モモナリですから、ノーてんきに行きましょう。

小説トップ
ノーてんきに行きましょう
『週刊ポケモン生活 第〇3号』 伝説を追うということ
 ポケモンリーグに情報化の時代が到来してから随分な時間が経った。もはや『自分だけの知識』を持つことは不可能に近くなり、むしろ暴かれまくった情報の中から何を選ぶのかが重要な時代になっていると思う。
 だがそんな中でも僕のような感覚派のトレーナーが何人か生き残っているのは我ながら不思議なことだが『自分だけの感覚』は共有されないから、そういう意味では強みなのかもしれない。
 情報化の時代によって影響があったのは僕たちリーグトレーナーだけではない、僕達を応援してくれるファンもそれによってスタイルを変えている。
 僕がまだジムを巡っていた頃はまだバッジを集めている途中のトレーナーのことなんて誰も知らなかった。そりゃそうだアマチュアだもの。
 だが最近はバッジ集めの途中のトレーナーにも注目が行くようになっている。
 それについての是非はあるだろうが、僕はその気持ちが凄くわかる。
 たとえば僕は、殿堂入りトレーナーのキクコさんやワタルさんがどのようなトレーナーだったのか知らない。僕が物心ついた頃にはもう彼らは殿堂入りトレーナーであったし、素晴らしいプロだった。
 もちろん歴史を確認することはできる。彼らがいつプロになってどんな成績で昇格して、どんな戦いで殿堂入りしたのか、それはわかる。
 だが、そこには感慨がない。歴史には感慨がない。
 僕がキクコさんやワタルさんの歴史を調べても、彼らがどうなるかは知っている。たとえどんなに強烈な敗北があろうとも、その先に栄光があることを都合良く忘れることは出来ない。
 逆に言えば、まだ若く実績のないアマチュアを追っかけていれば、いつか最高の感慨を感じることができるかもしれないのだ。伝説の証人になりたいという欲求は、伝説になりたいという欲求の次にあるのだと思う。
 ガラル地方では新人トレーナーのジム巡りがエンタメ化されている。彼らはバッジを一つも持っていない時からエンジンスタジアムで大層な開会式に参加し、その後用意されたホテルを転々としながらジムをめぐる。当然ジム戦には観客が入り、それ専用のケーブルテレビも存在している。
 まさにいたれりつくせりだ、理想的なシステムと考える人もいるだろう。ダイマックスを中心に興行としてのバトルを重要視しているガラルらしいシステムと言える。実力のないトレーナーがさらし者になるようにも思えるが、チャレンジャーは各自関係者に推薦された人物らしいので(僕はこのシステムが素晴らしいことだと思う)実力も対して心配がない。
 今年ダンデ君を倒して新チャンピオンとなったトレーナーもその例にもれず、ジムチャレンジをテレビで放映されていた。僕もひと目見た時に筋が良いなとは思っていたのだが、他にも筋の良いトレーナーが何人かいたのでまさかここまで突き抜けるとは思っていなかった。しかし、そんな部分も含めて感慨である。過去でも未来でもない、今を楽しむことが大事なのだ。

■筆者メッセージ
評価、感想、批評、お気軽にどうぞ
来来坊(風) ( 2020/01/14(火) 20:09 )