第四話
俺とチマリはとりあえずポケモンセンターへ向かった。センターの仮眠室――今ここを使っているのは俺だけだ――のベッドにチマリを座らせ、俺は何か温かいものを作ってやることにする。甘くて温かい物の素晴らしいところは飲めば落ち着くところだ。
「そこで待ってな、美味いもん作ってやっから」
チマリは何とか落ち着きを取り戻しつつあった、だがほとんど喋らず、うつむいたまま。
鞄から小さなガスコンロを取り出し、火を付ける、チタン製のコップにモーモーミルクと気持ちばかりの砂糖を入れる。後はかき混ぜて火にかけとけばいい。
温まるまでの少し時間がある、俺はチマリの横に腰掛け、話しかけた。
「まぁその、なんだ、デンジさんもトレーナーな訳だしな、いつかは、なぁ」
チマリはさらにうなだれた、俺はなんて馬鹿なんだと後悔する、彼女にとってデンジとはただのトレーナーでは無くさらに上の存在だった。
ふと、俺は彼女が昔の自分と似ていることに気が付いた。彼女の精神状況はかつて俺が経験していたもののような気がした、俺の事を話せば、彼女はある程度落ち着くかもしれないし、この状況を打破できる何かが見つかるのではないかと思った。
「俺にも似たような経験がある。そうだ、俺の話をしてやろう」
「キリトの?」
チマリが少しだけ顔をこちらに向ける。まぁ、関心はあるのだろう。
「そうだ、俺の師匠もデンジさんと同じジムリーダーだった、ホウエンのな」
へぇ、と小さく相槌を打つ。
「すげぇ強かったし、すげぇかっこよかった、しかもすげんだ、ホウエン地方のポケモンチャンプにもなったんだぜ」
チマリが少し考えて、俺に質問する。
「ならなぜ、キリトはここにいるの? そんなに素晴らしい師匠ならその人に付いて学べばいいのに」
確かにな、と思う。確かにあの事が無ければ俺は今でも師匠の元で鍛錬をしていたかもしれない。
「ちょうど俺がお前くらいの頃だから十年前くらいかな、すげぇおっかねぇポケモンが二体も俺が住んでる町で暴れ始めたんだ、グラードンとカイオーガとか言う天候を操ると言われてた伝説のポケモンだ、俺達はどうしようもなくてみんなで一か所に固まってぶるぶる震えてたんだ、当時のジムリーダー、師匠の師匠なんだけどな、その人も何とか食い止めようとしてたが駄目だった」
ホットミルクが煮えこぼれる音が聞こえた、コンロの火を落とし、自然に冷めるのを待つ。
チマリはその間もずっと俺を見ていた、ミルクが目当てなわけではないだろう。
「それで、どうなったの?」
「師匠がやって来た。これで何とかなるんだって俺と町の皆は思った、なんてったってホウエンで一番ポケモンバトルが強い人なんだ、負けるわけない。そう思ったんだよ」
少し、言葉を切る。
今でも、その事を思い出すと心が締め付けられるのだ。
その光景を思い出すと、自らの小ささが浮き彫りになるような気がする。俺の心のその部分は、あの時の、子供のままなのだ。
「師匠もそのポケモン達を止められなかったときには、俺は死ぬんじゃないかと、いや、きっと俺は死ぬんだと思った」
チタンのコップに触れる、まだ熱い。
「雨と太陽が戦ってた、異常な光景だった。もうだめだ。って思ったときにものすごい風が吹いて、上空に緑色をしたこれまたすげえでっかいドラゴンポケモンが現れたんだ、街の人間全員が死を覚悟したと思う。だが、グラードンとカイオーガの動きは止まった、俺達が事態を飲み込む前にその二匹は消えた、あんなに暴れていたのに……とにかく、町の人間は喚起したさ、なんだあのポケモンは、神様なのかもしれない。ってな、だが」
そこまで言って話すのをいったん止める。コップに触るがまだ熱かった。
「ねぇ、何で止めるのよ」
「ここから先は教えないって言ったらどうする」
その問いに対してチマリは声は出さないもののあからさまに不機嫌そうな顔を見せる。
「冗談だよ、本当は、まだ信じられないんだ、あの光景が」
そう、あの光景は今の俺の原点であるが、それが本当にあった光景なのかどうかいまだに確信を持てないでいる。
「そのポケモンが、ボールに戻っていったんだ。そしてそのボールの持主は……俺よりも年下、十二歳くらいの女の子だった」
俺はこの話を滅多にしない、別に隠してるわけじゃない、あの凄惨な事故、伝説のポケモン同士のぶつかり合いはむしろ積極的に話していくべきだと思う。だがいつも最後、最後まで話すと、冗談だと思われる。
それは俺だって同じ、もし俺が何も知らなければ「漫画の世界だ」と一蹴するだろう。
だからこそ、それを目の当たりにしていればもう忘れることは出来ない。一種のトラウマ、心に突き刺さった何か。
「その後、その女の子は師匠を倒し、ホウエン地方のポケモンチャンピオンになったってお話だ、俺は思ったね、師匠は確かに強いが、師匠よりも強い人は必ずしもいる。この町から出なければならない、世界には師匠よりも強い人がいるってな」
コップに触るとちょうどいいくらいの温かさになっていた。黙って居るチマリの目の前に差し出す。
「飲みな、飲んで寝ろ、泣き疲れってーのは本当にあるんだ」
チマリは両手でそれを受け取ると、表面にニ三度息を吹きかけ幼児がするように少しだけ口をつけた。
「美味いか?」
チマリはそっとコップから口を離し、うんと一つ頷く。
「そりゃぁよかった、俺は海岸の本を拾ってくるよ」
ベットから立ち上がり、コンロのガス栓がしっかりし待っていることを確認して、仮眠室のドアを開けようとした時、チマリが後ろから声をかけてきた。
「ねぇ」
こんなに弱弱しくチマリから呼ばれたのは初めてだ、すぐに振り返る。
「デンジさんに、挑戦するの?」
顔をあげたチマリの眼は、真っ赤に充血していたがまっすぐに俺を見据えていた。立ち直ったのだろうか、それとも気丈に振舞っているだけなのだろうか。
「するさ、俺はこう見えてもポケモントレーナーなんだ」
「そう、そうよね」
チマリは再び目を落とし、コップを傾けた。