黙黙目次
グルメなジャッジは人の気持ちがわからない 春の日
 タマムシマンション六階。春の日差しがテラスから差し込んでほんのりと暖かい室内ではポケモンコンサルタントのK・イトウが下着姿でクローゼットを物色していた。ほんのり温かいと入ってもまだまだ冬の厳しさを忘れきれない、服は早めに着たほうが良さそうだった。
「なぁ、ロビィ」
 ワイシャツに腕を通しながら、イトウは小さな机を挟んで向こう側に鎮座する石像に話しかける。
「僕はお花見というものを理解できない」
 当然、石像からは何も帰ってこない、珍しい特性『ダルマモード』を持つヒヒダルマであるロビィことロビンソンにその声は届いてはいるが、あまり表情を見せないほうがイトウにとっては良いことを彼は知っていた。
 うっとおしそうにボタンを止めながらイトウは続ける。
「いや、サクラは美しいと思うよ。特にU公園なんかでは素晴らしい光景を見ることができる」
 スラックスを手にとった。
「ただね、だからといってみんなで集まって騒いだり、歌ったり、お酒を飲んだりする意味がわからないんだよ。だってそうだろう? 花を見てないじゃないか」
 はいはい、とロビィことロビンソンは心の中で思う。
「僕は思うんだ、要するに彼らはだね、サクラを見るという大義名分の元に、みんなで集まって騒いだり、歌ったり、お酒を飲んだりしたいだけなんだよ」
 ベルトを締めるために少しイトウがうつむいたすきを突いて、ロビィことロビンソンはパッとダルマモードを解除してテーブルの上に備えてあったいかりまんじゅうをパクリと一口で食べた。
 それに気づきつつもイトウは続ける。
「みんなサクラなんてどうでもいいんだ。それにお酒の味だって本当はどうでもいいと思ってる。だってそうだろう? U公園の屋台なんてひどいもんだ」
 ネクタイを手にとった。
「リンゴアメは出来にばらつきがありすぎる。運悪く湿気ったリンゴにあたってしまえば最悪だ、ずっと湿気ったリンゴに甘ったるいネバネバが付着したものを食べなければならなくなる。ずっとだよ? 考えたくもない」
 異様に手慣れた手付きで小さめの結び目を作ったイトウは、ジャケットを物色しながら続ける。
「ベビーカステラも最悪だ、そもそも形がマンネリだし、種類が豊富じゃない、まるで小さなピカチュウを捕食する蛇になった気分になるし、口の中の水分全部持っていかれる。粉ものも最悪だ、公園の水道水を使っているだろうし、でかいバケツにタネをひとまとめにしている、そもそも屋外で料理だなんて、塵や埃を具材にでもするつもりなんだろうか。綿あめなんて……そもそも綿あめを食べる必要がないだろう、家に帰ってグラニュー糖をひとつまみ口に入れればだいたい同じだ。まったく意味がわからない」
 イトウは選んだジャケットに袖を通すと、姿見にそれを移した。そして大きくため息を付いて一言。
「ただ、すごく美味いんだよねえ」
 なんじゃそりゃ、とロビィことロビンソンは思う。
「さて」とイトウはゴージャスボールを片手に振り返った。別に今更そんな物を使わなくともロビィことロビンソンはイトウを悪くは思ってはいないが、イトウはそのボールこそがポケモンにとって最も居心地のいいものだと信じているのだ。
「それじゃ、花を見に行こう。そして、花を見ることを大義名分に、U公園のすべての屋台を食べ尽くしてやるんだ」
 子供のように笑いながら、イトウはロビィことロビンソンをボールに導いた。





 彼の思い通り、U公園は桜を見ることを大義名分とした人々で溢れかえっていた。彼らは集まりに集まって騒ぎ、歌い、酒を飲む。
 その中で、かっちりとスーツを着込みながらリンゴアメと綿あめのダブルアメ体制を維持するイトウは異色だった。しかし、彼はそれを気にしない。むしろ彼は正々堂々とベンチに腰掛け、それらをロビィと分け合っている。
 それぞれがそれぞれ思い通りに綿あめをちぎりあい、口の中で溶ける様子を楽しんだ。その途中に明らかに綿ではないような糖分の塊がなかったわけではないが、彼らはそれもまた一興とそれを噛み潰す。
 リンゴアメの方は運良く湿気ていないモノを引けたようでそれなりに満足しながら堪能した。カジッチュを模した飾りがきっとポケスタ映えするだろうに、彼らはそれを気にせずバリバリといった。
「美味い、結局美味い」とイトウは唇をなめた、アメの甘みとソースの塩辛さが口の中に再び広がる。
「さて」とイトウは右手と口周りを丁寧にハンカチで拭ってから言った。
「それじゃ、花を見に行くとしますか」


 カントー地方、U公園。
 カントーでも有数のサクラの名所でもあるそこは、同時にくさタイプのポケモンたちにとっても居心地のいい場所だった。
 騒いで歌って酒を飲む名所から少し離れた区域では、今日のためにめかしこんだ草ポケモンたちが勢揃いしている。だいすきクラブカントータマムシ部の面々である。
「いやぁ、素晴らしい」
 彼ら草ポケモンを眺めながら、イトウは感嘆の声を漏らしていた。勿論、クリップボードに手を滑らせてそれぞれのポケモンについてメモをすることも忘れない。
 本当は相棒のヒヒダルマも一緒に楽しみたかったが、炎ポケモンである彼が近くに現れるとくさポケモンたちの集中が乱れるかもしれぬとイトウが気を使っていた。
「今日は天気が良くてよかったですね」
 微笑みを見せるキマワリに会釈しながら呟いた。何気なく出た言葉だったが、それはトレーナーの耳にも入る。
「ええほんと、太陽が出ていてよかった」
 キマワリのトレーナーであろう女性はパートナーと同じ様にに笑みを浮かべながら答える。
「おとなしめの装飾が映えますね。夏のキマワリだと本体の笑顔に負けてしまうかもしれませんが、この気温だと抜群にあっている」
 イトウという人間は人間に対する審美眼というものはてんで全くであるのに、何故かそれがポケモンに向かうと抜群に優れていた。
 その指摘が願っていたものだったのだろう。女性は少し顔を赤くして答えた。
「ええ、皆さんキマワリは夏のポケモンだと思っている方が多いんですけど、私としては冬を越した後のこれからに期待するような表情も好きなので」
「いや素晴らしい発想です。脱帽しますね」
 ひとしきり彼女等を褒め称えたイトウが次に向かったのは、あまり人が集まっていないウツボットの元だった。
 そのパートナーであろう中年の男は、スーツにクリップボードというバリバリの品評スタイルであるイトウに対して恐縮し頭を下げた。最も、これはポケモンだいすきクラブがセッティングした草ポケモンの品評会であるからイトウのほうが正しいのだが。
「すいません、花は咲いていないんですけども、草ポケモンだったらいいと聞いていたので」
 並の感性があれば男がなぜそのようなことを言うのか理解できそうなものだが、幸か不幸か、イトウは全くそれが理解できないタイプの人間であった。
「いや、僕も草ポケモンの品評会だと聞いていますよ」
 イトウはウツボットのツルと胴をしげしげと眺めながら続ける。
「みずみずしいツルですね。胴にもハリがあって丈夫そうだ。肉食であるという威厳を持った素晴らしい出で立ち、ウツボットでこのコンディションを作るには苦労したでしょう」
 ぐるりとその全体を見渡しながら「良いもの食べさせてもらってるね」とウツボットに語りかける。彼女は照れるように両の葉で顔を覆った。
 男はパートナーを褒められたことにホッとしたのか、先程よりかは明るく答える。
「嫁や娘からはもっときれいなポケモンにしろと言われるんですが、やっぱりこの種族が好きでねえ」
「わかりますよ、この出来栄えを見れば。オンリーだろうがナンバーだろうが、一番であることには情熱が必要です。あなたと彼女はそれを名乗るにふさわしいですよ。どうしてもっと人が集まらないんでしょうね、こんなにすごいのに」
 意味もわからず感激する男ともう二、三ほど言葉をかわしてから、イトウは次のポケモンを見に行く。
 まだまだ見るべきポケモンは沢山いるのだ。




 だいすきクラブカントータマムシ部が主催している草ポケモンの品評会は、少し早くに午後の部を終えて自由時間になっていた。
 書き込みで真っ黒になっていた用紙を受付に提出しながら、イトウはうーん、と一つノビをする。
 ポケモンの能力を見抜くことのできる『ジャッジの目』を持つ彼は、ポケモンバトルに関連するコンサルタントを仕事としていたが、その『目』はポケモンの容姿の品評にも生かされる。仕事相手の需要からそっち方面の仕事はあまりこなさなかったが、彼自身は容姿や所作を磨き抜かれたポケモンを見るのは嫌いではなかったし、たまの趣味としてはむしろ好きだった。何より強いとか弱いと考えなくていいのがいい。
 そりゃ例えば勝てるとか勝てないとかの話をし始めたら、あのキマワリやウツボットはその及第点にも及ばないだろう。だが、そもそも彼らは戦わなくてもいいわけで。となると気楽なものだ、褒めるところしかない。
 ベビーカステラでも買って帰るかなと思っていた彼の背中に声がかけられた。
「楽しんでいただけましたかな?」
 イトウにとっては聞き覚えのある声だった。慌てて振り向いてその知った顔に挨拶する。
「ああ、ご無沙汰してます」
 その背の低い老人は、だいすきクラブの会長だった。腰の低い老人でバトルが強いわけでもないがポケモンに対する愛は本物で、イトウもそこは認めざるを得ない。
「去年も素晴らしかったですが今年はより素晴らしい面々でしたよ」
「そうですか、それは良かった。君のような才能の持ち主にそう言って貰えればみんな喜ぶだろうね」
 会長はその立場からいくつかの相談を持ちかけられることもあり、そのいくつかはイトウに解決を依頼したこともある。イトウの『ジャッジの目』を彼も信頼していた。
 イトウは会長の言葉に子供のように微笑んで「ありがとうございます」と頷いた。彼はその社会的地位にも関わらず一途にポケモンを愛するその老人が好きだった。
「また何か困ったことがあったら何時でも呼んで下さい」
「ああ、そうさせてもらうよ」と会長は一旦答えたが、続いて「ううむ」と唸った。
「その、申し訳ないんだが一つ頼みたいことがあるんですよ。しかし君に力を借りるようなことでもないような気もするし」
「ポケモンのことなら何でも伺いますよ。勿論そのすべてを解決できるとは限りませんが」
 イトウは申し訳無さそうに頭をかいた。自分の『ジャッジの目』に対する自信はあるが、かつて子供から『病気のポケモンを治してほしい』と言われてとにかく困ったことがある。それ以来何でも解決できるとは言わないようにしているのだ。
 会長はまた表情を困らせて言う。
「今すぐの話になるんです。レストランを探している暇がない」
「ああ」とイトウは呟いた。彼はその信念から報酬を食事で求めている。律儀な会長だ、それに頭を悩ませている。
「あなたからの仕事でしたら多少システムが歪んでもオーケーですよ。例えばそうですね……ベビーカステラを買ってくれればそれでいいです。それ以上はいただきません」
 実はその提案もだいすきクラブの会長を相手に「ベビーカステラ買ってこい」と言っているのも同じなのだが、イトウはその不自然さに気づかないし、会長もそんな事は気にしない。
「それじゃあ心苦しいですがお願いします。またどこかで奢らせてもらいますよ」
「いやいや気にせず。会長の頼みですからね」







 品評会本部の休憩所。
 休憩所と言っても大層なものではない。仮設テントにパイプ椅子を並べただけだ。風も吹き抜けるし、サクラの花びらも吹き込んでくる。
 そこにちょこんと座っていた十歳ほどの少年は、わかりやすくつまらなさそうだった。ぼうっとどこかを眺め、両手は膝の上のポケモンをなでている。
 膝の上にいたのは、サクラポケモンのチェリムだった。天気は晴れているというのにつぼみを閉じたままでおとなしい。「やあ」と、会長はその少年に挨拶した。
 少年は胸に抱いたチェリムを抱きしめたまま、それに頷きだけを返した。あまり褒められた光景ではないが、ひどくつまらなさそうなその様子は、そうしても仕方がないのだろうなと言う説得力があった。
 会長はそのまま続ける。
「この人は私の友達でね、ポケモンにとても詳しいんだ」
 よろしく、と、イトウは彼なりに頑張って挨拶したが、少年はそれにも頷きだけを返した。
 これは厳しいぞ、とボールの中からそれを見ていたロビィことロビンソンは思った。
 そしてさらに思う、イトウにこれの問題を解決できるはずがない。彼は人間の気持ちに疎いのだから。



「見ての通り、元気がないんですよ」
 少年から少し離れ、小さな声で会長が耳打ちする。
「はあ、たしかにそう見えますね」
 イトウもそれに頷いた。そしてもう一度彼らを見た後に「わかりました」と答える。
「何とか頑張ってみましょう」
 まじかよ、とロビィことロビンソンは思った。
「本当かね」
「ええ、それじゃあ会長は席を外しておいて下さい」
「ああ、わかった。そうしよう」
 会長は少し頼もしげにイトウを見てからその場を離れた。これだけの参加者のあるイベントの参加者だ、やることはたくさんあるだろう。
 イトウは再び彼らを見た、そしてなんとかなるなとも思っていた。すでに彼は、その原因に大体の見切りをつけていたのだ。



 イトウは「やあ、よろしく」と少年の側に座り込む。パイプ椅子には座らない、井戸端会議に忙しいご婦人たちに全て取られてしまったから。
「あまり、調子が良くないようだね」
 少年はそれに沈黙を返した。しかしイトウは気にせずに続ける。
「わかるよ、君はこの地方の子じゃないんだね。カントーに来たのは最近だ」
 少年はイトウの言葉に驚き頷いた。それは正しい情報だった。
「うーん」と、イトウは彼らをしげしげと眺めてから続ける。
「まだこの地方に慣れていないんだね。勿論気温の差異はあるだろうけど、それだけの問題じゃないよね。これまで見えていた景色がガラッと変わるだけでも落ち着かないものだろう? でも落ち込むことはないよ、誰だってそうだ。僕や会長だって同じような立場になれば同じ様に落ち込むさ」
 さらにイトウは少年を見やって続ける。
「それにまだあまり友達がいなくて寂しいんだね。パートナーも浮かない顔をしているし、君もそれを望んではいないだろう?」
 少年はうつむいてその言葉に聞き入った。引っ越しによって友人を失った喪失感から新たな人間関係を作れないことは自分自身でも納得のできることであったが、それによってパートナーであるチェリムまでもがふさぎ込んでいるという指摘に動揺している。それに全く気づかぬほど付き合いが短いわけではないが、彼は自分のことで一杯でそれに気づかない、否、気づかぬようしていたのかもしれない。
 さらにイトウは続ける。
「大切なのはさ、君自身が笑顔になることなんだ。そうすればパートナーも多少は幸せな気持ちになれる。勿論すぐにとは言わないけど、まあ、気の持ちようさ。はじめからうつむいてたら、見えるものも見えなくなる」
 少年は何も返さなかった。そんな事は言われなくてもわかっている、だが、そのためにどうすればいいのかが分からない。いや、本当はわかっているのかもしれないが、それをするのが怖いのだ。
「いい機会だよ」と、イトウが言った。
「今日ここには仲間たちがいっぱいいるじゃないか、僕もさっき挨拶してきたけど悪い子たちではないよ。正直、僕も友達をつくるのが得意ではないけれど、もう一度友だちを作ってみようよ」
 イトウは集まってそれぞれ交流している草ポケモンとトレーナー達を指した。たしかにそれぞれが楽しそうで、よく笑っているように見える。
 少年は少しばかりじっと考えていた。そして、胸に抱えたチェリムが動き、それを止めるように一度強く抱きしめてから、パイプ椅子から立ち上がった。
 彼はイトウに一つ頭を下げると、ゆっくりと少しづつ、品評会の面々のもとに歩いていった。
 彼らもまた、少年を快く受け入れるだろう。ふさぎ込み気味であった新入りの少年をどうにかしたいと思っていたのは、会長だけではない。
「ロビィ」
 名を呼ばれ、ロビィことロビンソンがゴージャスボールから現れる。
「『にほんばれ』をよろしく」
 ロビィことロビンソンは『ダルマモード』を解除し、口から炎を吐き出しながら両手でそれをこねるように形作った。どういう理屈かはイトウにはてんでわからないが、多分念動力かなんかだろう。
 彼はこねこねとそれを球状に固め、それをフウ、と吹いた。
 するとどうだろう、その炎の塊はゆっくりと吹き上がり始めた。擬似的な太陽を作って晴れのような効果を作る『にほんばれ』、いずれ大空に吸い込まれるであろうそれは、今はまだU公園の一部を照らす。
 それに気づいたくさポケモンたちは喜んだ。得てして草ポケモンというものは晴れが好きなのだ。幸いなことに、雨を愛する草ポケモンであるルンパッパ一族はいなかった。







「うまくいったようですな」
 少しづつではあるが品評会の面々と話している少年を遠くからみやりながら、だいすきクラブ会長が嬉しげに言った。片手にはベビーカステラの袋だ。
「そりゃまあ」と、イトウは袋に手を突っ込みながら答えた。
「プロですから、一応」
「いやいや、謙遜なさるな。私達も彼のことは心配だったんですよ」
「彼?」と、イトウは首をひねった。
「メスでしょ、あの子は」
「男の子ですよ」と、今度は会長が首をひねる。
「あ、トレーナーの方ですか」
 イトウは一人で勝手に納得してベビーカステラを齧った。一つ二つと咀嚼する度に口の中の水分が持っていかれるのを感じる。
 噛み合ってないなこれは、と、ロビィことロビンソンは会長に手渡されたベビーカステラを口に放り込みながら考える。
「元々シンオウに住んでいた子なんですが、父親の仕事の関係でね。まあ、父親の仕事からすれば大出世らしいんですが」
「彼らには関係のない話ですからね」とイトウは頷く。
 彼が二つ目のカステラに手を伸ばしたとき、会長は品評会の面々と楽しげに話す少年を目を細めて眺める。
「まだまだ、緊張しているようだね」
 会長は満面の笑みで笑う子供というものをこれまで何人も見てきた。だから彼はわかる。
「そりゃそうでしょう」
 イトウはくさポケモンたちに囲まれているチェリムを眺めながら答えた。ロビィことロビンソンの作り出した『にほんばれ』はまだU公園に影響を及ぼしてはいたが、まだ彼女は蕾のままだった。それでも、先程に比べれば少しだけ開いているようにも見える。
 彼は満面の笑みで笑うチェリムをこれまで何匹も見てきた。だから彼はわかる。
「花というものは、今日明日で簡単に開くものではない。だからこそ、価値があるのでしょう?」
 もう一つベビーカステラを取ろうとしたイトウはその手を止めた。
 飽きた、猛烈に飽きたのだ。
 やっぱり、ベビーカステラには味の変化がない。
「これ、後は皆さんで分けて下さい」
 会長が抱える袋を指差しながらイトウが言う。
「美味しくなかったですか?」
「いや、飽きたんです」
 ロビィことロビンソンをボールに戻しながら、イトウが続ける。
「塩辛いソースが欲しくなりました。粉物の屋台にでも行ってきます。後はそうですね、冷たいビールも探してきますよ」
「そりゃ良いですねえ」と微笑む会長に軽く会釈しながら、イトウは彼らに背を向けた。
 ロビィことロビンソンは思う。イトウのことだ、会長の分を買ってくるという発想は微塵もないだろう。金に困っているわけでもなし、どうにかして会長の分を買うように仕向けなくては。
「ああそうだ」と、会長はイトウの背中に言った。
「人付き合いが苦手とおっしゃっていましたが。そんな事ないんじゃないですか?」
「え?」と、イトウは驚きながら振り返った。どうして突然そんな事を言われるのかわからなかった。自分は仕事をしただけだ、元気のないポケモンを奮起させただけ、説得しただけ。ポケモンしか見ていなかったのに、どうして人付き合いの話になるのだろうか。
 ただ一匹、この物語の構造を理解しているポケモン、ロビィことロビンソンが言葉を操ることができるのならばこう言うだろう。
 もうええわ、あと会長の分も買いなさいよ。

■筆者メッセージ
Twitter企画 #ポケ二次お花見会場 投稿作品
来来坊(風) ( 2020/04/04(土) 17:17 )