セキエイに続く日常
142-十人十色
「来年はあの子が私からチャンピオンを奪おうとしてくるでしょう」
 会場を埋め尽くしていたトレーナーや関係者達は、一斉に彼女の指差した方向を見た。
 そこに居たのは、カントージョウトリーグAリーガー、クロセだった。彼は突如自らに向けられた指先と、不意に自らに注がれた様々な感情のこもった視線に、体をビクつかせた。
 ちなみに、彼の隣には同じくAリーガーのモモナリが、高級食材の乗ったクラッカーを片手にワインを楽しんでいたりもしていたが、だれも彼の存在を気に留めなかった。
 チャンピオン、カリンの先制攻撃は、少なくともその場にいるトレーナー達を驚かせるには十分だった。彼女が一番の主役と断言しても良いチャンピオン就任式で、彼女はまだまだ新米トレーナーであるクロセに、主役のバトンを押し付けたのだ。
 何人かのトレーナーは、女帝の心理戦だと感じていた。
 クロセの勢いは凄まじい、しかし、果たしてそれを勢いという単語で評すべきものなのかどうかまだわからない。クロセの突き進んだ道には、力強く地面を抉るほどの獣道があるように見えていた。つまり、これこそがクロセというトレーナーが本来持っている力なのではないか。
 それをカリンも感じ取っているのではないだろうか、ここで取りようによってはクロセ以外のトレーナーを侮辱しているようにも聞こえる発言で彼らの標的をクロセに絞れば、意外と勝ち星はバラけて、本命であるクロセの脅威から逃れることが出来るのではないか。その一年で、彼女がクロセというトレーナーを解析しきってしまえば、カリンは一時代を築くことが出来るのではないか。
 トレーナーとしては十分すぎる才覚を発揮しながらも、クロセはまだまだ少年。たった一人でこの時勢を乗り切ってきたカリンとは、人間力で大きく劣るだろう。ずる賢い悪女だと感じていた。

 だが、また別のトレーナーは彼らとは全く別の観点から、彼女の行動を分析していた。そして、その分析こそが、カリンというトレーナーを最も端的に表していると言ってもいいだろう。
「わりい女だな」
 クロサワは渋みの強いミクルの実から作り出されたジュースを少しだけ口に含んで、その強烈な渋みを十分に堪能してから言った。リーグトレーナーを引退したとはいえ、彼もカリンと共に時代を生き抜いたチャンピオンロード世代、この就任式に招待されない理由がなかった。
「目的は何やろ」
 隣でほろ酔いになっているクシノが、クロサワの小皿に料理を取りながら問うた。モモナリには悪いが、ああなってしまった以上クロセの周りから人だかりが消えることはないだろう。彼は人混みがあまり好きでは無かった。
「自分だけ美味え料理を喰っちまおうって魂胆なのさ」
 クロサワはクシノに手渡された小皿を素直に受け取った。現役だった頃にはクシノを才能のない男だと言い切り、決して可愛がらなかったが、引退してからは彼をリーグトレーナーと認めているようだった。
「ああ言っとけば今期のAリーグは大変なことになる、その中で生き残った一滴の強さを、一人で堪能しようって魂胆だ」
 そういう女だよ、とクロサワは続けた。彼はポケモンリーグにはそのような狂人が何人か存在することをよく知っていたのだ。否、本当は皆少しずつ狂っているのだ。
「さいですか」とクシノは分かったような分かってないような返答。クロサワはわざと聞こえるように舌打ちをした。
「お前も金儲けばっかりじゃなくてリーグで踏ん張れ、今期のBリーグなら必死になれば昇格だって狙えるだろうが」
 口を乾かそうと、塩気の強そうなベーコンの串焼きを口に放り込んだクロサワはその妙な味に思わず口を抑えた。
 すかさず差し出された白ハンカチを受け取り下を向くクロサワを見て、クシノが声を殺しながら肩を震わせる。クシノがクロサワに酒の代わりになると勧めたミクルの果汁は、一緒に食べたものを甘く感じさせてしまう特殊な成分を含んでいるのだった。





 カントージョウトポケモンリーグ前年度チャンピオンのキシは、タマムシシティの一等地に存在するビジネスホテルにて、今まさに眠りにつこうとしているところだった。
 翌日に、タマムシ大学での特別講義を控えていた。リーグ戦での勝利のために様々な知識を詰め込んでいた彼は、携帯獣学のバトルへの応用という点において、すでに世界でもトップクラスの存在になっていた。同じく学者肌のリーグトレーナーにCリーガーのトミノが存在していたが、リーグ戦での実績が段違いだった。
 間接照明がぼんやりと映し出すシミの一つも存在しない面白みのない天井を眺めながら、タマムシ大学の学生たちはがっかりしているだろうな、と思った。本来ならば、世界でも歴史の古いカントージョウトリーグのチャンピオンの講義を受けるはずだったのに、今の自分は携帯獣学においても、リーグトレーナーとしても中途半端な存在だろう。果たして今の自分に、バトルを語る資格があるのだろうか。
 チャンピオン決定戦から一月たった今でも、あの敗戦を思い出す。
 ただの敗北ではなかったように思う、世間は『ほろびのうた』で意表を突かれたかのように言うが、彼の中ではそうでもない。あの状況でドンカラスが登場した時点で、主軸ではないものの『ほろびのうた』の可能性は頭の隅にあった。『ちょうはつ』で早々にドンカラスの行動をしばれたのも、僅かではあるが可能性とその対処を考えていたからである。
 彼がショックだったのは、それでもなお敗北したからである。しかも最後には運否天賦に身を任せるような賭けに出て。
 何故、自分の人生には、いつも才能の壁が立ちはだかるのだろうか、とキシは常に思っていた。
 始まりは、ニシキノとの出会いだった。彼と出会うまで、キシはカントーの同世代では敵無しだった、しかし、ジョウトのニシキノと対戦した時、キシは初めて生まれ持った才能の差を実感することになった。年代で言えば、自分より二年も三年も先にいるように思えた。
 キクコの弟子となってからは、兄弟子であるキリューが壁として立ちはだかった。更にリーグトレーナーになってからは、ワタル、イツキ、クロサワ、モモナリなどのトレーナーが、自分以上の才能を持ったトレーナーとして彼を苦しめた。
 そして、今回のチャンピオン決定戦において、カリンがその圧倒的な力によって、自らチャンピオンの座を奪った。才能に見下される恐怖に震えながらなんとか結果を出しても、更にその上をいく才能に叩かれる。振り返れば、キシというトレーナーの歴史は、これの繰り返しだった。
 しかし彼は、それでも良いと思っていた。どれだけ才能に翻弄され続けようとも、才能と戦い続ける覚悟があった。知識、執念、精神、言わば才能以外の全ての要因は、彼らを大きく上回っている絶対の自信があった。だれよりも強くありたいと言う、身の丈をわかっていない自惚れた強い気持ちを持ち続けることが出来る事を一つの才能だと称していいのならば、彼はそれに関してはだれにも負けていない。
「おやすみ」と彼は照明を落として、一つ寝返りを打った。





「暑い、暑い」
カントージョウトポケモンリーグ、前期Aリーグ二位のオグラと彼のパートナーであるキノガッサは、煮えたぎるマグマを眼下に捉え、達成感に体を震わせていた。
 ホウエン地方、えんとつやまの頂上にたどり着くこと自体は、そんなに難しいことではない。麓のロープウェイ乗り場で切符を買い、そのまま山頂行きのロープフェイに飛び乗ってしまえば、半時間もすれば到着してしまう。
 だが、彼は自らの足と、ポケモン達との力だけでえんとつ山を攻略したのだ。
 ハイキングスポットとしても有名であるえんとつ山には、登山者の熟練度を考慮された幾つものルートが設定されていた。しかし、オグラはそれらのルートを見向きもせずに、そもそも人が登る事を前提とされていないロープウェイ側からの登山に挑戦した。勿論その選択は、様々な立場の人間の強烈な反対を押しきっての事だった。
 ほんの二、三年前の彼からは想像もできないような行動だった。リスクを嫌い、ただただ淡々と情報を詰め込み、それでもCリーグで苦戦していたのがオグラというトレーナーだったのだ。やりたいこともあった、挑戦したかったこともあった、それを押し殺すことが勝利への道であるとかつての彼は信じていた。
 彼は機械に、演算機になりたかったのだ、戦いに勝利するという問いに対する答えを常に提示することの出来る存在になりたかった、ポケモンも、戦いも、全ては数字と計算に回帰するに違いないと彼は思っていた。フレンドリィショップで商品の総額を計算する演算機に徹することが出来れば、それは可能だと思っていたのだ。
 その考え自体は、間違っていると断定できるものではないのかもしれない。人間とポケモンの関係性が行き着く究極の答えの一つであるのかもしれない。しかし、彼はその道を諦めた。
 それは、寒さをまとった小雨が降る日だった。彼はCリーグ順位戦において、元四天王のシバに敗北した。
 己を殺す事に徹することが出来れば、そう難しくない対戦相手のはずだった。シバは変化のない古いトレーナーだった、対策し、直線的な思考を前提においていれば、たとえ時間はかかろうとも、容易に転がる相手。
 だが、オグラはその試合でシバの圧力に屈し、敗北を喫した。
 彼はシバの戦いに心奪われてしまった。どれだけ突き放しても、自らに訴えてくる『熱さ』が彼の戦いにはあった。その熱さは、ひたすらに与えられた計算をこなすだけだったはずの演算機に、自らが感情を持った人間であることを思いださせるほどのショックを与えたのだ。
 それから彼は、考え方も生活も百八十度変えることになった。
 海に行きたいと思えば行った、そこでサーフィンを楽しむ若者を羨ましく思うと、すぐさま自分もそれにチャレンジした。
 山に行きたいと思えば行った、そこで出会った山男にピッピの進化の儀式を見に来たと言われると、すぐさま自分もそれを見るために山に篭った。山男に勧められて初めてアルコールを口にした。
 チャンピオンになりたいと思った。まだその気持ちが残っていることにその時は驚いた。だが、そう思ってしまったので、彼はリーグ戦に向かった。
 人間であることを受け入れた彼は、その後リーグ戦で勝ちまくり、気づけばチャンピオンまで後二歩というところまで駆け抜けていた。あと一歩というところでカリンに敗北しても、彼は何のショックも受けなかった。
 負けても良い、負けたからといって、自らの存在を否定されるわけでもない、自分に勝った相手が、自分よりほんの少しだけ凄かっただけのこと。次に戦うとき、自分がより凄くなっていればいい、ただそれだけのことなのだと納得していた。
「じゃ、帰ろうか」
 オグラはキノガッサのカサを撫でて、キノガッサもそれに答えて体を揺らした。
 チャンピオンになりたいと思えば、彼はリーグ戦に向かう。






 カントー地方とシンオウ地方の間に存在するある霊峰、その頂上、雲の先には神々が住むと伝承には残っている。
 現代になり周囲の開発がある程度進んでも、その霊峰の周囲には手を付けられずにいた。理由の一つはその伝承を元に聖地として敬意を払っていること、もう一つは周囲の森が強力なポケモン達の住処になっているからだった。
 一人の男が、カイリューの背に乗ってその頂上に向かっていた。カントージョウトポケモンAリーグ前期三位、ワタルだった。リーグトレーナーでありながら、ドラゴン使いの一族の有力者でもある彼は、世界各地のドラゴンの生息地に赴き、彼らの環境を理解する事を自らの使命としていた。
 本来、彼らドラゴン使いの一族は、人間でありながらその立場はポケモンに大きく寄っている。かつて彼らは人間社会に守られることを捨て、ポケモンであるドラゴン達と共に生きる道を選んだ。未来をつなぐはずだった子供達がドラゴンの戯れに命を落とそうとも、ドラゴンの真の理解者であることに努めようとした。
 ワタルはそうした規律としきたりが生んだ天才の一人だった。彼はドラゴンポケモンと高いレベルのコミュニケーションを取ることに精通しているばかりか、強力なドラゴンポケモン達を従えることにも成功していた。キクコに発掘された彼がカントーポケモンリーグで一時代を築くのも半ば必然だったのだ。
 薄くかかる雲を抜けた先に、大きく開けた場所があった。周りは木々に囲まれているのに、そこだけポッカリとまるで特別なポイントのようだった。
 そこに降り立ったワタルとカイリューは、血生臭さに気を張り詰めた。その臭気は、神聖な伝承が伝えられているそこには相応しくないように思える。
 彼らは、この霊峰をねぐらにしているのは少なくとも神ではないということを知っていた。しかし、だからこそ彼らは身構える必要があった。強大なポケモン達の縄張り争いが間近に起こったことは間違いなかった。
 そして、その勝者が今彼らに向かっていた。草木がなぎ倒され、尾を引きずる音が聞こえる。縄張りに侵入した何者かを排除に向かうのは、その地のボスである。
 彼らの前に姿を現したのは、ドラゴンポケモン、ボーマンダだった。まだ白さが強く残っている牙と、大きくピンと張った翼は、彼がまだ若い個体であることを物語っていた。
「なるほど、世代交代が起きたか」
 ワタルはすべてを察し、そう呟いた。
 元々この地のボスは、体格が大きく賢い老齢のボーマンダだった。
 だが、彼が姿を見せず、この若きボーマンダが自分達に向けて唸り声を上げているということは、この若い個体が老齢のボーマンダとの戦いに勝利したということなのだろう。自然界では珍しいことではない、ワタル自身、何度もその流れを味わっていた。
 ボーマンダはワタルとカイリューとの距離を詰めると。大きな雄叫びを上げて彼らを『いかく』した。その迫力は、幾多もの修羅場をくぐり抜けてきたワタルのカイリューを一瞬身構えさせるほどのものだった。
 だが、ワタルは動じない。目の前のボーマンダが相当な強さを持った個体であることは一目見ただけで理解することができるが、それでも彼は、自分達ならば造作も無い相手だと確信していた。一族の殆どの反対を押し切って飛び込んだポケモンリーグの世界は、確実に彼らの理想の肥やしになっていた。
 ボーマンダも彼らが一筋縄ではいかない相手だと認めたのだろう。『いかく』こそ続けているものの、それ以上彼らに踏み込もうとはしてこない。縄張りを荒らし、ボスである自らの地位を脅かすのであれば容赦はしないが、もしそうでないのならば、戦いに踏み込むとお互いに良いようになならないだろうと本能で理解していたのだ。
「先代と同じで賢いな」
 ワタルもボーマンダの意思を理解した、自分達だってわざわざ群れのボスと戦う必要なんて無い。この地のボスが世代交代したことと、この地に悪意のある人間の手が加わっていそうにないことさえわかれば、それで良いのだ。
 ふふ、とワタルは笑った。機嫌が良かった。
 もし自らが弱い存在だったならば、ボーマンダは容赦なく自分を攻撃しただろう。外敵を襲い自らの強さと容赦の無さを群れに示すことが出来れば、若きボーマンダの地盤は盤石なものとなるかもしれない。
 しかし、彼を一歩引かせ、お互いの非干渉を選択させたと言うことは、まだ自分にも強さが残っているということ。
 前期Aリーグでカリンとオグラに遅れを取り、多少思うところが無かったわけでもない。だが、自らがまだ強い存在の側にいるということが分かり、来期へのモチベーションとなった。







 カントージョAリーグ四位のニシキノ、五位のイツキ、八位のシバタを含めるジョウト出身のリーグトレーナー達は、コガネシティのポケモンリーグ対戦会場を一日貸しきって、意見交換や来期に向けての最終調整などを進めていた。
 ジョウト出身であり、長年ジョウトでトップクラスの戦績を誇っていたカリンが名実ともにカントージョウトリーグチャンピオンになったこともあり、彼らは今期のポケモンリーグに特別に気合を入れて臨もうとしていた。
「シバタは随分と飛ばしているなあ」
 Bリーグ所属のトレーナーと手を合わせているシバタと、彼のゲンガーを見て、ニシキノはイツキに聞こえるように独り言を呟いた。ニシキノとイツキもまた、手合わせを終えたところだった。イツキはニシキノから最新の戦術と対策すべきポイントを吸収し、ニシキノはイツキのベテランらしい老獪な勝負術と、押し引きの駆け引きを学んだ良い対戦だった。
「彼は初戦でいきなりクロセと当たるからね。抜目のないトレーナーだよ」
 現在、クロセにリーグ戦で土をつけたのはシンディアただ一人、彼がBリーグで危なげなく勝利した相手の中には、かつてAリーグで一時代を築いたトレーナー達もいる。
 その彼に初戦で土をつけたとなれば、シバタの名は印象に強く残ることになる。シバタというトレーナーは優男の様な風貌で発言もあまり前向きではないが、自らの名を上げる事にかけては本能的に瞬発力のあるタイプだった。
「シバタがクロセの出鼻をくじけば、Aリーグは分からなくなりますね」
 その言葉に、イツキも頷く。
 彼らだけではなく、ジョウトのトレーナーたちの見解もほぼそれに近かった。今期のAリーグは間違いなくクロセを中心に回るだろう。だれも彼の勢いを止めることが出来なければ、全勝でリーグを勝ち抜ける可能性だってある。マサラ出身の若きトレーナーは、ジョウトの強豪たちにもひと目で分かる輝きを持っていた。
「彼がクロセの勢いを飲み込めば、そのまま行くこともあるかもしれない」
「クロセはまだ勢いに任せている部分もありますから、一つ歯車が狂えば、どうなってしまうか」
「勢いだけではないよ、彼には確かな技術と才能もある。最も、それだけでどうにかなるものでもないけどね」







 カントージョウトポケモンAリーグ前期六位、キリューは、陽炎が立つほどに熱せられた鉄板を前に生唾を飲み込んだ。
 ちょっとした用事で立ち寄ったある地方で、どうせならそこの名産を口にしようと立ち寄った鉄板屋の主人は、ポケモンリーグの大ファンだった。感激の声を上げられ、握手でもみくちゃにされ、どこからか用意してきた色紙にサインを書き、主人と一緒に写真を取られた。
「Aリーガーから金を取るわけには行かねえ」と主人は気前よく鉄板焼きのフルコースをご馳走してくれるという運びになったのだ、ちょっとした地酒を勧められ、ほろ酔い気分になったキリューの口が回らないわけもなく。
「今日は何でまたこんな地方に来たんです」
 締めの料理を準備しながら、主人が気軽に聞いてきた。それまでの濃厚でマニアにしかわからないような話と違ったそれに、キリューも快く答える。
「ホウエンとこの地方に見どころのある子が居ると聞いたもんでね、ウチの先生の代わりに偵察してきたってわけなんですよ」
「へえ、先生と言うとキクコさんのことですね」と、ヘラを返しながら答えた主人は、そこで何かに気づいたようで、すこしばかり声を潜めて質問する。
「どこか、体が悪いんで」
 当然の疑問だった。キクコはすでに高齢と言っていい年齢になっている。
 しかし、キリューは笑いながら手を振った。
「いやいや、先生はシンオウの方に行ってるんですよ。なんでもシロナの再来と呼ばれている女の子がいるらしくてね、先生の本命はそっち」
「ははあ、安心しましたよ。あの人は綺麗で、強くて、かっこいい人でしたからねえ」
 主人はキリューのグラスの空になっているのを見て、これはいかんといった風に地酒の瓶を傾ける。
「それで、未来のAリーガーになれそうな子達でしたか」
 主人に悪気はないようだが、随分と踏み込んだ質問だった。しかし、キリューはお気楽にそれに答える。どうせ名前も出てやしないのだ。
「ホウエンの方はありゃ駄目ですね。多分父親か母親が熱心なんでしょうが、ただ強いポケモンを持たされてポテンシャルで暴れてるだけでしたよ。可哀想だけど、才能は無いと言っていいでしょうね」
「ははあ、最近は強いポケモンを持つことが簡単になってますからなあ。ワシの子供の頃は台所に潜んでるコラッタか、森に行ってキャタピーみたいな虫ポケモンを手に入れるくらいしか無かったんですがねえ」
「それでいいんですよ、それこそがあるべき姿なんだ。強けりゃコラッタでもガキ大将にはなれますよ」
「こっちの地方の子はどうだったんです」
 キリューは少しだけ言葉を選ぶことを考えながら答える。
「ホウエンのに比べれば、才能は感じましたね。ただまあ、もう少し見てみないとわからんと言ったところでしょう」
「もう少し見るって言うと」
「強さに対する欲がどのくらいあるのかまだわからんのですよ。何が何でも強くなりたいといった気持ちがあるかどうか」
 はあ、と主人は漏らした。相槌は打ってみたもののまだ説明を求めているようだった。
「先生は才能よりも強さに対する欲の方を必要としているんです。目標を越えることを目指しているトレーナーよりも、ただひたすらに強くなりたいという欲望を持っているトレーナーのほうが、ポケモンリーグのレベルを底上げする事ができるってね」
「それじゃあ、キリューさんもそういうタイプなんで」
「まあどちらかと言えばそうだけど、俺よりもキシのほうがより顕著ですね。あいつは欲深いやつですよ」
 かなり濃いポケモンリーグマニアである主人は、勿論キクコ一門のことは知っていた。
「今度のチャンピオン決定戦は、残念でしたねえ」
 しんみりと主人が小声で漏らした。だが、キリューは笑い顔こそ消したものの、極めて明るい口調で答える。
「ありゃあカリンさんが凄すぎるだけですよ、どっちがどうとかって話でもない。おやっさんだって、いいもの見れたと思ったでしょう」
 そりゃまあ、と主人はタオルで汗を拭いながら答える。鉄板からソースの香りが広がり、締めの完成が近づいていた。
「キリューさん、ワシは試合を見るのは好きなんですが、トレーナーの才能ってやつにはてんで疎くてね、あのクロセっていう子は、プロの目から見てもやっぱり凄いんですか」
 謙虚な姿勢の質問だった。キリューがここまで口滑らかになっているのも、主人の人柄あってのものなのかもしれない。
 キリューも主人と同じようにハンカチで顔を拭った。鉄板が生み出す熱気が原因でもあるし、主人の質問に自らの表情が無意識のうちに何らかの変化をしてしまわないかどうか不安でもあった。
「彼は殆どバケモンの領域ですよ。実は先生も目をつけてはいたんですが、師弟関係なんて必要なくらいポンポンとここまで来てしまった。天才は十年周期で現れるとは言いますが、ちょっと次元が違うかなあ」
「すると、今年のAリーグは」
 その後に何かを続けようとした主人に、キリューが被せて続ける。
「そう簡単にはいかんでしょうね。俺達は皆が思ってるよりも、残酷なんですよ」
「残酷ですか」
「そう、強いやつから潰すんですよ」
 はあ、と主人はヘラを返して締めの料理を完成させた。
 鉄板の上を滑らせて目の前に現れた料理にキリューはうーんと嬉しげに唸った。







 カントージョウトポケモンAリーグ前期七位、オーノは、ホウエン地方ミナモシティで開催されているポケモンコンテストハイパーランクの二次審査員として四組のペアに目を光らせていた。
 手元のメモ帳に幾つか単語と点数を走らせながら、最近は個性あるペアが少なくなったなあと溜息を飲み込んだ。皆が皆ミクリの真似をしてどうするというのか、噂によれば彼の姪は相当な才能を持っているらしいが、彼女がトップシーンに現れるまでミクリの天下は続くのかもしれないなと思った。
 今審査をしている四組のペアも、悪く言い切ってしまえば型通りの演技しかしていないように思えた。大きな失敗をするわけではないが、それは挑戦を怠っているからで、自分達審査員の機嫌をなんとか取ろうとしている。
 確かに、コンテストマスターが生み出す熱狂を理論化することは出来るだろう。だが、理論を組み立てて熱狂を生み出すことはできない、自分達審査員はともかく、観客たちの熱狂に理由などあるものか、いつの時代もカリスマというものは理論の枠の外から我々を眺めているに違いないのだ。

 ミナモシティの外れのある喫茶店、お人好しで気の良い店主が食うに困らない程度の客足はあるが、それ以上の欲を出すほど繁盛もしていない。例えばコンテストマスターの一人で、ホウエンリーグチャンピオンであるミクリなどは絶対に来ることはないだろうと、待ちゆく人々や気のいい店主すらそう思っているような店だった。
「今期のリーグ表だ、どう思う」
 店の規模の割には格別に美味しいコーヒーをすすりながら、オーノは同席している男にカントージョウトリーグのリーグ表を手渡した。
 大きめのハットを目深に被り、伊達の眼鏡を掛け直した男、ミクリは手渡されたリーグ表の名前を上からゆっくりと眺める。
 相変わらず、絵になる男だな、とオーノは思った。幼き頃にコンテスト会場で出会い、同郷と知ってからなんとなく続いて来た縁は、なぜかミクリが時の有名人になっても続いている。自らもカントージョウトリーグAリーガーとしての地位に不満があるわけではないが、例えばこの場面を写真に取られてしまえば、この喫茶店はミクリの隠れ家として一躍有名になり、同席している自分の事など、誰にも興味を持たれないだろう。
「あまりポジティブな言葉はかけられないなあ」
 オーノを気遣ったのか口調は軽く、しかしその表情に笑みは無かった。
「俺もそう思うよ。良く考えりゃ今までが出来過ぎだったんだ」
 オーノの発言は、およそ謙遜とも言えなかった。
 カントージョウトAリーグ三期在籍と表現してみれば十分超一流であるが、その間の順位は常に降格スレスレだった。Aリーグで通用しているとは言いがたいが、毎年降格する二人に比べれば戦えていると言う立場。
「戦う前から負けてるじゃないか」
「身の程をわきまえてるんだよ」
「だったら、ホウエンリーグに戻ってくればどうだ。君なら四天王も狙えるだろう」
 ああ、ダメダメ、とオーノは首を振る。
「どこの地方にも十人は強い奴が居るんだよ」
 はあ、とミクリはため息を付いた。この男の妙な部分での現実主義はよくわからない。コンテストとポケモンリーグの二足の草鞋を履きながら、そのどちらでも一流と言っていい成績を残しているというのに。
 ふと、リーグ表のある名前に目が行った。
「喰らい付いて行かなきゃ、彼のようにね」
 ミクリの細く長い指が指している名前をちらりと確認して、オーノは声を殺して笑った。





 前期カントージョウトBリーグで優勝し、今期Aリーグに順列九位として参加するクロセは、ジョウト地方、バトルフロンティアでオフを過ごしていた。
 多くのアマチュアトレーナーだけではなく、引退した元リーグトレーナーや、バッジをコンプリートしながらもリーグトレナーになるという選択をしなかったトレーナー達も数多く訪れるそこは、様々な試合形式と豊富なサポート体制が魅力的なポケモンバトルを中心とした娯楽施設だった。
 だが、現職のリーグトレーナーがこの施設を利用することは少ない、通常の試合とは異なる試合形式を多く提供するバトルフロンティアに体を慣らせてしまうと、本職であるポケモンリーグでの試合感を鈍らせてしまうかもしれないし、そもそもポケモンリーグで戦うことで生活をしている彼らにとって、貴重な余暇をポケモンバトル関係のエンタメに消費してしまうことはなんだか気持ちの悪いものだった。
 しかし、このクロセは違った。まだ年端もいかぬその少年は、戦うこと以外の娯楽を殆ど知らないと言っても良かった。こっそりとアルコールを口にするわけでもなく、ゲームコーナーでメダルを悪戯に消費するわけでもなく、サイドビジネスに精を出すわけでもない。
 そして、戦うことは常にクロセに勝利の快感を提供していた。そして、勝つと嬉しいからと言う単純な理由で、彼はまた戦う。
 バトルフロンティアでも、彼は当然のように勝ち星を積み重ねていた。様々な試合形式に柔軟に対応出来るだけの若さがまだ彼にはあった。
 そして、一歩施設から足を踏み出せば、今最も勢いのあるトレーナーをなんとか倒して名を上げようと、トレーナー達が『普通の』勝負を挑んでくる。
 しかし、彼にとってそれらの勝負は、楽しさとともに退屈さも提供する結果となる。パズルを趣味にする者がより難易度の高いものを求め始め、戯れに差し出された簡単なパズルを溜息とともに攻略するのと同じように、彼もまたより複雑で、より高級な試合を求めるようになっていた。
 もう何匹倒したかもわからないガブリアスをゲッコウガでいなしながら、あの試合は楽しかったな、と彼は思い返す。
 前期Bリーグ、対モモナリ戦、吹き荒れる『すなあらし』を彼は思い出していた。
 その状況で、彼と戦ってみたかった。憧れていたAリーガーですら警戒し、イッシュリーグのAリーガー達を蹂躙したあの才能と、真正面から向き合ってみたかったのだ。
 結果、彼はモモナリが最も得意とする戦場で、尽く彼の読みを上回って勝利した。
 楽しい試合だった、自らの読みに食らいついてくる相手だった、もし読み間違えれば、苦しくなってしまった場面もあったかもしれない。だからこそ、その勝利が嬉しい。
 その後、その試合のせいでモモナリが少しばかり荒れてしまったことも知っていた、だが、だからどうだというのだ。
 もしかすれば今日、彼に全く歯が立たなかった事にショックを受けたトレーナーの一人が、その道を諦めてしまうからもしれない。だが、だからどうだというのだ。
 彼は戦い続ける。楽しくて、嬉しいから。





 前期カントージョウトBリーグで二位で昇格し、今期Aリーグに十位として参加するモモナリの生活は、それまでとそれほど変わらなかった。大きく変わったことといえば、街を歩けば多少声をかけられるようになったことくらいだろう。
 昇格と直接的な関わりがあるわけではないが、最近で変わったことといえばもう一つ。彼はほぼ毎日、散歩がてらにあるポケモンの元に顔を出すようになっていた。
 その日のモモナリは至って健康的に朝早く目を覚ますと、半時間ほどぼーっと呆け、その後に身支度を整える、使い慣れないパソコンを起動してメールをチェックし、昨日送ったエッセイの原稿がボツにならなかったことに安堵して、ガブリアスをボールに入れ、家を後にした。
 ポケモン達と共に暮らすために極力部屋の数を抑え、その分広さと頑丈さを重視した彼の居住スペースは、ハナダの湖に隣接していた。ゴルダックやアズマオウなどの水生ポケモン達は町に許可を得て放し飼いにしている。何も悪いことばかりではない、モモナリの元で強力な力を得ながらもある程度の倫理性を持った彼らは、リーダーとして野生のポケモン達に睨みを効かせるという役割も果たしていた。
 そして、彼が顔を出すポケモンもその役割を担っていた。
 四番道路、おつきみやまとハナダシティの間にあるその道路は、アーボ達の住処として有名だった。そして、ここ数年、アーボ達が凶暴化しつつあり、近隣住民への被害が懸念されていた。勿論ハナダの住民たちもポケモンを持ってして抵抗することは出来るのだろうが、出来ることならポケモン達と争いたくないと言う気持ちもある、人間とポケモン、どちらが侵略者であるかなど、そう簡単に答えが出るはずもないのだ。
 四番道路の近くの住民からそのような相談を持ちかけられたハナダジムリーダーカスミは、すぐにピッタリの人材としてモモナリに話を持ちかけた。そして、モモナリもそれを快く了承した、まさに四番道路を統括するために生まれてきたかのようなポケモンを知っていたのだ。
 モモナリは四番道路に足を踏み込む前に、ボールからガブリアスを取り出した。彼女の姿が現れてしまえば、モモナリに飛びつこうと考えるアーボは居なくなる。最も、純粋な好奇心でモモナリによってくるアーボが居ないわけではないが。
 彼が一歩四番道路に足を踏み入れると、草むらをかき分けて彼の前に立ちふさがるポケモンが一匹、コブラポケモンのアーボックだった。そして、そのアーボックはその長い胴体をモモナリに巻きつけると、何かをねだるようにその頭部をモモナリの頬に擦りつけた。
 その様子は、毒蛇として恐れられているアーボックのそれではなかった。トレーナーに滅茶苦茶に懐いて、骨抜きにされているポケモンそのものだった。
 モモナリに腹の模様を撫でられ、嬉しそうに舌を出すその雌のアーボックこそが、彼が毎日会いに行くポケモンだった。
 かつて彼女は、この四番道路で大暴れしていた。ハナダジムのジムトレーナー達は尽く彼女に手こずり、退治も捕獲もできないでいた。ジムリーダーのカスミか、腕扱きのポケモンレンジャーが出てこようかという時に、その問題は解決されることとなった、ゴルダックとレアコイルを従えて同じくハナダで暴れまわっていたモモナリが、警戒態勢をくぐり抜けてそのアーボックを倒し、捕獲したのである。
 モモナリ少年は、アーボックを力で押さえつけるだけではなく、彼女を理解し、信頼を得ることに成功していた。どれだけ暴れても消えることのなかった不安を、彼は彼女に勝利することで収めてみせたのだ。持ちえる力に心乱れ、自分はこの後どうなってしまうのかという不安を少しでも紛らわすために暴れ、多くの被害を出したアーボックが、彼が提示した未来を選んだ。
 その後、彼女はモモナリが信頼を置くパートナーの一匹として彼の戦略を支え続けた。モモナリのトレーナーとしてのターニングポイントには、必ず彼女の存在がある。
 四番道路を統括できるのは彼女しか居ないとモモナリは確信していた。彼女ならば、毒蛇達の力をコントロールすることが出来るだろう。
 アーボックは、モモナリのそばで緊張の面持ちのガブリアスにも、同じように頬ずりをした。
 モモナリの手持ちの中でも最もモモナリに懐き、その余りある愛情から時に彼を強く締め付けることもある彼女からすれば、モモナリの右腕に噛み付いた彼女に対してほんの少しの怒りこそあれど、憎しみはない。
 そして、ガブリアスの存在がモモナリの力になることを、アーボックは本能的に理解していた。そして同時に、それに嫉妬もしている。
 モモナリも、アーボックのそのような感情を理解していた。彼は女心はこれっぽっちも分かりはしないが。ポケモンの感性に対しては人一倍敏感だった。だからこそ彼は、毎日アーボックに会いに行く、自分のパートナー達に強さ弱さの順列こそあれ、それ以外の順列など存在しないと言う素直な気持ちを表すにはそうするしか無いだろうと思っていたのだ。
 事実、今期のAリーグではガブリアスの出番がかなり多くなるだろう、同時に、彼女の代わりにこれまでのメンバーの内一匹が手持ちに入らない日もあるだろう。
 現代のトレーナー達は気にもとめないような問題だろうが、モモナリはそれを強く危惧していた。戦うということがポケモン達との繋がりを深めるコミュニケーションの一つだと強く信じている彼は、それを失うことによってポケモン達との絆が弱まるようなことはあってほしくなかった。
 最もそれは、今となっては古い価値観なのだろう。しかしモモナリはそれを捨てる気にはならなかった、それを捨てる事は、これまでの自分を強く否定するように思えたのだ。
「なれるさ」と、彼は呟いた。
 そう、カリンはなった。
「また一年、よろしく」と、モモナリは彼女達を撫でた。

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来来坊(風) ( 2016/06/04(土) 22:09 )