126-ドル箱スター誕生
きっとモモナリは、この提案を断らないだろうな。とカントーポケモン協会理事、オークボは思っていた。身の丈以上のことだから断ると言う発想なんて、一ミリも持ち合わせていないだろう。その事は、モモナリのせいで何度も冷や汗をかくはめになった自分がよくわかっていた。
忙しい一年だった。イッシュリーグAリーガーの移籍問題もあったし、クロセという神童の登場もあった。モモナリのバカはラジオ番組中にポケモンの孵化を実況中継するし、ドラゴン育成についてのエッセイが物議を醸すし、食いちぎられかけてる右手をぶらつかせながらハナダを闊歩するし、昔に比べたら随分と大人しくなってはいるが、まだまだ目は離せない。
そこに、これである。
「どうせ私がついていくことになるんだろうな」
オークボは苦笑いした『モモナリ担当理事』と揶揄されてしまうほど長い付き合いになってしまっている現状を呪うしか無いのだろう。
とは言え、別にそれが苦痛なわけではなかった、モモナリは群衆の中の一人として考えれば迷惑極まりない男だったが、個人として考えればこれ以上に面白い男もそう居ない、自分がこうして責任を取る立場でなければ、むしろファンだったのかもしれない。
いや、今でもファンか、とオークボは思った。心の何処かに、少しだけ期待をしている自分がいるような気がした。
イッシュリーグとカントー・ジョウトリーグ合同のエキシビションイベントの開催は、両地方のファンを喜ばせ、同時に困惑させた。
エキシビションと銘打ってはいるものの、五対五の勝ち抜き戦、そしてポケモンの総重量やタイプの縛りの無しと言う公式戦と同様のルール、その実態はどう考えても負けたほうが明らかに格下となってしまう『地方対抗戦』だった。
出場するメンツがまたすごい、イッシュ側はギーマ、レンブ、シキミとAリーグトップ勢をずらりと並べ、去年圧倒的強さでBリーグを勝ち抜いた期待の若手ジャクソン、更に次代のチャンピオンとして名高い『竜の心を知る娘』アイリスときている。
対するカントー・ジョウト側は、ワタル、イツキ、キリューとこちらもAリーグトップの三人体勢、更に神童として名高いクロセ。
『エキシビションと言っておきながら、実はどっちも本気で勝ちに来ている』と両地方のファンから思われても仕方のないメンツと言えた。ただ一人、カントー・ジョウトリーグ側の一人、モモナリを除けば。
彼の選出には、イッシュのファンも、カントー・ジョウトのファンも同様に首をひねっていた。Bリーグ上位、決して弱いトレーナーではないだろう、しかし他のメンツを見る限り、不相応と言うより他無い。記録的なペースでのバッジコンプリート、新人戦をぶっちぎりで優勝、公式戦デビューから破竹の十七連勝、若手時代の経歴だけを見れば全く無いというわけではなかったが、現状ではただの中堅トレーナーである。
イッシュリーグのファン達は彼の名前を知らない者が殆ど、相当にコアなファンでも『天気変更戦術』の流行をを実質的に終わらせた男として名前だけは知っているという程度だった。
しかし、モモナリがカントーを中心に発売されている雑誌内の小さなコラムでリーグトレーナー、シンディアの移籍問題に関してイッシュのファンを悪く書いていることがわかり、その記事が翻訳されると、とたんに彼はカントー・ジョウトリーグ選抜のトップヒールに踊り出ることになった。その他四人はイッシュのファンでもある程度尊敬するべき実力と実績を認知されており、実質的な対抗戦の相手として敵対心が薄かったことが大きく関係していた。
シンディアの移籍問題に関して、イッシュポケモン協会に全く非がないわけではないことはファンも理解していた。しかし同時に、シンディアの戦法がポケモンに痛みと我慢を強要し、ダラダラと長時間のミス待ち試合だったことに賛否両論だったこともまた事実だった。イッシュリーグのファンならば当然感じているこの葛藤を、なぜ他地方の中堅トレーナーに抉られなかればならないのか。ある種のしわ寄せがモモナリに向かっていたのだ。
☆
「それじゃあ、始めようか」
ソウリュウシティジム第一会議室、集まった三人に向かって、イッシュリーグ四天王、ギーマが言った。
ファン達以上に、このエキシビションに関わるトレーナー達のほうが、この状況を重く考えていた。それぞれの協会にどのような思惑があるのかは分からないが、協会もまたこの試合を重要視しているだろうということは、ギャンブラーとしての経歴を評価されのチームのリーダーに指名されたギーマが良くわかっていた。
ギーマはイッシュ協会にカントー・ジョウトチームの映像を中心とした資料を要求し、更にはチームメイトとのミーティングをセッティングした、自身の勝負とチームの勝負を両立しなければならない彼にとって、事前の対策は必要不可欠なものだった。ギャンブラーとは闇雲に勝負に突っ込んでいく愚か者を指す言葉ではない、ストイックに勝負と向き合い、勝利に必要な労力は惜しまず、その上で最後は運否天賦に身を任せそれを受け入れることの出来る度量を持った人間を指す言葉だ。無論、協会も彼が勝負に対して非常にシビアでクレバーな事は理解している。
一人を除いてメンバーの選出に特に不満はなかった、シキミとレンブとは古い付き合いだし、アイリスとも付き合いがないわけではない。唯一彼らに気を使ったことは、まだ少女であるアイリスのために、ミーティングをソウリュウシティで行うことになったことぐらいだ。
「ジャクソン君が来てないよ」と、アイリスが手を上げて言った。
「あの男がミーティングに来るわけ無いだろう」
ギーマがふう、と溜息で呆れを示した。
「今頃どこかでド派手にバカンスでもやってるんじゃないのかなあ」
若手ながら確かな実力者であるジャクソンは、とにかく派手好きな性格として知られていた。また、自信家な面も持ちあわせており、インタビューなどでよく尊大な態度を取ることが多かった。最も、イッシュのファンはそれも彼の一つのキャラクターとして歓迎していた、尊大で弱いなら問題と不快感があるが、有言実行で強ければ何の問題もない。
「まあまあ、彼は一番手だからあまり問題ないじゃないですか」
シキミが笑顔でギーマを励ます。ジャクソンはエキシビションに選出された時から『一番手』に拘り、半ば一番手出場を宣言しているようなものだった。
「出来れば私達のミーティングが無駄になるくらいの事はしてほしいね」と、ギーマは笑って部屋の電源を落とし、プロジェクターを起動させた。三人がスクリーンに注目する。
「深い話をする前に、まずはざっと向こうさんのメンツに目を通してみよう。ワタルは今更だから飛ばすぞ、まずはイツキだ」
スクリーンにイツキの対戦が映し出される。今期Aリーグの最終戦、最も新しい資料だった。
「カトレアと同じくエスパータイプのエキスパートだが、そのスタイルは全く違うと言っていい。単純なポケモンの強さに加えて、彼自身の経験と優れた読みの強さも持っている粘り強いトレーナーだ。レンブなんかはコロっとやられるタイプだな」
小さく笑うギーマに、レンブは憮然とした表情で返した。何でもかんでも真面目に受け取り、真剣に考えてしまうこの武人は、ギーマにとって格好のからかいの的だった。
「彼には私かシキミが出ればいい。さて、次はキリューだ」
画面が切り替わる、今期のシルフトーナメント予選の映像で、対戦相手の『おにび』を新たに繰り出されたネイティオが『マジックミラー』で弾き返している場面だった。
「どちらかと言えばイッシュ風の力押しをメインの戦法として持っているトレーナーだ、ただし映像を見て分かる通り安易な妨害技は後出しのネイティオに跳ね返される、しかもこのネイティオは『おいかぜ』や『とんぼがえり』などの補助技が非常に豊富だ『にほんばれ』や『あまごい』などで状況を作った例もある、このポケモンを無償降臨させない事が重要だ。もしくは、補助技に頼らず真正面から叩き潰すかだ、いかにもレンブが好きそうなシチュエーションだな」
「なるほど、任せてもらおう」とレンブが答えた。
「さて、次はクロセだ」
切り替わった映像は、今期シルフトーナメント決勝戦のキシ対クロセ戦だった。
少年、と呼ぶのも抵抗があるような年齢のクロセが、弾丸トーナメントの勝ち抜き戦とは言え、現役のチャンピオンを下して優勝したという快挙はもちろんイッシュでも話題になっていた。
「アイリス、今後君のライバルとして立ちはだかることになるトレーナーだ」
いつも笑顔を絶やさないアイリスも、その言葉は真剣に受け止めていた。共に両地方でその才気を認められ、将来を嘱望されてながらも、その期待よりも数倍早くその実力を発揮しているトレーナーだった。将来的に、海を越えたライバル関係になることはほぼ確実であろうと思われていた。
「フェアリータイプのニンフィアを中心に強力なポケモンを従えているだけではなく、読みや判断力、想像力に至るまで全く隙がない。デビュー以来の公式戦連勝を続けている。興行的に彼は五番手、最後の切り札として登場するだろう」
映しだされた映像だけを見ても、その強さはイッシュのメンバーにも伝わっていた。レンブはいくつか納得したように唸り、シキミもその感動をメモにとっていた。
「確かに厄介な相手だが、エキシビションは五対五の勝ち抜き戦、確かに神憑り的なトレーナーだが、私だって勝負の駆け引きにおいて彼に負けているつもりはない、シキミが彼に想像力の点において劣っているとも思っていないし、レンブの判断力と対応力が劣っているとも考えていない、もちろん、与えられた天賦の才能という点においても、アイリスが劣っているとは思わない、そのような前提を持ってすれば戦い方も考えられる。だが、最も読めないのはこの男だ」
そして画面が切り替わる、今期Bリーグ最終戦、映しだされたモモナリの姿はそれまでの映像に比べれば随分と格下に見えた、最も、対戦会場の規模などが一段階落ちているので、そう感じるだけなのかもしれないが。
「モモナリ、調べれば調べるほど訳が分からなくなるトレーナーだ。新人までの経歴ならば世界で見ても稀なほどに飛び抜けている、だがその後は伸び悩み、早熟の天才だったのかとファンから見切りをつけられた時期に当時のトップ戦術を完全に攻略してAリーグに昇格、ところがその後は再び落ち込み降格、世にも珍しい『二度落ちぶれた』トレーナーだ、だが、妙な『怖さ』があるトレーナーでもある」
映像を切り替え、幾つかの新聞記事がまとめられた写真を表示した。
「これらはすべて、モモナリの『襲撃』を報道しているものだ。この男は強いトレーナーがいると知るとその地に赴き、ゲリラ的に野良バトルを仕掛けるということを何度も繰り返している、その相手もジムリーダーやら他地方の四天王やらチャンピオンやら見境無しだ。そしてイッシュリーグチャンピオンであるアデクさんもその『襲撃』を経験しているらしい、その話はレンブが詳しいだろう」
レンブはその言葉に頷いた。彼はイッシュリーグチャンピオンのアデクの弟子として、幾つもの手ほどきを受けていた。
「師匠は、海を越えたジョウトの地で、ある少年と手を合わせたと言っていた。その少年こそがこのモモナリらしい」
「アデクさんは、彼をどう分析したんですか」
興味ありげに声を上げるシキミ。十数年か越しの因縁は、小説家として想像力豊な彼女を刺激していた。
「戦いへの渇望が人一倍ありながら、それでいて強さに飢えているわけではない不思議なトレーナーだったと言っていた。今更自分の強さを誇示することなど微塵も考えていない真の強者、凡俗な言い方をすれば、勝負そのものを楽しんでいるような男だと」
そこでレンブは言葉を区切り、言いづらさと悔しさに少しばかり沈黙した後「強さ自体が目的と考えていた私を戒めるときに、よく言っていた」と続けた。
「人と言うものは」とギーマが口を開く。
「歳を取り、それを上手く笑顔の仮面の下に隠すことを覚えても、その『本質』は決して変わることがない」
その言葉に、シキミとレンブは頷いた。ギャンブラーと言うある種非道の道を行きながらも、常にどこか気品溢れ続けるその男の言葉は、確かな説得力を持っていた。
「異端、それでいて貪欲。私はこの男こそが今回の試合における『ジョーカー』だと考えている、もちろん他のトレーナーも十分な脅威ではあるが、予想ができないという点で最も危険なのはモモナリだろう」
☆
ホドモエシティ、ポケモンワールドトーナメント会場。
対戦会場としては世界でもトップクラスの規模を誇り、チャンピオンズトーナメントなどの大規模興行の会場として知られる。対戦場と客席前列の距離はかなり近く、基本的に何が起こっても自己責任と明確にされているのにもかかわらず、毎興行ごとにチケットの値段は跳ね上がる。
初の試みとなった実質『地方対抗戦』は出場するメンツの豪華さもあってチケットも完売済みで、各地方への衛星中継も行われる。
ホームであるイッシュのファン達はもちろんイッシュリーグ選抜の勝利を願っていた。ある程度客観的な目線から試合展開を予想していたリーグトレーナー達も、ホームアドバンテージと、一人格下のBリーガー、モモナリの存在から、イッシュリーグ選抜有利と予想していた。
会場内、超巨大なダイヤモンドビジョンに、このエキシビションマッチのプロモーションビデオが映しだされる。
そのプロモーションビデオも、地方と地方の対決、実力比べを露骨に前面に押し出していた。各リーグのメンバーとエースポケモンが重低音響かせるロックの背景に簡単に紹介される。
もちろんイッシュリーグ選抜が映されている時には大歓声が沸き起こる。そして、カントー・ジョウトリーグ選抜のメンバー紹介の際にも、先ほどほどではないが歓声が起こった。
しかし、そのダイヤモンドビジョンにモモナリと彼のエースであるゴルダックの姿が映し出された時には、大きなブーイングが巻き起こった。初めはコアなファンの間でしか起こっていなかったブーイングは、やがて会場全体を巻き込み、大きなものとなっていった。なぜ彼がそのような扱いを受けるのか分からないコアではないイッシュリーグのファン達も、わかりやすいヒール役としてモモナリを受け入れたのだ。
会場のファン達の耳には、プロモーションビデオで語られたモモナリの経歴は殆ど届いていなかった。だが、彼がBリーグの中堅トレーナーであり、エースのポケモンも決して強力とはいえないゴルダックだと言うことは強烈に認識されていた。
そのブーイングの声は、もちろんポケモンワールドトーナメント会場の選手控室にも会場の震えと共に届いていた。
「名が売れてるじゃないか」
メンバーの一人、ドラゴン使いのワタルは、中継の映像を見つめるモモナリにそう笑いかけた。
今更モモナリがそのような事でどうにかなるようなトレーナーではないことはワタルもよく理解していた。
「オークボさん、結局僕はなんて紹介されてたんですか」
プロモーションビデオの映像が、クロセとニンフィアに切り替わった。同時に地響きとともにブーイングも止み、イッシュリーグのファン達は未知の強豪であるクロセがどのようなトレーナーであるのかと歓声とともにその映像を食い入る様に見つめていた。
付き添い兼通訳として控室に居たオークボは「いや、大したことは言ってないよ」とモモナリに返す。
「現在の順位は低いが、カントー地方で過去最も脅威だと考えられていたトレーナーの一人、位のことは言ってたけどね」
「まあまあ言ってもらってるじゃねーか」
キリューが羨ましそうにモモナリに絡んだ、チャンピオン挑戦の経験もなければ、公式戦優勝の経験もない彼は『伝説のトレーナーの愛弟子』と言う程度にしか紹介されていなかった。
「ちなみに今クロセくんを『カントーで今最も脅威だと考えられているトレーナー』だと言ったところだよ」
オークボがモモナリを不貞腐れさせないためにあえて隠していたその情報を、イツキは笑い混じりに言った。縮こまって座っていたクロセは照れくさそうに頬をかいた。
「しかしまあ、モモナリが憎まれ役になってることで、俺達も随分と楽させてもらってる」
ワタルの指摘に、イツキとキリューは頷いた。自分達はまだしも、まだ若く感受性豊かなクロセがあのようなブーイングを受けてはどうなってしまうかわからない。リーグトレーナーとして、クロセを倒したいという気持ちは皆持っていたが、今クロセが持っている強さが失われることは、極上のメインディッシュが冷めてしまうことと同じように、防ぎたいことだった。
「まあ、慣れてるからなあ」
モモナリが笑っていると、プロモーションビデオが終了し、画面がブロンドの女性リポーターの姿に切り替わる。
「お、じゃあそろそろ行きますかね」
一つ背伸びをして、モモナリは立ち上がった。彼がカントー・ジョウト選抜の一番手を務めることは、他のメンバーとなんの相談せずとも、それが当然だという風に決まっていた。
「あ、そうだ」とモモナリはオークボに振り返る。
「僕がこのメンバーに入っているのって、イッシュ側が僕のエッセイに怒ったからって本当なんですか」
その言葉に、オークボはフフフ、と含み笑いを返した。イッシュのファンから広がっていたその噂は、カントー地方でもまことしやかに囁かれていた。むしろイッシュ地方のファンよりも、カントー地方のファンの方が、それをより事実に近い事として受け止めていたのだが。
「そういうことにしておけばいい、そのほうが、ずっと面白くなる」
カントー・ジョウト選抜のリーダーとして真実を知っていたイツキは、オークボと同じように笑いを堪えていた。
ワタル、キリュー、クロセは、少し不満そうに彼らを眺めていた。そんなに面白いことならば、教えてくれたっていいだろう。
その視線を敏感に察知し、オークボが口を開く。
「その噂は、半分合っているが、半分外れている」
彼はさらに続ける。
「イッシュ側からメンバーの一人としてモモナリが指名されたのは事実だ、だがその理由はあのエッセイじゃない。移籍騒動で多少の粗は晒したが、イッシュはそこまで了見の狭い地方ではないよ」
オークボの答えにモモナリは安心半分がっかり半分といったような表情を見せた。
長い付き合いでモモナリの考えは手に取るようにわかる、オークボは彼の心情を見越してさらに続ける。
「モモナリを指名したのは、イッシュリーグチャンピオン、アデクさんだ。彼は君のことを覚えていて、ぜひとも今の君を見てみたいと」
思わぬ大物の名前に、控室は少し緊張感を帯びた。
ただ一人ワタルだけが「なるほど、あの人なら言いかねない」と微笑んだ。チャンピオンズトーナメントなどでアデクをよく知る男だった。
当人であるモモナリは、アデクの名前にニヤリと笑った。興奮と喜びを思い出した笑いだった。結果としてモモナリの人生を大きく歪めたかもしれないあの一戦を、当の本人は純粋に良い思い出として胸にしまっていたのだ。
「なるほどねえ」と思い出し笑みを維持したまま、彼は控室の扉を開いた。
「じゃあ、いっちょ楽しんできますよ」
☆
「中継をご覧の皆さん、イッシュリーグ選抜一番手、ジャクソン選手にインタビューです」
スポンサー企業のスタイリッシュなロゴが幾多も印刷されたセットを背景に、イッシュでも指折りの美貌を持つブロンドのアナウンサーがカメラに向かってそう言った。
そして、同じくブロンドの長髪をなびかせている若きトレーナージャクソンが、当然のようにフレームインし、カメラに向かって軽い挨拶をした。
「ジャクソン選手、この後カントー・ジョウトリーグ選抜一番手であるモモナリ選手との対戦ですが」
と、彼女がここまで言ったところでジャクソンがそれを遮った。
「そのモモナリってのがどこの誰なのかは知らねえが、残りの四人との対戦についてもインタビューした方がいい。控室の四人にゃ悪いが、今日奴らに出番はない」
始まった、とインタビュアーは相槌を打たずジャクソンにマイクを向け続ける。テンポよく言葉をつなげてまくし立てるのは、彼の一つの癖だった。
「俺達は永遠の友人と共にどんな苦難をも乗り越えてきた、このイッシュの地はポケモン達と共にある。俺達は勝った。勝ち続けてきた、絆こそが、俺達の最大の武器だ」
スタジオに、ジャクソンの言葉に同調する観客達の歓声と地響きが届いていた。異なる人々が集まり、協力しあうことでここまでの発展を遂げたイッシュの人間達にとって、ジャクソンの言葉は、普段は心がこそばゆくて口にすることができない大きな信念を代弁しているものだった。
殆どカメラに向かって叫ぶように、ジャクソンは続ける。
「今日、俺は、海の向こうの田舎者達を倒して、倒して、倒して、倒して、倒して、この俺と、このイッシュの大地こそがナンバーワンだということを世界に証明するんだ」
言いたいことだけを言って、彼はカメラに拳を向けてその場を去った。イッシュの観客は、彼を歓迎した。それだけのことを言うだけの強さがあることは、十分に理解されていたのだ。
「いい若手だね」
イッシュの言葉を理解できるイツキはすこしばかり声を弾ませていた。
「そうだな、若いうちはこのくらい元気な方がいい」
ワタルもそれに同意した、彼はイッシュの言葉を完全に理解できるわけではなかったが、ジャクソンのインタビューの勢いと今控室に届いてる大きな歓声を感じていた。
☆
場を温めるために事前に開催された各地方の代表ジムトレーナーによる交流戦も比較的成功に終わり、温まった観客たちはその時を今か今かと待ち望む。
やがて、対戦ステージの上にタキシードの老紳士が現れ、マイクを握った。
『皆様、大変長らくお待たせしました』
対戦会場に、拡声されたアナウンサーの声が響き渡る。イッシュでも有数の美声と知られるその声は、拡声器を通してもその強さを失ってはいなかった。
『これより、本日のメインイベント、イッシュ選抜対、カントー・ジョウト選抜の特別エキシビションマッチを行います』
観客の歓声を予測し、アナウンサーはそこで言葉を切る。予想通り詰めかけた大観衆の歓声が会場いっぱいに響き渡り、一旦この歓声を途切らせ無ければ、アナウンサーが次の言葉を発することができないと誰かが気付くまでそれは続いた。
『ルールは至って単純明快、イッシュ、カントー・ジョウト共に選ばれた五人の勝ち抜き戦、最後まで勝ち残ったチームの勝利とします。なお、勝利チームには株式会社シルフカンパニーより、各種栄養剤六種それぞれ一年分が送られます』
これには観客と同様に、控室のリーグトレーナー達もおっ、と身を乗り出した。タウリン、ブロムヘキシン、リゾチウム、キトサン、インドメタシンの六種の栄養剤は、ポケモンの体力を大きく引き上げる効能を持っているものの、それぞれが非常に高価で知られるものだった。
『まずはイッシュ選抜一番手、次代の大物、ジャクソン選手の入場です』
会場が暗転し、キーの高い電子音が鳴り響く、赤色で彩られた入場ゲートにはスモークが焚かれ、ジャクソンがそれをかき分けて現れた。
ファン達は、彼にこれ以上ないほどの歓声を浴びせる。ジャクソンもそれは当然だと言わんばかりに堂々とそれを全身で受け止めながら、足を踏み入れるたびに明るく輝くパネルの上を歩いて行った。
勝ち抜き戦と言う形式上、入場時のこのような演出はお互いの一番手にしか適用されていない。ジャクソンはイッシュ陣営の中でも最もこのような演出が似合う男だった。
観客がある程度落ち着くのを見計らって、アナウンサーは次を続ける。
『続いてカントー・ジョウト一番手』
彼はここで一つ言葉を区切った。カントー・ジョウト陣営の一番手は、まだイッシュのファン達には分かっていない。
『皆様どうか拍手でお迎えください』
彼のこの言葉に、まずは想像力のある察しの良いファンが湧き、ブーイングを飛ばす。そこでようやく大勢のファン達もアナウンサーの言葉の意味を理解し、ブーイングを始めた。
アナウンサーもプロである。カントー・ジョウト選抜の一番手の男を、どのようにすればより熱気ある会場に送り込むことが出来るか、長年の経験からしっかりと理解していた。
『かつて最も伝説に近づいた男、モモナリ選手の入場です』
入場中のモモナリに浴びせられるブーイングはそれはそれは凄まじいものだった。彼について熱心に理解を深めてブーイングしている者の勢いに押され、なぜ彼がブーイングをされているのかイマイチ理解できないファンたちも、その流れに乗っていた。会場を一体化させるという興奮に、会場中のファンが飲み込まれていた。
「これ、大丈夫なんすかねえ」
クロセは、心配そうに一人そう呟いた。若くしてカントー・ジョウトの未来を担う逸材と評価されている少年も、この状況で平静を保ち、いつもどおりの戦いができるかと聞かれれば、プライドと恐怖に怯える心がせめぎ合い、すぐに返答することはできないだろう。
「気にしちゃいねえよ、あいつは」
モモナリと古くからの付き合いのある男、キリューは、戦友に遠慮のないブーイングを送るイッシュの観客を少しばかり鼻で笑いながらそう答えた。
「そうそう、その通り」と、オークボが無駄な心配はするなと言った風に同調した。
「この程度で潰れるトレーナーなら、とっくの昔に潰れてますから」
「全くその通り」と更にワタルも同調する。
「あの男は観客の沈黙をも苦にしないとてつもない精神力の持ち主だ」
「いやそれただ単に馬鹿なだけですから」
モモナリに対して妙な高評価を見せるワタルを、キリューが諭した。ワタルはモモナリを高く評価する節があったが、決まって少し見当違いの評価になる。
「そもそも彼は対外試合向きな人材なんだよ」
見かねたイツキがようやくクロセに語りかける。イツキはその経歴の関係上、海外での対外試合の経験が豊富で、慣れない土地での戦い方や心得に自信があった。
「自分が好かれていようが嫌われていようが、知られていようが全くの無名だろうが、言葉が通じようが通じまいが、そんな事は基本的にどうでも良く、ただひたすらに戦いたいと言う視野の狭さは考え方によっては武器だということ。きっと今彼は対戦相手のことしか考えてないだろうし、この雰囲気に恐怖も感じていないだろう」
「馬鹿だから」キリューがわかりやすいようにそう付け加える。
「ここにいる皆がこんな風に評価してるけど、基本的に、馬鹿だから、で全部解決するんだよ。馬鹿で強い、ただそれだけの話なんだ」
対戦場に到着し審判の説明を受けているモモナリをちらっと見やって、更にキリューは続ける。
「でもまあ、モモナリにブーイングする余裕があるのは今のうちだけだな、多分奴らはモモナリが一人下位リーグだから舐めてるんだろうが、俺達がどれだけ躍起になってあいつをBリーグに叩き落としたのか知らないんだ」
☆
イッシュリーグ選抜一番手ジャクソンは、目の前でニッコリ笑うモモナリを見て、幾つかの怒りの感情を覚えていた。
まず一つ、自らが創りだしたはずのこの雰囲気に、これっぽっちも飲まれていない、面白くない。
戯れに、握り拳を天に振り上げてみる。それだけで会場の視線は自らに集中し、飽きることのない声援が自らに降り注ぐ。
しかし、それでもモモナリは笑みを崩さない、その表情は「君は凄いなあ」と、老人が子供に親しみと余裕を持った尊敬を送る時のそれに良くにており、それが余計にジャクソンを腹立たせる。
表情を強張らせるなり、こちらに怒りを向けるなりしてくれなければなんにも面白く無い。孤高を気取ったトレーナーがあっさりと場の空気に飲まれ、その不安をこちらに怒りとしてぶつける滑稽な様子が好きだった彼にとって、モモナリの反応は異端であり、不快。
もう一つ、この男が強いとは到底思えない。
派手で豪快、華々しく綺羅びやか、ジャクソンを象徴するようなこれらの印象とはかけ離れているが、彼の強みの一つは天性の『観察力』だった。相手の強さに合わせ効率よく戦術を組み立て、相手を自らの領域に誘い込んで有利に試合を進める。もちろんそれを見ているファン達は、ジャクソンが派手に、そしてその豪腕で試合をコントロールしているように見える。ギーマ含めイッシュリーグのトップ層がジャクソンの実力を認めているのも、その強さがトップ層に理解されているからだった。
その彼の観察眼は、目の前のモモナリというトレーナーをこれっぽっちも強いとは認めていなかった。彼が戦ってきたイッシュリーグの猛者達とは似ても似つかない、そもそもこのトレーナーには、その必死さに思わず笑ってしまうような勝利への執念のようなものがこれっぽっちも感じられなかった。そのようなトレーナーが強くあるわけがない、彼はそう思っていた。
弱いのにこの場に立っていることが許せなかった。カントー・ジョウトリーグにも腹が立つ。このような数合わせで自らの栄光が汚されることが本当に許せなかった。
そうして最後の一つ、これは他の二つとは少し毛色が違う怒りだった。
彼はモモナリをずっと前から知っていた。モモナリが『天気変更戦術』を完成させ、ディープな対戦マニアの中で少しだけ話題になる前から彼を知っていた。
そしてジャクソンは、モモナリを憎らしく思っていた。
ジャクソンの父は、イッシュリーグAリーグにも所属したことのあるリーグトレーナーだった。
強いトレーナーだった。特にその観察力と巧みに相手の弱みを攻撃する容赦の無さは世界でもトップクラスと言って良いものだった。地味だが、リーグトレーナーにも実力を認められていた。
まさにプロと呼ぶに相応しいそのスキルから『イッシュリーグ最強のバウンサー』と評されていた。バウンサーとは用心棒のことで、彼は威勢の良いだけの若手や、腕に自信のあるゴロツキなどをプロの技術、冷酷さを示しながら処理する役割を担っていた。イッシュリーグチャンピオンや要人の付き人として、海外に渡ることも多かった。
ジャクソンは、そんな父の実力を尊敬していた。ませた子供でそれを直接伝えることはなかったが、リーグトレーナー達からも一目置かれている父は彼の密かな自慢だった。
しかし、ジャクソンは父のある一部分が嫌いだった。ジャクソンの父はその職人肌な性格からか、自らが勝った武勇伝よりも、自らを負かせた真に技術のあるトレーナーの話を、目を細めて楽しげに語る男だった。
尊敬する父が負けた話を聞くことは、ジャクソンにとっては愉快なことではなかった。もちろん父が「世界には、このように素晴らしいトレーナーが沢山いる」とジャクソンの見聞を広める事を目的としている事は年齢を重ねるにつれて理解できるようになっていたが、それでもやはり、父の技術が蹂躙された話を素直に受け止めることはできなかった。
それでもまだ我慢していた、後のイッシュリーグチャンピオンアデクの若かりし頃、泥臭い駆け引きをしながらもどこか気品の溢れるギーマ、儚げに見えて力のトレーナーだったカトレア、豊かな想像力と無限の世界観のもとに戦いを大きく捉えることが出来るシキミ、イッシュ最強のトレーナーとなったアデクの一番弟子であるレンブなど、父が『負けた』トレーナーは後にその実力が大きく評価されることになる人物ばかりだった。だからまだ父の強さを何処かで感じることができていた。
ある日、アデクの付き人としてジョウト地方に遠征していた父が、現地で負けたモモナリと言う少年について、いつもの様に話した。聞けば、チャンピオンのアデクを襲撃した若手に敗北したらしい。
ジャクソンにとってそれは衝撃だった。「無謀にもチャンピオンを襲撃する調子に乗った若手を制裁する」事は父の最も得意とするはずの事だったからだ。
父はモモナリを「才能だけならばチャンピオンに相応しい逸材」と評していた。それはきっとそうなのだろう、父に勝つということは、それなりの才気が無ければ不可能。アデクのウルガモスにも、あと一歩のところまでは食らいついたらしい。
「だが、名を上げようと言う野心に乏しい。その点は、俺とよく似ている」
父は自らを見上げるジャクソンの頭を撫でながらそう言ったが、しばらく考えてから「いや、それは違うか。俺にはその資質が無いだけだな」と寂しげに言った。ジャクソンは、その時の父の顔を、忘れることができなかった。いつだって強く、頼りになった父が唯一自分に見せた弱みだった。
そのモモナリと言う少年は、いずれチャンピオン、少なくともリーグのベスト四である四天王にはなるのだろうと思っていた。
だが、その名を他リーグのトップトレーナーとして聞くことは無かった。シルフトーナメントと言う弾丸トーナメント戦で上位に食い込んだり、海上バトルを専門に開催されるサントアンヌ杯などで結果を残したりしているのを目にしたことはあるものの、その名がイッシュにまで轟いているわけではない。
次第にジャクソンは彼を憎らしく思うようになっていた、父を倒しておきながら、父に賞賛されるほどの物を持ちながら、その才能にあぐらをかき、不精に生きているに違いない。価値の無い男だ、忘れてしまおう、と彼は自らの記憶からモモナリを抹消した。
やがて彼は父親譲りの能力を武器に、若くしてイッシュリーグで頭角を現す。同時に名を挙げるために様々なことをした。強気な発言を繰り返し、地味な黒色の髪の毛はブロンドに染め上げ、試合では敢えて自らより格下の相手の力量に合わせ、注目される試合を演出した。元々実力があることもあって、彼はすぐに人気トレーナーの一人となり、特に大きな挫折もないままAリーグへと昇格した。
イッシュ協会からカントー・ジョウト地方とのエキシビションマッチのイッシュリーグ代表の誘いがあった際に、カントー・ジョウトリーグ選抜の中に、モモナリの名前を見つけたジャクソンは、二つ返事でそれを了承した。もし選ばれていなかったとしても、モモナリと対戦できるのならばすぐに自分をねじ込むようにイッシュ協会に掛け合っただろう。
今更になって、自らの視界に現れたことが不快で仕方がなかった。
鉄槌を下すつもりだった。トレーナーとして、二度と立ち直れないほどの屈辱を与えるつもりだった。そうすることで、自らの記憶に巣食う煩わしい物を消してしまいたかったのだ。
☆
会場を埋め尽くしていたファン達は、目の前の光景が信じられないでいた。
勝負を決めたポケモン、アーボックを引き寄せて、その牙の届かぬ首筋を鱗の方向にそってワシワシと擦るように撫でるモモナリの姿に、ブーイングを飛ばすこともすっかりと忘れていた。気に入らない相手にブーイングを飛ばせるだけの心理的な余裕が無くなっていた。
まさに、完勝、と呼ぶしか無い試合だった。ホームのカントー地方ではどれほどの知名度かはしらないが、少なくともイッシュ地方では全くの無名トレーナーであるはずのモモナリが、イッシュ地方でもアイリスに次ぐ若手有望株、来期からAリーグに参戦するトップトレーナージャクソンに完勝したという事実は、もうしばらく彼らを放心させるだけの威力があった。
ファン達の中には、もちろん少しばかり戦いというものを理解しているものも何割かいて、トレーナーとトレーナーが死力を尽くして戦っている以上そこには何時『紛れ』が発生してもおかしくないことを知っていた。しかし、それを理解していてもなお、ジャクソンの敗北は彼らをも動揺させるだけの内容だった。
モモナリ側のパーティには殆どダメージが無いように見えた、手持ちの六体の内、戦闘不能になったポケモンは一体も居ない。勝ち抜き戦であることを考えれば、イッシュ側から見ればそれは大きな損失、カントー・ジョウト側から見れば大きなアドバンテージだが、そんな戦略的発想は、まだ彼らの脳裏に浮かんでいなかった。
そんなことがありえるのか。とファン達は思っていた。地方の中でもトップクラスのトレーナー同士が戦い、片方は全滅、片方はほぼ損害なし、そんなことがありえるのかと。
そして、そのような完勝をしておきながら、特に何かをアピールするわけでもなく、マイペースにポケモンを撫で続けるモモナリに、イッシュのファン達も少しづつ気づき始めていた。
この男は、少しおかしい、と。
「すごい」
クロセはモニターを食い入る様に見つめながら、短くそう呟いた。
対戦相手のトレーナー、ジャクソンは、決して弱いトレーナーのようには見えなかった。豪快な素振りを見せながらも、優れた観察力と判断力で戦局をコントロール出来るだけの実力があるトレーナーだとクロセはジャクソンを分析していた。
しかし、その対戦において、モモナリはジャクソンを見事にコントロールしてみせた、その結果は圧倒的大差による完勝。
「おかしい、ジャクソンは格だけで言えばモモナリよりも格上、相対的な実力も引けをとらないと思うのだが」
オークボは首をひねった。もちろん、カントー・ジョウト選抜のメンバーであるモモナリの勝利は嬉しい、ポケモン達の体力を有り余らせているのも、非常に大きなアドバンテージになるだろう。だがそれ以上に、ここまでの完勝に違和感を覚えていた。
イッシュの言葉を理解できるオークボは、もちろんイッシュリーグの情勢についても詳しい、ジャクソンというトレーナーはここ数年ならば間違いなくイッシュトップクラスの勢いを持ったトレーナーだった。もちろんこの試合においても、ジャクソン側が手を抜いていたとか、そんな雰囲気は見えなかった。
いかにモモナリが才気あふれるトレーナーといえども、ここまでの完勝がありえるのだろうか。
「彼は欲を出しすぎた」
イツキの言葉に、ワタルとキリューは頷くことによって同意を示し、クロセとオークボは振り返ることによって説明を求めた。
「この試合、あのジャクソンというトレーナーは、モモナリを『上回ろう』としていた」
「上回る」
上回ると言う単語に疑問を感じたオークボがそう呟き、さらなる説明を求めた。
「単純な勝ち、つまり状況や過程に拘らずに勝ちという結果だけを求めれば、あのトレーナーの実力ならばそれができたかもしれない。だが、彼は若さゆえかモモナリの才能そのものを上から叩き潰そうとした」
「こっちのリーグでもよく若手がやらかすんだ」とキリューがそれに付け加える。
「あいつの才能をどこかで認めながら、それでもその上を行こうとする。その結果があれだ、読まれ、かわされ、自滅する」
「それでも最後までモモナリの才能を乗り越えようとしたその胆力は立派だった」
ワタルが力強くジャクソンをフォローする。だが、イツキがそれを否定した。
「個人として考えれば立派だけど、団体戦として考えると愚かとしか言いようが無い。何もあそこまで固執する必要なんて無いだろうに」
確かに、と皆が頷いた。
「あの」と、クロセが手を挙げる。
「モモナリさんの才能って、その」
そこで言葉を区切ってぐっと黙りこんだ、これからする質問が、リーグトレーナー達にとって非常に失礼なものであることを理解し、言葉を選ぼうとした。
「真正面から乗り越えようとすることが、そんなに難しいものなんスか」
クロセの予想通り、リーグトレーナーの三人はその質問に静まり返った。頭で理解していても、いざ言い切るとなると、色々なものが邪魔をする。
しばらく気まずい沈黙が流れたが、キリューが「俺は諦めてるよ」と沈黙を割いた。
「一回の試合の中で何度かは、判断力や直感のような『天から授けられたもの』を競うような瞬間が出てくる。俺はモモナリとの試合では、そういうものを極力排除するようにしているし、そうなってしまった時には、その瞬間では負けることを前提に考えてるよ」
キリューはニヤッと笑って続ける。
「その瞬間は悔しくても、別の部分をキッチリとしてればモモナリには勝てる。勝ちゃあいいんだ、勝ちゃあな」
「へえ、そうなんスか」とクロセは目を大きくした。そして再びモニタに目を移し、対戦相手を待つモモナリをじっと見つめた。
☆
「さて、ここからどうしたら良いものか」
イッシュリーグ選抜控室、リーダー役のギーマは、冷静にそう呟いた。
いま目の前のモニターの中で起こったことに動揺が全く無いわけではない、しかし、全くの予想外というわけでもなかった。
カントー・ジョウトリーグ選抜の『ジョーカー』として警戒していた男、何が起こってもおかしくないと覚悟は決めていたのだ。
しかし、モモナリによって引き起こされた、控室の異常には、早急に対応せねばならなかった。
レンブが、ギーマにアピールするかのように、大きな動きでこれ見よがしにウォームアップを進めていた。それが当初の予定通りの行動ならば、入念な調整として評価できるだろう。だが、ギーマはそれを渋い顔で眺めていた。
「ミーティングでは、この状況ならシキミが二番手のはずだっただろう」
名前を呼ばれたシキミは、うーん、と困ったような小さい唸り声を上げてから、アイリスと笑いあった。
一番手のジャクソンが一番手のモモナリに敗れる、それはもちろんこの四人の中でも想定されていた状況だった。そして、ソウリュウシティでのミーティングでは、そうなった場合の二番手はシキミが最適だと言う話になっていた。
二番手がシキミならば、直線型のバトルを好むキリューは選出しづらい、得意なタイプの相性的にイツキも選出しづらいとなれば、二番手としてワタルを引きずり出すことが出来る。そのワタルをシキミとギーマの二人がかりで確実に倒せば、あとに残るのはキリューとイツキ、レンブならば、その二人でも何とかすることが出来るだろう。と言う見立てだった。
ところが、ジャクソンとモモナリの試合を見て、レンブがこうなってしまった。「次は私に行かせろ」と主張していることは誰の目にも明らかだった。
ピタリ、と残心を取ったのち、ふう、と息を吐いたレンブは、ギーマの言葉に答える。
「今、この試合を見るまで、私は師匠の言葉を真剣に受け止めてはいなかった。戦いに飢え、それでいて勝利を欲していないなど、あり得るわけがないと。不遜な若者を諭すために使われる説法、都合の良い話にすぎないと心の何処かで思っていた。だがあの男、確かに戦いそのものに喜びを感じ、生きているように見える」
彼は自らを律するように沈黙し、続ける。
「『勝利を欲すれば強きは無し』師匠がいつも私に語っていた事だ。勝利を欲するということは敗北を拒むこと、その先に強きの道は存在せず、勝利のために全てを捨てた骸がただ蠢くのみ。我侭であることは全て承知の上で、私はあのトレーナーと戦ってみたい」
こうなったレンブが厄介なことは、付き合いの長いギーマがよく知っている。ちらりとシキミを見やると、彼女は笑って「私はどちらでも」と言う風なジェスチャーを取った。それは全てが善意からくるものではない、この状況を面白がっている部分も多少あるなとギーマは思った。
ギーマは、長く大きいため息を付いた。もはやレンブを引き止める理由が存在しないような気がしていた。
「好きにしろ。どうせ責任は私が取るんだ」
「本当に、厄介で面倒くさい奴らだ」
控室を飛び出したレンブを思い出しながら、ギーマは呟いた。
「レンブさんは強いから、きっと大丈夫」
アイリスが明るくそう言ったが、ギーマはから笑いして「どうだかね、あの調子だと団体のことなんかこれっぽっちも考えない自分達だけのバトルをするような気がするけど」と返し、さて、と控室の扉を開いた。
「そんじゃ、厄介で面倒くさいもう一人の方をなんとかしに行くかね」
☆
「それじゃ冷えるのは頭だけだぞ」
ポケモンワールドトーナメント会場、イッシュリーグ選抜側トイレ。
洗面台に頭を突っ込み蛇口からの水でブロンドの長髪を濡らしていたジャクソンに、ギーマはそう語りかけた。
彼はギーマに気づくと「ほっとけよ」と長髪をかきあげた、目は赤く腫れ、その長髪を水が伝ったのだろうか、体全身がずぶ濡れだった。
「自己中心的な考えでチームに迷惑をかけた男の言うことを聞くと思うか」
「悪かったな、弱くてよ」
これは相当に参っているな、とギーマは思った。今ここにいるのが自分だけだとしても、そのようにわかりやすい憎まれ口を叩くほどジャクソンは愚かなトレーナではない。どうすれば自らの華を効率よく他人に見せつけることが出来るのかということをよくわかっている男だったからだ。その男が、自分を苛立たせてこの場から去らせる事が目的とはいえ、自らを弱いと断言するとは。
「らしくないな。そんなわかりやすことを言うなんて」
「らしいもらしくないも、この姿を見られている時点でカッコつけようなんて思ってねえよ」
確かにな、とギーマは同意した。内ポケットから白いハンカチを取り出して、ジャクソンに差し出す。
彼はどれだけに荒く対応してもギーマがこの場を去らないだろうと言うことを悟り、素直にそれを受け取った。
「次はレンブが行った。どうなると思う」
ジャクソンの観察力を信頼した問いだった。しかし彼は首を横に振って「わからねえ」と答える。
「俺はいまだに信じられねんだ、俺は奴をぶっ潰すつもりだった。すべての面で奴の上を行き、二度と立ち直れないほどの格付けをしようとしていた。だが、奴の『限界』を最後の最後まで掴めなかった。奴の戦いには欲がねえんだ」
「それでも最後まで戦い方を変えなかったのは、恐怖からか」
ギーマの言葉に、ジャクソンはハッとしたように彼の顔を見た。そして、顔を紅潮させて、彼から目線を外した。その感情を他人から指摘されたことが、悔しくてたまらなかったのだろう。
「なるほどな、そう言われりゃ、そうとしか考えられねえ」
自らの足で立っていることすら煩わしいと言った風に、壁にその体重を預ける。グチャリ、という音が聞こえてくるようだった。
「確かに、俺は奴が怖かったのかもしれねえ。いや、きっと怖かったんだろう。無様に負けるかもしれない恥よりも、何も見えない恐怖のほうが上回っていたんだろうな」
ハハ、と小さく笑う。
「その結果がこれか、最後の最後まで奴の『限界』は見えず、手も足も出ずに敗北」
それは、彼が今まで積み重ねてきたものの崩壊を意味していた。このエキシビションの勝敗にかかわらず、彼の敗北は恥ずべき汚点としてファンの心に残りづつけるに違いない。
だが、ギーマの不安はそんな小さなことではない、ファンの反応など大した問題では無い、戦う事自体にそんな事は大した関係がない。問題なのは、この試合がターニングポイントとなり、ジャクソンのトレーナーとしての人生が大きく狂うかもしれないということだった。自らの将来の楽しみとしても、彼が落ちぶれるのは避けたかった。
「ギャンブルで、確実に勝つ方法を知ってるか」
全く関係のない話題に、ジャクソンはギーマを睨みつけた。どう展開させるつもりなのかは分からないが、とりあえず黙ってその続きを促した。
「負けるたびに、その負けた金額の倍賭ければ良いのさ、そうすれば、いつか勝った時に、必ず儲けることが出来る」
実績のあるギャンブラーらしくない、いかにも頭の悪そうな理屈だった。ジャクソンは顔をしかめて「それ本気で言ってんのか」と声を上げる。
「本気も何も、それが理屈だ。ただ、ギャンブラー側はいつか訪れるかもしれない限界を恐れて手を出さず、カジノ側もそれを恐れていくつも対策をしているのだけどね」
「だとしても、それに何の意味があるんだよ」
「失ったプライドは、次の試合で取り戻せばいい、辞めないかぎり、いつかプライドは取り返せる」
ふん、とジャクソンは鼻で笑った。
「いかにも、って感じの綺麗事だな」
「そうだな、私も初めて聞いた時にはそう思ったよ。ところが、これが結構私達の生き方にハマってるんだ」
ギーマの口ぶりに、ジャクソンは彼の過去を思った。きっと彼も今の自分と同じように敗北によってプライドを失い、そして、取り戻したのだろう。
経験者にそう言われてしまっては、もう何も言い返すことはなかった。自分に当てはまるかどうかはともかくとして、それは一つの道であるのだろう。
「で」とジャクソンが質問を切り出す。
「俺に次はあるのかい」
「それは君次第だよ、私がもう少し自由な事ができる立場なら、手助けの一つはできたかもしれないがね」
「まったく、無責任だな」
「そうとも、だが、常に最良の勝負を求めることをやめてしまえば、その道はないだろうね」
ニッコリ笑うギーマに、ジャクソンも軽く笑いを返し「ま、考えとくよ」と手を振った。
「それじゃあ、控室に戻ろう、皆心配している。最も、君のプライドを尊重して、無理強いはしないけどね」
ジャクソンはすこしばかり考えてから、苦笑いしてそれを断った。
「やめとくよ、こんな姿シキミさんには見せられねえから」
ギーマは、その言葉を瞬間的にはジャクソンのプライドを尊重して受け取ったが、やがて何かを思い出して、声を出して笑ってしまった。
「いや、シキミは男のそういう姿、意外と好きな方だぞ」
「ほっとけよ」と叫ぶジャクソンの声を背に受けながら、ギーマはその場を後にした。
☆
モモナリ対レンブの一戦はお互いが死力を尽くし合う壮絶なものとなっていた。
モモナリは二戦目の不利を全く感じさせない集中力でポケモン達に的確な指示を出し、対するレンブもパワフルかつ冷静に試合を運ぶ。その戦いぶりは、会場中に漂っていた一戦目のショックを吹き飛ばすのに十分だった。
一進一退となったこの試合は、お互いラストの一匹にまでもつれ込んだ。
「『マッハパンチ』」
ローブシンの右拳が、ゴルダックを捉えた。撹乱に回るゴルダックを素早く、それでいて確実に捉えることのできる選択だった。
強い男だ、とレンブはモモナリを評価していた。十分な才能を持ち、観察力豊かで、一瞬の判断力も優れている。
それでいて、何処か掴みどころのない男だとも思っていた。
勝ちを急ぎ、前のめりになった相手の、その力を利用してカウンターを打ち込む。それはレンブがここまでの実績を築いた骨子となる戦術の一つだった。
勝ちを急げば、必ずや力みが生まれる、武術の経験豊かな彼の独特の試合感だった。
だが、このモモナリと言う男は、その力みがいつまでたっても見えない。『勝ちに飢えない男』と彼を評していた師匠アデクの言葉が脳内を木霊した。あの時、勝つことに囚われつつあった自らの対の存在がそこにいるように見えた。
なぜこの男が下部リーグなのだ、とレンブは思った。
なぜこれほどの才気と達観した感覚を持っている男が、下位リーグで溺れているんだ。
この男は強い、だが、この男は決して強いトレーナーではない。その差は何だ、このギャップを埋める答えはどこにある。勝ちに溺れぬことはそれすなわち強さではないのか。
レンブの苦悶によって生まれたその一瞬の思考の空白は、ローブシンが『マッハパンチ』をゴルダックに打ち込んだ際に仕掛けられた『さいみんじゅつ』によって、足元を微妙にふらつかせていることに気付くのをほんの僅か一瞬だけ、遅らせていた。
☆
ワールドトーナメント会場は、まさに爆発寸前といった雰囲気だった。
無理も無いだろう、カントー・ジョウトリーグ選抜の、それも最も格下であるはずのモモナリに、来期Aリーガーのジャクソン、Aリーガーのレンブの二名が、ことごとく看破されたからだ。その気持を考えれば、何も不思議なことではない。
対戦場に向かうギーマに、殆ど怒号に近い歓声が送られていた。それはポジティブなものばかりではなかった。いい加減にしろと、イッシュ選抜のリーダーでもある彼に向けられたハッキリとした批判も幾つかあった。
「まあ、責任を取るといったのは私だからね」
そう呟いても、それが観客に届くことはなかった、彼はその状況が可笑しかったのか、少し微笑みを浮かべながら歩く。
すまない、と深く頭を下げたレンブを攻める気にもなれなければ、ずぶ濡れになっていたジャクソンを攻める気にもならない。
それが彼らのトレーナーとしての本能ならば、それを信じて送り出したのはリーダーである自分の甘さ。冷徹に事を勧めなかった自分に責任があると本気でそう思っていた。ならば、多少の汚れ役は自らの仕事である。
対戦場の向かい側に、モモナリとゴルダックが見えた。どちらも消耗し、息も荒い。対戦中ははポケモンの第三の目となり、脳内で知識と経験を高速に取捨選択しなければならないトレーナーは、そのレベルが高くなればなるほど対戦で体力を使う。
こっちのトップトレーナーを二人抜いただけでもとんでもないことだ、とギーマは感心していた、たとえそれが才能からなる本能的な動きであったとしても。
「はじめまして、ドル箱スター」
どうせ聞こえやしないのだ、とギーマはモモナリにそうつぶやいて意味ありげにお辞儀をした。
つい何時間ほど前まではこの地方で全くの無名であったこのトレーナーは、今やイッシュでもトップクラスに『金を集められる』トレーナーになった。モモナリがどう思うかは知らないが、明日からはイッシュで引っ張りだこのトレーナーになるだろう。それはこの試合の結果に関わらない。
モモナリの残りがゴルダック一匹なのに対し、ギーマ側はもちろんフルメンバー、もはや負けることは考えづらく、如何にして勝つか、が重要だった。
「こっちもこのまま負けるわけにはいかないんでね」と、彼はボールからレパルダスを繰り出す。
会場からは困惑の声が上がった、ギーマのレパルダスは決して弱いポケモンではないが、特殊な特性『いたずらごころ』を武器に補助技で戦況をかき回すのが主な役割で、もうひと押しで勝てると言う今のような状況にはふさわしくないように思えた。
「もう十分暴れたろ、ちょっとだけ、地獄みてもらうよ」
☆
『ねこだまし』を警戒したゴルダックの『まもる』を無視して、レパルダスが『つめとぎ』を選択した時から、カントー・ジョウト選抜の控室は、妙な空気を感じていた。
モモナリの手持ちが消耗しているゴルダック一匹な以上『ねこだまし』を撃たないという選択は殆ど考えられない、たとえ『まもる』をされたとしても、それは特にデメリットではないからだ。
まして言えば『つめとぎ』の選択は百害あって一利なしと言い切っていい選択だった。
団体戦と言う試合形式上、モモナリは本来ならば無理をして勝ちに行く必要など一つもない、一か八かで『ハイドロポンプ』や『アクアジェット』の選択肢も十分に考えられるし、次のトレーナーのことを考えて補助技などを敢行してくる可能性もある。しかもモモナリは先程のレンブ戦で『さいみんじゅつ』を見せているにもかかわらずである。
「さすがギーマ、モモナリと言うトレーナーの『本質』をよく理解している」とイツキが分析したとおり、ギーマはモモナリのトレーナーとしての才能を最大限に評価したうえで立ちまわっていた。
モモナリは、このエキシビションが『団体戦』であることなど欠片も考えていないだろう、とギーマは思っていた。
良く言えば一匹狼、悪く言えば独りよがり、笑顔と人当たりに騙されてはならない。この男のトレーナーとしての『本質』は自惚れと究極的なエゴイストである事だとギーマは分析していた。肌がひりつくような勝負を求め続け、それでいて何時までたっても満たされることはない。それほどの執着を見せておきながらも負けて狂うことがないのは、ひとえにその自惚れが故、凡人が負けて感じるような悔しさや焦燥感を、この男は感じることがないのだろう。才能に愛され、今勝つことの重要性がわかっていないだろうから。
そして、それを咎めるトレーナーがこれまでに居なかったのだろう、ただの勝利ではこの男の自惚れを覚ませることはできない、圧倒的な才能の差を見せつけて、この男を暗闇の底に叩き落とすようなことが無かったのだろう。
そんな男が『団体戦』のことなど考えるはずがない、だからこの一戦を勝ちに来るために『ねこだまし』を『まもる』だろうし、後続につなげるための『さいみんじゅつ』もするはずがない、彼の中ではこのゴルダックこそがラストの一匹であり、後続は居ないのだから。
「私達は違う」とギーマは歯を食いしばった。
状況は最悪、自惚れてエゴイストなカントーのトレーナーにイッシュの純朴なトレーナーが二人捕らえられ、単純な人数で計算すれば五対三。
だが、こちらはそっちとは違う。こちらはこのエキシビションが『団体戦』であることを理解している。モモナリが作り出したこの雰囲気は、同時にカントー・ジョウト選抜を縛る足枷にもなりうる。
ギャンブラーの、否、人間の知性を見せつける時だった。
レパルダスをとらえたかに見えた『ハイドロポンプ』は、『かげぶんしん』を打ち消すだけの結果に終わった。『メロメロ』に誘惑されたゴルダックの久々の有効打に見えたが、それもかわされている。
モモナリはレパルダスの攻撃を嫌って『アクアジェット』の指示を出すが、レパルダスはゴルダックの攻撃をギリギリまで引きつけてから、いたずらに体毛を膨らませ『でんじは』をゴルダックに打ち込む、麻痺の痺れのためか『メロメロ』の誘惑のためか、はたまた『かげぶんしん』が原因かわからないが『アクアジェット』は不発に終わった。
「ヒデエな」
舌打ちと共に、控室のキリューが苛立ち気味に短髪を掻いた。抑えてはいるものの顔は真っ赤になり、無意識のうちに靴底が何度も床を叩いていた。
モモナリの親友である彼が怒るのも仕方がなかった。ギーマはゴルダックに執拗に妨害技を仕掛け続け、たまの攻撃からも逃げまわり続けていた。一思いに攻撃すれば、そのまま決着がつく事は誰が見ても明らかだというのに。
「仕方がない、それだけの慎重さが必要かもしれない相手だということは、きっと会場の全ての人間が思っているだろう」
怒りを露わにしているキリューをワタルがそう諭すが、かくいうワタルもこの状況が面白いわけではない。
レパルダスは攻撃の体勢をとったゴルダックに『すなかけ』で目潰しをし、更にその攻撃をヒラリとかわす。
「超安全な勝利を目指すため、というのが一応の建前だろうけど、本当の目的は会場の空気を落ち着かせること、そしてもう一つ、僕達だろうね」
イツキは冷静にそう呟いてみせたが、だからといってどうにかなる問題でもなかった。
次のトレーナーにキリューを出せば、恐らく彼は完璧な試合運びをできないだろうし、ここでワタルを出すとキリューがシキミかアイリスと当たることになる。直線的戦闘が信条のキリューにシキミはきつい。かと言ってあくタイプのエキスパート相手に自分が出るわけにもいかない、クロセは興行的なことを考えればラストが相応しいだろう。
麻痺で動けないゴルダックを、レパルダスが尻尾の先でくすぐり『ちょうはつ』した。
「イツキさん、次は誰が行くんだ」
興奮した様子で自分を見るキリューに、イツキは心の中でため息を付いた。君だ、と言わなければ何をされるか分かったもんじゃない。
ゴルダックの『クロスチョップ』にレパルダスが待ってましたと言わんばかりに『ふいうち』を決め、ゴルダックは倒れた。
一匹を倒すために随分と長い時間を使った。だがこの時間は必ずイッシュ側に有利に働くだろう、とギーマは思っていた。
恐らく次は特別こちらに殺意を向けたキリューが来るだろう、しかし、こちらに殺意を向けてくれればくれるほどいい、選択肢を自ら消してくれる相手ほどやりやすい相手は居ないからだ。
ギーマはちらりとモモナリを見やった。確かに暴れはしたが、彼自身に何らかの落ち度があったわけではない。全く気まずくないかといえば嘘になる。
だが、モモナリの表情を見て、ギーマは冷や汗を流すことになる。
あれだけの事をされたというのに、モモナリは全く不服の表情をすること無く、それどころか少しばかり笑顔すら見せていたのである。
「どうかしてるよ」
イッシュの言葉でなるべく早口にギーマは呟いた。この試合を『勝負』として受け止めることが出来るその無神経さに半ば呆れていた。
序盤から荒れに荒れたこの『エキシビション』は、イッシュ選抜リーダー、ギーマが怒涛の三人抜きを見せ、最終的にはアイリスがクロセを制し、イッシュ選抜側の勝利に終わった。
だが、イッシュのファン達は、その勝利の余韻よりも、一番手のあのトレーナーのほうが強烈なインパクトとして残ったのだった。