにキクコが答えるより先に、対戦場に動き。
 ファイアローがナッシーに突っ込み、『とんぼがえり』してクロセの元に戻る。 ナッシーにとっては相性の悪い攻撃だが、『リフレクター』と持ち前のタフネスさでなんともなさそうに耐えた。
 クロセが新たに繰り出したポケモンは、ガブリアスだった。ナッシーに対して『ほのおのきば』や『だいもんじ』などの攻撃で有利を取れる選択肢だった。ナットレイを繰り出して泥試合に巻き込む手もあったが、ナッシーが『けたぐり』を覚えている可能性がそれをさせなかった。そして、ナッシーも動く。
「ああ、なるほどなあ」と、モモナリが唸る。
 ナッシーは自身の超能力を利用し、特殊な空間である『トリックルーム』を作り出したのだ。『トリックルーム』の影響下においては、素早さの概念が逆転し、動きの緩慢なポケモンほど速度を得ることが可能となる。
「このためにファイアローを引きずり出したのか」
 モモナリは頭を掻いた。どこまでが用意された作戦で、どこまでがアドリブなのかは分かりはしないが、現役のAリーガーである彼が脱帽せざるを得ない戦略だった。
 ナッシーというポケモンと『トリックルーム』は非常に噛み合った相性をしている。元々ナッシーは弱いポケモンではない、ポケモンリーグ初期においては数少ない高威力のエスパー技を放てる存在として重用されていた。だが、対戦環境の高速化により、時代に取り残されたポケモンだった。
 逆を返せば、スピードに対するネックさえ克服してしまえば、ナッシーは未だに第一線で活躍できる力を持つ。『トリックルーム』はナッシーを第一線のポケモンに育て上げるフィールドだった。事実、『あめ』状態のフィールドを維持する『天気変更戦術』が衰退を見せつつあった時代に、『トリックルーム』を主軸においたパーティで活躍していたこともあったのだ。
 だが、現代バトルにおけるファイアローの台頭は、ナッシーの生命線を確実に断った。『トリックルーム』に干渉されない特性『はやてのつばさ』からくり出される『ブレイブバード』は、トリックルームナッシーの強みを確実に破壊していた。ナッシーだけではない、ファイアローの登場によって虫タイプや草タイプ、一次は猛威を奮っていた格闘タイプのポケモンのランクがガクッと下がったのである。
 だが、『リフレクター』によって攻撃力を弱体化させ、『オーバーヒート』によって特殊攻撃力が下がったファイアローに、もはやナッシーを倒す手段はない。『とんぼがえり』によって自らの手持ちに戻したのは、当然の判断とも言えた。
 ワタルの狙いはそれだったのだろうとモモナリは考える。たしかにこの状況『とんぼがえり』によって手持ちを入れ替えるのはベストの選択肢だ、それ以外の選択肢ではズルズルとナッシーが有利な状況に持ち込まれるだけ。
 しかし、ファイアローを手持ちに戻し、再びファイアローを繰り出すと言う芸当は当然できない。つまり、クロセはこの交代によって、ナッシーに対して絶対的な優位を持つファイアローを繰り出せなかったのだ。
「上手くやってる」と、シゲルが呟いた。
「ワタル、それともナッシーの事かい」
 モモナリが多少ユーモアを込めて質問する。シゲルは一瞬その意味を考えてから小さく笑い「どっちも」と答える。
「久しぶりに『おや』の心境だよ」
 『トリックルーム』の中で、ナッシーが機敏な動きを見せて先手を取った。
 思うように動けないガブリアスを、『サイコキネシス』が襲う。かつてポケモンリーグを支配していたエスパーの大技は、新たなポケモンリーグの支配者に確かなダメージを与えた。
 だが、ガブリアスにも支配者のプライドがある、ドラゴンは口から『だいもんじ』の火を放ち、それをナッシーに直撃させた。『リフレクター』を意識した特殊攻撃だったが、ガブリアスの得意なものではない。
「これでやられるってことはないだろう」
 モモナリの予想通り、ナッシーは弱点攻撃である『だいもんじ』に耐えた。そして、そのままガブリアスとの間合いを一気に詰める。そして、ガブリアスが迎撃の『だいもんじ』の体勢を取ったのを確認すると、自らの技である『タマゴばくだん』を応用した大技『だいばくはつ』で己ごとガブリアスを吹き飛ばす。
 さすがのドラゴンも、エスパーの大技に『だいばくはつ』とくれば、無事ではすまない、ワタルとクロセは同時に戦闘不能となったポケモンを手持ちに戻した。
「『おや』の目線から見りゃあまりいい気分じゃないが」と、シゲルは頭を掻く。
「仕事はしたと言っていいんじゃねえかな。ほっとしてるよ正直」
 ふう、と見せつけんばかりのため息が聞こえた。ワゴーだった。
「捨て石じゃねえか、俺なら耐えられねーよ」
「お前も挫けねえなあ」
 シゲルは苦笑した。だが、自分が彼ほどの年齢だったときのことを考えれば、理解できないこともない。若さとは自信と自己主張、そして視野の狭さなのだ。
「ワタルってのは俺達の世代の最強だ。奴はあの敗戦以来鬼神となって、十数年もの間最強であり続けた。一瞬の間チャンピオンになるだけならできないこともないが、その地位を十数年も守り続けるとなるとそう簡単なことじゃない」
 シゲルの経歴を知るものならば、これ以上無いほどに説得力のある言葉だと分かるだろう。
「挑戦者とAリーガーは常にワタルをいかにして倒すかを考えていたはずだ、そして、ワタルもまた、自らを倒さんとする挑戦者達にいかにして立ち向かうかを考えていたはず、アイツは常に自らの頭の中で流行のポケモンを操るワタルと戦っていたんだ。そんなやつが、チャンピオン決定戦を戦う上で俺のポケモンの力を借りたいと言ってきたら、どうなるのかという興味はある」
 シゲルの説明にもワゴーはまだ納得しきってはいないようだった。
 それに付け加えるように、キクコが話す。
「ワタルだって生半可な気持ちでこの決断をしたわけじゃないだろうさ、そもそも、今までと違うポケモンと戦ったところで確実に強くなれると決まっているわけでもなし、そうなってしまったときにあたし達に合わせる顔がないだろうしね。他でもないワタルという人間がそこまで苦しんで出した結論さ、応えてやるのが粋というもんさね。まあ、今はまだわからんでも結構、あんたはまだセンチになるような歳じゃないよ」
 はあ、そうですか。とワゴーがとりあえず納得したと言った素振りを見せた時、対戦場の二人は殆ど同時に次のポケモンを繰り出した。
 クロセが繰り出したのは、草、鋼タイプのナットレイ、恵まれたタイプを持ち、その硬さの強みはトップ層にも通用する強いポケモンである。なにより『トリックルーム』を有効に使える遅さを持ったポケモンだった。
「やっぱり持ってるか」と、シゲルが呟く。現代バトルでも十分通用するポケモンである、クロセが選択肢の一つに持っていないわけがなかった。シゲルもジム戦で何度も目にしており、その強さはよく理解していた。
 クロセよりワタルの手持ちに注目していたトレーナー達は、現れたポケモンを見て性懲りもなくどよめいた。
 本来ならばワタルの天敵であるはずのポケモン、ラプラスだった。当然、本来ならばワタルの手持ちではないポケモンだろう。
 現役のリーグトレーナーではなく、ワタルが心を許せる人物で、チャンピオン決定戦に通用する実力のあるラプラス。その持ち主が殿堂入りトレーナーのカンナであることは容易に想像できた。
「『トリックルーム』はこのためか」
 モモナリが言うとおり、ラプラスは本来ならばこの状況で力を発揮できるポケモンだった。タフネスさに定評あるポケモンだが、ナッシーと同じくその鈍足さから環境から一歩遅れていた。
「だが、この状況はクロセ圧倒的有利だな。ラプラスにこの状況を打破できる手段がねえ」
 ワゴーが小さく唸った後に呟き「あるとすれば『ぜったいれいど』での力押しだが、そりゃあまりにも芸がねえ。単純に読み負けたってことなんだろう」
 控室は、その一旦飲み込んだ。即断即決な見解だったが、若手の期待株と言われているだけあって筋が通っている。
 ワタル不利、と固まりそうだった控室の雰囲気を、モモナリが「いや」と否定する。
「『めざめるパワー』があるんじゃないのかなあ」
 多くのトレーナーは「そんなバカな」と思ったが、それを完全に否定することもできない、そんなバカながありえてしまう。そんな雰囲気だった。



 ウォッシュロトムの前に、ワタルは選択を迫られていた。ワタルの手持ちは残り二体、クロセの手持ちはウォッシュロトムを含めて残り三体。ウォッシュロトムに限界が近い事を考えれば、お互いに残りの手持ちは二体と言ったところだった。
『特殊な状況だね』
 ササモトがうーんと唸った。控室のトレーナー達も、元の音量に戻されたその唸りを聞いていた。
『本来ならばここで二体の内の一体を晒さなければならない挑戦者が情報的に不利なようにみえるんだけど、大きな見方をすればそうではない』
 控室のトレーナーの内数名は、ササモトのその解説に頷いた。今この瞬間に自分達が感じた違和感のようなものを端的に表していた。
『チャンピオンの残りの手持ちはニンフィアとゲッコウガでほとんど間違いない、彼がこの場で変調を入れる必要がないし、この二体はチャンピオンにとっても大切な相棒だろう』
 クロセの手持ちの内、ニンフィアとゲッコウガは、彼の対戦において非常に重要な働きをしていたポケモンたちだった。フェアリータイプのニンフィアはこれまでのヒエラルキーにおいて頂点に立っていたドラゴンタイプに対して圧倒的な強さを持っているパーティの中心、ゲッコウガはその特性『へんげんじざい』によって複雑でスピーディな読み合いを仕掛けることが出来るエース格だ。チャンピオンがこの大舞台でこの二体を外すとは考えにくい。
『対して挑戦者の残りの二体は全く読めない。彼はAリーグ最終戦において最高の相棒と行っても過言ではないカイリューを外しているから。この大一番で外すとは考えにくいけど、多少の疑惑があるだけもアドバンテージは大きいね』
「消去法で誰が居るかな」
 モモナリが当てもなくつぶやいた。
「この大舞台に持ち込めるほどのポケモンを所有していて、なおかつワタルさんとの付き合いの長いリーグトレーナー以外のトレーナーは」
「ジムリーダーにまで手を広げればいくらでもいるでしょ」
 ワゴーがシゲルに目線を飛ばしながら答える。
「ただどんなポケモンを借りようと、クロセのニンフィアとゲッコウガに真正面から対抗するのは無理でしょうね、先生のゲンガーやあのラプラスなら出来たかもしれないが、どっちももう戦闘不能だ」
 対戦場のワタルが、残り二つのボールの内一つをつかみ、対戦場に投げ入れた。観客、トレーナー、実況席が一旦考えることをやめてそのポケモンに集中する。
 そして、ボールの中から現れたポケモン、カイリューは、『しんそく』の突進をロトムにぶちかまし、吹き飛ばした。ロトムも連戦を戦っており、その攻撃を受け止められるだけの体力はない、審判員が戦闘不能を表す旗を上げ、クロセはロトムをボールに戻した。
「そりゃそうだよ」と、ワゴーが言う。
「チャンピオン決定戦で自分の持っている一番を外すなんて出来るわけ無い」
 トレーナーの誰かがそれに意見を合わせるよりも先に、クロセがボールを対戦場に投げ入れた。考慮の時間を殆ど使わない、素早い交代だった。
 そして、現れたポケモンはドラゴンキラーのニンフィアだった。
『これはチャンピオンが少し苦しいかもしれない』
 解説のササモトが対戦場のポケモンを交互に見やりながら言った。
『特性『フェアリースキン』でフェアリータイプの攻撃となった『ハイパーボイス』は殆どのドラゴンを一撃で崩せる大技だけど、『マルチスケイル』を有しているカイリューにはそれに耐えることが出来る。更にカイリューはニンフィアの弱点である『アイアンテール』攻撃をすることが出来るから、機動性に優位があることを考えるとこれはカイリューが有利だ』
「ワタルの粘り勝ちだ。良くここまでカイリューを我慢した」
 シゲルが呟く。
 もしカイリューが『まひ』や『やけど』などの状態異常、もしくは何らかの攻撃によって『マルチスケイル』を失っていれば、この対面はカイリューの圧倒的不利だっただろう。
 モニターの向こうのクロサワも、まるでシゲルの呟きを補足するように続ける。
『ワタルのラストが読めないことを考えると、ここでニンフィアを繰り出さないわけにもいかないだろう。このカイリューが最後の一匹であれば、ゲッコウガである程度体力を削り万全の体制でニンフィアを繰り出せたが、お互いに残りは二体、そんな余裕があるわけでもない』
 対戦場のカイリューはその尻尾を振りかざし、自身の肉体で出来る最大のスピードで鞭のように『アイアンテール』を振るい、ニンフィアを薙ぎ払った。
 その小さな体には有り余るような攻撃だったが、何度か地面に叩きつけられた後にニンフィアは素早く起き上がり、カイリューに『ハイパーボイス』で攻撃する。
 ドラゴンに対して特に強力なその攻撃は、『マルチスケイル』を有するタフなカイリューにも大きなダメージを与える。しかし殆どのドラゴンを一撃で葬ってきたその攻撃を、見事にカイリューは耐えてみせた。
『クロセのパーティに穴はない、それぞれ強力なポケモンたちが、それぞれの弱点や苦手な戦術を見事に補完している。だが、ワタルのカイリューも個々として考えれば最強と言ってもいいポケモン、無傷のタイマンでそうそう潰れるもんじゃない。結果的に、ワタルの奇襲は成功したと言っていいだろう』
 再びカイリューが動き、それに合わせてニンフィアも動く。
 カイリューの翼が動いた。尻尾を振り上げる前触れだろうか。
 ニンフィアもその両足を踏みしめる、『でんこうせっか』ではない、カイリューを沈める大技を打つつもりだろう。
『『でんこうせっか』でセコイ一撃を選択すれば、その隙に補助技を打たれるかもしれないからな、非情なようだが次を見据えたチャンピオンの判断だね』とササモトがクロセの判断を褒め称える。
 しかし、カイリューはその尾を振りかざさない、その目はニンフィアには向いておらず、彼は天に向かって口から火球を吐き出した。
 その火球は太陽のように対戦場を照りつける、カイリューが簡易的に作り出した『にほんばれ』の状況だった。
 その技の選択に驚く声が、観客席から、モニターから、控室から聞こえる。
 ニンフィアは、その太陽の熱気に負けぬ『ハイパーボイス』を繰り出し、『フェアリースキン』によって力を得た特殊な声紋でカイリューを沈めた。
 ああ、と言う、疑問と多少の怒りを込めた声をクロサワが挙げた。
『なんだあ、結局このカイリューも場作りのポケモンだったのかよ』
 驚いた気持ちは、ササモトも同じだったのだろう。彼も疑問を含めて続ける。
『これはラストに相当な自信を持っているとしか思えないね。しかし、思い浮かばないなあ』
 控室も、ワタルの行動に納得がいっていないようだった。
「すでに傷物のニンフィアはともかく、無傷でしかも後出しで出て来るゲッコウガをぶち抜く算段ができてるっていうのかよ。それも一番の相棒であるカイリュー抜きで」
 ワゴーがそう叫んでいた。
「まあ、ワタルさんが自ら負けに行くような動きをするわけがないだろうから、そういうことなんだろうねえ」
 うーん、と頭を捻っているモモナリのその返しに、ワゴーはさらに反発する。
「そんなことが出来るポケモンを持ってるやつがいたら、ただのジムリーダーに収まるわけがないし、リーグトレーナーを引退する必要なんかねえだろう」
 全くの正論だった。
『『にほんばれ』のこの状況をどれだけ有効に使えるかにかかっているだろうね』
 実況席のササモトはひとしきり驚いた後に冷静に状況を確認する。
 奇しくも、今対戦場を支配しているこの状況は、彼が最も得意とし、他のトレーナー達にも大きな影響を与えた『天気変更戦術』によく似ていた。
『普通に考えれば有利な状況なんだけど、ニンフィアとゲッコウガを考えると難しいかもしれないなあ』
 例えば、とササモトが何か一例をあげようとしたところで、ワタルが、最後のボールを対戦場に投げ込んだ。皆、それに注目する。
 現れたポケモンは、ドラゴンによく似ていた。だが、その尻尾で燃え盛る炎は、その翼竜がドラゴンではないことをはっきりと示している。
『なんでえ、結局一番つええのは自分ってことかよ』と、クロサワが呟く。
 そのポケモン、リザードンは、ワタルの隠し玉として有名だった。
「ネタ切れだ」とワゴーが呟く。
「あの手この手で色々やってはみたが、それも尽きた。あるいは、最後は自分達で決めたいという欲からなのかもしれないが。とにかく、一貫性がない」
 正しい指摘だった。尽くワゴーに反論していたシゲルも、リザードンの動きを追うばかりでそれに応えない。
「無理だ、サブのリザードンでは、この逆境を跳ね返せない」
「『にほんばれ』の状況はどうなるだろう」
 モモナリの疑問には、モニターの向こうのササモトが間接的に答えることとなった。
『これは厳しかもしれないなあ、挑戦者のリザードンはたしかにこの舞台にふさわしいポテンシャルを持ったポケモンなんだけど、私の記憶の中では『天気変更戦術』に適応している選択肢ではないはず。主にドラゴンの苦手な氷タイプや、受けとして出てくる鋼タイプを強く意識したポケモンだからね。この状況を十二分に生かせるとは思えない』
 更に彼は感慨深そうに続ける。
『最も、『天気変更戦術』のような小細工が通用するような舞台でもないしね』
 リザードンが動いた、ニンフィアはまだ動かない。
「『アイアンテール』かな」とモモナリはつぶやく。
 この場面、お互いの行動はほとんど縛られていると言ってもいい。
 クロセのニンフィアは『あくび』と言う確実性がありなおかつ強力な状態異常である『ねむり』を誘うことが出来る選択肢がある。攻撃を受けてから眠るまでにタイムラグのあるこの技は、本来ならば手持ちの入れ替えでそれを回避する、だが、残りがリザードン一体のワタルには手持ち入れ替えの選択肢がない。『あくび』を食らってしまえばほぼ確実な敗北がある。素早さに優位のあるリザードンはこの攻撃で殆ど確実にニンフィアを潰さなければならないのだ。
 かと言ってニンフィアも『あくび』以外、例えば『でんこうせっか』のような先制を取れる技を放つ選択肢があるかと言えば、それもない、炎タイプのリザードンからすればニンフィアの『でんこうせっか』など取るに足らないダメージだし、もしそれを一点読みされて『りゅうのまい』などで自身の能力を引き上げられるリスクと比べれば、ここで『あくび』以外の技を撃つ必要性がない。
 だが、対戦場のリザードンはその尾を振り上げない、彼は燃え上がらせた炎をその身にまとい、力をためながらニンフィアに『ニトロチャージ』で攻撃した。
 驚きの声が控室とモニターから上がる。
『大丈夫なのか』とクロサワがそれらの叫びを言葉にして視聴者に届けた。
 いまリザードンが放った『ニトロチャージ』は自身の俊敏性を高めつつ攻撃する技で、その威力自体は小さいと言っていい。もちろん最終進化形であるリザードンが放つのだから全くの無傷というわけではないのだろうが、それでもニンフィアの弱点である『アイアンテール』攻撃に比べれば、小さなダメージと言っていいだろう。
『ニンフィアが耐えれば『あくび』でおしまいだ』
 吹き飛ばされ、叩きつけられたニンフィアは、まだ少し余力があるのか、前足でなんとか体勢を整えようと踏ん張っていたが、やがて地面に身を預けた。戦闘不能だった。
 わっ、と観客席からは歓声が上がる。どちらが贔屓かと言う問題ではなく、この楽しい勝負がもう少し続くことへの歓声だった。
 よーしよーし、とモニターの向こうからササモトの叫びが聞こえた。
『いいぞ、いいぞ、今日のリザードンは随分とコンディションがいいらしい。そして、これならまだ勝負はわからない』
 もう何度目かわからない相づちをアナウンサー。
『今の『ニトロチャージ』で、リザードンの俊敏性は相当なものになったはず、今から繰り出されるはずのゲッコウガも相当な素早さを持ったポケモンだけど、多分今のリザードンはそれを上回っているよ、先手を取ることが出来るなら、分からない勝負になる』
 クロセが、最後のモンスターボールを対戦場に投げ込む、現れたポケモンは当然ゲッコウガ。
 その試合を見ているものが今から何が起こるのかを考えるより先に、ゲッコウガが動く。
 ゲッコウガが周りに水しぶきをまとわせたかと思えば、次第にそれが『にほんばれ』の日差しを受けてきらめき始める、それはその水しぶきが少しずつ氷に、雪になり始めているという事だった。
 刹那、次の瞬間に雪のきらめきが影に消された。空高く飛翔したリザードンが、『にほんばれ』を背にゲッコウガと向き合っていた。そして、リザードンの首が動く。
 しかし、それから放たれたのは炎ではなかった、太陽の光を吸収し、そのエネルギーを相手にぶつける大技『ソーラービーム』、水タイプのゲッコウガに対して繰り出すことが出来る最高の攻撃だった。
 うわあ、とササモトの叫び。
『あったんだ、ワタルくんのリザードンに『ソーラービーム』を撃つ技術が、ノウハウが。すごい、完璧に『天気変更戦術』に対応してるじゃないか』
 だが、ゲッコウガは逃げない、『ソーラービーム』に立ち向かい、それを受けた。更にゲッコウガは周りにまとわせていた雪を『ふぶき』としてリザードンに放つ。
 だが、それはリザードンをかすめ、遥か上空に打ち上げられた。
『外したぁ』
 ゲッコウガは倒れていない、まだ立っている。
 リザードンは二発目の『ソーラービーム』を狙う。だが、その時、翼に衝撃。
 それがなんなのか察知するより先に、二度、三度と更にリザードンを衝撃が襲う。
 何が起こっているのか、それを知らないのはリザードンだけだった。
『そうくるかあ』
 先程の『ふぶき』は攻撃ではなかった。それはリザードンのはるか上空で幾つもの大きな氷の塊となって、後は重力に任せるままリザードンへと降り注いでいた。
 『にほんばれ』の熱気に負けずに固く大きくなったその氷塊は、リザードンを地面へと引きずり下ろしてもなお彼にのしかかっていた。まるで『いわなだれ』のような攻撃だった。
『対戦場で水タイプのポケモンが『いわなだれ』をここまで見事に決めるとはねえ』
 感嘆の声が上がるほど、納得の一撃だった。空を飛ぶリザードンに対して『いわなだれ』のような攻撃は最悪の相性。普通に考えて、リザードンに戦う力が残っているとは思えなかった。審査員の右手が動く。
 だが、同時に積み上げられた氷塊も僅かに動いた。
 そして、次の瞬間、いくつも積み上げられているはずの氷塊が、この世のものとは思えない程の咆哮と共に吹き飛ばされた。
『まだ動けるかあ』
 リザードンの雄叫びは、セキエイ中に響いていた。『にほんばれ』の力を借りて再び『ソーラービーム』を打ち込もうと首をもたげる。
 だが、死角から現れた何発もの『みずしゅりけん』がリザードンに突き刺さる。ゲッコウガ特有のモーションの見えないその技は、有力な先制技だった。
 強い日差しの影響はあれど、ボロボロの状態だった所に相性の悪い水タイプの攻撃、ここまで強力な力を見せつけていたリザードンも、流石に沈んだ。元々『いわなだれ』で沈んでもおかしくなかったのである。
 審判員は、慎重に、じっとリザードンを確認してから、戦闘不能を示す旗を掲げた。
 チャンピオン決定戦が終わった。だが、もう一つか二つ、何かがあるかもしれない、両選手が退場するまで、観客たちはそう思っていた。






  
「人生で、これ以上驚くことはないだろうよ」
 ワタルを囲もうと陣取っていた記者たちを蹴散らし、挑戦者控室に飛び込んできたシゲルは、先客であったカンナへの挨拶もほどほどにそう啖呵を切った。
 その勢いに驚いたカンナがシゲルに何か言おうとしたが、「いいんだ」ワタルはそれを止める。
「世界で唯一人、気付くとすればお前だろうとは思っていた」
「キクコの婆さんも気付いてたぜ、弟子の手前黙ってたってだけでな」
 ふう、とため息を付いた。
「ルールには反していない」
「そんなことはどうでもいいんだ、俺が聞きたいのはよお、もしおめえ勝ってたらどうするつもりだったんだよ」
 ははっ、とワタルが笑う。
「そりゃあ勝ってしまったらすべて明らかにするしか無いだろうな」
「レッドのポケモンを借りてチャンピオンに返り咲きました。なんてあんたが言ったらとんでもねー事になるだろうよ」
 カンナが顔を伏せる。彼女も、あのリザードンがレッドの手持ちであるということをワタルから聞いていた。
「まあ、世間の反応は厳しいだろうな」
 事の重大さを理解しているのだろうか、ワタルの表情は未だに明るかった。
「別に構わない、どれだけバッシングを受けようと、その結果チャンピオンの座を剥奪されようと大した問題じゃない。だが、俺達がクロセに挑む上で、レッドを外すと言うことはありえない。不幸中の幸いか、俺が負けたことで、結果的に彼の名が傷つくということもないわけだしな」
 更にワタルは続ける。
「彼は、素晴らしいトレーナーだ」
「そりゃどっちのことだ、クロセか、レッドか」
「どちらもだが、今の言葉はクロセに向けたものだ。彼は、間違いなくレッドに匹敵するトレーナーだよ」
 その意見には、シゲルも同感だった。
「彼なら、見せてくれるのかもしれない。最強という概念の、もう一つ先の世界を」

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来来坊(風) ( 2016/11/03(木) 21:30 )