『週刊ポケモン生活 第〇2号』 ワイルドである責任
僕がガラルから帰ってきて初めてやったことはガラルにつれていけなかったポケモンたちへのご機嫌取りだが、その次には地元のレストランに飛び込んでカレーを注文した。カレーってこんな味だったよなと確認して、二杯頼んだ。美味いは美味いが、ワイルドエリアの青空の下で食べたそれとは違う種類の美味しさだった。
ガラル地方ではあまり食事を取らなかった。ワイルドエリアで奢ってもらったカレーの味と、どこかの町で食べた信じられないくらいにごっついステーキが印象的だった。
ガラル地方にはワイルドエリアというかなり変わった土地が存在する。自然保護を目的としたあまりにも広大な土地が存在し、その中にはポケモンたちの生態系がある。めちゃめちゃ広いサファリゾーンをイメージしてもらおうかと考えたが、どうもそれも違う。もっと違うなにかだ。
僕が思うに、ワイルドエリアは人間のものではないのだ。いや、もちろんそれを作ったのは人間だし、その気になればそこを人間のものにすることだってできると思う。当然それには僕たちのように優れたトレーナーの力が必要不可欠であり、僕たちがそれに乗るかどうかは僕たちの機嫌次第ではあるが、とにかく、やればできる。
だが、ワイルドエリアの中に存在する生態系の中で、人間は必ずしもそのトップではない。僕も実際に足を運んだが、本当に凶暴なポケモンも何匹か存在して、スキルのないトレーナーとポケモンであればボールを投げることも逃げることも出来ないようなレベルのポケモンも何匹か確認した。
無力な人間は生き残れない、事実、そういう事件も起きているそうだ。
こうやって文章にして考えてみれば段々と複雑な気分になる。このエッセイの読者にはもう散々言ってきたことだが『チャンピオンロード世代』としての僕は、そのシステムに何の問題もないと考える。だが、少しだけ思うところもある。
例えば僕は『まあ大丈夫だろう』という認識でワイルドエリアに入った。実際に大丈夫だったがそれはあくまでも結果だ。
ワイルドエリアに入るのは自由だ。誰にも強制されず、誰にも否定されない。だからよほどのことがない限り、そこに入る人は僕と同じ様に『まあ大丈夫だろう』という認識で飛び込む。殆どの場合、死のうと思って飛び込むわけじゃないだろう。
僕は基本的に『才能がないのにこの世界に飛び込むのが悪い』というが一貫した意見だ、色んな人間と色んな場所でこれに対する言い合いも行ったが、まだ変わっていない。
だが同時に『だからといって死ぬことはない』という意見も持っている。身をわきまえないのは嫌いだが、そのペナルティが死だとは思っていない。
戦う才能のない人間は、言い換えれば戦わなくとも生きていける才能を持っている。それを気づかぬ前に死ぬべきではないし、もしそれを分かっていない人間がいれば、誰かが注意するべきだ。
ワイルドエリアに対しては色んな思いがある。だが、レベルの高い野生のポケモンが存在しないところにはレベルの高いトレーナーもいない。今更僕がそれを心配することもないのだろうが、ガラル地方が今後どうワイルドエリアと付き合っていくのか、僕の興味は尽きない。