36-昇格
Aリーグ最終戦を前に、クロサワさんが引退を表明した。
今期Bリーグ順列三位の引退表明にファンの方々は動揺していると思う。
実は僕はBリーグ最終日にクロサワさんからそれを聞いていた、僕はリーグトレーナーの中でも特別口が軽い方だが、さすがにこれをペラペラと喋る気にはならなかった。そうすれば、クロサワさんが考えなおしてくれるのではないかと少し期待していたからだ。
Bリーグは近年稀に見る大混戦だった。前節でシンディアがクロセに初めての黒星を付け、クロセ、シンディア、クロサワの三名が一敗を維持したまま最終戦に突入することとなった。昇格は上位二名だから、この三人の内誰かは昇格できないことになる。
Bリーグ最終戦、僕はタマムシシティでシンディア氏と、クロサワさんはコガネシティでクロセ君との対戦だった。
一応僕も二敗なのでまだ昇格の目はあった。この時は考えもしていなかったが、BリーグとCリーグは勝ち数が同じなら前期の順位が優先される事を考えれば全く無い話ではなかった
リーグ最終戦は勝負の紛れを防ぐために、それぞれ別の場所で全く同じ時間から開始する。僕達は他の対戦のことはずっとわからないわけだ。
僕はシンディア氏に序盤からかなり押し込まれる形となった。シンディア氏は元イッシュリーグAリーガーであるから『昇格慣れ』している。
シンディア氏は押し込みながらも要所要所でキッチリ待てる、この待ちが非常に厄介で、この待ちをチラつかされることによって、こちらの攻撃によってシンディア氏の陣形に隙が生じてもそこに踏み込みづらくなるのだ。彼女とパートナーのポケモンはその散らしの技術に長けているので今後彼女のバトルを目にすることがあればぜひともそこに注目してみてほしい。
正直な所、いつもの僕なら諦めていたと思う。彼女の技術にとても感心していたし、これ以上粘っても陳腐なだけだと普段なら思う。しかし、残り全勝すると誓ってしまったものはどうしようもない、多少汚くても勝利のために粘った。
結果、僕は勝利を拾った。
僕は博打で彼女のスキらしきものに踏み込んだ、それが良かったようだ。
僕の昇格が決定したこと、クロサワさんが負けたこと、彼が僕を呼んでいることを知ったのはその後すぐだった。
クロサワさんは落ち着いていた、僕はなんと声をかけていいのかわからなかった。
「飲みながら話しましょうよ」と僕は提案した。お互いに酒でも飲まなければやっていられないと思った。
クロサワさんはそれを拒否した「今から飲むと、死ぬまで飲むことになる」と言った。
「クロセとお前が昇格か…。まあ、お前でもあの女でも良かったがな」
彼はタバコを咥えていた、しかし、吸っては居なかった。
「ハッキリと断言できる、途中までは俺が有利だった。それは間違いない。一瞬だけ、一瞬だけ夢を見たよ。俺ごときが夢を見たから負けたんだ」
引退する、と彼は言った。僕は必死に止めた。考えられないことだった。彼の成績の足元にも及ばないリーグトレーナーなんて世界にいくらでもいるじゃないか。
「自暴自棄になってやめるわけじゃない、むしろ満足している。だが俺はもう疲れた。勝ちとか負けとか、そういう勝負の世界に身をおくのももう限界だ。最後に一花咲かせることが出来て、幸せだった」
僕は納得いかなかった。だから僕は待った、彼が考えを変えるまでずっと黙ってそこにいるつもりだった。
だけど、クロサワさんは僕を置いて去った。彼は最後に「無責任だが、Aリーグで頑張ってくれ。お前は俺に勝ったんだ、誰がなんと言おうと、お前は昇格にふさわしい」と言った。
僕はリーグトレーナーになって長い。だからこういう引退とか、そういうものには慣れていると思っていた。
しかし、この胸の空きをどうやって埋めればいいのかはわからなかった。