黙黙目次
テキトーさん家冒険録。三人目。
 テキトーさんはテキトーです。やることなすことテキトーです。
 例えばそれは、それまで全くテキトーとは真逆に、理路整然として、キッチリ生きてきた人から見れば、奇人変人。一歩通り越して不審、怪しい人物だと思われてしまうほどにテキトーです。
 一度そう思ってしまうと人間なかなか思い込みを捨て切れないもので、やれいい歳した男が独り者なのは怪しいと思ってしまったり。どうしてポツンとした家の上に家を建てたのだ、やましい事があるのでは無いかと思ってしまったり。とにかく悪い方悪い方へと考えが回ってしまいます。
 さて、そのような人が『テキトーさん家に行った子供が何時間も帰ってこなかった』なんて話を聞いたら、果たしてどう思うでしょうか。


 ガンガンと、テキトーさん家の扉が叩かれました。少し苛立ちの篭っているように聞こえる音でしたが、テキトーさんはそんな事を気にせず、扉を開きました。
「やぁやぁどうもラコールさん、ご無沙汰しています」
 テキトーさんがぺこりと頭を下げました。ドアを叩いていたのはテキトーさんが住んでいる村の村長さんでした。白髪ながらその目つきは鋭く、テキトーさんを睨んだ後に、眉間に寄った皺がヒクリと震えます。
 ラコール村長はかつてとても偉い人を警護する人たちのリーダーだった人で、とても厳格な人物です。悪戯をした子供を叱り付けるその声は隣町まで響くと子供達に噂されていました。
「ドアベルは如何したのかね。前に来たときには随分と豪勢なものがあったような気がしたのだが」
「ああ、実は友人から物を買ったんですがね、手持ちが足りなかったので、その代わりに持っていってもらったんですよ。いやね、いい買い物だったと思いますよ」
 照れているのか頬を掻くテキトーさんに、ラコール村長は「家計簿でもつけたらどうかね、その様に荒い金銭感覚だとその内家ごと無くなるぞ」とため息交じりに忠告しましたが、テキトーさんは、はぁ、と気の無い返事。
「それで、何か御用で?」
 ラコール村長は常にとても忙しそうに動き回っている人なので、きっと何か自分に用があるのだとテキトーさんが聞きました。
「回覧板が君のところで止まっているんだ」
「ああ、しまった。すっかり忘れてしまって」
「君の場合は特に酷い、だから私が注意しに来たというわけだ」
 しかしだな、とラコール村長は玄関棚に目をやりました。手紙や小包の空が錯乱しています。また一つため息。
「何だこの惨状は、物取りでももっと上手く仕事をする。兎に角だ、もし次この様な事があれば、君の家を回覧板の一番最後の家にするからな」
 ああ、そうだ。とラコール村長。
「そういえば、子供達が君の家に行ったきり夕方まで帰ってこなかった事が何度かあるらしいが、一体何をしていたんだ?」
「はっはっは、やだなあラコールさん。お茶とおやつの時間が少しばかり延びただけですよ」
 ニンマリと笑顔を作るテキトーさんをラコール村長はきっと睨みます。
「どうだかね」
「そんな怖い顔をなさらず。ところで、この後ご予定は?」
「特に」
 テキトーさんはパッと手を叩いて。
「それなら、今から私とお茶とおやつでもどうです? ああ、おやつは昨日で全部食べきってしまったんだった。お茶だけで、どうです?」
 ラコール村長はその提案に、少し考えましたが。「ええ、いいでしょう」と、テキトーさんの見えないところでこぶしをぐっと握って答えました。


 相も変わらず、テキトーさんの家はガラクタがいたるところに置かれていました。
 ラコール村長はそれらを代わる代わる眺めていました。
「これは極東の民芸品だ、かといってこれは西の物だし。話に聞いていたとおり、凄い数だが、種類の多さも凄いな」
「大半が思い出の品で、価値なんて殆どありませんよ、多分」
 キッチンでは人に近い薄緑入りのポケモンが、紅茶を入れている最中でした。サーナイトと言うそのポケモンはラコール村長もあまり見たことがない種類のポケモンで、ついつい目をやりがちになってしまいました。
 椅子に座る様に促されたラコール村長は注意深く回りを確認しながら席に着くと、机の上においてある楽器とボロボロの楽譜が目に入りました。
「これは?」
 テキトーさんは、待ってましたといわんばかりに、楽譜をラコール村長の方に向けます。
「そうそうこれこれ、何でも精霊の歌声を正確にコピーした物らしく、いやー、こういうものを持って来る友人も凄いが、それを譲ってくれると言うものだから、件のあの鐘を手放したというわけですよ」
 そんなもの、ある訳ない、とラコール村長は心の中でせせら笑いました。
「その楽器は? 見た事がない種類だが」
 テキトーさんがたった今膝に乗せた楽器は、とても不思議な形状をしていました、小さなピアノと布の蛇腹がくっ付けられています。
「これもまた値打ち物でねえ、この蛇腹で空気を送り、この鍵盤がそれを音にするらしいんですよ」
 では一曲、と楽器の肩紐を肩にしかけたテキトーさんを、いや結構結構とラコール村長が止めます。
「音楽には疎くてね」
「ええ、私も似たようなものです。さあ、紅茶が出来たようですよ」
 サーナイトがカップを三つ机に置きます。甘い香りにすぐ手が伸びそうになりましたが、ラコール村長はぐっと堪え、テキトーさんが口をつけたのを確認してから、カップを手に取りました。
 紅茶が喉を潤して、その香りが鼻を抜けた時、ラコール村長はついつい感心の声を上げてしまいました。それはかつて偉い人とともに飲んだ紅茶の味によく似ており、それでいて堅苦しさのないような気がしました。
「いい味でしょう」
 テキトーさんが自慢げにサーナイトを差して「最も、僕は入れ方なんて分からない、彼女にしかいれられないんです」
「ポケモンを給仕に?」
「ええ、意外かも知れないですけれど、私は結構がさつな方なんでね」
 呆れる隙を与えず、テキトーさんは続けます。
「所で、村長殿はバクオングと言うポケモンをご存知で?」
「名前だけなら」
 テキトーさんは慌しく傍にあった分厚い本を手に取り、パラパラと手際よくページをめくりました。
「ほらほら、このポケモンなんですがね」
 差し出されたページには、パイプオルガンのように沢山の管をつけたポケモンが、その大口をいっぱいに開いている写真がありました。
「このポケモンが如何したのです」
 いやね、とテキトーさんはクスクスと笑います。
「あなたの一喝と、どちらの声が大きいか子供達と話したことがあってね、フフ、告げ口になってしまうから誰と話したかはいえませんがね」
「随分と、子供達をたらし込んでいるようですなあ」
 ラコール村長はそう言って机の上で指を組みました。
「一体、何が目的で?」
「一人でおやつを食べるのもいいものですがね、時たまには二人とか、三人とか、二十二人とかで食べてみたい時もあるだけですよ」
 へぇ、とラコール村長は気のない返事。
「あれ、もしかして疑ってます?」
 少しばかり沈黙。
「何十年とこの村に住んでいる家族の家に行くのよりかは、ね。君はこの村に来て日も浅いし、独り者だ。それに、この村の誰も君の素性を知らない」
「それはつまり、私が前科者であると」
「そうだと言っている訳ではない、あくまで私個人が、そうでは無いかと少しだけ気にかけているだけだよ」
 ラコール村長は紅茶を飲みほし、席を立とうとしましたが、テキトーさんの一声が、それを止めました。
「それは、おもしろい」
 明るく、大きなその一声にラコール村長は驚いて中腰のまま固まりますが、テキトーさんが「ああ、いや、どうぞどうぞ、遠慮せず」と強引に座らせました。
「疑いは想像の種ですよ、謎から生まれる疑いから生まれる想像は時として真実から離れていくかもしれないが、案外真実よりも面白かったりしますからね」
 テキトーさんはサーナイトに「アレをよろしく」と一つ頼みました。サーナイトは気だるそうにカップ片手に持ったままもう片方の手を振り上げると、すぐ傍の棚からペンにインク入れ、雑用紙の束がふわりとテキトーさんの前まで移動しました。
「腕を上げたね」
 さて、とテキトーさんは手際よくペン先をインクに漬けて、さらリさらりと雑用紙にためし書き。
「村長殿は私が一体どんな前科をお持ちになっているとお思いで? いや、そもそも私は捕まっていないのかも、一体誰が私を追っているんです? 探偵? 勇者? それとも若き国際警察官かな?」
 ラコール村長は頭を抱えてしまいました。



 ☆



 笛とも違えば、エレクトーンとも違うその音は、耳にしたポケモンたちを戸惑わせていました。
 小さなピアノと蛇腹を組み合わせたその楽器を胸に構えたその男は、ニッコリと笑って言いました。
「さあさあお立会い、とっても楽しい、お仕事の時間だ」


『一喝』


 その小さな村で一番真面目な男、ラインハルト爺さんは頭を抱えていました。
 その村は平和でほのぼのとした村でしたが、近頃日が落ちるとフワンテの群れがどこからとも無く現れて、村中を徘徊する様になっていたからです。そのポケモンが子供を何処か遠くへ連れ去ってしまう事を長年の経験から知っていたラインハルト爺さんは、始めは自分でそれらのポケモンを追っ払おうと考えていましたが、相棒であるバクオングの攻撃は、フワンテには効果がありませんでした。
「こら! こんな時間まで外で遊ぶんじゃない!」
 空に赤みがついて来てもまだ外で遊んでいる子供達叱責して回るのが、ラインハルト爺さんの最近の日課でした。他の大人達だってそれをしないといけない事はわかっていましたが、子供達に嫌われるのが怖くてなかなかそれを出来ないで居ました。
「ちぇー」と子供達はラインハルト爺さんから目を反らして、散り散りに家に帰っていきます。子供達はラインハルト爺さんの事を好きではありませんでしたが、彼はそれでも良いのだと思っていました。
 太陽が山に吸い込まれ、夜が訪れると、ラインハルト爺さんは村の中心に居座って、フワンテが子供をさらって行きやしないかと、彼らが村から去る夜明け頃までバクオングと共にずっと監視していました。


 ある日、たくさんのフワンテが山へと帰っていくのを見届けているラインハルト爺さんの耳に、なにやら不思議な音楽が入ってきました。
 何かと思い、その音を追って村の入り口まで言ってみると、小さなピアノと布の蛇腹を組み合わせた妙な楽器を胸の前で奏でている妙な男がおりました、その横には人に近い薄緑入りのポケモン、それがサーナイトと言うこの地方では珍しいポケモンである事をラインハルト爺さんは知っていました。
 その男は演奏する手を止めて、ただでさえ笑っている顔を更にニッコリとさせました。
「いやはや良かった、起きている人が居るとは、いやね、僕もまさかこんなに早く目的地に着くとは思ってなかったんでね」
 ラインハルト爺さんはいぶかしげに彼を見て「旅人かい?」と聞きました、その村は特にこれといって物がないので、旅人が訪れると言う事は非常に珍しい事だったのです。
「まあ、まあ、本職はまあ大道芸人ですがね、このご時勢ですからね。まあ、まあ、やってる事は旅人と似たようなもんでね、ご要望とあらばこれまでに行った事のある不思議な地方の話でもしますがね」
「名前は?」
「ああ、まあ、大道芸人ですからね、ダイドーと言います」
 そんな様子の男にラインハルト爺さんは一つため息をつくと、村長を起こす為に、一旦その場を後にしました。


 太陽が丁度空の真上に差し掛かった頃、ラインハルト爺さんは目を覚ましました。ラインハルト爺さんはお爺さんだったので、それほど長い時間寝なくても良いのでした。
 未だに寝床で寝息を立てている相棒のバクオングを起こしてしまわないように、出来るだけ静かに身支度を整えたラインハルト爺さんは、外から聞こえてくるあの不思議な音楽を耳にして、外に出ました。
 その音楽は村の中心から響いており、彼がそこに向かうと、あのピアノと蛇腹を組み合わせた楽器を演奏しているダイドーの周りに、村の子供達が群がっていました。
 ダイドーはポケットから小さな糸目の人形を取り出して、それを掲げました。
「それじゃお次はこの人形のお話だ、この人形はここから遥か東の村で手に入れたものだ。その村はとても面白くて、なんと家や服、村人の肌の色までが全て金ピカ、それに目をつけた他の村がその村を襲おうとした時の話を一つ」
 そして再び蛇腹の楽器を演奏し始めると、ダイドーの横に居たサーナイトがそれに合わせて踊り始めました。音楽と踊りで見る人を魅了する大道芸がある事をラインハルト爺さんは知っていましたが、踊り手がポケモンだったのは初めてでした。


 ダイドーと相棒のサーナイトは確かに腕のある大道芸人でした。様々なお話と曲調の違う音楽で、子供達はすっかり時間が経つのを忘れていました。日差しが赤色に染まり、太陽が地平線に飲み込まれようとしているのに最初に気付いたのは、やはりラインハルト爺さんでした。
「さあ、もう夜が来る、皆早く家に戻りなさい」
 えー、と、子供達は一斉に不満の声を上げました。「まだ聞きたいよ」
「大丈夫、大丈夫、また明日もやってあげるからね。まあ、まあ、今日のところは家に帰りなさいな、夜は家で寝るものだからね」
 ダイドーはニッコリと笑って子供達を諭しました。子供達は今度は素直にその場から散りました。
「憎まれ役になるのも、大変ですねえ」
 残ったラインハルト爺さんにダイドーは笑いかけました。それまでの彼とは違った少し鋭い目線に、爺さんは少し身構えました。
「誰かがやらねばならない役目さ、夜が来て、後悔してからでは遅い」
「なにか、理由でも?」
「ここ最近、夜になるとフワンテの群れが来るようになってな、奴らは子供を攫うから危険なんだ」
「ああ、なるほど、なるほど、ポケモンが子供を攫ってしまう事件は僕もいくつか知ってますよ、それではとある振り子のポケモンについて一つ」
 そう言って蛇腹の楽器に手をかけたダイドーは、目の前にラインハルト爺さんしかいない事をようやく思い出したのか、そうか、そうかと呟くと、それから手を離しました。
「その、フワンテの群れとか言うのは、一体どのくらいの規模で?」
「十数匹ほどだ、これ以上増えると、わし一人では監視できなくなる」
 ダイドーは大げさに右手を頭にやって「それはいけませんねえ、夜は家で寝るものだ。そうだ、もしよろしければ僕が力になりますよ」
「と、言うと?」
「僕の相棒のサーナイトは不思議な力を操るポケモンでね。まあ、まあ、要するに、僕の演奏をサーナイトが不思議な力でポケモンに伝える事で、ポケモンを寄り付かなくさせる事ができるんですよ。まあ、まあ、職業上、深い森に入らなければならない事もあるので身につけた技術なんですがね」
「ありがたい話だが、そんな大層な事をしてもらっても、この村には大した物があるわけでもないから、礼をすることが出来ない」
 あっはっは、とダイドーは声高らかに笑いました。そして大げさに手を振って「高々一曲歌うだけなのに、お礼なんているもんですか。それに僕は既に村長さんから食料とお金を頂いている、それだけで十分なんですよ」
 それともう一つ、とダイドーは人差し指を立てました。
「この村に大した物がないなんて、謙遜でも言っちゃあいけません。この村には元気で素直な子供達がいるじゃありませんか、それだけで十分ですよ」


 日が落ちて、すっかりと暗くなった頃、村の中心にはバクオングを連れたラインハルト爺さんと、サーナイトを連れたダイドー、そして、その村の村長がが並んで立っていました。
「来た、あいつらだ」
 ラインハルト爺さんが指差した先では、無数の小さな点が段々と近づき、その姿形が風船ポケモンのフワンテだと分かる位になりつつありました。分かりやすく動揺する村長を、ダイドーは一つなだめました。
「では、では、まあ、やってみましょうか」
 蛇腹の楽器を首にかけなおしたダイドーは、サーナイトと合わせる様にトントンとそれを叩きました。サーナイトが頷き承諾したのを確認すると、彼は演奏を始めました。
 その曲は、これまでにも増して妙で不思議な曲でした。始めはゆっくりかと思えばその次の瞬間には速いテンポになっていて、そう思った頃には大きなポケモンのうめき声の様に低くなり、気付けば高い音になっていました。
 サーナイトの両腕は紫色に光り、ダイドーの音楽に合わせて揺ら揺らと何かをかたどるように動いています。
 バクオングは、それを不思議そうに眺めていました。
 本当にこんな事であいつらが逃げていくのだろうかと、ラインハルト爺さんは半信半疑でした。しかし、その効果はすぐに現れました。
 もうすぐそこにまで迫っていたフワンテの群れが、ダイドーの音楽を聞くや否や、すぐに村から離れ、その姿は小さく、小さくなって、山へと消えていったのです。
「すごい、すごい、素晴らしい!」
 夜も夜、真夜中だというのに、村長は大声で喜びました。ラインハルト爺さんは、自分より若い村長に、ふうとため息をつきます。
「いや、いや、うまくいってよかった」
「いやはや、貴方は素晴らしい! 一体どこでその素晴らしい音楽を?」
「ここから遥か西に行くとですね、精霊達に守られた砂の王国があるんですがね、その精霊達の歌を記録した物をちょっと真似ただけですよ」
 得意げなダイドーに、「音楽をやめたら、また来るんじゃないのかね」とラインハルト爺さん。
「いや、いや、大丈夫、大丈夫、砂の国の精霊はね、その国の人間以外からはとても恐れられている存在でね、この音楽を聴くや否やすぐに退散して、二度とその土地には現れんのですわ、いやね、似たような事を他の土地でもやってきましたがね、もう一回現れるってのは無かったですよ」
 素晴らしい、素晴らしい、と興奮気味の村長に、ダイドーは「まあ、まあ、今夜はもうベッドに入って寝てしまいましょう、夜はね、家で寝るもんですよ、それはもうぐっすりと、泥の様にね、そうして朝日と共に目が覚める、素晴らしいじゃありませんか」
 村の中心に背を向けたダイドーは、まだそこから動く気配の無いラインハルト爺さんに気付くと、振り返って「どうしました? 今日はもうゴーストは現れませんよ」と問いました。
「わしはもう少しここに残るさ、もう随分と習慣だったんだ、今更すぐには寝れないさ。バクオングもそうだろう」
 ダイドーは眉をひそめ、へぇ、とため息にも似た相槌。
「まあ、そんな習慣はすぐに改めるべきですわな、まあ、明日の夜にはきっと、ぐっすりと眠れるようになってまさあ」
 結局、その夜は、何も起りませんでした。


 次の日、太陽がてっぺんに上り詰めた頃。眠っていたラインハルト爺さんは、とても大きな音楽に、目を覚ました。
 何事かと家を飛び出すと、楽しそうに群がる子供達を引き連れて、ダイドーが蛇腹の楽器を演奏しながら、歩いていました。その横にピッタリと付いたサーナイトは、体全身を光らせており、どうやら蛇腹の楽器の音を大きくしているのは、そのサーナイトのようでした。
「一体、何の騒ぎだ?」
「やぁ、やぁ、ラインハルトさん。実はね、僕は明日の朝この村を出る事になりましてね、最後に僕の音楽を村の人みんなに聞いてもらいたくてね」
「限度と言う物があるだろう」
「村長さんに許可は頂いたんですがねえ、それにまあ、昼間だけだからガマンしてくださいな。より多くの人に音楽を聴いてもらうのが、僕の商売でしてね、それに、子供達にも喜んでもらってまさあ」
 群がる子供の一人を、ダイドーは優しくなでました。
「子供が喜ぶの、嫌いじゃないでしょう?」
 ニヤリと、ラインハルト爺さんを睨みます。子供達も、ラインハルト爺さんを睨んでいるように見えました。
 何かを誤魔化す為に、目を擦ったラインハルト爺さんに「昼間は起きておけば良い、そして夜、気持ちよく眠るもんですよ」と、ダイドーはハハハと笑って、ラインハルト爺さんを横切りました。
 日が沈むまで、村中にダイドーの音楽が響き渡っていました。


 その夜、昼間寝る事ができなかったラインハルト爺さんは、さすがにグッスリと布団に身を預けていました。
 そうすると、今度は、何かが胸にのしかかる感覚、何度か寝返りを打ちましたが、それでもそれが無くなる事は無かったので、ついにラインハルト爺さんは目を開けました。
 胸の上で、バクオングが体を揺さぶっていました。一瞬、眠りを邪魔された事に怒りがわきましたが、相棒が、そんな事をするときは、大抵とんでもない事が起こっている時であった事を思い出したラインハルト爺さんは体を起こしました、転げ落ちるように、バクオングがベッドから降ります。そういえば、フワンテの群れに一番早く気付いたのもバクオングだったのです。
「一体何が」そこまで言いかけて、再び混濁しかけた意識を、爺さんは精神力で引き戻しました。確かに一日近く寝ていない事になりますが、これはおかしいと、身震いしました。
 一つ深呼吸をして、揺れる意識を少しだけただすと、ラインハルト爺さんの耳に、昼間散々聞いた、あの音楽が入ってきました。
「昼だけと言っていた筈だが」
 月明かりを頼りに、窓から外を見ると、遠くからでも分かる長蛇の列がありました。目を擦ってそれを睨みつけると、それは子供達の列、先頭にはダイドーと、紫色の光から、サーナイトがいることが分かります。
「なんだ? なんだ?」
 再び意識を引き戻す為に、頭を振ったラインハルト爺さんは、傍らのバクオングの頭を撫でて、ふらつく足を何とか踏ん張って、外に出ました。


「こら、こんな時間に外に出ちゃダメじゃないか」
 その声に、何時もの元気はありません、爺さんは歩くだけでも精一杯なのです。
 何時もはその声に、えー、と言いながらも素直に言う事を聞く子供達も、爺さんの声に反応すらしませんでした。これはおかしい、爺さんは子供達に声をかける事を諦め、先頭のダイドーとサーナイトに向かって、「おい」と弱弱しく怒鳴りました。
 月明かりを背に、ダイドーはゆっくりと振り返りました。傍らのサーナイトの紫の光が、彼の顔を照らしました。ダイドーは、信じられないほどニヤリと笑っていました。
「夜は寝るもんだと、言ったんだがなあ」
 ダイドーは蛇腹の楽器を操る手を早めました。そうすると、再び爺さんの意識が混沌に引き込まれます。爺さんは両の手で太ももを抓って、それに耐えました。
「一体、何を、している、子供、達に、なにを」
「何にもしちゃいないさぁ、今は眠ってるだけだよ、今はね」
 機嫌よく高音を二つほど刻んで「大体の仕掛けは、昼間の内さ」
「昼、間?」
「俺達の芸の最骨頂でね、俺様が音楽を演奏して、相棒がそれを催眠術とする。村中の人間はその日の夜はそれはもうぐっすり、並大抵の事じゃ目を覚まさないね、はてさて、なーんで爺さんは起きてるのかって話なんだけど」
 ダイドーはラインハルト爺さんを守るように身構えているバクオングを睨みました。
「ははぁ、なるほど、ぼうおん、だな」
 チッと舌打ち「まあ、いいさ、別にこいつらに何が出来るわけでもない」
 低音から高音へ、音を確認するように指を動かすと「しかしあんたもしぶといね、普通ならもう突っ伏してるよ」
「子供、達、を、自由、に」
「ノンノンノン、それは無理なお願いだねえ。なんといっても俺達の仕事に関わる」
 嫌味に首を振ったダイドーは、ああ、そうかと見下したように笑います。
「もう眠くて眠くて、頭回んないよな、そうだそうだ、それは俺が悪い、それは俺の責任だ、ハッハ。そんなら、俺達の仕事についてのヒントをば。ヒントといってもほぼ回答だけんども、さて、全ての村人が寝静まった夜、俺達名コンビは、果たして何をするでしょうか、どうせ頭回んないだろうから答えまで、正解は、各々の家にある高価な物とか、価値のありそうな物を、永遠に借りる、でした」
 ダイドーと、サーナイトの高笑い。ラインハルト爺さんは、唇を噛みました。
「子、供は、関、係」
「バーカ、バーカバーカ、クソバーカ、関係大有りだよバーカめ」
 低音を力強く指で弾いて「この村湿気すぎ、なーんも無い、まじでなーんもない、盗むもんもないとかマジですげーよ、と言う訳でだね、この村の素直で元気な子供達、全部で手を打とうって訳。子供は良いぜー、男の子女の子、綺麗な子醜い子、力強い子素直な子、頭の良い子良くない子、それぞれがそれぞれ必要とされて、絶対に売れる。例えばこの子は体が大きいから炭鉱に売れる、この子は体が軽そうですばしっこそうだからサーカスに売れる、この子は特別飛びっきりに可愛いから……ムッフッフッ」
 ダイドーは酷く下品に笑って、妖艶な音楽を奏でました「まあ、最も、一番必要とされてるところには二度と帰れないがね」
 ラインハルト爺さんは怒りにはらわた煮えくり返っていました、しかし、ダイドーがその曲調を強めると怒りより睡魔が強くなります。
 堪えきれなくなって、一歩サーナイトの方に踏み出したバクオングの足元に、サーナイトはエネルギーの球を打ち付けました。
「勇敢なのはいいことだけど、やめといたほうが良いぜぇ。俺の相棒結構強いからね。それに、フッフッフ、子供がどうなっても良いのかあ? ってかあ、まーるで悪役みたい」
 ラインハルト爺さんは搾り出すように「今、なら、見、逃す」
「ああ、見逃す? まるでこの状況を打破できるように聞こえるんだけども。判断能力鈍りすぎだろ」
「フワン、テの、恩が、ある」
 高音を短く弾いて、ダイドーは首を傾げました。そうしてもう一つピロリンと高音を引いて「ああ、フワンテの事か、あーそうかー、勘違いしちゃってるかー、いやー、年老いたおじいさんを騙すみたいで心苦しいから、正直に言っちゃおうかなー。俺が精霊の歌とか何とか言って披露したあの音楽、ウッフッフ、実はあれは『ポケモンを寄せ付けない音楽』じゃなくて『ポケモンを誘導する音楽』なんだなこれが。今頃また別の村に向かってるんだろうねえ、ウッフッフ」
 あまりもの怒りに、ラインハルト爺さんの頭は、少しだけハッキリしました。
「そうか、全て、狂、言か」
 ピロリンと高音。
「大正解、その通り」
「そうか、そう、だったのか」
「そうさ、そう、だったのさ」
 爺さんは膝に手をついて、ガシガシと足場を踏み込むと「なら、遠慮はいらんな」と力強く言いました。
「『さわぐ』だ」
 バクオングが大きく息を吸い込みます、サーナイトは素早くバクオングに向かってエネルギーの球を打ち込もうとしましたが、催眠術に集中力を多く使っていたのか、それは間に合いませんでした。
 それは爆発音にも似ていました、村中に響き渡るバクオングの声。
 ダイドーは蛇腹の楽器から両手を離し耳を塞いでいました、何かパクパクと開いていますが、なにやら悪態をついているのでしょうが、バクオングの声が大きすぎて、その声は誰にも届きませんでした。
 バクオングの『さわぐ』がようやく終わり、「このクソジジイが!」とダイドーが叫び、サーナイトがその両手をラインハルト爺さんとバクオングに向けたとき、何かが、ざわめき始めました。
 それは、ダイドーが連れていた、子供達の泣き声でした。ダイドーは慌てて蛇腹の楽器を演奏しますが、子供達の泣き声はやみません。
「クソが! 催眠が解けてやがる!」
「観念するんだな、村の人間の催眠も解けてる」
 さわぐによってすっかり催眠が解けたラインハルト爺さんは、ハッキリとダイドーを威圧しました。その言葉通り、真夜中の子供の泣き声に何事かと、村人が集まり始め、ダイドーを取り囲みます。
「あーあ、めんどくせ」
 深くため息。
「だーから子供って嫌いなんだよ、あーあ、めんどくせ」
「さあ、観念してもらおうか」
「やだね、やーだね、俺達だって数こなしてるんだ、こんな事想定済みよ、俺と相棒、二人だけが逃げるのなんてわけないってわけよ」
 ダイドーはまるで踊りのペアのようにサーナイトの手を取ると、大げさに彼女を腕に抱えた。
「それじゃ、サラバだ、ってか」
 状況を察した村人が、ダイドーに掴みかかるその寸前、サーナイトの体がピカッと発光、あまりの眩しさにその場の全員が一瞬目を瞑り、再び目を開けると、そこには誰もいませんでした。
 しかし、よく目を凝らせば、遥か向こうに、バタバタと慌てふためいて、駆けている一人と一匹。
「追わなくても良い」
 血気盛んな何人かの村人がそれを追おうとしたのを、ラインハルト爺さんは咎めました。
「子供達が無事なら、それで良いじゃないか」
 爺さんは、泣いている子供達一人一人を、優しく落ち着かせました。
「さあ、もう大丈夫だ。みんな家に帰りなさい」


 完



 ☆



「いやはや大胆、まさか村ごと催眠にかけるとは」
 ふん、とラコール村長は鼻を鳴らしました。気付けばテキトーさんのペースになっていて、何時間もテキトーさん家に居座っていました。
「いやしかしね、ラコール村長のこの予想は、残念ながら全く筋違い、いや、物語としては良い線行ってますがね」
「どうだか」
「だって、だって、ね、ね、僕はほら、ほら、この人みたいに変な喋り方じゃないもの」
 登場人物の口調を真似たテキトーさんに、ラコール村長は思わずニヤリと笑ってしまいました。そして、すぐに表情を強張らせて「それじゃあ、失礼するよ、回覧板は持って帰らせていただくよ」
「ああ、それなら、一曲どうです? 今日は特別にサービスですよ」
 テキトーさんは友人から買ったというボロボロ楽譜を面前に広げ、楽器の肩紐を調整しました。そして、先程まで文字を書いていたペンを横向きに持って、楽器の鍵盤にカリカリと擦りつけ始めました。
 ラコール村長は意味が分からなくなって「一体何を?」と問います。
「え? 演奏してるんですけど」
 おいおい本当かよ、とラコール村長は頭を抱えます。
「いや、見たところ、その楽器はその蛇腹で空気を鍵盤に送り込みながら鍵盤を押す――」
「ん? 左手は蛇腹を持たなければならないし、右手は棒を持たなければならない、一体どうやって鍵盤を押すのです?」
 ラコール村長は呆れるあまり、ついに声を出して笑ってしまいました。


 ラコール村長が回覧板片手にテキトーさん家を去った後、「こういったものは形から入らないとダメなんだ」と、気取った眼鏡を鼻にかけ、整髪剤で髪の毛をオールバックにガチガチに固めたテキトーさんは、不慣れに足を組んで、机に頬杖。
 その正面には、婦人用の礼服を来たサーナイト、肩から提げた小さなピアノと布の蛇腹は、大雑把に磨かれたのでしょう、大雑把に光っていました。折角時間をかけて選んだ蝶ネクタイは、楽器の陰に隠れていました。
 テキトーさんに向かってぺこりとお辞儀したサーナイトは、ボロボロの譜面台を恐る恐る調整し、同じくボロボロの楽譜を恐る恐る指でなぞりました。
 蛇腹で空気を送り込んで、ピアノの鍵盤の真ん中よりちょっと下を押せば、何とも気の抜けた音が響きます。二度、三度それを繰り返して、ようやく楽器らしい音が響き、テキトーさんはしたりげに「うむ」と唸り、その後に小声で「そうやって弾くのか」と続けます。
 カンカンカンカン、どこからか取り出した細長い棒で、何処か遠慮げに譜面台を叩いたサーナイトは、もう一度ぺこりとお辞儀をして、背筋をピンと伸ばします。
 テキトーさんは目を瞑り、ゆっくりと顎をさすりました。
 たどたどしく演奏されるその曲は、とてもとても懐かしい曲でした。そう、それは誰だって子供の頃に皆で歌った、そう、それは、夜空の星を歌った曲でした。
 ゆっくりと目を開いたテキトーさんは、感慨深そうにもう一つ顎をさすって、しみじみと、困ったように、笑って。
「まいった、だまされた」
 演奏を終えたサーナイトは、どこと無く満足げでした。

来来坊(風) ( 2014/02/12(水) 21:48 )