モモナリですから、ノーてんきに行きましょう。

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ノーてんきに行きましょう
47-初心
 さすがにあれだけ騒がれれば、バトルに興味のない『週刊ポケモン生活』の読者の方々の耳にも入っているだろう。最も最近はこのエッセイをキッカケにしてポケモンリーグのファンになったと言うお手紙を頂くことも多く、僕としても頑張っているかいがあるなと嬉しい限りである。

 さて、話を元に戻すが、カリンさんとクロセ君のチャンピオン戦はクロセ君の勝利となった。クロセ君が行きた伝説となった瞬間に立ち会った人々はさぞ満足だろう、この事実はセンセーショナルに広がり、この試合は様々な媒体で触れられることになった。
 実は僕もこの試合について書こうと思ってメモをしたり色々していたりはしたのだが、どうも今は観戦記が飽和状態にあるように感じるので、数十年後に出版されるであろう『クロセのチャンピオンロード(仮)Aリーグ奮闘記』のために取っておくことにする。

 ただ、批判されることを覚悟であえて正直な事を言うと、複雑な心境である。
 もちろんクロセと言う新チャンピオンの誕生自体は嬉しいし、良いニュースだと思う。イッシュでは一足先にアイリスが新チャンピオンとなっており、若いトレーナーの躍進に一役買っていると聞く。
 しかし、それと同時に一種の虚しさのような感情が芽生えているのも確かだ。
 カリンさんはその才能とポケモンとの信頼の力で、セキエイ高原に神がいるとすればその神をもねじ伏せてチャンピオンになったトレーナーである。現実を受け入れず、理想を追い続け、それ成し遂げた。今後僕達がどのような不条理、不運に見舞われようとも、彼女が成し遂げたことが希望になる。そのような存在である。
 しかし、そこに現れたのはクロセという存在だった。彼はまるでそれが当然であるかのようにチャンピオンになった、もちろんそこに至るにはとんでもない努力が必要だろう、しかし、努力だけでそれがなせるものではない事はリーグトレーナーならよく分かっている。
 僕は神を信じない、信じていない。信じていなくてよかったとすら思う。
 もし僕が神を信じていて、神への信仰心から努力をしているタイプのトレーナーだったとしたら、この仕打ちはとても耐えきれるものではない、自分の努力の目的を失い、引退してしまうだろう。

 チャンピオン決定戦の翌日、僕は自分の家でボケーッとしていた。勝負の世界において勝者がいれば敗者がいることも分かっているし、他人の勝敗に気を取られている暇があるほどの立場に無いこともわかってはいる。しかし、幽霊なんか居ないとわかっていてもシオンタウンのポケモンタワーでは何か少し身構えてしまうのと同じで、どうもその日は身が入らなかった。こういうのは理屈ではない。
 付き合いの古いポケモン達は僕のこういう姿に慣れている、というかバトル以外の時の僕が大したことを考えていないと言うことを十分すぎるほどに理解しているので、まあびっくりするほどに無関心である。
 ところがガブリアスにとってはそうでもない、オタオタとして水と木の実を交互に差し出してくる。こういう愛情はすべて受けるのが男だが、そろそろ溺れ死ぬかな? と思っていたところでインターホンが鳴った。

 友人だったら飲み屋に脱出しようと思って出てみると、見覚えのある蒼眼の少女がそこに居たのである。クシノの弟子の一人だ。
 何か伝言かい? と僕は彼女に目線を合わせた。クシノからの伝言か何か、もしくはキシちゃんの家がわからなくなったか(無いとは思うが)のどちらかと思った。
 ところが彼女は腰のボールを手に取ると「先生が、リーグが終わるまで待てと言ったから」と流暢に言ったのである。
 その行動よりも、彼女が流暢にこっちの言葉を喋ったことの方に驚いた。子供の学習能力の高さは本当に恐ろしい。
 そして、その現実を飲み込んだ後に、彼女の行動を理解した。つまり彼女はこの、今期Aリーグ五勝で順列六位の僕に喧嘩を売っている訳である。「待て」と言ってくれた先生とはクシノの事だろう。彼が「リーグが終わるまで待て」と言ったということはつまり、彼女はかなり早い段階からこの『元天才』の僕に挑戦しようとしていたわけだ。

 そうなってしまえば、僕に断る理由はない。そもそもトレーナーと言うのは目があったら勝負するような人種である。
 しかし、それと手加減するかどうかは別の話である、むしろ僕は手加減を全くしないタイプである。気持ちいいほどボコボコにして、オマケに昼ごはんも奢ってあげた。ついでに良かったところと悪かったところのまとめを書いて、先生に訳してもらいなさいとハンカチとともに手渡したほどである、いやー張り切った。
 実を言うと、僕は嬉しかったのである。あの無鉄砲さ、礼儀を知らない尊大さ、若いころの僕にそっくりだ。恐れを知らず、おおよそ自分が負けることなんて頭の片隅にもない。良い考え方である。
 僕が彼女を気持ちいいくらいにボコボコにしたのも、ご飯を奢ってあげたのも、良いところと悪いところをまとめてあげたのも、若いころの僕がされたことがあるからでる。
 あの時、僕が小生意気に挑戦した彼等はこんな気持ちだったのかと感慨深い。
 同時に、若い頃を思い出して身が引き締まる思いだった。振り返ってみればあの頃が一番実力が伸びていた、今こそあの頃の気持が必要なのではないかと思うばかりだ。
 いっちょシンオウまで足を伸ばして、シロナをボコボコにでもしに行こうか。

来来坊(風) ( 2015/08/11(火) 22:03 )