第五話
「おやおや、これはこれは、シンオウで活動しているという話はお聞きしましたがまさかお会いすることができるとは、いやはや、長生きというものはしてみるものです」
デンジを倒したトレーナーがこの民宿にいるとジムトレーナーから聞き、俺はそこに向かっていた。
チマリに嘘をついたのは、なぜだろうか、ただなんとなくだ。
ただなんとなく、何か彼女に感づかれてはいけない何かがある様な気がした。
出迎えてくれたのはロバートと名乗る年老いた紳士だった、センスのいい海外製のスーツに身を包み、髪と髭はだいぶ白が強くなっている。髪が潰れているのは普段ハットをかぶっているからだろう。
「いえ、俺の事を知っていただいているようで光栄です」
「はっはっは、少し前までジョウトにいたものでね、君の事を知らない方が異常だよ。最も、もう少しすればここシンオウにも君の名前が響き渡るのでしょうな、残念です、旅行中でなければそれを目の当たりにできたのに」
「おそらく俺なんかより貴方の名前が有名になる、明日はシンオウ中であなたの名前が聞けるでしょう。なんてったってあなたは、シンオウ最強のジムリーダーデンジに勝ったんですから」
ロバートはその歳相応にニコリと口端を上げると、「立ち話もなんですね」とロビーのソファーに俺を座らせ、向かい側にテーブルをはさんで座る。
座っておいてなんだが長居するつもりはない、話の核心を突くことにする。
「デンジは、強かったですか?」
バトルの話になるとロバートの目がギラリと光ったような錯覚に至った、うん、この人は強い。間違いなく。
「私はトレーナーになって六十年になりますが、間違いなく一番強かった、今日の戦いも接戦、一応の対策はしたはずなのですがね」
「これを聞くのはマナー違反の様な気がしますが、穴はありましたか?」
別に聞くこと自体は何の問題もない、むしろ情報のアドバンテージを取ることはバトルは絶対的に必要不可欠な事だ、特にジムリーダーとなるとバトルにおけるプライバシーは無いに等しい。戦法、使用するポケモン、癖、それらすべてを公衆の面前に晒すも同然、特に強豪のジムリーダーになるとそれは顕著だ、一般人が超人との溝を埋めようとすれば、ただの情報であっても金剛石並に重要だ。
だが他人から聞くのには抵抗がある、引け目と言うよりも嫉妬に近い何かだ。俺が知らない事を、相手は知っている、この事実が悔しくて悔しくてたまらない。
「それをマナー違反だと思うことが君らしい。
本当に小さなものですが穴はありました、そしておそらくそれは今後埋めようのないものです」
「なるほど、気になりますね」
「才を持ってしまったがための『ズレ』です。才とは例えるなら切れすぎる刃だ、一見太刀打ちできそうにないが一度でも刃こぼれすると脆い」
なるほどね、確かに筋は通ってる、そしておそらくこの人ならその『ズレ』に漬け込むことも可能だろう。
だが、引っ掛かるのだ、はたしてそれだけであのデンジが敗れるだろうか。
デンジは昨日確かに言った『俺は強すぎるのではないだろうか?』と。
恐らく慢心ではない、確信に満ちた一言だった。そりゃそうだ、二三度勝っただけの少年が粋がるのとはわけが違う。八年間もの間、戦術も、使用するポケモンも、癖も、大衆の間に晒し続け、シンオウの猛者の挑戦を受け続け、それでもなお無敗だった男なのだ。
何かがある筈だ、とんでもない油断、もしくはこのロバートという男がとんでもなく強いか。
「ありがとうございました、とても参考になりましたよ」
礼を良い、ソファーからたち上がる、それをロバートが声でさえぎった。
「本当にそれだけですかな?」
少しだけ、鼓動が早くなる。
「他に何があると言うのですか?」
ロバートの目がギラリと光る。
「老いぼれの勘違いですかな? 私はてっきりこっちの方かと思いましたよ。それとも、バッチを六つしか持っていなければたとえデンジを倒した男であっても興味がありませんかな? 実績では劣っていても六十年の歴史には少々の自信があります」
ロバートは背広を少しまくり腰のボールをチラつかせる、その気がないわけではない、バトルをやらなくなってちょうど三カ月だ、そろそろ始めてもいいころだとは思う。
それに、ロバートのプライドの問題もある、これは引くに引けない。目があったらバトルの合図、俺達の根底にはこの掟があるのだ。
「良いですよ」
ロバートは歳に似合わぬ満面の笑みを見せた。
「君ならそう言ってくれると信じていましたよ、この旅館の裏にちょうどいいスペースがある、一日にナギサのデンジとルネのキリト両方と戦える、なかなか巡り合わせられる事ではない」
ロバートは立ち上がると足早に俺をエスコートする、見た目は落ち着いた紳士だがその中身は若者の様にぎらついている。
俺は腰の一番先頭のボールと二番目のボールを入れ替えた、まだこいつを出すわけにはいかない。もしデンジと闘うことになればこいつはとっておきとなる。
「ん」
窓から差し込んでくる日差しが眩しくて、チマリは目覚めた。
どれほど眠っていたのだろう、ポケッチの時計機能を起動して確認するとキリトが仮眠室をを出て行ってから大体三十分ほどだった。
「寝ちゃったのか」
ホットミルクを飲んだ後に疲れを感じ、横になったとたんに眠ってしまった、別にキリトの指示に従った訳ではない、疲れたから横になっただけだとチマリは自分に言い聞かせる
自らを落ち着かせるために海岸へと向かったが、天気のいい日にはキリトがいることをすっかり忘れていた。気が動転していたのだろう。
机の上を見るとキリトのコップが置いてあった。中身は無い、あまりに美味しかったから、あっという間に飲み干してしまった。
目をこする、意識がはっきりしてくると先ほどまでの自分の行動が思い出されて急に恥ずかしくなってきた。
泣いたのなんて、いつ以来だろう、あぁそうだ、何年か前に、デンジさんが負けて以来だ。と自らの過去を顧みる。
泣いた事を思い出すと、キリトに力いっぱい抱きしめられた事も思い出した。急に顔が熱くなる、弱みを見せてしまったからなのだろうか、それとも。
「あーあ、馬鹿馬鹿しい」
背伸びをし、そのまま真後ろに体を倒す、すると背中の方に異物の感覚があった。
体を起こして見るとキリトが来ていたジャケットが投げっぱなしになっていた。どうして男というのはこうにもだらしのない生物なのだろうかとチマリは思い、椅子に掛けようとジャケットを引き寄せる。
「あれ?」
ジャケットの下には本があった。それもつい最近見た本、『ポケモン進化に対するレポート百選』だった。相変わらずチマリにとってつまらなさそうな題名だ。
「ん?」
チマリはキリトが仮眠室を出て行くときになんと言っていたか思い出し、矛盾に首をかしげた。